鳩間方言音声語彙データベース

見出し語IPA品詞意味記述
ソー [⸢soː]{1}正気。意識。自覚。
ソー [⸢soː]{2}根性。精神が正常であること。気が確かであること。身にしみて感じる。身に応える。
ソー [⸢soː]{3}正しい判断力。
ソー [⸢soː]{1}性。たち。先天的な性質。
ソー [⸢soː]{2}あいしょう(相性)。
ソー [⸢soː]{1}消息。便り。様子。老年層は⸢サウ[⸢sau](消息。便り)を多用する。「左右<音信、たより>、其の左右を今や今やと待ちける~『太平記』」の転訛。
ソー [⸢soː]{2}心配。
ソー [⸢soː]接頭本当の。本物の。立派な。「しょう<正>」の義
ソー [⸢soː]心配。
ゾー [⸣ʣoː]門の外の道。
ゾー [⸢ʣoː]さあ。さあさあ。どうぞ。物を差し上げる時や、目上の人を誘ったり、せきたてたりするときに発する語。
ゾー [⸢ʣoː]接頭上の。上等の。上質の。すばらしい。
ゾーイ [ʣoː⸢i]陳述副詞。とても~<ない>。とうてい~<ない>。なかなか~<ない>。けっして~<ない>。下に照応する形式で否定表現を伴い、その否定表現に先行して強く否定する陳述を誘導する職能を有する。
ソーイラー [⸢soːʔiraː]利口者。しっかり者。「根性の入った者」の義。老年層は、⸢ソーイリムヌ[⸢soːʔirimunu](利口者)ともいう。
ソー イルン [⸢soː ʔiruŋ]{1}利口になる。根性がしっかりする。「性根(根性)が入る」の義。
ソー イルン [⸢soː ʔiruŋ]{2}思い知る。悟り知る。身にしみてわかる。
ソーウキ [⸢soːʔuki]ぼんやりすること。あっけにとられること。茫然自失になること。
ソーウクン [⸢soːʔukuŋ]自動慌てふためく。うろたえる(狼狽える)。茫然自失になる。あっけにとられる。
ソーウヤ [⸢soːʔuja]実の親。
ゾーカイ [⸢ʣoːkai]常会。
ソーカニズーワン [⸢soːkaniʣuː⸣waŋ]記憶力が強い。博覧強記である。「性・勘・強い」の転訛か。
ソーカニ パンツン [⸢soːkani panʦuŋ]耄碌する。老人性痴呆症になる。「性・勘・外れる」の義か。カ⸢ニパンツン[ka⸢nipanʦuŋ](耄碌する。痴呆症になる。勘が外れる)ともいう。
ソーキ [⸢soː⸣ki]み(箕)。稲籾や麦、粟などを風に当てて、実と籾殻を選別するのに用いる農具。竹の皮でつくる。餅を作る際の大型の箕を、ム⸢チソーキ[mu⸢ʧisoːki](餅作り用の箕)という。その中に石臼を据えて小麦を挽くと小麦粉が製造できる。炒った小麦を挽くと、ユ⸢ナ⸣ク[ju⸢na⸣ku](麦焦がし)ができる。
ゾーキ [⸢ʣoːki]蒸気船。
ゾーギ [⸢ʣoː⸣gi]定規。標準語からの転訛。老年層は⸢ゾン⸣ギ[⸢ʣoŋ⸣gi]ともいう。
ソー キスン [⸢soː⸣ ki̥suŋ]憤激のあまり、または恐怖のあまり正気を失う。「性切る」の転訛か。
ソーキナー [⸢soːkinaː](植)野菜の名。ふだんそう(不断草)。葉の形が⸢ソー⸣キ[⸢soː⸣ki](箕)に似ていることからの命名という『石垣方言辞典』。葉肉が厚く、カツオの頭と一緒に煮ると美味であった。
ソーキブニ [⸢soːki⸣buni]家畜の肋骨。特に豚の肋骨。人間の肋骨は、ヤ⸢カタ⸣ブニ[ja⸢kata⸣buni](肋骨。「側骨」の義か)という。
ソーキブニ タラーヌ [⸢soːki⸣buni ta⸢raːnu]肋骨が足りない(⸢知恵が足りない。間が抜けている。馬鹿である」の意味)。
ソーキブニヌ スー [⸢soːkibuni⸣nu ⸣suː]豚の肋骨のお汁。正月やお盆の時に食することができた。
ソーキム [⸢soːkimu]真心。本心。「正肝」の義。
ソーキラー [⸢soːkiraː]健忘症の人。耄碌した人。{惚}{ボケ}けた人。
ソーギリ [⸢soː⸣giri]塩漬け乾燥した鱶肉。鱶の肉を細切りにし、塩を塗して天日乾燥したもの。「削ぎ切り」の転訛したものか。鱶の肉は油気がなく、さくさくして美味しくないが、ソーギリにしたものを火に炙って食すると独特の香りと味が出る。保存食用としてソーギリにし、石垣島の業者に売った。
ソーキリムヌ [⸢soːkiri⸣munu]根性のない者。恥も外聞もない人。ぼけ(惚け)かかった人。
ソーキン [⸢soːkiŋ]晴れ着。一張羅。「立派な着物」の義。フ⸢タ⸣キシキン[ɸu̥⸢ta⸣ki̥ʃikiŋ](普段着)の対義語。
ゾーキン [⸢ʣoː⸣kiŋ]雑巾。標準語からの借用語。明治生まれの老年層は、ヤ⸢リ⸣カコー[ja⸢ri⸣kakoː](ぼろ<襤褸>。「○、残帛也、也不礼加々不<やぶれかかふ>」『新撰字鏡』の転訛)を雑巾に利用した。
ゾーグ [⸢ʣoː⸣gu]{1}じょうご(漏斗)。ろうと(漏斗)。
ゾーグ [⸢ʣoː⸣gu]{2}上戸。特に酒や飲食物を好む人。
ソークトゥ [⸢soːkutu]本当のこと。事実。真実。
ソーグトゥ [⸢soːgutu]心配事。
ゾーサー ナーヌ [⸢ʣoː⸣saː ⸢naː⸣nu]造作ない。たやすい。わけはない。難しくない。
ゾーサキ [⸢ʣoːsaki]「上酒」の義。静かに友情を温めあう飲酒。よい酒の飲み方。ン⸢マ⸣ザキ[ʔm⸢ma⸣ʣaki](暴れ酒。馬酒)の対義語。
ソージ [⸢soːʤi]障子。標準語からの借用語。老年層はア⸢カル[ʔa⸢karu](明かり障子)という。これは、70歳以下の人には理解語彙。鳩間島では、障子のある家は少なかった。
ソージ [⸢soː⸣ʤi]お祓い祈願。精進潔斎して祈願すること。「精進」の転訛したもの。
ソージ [⸢soː⸣ʤi]掃除。清掃。標準語からの借用語。⸢ソー⸣ジカキ[⸢soː⸣ʤikḁki](掃除)、⸣カキソージ[⸣kḁkisoːʤi](掃き掃除)ともいう。
ソージ [⸢soː⸣ʤi](地)西表島の船浦の奥地にある水田地帯の地名。
ゾージ [⸢ʣoː⸣ʤi]上手。物事に巧みで優れていること。
ソージカキ [⸢soː⸣ʤikḁki]掃除。掃除の強調表現。
ソーシキ [⸢soː⸣ʃi̥ki]葬式。標準語からの借用語。老年層は、プ⸢スウクリ[pu̥⸢suʔukuri](人送り)を用いていた。
ゾーシキ [⸢ʣoː⸣ʃi̥ki]百姓。下女。下働き。「穴云。雑色。謂雑戸、品部也」<令集解>の「雑色」『日本国語大辞典』からの転訛。⸣アカカラジー[⸣ʔakakaraʣiː](民百姓)と対語で用いられる。
ゾーシキヌ ニンガイ [⸢ʣoːsiki⸣nu ⸢niŋ⸣gai]⸢村役人の祈願」。村役人が一年中の神行事を無事に執り行うことが出来るように祈願すること。⸢ニンガチニン⸣ガイ[⸢niŋgaʦiniŋ⸣gai](二月願い)の中で祈願される。⸢雑色とは、謂ふ、雑戸・品部也」『令集解賦役』、(良民の最下位の品部<しなべ>・雑戸<ざっこ>をいう)『岩波古語辞典』の転訛したものか。かなり古い時代の祭祀を反映した、注目すべき祭祀語彙と考えられる
ソーシキムヌ [⸢soːʃi̥ki⸣munu]気付け薬。酒類。「正気付けるもの」の義。老年層は、⸢サウシキ⸣ムヌ[⸢sauʃi̥ki⸣munu](気付け薬)という。気を失った人の顔面に酒を吹きかけたり、飲ませたりして正気付けさせるものである。
ソーシキヤー [⸢soː⸣ʃi̥kijaː]葬式の執り行われる家。
ソー シキルン [⸢soː⸣ ʃi̥⸢ki⸣ruŋ]正気づく。正気にかえる。⸢ソー⸣ スクン[⸢soː⸣ su̥kun](正気づく)ともいう。
ソーシグトゥ [⸢soːʃigutu]心配事。「心配・し・こと」の義。
ソー シティルン [⸢soː⸣ ʃi̥⸢tiruŋ]正気を失う。前後不覚に陥る。シ⸢ティルン[ʃi̥⸢tiruŋ](捨てる)は「捨てる。下一段」の転訛したもの。
ソー シトゥン [⸢soː⸣ ʃi̥⸢tuŋ]正気を失う。前後不覚に陥る。シ⸢トゥン[ʃi̥⸢tuŋ]は「捨つ。下二段」の転訛したもの。
ソージヌ サン [⸢soːʤinu⸣ saŋ]「障子の桟」の義。標準語からの借用語。鳩間島では限られた家にしか障子は無かった。
ソージヌ プニ [⸢soːʤinu⸣ puni]障子の桟(障子の骨)。
ゾージ ヒター [⸢ʣoː⸣ʤi ⸣çi̥taː]上手下手。上手と下手。
ソージマール [⸢soː⸣ʤimaːru]掃除の検査のために保健所の所員が村々を巡回検査すること。
ソーズク [⸢soːʣu⸣ku]相続。標準語からの転訛。老年層は⸣アトゥトゥリ[⸣ʔatuturi](跡取り)、⸣アトゥシギ[⸣ʔatuʃigi](跡継ぎ)を多用した。
ゾースク [⸢ʣoː⸣su̥ku]造作。家の内部の仕上げ、取り付け物の総称。天井、床板、階段、棚、敷居、鴨居など。
ソー スクン [⸢soː⸣ su̥kuŋ]正気づく。酔いからさめる。意識が回復する。⸢サウ⸣ スクン[⸢sau⸣ su̥kuŋ]<老年層>ともいう。
ソースン [⸢soːsuŋ]他動{籾}{モミ}や麦などを風に当て、籾殻やすくも({藻屑}{モ|クズ})などを飛ばして籾をえり分ける。そよがせる。「そよが<戦が>せる」の転訛したものか。
ソー スン [⸢soː suŋ]心配する。
ソータマシー [⸢soːtamaʃiː]正常な精神活動。真っ当な判断力。正常な魂。心を入れ替えること。「正魂」の義。
ソーダン [⸢soː⸣daŋ]相談。意見を出して話し合う。⸣ウチソーダン[⸣ʔuʧisoːdaŋ](うち相談)ともいう。
ソーッふァ [⸢soːffa]実子。真実の子。正式に結婚して産んだ子。
ゾーディキ [⸢ʣoːdi⸣ki]上出来。よくできていること。
ゾーティダイ [⸢ʣoː⸣tidai]充分なおごり(奢り)。十分なご馳走。
ソートー [⸢soːtoː]物事の程度が普通を越えている。標準語からの借用語。
ソードー [⸢soːdoː]騒動。もめごと。争いごと。標準語からの借用語。老年層は、⸣ウチサウギ[⸣ʔuʧisaugi](うち騒ぎ)という。⸣ウチソードー[⸣ʔuʧisoːdoː](うち騒動。大騒動)ともいう。
ゾートゥ [⸢ʣoː⸣tu]上等。立派。
ソー トゥブン [⸢so⸣ː tu⸢buŋ]正気を失う。気絶する。前後不覚に陥る。「正・飛ぶ」の転訛したもの。
ソートン [⸢soːtoŋ]{1}急所。命に関わる所。「正所」の義。
ソートン [⸢soːtoŋ]{2}良い所。
ソーナー [⸢soːnaː]本名。戸籍上の名前。
ソー ナーヌ [⸢soː naː⸣nu]正気がない。正気を失っている。精神状態が正常でない。
ソーナーン ムニ [⸢soːnaːm⸣ muni]正気でない言葉。たわごと({戯言}{ザレ|ゴト})。
ソーナーンムヌ [⸢soːnaːm⸣munu]正気のない者。智恵の無い者。うかつもの(迂闊者)。ばか者。
ソーニチ [⸢soːni⸣ʧi]命日。「正日」の義。
ソーニチ [⸢soːniʧi]当日。「しょうにち(正日)」の義。⸢ピン⸣ガン[⸢piŋ⸣gaŋ](彼岸。春分の日、秋分の日)のように、一週間にわたる祭祀期間の中の正真正銘の彼岸の当日のこと。彼岸だけは、その期間の中の都合の良い日に焼香してよいといわれている。
ソーニビ [⸢soːnibi]熟睡。本眠り<本格的な眠り>。
ソーニヨイ [⸢soːnijoi]生年祝い。干支の生まれ年に行われる誕生祝い。十三歳、二十五歳、四十九歳、六十一歳、七十三歳、八十五歳の生年祝い。八十八歳は⸢トー⸣カキ[⸢toː⸣kḁki](「斗掻き」の義。米寿の祝い)、九十七歳はカ⸢ジマー⸣ヤー[ka⸢ʤimaː⸣jaː]という。最近は寿命が延びたので、八十五歳以上の生年祝いを盛大に行うようになった。
ソーニンギン [⸢soːniŋgiŋ]真人間。まっとう(真っ当)な人。普通のまともな人。「正人間」の義。⸢ソープス[⸢soːpusu](真っ当な人)ともいう。
ソーヌギムヌ [⸢soːnugi⸣munu]性の抜けた者。間抜け。とんま。やることに手抜かりのある物。「性抜け者」の義。若年層は、⸢ソーヌガー[⸢soːnugaː](間抜け奴)という。
ソー ヌギルン [⸢soː⸣ nu⸢gi⸣ruŋ]驚愕して正気が抜ける。肝をつぶす。ヌ⸢ギ⸣ルン[nu⸢gi⸣ruŋ](抜ける)は、「脱げる、下一段」(脱げる)の転訛。
ソー ヌグン [⸢soː⸣ nuguŋ]驚愕して正気が抜ける。肝を潰す。肝を消す。正常でなくなる。うろたえ(狼狽え)る。⸣ヌグン[⸣nuguŋ](抜ける)は「ぬける、下一段」の転訛したもの
ソーヌ ナーン ムニ [⸢soːnu naːm⸣ muni]うわ言。たわごと。高熱にうかされたり、異常事態に気が動転<仰天>して発する言葉。「正気でない言葉<物言い>」の義。⸢ソーウキムニ[⸢soːʔukimuni](うわ言)ともいう。
ゾーヌヤー [⸢ʣoː⸣nujaː]屋号。屋敷名。
ゾーノー [⸢ʣoː⸣noː]租税。税金。「上納」の義。
ゾーノーマイ [⸢ʣoːnoː⸣mai]租税として納入した米。「上納米」の義。鳩間島の人は西表島北岸一帯に配分された⸢グイ⸣フダー[⸢gui⸣ɸudaː](貢納田)を耕作するために、⸣イダフニ[⸣ʔidaɸuni]<板舟、サバニ>に乗って往き来したのである。古典民謡パ⸢トゥ⸣マナカムリ[pḁ⸢tu⸣manakamuri](鳩間中岡)は、その情景を歌った叙景詩である。
ゾーノームヌ [⸢ʣoːnoː⸣munu]租税用の物品。
ゾーパタラキ [⸢ʣoːpatara⸣ki]十分な働き。かなりの評価が得られる労働。「上働き」の義。
ソーパナシ [⸢soːpanaʃi]本当の話。真実の話。
ソーパナシ [⸢soːpanaʃi]事実。真実。うそいつわり(嘘偽り)でない本当の話。実話。
ソーパンタリ [⸢soːpantari]本格的な肥満。
ソーピー [⸢soːpiː]吉日。佳日。よき日。
ソーフイ [⸢soːɸui]本降り。雨が本降りになること。ナ⸢マンダフイ[na⸢mandaɸui](「半端な雨降り」の義、しょぼしょぼ降る雨)の対義語。
ゾー フカーン [⸢ʣoː⸣ ɸu̥⸢kaː⸣ŋ]情が深い。情が厚い。
ソーフキ [⸢soː⸣ɸu̥ki]口笛。古老は⸢サウ⸣フキ[⸢sau⸣ɸu̥ki]ともいう。口笛を吹くと風が吹いてくると信じられている。
ゾーブクル [⸣ʣoːbukuru]封筒。⸢状袋」の転訛。若年層は、⸣ジョーブクル[⸣ʤoːbukuru](封筒)という。
ソープス [⸢soːpusu]真人間。まともな人。
ソープスン コーラシ [⸢soːpu̥suŋ koːra⸣ʃi]あたかも真っ当な人<真人間>のふりして
ソープスンコーラシ [⸢soːpusuŋkoːra⸣ʃi]真人間のふりして。真人間らしく。まともな人間のように。一人前の人間のふりして。
ソープリムヌ [⸢soːpurimunu]本当の狂人。「正・Foremono.ホレモノ(耄れ者)~分別のなくなった人,」『邦訳日葡辞書』の転訛したもの。普通は、⸢マーブリムヌ[⸢maːburimunu](真・耄れ者)という。
ソーフント [⸢soːɸun⸣to]真実。まことのこと。嘘偽りのない本当のこと。
ソーフントー [⸢soːɸuntoː]真実。本当のこと。まことなこと。偽りのないこと。正真正銘のこと。
ソーフントー [⸢soːɸun⸣toː]本当。真実。「正本当」の義。
ゾーブンニ [⸢ʣoː⸣bunni]上手に。十分巧に。手際よく。立派に。「上分に」の転訛したものか。
ソーベー [⸢soː⸣beː]安物。安くて壊れやすいもの。「商売」の義。昔の製品<商品>は模造品が多く、安くて壊れやすいものが多かったことからの命名。
ソーマー [⸢soː⸣maː]やぶにらみ。斜視。すがめ(眇)。ッ⸢ソー⸣ミー[s⸢soː⸣miː](白目)の転訛したもの。一方、「眇、須加女(すがめ)」『和名抄』が、[sugame] → [suame] → [soːmi]+[ja→soːmaː] のように転訛したものとも考えられる。
ソーミ [⸢soː⸣mi]正味。実質。外皮や付属部分を除去した中身。
ソーミチ [⸢soːmiʧi]{1}正道。人の踏み行うべき正しい道、生き方。
ソーミチ [⸢soːmiʧi]{2}本道。脇道や近道に対していう。
ソーミン [⸢soː⸣miŋ]そうめん(素麺)。シ⸢ラ⸣ガーソーミン[ʃi⸢ra⸣gaːsoːmiŋ](白髪素麺)ともいう。
ソーミンチャンプルー [⸢soː⸣minʧampuruː]茹でた素麺に魚肉やカマボコ、シ⸢ビラ[ʃi⸢bira](ネギ<葱>)あるいは、⸣ビラ[⸣bira](ニラ<韮>)などを刻み、混ぜ絡めて軽く油炒めにしたもの。栄養価の高い、美味な食品であった。鳩間島では、⸣バコー[⸣bakoː](共同作業)の際に、3時の⸢サー⸣フキ[⸢saː⸣ɸu̥ki](茶請け)として簡単に大量炊飯が出来るので重宝された。
ソーミンヌ シームヌ [⸢soːmin⸣nu ⸢ʃiːmunu]素麺の吸い物。祝儀、不祝儀(ウ⸢ブソッ⸣コー{SqBr}ʔu⸢busok⸣koː{/SqBr}<二十五年忌、三十三年忌の焼香>)の座で二番目に供された吸い物。
ソーミンブットゥルー [⸢soː⸣mimbutturuː]素麺を茹でて、それだけを軽く油で炒めたもの。主婦たちの夜なべ仕事のヌカーシ夜食や子供たちのお八つなどに好まれた。
ゾームチ [⸢ʣoːmuʧi]人情の厚い人。「情持ち」の義。
ソームニ [⸢soːmuni]本当の言葉(話)。真実の言葉(話)。うそいつわり(嘘偽り)のない言葉(話)。
ソームヌ [⸢soːmunu]本物。立派な物。本当の物。上質の物。高級品。
ゾームヌ [⸢ʣoː⸣munu]上質のもの。上等のもの。上物。
ソーヤンマイ [⸢soːjammai]仮病でない本当の病気。重篤な病気。
ソーユ [ー⸢soː⸣juː]醤油。標準語の⸢醤油」から転訛したもの。老年層は、シ⸢タ⸣ディ[ʃi̥⸢ta⸣di](下地<醤油>)という。
ゾーラキ [⸢ʣoːraki]青年団が東村、西村に分かれて豊年祭当日に入子型の棒踊りや舞踊を競って奉納する舞踊団の行列。「常楽会」と関係があるか。奉納芸は西村の弥勒踊りから最初に上演される。福福とした弥勒菩薩の面を被った演者(大城家出身者)が軍配団扇を右に左に掬い上げるように打ち振りながら13人の従者(乙女)を引き連れて、三味線、笛、太鼓、銅鑼の音楽に合わせながら登場する。地謡達は旗頭の前や横に立って演奏する。従者の内、最前列の2名は神酒の入った⸢カン⸣ビン[⸢kam⸣biŋ](燗瓶)を一本ずつ持ち、続く2名は稲、粟の入った籠を持ち、弥勒の団扇に合わせて右上へ、左上へと額の高さに差し上げて拝みつつ進む。残りの9名はパ⸢タ[pḁ⸢ta](黄色い三角旗)を右手にもって右足を半歩出し、旗竿に脚を揃えて膝を折り、次に左脚を半歩出して旗竿に揃え、膝を折って進む。これを繰り返しつつ桟敷の中央で一回りして退出する。奉納芸能の二番目の演目は東村のカ⸢ムラー⸣マ[ka⸢muraː⸣ma](かむろ<禿。幼童の髪を切り揃えたもの。⸢神漏美」の転訛か>。子孫繁昌の神の舞い)である。シュロの葉柄の根元に生える茶褐色の網状の繊維を頭に被り、黄色い衣装を纏った翁が右手にクバ(蒲葵)の葉扇を持ち、左手に杖を持って、10人余の黄色い衣装を着た子供を従えて登場する。翁が先頭になり、カムラーマの歌に合わせて片足を交互に挙げながら扇を打ち振り桟敷の中央まで進む。子供達も歌に合わせて、両手を肩の上から両側へ払い挙げる動作を繰り返しつつ進み、左回りに円陣を作って翁を取り巻く。途中、歌の一節が終わる度に翁が⸢ヘイ」と声をかけると、子供達は一目散に翁の足元に駆け寄ってしゃがみ、うずくまる。翁は「ホーイホーイ」と声を掛けながらクバ扇で子供達を撫でる。四連の歌詞が終わるまで四回同じ所作を繰り返して終わる。三番目の演目は西村のタイ⸢コー⸣マ[tai⸢koː⸣ma](小太鼓演舞隊)である。小太鼓を持った五人ずつの二列縦隊と隊列の中間に長刀を持った武者姿の演者が入って一団が構成される。長刀演者は太鼓や銅鑼に合わせて長刀の型を演舞する。小太鼓隊は長刀演者の両側で小太鼓を打ちながら前進したり後退したり、脚を大きく上げ、飛び跳ねて回転したりして勇壮な演舞をする。四番目の演目は西村の棒術である。サク棒、六尺棒、長刀など二人一組で演じる五組ほどの演舞がある。五番目の演目も西村のマ⸢ミドー⸣マ[ma⸢midoː⸣ma]が演じられる。六番目の演目は東村のタイコーマ(小太鼓隊)、七番目の演目も東村の棒術が演じられるが、東村の演舞は西村のそれにくらべて勇壮で激しいのが特徴である。八番目の演目は東村の舞踊イニシリ節(稲の収穫舞踊)である。これらが定番の演目で、西村、東村に分かれ、セットになって入子型様式で納められている。これらを一つ一つ取り出して競演奉納し、豊穣を祈願するのがゾーラキである
ゾーラスン [⸢ʣoːrasuŋ]他動濡らす。水で濡れるようにする。潤す。
ソーラン [⸢soː⸣raŋ]盆祭り。「精霊会」の義。旧暦7月13日は、ン⸢カイビー[ʔŋ⸢kaibiː](迎え日。精霊迎え)、同14日は、ナ⸢カヌ⸣ピー[na⸢kanu⸣ piː](中日)、同15日は、ウ⸢クリヌ ピン[ʔu⸢kurinu piŋ](送りの日。精霊送り)として先祖の霊を供養する祭祀行事。鳩間島では、旧暦7月を⸢ソー⸣ランシキ[⸢soː⸣raŋʃi̥ki](精霊月)といって、その月には神事に関する諸々の行事はタブーとされている。旧暦7月7日を、タ⸢ナバタ[ta⸢nabata](七夕)と称し、その日には墓地を清掃したり、日頃から延び延びにしていた法事等を、⸢ピュール[⸢pjuːru](ひより。吉日。「日選り」の義か)に関係なく執り行うことが出来ることになっている。毎年回ってくるソーランには、人々は「あの世」から先祖や死者の霊を各家に迎えて、孝養の限りを尽くすために供物を供え、獅子舞、アンガマ踊りを奉納して⸢ニンブ⸣ツァー[⸢nimbu⸣ʦaː](念仏歌)をうたうのである。祖霊は、目には定かに見え給わぬが、あたかも眼前に祖霊がましますが如くに語りかけたりして、心をこめて念仏歌を歌い上げるのである。旧暦7月13日のン⸢カイビー[ʔŋ⸢kaibiː](精霊迎え)には、朝から仏壇を清掃したり、供え物を飾りつけたりする準備をする。⸢イーパイ[⸢ʔiːpai](位牌)を洗って拭いたり、⸢コー⸣ロー[⸢koː⸣roː](香炉)の灰を取り替えたりする。供え物は普通、⸢ソッコー⸣ムヌ[⸢sokkoː⸣munu](「焼香物」の義か。イ⸢ツァ⸣カウ{SqBr}ʔi⸢ʦa⸣kau{/SqBr}<板線香>3枚と、ウ⸢ティン⸣ガビ{SqBr}ʔu⸢tiŋ⸣gabi{/SqBr}<打ち紙。紙銭>3枚、イ⸢チンゴー⸣パナ{SqBr}ʔ⸢iʧiŋgoː⸣pana{/SqBr}<花米一合を重箱にいれたもの>)、ム⸢ルムル[mu⸢rumuru](「盛る物」の義か。甘蔗<砂糖黍>を7寸ほどの長さに切ったものを10本ほど束ね、⸣サンボー{SqBr}⸣samboː{/SqBr}<三方>の台に載せ、果物やキ⸢ダ{SqBr}ki⸢da{/SqBr}(黒檀。黒木)の実やフ⸢ナ⸣ブ[ɸu⸢na⸣bu]<九年母、ヒラミレモン>、⸢バン⸣スル[⸢ban⸣suru]<ばんじろう。蕃石榴>、⸣カニン[⸣kaniŋ](野葡萄の実)を挿して飾った供物の一対)などである。それに⸣グシ[⸣guʃi](御酒)を⸢カン⸣ビン[⸢kam⸣biŋ](燗壜)に入れたもの一対を仏壇に供え、ン⸢カイズーシ[ʔŋ⸢kaiʣuːʃi](精霊迎えの雑炊。五目飯)を供えると祖霊を迎える準備は完了する。毎食を供える際に、ミ⸢ジヌ⸣クー[mi⸢ʣinu⸣kuː](「水の子」の義か。砂糖きびの茎、茄子を細かく刻んだ物に米、小豆を加えたもの)を、⸣マヤーブー[⸣majaːbuː]<メドハギ。精霊箸。⸢猫の尾」の義>で戸外へ三度撥ね飛ばして施餓鬼する。ミジヌクーも仏壇に供える。祖霊を迎えるには、バ⸢ラフ⸣タ[ba⸢raɸu̥⸣ta](稲藁)の穂の部分を丸めて縛り、その中にウ⸢キル[ʔu⸢kiru]({熾火}{オキ|ビ})を入れてフ⸢チマラ⸣シ[ɸu̥⸢ʧimara⸣ʃi]({燻}{クスベ}らせ)て、⸢ペーラ⸣フチ[⸢peːra⸣ɸu̥ʧi](門。入り口)の右脇に添えて置く。これは、人がその火を跨ぐことがないようにとの意味があるという。祖霊達は藁の煙をたどって家々に降りてくるといわれている。それで藁の煙がたくさん出るように心を配ったものである。祖霊を迎え入れると、戸主を中心に家族一同が仏壇の前に座り、跪いて合掌し、三日間孝養を尽くさせてくださいと祈ってから会食した。その日の夕食は出来るだけ早めにとった。お盆の日、特に初日の精霊迎えの日は、空腹を感じると、その人の魂が肉体から抜けやすいと信じられているからである。夕食が済むと男たちは、⸢ニンブ⸣ツァー[⸢nimbu⸣ʦaː](念仏歌)を歌ったり、先祖の話をしたり、親戚を回って焼香したりして祖霊を慰めた。夜の11時頃になると、ユ⸢ナカシー⸣ムヌ[ju⸢nakaʃiː⸣munu](夜中の吸い物)を供えた。食事を供える際は、必ず⸢ブー⸣ソー[⸢buː⸣soː](小皿に盛ったご飯。ぶっしょう「仏食向」の義か)を膳の外においた。⸢ブー⸣ソーは女性しか食べることは出来ないといわれている。お盆の三日間は、仏壇の線香が消えると、⸣ピーリボール[⸣piːriboːru](冷え冷え)としているといって、それを嫌った。線香の火を絶やさないために、⸢ピーマチカウ[⸢piːmaʧikau](「火持ち線香」の義か。直径約5ミリ、長さ約25センチの大きな線香)を焚いて一日中仏壇から線香の煙を絶やさなかった。ナ⸢カヌ⸣ピン[na⸢kanu⸣piŋ](中日)は、朝食にア⸢サカイ[ʔa⸢sakai](朝粥)を供える。午前10時頃、⸢サーサー⸣フキ[⸢saːsaː⸣ɸu̥ki](茶請け)を供え、正午には⸣アシ[⸣ʔaʃi](「朝飯」の義か)、午後3時頃に⸢サーサー⸣フキ[⸢saːsaː⸣ɸu̥ki]、午後6時頃に⸢ユー⸣ボン[⸢juː⸣boŋ](夕飯)、午後11時頃にユ⸢ナカシー⸣ムヌを供えた。こうして祖先供養をすることを、⸢ソー⸣ランマカナイ[⸢soː⸣rammakanai](精霊賄)と称している。ウ⸢ヤ⸣プスシゥカナイ[ʔu⸢ja⸣pu̥susi̥kanai](先祖養い)ともいう。中日の晩には、翌日のウ⸢クリ[ʔu⸢kuri](精霊送り)の法事に必要な供物の餅やア⸢ラシコーシ[ʔa⸢raʃikoːʃi](「蒸し菓子」の義)を作るために、女性たちは⸢クー⸣ピキ[⸢kuː⸣pi̥ki](「粉挽き」の義。約半日水に浸けた糯米を石臼で挽くこと)をして準備した。男たちは夕方になると⸢シー⸣シマーシ[⸢ʃiː⸣ʃimaːʃi](獅子舞)の準備をした。西村の獅子は⸢雌獅子」で⸢ダイ⸣ケー[⸢dai⸣keː](大工家)が獅子元、東村はク⸢メー[ku⸢meː](小浜家)が獅子元である。⸢シーシ⸣ヌ ⸣キン[⸢ʃiːʃi⸣nu ⸣kiŋ](獅子の着物。フ⸢ク⸣ダー{SqBr}ɸu̥⸢ku⸣daː{/SqBr}<襤褸>)は、西村と東村の子供たちが、お盆の月に入ると同時にバ⸢サ⸣ヌカー[ba⸢sa⸣nukaː](芭蕉の皮)を剥いで槌で打ち、乾燥させておいた繊維を使って編み上げた。お盆の中日には、獅子元の人や村のヤ⸢ク⸣サ[ja⸢ku⸣sa](村役人)たちが獅子頭の化粧直しをして獅子元の一番座の東の縁側に飾っておく。午後8時ごろ村人が獅子元に集まってきて⸢シーシマツ⸣リ[⸢ʃiːʃimaʦu⸣ri](獅子祭り)をした後、獅子舞に移る。⸢ニンブ⸣ツァー(念仏歌)のシ⸢ザ⸣ヌクイ[ʃiʣa⸣nukui](兄の声<歌>)と⸢ウシトゥ⸣ヌクイ[⸢ʔuʃi̥tu⸣nukui](弟の声<歌>)、ン⸢ゾーニンブツァー[ʔn⸢ʣoːnimbuʦaː](無蔵念仏歌)が歌い終わる頃、どこからともなく⸢アン⸣ガマ[⸢ʔaŋ⸣gama](アンガマ踊りの仮装した一団)たちが、⸢シー⸣シ ⸢パー⸣ソーリ[⸢ʃiː⸣ʃi ⸢paː⸣soːri](獅子を囃したててください)と裏声をつかって催促する。すると、⸣ジーシンカ[⸣ʤiːʃiŋka](地謡衆)が中庭に敷いた筵に座って、ム⸢ヌン⸣グイウタ[mu⸢nuŋ⸣guiʔuta](物乞い歌)をうたう。歌の文句(歌詞)に合わせて家の中から、ム⸢ソー⸣マ[mu⸢soː⸣ma](小筵)を出し、ウ⸢マ⸣ツ[ʔu⸢ma⸣ʦu](火。煙草盆)を出し、キ⸢シ⸣ル[ki⸢ʃi⸣ru](煙管)、タ⸢バ⸣ク[ta⸢ba⸣ku](煙草)、ウ⸢ミ⸣キ[ʔu⸢mi⸣ki](神酒)、⸣ウサイ[⸣ʔusai](酒の肴)、⸣スナイ[⸣sunai](酢の物、和え物)を出して最後にブ⸢ドル[bu⸢duru](踊り)の出番となる。アンガマ踊りはこうして始まるのである。アンガマ達は男装、女装で変装し、手拭で顔を隠し、クバ笠を深く被って翁とおうな(媼)に続いて現れ、仏壇正面の中庭からナ⸢カグス⸣ク[na⸢kagusu⸣ku](ヒンプン)の側まで片膝を立てて腰を下ろし、片手に木の枝やクバ扇を持って両手を体の右側に流して待機している。地謡がニンブツァーを歌いだすと立ち上がり、それに合わせて片足を交互に上げ、両手を上げた足の反対側へ振り下ろす動作を繰り返しつつ、ヒヤリクヨイサー サー サーと囃し立ててながら左回りに踊る。これが済むと獅子舞いに移り、モーヤーを踊って次の家へと移動する。移動する際は一段と高く、イ⸢リクヌ⸣ティー[ʔi⸢rikunu⸣tiː](「入れ子の笛」)の笛の音曲を吹き鳴らしてミ⸢チウタ[mi⸢ʧiʔuta](道歌)をうたう。イ⸢リクヌティーが次の家に移る合図の笛の音である。こうして夜更けまで各家を回り、祖霊を慰めたものである。7月15日は、ウ⸢クリヌピン[ʔu⸢kurinupiŋ](祖霊送りの日)である。供え物は、中日のそれとほぼ同じであるが、正午の⸣アシ[⸣ʔaʃi](昼食)は、ピ⸢サシズー⸣シ[pi⸢saʃiʣuː⸣ʃi](五目飯。豚肉、魚肉、カマボコ、人参、昆布などを賽の目に切り醤油で味付けして炊いた強飯。⸢コーズー⸣シ{SqBr}⸢koːʣuː⸣ʃi{/SqBr}<強雑炊>ともいう)を供え夕食には、⸢カシ⸣キ[⸢kaʃi̥⸣ki](糯米のご飯に小豆を混ぜ、蒸して炊いた強飯)を供える。夜の11時頃には、ユ⸢ナカソッ⸣コー[ju⸢nakasok⸣koː](夜中焼香)をし、カ⸢ビヤキ[ka⸢bijaki](紙銭を焼くこと)もして祖霊送りをするのである。ユ⸢ナカソッ⸣コーには分家すじからの⸢ソッコー⸣ムヌ(焼香の供物)も供える。家族全員が正座し、戸主は正装して焼香するが、その際、コーロ(香炉)も定位置より下ろし、⸢サー⸣ドーサバン[⸢saː⸣doːsabaŋ](茶湯茶碗)も下ろして紙銭を焼く。焼き終えたら、グシ(御酒)と茶湯を掛けて火を消し、米を三つかみ入れて⸣パイ[⸣pai](拝。三拝)をする。そして供えた供物を箸で起こし<パ⸢チウク⸣シ[pḁ⸢ʧiʔuku⸣ʃi](初起こし)>をし、拝礼をして終える。これが終わると仏壇のムルムルから供物の総てを下げ降ろし、ムルムルの一部を籠に入れ、菓子や餅の一部も千切って入れ、線香を三本抜き取って戸外に出、西の道路の側に⸣グソー[⸣gusoː](後生)への⸣シトゥ[⸣ʃi̥tu](お土産。つと)を置いて、無事にあの世へ帰られるよう祈願して祖霊たちを送るのである。こうしてお盆祭りの全過程は終了するが、子供達は籠を持って家々を回り、⸢シン⸣ザ ⸢コー⸣ソーリ[⸢ʃin⸣ʣa ⸢koː⸣soːri](砂糖黍を恵んでください)と裏声を使って砂糖黍を集めた。⸢シン⸣ザ ⸢クイ⸣プス[⸢ʃin⸣ʣa ⸢kui⸣pu̥su](砂糖黍を乞う人)が来ると、家の中から砂糖黍を投げて与えた。これは餓鬼に対する施しであるといわれていた
ソーランウヤプス [⸢soː⸣raŋʔujapu̥su]お盆に迎える祖霊。「精霊親人」の義か。
ソーランシキ [⸢soː⸣raŋʃi̥ki]お盆の月。「精霊月」の義。お盆の行われる月間の意で、旧暦7月のこと。神事に関する行事はタブーとされている。神事に関する話題をとりあげることすら忌み嫌われたものである。⸢ソー⸣ランシキ[⸢soː⸣raŋʃi̥ki]に入ると、⸢ニンブ⸣ツァー[⸢nimbu⸣ʦaː](念仏歌)を歌うことが許された。
ソーランパシ [⸢soː⸣rampḁʃi]精霊箸。ミ⸢ジヌ⸣クー[mi⸢ʤinu⸣kuː](無縁仏へのお布施の食い物。「水の子」の義)に添える箸。⸣マヤーブー[⸣majaːbuː](メドハギ)の茎で作る決まりがある。
ソーランマカナイ [⸢soː⸣rammakanai]お盆賄い。祖霊供養。「精霊賄い」の義。お盆祭りに祖霊を迎えて供養をすること。
ソーランヤーヌ アッパター [⸢soː⸣raŋjaːnu ⸣ʔappataː]精霊会の家のお祖母さんたち(お盆を迎えた家の祖霊のお祖母さんたち)。/~ソーランヤーヌ アッパター ミーザン マーサン オーショーリ/(精霊会の家の祖母たちよ、不味くても美味しくてもお召し上がれ)「ミチウタ(道歌)」
ゾーリシタフ [⸢ʣoːriʃi̥taɸu]あまじたく(雨支度)。外出時に雨に濡れない準備をすること。⸢ゾッふィシタフ[⸢ʣoffiʃi̥taɸu](濡れ支度)ともいう。
ゾーリルン [⸢ʣoːriruŋ]自動濡れる。水などがかかってしみこむ。
ゾールゾール [⸢ʣoːruʣoːru]{1}ぞろぞろ。人や動物、物などが連なって現れるさま。
ゾールゾール [⸢ʣoːruʣoːru]{2}雨にしとど濡れるさま。水が流れるさま。
ゾールゾール [⸢ʣoːruʣoːru]{3}擬音語。ざあざあ。雨が土砂降りになるさま。
ゾールゾールズーシ [⸣ʣoːruʣoːruʣuːʃi]雑炊の一種。野菜と水分が主で、米の少ない雑炊。ゾロゾロ雑炊。終戦後の食糧難の時代によく食した。ゾロゾロと掻き込まれることから命名されたものであろう。下痢をした時にも炊いて食べさせられた。
ソールン [⸢soːruŋ]他動{1}除草する。根こそぎに取る。へら(箆)で雑草を掘り起こして除草する。削り取る。「さくり<{渫}{サクリ}>」『岩波古語辞典』の転訛したもの。
ソールン [⸢soːruŋ]他動{2}肉を削ぎ落とす。さくり落とす。{削}{ソ}がれる。
ソールン [⸢soː⸣ruŋ]他動される。{為}{ナ}さる。「する」「なす」の尊敬語。「し<為>・おわす<御座す。在す>」の融合変化した形。
ゾールン [⸢ʣoːruŋ]自動濡れる。ぬる(下二段)「~寄せ来る浪に衣手奴礼奴<ヌレヌ>。万、3709」に対応。
ソーン [⸢soːŋ]接尾~並み。~と同じ程度。~と一緒。
ゾーンターヤー [⸣ʣoːntaːjaː]屋根付きの門。屋根のある門。「門の家」の義か。その昔、鳩間島から首里に公用で上ったウ⸢ブバ⸣カヤー[ʔu⸢buba⸣kajaː](大若家)の者が雨に降られて、とある家の⸣ゾーンタヤー[⸣ʣoːntajaː]で雨宿りをしていると、内から家主が出てこられ、何処から来たも者かと尋ねられたという。そこで事情を話すと、この家の縁の者であるとのことで家の中へ招き入れられ、歓待されて帰ったという。
ソーンドゥ [soː⸢ndu]丁度。きっかり。数量、大きさ、時刻などが基準に過不足なく一致するさま。若年層は、チョー⸢ンドゥ[ʧoː⸢ndu](丁度)ともいう。
ソッコー [⸢sok⸣koː]{1}仏前に香をたくこと。「焼香」の転訛したもの。
ソッコー [⸢sok⸣koː]{2}法事。
ソッコーグトゥ [⸢sokkoː⸣gutu]法事の行事。「焼香ごと」の義。
ソッコープス [⸢sokkoː⸣pu̥su]焼香客。法事に来た人。「焼香人」の義。
ソッコームヌ [⸢sokkoː⸣munu]法事の供物。法事に親戚の者が持参して供える供物。普通、⸣グシ[⸣gusi](酒)三合、⸢コー⸣パナ[⸢koː⸣pana](板香5枚と花米3合)と、ウ⸢ティン⸣ガビ[ʔu⸢tiŋ⸣gabi](打ち紙。紙銭5枚)。ッ⸢ス⸣ムチ[s⸢su⸣muʦi](白餅)一重箱が供えられた。
ソッコーヤー [⸢sokkoː⸣jaː]法事のある家。「焼香家」の義。
ゾッふァスン [⸢ʣoffasuŋ]他動濡らす。「~袖泣き奴良之~『万葉集 4408』」の転訛したものか。
ゾッふィシタフ [⸢ʣoffiʃi̥taɸu]雨支度。「濡れ支度」の義。雨天の際に着用する雨合羽、蓑笠の用意をすること。⸢ゾッふンとも言う。
ゾッふィルン [⸢ʣoffiruŋ]自動濡れる。⸣サナ ム⸢タン⸣カー ⸢ゾッふィルン⸣ダー。
ゾッふン [⸢ʣoffuŋ]自動濡れる。⸢ゾッふィルン[⸢ʣoffiruŋ](濡れる)と同じ。
ソフクン [⸢soɸukuŋ]他動突き刺す。錐や槍などの鋭利な物でぶすっと突き刺す。
ゾフティ [ʣoɸu̥⸢ti]ぐさりと。鋭利なもので柔らかいものを突き刺すさま。
ソンガー [⸢soŋ⸣gaː](植)ショウガ(生姜)。「生薑、久礼乃波之加三(くれのはじかみ)」『和名抄』のこと。地下茎が横に伸びて黄色い塊根を形成する。辛味を有し、食用・香辛料として用いられる。ナ⸢カミ⸣ヌ ⸢シームヌ[na⸢kami⸣nu ⸢ʃiːmunu](中身の吸い物。豚の臓物を調理する料理)に臭みを消す香辛料として用いられる。また、発熱した場合、特に傷口などから⸢ピン⸣グル[⸢piŋ⸣guru](冷え込み。破傷風)が入ったときには、ソンガーを擂ってサ⸢キ[sḁ⸢ki](酒。泡盛)とヤ⸢キマース[ja⸢kimaːsu](焼き塩)を混ぜて手揉みし、病人の傷口に当てて包帯で巻きつけ、頭から足の先まで擦り付けて治療した。医者のいない島で、経験をもとに、古老たちは糸満漁師が伝えた漢方治療をほどこした。
ソンガースリ [⸢soŋgaː⸣suri]生姜擂り。
ソンガチ [⸣soŋgaʧi]正月。
ソンガチアサビ [⸣soŋgaʧiʔasabi]正月遊び。男の子はピ⸢キダマ[pi̥⸢kidama](凧)を作って、ピ⸢キダマトゥバシ[pi̥⸢kidamatubaʃi](凧揚げ)をして遊んだ。女の子は、⸢マー⸣ルウティ[⸢maː⸣ruʔuti](鞠突き)などをして遊んだ
ソンガチアシツァ [⸣soŋgaʧiʔaʃiʦa]正月下駄。正月用の新しい下駄。戦後の昭和40年頃まで、正月に新品の下駄を履く習慣があった。西表島よりア⸢サン⸣グルキー[ʔa⸢saŋ⸣gurukiː](樹木の名。和名、フカノキ)を伐り出してきて下駄を作った。
ソンガチオー [⸣soŋgaʧiʔoː]正月用の豚。⸣ソーガチャー[⸣soːgaʧaː](正月用豚)ともいう。ほとんどの家では正月の豚肉用として、五月ごろに子豚を購入し、肥育して正月前に屠殺した。
ソンガチキン [⸣soŋgaʧikiŋ]正月用の着物。普段は着物を新調することはなく、正月と豊年祭の時に新調した。子供は、⸣ソンガチキン ア⸢ラキン カイッふォー⸣ルンティ⸢ダー[⸣soŋgaʧikiŋ ʔa⸢rakiŋ kaiffoː⸣runti⸢daː](正月用の着物、新しい着物を買って下さるそうだよ)といって喜んだものである
ソンガチ ッふァヨーン [⸣songaʧi f⸢fajoːŋ]旧暦正月の大晦日の夜の暗闇。真っ暗闇。
ソンガチ ニントゥ [⸣songaʧi ⸣nintu]正月の挨拶回り。正月の年頭の挨拶。
ソンガチ パチニンガイ [⸣soŋgaʧi pḁ⸢ʧiniŋgai]正月の初祈願。「正月初願」の義。鳩間島の人々は、稲作に従事するため西表島の北岸一帯へ四、五日泊まり掛けで、⸢マイ⸣ヌ ⸢トゥー[⸢mai⸣nu ⸢tuː](「前の渡」の義。鳩間水道。鳩間海峡)を渡った。その際に、島人が事故に遭遇せぬよう、健康と安全を祈願した祭祀である。友利御嶽で、ミ⸢ジニー[mi⸢ʤiniː](壬)の日を選んで執り行われた。
ソンガチバライ [⸣soŋgaʧibarai]正月初笑い。「正月笑い」の義。
ソンガチフルマイ [⸣soŋgaʧiɸurumai]正月のご馳走。「正月振る舞い」の転訛したもの。
ソンカネー [⸣soŋkaneː]与那国を代表する8886調の歌謡「ションカネ節」の名。歌詞の終わりに付く「ションカーネー」のリフレーンに基く命名という。石垣島のトゥ⸢バラー⸣マ[tu⸢baraː⸣ma]と並んで八重山の二大情歌といわれている。与那国島に派遣された役人が任期を終えて帰るに際して、女性から別れの悲しみを余韻嫋嫋と歌いかけたもの。「ションカネー」の語源については、江戸時代中期以前に流行った「しょんがえ節」に由来する『八重山民謡誌』という説がある。
ゾンギ [⸢ʣoŋ⸣gi]定規。物差し。老年層の言葉。
ゾンギ [⸢ʣoŋ⸣gi]⸢ケン⸣ツァ[⸢ken⸣ʦa](児童の片足とび遊び。石蹴り遊び)に用いる定規。瓶の破片や瓦の破片で作った直径8~9センチの円盤や四角盤。片足とびをしながら示された区画から円盤の定規を順に送り取って加点していくのに用いる。
ソンコーザーテー [⸣soŋkoːʣaːteː]屋号。西花孫康氏宅。
ソンヤクバ [⸢soŋjakuba]村役場。