日本語史研究用テキストデータ集

> English 

春色連理の梅しゅんしょく れんりのうめ

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

初編下

縦横切り替え ダウンロード

春色連理の梅 初編下

----------------------------------------------------------------------------------
凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
 複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
----------------------------------------------------------------------------------


(1オ)
春色{しゆんしよく}連理梅{れんりのうめ}巻之三
江戸 梅暮里谷峨作
第五齣
強面{つれもなき}。人{ひと}を恋{こふ}とて山{やま}びこの。答{こたへ}するまで。歎{なげ}きつるかな。
それにも似{に}たる有{あり}さまや。金多屋{かねたや}の本家{ほんけ}なる。娘{むすめ}お雪{ゆき}は
くよ〳〵と。心{こゝろ}うかねば唯{たゞ}ひとり。思{おも}ひやつれし恋衣{こひごろも}。稚児{おさない}時{とき}に
まゝ〔ごと〕して。御新造{ごしんぞ}さまの御亭主{ごていしゆ}のと。あそび戯{たはれ}て中{なか}
よしに。育合{そだちあい}つゝとる年{とし}に。ゆかしとばかり胸{むね}にのみ。おもひ

(1ウ)
の雰{きり}も晴{はれ}やかに。親{おや}のゆるせし夫{おつと}ぞと。恥{はづか}しながら楽{たのし}みて。
思{おも}ひ暮{くら}せし甲斐{かひ}もなく。まだ祝言{しうげん}もせぬ先{さき}に。此{この}頃{ごろ}聞{きけ}ば
相惚{あいぼれ}の。互{たがい}に胸{むね}を明{あか}し合{あい}楽{たの}しき中{なか}の有磯{ありそ}うみ。
浜{はま}の真砂{まさご}の数〻{かづ〳〵}も。つきぬうらみを今{いま}はまだ。言{いひ}も
遣{や}られずひとつには。此{この}身{み}が否{いや}で余所外{よそほか}の。娘女{むすめ}と
契{ちぎ}り家{うち}を外{そと}に。するにやあらんと思{おも}ふほど。召仕{めしつかひ}の下女{をんな}
にも。㒵{かほ}見{み}られるが何{なに}とやら。面目{めんぼく}もなき処女気{むすめぎ}に。
恨{うらみ}つらみも今{いま}は唯{たゞ}。思案{しあん}にあまる風情{ふぜい}なり。[おゆきのめしつかひ

(2オ)
お松{まつ}障子{せうじ}のそとから]「お嬢{じよう}さまはお部屋{へや}に|被為在{いらつしやい}ますかヱ。」【雪】「アヽ。」
【松】「ごめんあそばせ。」ト[いそいで内{うち}に入{いり}つゝせうじをたて付{つけ}て]「モウ其{その}様{やう}におふさぎ
あそばすなヨ。」トいはれてお雪{ゆき}は猶{なほ}さらに。もの
哀{かな}しくて泪{なみだ}ぐむ。㒵{かほ}を見{み}せじと俯向{うつむ}くを。側{そば}へ摺{すり}
より小声{こごゑ}にて【松】「貴君{あなた}へお悦{よろこび}遊{あそ}ばせ。ま〔こと〕に吉{よい}事{〔こと〕}を
うけたまはりましたからモウ其{その}やうにおふさぎ遊{あそ}ば
さずと早{はや}くお沐{ゆ}を召{めし}ましてお化粧{しまい}でもあそばせヨ。
サア。」ト何{なに}かひとりで承知{せうち}して。悦{よろこ}べとのみいわれても。

(2ウ)
お雪{ゆき}はさらに合点{がてん}ゆかず。【雪】「なんだかすこしもわから
ないねへ。」【松】「ホヽヽヽ私{わたくし}ばかり承知{せうち}いたして居{をつ}ても何{なに}も
訳{わけ}を申サないではお解{わかり}遊{あそ}ばしますまいねヱ。アノ
今晩{こんばん}から横浜町{よこはまちやう}の若旦那{わかだんな}さまが[房{ふさ}二郎をいふ]此家{こなた}へ
|被為入{いらつしや}りぎりに被成{なさつ}て貴娘{あなた}のお部屋{へや}へ御一所{ごいつしよ}に
お住居{すまゐ}に成{なり}ますヨ。」【雪】「ヱ。」【松】「サアそれだからお嬉{うれ}しう
ございませう。」【雪】「ホヽヽヽ松{まつ}は否{いや}だヨ。欺{うそ}ばツかり言{いつ}て人{ひと}
をなぶるから。」【松】「イヱ実正{ほんとう}でございます。先刻{さきほど}から

(3オ)
旦那さまと御新造{ごしんぞ}さま〳〵いろ〳〵御相談{ごさうだん}を遊ばして
私をお召{めし}被成{なさつ}て貴娘{あなた}の〔こと〕を大{たい}さうおあんじ遊ばして
お尋{たづね}遊{あそ}ばすからモウお嬢{じよう}さまはあちらの若旦那{わかだんな}さまの
事では一倍{いつそ}おあんじ遊{あそ}ばして|被為在{いらつしやい}ますから自然{おのづと}
お欝{ふさぎ}あそばしてばかり|被為入{いらつしやい}ます。どうか早{はや}く御夫婦{ごふうふ}に
お成{なり}遊{あそ}ばすやうに遊ばしませんと今に御病気{ごびようき}にでも
おなりあそばしますと大変{たいへん}でございませうと申シ
ましたら。」【雪】「なんだのウ爺上{おとつさ゜ん}や母人{おつかさん}の前{まへ}で其様{そんな}

(3ウ)
〔こと〕をお言{いひ}では否{いや}だヨ。」【松】「ナニあなた申サない〔こと〕は
わかりませんわネ。それから左様{さやう}申シましたら
旦那{だんな}さまが|被為仰{おつしやい}ますにはイヤサ婚礼{こんれい}をさせる
分{ぶん}は己{おれ}が一言{ひとこと}いへば今が今{いま}でもなる〔こと〕だが夫婦{ふうふ}に
さして支配人{ばんとう}から手当{あてかい}で置{をか}せたくもないから家事{しんしやう}を
まかす段{だん}になるサ。そこで房{ふさ}が得{ゑ}たりかしこしで
今よりは猶{なほ}家{うち}を外{そと}にされてはたまらないから斯{かう}
して日和{ひより}を見て居{ゐ}ながら寮朋町{りやうぼうまち}[おきくの〔こと〕也]の方{ほう}へは

(4オ)
間者{いぬ}を入{いれ}て容子{やうす}を捜{さぐ}らして居{ゐ}るが中{なか}〳〵真実{しんじつ}ら
しい中{なか}だによツて今{いま}の処{ところ}では金子{かね}づくで急{きう}に手{て}を
切{きら}さうとしてはむづかしいから。」ト[聞{きい}ておゆきは胸{むね}せまりおもはずなみだハラ〳〵〳〵〳〵]「ヲヤ
お泣{なき}遊{あそ}ばすなヨ。其様{そんな}でも又{また}旦那{だんな}さまの善{よい}お計{はからひ}が
ございますからマアお聞{きゝ}遊{あそ}ばせ。それに付{つけ}て旦那{だんな}さまが
あちらのお袋{ふくろ}さまと[房二郎が母{はゝ}をいふ]御相談{ごさうだん}のうへで若
旦那{わかだんな}とお袋{ふくろ}さまを並{ならべ}てお置{をき}申シて世間{せけん}の義理{ぎり}と
家名{かめい}相{さう}ぞくが一大事{いちだいじ}だと申ス〔こと〕を一通{ひととふ}り御異見{ごゐけん}

(4ウ)
遊{あそ}ばして「家{いへ}には替{かへ}られないから位牌{ゐはい}[房二郎が父{ちゝ}をいふ]へ対{たい}して
も房{ふさ}の心{こゝろ}の改{あらたま}るまで一旦{いつたん}勘当{かんだう}も為{す}べきなれども親{おや}
ひとり子{こ}一個{ひとり}。まして女親{をんなおや}の〔こと〕だから跡{あと}であんじるも
一{ひと}しほふ便{びん}だによツて房{ふさ}は当分{たうぶん}己{おれ}の方{はう}へわたすが宜{よ}
からふ。」と言{いひ}わたして直{すぐ}に諸共{いつしよ}に連{つれ}て来{く}るから先{まづ}当分{たうぶん}
はお雪{ゆき}の部屋{へや}へ入{いれ}て小便{ちようづ}の外{ほか}は一寸{ちよつと}も他{ほか}へ出{だ}さない
やうにして呉{くれ}ろ。然{さう}して房{ふさ}の世話{せわ}は万端{ばんたん}おゆきに
させたが宜{よか}らう。其{その}うちには去{さる}ものは日〻{ひゞ}にうとしと

(5オ)
やらで寮朋町{あちら}でも自然{しぜん}と薄{うす}くもなり家業{しやうばい}がらの事{〔こと〕}
だから又{また}男{おとこ}でもこせへるか花主{だんな}でも出来{でき}りやアそれ切{ぎり}の
〔こと〕サ。もし其{その}間{あいだ}に振{ふり}こんで来{く}れば其{その}時{とき}こそ金{かね}で
どうでもはなしが付{つか}アサ。然{さう}すればお雪{ゆき}も安心{あんしん}する
だらうし己達{おれたち}も此{この}後{ご}の所{ところ}は兎{と}もかくも先{まづ}一旦{いつたん}の
虫{むし}を払{はら}へば安心{あんしん}して家事{しんしやう}をわたすのサ。それにつけ
ても内{うち}の由之助{よしのすけ}にも困{こま}りきるが是{こり}やア女郎{ぢようろ}買{かい}
ぎりの〔こと〕だから相応{さうおう}な嫁{よめ}さへ入{とつ}て遣{や}れば止{やむ}だらうが

$(5ウ)
おゆき

$(6オ)
おまつ

(6ウ)
そりやア。マア何{どう}でも今夜{こんや}房{ふさ}をつれて来{き}たら万{ばん}たん
宜{いゝ}容{やう}に取計{とりはから}ツて呉{くれ}ろ。と|被為仰{おつしやい}まして唯今{たゞいま}横浜町{よこはまちやう}へ
お出{いで}あそばしましたから急度{きつと}今晩{こんばん}は若旦那{わかだんな}を
お連{つれ}あそばして|被為入{いらつしやる}に違{ちが}ひございませんヨ。お嬉{うれ}しう
ございませう。」ト[いはれておゆきはうれしくも又{また}はづかしさも一ト{ひと}しほにて泪{なみた}の目{め}もとににつこりとわらひをふくみて答{いらへ}をせぬはあどなき
おぼこ娘なるかな]【松】「だからお嬢{じよう}さまヱ今晩{こんばん}から若旦那{わかだんな}をおもいれ
いじめておあげ遊{あそ}ばせ。」【雪】「ホヽヽヽヽどうして。とても房{ふさ}さんは私{わたい}と
中{なか}よく遊{あすん}で居{ゐ}てお呉{くれ}ではあるまいヨ。」【松】「なぜでございますヱ。」

(7オ)
【雪】「アノ[引]おまへのお言{いひ}の様{やう}では私{わたい}がお菊{きく}さんとやらの事{〔こと〕}を
大{ひど}く嫉妬{やきもち}をやいて父上{おとつさ゜ん}におたのみ申■て無理{むり}に房{ふさ}さんを*「■」は「シ」の部分欠損か
這処{こゝ}へお置{をき}申スやうに房{ふさ}さんもお思{おも}ひだらうから猶{なほ}私{わたし}を
悪{にくん}で今{いま}までのやうにやさしい㒵{かほ}をしてお在{いで}じやあるまい。
急度{きつと}立腹{おこつ}てお在{いで}だらうと思{おも}ふから怖{こわい}ねヱ。」【松】「ホヽヽヽヽ
其様{そんな}お気{き}の弱{よは}い〔こと〕でいけますものか。御父上{おとつさ゜ま}と申ス
お後見{うしろだて}がございますから少{すこ}しも怖{こわい}〔こと〕はございませんはネ。
然{さう}してお嬢{じよう}さまのやうなお可愛{かあい}らしいお形{なり}で朝{あさ}に晩{ばん}に

(7ウ)
房{ふさ}さん〳〵と可愛{かあい}がツておあげ被成{なさつ}て御覧{ごらん}あそばせ。
それはモウ若旦那{わかだんな}もいつか寮朋町{りやうぼうまち}の〔こと〕なんぞはお忘{わすれ}被成{なさつ}て
貴嬢{あなた}ばかりおうるさいほどお可愛{かあい}がん被成{なさる}やうにお成{なり}
あそばすヨ。然{さう}して早{はや}く愛児{やゝさん}をおこしらへ遊{あそ}ばせなねヱ。」
【雪】「ホヽヽヽヽいやだねヱ。」【松】「ナニお否{いや}な事がございますものか。
今{いま}に若旦那{わかだんな}さまと和合{なかよし}におなり遊{あそ}ばさうものなら松{まつ}は
モウ側{そば}にばかり居{ゐ}てうるさいちツとあちらへも行{いつ}て居{ゐ}なヨ。
などゝ|被為仰{おつしやつ}て若旦那{わかだんな}とおさし向{むか}ひにばつかり成{なつ}て

(8オ)
|被為在{いらつしやる}だらう。ホヽヽヽヽ。しかし左様{さう}お成{なり}あそばせば私共{わたくしども}も
どんなに嬉{うれ}しいかしれません。今様{かう}いたして居{をり}ましても何{なん}
だか気{き}にかゝりましていツそ苦労{くろう}でなりません。」ト想{おも}ひに
沈{しづ}む形容{ありさま}を。生得実意{せうとくじつゐ}の精神{こゝろ}から。お松{まつ}は共{とも}に苦{く}に
病{やん}で。我{わ}が子{こ}の〔ごと〕くいたはれば。お雪{ゆき}も嬉{うれ}しくへだて
なく。親{おや}にはいへぬ縡{〔こと〕}までも。心{こゝろ}隈{くま}なく相談{かたらひ}けり。
さてお松{まつ}が咄{はなし}の〔ごと〕く。本家{ほんけ}なり且{かつ}舅{しうと}の勢{いきほ}ひ
にて。お雪{ゆき}が父{ちゝ}わりなくも。房{ふさ}二郎をつれ行{ゆき}。

(8ウ)
愛女{むすめ}とならべて置{をく}に及{およ}ばゝ。おきくが心中{しんちう}
いかならん。そも斯{かく}まで女{おんな}に恋{した}はるゝ。房{ふさ}二郎は
如何{いか}なる生{うまれ}ぞ。呼嗚{あゝ}好男子{いろおとこ}には何{なに}が成{なる}ツ。
作者{さくしや}も少{すこ}し小忌〻敷{こいめへましく}。チヨツ是{これ}から又{また}お雪{ゆき}と
相戯{いちやつく}趣向{だんどり}は。嗣編{あと}へ|可分解{まはそふかへ}。
第六齣
春{はる}も漸{やゝ}けしき調{とゝなふ}月{つき}と梅{うめ}の。植木荷{うゑきに}並{なら}ぶ阿研{あげん}
ぼり。已前{いぜん}に変{かは}らぬ縁日{ゑんにち}に。まだうそ寒{さふ}く吹{ふく}

(9オ)
かぜも。めげる色{いろ}なき商人{あきんど}が。夜店{よみせ}の灯{ともしひ}空{そら}に映{うつ}り。
男女{なんによ}の群集{くんじゆ}往来{わうらい}とだへぬ名倉氏{なくらうじ}が塀{へい}の側{そば}に。鸚
鵡石{こはいろ}を聴{き}く人{ひと}だかり
【万長娘粂三郎】〽そりやおまへむりじやぞへ。こちやはじめはいやじや
といふていたものをよつてたかつて往生{おうじやう}づくめに
聟{むこ}さんに仕{し}たのじやないかいナア。おかほを見{み}たら
去年{きよねん}の春{はる}ふつと見{み}そめた恋{こひ}しいおかた結{むす}ぶ
の神{かみ}のお引合{ひきあはせ}とわしや悦{よろこ}んで居{ゐ}るものを。モシ

(9ウ)
かゝさんおまへもわかいとき外{ほか}の女中{じよちう}にとゝ
さんを寝{ね}とられてもまゝよとだまつて居{ゐ}や
さんしたかへ。
【きゝ人{て}】「イヨ大和{やまと}や[引]。」【▽△】「おやまの開山{かいさん}。」【□】「日本一{につぽんいち}の
ぶつさ゜らひ。」
〽お主{しう}さまでもどなたでも大事{だいじ}のわたしがとの
御{ご}のおそばへ外{ほか}の女子{じよちう}はよせる事{〔こと〕}はいやじや
〳〵。いやじやわいナア。

(10オ)
【きゝ人{て}】「やまとやア[引]〳〵。」トどよめく人{ひと}ともろともに
是{これ}もおなじく誉{ほめ}ながら立{たち}はなれ行{ゆく}若衆{わかいしゆ}づれ。【▽△】「
余程{よつほど}感心{うまく}遣{やる}なア。」【○】「ウン彼的{あいつ}は上手{じやうづ}だ。先刻{さつき}小団
次{こだんじ}を遣{つか}ツて居{ゐ}たが実{じつ}に高{たか}しまやが出{で}たやうだツ
け。」【▽△】「ハア左様{さう}か。」【□】「竹三{たけさ}もうめへじやアねへか。」
【▽△】「小栗{をぐり}を遣{つか}ツたか。」【□】「ウン手{て}めへ聞{きか}なかツたか。」
【▽△】「己{をら}ア今{いま}来{き}たンだもの。粂三{くめさ}を半{はん}ぶんばかり
聞{きい}たンだ。」【○】「フン万長{まんちやう}のむすめかうまくやるよ。

(10ウ)
粂三{くめさ}もなア。」【▽△】「美{いゝ}女形{おんなかた}だなア。仕{し}うちも感心{うめへ}
が面{つら}アどふも余{よつ}ぽど美貌{よくでき}たものヨなア。どこ
までも可愛{かあい}らしい奴{やつ}よ。」【□】「強{ごう}ぎにひゐきだな。
島{しま}やでもねらひたからう。」【▽△】「べらぼうめ。」【○】「ハヽヽヽヽ
それこそ死{しん}だ滝{たき}のぼりで游{およが}ぬ鯉{こい}だ。」【▽△】「ヱ。」【○】「解{わから}
ねへか。不通{やぼ}な冶郎{やらう}だなア。およばぬ恋{こひ}の地{ぢ}ぐち
だア。解{わかつ}たか。」【三人】「ハヽヽヽヽ。」【○】「そりやアさうと西
河岸{にしがし}の粂三{くめさ}はどうした。」【▽△】「どうしたかしる

(11オ)
ものか。」【○】「フンうまく言{いや}アがらア。手{て}めへまだ未
練{みれん}らしく朝晩{あさばん}はりに行{ゆく}じやアねへか。」【▽△】「なに
他{ひと}おもしろくもねへ。」【○】「それでも虎{とら}が然{さう}言{いつ}たぜ。
卯之{うの}はまだ|這入{へゑり}こんで居{ゐ}やアがつておふくろの
機嫌{きけん}を取{と}ツて居{ゐ}やアがる。気{き}の利{きか}ねへ冶郎{やらう}じやア
ねへかと言{いつ}て居{ゐ}たぜ。」【▽△】「啌{うそ}をつきやアがらア。手{て}
めへじやアあるめへし。」【○】「己{おら}ア其様{そんな}事{〔こと〕}は仕{し}ねへ。」
【▽△】「手{て}めへそれでもはじめて己{おれ}につれて行{いつ}て呉{くれ}と

(11ウ)
頼{たの}んだじやアねへか。」【○】「行{いきや}ア行{いつ}たが愛郎{いろおとこ}を
見{み}てからア行{いき}やアしねへヤ。」【□】「それじやア同断{やつぱり}
好快{すけべえ}胸工{こんじやう}があつて往{いつ}たンだな。ハヽヽヽヽ。」【○】「マアそこ
らかへ。ハヽヽヽヽ的{てき}はやツぱり来{く}るか。」【▽△】「ウン此{この}頃{ごろ}は
大体{たいてい}止宿{とまつて}ゐるやうすだア。大胆{ふてへ}冶郎{やらう}ヨ。」【○】「ハヽヽヽヽ
宜{いゝ}他憎{おかやき}だ。」【▽△】「実{じつ}美男{いゝおとこ}ヨ。おきくさんが惚{ほ}れも
しようゼ。」【○】「フン違{ちげへ}ねへ。お師匠{ししよ}さんと[おきくが〔こと〕なり]双{ならん}で
居{ゐ}ると生{いき}たお雛{ひな}さまヨ。なア。」【□】「其様{そんな}か。己{おら}アまだ

(12オ)
愛郎{いろおとこ}は見{み}ねへゼ。少年{わかし}じやアねへか。」【▽△】「ウン小僧{こぞう}
だアな。」【○】「家{うち}も余程{よつほど}富貴{しつかり}したものだそふだ。」【□】「
その少年{わかし}のか。」【○】「ウン横浜町{よこはまちやう}あたりの質屋{しちや}だとヨ。」
【□】「さうか。それじやア脊腹{せいはら}もむなア冗{むだ}だア。先{さき}は
|黄金{かね}があつて男{おとこ}が美{よし}。此方{こつち}は|黄金{かね}が無{なく}ツて
男{おとこ}が不{ふ}の字{じ}だからヨ。」【▽△】「これも死{しん}だ滝{たき}のぼりかへ。
ハヽヽヽヽ。」【○】「ハヽヽヽヽ違{ちげへ}ねへ。それまで聴{きゝや}ア沢山{たくさん}だ。」【□】「ハヽヽヽヽ
どうも美男{いゝおとこ}たア言{いへ}ねへなア。」【○】「さうわるく計{ばか}り

$(12ウ)
丹情{たんせい}に花{はな}咲{さか}せたり鉢{はち}の梅{うめ}。駿庵原 梅暮里連 廬阜。
分入{わけいり}て残{のこ}りなく見{み}よ
梅{うめ}はやし
梅暮里連 仝峰 亀嶺

$(13オ)

(13ウ)
言{いつ}たもんでもねへ。」【□】「なぜ〳〵。」【○】「此間{こないだ}も彼妓{あいつ}が
然{さう}言{いつ}たゼ。」【▽△】「何{なに}を。」【○】「どゞ一{いつ}ヨ。いつまで仕事{し〔ごと〕しよ}させては
をかぬツ。」【▽△】「それからどうした。」【○】「今{いま}にお菰{こも}にさして遣{やる}。」ト
【三人】「ハヽヽヽヽ。」ト嬲{なぶら}れもしつ嬲{なぶ}らるゝ。仲間交{なかまづきやい}友{とも}どしの。世{せ}けん
構{かま}はぬ高噺{たかばなし}。当{あた}り障{さはり}の有ぞとは。しら梅{うめ}薫{かほ}る植木荷{うゑきに}の。
小|蔭{かけ}を歩行{あゆむ}娘{むすめ}と少年{わかしゆ}。其{その}身{み}の噂{うはさ}を彳{たゝづみ}て。菊{きく}の若葉{わかば}に
何{なに}とやら嬉{うれ}しい様{やう}でも恥{はづ}かしく。袂{たもと}の中で引{ひか}れあふ。手{て}と
手を力{ちから}一{い}ツぱいに。握{にぎ}りてものも岩{いわ}つゝじ。惚{ほれ}たきの芽{め}は

(14オ)
白藤{しらふぢ}の。他人{ひと}は何{なに}ともいひなしの。花{はな}の兄{あに}やら弟{おとゝ}やら。|茶
靡花{おもかげぐさ}のゆかしさは。心{こゝろ}に心{こゝろ}紅花{あい}つゝじ。䕲蒿{よめがはぎ}とはなら
ずとも。斯{かう}楢{なら}の木{き}の茂{しげ}りつゝ。両人{ふたり}一所{いつしよ}にすみれ草{ぐさ}。
やがて芽出沢{めでたく}児{やゝ}生{う}んで。鼠麹草{はゝこぐさ}とも呼{よば}れなば。一倍{ひとしほ}
たのし新羅松{からまつ}と。おもふ心{こゝろ}は合惚{あいぼれ}の。互{たがひ}に寛爾{につこり}㒵{かほ}
見{み}あはせ【房】「おきくさん聞{きこへ}たかヱ。」【きく】「アヽ可笑{おか}しい
ねへ。」【房】「おまへさぞ否{いや}だらう。」【きく】「なにが。」【房】「
あんなに大{おほき}な声{こゑ}をして噂{うわさ}をされてサ。」【きく】「私{わたい}は

(14ウ)
モウうれしいは。あんな人{ひと}にまで美男{いゝおとこ}だといはれる
やうな方{かた}と斯{かう}して中{なか}よしに成{なつ}たのは女{をんな}の名聞{めうもん}だと
おもつて居{ゐ}ますヨ。」【房】「モウ其様{そんな}うれしがらせは
言{いひ}ツこなしさ。それでなくツてもモウ「どうにも斯{かう}*「どふにも…たわいなア」は原本に開括弧、閉括弧あり
にもならぬやうに成{なつ}たわいなア。」といふほどだものヲ。」
【きく】「ホヽヽヽヽ房{ふさ}さん。」【房】「ヱ。」【きく】「うれしいねへ。」ト[男の手{て}のひしげる
ほどにまたぐいとにぎる]【房】「ア痛{いた}い。モウひどい〔こと〕をするヨ。」【きく】「宜{よい}
わね。」【房】「何{なに}宜{いゝ}〔こと〕があるものか。サア帰{かへ}らう。」【きく】「ヲヤ

(15オ)
何故{なぜ}もふ帰{かへ}るのかへ。もツとあツちの植木{うゑき}を見{み}て行{いき}
ませうじやアないか。」【房】「ナニお止{よし}。先刻{さつき}の人達{ひとたち}に
逢{あう}と悪{わる}ひから。」【きく】「なぜお否{いや}かへ。左様{さう}だらうねへ。
此様{こんな}ものと一連{いつしよ}に歩行{あるい}て他{ひと}に色{いろ}だなんぞと言{いは}
れると外聞{ぐわいぶん}がわるいからねへ。」【房】「又{また}いやみを
いふヨ。外聞{ぐわいぶん}がわるいどころか己{おいら}の女房{おかみさん}は此様{こんな}美
女{いゝおんな}だと自慢気{じまんけ}につれて歩行{あるき}たいけれ共{ども}あんな
人{ひと}は|不向見{むやみ}だから二人連{ふたりづれ}であるくところを

(15ウ)
見{み}たら羨{うらやま}しがつて悪言{あくたい}でもつかれやうもンなら
それこそ両人{ふたり}とも人中{ひとなか}で恥{はぢ}をかゝアネ。」【きく】「
悪口{あくたい}をつかれるよりか此様{こんな}三平{おたふく}を連{つれ}ておある
きの方{はう}がおまへさんの恥{はぢ}ツかきサ。」【房】「フン。」【きく】「
何{なに}をおわらひだ。然{さう}だわネ。又まさかあんな人
達{ひとたち}だからといツて|理不尽{わけもなく}悪言{どくづき}もしますまひ
じやアありませんか。」【房】「イヽヱしれないヨ。皆{みんな}お前{まへ}
の恋聟{こひむこ}だから。」【きく】「ヲヤ恋{こひ}むことはへ。」【房】「

(16オ)
あの人{ひと}たちは皆{みんな}おまへにほれて稽古{けいこ}に来{き}
たンじやアないか。それだから恋{こひ}むこだアネ。」
【きく】「ヲヤおかしい。恋{こひ}むことはネ私{わたい}の方{はう}でほれた
人{ひと}の〔こと〕を言{いひ}ますは。私{わたい}の恋{こひ}むこさんはネ天{てん}
にも地{ち}にも唯{たゞ}ひとり。それだからすこしも側{そば}を
離{はな}しませんヨ。」ト又{また}ひツたりと寄{より}そひながら
米沢町{こめざはちやう}へ曲{まが}ると湯{ゆ}あがりの男{おとこ}手{て}ぬぐひを提{さげ}
ながらはな唄{うた}

(16ウ)
[二上り]〽初手{しよて}はたがいにしらぬどしわやくな縁{えん}を
神{かみ}さんがひよんなおせわでこのしだら。
[小{ちい}さなこへにて]【房】「おきくさんひよんなおせわをして呉{くれ}たの
かねへ。」【きく】「アヽたのもしい神{かみ}さまだねヱ。はやく両人{ふたり}
してお礼{れい}まいりに行{いき}たいねへ。」【房】「今{いま}に晴{はれ}て
夫婦{ふうふ}になると何処{どこ}へでも一連{いつしよ}に行{いか}アね。」【きく】「
はやく然{さう}成{なつ}てお呉{くん}被成{なはい}なねへ。」ト余念{よねん}も無{な}げ
にひそ〳〵と咄{はな}す両人{ふたり}がうしろから是{これ}も同{おな}じく

$(17オ)
春の夜{よ}のつひあけ安{やす}き空錠{そらでう}にかぎつけて来{く}る暗{やみ}の梅がゝ
玩玉亭
京英
おきく
房二郎

(17ウ)
無提{むぢよう}ちんにて早足{はやあし}に歩行{あゆみ}ながら通{とふ}りすが
りて両人{ふたり}を見{み}かへり「ヲヤ貴君{あなた}は若旦那{わかだんな}
じやアございませんか。」トいふはたしかに女{おんな}のこゑ。
おきくは何{なに}やら合点{がてん}ゆかず。房{ふさ}二郎も黙{だんまり}にて。
三人{さんにん}其処{そこ}に彳{たちすく}む。是{これ}この婦人{おんな}は何{なに}ものぞ。はし
なく這処{こゝ}に行会{ゆきあふ}て。両個{ふたり}がために吉凶{きつきよう}いかに。
そは編{へん}を嗣{つぎ}て委{くは}しくしるす。今{いま}這{この}芽生{めばへ}の
連理{れんり}の梅{うめ}。楮{かみ}の地{ぢ}めんに植込{うゑこん}で。筆{ふで}の鍬{くは}もて培{つちか}い

(18オ)
つゝ。墨{すみ}の菌{こやし}に生長{おひたゝ}せ。はな咲{さき}やがて実{み}を生{むす}ぶ。
水{みづ}のみ作者{さくしや}が丹情{たんせい}を。十方{じつぱう}の児女{ひめ}童男{との}たち。憐{あはれみ}
給ふて幾久{いくひさ}しう。愛観{あいくわん}あらせ給へとねがふ。
梅星爺谷峨誌
春色連理梅巻之三畢


----------------------------------------------------------------------------------
底本:東京大学文学部国語研究室蔵本(4L:124:1)
翻字担当者:洪晟準、矢澤由紀、島田遼、藤本灯
更新履歴:
2017年7月26日公開

ページのトップへ戻る