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梅暦余興春色辰巳園 巻九
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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。
本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(1オ)
[梅暦餘興]春色{しゆんしよく}辰巳園{たつみのその}巻の九
江戸 狂訓亭主人著
第五条
やゝしばらく有{あつ}て米八{よねはち}は涙{なみだ}をふき【米】「マア丹{たん}さんともかくも
今度{こんど}の〔こと〕は私{わちき}がわるいヨ。ふつとした言{いひ}がゝりでおまへにも
腹{はら}をたゝして実正{ほんとう}にわるかつたヨ。堪忍{かんにん}してひとつお呑{のみ}な
サア。」ト猪口{ちよく}をやる。【丹】「娵{よめ}がしうとだの。おらア寝{ね}やアしねへ
ぜ。かいまきをかけずといゝぜ。しかし酒屋{さかや}へ行{いく}〔こと〕は出来{でき}めへの。」
(1ウ)
トわらひながら猪口{ちよく}を出{だ}す。米八{よねはち}もわらひながらしやく
をしてやる。【丹】「サアなか直{なほ}りに。」ト猪口{ちよく}を出{だ}す。【米】「丹{たん}さん
おまへほんとうに機嫌{きげん}をなほしたのかへ。」ト猪口{ちよく}を取{とり}ながら
じつと顔{かほ}を見{み}てゐる。【丹】「またおつかねへ顔{かほ}をして他{ひと}の
㒵{かほ}を見{み}るよ。もういゝかげんにしねへな。執念深{しうねんぶけ}へ。」【米】「ナゼ
こんなに苦労{くらう}するだろうねへ。」ト悪紙{わるがみ}で顔{かほ}を押{おさ}へて泣{なく}。
【丹】「もう〳〵いゝ〳〵。是{これ}から苦労{くらう}させるこつちやアねへよ。
そんなにいつまでも泣{ない}てばかり又{また}しやくがつよくなるといけ
(2オ)
ねへ。サア〳〵もう一盃{いつへゑ}呑{のん}で寝{ね}ねへな。ほんにまつくらになつ
た。」トいひながらあんどうを出{いだ}し「イヤほんにあしたは日朝{につてう}
さまの御命日{ごめいにち}だ。」トいひつゝ灯明{とうみやう}をあげる。【米】「丹{たん}さんわたしは
目{め}をわづらつた〔こと〕はないよ。」[丹次郎はわるい〔こと〕をいつたとおもひしがしらぬかほで]【丹】「ナアニ目{め}を
わづらはねへといつて上専寺{じやうせんじ}へおまゐり申すからそう云{いつ}
たのだアな。」【米】「そうかへ御信切{ごしんせつ}だネ。」【丹】「また三度目{さんどめ}か。喧
嘩{けんくわ}のおなじみはごめんだ。」トいふところへ路次{ろじ}をばた〳〵
かけて来{く}る足音{あしおと}やがてこゝの障子{しやうじ}をあけて【女】「ハイ今晩{こんばん}は
(2ウ)
米{よね}さんは此方{こつち}かへ。」【丹】「ハイどなた。ヲヤお春{はる}どんか。サアおあがり。」
【女】「ハイ有{あり}がたう米{よね}さんはこちらかへ。」【丹】「アヽ此方{こつち}だがなんだ
が今夜{こんや}アちつと。」【女】「おさしかへ。」【丹】「いつもの癪{しやく}サ。」【女】「そうかへ
そりやアいけねへネ。」【丹】「お客{きやく}かへ。」【女】「ハイなアに新川{しんかは}の安{やす}さん
がお出{いで}なすつてちよいとひとくちとおつしやるのサ。」【丹】「そりやア
お気{き}の毒{どく}だネ。」【米】「ヲヤお春{はる}どんかへ。今日{けふ}はもういけないよ。
ちつと二三日|呑過{のみすぎ}たもんだからしやくがおこつてせつない
から堪忍{かんにん}しておくれ。わるくお思{おも}ひでないやうによろしく。」
(3オ)
【女】「そりやアわるうございますね。源{げん}さんと安{やす}さんだから。よふ
くそう申ませう。さやうなら。」【米】「アイ有{あり}がたふごめんよ。」
【女】「イヱもう。」【丹】「よろしく。」【米】「姉{ねへ}さんによろしく。」【女】「ハイ〳〵。」
ト出{いで}て行{ゆく}。【米】「しかし気{き}のどくだねへ。」【丹】「ナアニ今夜{こんや}アもう
あゝ言{いつ}てやつたからやすみねへな。」【米】「そうサねへあした行{いつ}て
いひわけをしよう。」【丹】「それとも安{やす}さんとやらアいかねへじやア
わりいならどうでも。」【米】「ヲヤいやだよ。妬心{ぢんすけ}の損料{そんりやう}を貸{かす}処{とこ}
もあるかへ。」【丹】「なんだとべらぼうめへ。そりやアいゝがサア衣類{きもの}を
(3ウ)
着替{きかへ}てしまひねへ。ヲヽ〳〵しはだらけだドレ。」【米】「アレサ
およしヨ。それも損料{そんりやう}かへ。そうでなかアしこみがいゝと見{み}へる
ねへ。」トわらふ。【丹】「ようくいろ〳〵な〔こと〕をいふの。斯{かう}しちやア
わりいかおれがものを自由{じゆう}にするのに。」【米】「アレサこのかい
まきはちいさいねヘ。」トいふ声{こゑ}細{ほそ}く聞{きこ}ゆるのみ。もし仇吉{あだきち}が
きくものならば其{その}心{こゝろ}はいかならん。斯{かゝ}る淋{さみ}しき中{なか}にこそ
金{かね}にかへざる楽{たのし}みあり。また表向{おもてむき}いやみなく誠{ま〔こと〕}の遊{あそ}びは
亀本{かめもと}のお客{きやく}に関{せき}のさんといふ座{ざ}しきにて【桜川新孝】「トキニ旦
(4オ)
那{だんな}だれぞお呼{よび}なせへますか。」【通客関】「ムヽ今{いま}そういつてやつたから
来{く}るだろう。なんでも今日{けふ}はばり〳〵する立者{たてもの}ばかり呼{よび}
にやつたがうまく来{き}てくれゝばいゝが。どうも目{め}ぼしいと
おもふのはさしがありたがるにはこまるて。」【新】「ハテナおめへさん
が賞{ほめ}る唄妓{はおり}はだれ〳〵だろうス。」【関】「野暮{やぼ}なわけだが当{あて}て
見さつし。」【新】「まづおめへさんの気{き}にいりそうなものはトヱヽ
難波屋{なにはや}の小浜{こはま}福田{ふくだ}やの民治{たみじ}西{にし}の宮{みや}で仲吉{なかきち}それから
トヱヽ。」【関】「もういゝ〳〵うまくあたつた。あんまりふしぎだ。
(4ウ)
おれがそういふのをきいてゐたな。」【新】「ナニ〳〵とんだ〔こと〕を。
程{ほど}のいゝのは十人{じうにん}が十人だれが気{き}もちがひません。まづ当
時{とうじ}流行{はやり}ツ子{こ}の中{なか}でこの三人ヲのけて能{いゝ}からわたくしが
申たのサ。」【関】「そんならそれはいゝがおらア其方{そつち}に逢{あつ}たら
何{なに}をかいはふ〳〵トおもつてゐたツけがムヽそう〳〵おもひ
出{だ}した。このあいだ久{ひさ}しぶりで善孝{ぜんかう}に逢{あつ}たら由次郎{よしじらう}や
寿楽{じゆらく}三孝{さんかう}が〔こと〕なんぞのうわさが出{で}て幇間{たいこもち}の楽屋{がくや}
ばなしでま〔こと〕におかしかつたがまたよく〳〵考{かんがへ}て看{みる}と気{き}の
(5オ)
つかはれる活業{せうばゐ}だよのう。イヤしかし何家業{なにせうばい}もむづかしひもん
だ。此間{こないだ}文亭{ぶんてい}といふ友達{ともだち}が来{き}てはなしたツけが女八賢志{をんなはつけんし}といふ
絵本{ゑほん}を|狂訓亭{さくしや}は丹誠{たんせい}して八犬伝{はつけんでん}といふよみ本{ほん}にならつて
その始末{すじ}に似{に}ないやうにそのおもむきの似{に}るやうにと大{おほ}ぼね
をおつてこしらへたら八犬伝{はつけんでん}に似{に}せてかゐたと言{いつ}てわるく評
判{ひやうばん}をする看官{けんぶつ}があるといふが作者{さくしや}はおなじ事{〔こと〕}にならねへ
よふにおもむきの似{に}る様{やう}に〳〵とこしらへる苦心{くしん}をおもは
ねへで似{に}せてこしらへたといふ看官{けんぶつ}はどういふ見識{けんしき}で本{ほん}
$(5ウ)
$(6オ)
通客{つうきやく}
新孝{しんこう}
と
人情{にんじやう}
を
かたる
(6ウ)
をよむものかしらん。そんならばと言{いつ}て何水滸伝{なにすいこでん}と名{と}を付{つけ}*「名{と}」(ママ)
て水滸伝{すいこでん}に似{に}せるやら|唐土{から}の男{をとこ}を本朝{こつち}の女{をんな}に書{かき}な
をしたのは無理{むり}があつてもわからねへとはおつなものた。」【新孝】「
イヱしかし何{なに}ごとも運次第{うんしだい}なものでごぜへます。今{いま}|被仰{おつしやり}本{ほん}*「{おつしやり}」は「{おつしやる}」の誤字か
の作者{さくしや}がかゐた梅{うめ}ごよみなんぞといふものは中本{ちうほん}始{はじ}まつて
以来{このかた}の大あたりだそうでございますが狂訓亭{きやうくんてい}為永{ためなが}春水{しゆんすい}と
いふ名{な}は梅暦{うめごよみ}といふ外題{げだい}ほどは看官{よみて}がしらずにしまふ
から大略{おほかた}夢中{むちう}でよむかとおもやアすこし悪{わる}い所{とこ}があると
(7オ)
ヘン楚満人{そまひと}改{あらため}狂訓亭{きやうくんてい}か。この作者{さくしや}はおらア嫌{き}らひだ
なんぞといはれるからなんでも愛敬{あいきやう}がなくツてはいけま
せん。」【関】「新孝{しんかう}其方{そつち}も少{すこ}し狂訓亭{ためなが}びゐきだの。」ト裏{り}に
落{おち}そうなはなしの所{ところ}へだん〳〵はこぶ山|海{かい}の美味{びみ}珍膳{ちんぜん}
は場所{ばしよ}がらの献立{こんだて}いはんかたもなし。二人{ふたり}はすこし世{よ}の中の
噂{うはさ}もしあきて新孝{しんかう}は立{たち}つ居{ゐ}つ【新】「そりやアいゝが大ぶ長{なが}い
おしたくだ。みんながとうしたのだらう。」トいふ所{ところ}へうち連{つれ}だちし
三|美人{びじん}小浜{こはま}仲吉{なかきち}民治{たみぢ}をはじめ尾花{おばな}やの娘分{むすめぶん}お岩{いは}少{すこ}し
(7ウ)
太{ふと}り肉{しゝ}なれどもあざやかにいやみなく成田{なりた}やびいきの江戸|気性{ぎしやう}
五分でもすかぬ当時{とうじ}の利{きゝ}もの【岩】「関{せき}さんよくいらつしやいました
ね。私{わちき}やア誠{ま〔こと〕}に今日{けふ}はモウ〳〵大|変{へん}に急用{きふよう}があるのだけれどおまへ
さんと聞{きい}たからマアちよつとお顔{かほ}を見ないと気{き}になるから欠出し
て来ましたヨト恩{おん}にかける〔こと〕もないがマア此間はどうなすつた*「どうな」は部分欠損
のだへ。あんまりおみかぎりだねへ。」【仲民小】「今日は有がたう。新{しん}さんたい
そうまじめだネ。」【新】「すこしめかして色{いろ}の方{はう}を身にしみやうと思つ
て。」【仲】「よしかお聞{きゝ}ヨ。私{わちき}どもゝその気{き}で化粧{つくり}に念{ねん}を入ておそく
(8オ)
なつたら今{いま}こゝのおかみさんにしかられたヨ。」【新】「おれが来{き}たと聞{きい}た
ら化粧{みぢまひ}するそらもなく欠出{かけだ}して来{く}るはづを三人{さんにん}ながら揃{そろ}つて
おそいとはどうもあやしい。」【小】「それじやアだれがおまへの色{いろ}かしれな
いヨ。」【民】「新{しん}さん私{わちき}だネヱ。」【新】「いや〳〵そんなあまくちは請{うけ}ねへ。そまり
やすいはさめやすいと手{て}のうらかへすいしゆがへしがいやだ。三人{さんにん}な
がらおれが色{いろ}だとどうで此方{こつち}ばかりだからきめておくはうが
気が丈夫{ぢやうぶ}だ。」【関】「コレサ〳〵新孝{しんかう}猪口{ちよく}はどうする。お岩{いは}ぼうにさし
ねへナ。」【新】「今{いま}まづ色事{いろ〔ごと〕}の出入{でいり}をかたつけて。」【岩】「いや〳〵新{しん}さんの
(8ウ)
猪口{ちよく}は請{うけ}ないヨ。」【新】「はてなお岩{いは}さんに何{なに}も意恨{いこん}を請{うけ}る訳{わけ}はねへ
はづだがハヽア知{し}れた。小槌{こづち}やの御連中{ごれんちう}の時{とき}の一件{いつけん}かへトまじめに
言{いひ}わけをする程{ほど}わりいか。」【岩】「わりいかいゝか知{し}らないが過{すぎ}た〔こと〕を
いひはしないから関{せき}さんどうぞお願{ねが}ひだから新孝{しんかう}さんにあしたの
朝{あさ}まで芸{げい}づくしをさせてくださいましヨ。」【小】「アヽ能{いゝ}〔こと〕をお言{いひ}だ。*「お言{いひ}だ」の「だ」は部分欠損
私{わちき}もお願{ねが}ひだヨ。」【民】「私{わたし}も。」【仲】「私{わちき}もみんなが。」【新】「ムヽウそして三弦{さみせん}を
出{だ}さずに仕{し}まはふとおもつてそううまくいくもんか。おれがくるしむ
くれへなら三味線{さみせん}やすみなしといふ〔こと〕をしねへじやアならねへ
(9オ)
からその気{き}で。あつゝゝゝゝゝヲヽあつい。」【岩】「ヲヤどうおしだ。」【新】「火入{ひいれ}へ
手{て}を突{つつ}こんだ。アヽあつい〳〵。」【三人】「いゝきび〳〵。意地{いぢ}わるを言{いつ}た
から直{ぢき}にばちがあたつたのだ。」【新】「違{ちげ}へねへ。」【関】「三味{さみ}せんのばちが
新孝{しんかう}にあたりやア新孝{しんかう}の当{あて}ぶりをお岩{いは}ぼうが望{のぞ}むし
仲吉{なかきち}民治{たみじ}小浜{こはま}といふ加勢{かせい}はあるし新孝|今日{けふ}は其方{そつち}が
まけるぜ。」【新】「ところが旦那{だんな}の御本陣{ごほんぢん}。なりをしづめて英気{えいき}をやし
なふといふを後立{うしろだて}にして。」【関】「イヤ〳〵おらアほらが峠{とうげ}の大和
勢{やまとぜい}でまづ〳〵しばらく日和{ひより}を見{み}るつもりだ。幇間{たいこもち}の芸{げい}を
(9ウ)
しねへのは砂糖{さとう}のあまくねへのと同{おな}じ〔こと〕だ。このあいだ引込{ひつこん}で
さつぱり出かけねへが文亭連中{ぶんていれんぢう}の定{さだ}めたとほり金{かね}を遣{つかつ}て
行{いき}とゞきのいゝのが色男{いろをとこ}座{ざ}しきを達者{たつしや}につとめるのを唄妓{はおり}
の立者{たてもの}といふを手本{てほん}にするつもりだ。サア〳〵おもいれさは
いだ〳〵。」ト浮{うき}たつ座{ざ}しきぞ遊{あそ}びなれ。
第六条
傾城禁短気{けいせいきんだんぎ}に男{をとこ}に数{かず}多{おほ}く合{あは}ぬを好{よき}人{ひと}多{おほ}きより素
人{しろうと}を手続{てつゞ}き求{もと}めて買{か}ふを白人{はくじん}を買{か}ふといひしより白人{はくじん}
(10オ)
たちまち売女{ぢよらう}にまさる床{とこ}かせぎとなりしかばまた色
茶屋{いろちやや}の娘分{むすめぶん}といふものをこしらへて懐子{ふところご}と名{な}づけ金
満{きんまん}の男{をとこ}を釣{つ}るの論{ろん}をしるして好色{かうしよく}の発明{はつめい}を説{とき}し
〔こと〕鳴呼{ああ}奇{き}なるかな。誠{ま〔こと〕}色情{しきじやう}の極意{ごくゐ}といふ契情{けいせい}を
第一{だいゝち}とし唄妓{げいしや}を第二{だいに}とし其{その}外{ほか}の情人{いろ}は格別{かくべつ}少{すこ}しも
金{こがね}を費{ついや}すならば身分{みぶん}に応{おう}ぜし色里{いろざと}に遊{あそ}びて死金{しにがね}を
遺{つか}ふ〔こと〕なかれと嗚呼{おこ}がましけれど筆癖{ふでくせ}に悪{にく}まれぐちを
しるすのみ。されどたでくふ虫{むし}とやら其{その}好{すき}〴〵のあそびくせ
(10ウ)
他見{おかめ}でおよばぬ事{〔こと〕}ながら意気{いき}な姿{すがた}の婦多{ふた}川におもひ
辰巳{たつみ}の風俗{ふうぞく}もさぐりかねたる作者{さくしや}の当推{あてすゐ}元来{もとより}彼{かの}地{ち}へ
一日{いちにち}もいたらぬ野夫{やぼ}の不拴穿{ふせんさく}まぐれあたりのさしは有{あり}
とも聞書{きゝがき}噂{うはさ}のすじにはあらず色{いろ}の世界{せかい}の風情{ふうぞく}をつゞれ
ば万一{まんいち}実録{じつろく}そのことを書{かき}もしたかと道理{どうり}をつけて必{かなら}
ず心{こゝろ}にかけ給ふな。それはさておき仇吉{あだきち}は彼{かの}千代元{ちよもと}で米八{よねはち}と
出合{であい}し喧嘩{けんくは}のもつれをば清元{きよもと}延津賀{のぶつか}がはからひにて
その座{ざ}はやう〳〵帰{かへ}りしが心{こゝろ}のそこの解{とけ}かねていかゞは
(11オ)
せんと胸{むな}だくみものおもはせし米八{よねはち}が丹次郎{たんじらう}との|兼
言{いちやつき}をどうしていしゆをはらすべし。斯{かく}なさんかと思{おも}ひ
詰{つめ}待{まち}に待{まつ}たる丹次郎{たんじらう}がかゝるべしとは知らずして此{この}程{ほど}
米八{よねはち}と談{だん}じ合{あひ}し趣{おもむき}を仇吉{あだきち}にも得心{とくしん}させんと思{おも}ひて
来{きた}りし千代元{ちよもと}の奥二階{おくにかい}思案{しあん}に違{ちが}ひて仇吉{あだきち}が腹立{はらたち}
まぎれの手{て}づよきあいさつなか〳〵相談{さうだん}どころでなければ
当座{たうざ}の出{で}たらめ丹次郎{たんじらう}もよんどころなくけんどんに〔こと〕ば
づかひのあら〳〵しく【丹】「手{て}めへもまたあんまりよくも有{ある}
(11ウ)
めへじやアねへか。何{なん}の米八{よねはち}がなんと言{い}はふとも打遣{うつちやつ}ておいて
跡{あと}でどうともなる〔こと〕じやアねへか。もつとも折角{せつかく}こしらへ
ておれに着{き}せた羽織{はおり}をいきなりにあんなにしたは米
八{よねはち}が一生{いつせう}のあやまりヨ。それだからおれだつても手{て}めへを
わりいとはいはねへはサ。あくまでもあいつが落度{おちど}にして言
張{いひはつ}て押付{おしつけ}てしまつたればこそ斯{かう}してすぐに出{で}て来{き}て
逢{あ}ふわけだアな。何{なに}もおらアおめへにいひぐさを言{いつ}てやり
こめられに来{き}はしねへぜ。わざ〳〵呼{よび}によこしておたげへに
(12オ)
斯{かう}してきうくつな思{おも}ひをしていひてへ事{〔こと〕}をいふのを聞{きゝ}
に来{く}る〔こと〕もねへといふものだ。」ト急腹{きうばら}のかんしやくでいふ。
【仇】「なんだネ丹{たん}さんそんなに腹{はら}を立{たつ}〔こと〕はないはねへ。私{わちき}だつ
てもおまへを苦労{くらう}して呼{よび}にやつて言{いひ}ぐさをいふのなん
のといふ〔こと〕もねへけれどツイ〳〵おまへの顔{かほ}を見{み}たもんだ
からあの時{とき}のくやしい〔こと〕を胸{むね}にわすれる間{ま}がなかつたもん
だからいひだしたんだアネ。何時{いつ}にねへそんなに額{ひたひ}へ筋{すぢ}を
出{だ}して腹{はら}を立{たつ}て。」ト[すこしかんがへ]「丹{たん}さんおまへは心{こゝろ}が変{かは}つたね。」ト
(12ウ)
はな紙{がみ}で顔{かほ}をおさへてなく。【丹】「コウ仇吉{あだきち}ヲイあだ吉{きつ}さ゜んお
めへももういゝかげんにしねへな。心{こゝろ}がかはるのかはらねへのと素人{しろうと}
かなんぞのやうにおもしろくもねへ。折角{せつかく}此方{こつち}はこつちと思{おも}つ
て米八{よねはち}をば言{いひ}てへ〔こと〕をいつて無理{むり}でまるめてしまつて
おいて呼{よび}によこしたのをさいはひにどうしてゐるかあの時{とき}
は宅{うち}へ帰{かへ}つて行{いつ}たかしらん。さぞ心{こゝろ}おもしろくなくくらして
ゐるだろうと考{かんが}へてばかり居{ゐ}て案{あん}じてゐたのはこつちの
自惚{うぬぼれ}。斯{かう}して来{き}て逢{あつ}て見{み}りやアおいらの思{おも}ふ半{はん}ぶんも
(13オ)
深{ふけ}へ心{こゝろ}はちつともなし。けへつてさかねぢを喰{くは}して人{ひと}をやり
こめてそのうへ心{こゝろ}がかはつたのとあへたりもんだりいゝやうに青
二才{あをにさい}の小僧ツ子{こぞつこ}にやアてうどいゝ言{いひ}ぐさだのう。変{かは}るかはら
ねへとつまらねへ〔こと〕もほどがあらア。」ト風{ふ}といひがゝりの喧嘩{けんくわ}
ゆゑ米八{よねはち}が言{いひ}し〔こと〕をはなさんとおもへどもつよく言{いひ}いでし
ゆゑまけをしみに丹次郎{たんじらう}は米八{よねはち}ともひどく喧嘩{けんくわ}をした
やうにうそをついて仇吉{あだきち}をもまづ剣{けん}のみで気{き}をひいてみる。
仇吉{あだきち}はまたついぞなき丹次郎{たんじらう}が腹{はら}を立{たつ}ての言{いひ}ぶんは
(13ウ)
推当{てつきり}米八{よねはち}にくるめられ是{これ}を手{て}にして離別{きれん}との手段{てだて}
にてもあらんには今更{いまさら}きれて人{ひと}のおもはくふがひない
といはれんもくちをしく千代{ちよ}もとへ対{たい}しても外聞{ぐわいぶん}わるく
またひとつには米八{よねはち}へもひるみて切{き}れたといはれては女{をんな}が立{たゝ}
ぬとおもへばまたなんの因果{いんぐわ}か|毎〻{いつ}になき丹次郎{たんじらう}が腹{はら}
たゝしき風情{やうす}も何処{どこ}にかすごみがあつてひよつと機嫌{きげん}を
直{なほ}したならまたどのやうにいとしからんと思{おも}へば直{すぐ}にもあや
まつて堪忍{かんにん}してもらひたけれど爰{こゝ}もひとつは恋{こひ}の意地{いぢ}
(14オ)
最{もう}一{いつ}ぺん言張{いひはつ}て男{をとこ}の心{こゝろ}をきたいつけもししそこなつ
たらその時{とき}にどのやうにもあやまらん。万一{まんいち}きかずは島田
髷{しまだわげ}根{ね}からきつてもわび〔こと〕のならざる〔こと〕はあるべからずト
さすが手{て}とりの仇吉{あだきち}がしばらく前後{あとさき}思案{しあん}して涙{なみだ}ぐん
だる目{め}をぬぐひ顔{かほ}を半分{はんぶん}衿{ゑり}にいれしよんぼりとせし其{その}
姿{すがた}雨{あめ}の柳{やなぎ}にたとへてはさびしさ過{すぎ}て似{に}つかはしからず。梅{うめ}も
桜{さくら}もおよびなき風情{ふぜい}と思{おも}ふ丹次郎{たんじらう}しがみ付{つ}くほどかはゆけ
れども爰{こゝ}が男{をとこ}の辛防{しんばう}と惚{ほれ}た心{こゝろ}をとり直{なほ}すは歯{は}を喰{くひ}しばる
(14ウ)
恋暮{れんぼ}の情{じやう}二人{ふたり}が底意{そこい}同{おな}じけれどもそれとは知{し}れぬ
他心{ひとごゝろ}たがひにさぐりてはてしなく溜息{ためいき}をつくばかりなり。
○風与{ふと}した情人{いろ}の仇吉{あだきち}がかくまで深{ふか}くなりし〔こと〕是{これ}
米八{よねはち}が気苦労{きぐらう}のみか作者{さくしや}も侶{とも}に難義{なんぎ}の満尾{おほづめ}どふ
しておさまる〔こと〕やらんとまはらぬ筆{ふで}のなが〳〵しく
拾遺{しうゐ}の巻{まき}も三編{さんへん}にてまだ目出度{めでたし}にいたらねば板
元{はんもと}は憤然{やつき}となりヤイ狂訓亭{さくしや}の大{おほ}だわけ愚智{ぐち}を
ならべた此{この}草紙{さうし}何日{いつ}まで後{あと}を引続{ひつぱる}のだ。二編{にへん}で
(15オ)
終{をは}るとおもひの外{ほか}三編{さんぺん}出{だ}してまだ三冊{さんさつ}たらぬなん
どゝ貸本屋{かしほんや}の衆{しゆう}へいひわけなるべきか。また貸本屋{かしほんや}
さま方{がた}も看官{ごけんぶつ}のお得意{とくい}さまへ四編{しへん}でいよ〳〵目
出{めで}たしにおさまりますといはれうか。だれでも腹{はら}を
辰巳{たつみ}の園{その}今日{けふ}まで求{もと}めてくだされたはまぐれ当{あた}り
の梅暦{うめごよみ}の香{か}ほりで保{たも}ちし余慶{よけい}なり。それになん
ぞやまた永{なが}き永代談語{ゑいたいだんご}と外題{げだい}をいだしてまだ残
編{ざんへん}をひきずるのかと言葉{〔こと〕ば}もせはしき極月{ごくげつ}の小言{こ〔ごと〕}は
(15ウ)
懸取{かけとり}同様{どうやう}にて隣家{りんか}へきこえて気{き}の毒{どく}ながら販
元{はんもと}さんの御立腹{ごりつぷく}重〻{ぢう〳〵}ともに御尤{ごもつとも}重{かさ}なるといふ|由縁{ゑん}に
つれて今{いま}一編{いつぺん}の御勘弁{ごかんべん}。いかに拾遺{しふゐ}は梅暦{うめごよみ}の喧嘩{けんくわ}ばかり
の抜書{ぬきかき}でも書林{はんもと}作者{さくしや}の本意{ぢがね}の喧嘩{けんくわ}はおもしろから
ぬ〔こと〕なればまづ貸本屋{かしほんや}さまへお侘言{わび〔こと〕}失礼{しつれい}しごくの
お願{ねが}ひながら看官{ごけんぶつ}のお娘{ぢやう}さまお女中{ぢよちう}さまを一同{いちどう}にこの
仲人{ちうにん}におたのみ申|直{すぐ}に続{つゞ}いて売出{うりだ}します四編目{しへんめ}
満尾{まんび}の御評判{ごひやうばん}。いとおこがましきやうなれどそのかはり
(16オ)
には此つゞき喧嘩{けんくわ}の大尾{おほづめ}仇吉{あだきち}と彼{かの}米{よね}八が奇代{きたい}の達
引{たてひき}大{おほ}さはぎうつて変{かは}つて二人{ふたり}が中姉妹{きやうだい}とてもお
よびなき信身{しんみ}辛気{しんき}の愁歎場{しうたんば}色{いろ}の諸訳{しよわけ}や情{なさけ}の極
意{ごくい}泪{なみだ}の笑顔{ゑがほ}につこりとひらくや春{はる}の梅暦{うめこよみ}、吉日{きちにち}良
辰{れうしん}辰巳{たつみ}の園{その}全本{ぜんほん}かぞへて十二冊|両三日{れうさんにち}に相揃{あひそろ}ひ
日{ひ}かげとともにうらゝかな詠{なが}めにそなへ申になん。
[梅暦餘興]春色辰巳園巻の九終
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底本:国立国語研究所蔵本(W99/Ta81、1001142221)
翻字担当者:矢澤由紀、島田遼、藤本灯
更新履歴:
2017年3月28日公開