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Nihongo tokuhon, jinjōkayō [Hawai Kyōikukai, 1917 edition]

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日本語読本 尋常科用 巻四 [布哇教育会第1期]

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凡例
1.頁移りは、その頁の冒頭において、頁数を≪ ≫で囲んで示した。
2.行移りは原本にしたがった。
3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
4.振り仮名が付く本文中の漢字列の始まりには|を付けた。 〔例〕十五|仙{セント}
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≪目録 p000≫
もくろく
第一 楠木{くすのき}父子 (一) 一
第二 楠木父子 (二) 六
第三 問合の手紙とへんじ 九
第四 豆の一類 十二
第五 北條泰時{ほうじようやすとき} 十五
第六 兄弟 十八
第七 塙保己一{ハナハホキイチ} 二十一
第八 手ノハタラキ 二十五
第九 招魂{しようこん}祭とぼん 二十九
第十 日本帝國 三十一
第十一 東京 (一) 三十五
第十二 東京 (二) 四十
第十三 蠶{かいこ}と茶 四十三
第十四 やき物とぬり物 四十八
第十五 山内一豐{やまうちかつとよ}の妻 五十
第十六 家のもん 五十五
第十七 天ビンボウ 五十七
第十八 犬 六十
第十九 坂上田村麻呂{さかのうへのたむらまろ} 六十四
第二十 水トカラダ 六十六
第二十一 からだを丈夫にせよ 六十九
第二十二 マンゴをおくる手紙とへんじ 七十一
第二十三 海ノ生物 (一) 七十四
第二十四 海ノ生物 (二) 七十八
第二十五 何事も精神 八十二
第二十六 航海の話 (一) 八十四
第二十七 航海の話 (二) 八十九
第二十八 恩知らずの兵士 九十二
第二十九 しやしんを送る手紙とへんじ 百二
第三十 ハタラクコトハ人ノ本分 百六
第三十一 白すゞめ (一) 百八
第三十二 白すゞめ (二) 百十二
第三十三 加藤清正{かとうきよまさ} 百十七
第三十四 ナイチンゲール 百二十一
第三十五 かぢや 百二十五
第三十六 日本の花ごよみ 百二十八
第三十七 マツチ 百三十二
第三十八 山田長政{やまだながまさ} 百三十四
第三十九 一日 百三十七
第四十 四十七士 (一) 百三十九
第四十一 四十七士 (二) 百四十三
第四十二 鳥 百四十七
第四十三 胃{イ}ト身體 百五十二
第四十四 フランクリン 百五十六
第四十五 虎{トラ}ト猫{ネコ} 百五十九
第四十六 世界一週 (一) 百六十二
第四十七 世界一週 (二) 百六十八
第四十八 布哇{はわい} 百七十
第四十九 わしんとん祭ト中央太平洋祝祭 百七十四
第五十 勢至{せいし}丸 百七十七
第五十一 ふくろふの恩がへし (一) 百八十二
第五十二 ふくろふの恩がへし (二) 百八十六
第五十三 勇敢{いうかん}な水兵 百九十一
第五十四 公益 百九十八
第五十五 ナポレオン (一) 二百
第五十六 ナポレオン (二) 二百五

≪p001≫
第一 楠木{くすのき}父子 (一)
大阪{おほさか}から西へ、汽車で一時間ばかり行くと、神
戸{かうべ}市に着きます。そこには名高い湊川{みなとがは}神社が
あります。湊川神社は楠木|正成{まさしげ}をまつつたお
社です。
正成はちうぎな武士でございました。今から
六百年ほど前、足利尊氏{あしかゞたかうぢ}といふ惡い武人があ
つて、色々わがまゝなことをして、天皇を苦し
めました。その時、正成はいつも天皇のおみか

≪p002≫
たをして、尊氏と戰ひましたが、ある年、この神
戸の近くの湊川の戰で、とう〳〵あつぱれな
討死をしました。それで後の人が、そのちうぎ
にかんじて、こゝにお社をたてたのです。
正成の長子を正行{まさつら}といひました。湊川の戰の
時は年が十一でございました。父と一しよに
軍に行きたいと申しますと、父はこれをさと
して、
「お前のさう言ふのももつともだ。しかしこ

≪p003≫
の度の軍は敵
が大ぜいで、み
かたは小ぜい
であるから、父
はとても生き
てはかへるまい。父のなくなつた後では、お
前が生きのこつてゐて、長く大君のために
つくさなければならぬ。これが父への孝行
だぞ。」

≪p004≫
と言ひました。正行は父の教をうけて、なくな
く父に別れて、母のもとへかへりました。
湊川の戰がすんで、正成の首は家へ送られま
した。これを見た正行の心はどんなでござい
ましたらう。ふいと立つて、別のへやへまゐり
ました。母はあやしんで、そのへやをのぞきま
すと、正行は刀をぬいて、今やはらを切らうと
してゐます。母はおどろいて、その刀をもぎ取
り、なみだながらに申しますには、

≪p005≫
「お前はおとうさんのおつしやつたことを
何と聞いた。この間かへつて來て、母にもよ
くはなしたのに、もうそれをわすれたのか。
今はお前の死ぬべき時ではない。おとうさ
んがお前をおかへしになつたのは、朝敵を
ほろぼし、君に忠をつくせといふことでは
なかつたか。」
と言ひました。正行は大いにかんじて、これか
らは父と母の教を一日もわすれたことはご

≪p006≫
ざいませんでした。
第二 楠木父子 (二)
正成が戰死した後は、敵のいきほひはますま
す強く、天皇は吉野{よしの}山のかりの御所へおうつ
りになりました。楠木の一門の人々はいつも
御所をまもつて、敵をふせいでをりました。
ある年、敵の大將|高師直{こうのもろなほ}が六万の大軍をひき
ゐて、せめて來るといふことが聞えました。そ
の時は正行が二十三の時でございました。正

≪p007≫
行はこの度こそはさいごの合戰をしようと
けつしんして、御所へまゐつて、
「父正成が戰死いたしましたのは、臣が十一
の時でござい
ました。一門の
ものをあつめ
て、かならず敵
を平げよと申
しました父の

≪p008≫
ことばは、今でも耳にのこつてをります。平
生病氣がちの身で、このまゝに死にました
ら、君へは不忠の臣となり、父へは不孝の子
となります。この度の合戰には、師直らが首
を正行が取るか、正行が首をかれらに取ら
せるか、どちらか一つとぞんじます。」
と申し上げました。天皇はこれをお聞きにな
り、みすを高くまき上げさせられて、
「父子二代つゞいての忠義はかんしんいた

≪p009≫
す。ふかくなんぢをたのみに思ふぞ。よくよ
く身を大切にせよ。」
とおほせられました。正行はこれから戰に出
ましたが、敵の大ぜいに敵しかねて、とう〳〵
花々しい戰死をとげました。その戰死した所
は河内{かはち}國の四條畷{しじようなはて}で、こゝには正行をまつつ
た神社があります。
第三 問合の手紙
うちの父はにはかに商用が出來て、

≪p010≫
來る二十五日出帆の天洋丸で、日本
へ立ちます。大阪{おほさか}に十日あまりゐて、
用をすませ、その後で、ちよつと廣島
へも行きたいと言つてゐます。あち
らに御用がありますなら、何でもい
たしますし、あちらでとゝのへて來
る物がございますなら、何でも御申
し聞け下さいと、あなたからおとう
さん・おかあさんに聞いていたゞき

≪p011≫
たいと申してをります。
四月十日 高井忠一
森島愛造樣
同じくへんじ
おとうさんが日本へ御出でになる
ので、何か用がないかとおつしやつ
て下さつて、ありがたうございます。
父にも母にも申しましたが、たゞ今
別におたのみ申したいと思ふこと

≪p012≫
もございませんと申してをります。
さくらの花の花ざかりに、日本への
御こしはうらやましいと申してを
りました。どうかおとうさんにもお
かあさんにもよろしく。
四月十三日 森島愛造
高井忠一樣
第四 豆の一類
にはのゴールデンシャワーが美しくさきまし

≪p013≫
た。下からえん
豆がこゑをか
けて、
「あなたと私
は大そうよ
くにてゐるではありませんか。」
と言ひます。ゴールデンシャワーは
「どこがにてゐますか。私には分りませんが。」
と問ふと、えん豆の言ひますには、

≪p014≫
「あなたにも私にも豆がなりませう。葉は羽
の形で、二枚づつむき合つてゐますし、花も
同じ形をしてゐるではありませんか。」
ゴールデンシャワー「なるほど、よくにてゐるようです。
しかし私はこんな大きな木ですが、あなた
はつる草ではありまんか。」
えん豆「豆の類にはつるになるのとならぬのが
あります。クル・キャベなどはつるにはなりま
せんが、やはり私どもの一類です。」

≪p015≫
ゴールデンシャワー「さうでございますか。豆は大てい
食べられるようですが、私の豆は食べられ
ません。」
えん豆「あなたはその金色の美しい花だけで、た
くさんでございます。あなたのように大き
な木になるのには、ポインシャナやマンキー
パッドやピンクシャワーなどがあります。みな
私どものなかまです。」
第五 北條泰時{ほうじようやすとき}

≪p016≫
鎌倉{かまくら}に將軍が出來てから、北條氏は代々將軍
をたすけて、政を行つてゐました。泰時はその
三代目です。
泰時はまづ第一に、神や佛をたつとび、天皇を
うやまひ、惡ものをばつするおきてをつくつ
て取りしまりましたから、上も下もみな安心
して、家業をはげんで、世の中がよくをさまり
ました。
泰時はじひの心のふかい人で、ききんがつゞ

≪p017≫
いて、人民の苦しんだ時などは、自分の着物や
食物までもけんやくして、こまつてゐるもの
にめぐんでやりました。
泰時はまた兄弟思ひの人でした。父の義時{よしとき}が
病氣でなくなりました時、自分は長男であり
ながら、弟らにたくさんの領分をやつて、自分
はわづかばかりしか取りませんでした。
北條氏が長くさかえたのは、泰時の心がけが
よくて、人がみなその徳をわすれなかつたか

≪p018≫
らだといひます。
第六 兄弟
兄弟はいくたりあつても、親はみな同じよう
にかはいがります。それゆゑ、親は兄弟の中の
よいのを見てよろこびます。兄弟中のよいの
は、よその人が見ても見よいものです。
むかし兄弟で田地のあらそひをして、役所に
うつたへて出たものがありました。さいばん
をする役人は泉八右衞門{いづみはちえもん}といふ人でござい

≪p019≫
ましたが、その兄弟二人を自分の家へよんで、
一間の中に待たせておきました。
一時間待つても、二時間待つても、八右衞門は
出て來ません。兄弟二人は、始の中はたがひに
にらみ合つて、口一つきかず、遠くへはなれて
すわつてゐましたが、長い間待つてゐる中に、
さむい日ではあるし、だん〳〵すりよつて、一
つの火ばちで手をあぶり、少しづつ話をする
ようになりました。さうすると、小さい時分に

≪p020≫
二人が中よくあそんだことなどを思ひ出し
ました。死んだ親のことを思ひ出して、むかし
のことが、しみ〴〵となつかしくなりました。
いつとなく、こんな兄弟げんかをしたことを
こうかいする心が出ました。
そこへ八右衞門が出て來て、
「どうだ二人のもの、あらそひはいかゞいた
したか。」
とたづねました。二人は手をついて、

≪p021≫
「もう中なほりをいたします。ありがたうご
ざいました。」
と、れいを言つてかへつて行きました。
第七 塙保己一{ハナハホキイチ}
塙保己一ハ五ツノ時メクラニナリマシタ。十
八ノ時、今ノ東京、ソノコロノ江戸{エド}ヘ出テ、一心
ニ學問ヲ勉強シテ、後ニハ多クノ書物ヲアラ
ハシテ、名高イ人ニナリマシタ。
始メ先生ハ保己一ニシヤミセンヲ教ヘマシ

≪p022≫
タガ、今日習ツタコトヲ、スグソノバンノ中ニ
ワスレテシマヒマス。三年モ習ツテ、一ツモ十
分ニハオボエマセンデシタ。ソコデ先生ハハ
リヲ習ハセテ見マシタ。コレモ人ナミニハ出
來マセンノデ、アル日、先生ハ保己一ニ申シマ
スヨウ、
「オ前ハ何ヲ習ハセテモダメデス。コノ上ハ
オ前ノスキナコトヲ何デモヤルガヨイ。今
カラ三年ノ間ヤシナツテ上ゲマス。モシ三

≪p023≫
年タツテ、何モ出來ナカツタラ、スグ國ヘ送
リカヘシテシマヒマス。」
ト、キビシクサトシマシタ。コレカラ保己一ハ
學問ニ心ガケテ、夜ヒルトナクハゲミマシタ
カラ、ツヒニ大學者ニナツタノデス。保己一ハ
イツデモ人ニ、
「自分ガ今ノヨウニナツタノハ、マツタク先
生ノオカゲデス。タヾザンネンナノハ、先生
ノ生キテヰラレル中ニ、今ノシアハセヲオ

≪p024≫
聞カセ申スコトガ出來ナカツタコトデス。」
ト言ヒマシタ。
保己一ニハオモシロイ話
ガアリマス。アル夜、弟子ヲ
アツメテ書物ヲ讀ンデヰ
タ時、風ガニハカニフキ出
シテ、トモシビガ消エマシ
タ。保己一ハソレトモ知ラ
ズ、ツヾケテ讀ンデヰマス

≪p025≫
カラ、弟子ドモハ、
「先生、少シオ待チ下サイ。今アカリガ消エマ
シタ。」
ト言ヒマシタ。保己一ハワラツテ、
「サテ〳〵、目アキトイフモノハ不自由ナモ
ノデス。」
ト言ツタサウデゴザイマス。
第八 手ノハタラキ
取ル・拾フ・持ツ・ツカム・ニギル・ナゲルナドハ、ミ

≪p026≫
ナ手デスルハタラキデス。モシ手ガナカツタ
ラドノクラヰ不自由デセウ。ハシヲ持ツコト
モ出來マセン。オビヲムスブコトモ出來マセ
ン。ボタンヲカケルコトモ出來マセン。カユイ
所ヲカクコトモ、イタイ所ヲサスルコトモ出
來マセン。家ヲタテルノモ、ペンキヲヌルノモ、
石ヲ積ムノモ、田畑ヲタガヤスノモ、ミナ手デ
スルノデス。色々樣々ナキカイガアツテモ、ソ
レヲハタラカスノハヤハリ手デス。

≪p027≫
手ハスベテノシゴトノモトデス。イソガシイ
時ニ手ノ足リナイトイフノハ、ハタラク人ノ
少イトイフコトデス。
手ヲヨクハタラカセル人ガ多ケレバ多イホ
ド、家デモ國デモサカンニナリマス。フトコロ
手バカリシテヰル人ガ多ケレバ多イホドオ
トロヘマス。
美シイ畫ヲカイタリ、見事ナホリ物ヲコシラ
ヘタリシテ、人ヲ感心サセルノモ、手ノハタラ

≪p028≫
キデセウ。ドンナガツキガアツテモ、手ガナカ
ツタラ、オモシロイ音ヲ出スコトハ出來マス
マイ。何事ニヨラズ手ノハタラキノヨイノヲ
上手トイヒ、手ノハタラキノワルイノヲ下手
トイヒマス。
サルニハ手ノハタラキヲスルモノガ四本ア
リマス。シカシ人ノヨウニ色々ナ物ヲコシラ
ヘルコトハ出來マセン。コレハチエガ少イカ
ラデス。

≪p029≫
第九 招魂{しようこん}祭とぼん
五月三十日の朝、ホノルルの市街へ出て見る
と、きれいな身なりをした人たちが、手に手に
美しい花をかゝへて、ヌアヌの墓地の方へい
そいで行きます。でん車は花を持つた人で一
ぱいになります。ひるごろになると、軍人が列
をつくつて、墓地へおまゐりに行きます。
この日はアメリカ合衆{がつしう}國の祭日の一つで、人
人はみなその親類や友だちの墓にまゐり、お

≪p030≫
墓をきれいにそうじして、死んだ人の平生愛
してゐた花や、その外の花をさゝげて、お祭を
するのです。軍たいでも戰死した人を祭りま
すから、大切な日になつてゐます。
日本では戰死者は靖國{やすくに}神社に一しよに祭ら
れて、毎年四月と十月にさかんなお祭があり
ます。また七月十五日はぼんといつて、どこの
家でも死んだ人を祭ります。ぶつだんにくだ
ものやかしをそなへます。墓地もきれいにそ

≪p031≫
うじして、家内中そろつて、お墓まゐりをいた
します。
どこの國にもこんな風があるのは、死んだ人
を思ひ出して、むかしをしたふのであります。
まことに美しい習はしではありませんか。私
どもは長くこの善い風をつゞけて行かなく
てはなりません。
第十 日本帝國
亞細亞洲{あじやしう}の東方、北は千島{ちしま}から南は琉球{りうきう}・臺灣{たいわん}

≪p032≫
まで、くさりのような形
に列つてゐる島々と、亞
細亞洲の東方につき出
てゐる朝鮮{ちようせん}半島と、樺太{からふと}
の南半分とが、日本帝國
の領土です。島の中で大
きいのは本土・四國・九州{きうしう}・
北海道・臺灣、小さいのは
千島・琉球などで、人のす

≪p033≫
んでゐる島のかずは、そうたいで五百ぢかく
もあります。人口は七千万人と申します。
時候のもつとも
よいのは三月・四
月さくらの花の
さく春の時分と、
十月・十一月もみ
ぢの美しい秋の
ころです。

≪p034≫
米は四月に種をまき、六月に苗をうゑて、十月
ごろにかり取ります。くだものの木は大てい
春花がさいて、秋に實のります。年中雨はずい
ぶん多うございますが、冬は雪がふります。し
かし夏はかなりあつうございます。
日本はけしきのよい國です。山のけしきも、海
のけしきも美しうございます。山には松・すぎ・
ひのきなどが、たくさんにしげつてゐます。海
岸にはおもしろい枝ぶりの松の木が、どこへ

≪p035≫
行つても、よいけしきをこしらへてゐます。
日本は古い國で、神武{じんむ}天皇が御位におつきに
なつてから、二千五百七十年あまりになりま
す。今の天皇へいかは神武天皇から百二十二
代目の天皇でいらせられます。天皇へいかの
御すまゐになつてゐる都は東京です。
第十一 東京 (一)
ほのるるカラ西北へ十日目ニ、日本ノ入口ノ
港|横濱{ヨコハマ}ニ着キマス。横濱カラハ汽車デモ、デン

≪p036≫
車デモ、一時間足ラズデ、東京
ヘハイレマス。
東京テイシヤバハ東洋一ノ
大キナテイシヤバデス。コヽ
ヲ出テ、少シ左ヘ行クト、廣イ
道ノムカフノ高イ石ガキノ
上ニ、ホリヲヘダテテ、天皇ヘ
イカノイラセラレル宮城ガ
見エマス。宮城ノ御ホリニハ

≪p037≫
二重橋ガカヽツテヰマス。
二重橋ノ前ノ廣バニハ、一
メンニ小松ガアツテ、ソコ
ニ楠木正成{クスノキマサシゲ}ノ銅像ガ立ツ
テヰマス。
二重橋ヲ右ニ見テ、サクラ
田御門ヲ通ルト、ソコニハ
石造ノ大キナ役所ガナラ
ンデヰマス。ソノ後ガ日比

≪p038≫
谷{ヒヾヤ}公園ニナリマス。
公園ノ中ニハ池ガアリ、花園ガアリ、音樂堂モ
アリ、廣イウンドウバモアリマス。コヽカラデ
ン車ニ乘レバ、ドコヘデモ行カレマス。
ニギヤカナ銀座{ギンザ}通ヘ出テ、デン車道ヲマツス
グニ北ヘ、リツパナ日本橋ヲワタツテ、上野公
園ヘ行キマス。
上野公園ハ少シ高クヲカニナツテヰマス。コ
コニ動物{ドウブツ}園・博物館{ハクブツカン}・圖書{ヅシヨ}館ナド、見事ナモノガ

≪p039≫
タクサンアリマス。サクラノ木ガ一メンニア
ツテ、花ザカリニハ大ソウナニギハヒデス。コ
コカラ下ヲ見下シマスト、何万トイフ人家ノ
ヤネガ、波ノウツタヨウニ見エマス。シカシソ
レデ東京ノ何分ノ一カガ見エルダケデス。
上野公園ヲ出テ、淺草{アサクサ}公園ニ行キマス。コヽニ
ハ名高イ觀音堂ガアツテ、堂ノ近所ニハ色々
ナ見セ物ヤ水族{スイゾク}館ナドガアリマス。人ゴミニ
オサレテ、ヒトリデニ歩イテ行クホドデス。

≪p040≫
サクラデ名高イ向島{ムカフジマ}ハ隅田{スミダ}川ノムカフ岸ニ
アリマス。隅田川ニハ大キナ橋ガ六ツカヽツ
テヰマス。
第十二 東京 (二)
東京ハ廣イ都デスカラ、一日ヤ二日デハ見ツ
クサレマセン。同ジヨウナ町ハイクラモアリ
マスカラ、アンナイヲ知ラナイト、道ニマヨヒ
マス。銀座ニツイデニギヤカナ町ハ神田{カンダ}デス。
コノヘンニハ書物ヤガタクサンアリマス。ソ

≪p041≫
レカラ九段坂{クダンザカ}ヲ上ルト、靖國{ヤスクニ}神社ヘ出マス。大
キナ金{カネ}ノトリヰニハダレモオドロキマス。神
社ノ後ノ池モ美シウゴザイマス。
コヽヲ出テ、ホリバタヲ通ルデン車ニ乘ツテ、
方々ヲ見物シナガラ行クノモオモシロウゴ
ザイマス。士官{シカン}學校・東宮御所・砲兵工廠{ホウヘイコウシヨウ}ナドハ、
ミナデン車ノ中カラ見エマス。
南ノ方ニアル公園ハ芝{シバ}公園デス。コレモ見オ
トシテハナリマセン。増上{ゾウジヨウ}寺トイフ大キナオ

≪p042≫
寺ガアリマス。ソレカラ
泉岳{センガク}寺ヘハ、アマリ遠ク
ハアリマセン。泉岳寺ハ
東京ヘ來タ人ガ、ダレデ
モキツトオマヰリシマ
ス。コヽニハ四十七士ノ
墓ガアツテ、墓ノ前ニハ
二百年後ノ今日モ、セン
コウノ煙ガタエタコト

≪p043≫
ガアリマセン。コノアタリハ前ニ海モ見エテ、
景色ノヨイ所デス。
東京ニハリツパナ大學ヲ始メ、タクサンノ學
校ガアリマス。大キナ銀行ヤ會社モタクサン
アリマス。
東京ニハ二百万アマリノ人ガヲリマス。人口
カライヘバ、セカイノ第四番目ノ都會デス。
第十三 蠶{かいこ}と茶
生絲と茶は日本から外國へ賣出す産物の中

≪p044≫
で、もつとも重なものです。
生絲は蠶の繭{まゆ}から取つた絲です。蠶はたまご
からかへつたばかりの時は、ありくらゐの大
きさで、長さは一分ばかりしかありません。か
へりたてから、しきりに食物をさがして、くは
の葉をやると、すぐ食ひはじめます。小さい時
分は、やはらかな葉をこまかく切つてやりま
すが、大きくなると、枝のまゝやります。
蠶がくはの葉を食ふのは、およそ二十五日か

≪p045≫
ら四十日の間で、その間に一日か二日づつ眠
ることが四度あります。眠る度に皮をぬぎか
へて、しまひにはからだがすきとほつて見え
るようになります。この時、木の枝やわらなど
でつくつたまぶしへうつしてやると、口から
美しい絲を出して、自分のからだをつゝみま
す。さうして二三日の中に、繭が出來上つて、繭
の中の蠶はさなぎになります。
繭をつくつてから二十日あまりたつと、さな

≪p046≫
ぎはてふのような形になつて、
繭をやぶつて出て來ます。これ
を蠶の蛾{が}といひます。蛾を紙の
上におくと、そこへ卵を産みつ
けて、間もなく死んでしまひま
す。
蛾が繭をやぶつて出る
と、絲が取れなくなりま
すから、出ない中にむし

≪p047≫
て、さなぎをころしておいて、それから繭をに
て、絲を取るのです。
茶の木のことは前に學びました。茶には緑{りよく}茶・
紅{こう}茶・ひき茶の三種類があります。緑茶はわか
葉をせいろうでむしてつくります。紅茶は生
の葉を日光にさらして、それからかまでいつ
て、よくもんでかわかしたものです。ひき茶は
緑茶をひいて、こなにしたのです。
せかい中で、日本・支那{しな}|印度{いんど}はもつとも多く茶

≪p048≫
を産します。日本では臺灣{たいわん}から紅茶がたくさ
ん出ますし、京都|府{ふ}の宇治{うぢ}からは緑茶のよい
のが出ます。
第十四 やき物とぬり物
やき物とぬり物も日本の大じな産物です。
茶わん・土びん・さら・はちなどはやき物で、ぜん・
わん・ぼん・重箱などはぬり物です。
やき物をつくるには、土または石のこなをね
りかためてかわかし、かまどに入れてやきま

≪p049≫
す。かうして出來たものをすやきといひます。
私どもがふだんつかふ茶わん・さら・はち・きう
すの類は、このすやきにうはぐすりをかけて、
ふたゝびやいたものです。花鳥・山水・人物など
のもようは、うはぐすりをかける前に畫がき
ます。
ぬり物はくつた木またはくみ合せた木・竹、紙
などに、うるしをぬつてつくります。ぬり物に
黄・赤・黒・青など、きま〴〵の色があるのは、うる

≪p050≫
しに色を着けたのです。うるしの上に金また
は銀で畫をかいたものを、まきゑといひます。
第十五 山内一豐{やまうちかつとよ}の妻
山内一豐が織田信長{おだのぶなが}の家來になつたばかり
のころ、大そうよい馬を賣りに來た者があり
ました。馬はよいが、ねが高いので、だれ一人買
はうといふ者がありません。馬の持主は馬を
引いてかへらうとしました。
一豐もほしくて〳〵たまらないから、家へか

≪p051≫
へつて、
「あゝ、金がないほどつらいことはない。武士
としては、あのくらゐな馬をもつて見たい。」
と、思はずひとり言を言ひました。妻はこれを
聞いて、
「その馬のねはいかほどでございます。」
「金十兩。」
妻は立つて、かゞみ箱の中から十兩の金を出
して、

≪p052≫
「どうぞこれでその馬をお
もとめあそばせ。」
一豐はおどろいて、
「これはまたどうした金か。
これまで貧しいくらしを
してゐるのに、こんな大金
を持つてゐるなら、なぜ一
言いはなかつた。」
「このお金は私がこちらへまゐる時、『夫の一

≪p053≫
大事のをりにつかへ。』と、父からわたされた
金でございます。この度京都で馬ぞろへが
ありますとのこと、さだめて見物でござい
ませう。あなた樣にも、そのをりはよい馬に
おめしになるのが大事とかんがへまして、
今日このお金を出しましたのでございま
す。」
一豐は大そうよろこんで、その馬をもとめま
した。

≪p054≫
やがて馬ぞろへの日となつて、一豐の馬は信
長の目にとまつて、
「あゝ、よい馬、名馬々々。だれの馬か。」
とたづねました。家來のものが、
「一豐の馬でございます。」
と言ひますと、
「日ごろ貧しいくらしをしてゐる一豐が、よ
くもかういふよい馬を買ひもとめた。見上
げたもの、りつぱな武士。」

≪p055≫
と、信長は大そう感心しました。これが一豐の
出世のもとになつたといふことでございま
す。
第十六 家のもん
おほよそ家のもんどころ、
いふもかしこし、菊ときり。
楠木{くすのき}父子の菊水は、
忠義のかをりなほ高し。
いほりもかうは孝行の

≪p056≫
曽我{そが}兄弟に知られたり。
二つどもゑに三つどもゑ、
三つ星{ぼし}・四つ目・九曜星、
梅ばち・さくら・たちばなや、
三がい松に、さゝの雪、
上り下りの藤のもん、
さてはたかの羽・つるの丸、
家の氏の名多ければ、
もんのかず〳〵かぎりなし。

≪p057≫
第十七 天ビンボウ
高田|善右衞門{ゼンエモン}トイフ人ガアリマシタ。十七ノ
時、自分ノ力デ家ヲオコサウト思ヒ立チマシ
タ。父カラワヅカナ金ヲモラツテ、ソレヲ元手
ニシテ、品物ヲ買入レテ、遠イ所マデ商賣ニ出
カケマシタ。
トチウノナンギハ言葉ニハツクセマセン、山
道ガケハシイ所デハ、大キナ荷物ヲカツイデ
通ルノニ、大ソウナンジウシマシタ。廣イサビ

≪p058≫
シイ野原ヲ通ツタ時ナドハ、大ヘンニ心細ク
思ヒマシタ。ケレドモ善右衞門ハ少シモタユ
ミマセン。雨ガフツテモ、風ガフイテモ、休マズ
ニ、何年ノ間モハタライタノデ、ワヅカノ元手
デ、タクサンノオ金ヲマウケマシタ。サウシテ
ダン〳〵リツパナ商人ニナリマシタ。
アル時、善右衞門ハ商賣ノ荷物ヲ持タナイデ、
宿ヤニトマリマシタ。知合ノ女中ガ出テ來テ、
「今日ハオツレガゴザイマセンカ。」

≪p059≫
ト言ヒマシタ。善右衞門ハフシギニ思ツテ、
「イツモ一人デ來ルノニ、オツレトハダレノ
コトデスカ。」
トタヅネマシタラ、女中ガ
「天ビンボウノコトデゴザイマス。」
ト言ヒマシタ。
善右衞門ノ立身シタノハ、マツタクコノ天ビ
ンボウ一本ノオカゲデス。天ビンボウ一本ヲ
自分ノ友ダチトシテ、外ニハダレモタヨリニ

≪p060≫
シマセンデシタ。自分ノ力デ、自分デハタライ
タノデス。
第十八 犬
犬の種類はたくさんあります。大きなのは小
馬ほどもあり、小さなのはねこよりも小さう
ございます。きやしやにやせたのもあり、むく
むくと太つたのもあります。ゆびでつまめな
いほど毛の短いのもあれば、立てば土にとゞ
くほど毛の長いのもあります。

≪p061≫
あるものはあたまが大きく丸くて、しゝのよ
うで、あるものはかほが長くとがつて、きつね
のようです。耳のたれてゐるもの、立つてゐる
もの、尾ののびてゐるもの、たれてゐるもの、ま
たまいてゐるもの、足の短いもの、長いものな
ど、樣々です。
犬はよく人になれて、よく主人の言ふことを
きゝ分けます。むかしから「三日かへば、三年恩
をわすれぬ。」と言はれてゐます。

≪p062≫
犬は耳ざとい動物で、眠つてゐ
る時でも、人の足音を聞けば、す
ぐに目をさまします。またはな
もよくきいて、物のにほひをか
ぎ分けます。
まきばでは犬に手つだひをさ
せます。一ぴきの犬で、牛ならば
百ぴきも、羊ならば千びきも、自
由に引きまはすことが出來ま

≪p063≫
す。またさむい所では、犬にそり
を引かせます。八九ひきの犬が、
いきほひよく四五人乘のそり
を引いて、雪道をはしつて行く
のは、まことにいさましいもの
です。
ある山國では、犬の首へくすり
や食物を入れたかごをかけて
おいて、雪の中にたふれてゐる

≪p064≫
たび人をすくはせます。また戰場にもつかつ
て、たふれた兵士をさがさせることもありま
す。
第十九 坂上田村麻呂{さかのうへのたむらまろ}
むかしは東北の地にすんでゐた蝦夷{えぞ}が度々
そむきました。景行{けいこう}天皇の御代には日本武尊{やまとたけるのみこと}
が御せいばつになり、齊明{さいめい}天皇の御代には阿
倍比羅夫{あべのひらふ}がまたせいばつしましたが、その後
も度々そむきました。

≪p065≫
京都に都をおさだめになつた桓武{かんむ}天皇の御
代に、坂上田村麻呂といふ將軍がございまし
た。この人は身の丈が五尺八寸、むねのあつさ
が一尺二寸、からだの重さが三十かんをこえ
た大男でございま
した。目の光ははや
ぶさのようにする
どくて、おこつた時
は、あらいけものも

≪p066≫
おそれたといふことです。けれどもまたいつ
くしみのふかい人で、わらつた時は、子どもも
なつき親しんだと申します。
蝦夷をすつかり討平げたのは、この將軍のて
がらです。これから後は、ふたゝびそむいたこ
とがございません。
第二十 水トカラダ
ワレ〳〵ハ一日ノ中ニ水ヲ飲マナイコトハ
アリマセン。水ヲ飲マナイコトハアツテモ、水

≪p067≫
ノマジツタ物ヤ、水ヲマゼテコシラヘタ物ヲ、
口ニ入レナイコトハアリマセン。
茶・シル・スヒ物ハモトヨリ、酒モ、スモ、シヨウユ
モ、飯モ、パンモ、カシモ、水ガナケレバ出來マセ
ン。クダモノニモ水ヲ多クフクンデヲリ、ヤサ
イニモ水ケガ多ウゴザイマス。
ワレ〳〵ハ毎朝水デカホヲアラヒ、口ヲスヽ
ギマス。マタ時々湯ニハイリマス。時々湯ニハ
イラナイト、カラダガキタナクナツテ、病氣ニ

≪p068≫
カヽリヤスウゴザイマス。冷水浴ヤ海水浴ハ
ヒフヲ強クシ、シタガツテカラダヲ強クシ、心
ヲサワヤカニシマス。
コノヨウニ水ハワレ〳〵ニハ、モツトモ大事
ナモノデ、水ガナケレバ、生キテヲルコトハ出
來マセン。ケレドモ水ヲタクサン飲ミスギタ
リ、冷イ水ノ中ニ長クハイツテヰタリスルノ
ハヨクアリマセン。マタキタナイ水ヤクサツ
タ水ヲ飲ムト、オソロシイ病氣ニカヽルコト

≪p069≫
ガアリマス。
第二十一 からだを丈夫にせよ
古人のことばに、「からだは父母のたまもので
あるから、これをそこなふのは父母への不孝
である。」といふことが言つてあります。からだ
をそこなつて、父母になげきをかけるのが、父
母に不孝なことは言ふまでもありません。
われらは人と生れて來た以上は、何か人のた
め、世のためになる事をしなければなりませ

≪p070≫
ん。少しも世間のためになる事をせず、たゞ食
べて、たゞ死んで行くだけでは、人と生れたか
ひがありません。
それにはからだを丈夫にしなければなりま
せん。からだが弱くては、何をしようと思つて
も、何一つ出來るものではありません。からだ
を丈夫にして、よく勉強して、よくはたらいて、
りつぱな仕事をして、さうして世間のために
なるのです。親への孝行もそれにこしたこと

≪p071≫
はありません。「りつぱな人になつて、名をあげ
て、父母をあらはすのは、孝の終。」といふことば
もあります。
第二十二 マンゴをおくる手紙
うちのマンゴがじゆくしましたか
ら、さし上げます。あまりめづらしく
もございませんが、新しいところを
御しようび下さい。
この間日本からまゐりました兄は、

≪p072≫
どうしてそんなものがうまいのだ
らうと、私がうまがつて食べてゐる
のをわらひましたが、それは食べな
れないからです。私はくだものの中
で、マンゴほどおいしいものはない
と存じてをります。あなたも大そう
おすきでしたね。御氣にめしたら、ま
だいくらでもさし上げます。
九月一日 藤田義一

≪p073≫
湯川平太郎樣
同じくへんじ
見事なマンゴをたくさん御送り下
さいまして、まことに有りがたう存
じます。ちようど山本さんがあそび
に來ていらつしやいますから、これ
からさつそくいたゞきます。おうち
で出來たのは、店で買つたのとは、ま
たかくべつにおいしからうと存じ

≪p074≫
ます。おいしかつたら、またちようだ
いに出ますよ。
九月一日 湯川平太郎
藤田義一樣
第二十三 海ノ生物 (一)
海ノ中ニハ色々ナ動物ガヰマス。魚類ニハイ
ワシ・アヂ・カツヲナドノヨウニ、水面ニ近イ所
ヲオヨグモノガアリ、タヒ・アナゴ・ハモナドノ
ヨウニ、岩ノカゲヤ海草ノ間ヲオヨグモノガ

≪p075≫
アリ、カレヒ・ヒラメナドノヨウ
ニ、ソコニシヅンデヰルモノモ
アリマス。
魚類ノ外ニ、エビ・カニ・タコ・イカ
ナドモスンデヰマス。エビノピ
ンピンハネタリ、カニノ横ニハ
ツテアルク樣子ハ、池ヤ川ニス
ムモノトチガヒマセンガ、タコ
ヤイカノアシヲソロヘテオヨ

≪p076≫
グ樣ハ、マコトニオモシロウゴ
ザイマス。
アサリ・ハマグリナドハ、スナヤ
ドロノ中ニヲリ、カキ・アハビナ
ドハ、岩ニツイテヰマス。アハビ
ハ岩ヲハナレテ動クケレドモ、
カキハ一度ツイタラ、ケツシテ
ハナレマセン。軍カンヤ汽船ノ
船ゾコニモ、カキハ時々タクサ

≪p077≫
ンツキマス。
蟲類ノ中デオモシロイノハ
サンゴデ、タクサンアツマツテ、
樣々ナ形ヲコシラヘマス。マタ
物ヲアラツタリ、フイタリスル
時ニツカフ海綿{カイメン}ハ、岩ニ取リツ
イテヰル蟲ノ骨デス。
海ニハケモノモスンデヰマス。
陸ノケモノニニタノニハ、ラツ

≪p078≫
コ・ヲツトセイナドガアリ、魚ニ
ニタノニハ、クヂラガアリマス。
クヂラハケモノノ中デ一番大
キウゴザイマス。陸ニスムモノ
デ大キイノハ象デスガ、クヂラ
ニクラベルト、赤子ト大人ヨリ
モ、モツトチガヒマス。
第二十四 海ノ生物 (二)
海ノ中ニハ樣々ノ植物ガアリ

≪p079≫
マス。食ベラレルモノニハ、ノリ・コンブ・ワカメ・
アラメ・ヒジキ・モヅクナドガアリマス。ノリニ
スルモノニハ、フノリ・ツノマタガアリ、トコロ
テンヤカンテンニスルモノニハ、ヱゴノリ・テ
ングサガアリマス。ソノ外マダタクサンアリ
マスガ、中ニハヨイコヤシニナルモノモアリ
マス。
海草ニハオビノヨウニ廣クテ長イノモアレ
バ、細カニ分レテ枝ノヨウニナツテヰルノモ

≪p080≫
アリマス。
マタニハ
トリノ尾ニ
ニタノモア
ルシ、ウチハ
ナリノモアリマス。
色モ一樣デハアリマセン。ミルヤ
アヲノリノヨウニ緑色ノモノモ
アレバ、コンブヤアラメノヨウニ

≪p081≫
茶色ノモノモアリ、テングサノヨウ
ニ紅色ノモノモアリマス。一ガイニ
言フコトハ出來マセンガ、マヅ緑色
ノモノハ淺イ所ニ、紅色ノモノハ深
イ所ニ、茶色ノモノハソノ中間ニハ
エテヰルノデス。海草ニハ大テイ
花ガアリマセン。
廣イ海ニハ多クノ動物ヤ植物ガ
アリマス。波ニユラレテ、色ノ美シ

≪p082≫
イ海草ガヒラ〳〵ト動ク間ヲ、樣々ノ魚ガ浮
イタリ、シヅンダリ、オヨイダリシテヰルノハ、
陸上デハ見ルコトノ出來ナイ美シイ景色デ
ス。
第二十五 何事も精神
のきよりおつる雨だれの
たえず休まずうつ時は、
石にも穴をうがつなり。
われらは人と生れ來て、

≪p083≫
一たん心さだめては、
事に動かず、さそはれず、
はげみ進むに、何事の
などならざらん、鐵石の
かたきもつひにとほすべし。」
小さきありもいそしめば、
塔{とう}をもきづき、つばめさへ
千里の波をわたるなり。
ましてや人と生れ來て、

≪p084≫
一たんめあてさだめては、
わき目もふらず、おこたらず、
ふるひ進むに、何事の
などならざらん、ばんじやくの
重きもつひにうつすべし。」
第二十六 航海の話 (一)
ホノルルの港にていはくしてゐた東京丸の
船長は、ある日學校へまねかれて、航海の話を
しました。

≪p085≫
「生れた國を遠くはなれて、世界の方々を年
中航海する私どもにとつて、一番うれしい
のは、時々本國の人に出あふことでありま
す。ことに今日のように、大ぜいのかはいら
しいみなさんの前で、お話するのは、私には
何よりもうれしうございます。
みなさんの中には日本でお生れになつた
方もありませう。そんな方は航海の事は御
存じでせうが、私には外の話も出來ません

≪p086≫
から、やはり航海の話をいたしませう。
さてみなさんは汽船も軍かんもよく御存
じでせう。私の乘つてゐる東京丸は、長さが
六十間ほどあります。客は四百人乘れて、そ
の上に船員が百人も乘つてゐます。
外洋へ乘出すと、五日も十日も山が見えな
いこともあります。日も月も波から出て波
へ入ります。日の出や日の入には日光が波
にうつつて、水の色が金色になります。月夜

≪p087≫
には波が銀のように光つ
て、その美しさは何とも言
ひようがありません。
ある時には大きなくぢら
が高く水けをふいてゐる
ことがあります。多くのい
るかが波の間をおよいで
ゐるのも見えます。またと
び魚がむらがつて飛んで

≪p088≫
ゐて、時々はかんぱんの上へも飛びあがり
ます。
航海中は船は一けんの家と同じです。船員
も乘客もみな一家内になつて、樂しくくら
します。乘客には世界の色々な人種があり
ますが、みな兄弟のように親しみ合ひ、たす
け合ひます。
船の上は、陸にゐるのとちがはないほど、万
事がとゝのつてゐます。近ごろは無線電信{むせんでんしん}

≪p089≫
によつて、航海中も世界の大きな出來事が
知れます。」
第二十七 航海の話 (二)
船長はこつぷの水を一口飲んで、またその話
をつゞけました。
「航海といふものはおもしろいものですが、
にはかに暴風雨が來て、山のような波が立
つこともあります。しかし船はゆれるばか
りで、なか〳〵ひつくりかへるものではあ

≪p090≫
りません。深いきりやはげしいふゞきで、一
寸さきが見えなくなることもあります。さ
ういふ時には、あさせへ乘上げたり、外の船
につきあたつたりしないように、海の深さ
をはかつたり、きてきやかねをならしたり
します。船にはらしんぎといふものがあつ
て、それで方角をとつて進んで行きますし、
陸地も島も見えないおきへ出ると、日やほ
しにたよつて、をる所を知ります。燈臺を見

≪p091≫
ると、あれはどこだといふ
ことが分るのですから、燈
臺のありかを知ることは、
船員には大切な事です。」
かう言つた後で、船長は一だ
んと聲をはり上げて、
「さてをはりに一つ言つて
おきたい事があります。島
國にすんでゐながら、海を

≪p092≫
こはがる人がずいぶんあります。みなさん
のおとうさんやにいさんは、はる〴〵遠い
海をこちらへわたつて來て、商業なり、農業
なり、漁業なり、それ〴〵はたらいてをられ
ます。みなさんもおとうさんやにいさんの
ような強い心を持たなければなりません。」
と言つて、話を終へました。
第二十八 恩知らずの兵士
The Ungrateful Soldier.

≪p093≫
サー、ヒリップ、シドニーの
時から、まる百年とたゝ
ないころ、スウェーデン人
とデンマーク人の間に
軍がありました。ある日
大會戰があつて、スウェー
デン人はやぶられて、戰
場からおひはらはれま
した。わづかのきずをう
Not quite a hundred
years after the time of
Sir Philip Sidney there
was a war between
the Swedes and Danes.
One day a great battle
was fought, and the
Swedes were beaten, and
driven from the field.

≪p094≫
けてゐたデンマーク人
の一兵士が、地上にすわ
つてゐました。かれは水
とうから一口飲まうと
したのです。にはかにだ
れかが、
「おゝ、君、ぼくに一ぱい
下さい。死にさうです
から。」
A soldier of the Danes
who had been slightly
wounded was sitting on
the ground. He was a-
bout to take a drink from
a flask. All at once he
heard some one say,――
"O sir! give me a
drink, for I am dying."

≪p095≫
と言ふ聲が聞えました。」
さう言つたのはけがを
したスウェーデン人で、ほ
んの少しはなれた地上
に、ふせつてゐました。デ
ンマーク人はすぐさま
そこへ行つて、さうして
そのたふれた敵のそば
にひざまづいて、その口
It was a wounded
Swede who spoke. He
was lying on the ground
only a little way off.
The Dane went to him
at once. He knelt down
by the side of his
fallen foe, and press-
ed the flask to his

≪p096≫
に水とうをおしつけま
した。
「お飲みなさい。ぼくよ
りも君の方がつらさ
うだから。」
と言ひました。
かれがかう言終るか、終
らないかに、スウェーデン
人はひぢで身をさゝへ
lips.
"Drink," said he, "for
thy need is greater than
mine."
Hardly had he spoken
these words, when the
Swede raised himself on
his elbow. He pulled
a pistol from his pocket,

≪p097≫
て、おき上りました。ポケッ
トからピストルを引出
して、自分をたすけよう
としてゐた人をうちま
した。たまはデンマーク
人のかたをかすつたが、
大したけがは有りませ
んでした。デンマーク人
は、
and shot at the man
who would have be-
friended him. The bullet
grazed the Dane's shoul-
der, but did not do
him much harm.

≪p098≫
「あゝ、ふとゞきものめ。
君をたすけようとし
てゐるのに、君はその
むくいにぼくをころ
さうとするのだね。そ
れならひどい目にあ
はせてやらう。ぼくは
水の有りたけ、君に上
げようと思つてゐた
"Ah, you rascal!" he
cried. "I was going
to befriend you, and
you repay me by try-
ing to kill me. Now
I will punish you. I
would have given
you all the water,
but now you shall

≪p099≫
が、今ではたゞの半分
しか上げまい。」
とさけびました。かう言
ひながら、半分を自分で
飲んで、のこりをスウェー
デン人にやりました。
デンマークの王樣がこ
の事を御聞きになつた
時、その兵士をおよびに
have only half."
And with that he
drank the half of
it, and then gave
the rest to the
Swede.
When the King
of the Danes heard
about this, he sent

≪p100≫
なつて、ありのまゝの話
をおさせになりました。
「スウェーデン人がお前
をころさうとしたの
に、お前はなぜその命
をたすけてやつたの
か。」
と、王樣がおたづねにな
りました。
for the soldier and
had him tell the story
just as it was.
"Why did you spare
the life of the Swede
after he had tried
to kill you?" ask-
ed the king.

≪p101≫
「私はどうしてもけが
をした敵をころすこ
とは出來なかつたか
らでございます。」
と、兵士は申しました。
「それではお前は貴族{きぞく}
にするねうちがある
ぞ。」
と、王樣がおほせられま
"Because, sir," said
the soldier, "I could
never kill a wounded
enemy."
"Then you deserve
to be a noble man,"
said the king. And
he rewarded him by

≪p102≫
した。さうしてほうびと
して、この兵士をさむら
ひ分に取立てて、その上
高い位をおさづけにな
りました。
making him a knight,
and giving him a
noble title.
第二十九 しやしんを送る手紙
この間、おとうさんのたん生日に、み
んなでしやしんをとりました。一枚
さし上げます。わらつてゐるのはお

≪p103≫
とどし生れた三郎です。私どもも御
見ちがへになるほど大きくなつた
でせう。しやしんでは分りますまい
が、おとうさんはしらががふえまし
た。伯父樣・伯母樣の新しい御しやし
んをいたゞきたいと、みんなで申し
てゐます。この次の便で送つて下さ
い。
十一月五日 はな

≪p104≫
伯母上樣
同じくへんじ
御しやしんを有りがたう。ひさしぶ
りで、みなさんに御目にかゝつたよ
うな氣がします。三郎さんははじめ
てですが、實にかはいらしうござい
ますね。次郎さんもお花さんもしば
らく見ない中に、大そう大きくおな
りです。お花さんはかみが大へんり

≪p105≫
つぱで、顔もだん〴〵おかあさんに
にて來ます。このしやしんで見ると、
おかあさんの小さい時分にそつく
りです。おとうさんはあひかはらず
御丈夫さうで、けつこうです。私ども
のは近ごろとつたのがありません
から、さつそくうつして御送りしま
せう。
十一月二十日 伯母より

≪p106≫
お花さま
第三十 ハタラクコトハ人ノ本分
日ガ東ノ空ニ上リマシタ。市中ノ家ノ戸ハダ
ンダンニアキマシタ。
主婦ハ臺所デ朝飯ノシタクニカヽリ、主人ハ
店ヘ出テ商用ニ取リカヽリマス。町ハ次第ニ
人通リガ多クナツテ、車モ通ルシ、馬モ通リマ
ス。新聞ヤハ新聞ヲ、牛乳ヤハ牛乳ヲ、家々ニク
バツテ歩キマス。

≪p107≫
大工ハノコギリ、石ヤハノミ、カヂヤハツチ、仕
立ヤハハリ、ソレ〴〵ノドウグヲ持ツテ、メイ
メイノ仕事ニカヽリマス。漁夫ハアミヲ持ツ
テ海ヘ出、農夫ハクハヲカツイデ野ヘ出マス。」
學校ハモウ始リマシタ。役所デモ、會社デモ、一
同ソロツテ事務ニ取リカヽリマス。
人ノ職業ニハ色々アツテ、ミナメイ〳〵ノ仕
事ヲシテ、毎日ハタライテヰルノデス。ハタラ
カナケレバ、食物モ買ハレナイシ、着物モ得ラ

≪p108≫
レマセン。人ノ仕合ハミナ自分ノハタラキデ
産出ス外ハアリマセン。何モシナイデアソン
デヰルノハ、樂ナヨウニ見エルガ、カヘツテ苦
シイモノデス。ハタラクコトハ人ノ本分デア
リマス。
第三十一 白すゞめ (一)
むかしある所に、畑もたくさんもち、牛もたく
さんかつて、何不足なくくらしてゐた農夫が
ありました。はじめは近所の人にもうらやま

≪p109≫
れるほどの身代でしたが、牛もだん〳〵へり、
畑の取高も年々少くなつて、五六年の中に、よ
ほど身代をへらしました。親類や友だちは大
そう心ぱいして、どうしたらよいかと、色々か
んがへました。
ある日一人の友だちは、この農夫と野原の草
の上にすわつて、色々な話をしましたが、そこ
らに飛んでゐるすゞめを見て、すゞめといふ
ものはよくふえるもので、作物をあらすもの

≪p110≫
だといふことを話しました。農夫は之を聞い
て、近年むぎの取高の少いのは、このすゞめの
せいではあるまいかと思ひました。
友だちは、ふと思ひ出したように、
「それはさうと、君は白いすゞめを見たこと
があるか。」
「いや、見たことがない。白いすゞめが本とう
にゐるのか。」
と、ふしぎさうに問ひかへしました。友だちは

≪p111≫
答へて、
「をるそうだ。さうしてそれをつかまへると、
大へんに仕合がよくなるといふが、毎年一
羽づつしか出て來ない。もし外のすゞめが
見つけると、よつてたかつていぢめるから、
毎朝早くゑをさがしに出て、すぐかへつて
しまふさうだ。」
農夫は此の話を聞いて、それはめづらしい。ど
うかして其のすゞめをつかまへて見たいと

≪p112≫
思ひました。
第三十二 白すゞめ (二)
次の朝、農夫は早くからおきて、もしや白すゞ
めがゐはしまいかと、やしき中を見まはつて、
野原の方までも行つて見ましたが、見つかり
ません。かへつて來ると、家は戸がまだしまつ
てゐて、だれもおきてゐる樣子がありません。
日はもう高く上つてゐます。牛小やの牛はし
きりにないてゐるのに、だれも草をやるもの

≪p113≫
がありません。
其の中に下男がむぎだわらをかついで、裏門
から出て來ました。どこへ行くかと見てゐる
と、酒やの方へ行きます。此の男は酒やに酒代
の借があるので、其のかたにむぎを持つて行
かうとするのです。農夫はおどろいて、取りも
どしました。
取りもどしてかへつて來ると、下女がばけつ
をさげて、牛小やから出て來ました。何をする

≪p114≫
かと氣をつけて見ると、
となりの家の方へ行き
ます。此の下女は毎朝主
人の目をかすめて、牛乳
を賣つてゐたのです。農
夫ははらを立てて、其のば
けつを引つたくりました。
「なるほど、これではいけ
ない。」

≪p115≫
と、すぐ家の中へがけこんで、まだねてゐた妻
をおこして、
「朝ねほどそんなものはない。朝ねをしてゐ
る間に、身代がへつて行くのだ。」
と言つて、今見たことをすつかり話して聞か
せました。
其の後は毎朝早くおきて、下男や下女は早く
から畑へ出してはたらかせ、自分はどうかし
て白すゞめを見つけようと、たづねまはりま

≪p116≫
した。
二三週間もたづねたが、白すゞめは見つかり
ません。其の中にすゞめのことはわすれてし
まつて、身代を取りかへすことばかり心がけ
るようになつて、夜も晝もよくはたらきまし
た。
四五ケ月たつてから、前の友だちが來て、
「どうだ、白すゞめは見つかつたか。」
と、わらひながらたづねました。農夫は

≪p117≫
「おかげで目がさめた。御恩は一生わすれな
い。」
と言つて、かたく友だちの手をにぎりしめま
した。
第三十三 加藤清正{かとうきよまさ}
加藤清正は豐臣秀吉{とよとみひでよし}の親類で、小さい時から
秀吉にそだてられて、度々の戰にいつでもて
がらをあらはしました。それで後には肥後{ひご}國
熊本の城主となつた人です。

≪p118≫
秀吉が朝鮮{ちようせん}を討つた時、清正は一方の大將で
ございましたが、朝鮮人はどの大將よりも清
正をこはがりました。ある時の戰に、清正はと
うとう朝鮮の王
子二人をいけど
りにしました。し
かしていねいに
取りあつかはせ
て、少しも不自由

≪p119≫
のないようにいたはらせました。後で王子を
朝鮮王へかへしました時、清正の取りあつか
ひの善かつたのを聞いて、王も人民もみな大
そう喜んださうでございます。
清正のてがらをねたんで、惡く言つた者があ
りましたので、秀吉は其の言を信じて、一時は
目通りをゆるしませんでした。ちようど其の
ころ大ぢしんがあつて、秀吉のゐた伏見{ふしみ}城も
ぢしんのためにたふれさうになりました。之

≪p120≫
を聞いた清正は心ぱいでたまりません、自分
がおしこめられてゐるのもわすれて、伏見の
城へかけつけました。さうして秀吉のぶじな
顔を見て、喜んでなきました。秀吉も清正の美
しい心に感じて、自分のうたがひをはらしま
した。
強いばかりが武人ではありません。むかしか
ら名將といはれた人々は、みなやさしい美し
い心があつたのです。

≪p121≫
第三十四 ナイチンゲール
ナイチンゲールはイギリスの大地主の娘で、
今からおよそ百年前に生れた人です。父はな
さけ深い人でありました。ナイチンゲールも
父ににて、小さい時分から、なさけ深い心を持
つてゐました。父の所有地に貧しい人がすん
でゐましたが、ナイチンゲールはそれらの人
を手つだつてやつたり、なぐさめてやつたり
しました。大きくなつてからは病院を見まつ

≪p122≫
たり、ろうやをたづねたりして、不幸な人々を
なぐさめるのを何よりの樂みとしました。
そのころの病院の看護{かんご}婦はいやしい心や行
のものが多うございました。ナイチンゲール
はどうかして之をよくしようと思ひ立ちま
した。そこでドイツやフランスの病院に、十年
の間も苦しいつとめをして、自分がまづ看護
の仕方をおぼえました。
ナイチンゲールが三十三の時、イギリス・フラ

≪p123≫
ンスとロシヤの間に戰爭がおこりました。戰
爭がはげしいのと、氣候が惡いので、死人や、け
が人や、病人が大へんな數です。
之を聞いて、ナイチンゲールは四十二人の婦
人で看護婦たいをつくり、其のかしらとなつ
て、はる〴〵と戰地の病院へまゐりました。
病院はへやもろうかも病兵で一ぱいでした。
ナイチンゲールは夜も晝も、母のような心で、
病兵をなぐさめたり、はげましたりしました。

≪p124≫
死にかゝつてゐる者でも、ナイチンゲールの
けだかい、やさしいすがたを見ると、苦みをわ
すれて、ありがたなみだをながしたといふこ
とです。
戰爭がすんで、ナイチンゲールがイギリスに
かへつた時、其の行に感じた人たちは、たくさ
んの金をあつめておくらうとしましたが、ナ
イチンゲールは其の金は自分でうけず、其の
金でりつぱな看護婦れんしう所をたてるこ

≪p125≫
とにしました。
みなさんは赤十字社のことについて聞いた
ことがありますか。赤十字社の出來るように
なつたのも、人がナイチンゲールの仕事に感
心したからです。ナイチンゲールの善い行が、
其のもととなつたのです。
第三十五 かぢや
私の近所に年よりのかぢやがありました。色
が黒くて、目が光つて、ちよつと見ると、おそろ

≪p126≫
しいが、氣立のやさしい人でございました。
「トンテンカン、トンテンカン。」と、毎朝早くから
弟子をあひ手につちをうつ音が、しづかな村
中にひゞきわたりました。日曜に教會へ行く
外、休んだことはありません。女の子があつて、
私と友だちでございましたから、あそびに行
つて、時々仕事場の前に立つて見ました。ある
時はかまをきたへてゐました。またくはをう
つてゐることもありました。私の家ですきの

≪p127≫
さきがかけた時、つくろひをたのんだことが
ありましたが、あくる日すぐにこしらへてく
れました。どんな暑い日でも、あせみどろにな
つて、はたらいてゐました。仕事をしながら、私
に色々おもしろい話をしたこともあります。」
教會へ行く時は、女の子をつれて行きました。
女の子は母が無かつたので、大そう父になつ
いてゐました。私もよく一所に行きました。
いつも丈夫さうな年よりでしたが、二年前に

≪p128≫
死んでしまひました。其の時分までよそへ奉
公に行つてゐたわかいむすこが、今では其の
あとをついで、朝からばんまでかはらずに、「ト
ンテンカン、トンテンカン。」とはたらいてゐま
す。
第三十六 日本の花ごよみ
年のはじめの福壽草{ふくじゆそう}、
黄金{こがね}の色の暖く、
つゞいてかをる梅がかに、

≪p129≫
うぐひす
なかぬ
里も無し
ひなの祭のもゝの花
ほころびそめて、山々の
さくらもさけば、なし・すもゝ
みな一時に紅白の
花のながめの
うるはしさ。

≪p130≫
野べも山べも新緑の
風に藤波さわぐ時、
池水にほふかきつばた。
かきねにからむ朝顔の
さきかはりつゝいさぎよく、
にごりにしまぬ白蓮{びやくれん}の
まき葉をもるゝつゆ凉し。
夕ぐれにさく月見草、
月見のころも近づけば、

≪p131≫
はぎのうねりにやどるたま、
ききやう・かるかや・をみなへし、
秋の花草多けれど、
中にも君の千代八千代
祝ふや菊の花の宴{えん}。
いつしか木々もうらがれて、
さびしきにはのさざん花や、
北風寒きやぶかげに、
びはの花さく年のくれ。

≪p132≫
第三十七 マツチ
マツチハ一ツヽミ五仙グラヰナレバ、一弗ニ
テハ二十ツヽミアマリモ買ヒ得ラル。カクノ
ゴトク安キモノニテ、カクノゴトク便利ナル
モノハ少カルベシ。ワレラハ平生マツチヲ用
ヒナレタレバ、サホドニ思ハザレドモ、此ノ物
無カリシムカシヲ思ヘバ、今サラニ其ノ便利
ナルニオドロカルヽナリ。
マツチヲ造ルニハ、ナカ〳〵ニ手數ノカヽル

≪p133≫
モノナリ。マヅ木材ヲ切リテ、湯氣ニテムシ、ケ
ヅリテウス板トシ、細クキザミテジク木トシ、
火ニカワカシタル後、藥ヲツケ、其ノカタマル
ヲ待チテ、箱ニ入ル。箱ハウスキ木ギレニ紙ヲ
ハリテ造リ、外ガハニ藥ヲヌル。
此ラノ手數ヲ思ハバ、一本ノマツチモソマツ
ニハツカフベカラズ。
マツチハ今ヨリオヨソ百年前、ヨーロッパ人ノ
ハツメイシタルモノナリ。日本ニテモ、ハジメ

≪p134≫
ハ輸入品ヲ用ヒタリシガ、四十年ホド前ヨリ
之ヲ造リ始メ、今日ニテハ外國へ輸出スルモ
ノノミニテモ、一年間一千万圓ノ金高ヲコエ、
重ナル輸出品ノ一ツトナレリ。
第三十八 山田長政{やまだながまさ}
今からおよそ三百年前に、駿河{するが}國に山田長政
といふ人がありました。生れつき大たんで、劔
術や兵學を學びました。ある年|長崎{ながさき}へ行つて、
そこから暹羅{しやむ}の國へわたりました。

≪p135≫
暹羅には日本人がたくさんゐて、日本町が出
來てゐました。ある時國王の弟がむほんした
ので、國王は長政を大將として、之をしづめる
ようにとたのみました。長政は日本人の中か
ら兵をつのつて、苦もなく之を平げました。後
また暹羅の領地の六昆{りごる}の王が、國王にそむい
た時も、長政は之を平げました。國王は喜んで、
長政を六昆の王にして、王女をめあはせまし
た。

≪p136≫
國王が日本の將軍へ使
をおくつたことがあり
ましたが、長政も使者に
ことづけて、めづらしい
物の數々をけんじよう
しました。
ある年、駿河國の漁夫が
しけにあつて、暹羅へな
がれ着きましたが、長政

≪p137≫
は親切にもてなして、漁夫が日本へかへるを
りには、軍かんの畫をがくにして、自分の生れ
た村の淺間{せんげん}神社に奉るようにとことづけま
した。
長政は暹羅で死にました。
第三十九 一日
(一)
朝の氣こもる森の中、
さへづるマイナ聲高く、

≪p138≫
花のか送る凉風に、
枝をこぼるゝつゆの玉、
(二)
サボテンの木のはてもなく、
岡よりつゞく雲の峯、
緑おほへるバンヤンの
かげに休らふ人と牛。
(三)
きびのはたけに日はおちて、

≪p139≫
夕立の雨一しきり、
晴るゝ雲間に月見えて、
空にかゞやく夜のにじ。
第四十 四十七士 (一)
日本人がいく度でも喜んで聞くのは、赤穗{あかほ}四
十七士の話です。
今から二百年ばかり前のむかし、播磨{はりま}國赤穗
に淺野|長矩{ながのり}といふ殿樣がありました。ある年
の正月、江戸{えど}の城中で、吉良義央{きらよしなか}にはぢしめら

≪p140≫
れ、くわつと腹立ち、刀をぬいて、義央にきりつ
け、みけんにきずを負はせました。其のため、長
矩は切腹させられた上、領地を取上げられる
ことになりましたが、義央には何のとがめも
ありませんでした。
此の事が赤穗につたはつた時、淺野家の武士
のおどろきは一方ではありません。一同城中
にあつまつて、色々そうだんをしました。わか
い武士には、城をうけとりに來る將軍の役人

≪p141≫
を敵にして、力のつゞくまで戰つて、討死しよ
うと言ふ者が多うございました。しかし家老
の大石|良雄{よしを}は人々をなだめて、おとなしく城
をあけわたすことにしました。世間の人は、さ
ても赤穗武士のこしぬけよと、一時の笑草に
いたしました。
良雄は主君のかたきを討つて、其のうらみを
はらさねばならぬと、早くから決心したので
す。それでひそかになかまの者とかたらつて、

≪p142≫
時を待つてゐました。それからの良雄らの苦
心は一通りではありませんでした。吉良の方
でも、うす〳〵良雄らのもくろみをさつしま
したから、用心に用心を重ねて、良雄らの樣子
をさぐつてゐます。良雄はそれを知つたから、
わざとあそびにふけつて、敵をゆだんさせま
した。
其の年も空しくくれました。其の中になかま
の者もだん〳〵少くなつて、とう〳〵四十七

≪p143≫
人になりました。四十七人の心は金鐵のよう
にかたく、ねてもさめても、かたきを討つ工夫
をこらしてゐました。
第四十一 四十七士 (二)
次の年の十二月十四日、万事のつごうを見て、
いよ〳〵今夜討入ときめました。十四日は主
君の命日です。雪は小やみなくふつてゐます。
夜中ごろ、四十七人一同、吉良のやしきへおし
よせました。いづれも身輕ないでたちで、表門

≪p144≫
と裏門から討入りました。
「われら淺野家の家來、吉
良殿の首をいたゞくた
めにまかりこした。ふせ
がうと思ふ者は出てふ
せげ。手むかひせぬ者は
かまひはせぬ。」
と、大聲にさけびました。
義央の家來はおどろきあ

≪p145≫
わてて、ふせぎ戰ひましたが、あるひは討たれ、
あるひはにげて、もはや手むかふ者はありま
せん。
ねまにはいつたが、義央のすがたは見えませ
ん。手をふとんにあてて見ると、まだ暖みがの
こつてゐます。之を力にさがしまはると、炭べ
やの中に、白いねまきを着た老人がゐました。
名乘れと言つたが、答へません。一人はやりで
つき、一人は刀で切りました。よく見ると、ひた

≪p146≫
ひに古い刀きずがあります。さてこそ義央で
あつたと、此の時の義士らの喜はたとへよう
がありませんでした。
一同其の首をたづさへて、淺野家のお寺の泉
岳{せんがく}寺へ引上げました。さうしてかたきの首を
主君の墓にさゝげて良雄からじゆん〳〵に
をがんで、首尾よくかたきを討つたことをつ
げました。
此の事はすぐに江戸中のひようばんとなつ

≪p147≫
て、前にこしぬけと笑つた人も、みな其の忠義
に感心しました。
四十七士の忠義をほめる聲は日本國中にひ
ろがりましたが、國法をやぶつたつみはのが
れません。あくる年の二月、一同は切腹を命ぜ
られました。四十七人の中、一番の年下は良雄
の子|主税{ちから}で、其の時十六でございました。
第四十二 鳥
わし・たか・とびなどのように、大空を飛びまは

≪p148≫
る鳥や、つる・がん・つばめな
どのように、氣候によつて
すむ所をかへる鳥は、すべ
てつばさが大きうございます。
にはとりやあひるなどは高く
飛ばないから、つ
ばさが小さうご
ざいます。
つる・さぎ・くひななど水の中を

≪p149≫
歩く鳥は、はぎが長うござ
います。陸上にゐる鳥で、は
ぎの長いのは駝鳥{だちよう}です。駝
鳥は鳥類の中で一番大き
くて、卵も子どもの頭ほど
あります。はしることは馬
よりも早いが、空を飛ばな
いから、つばさは小さう
ございます。

≪p150≫
はぎの長い鳥は首も長く、首の長
い鳥は大ていくちばしも長うご
ざいます。しかしかはせみははぎ
も首も短くて、くちばしばかりが
長いし、駝鳥ははぎも首も長くて、
くちばしだけが短うご
ざいます。
水鳥のくちばしは平たく
てさきがまるく、陸鳥のく

≪p151≫
ちばしはまるく細くて、さきがとがつてゐま
す。わし・たか・とびなどは上のくちばしが下の
よりもするどくて、少し太うございます。いす
かのくちばしは上のと下のがくひちがつて
ゐます。
目のおそろしいのは
わし・たかの類で、目の
大きいのはふくろふ・
みゝづくなどです。

≪p152≫
尾の短いのは
かはせみ・あ
ひるなどで、
長いのはき
じ・山鳥・くじや
くなどです。くじ
やくは時々じまんさうに、其の美しい尾をひ
ろげて見せます。
第四十三 胃{イ}ト身體

≪p153≫
アル時、口・耳・目・手・足ラ一同申シ合セテ、胃ニム
カツテ言フヤウ、
「ワレラハツネニイソガシクハタラケルニ、
君ハタヾ坐シテ食フノミニテ、少シモワレ
ラニムクユル所ナシ。ワレラ一同申シ合セ
テ、今日ヨリハタラカザレバ、サヨウ心得ラ
レタシ。」
トテ、コレヨリ後ハ、耳ハ食事ノ知ラセヲ聞キ
テモ知ラヌ風ヲシ、目ハ食物ヲ見テモ見ヌフ

≪p154≫
リヲシ、手ハ食物ヲ口ニ入ルヽコトヲ止メ、足
ハ食堂ヘ行クコトヲ止メタリ。
カクテ二三日ヲスゴセシニ、耳鳴り、目暗ミ、手
足ナエテ、動クコトカナハズ、顔ノ色モ青ザメ
テ、身體ハマツタク力ナキニイタレリ。此ノ時
胃ハ一同ニムカツテ言フヤウ、
「君ラハ知ラズヤ、ワレハタヾ坐シテ食フ者
ニアラズ。ワガ職分ハ食物ヲコナシテ、之ヲ
血ノ製造場へ送ルニアリ。ワレモシ食物ヲ

≪p155≫
コナスコトナクバ、身體ヲヤシナフ血ハイ
カニシテ得ラルベキ。君ラハワレヲ苦シメ
ントシテ、此ノ數日間、少シモ食物ヲ送ラザ
リシユヱ、新シキ血出來ズシテ、君ラハカヘ
ツテ自ラ苦シムニイタレリ。コレ君ラノ自
ラナセル所ナリ。君ラハ今ニシテ其ノアヤ
マレルヲサトレルナラン。君ラモシワレニ
食物ヲ送ルタメニハタラキタリト言ハバ、
ワレモマタ君ラヲヤシナフタメニツトメ

≪p156≫
タリト言ハン。今ヨリ後ハ、タガヒニ親シミ
合ヒテクラスベシ。世ハスベテ相持ナリ。」
ト言フニ、手・足・口・耳・目ラ一同、ナルホドト感心
セリ。
第四十四 フランクリン
貧しい家から身を立てたベンジャミン、フラン
クリンは、學者としても、政治家としても、愛國
家としても、名高い人ですが、徳行家としても、
世人の手本となるべき人です。

≪p157≫
フランクリンはきそく正し
い生活を送るように、次のよ
うな時間わりをさだめて、毎
日よく之をまもりました。
朝は五時におきて、八時までに、まづ其の日
の仕事をさだめ、また前の日よりのけんき
うをつゞけて、朝食を食ふ。
八時より正午までは仕事をつゞけ、正午よ
り午後二時まで讀書。金錢の出入をしらべ

≪p158≫
て、晝飯をしたゝむ。
二時より六時まで、ふたゝび業務に取りか
かり、六時より十時までの間に、万事をせい
とんして、夕飯。
夕飯後、音樂|遊戲{いうぎ}・談話などに時をすごし、其
の日行ひたる事の善惡をかんがへて、十時
眠につく。
職業のつごうによつては、毎日の時間をきめ
ておかれぬ場合もありますが、なるべくはき

≪p159≫
まりをよくしておくのが、のぞましうござい
ます。
第四十五 虎{トラ}ト猫{ネコ}
虎ト猫トハヨクニタル獸ナリ。
虎モ猫モアゴ短ク、首太シ。アゴ短ケレバ、物ヲ
カム力強ク、首太ケレバ、エモノヲ運ビサルニ
便ナリ。
足ハ太クシテ、力強シ。虎ノ前足ノ一ウチニテ
シカナドヲタフスコト、猫ノネズミヲトラフ

≪p160≫
ルガゴトシ。足ノサキニハ
スルドクシテマガレル爪
アリ、用ナキ時之ヲカクス
コト、虎モ猫モシカリ。
猫ノ口ニハ上下ニ二本ヅ
ツノ牙アリテ、肉
ヲサクニヨロシ。
マタ其ノ舌ニハ内方ニムカツテハ
エタル太キ毛ノゴトキトゲアリ、骨

≪p161≫
ニツキタル肉ヲ食取ルニ便ナリ。虎モマタ同
ジ。
虎モ猫モ足ノ裏ヤハラカナレバ、歩ム時音ヲ
立テズシテ、シヅカニ外ノ獸ニ近ヨリ、飛ビツ
キテ之ヲトラフ。虎モマタ猫ノゴトク、ヨク木
ニヨヂ上ルコトヲ得。
此ノ外目・鼻・耳ノ形ヨリ、尾ノ長ク、ヒゲノ太キ
マデ、相ニタル所ハナハダ多シ。タヾ猫ノ毛色
ニハ黒・白・三毛ナド樣々アレド、虎ハ一樣ナリ。

≪p162≫
猫ノ中ニモ其ノ毛色虎ニニタルモノアリ、之
ヲ虎猫トイフ。
第四十六 世界一週 (一)
ホノルルの港を發して、東へ進み行かば、およ
そ六七日の後、アメリカ大陸に着くべし。アメ
リカ大陸は北アメリカと南アメリカとに分
れ、北アメリカには布哇{はわい}の本國なるアメリカ
合衆{がつしう}國あり、農業・工業・商業ともに盛にして、國
はなはだゆたかなり。四十八|州{しう}に分れて、首府

≪p163≫
はワシントンなり。商業のもつとも盛なる都
會はニューヨークにして、今は人口五百万を數
ふ。其の外、ボストン・シカゴ・フィラデルフィヤなど、
有名なる都市少からず。
ニューヨークより汽船に乘りて、大西洋を東へ
進めば、一週日の後、イギリス國の港に着く。
イギリスは日本のごとき島國にして、商業も
工業も盛に、海軍強く、商船多し。首府はロンド
ンにして、世界第一の廣き都なり。

≪p164≫
ヨーロッパ大陸に
は、フランス・ドイ
ツ・イタリヤ・オー
ストリヤ・ロシヤ
などの國々あり。」
フランスは海を
へだてて、イギリ
スの南にあり、早
くより工藝・美術

≪p165≫
の發達したる國
なり。首府をパリ
ーといひ、世界中
もつとも美しき
都なり。フランス
のとなり國にて、
其の東北にある
ドイツは學問の
よく開けたる國

≪p166≫
なり。首府をベルリンといふ。オーストリヤは
ドイツの南にありて、首府をウイエナといふ。
イタリヤは地中海につき出でたる半島國な
り。首府のローマはむかしのローマ帝國の都
として名高し。
ロシヤはヨーロッパ大陸の東方にひろがれる
國にして、其の領地はなはだ廣く、アジヤ大陸
のシベリヤもまた其の一部なり。
アジヤ大陸には印度{いんど}・暹羅{しやむ}・支那{しな}などあり。アジ

≪p167≫
ヤ大陸の西、ヨーロッパ大陸の南にある大陸を
アフリカといふ。
ヨーロッパよりシベリヤ鐵道にて東方へむか
へば、二週間あまりにて日本に着く。
さて日本より太平洋を東へむかつて航海す
ること、十日ばかりにて、ふたゝび布哇にかへ
ることを得べし。
かくのごとく布哇を出で、海をこえ、陸をこえ、
東へ東へと進めば、また元の布哇にかへり來

≪p168≫
る。西へ西へと進むもまた同じ。これ世界のま
るきがためにして、もし平たき物ならば、行け
ば行くほど、出發地に遠ざかるべきはずなる
べし。
第四十七 世界一週 (二)
われらのすむ世界はまるきものゆゑ、名づけ
て地球といふ。地球の表面のおよそ三分の二
は海にして、三分の一は陸なり。
地球を南北の兩半球に分てば、北半球は南半

≪p169≫
球よりも陸地多し。北半球と南半球とは氣候
まつたく相反し、北半球の夏は南半球の冬な
り。北半球にて百花さきみだれて、てふの飛ぶ
春は、南半球にては木の葉ちりしきて、蟲の鳴
く秋なり。
北極・南極に近き地方にては、半年は晝にして、
半年は夜なる所あり。かゝる所にては氣候つ
ねに寒冷にして、美しき花木を見ることあた
はず。ある土人のごときは、氷を以て家を造り

≪p170≫
てすめり。
また世界の中には、布哇のごとく、年中夏の氣
候にして暑く、氷雪を知らざる國あり。
地球上にすむ人類は十六億ありて、其の人種
はさま〴〵なり。ヨーロッパ人は大むね皮膚{ひふ}白
く、髮{かみ}赤く、目の色青し。アフリカ人は皮膚黒く、
髮ちゞれたり。日本人は髮も黒く、目も黒く、皮
膚の色は黄なり。
第四十八 布哇{はわい}

≪p171≫
東洋の國々より北アメリカ、または南アメリ
カにいたらんとするものは、布哇に立ちよる
をつねとす。
布哇には良港ホノルルあり。其のおだやかな
る氣候と、うるはしき風光とによりて、「太平洋
上の樂園。」とよばるゝのみならず、世界の海運
上大切なる地として、「太平洋のかぎ。」ともいは
る。近年パナマ運河{うんが}の開通せしより、船の出入
いよ〳〵しげく、太平洋上の十字街たる觀あ

≪p172≫
り。
布哇はハワイ・マウイ・
オアフ・カウアイ・モロ
カイ・ラナイ・ニハウ・カ
ホウライの八島と、其
の外多くの小島とよ
りなり、北西より南東
につらなりて、一千六
百|浬{まいる}の長さにわたれ

≪p173≫
り。
一千七百七十八年イギリス人キャプテンクック、
始めて此の島々を發見せしより、各國よりう
つりすむ者、次第に多く、今は人口二十二万を
こえ、其の中日本人は九万人の多きに上れり。」
島々には草木よくしげりて、果實多く實のれ
り。土地は耕作{こうさく}に適して、農業すこぶる盛なり。
中にもさとうきびの生産もつとも多く、製糖{せいとう}
業のとゝのへること、世界第一と稱す。其の外

≪p174≫
商業・工業・漁業いづれもみな盛なり。
ホノルルより横濱{よこはま}までは三千四百浬、サンフ
ランシスコまでは二千一百浬、マニラまでは
四千七百浬なり。
第四十九 わしんとん祭ト中央太平洋
祝祭
毎年二月二十二日ハぢょーぢ、わしんとんノタ
ン生日ヲ記念スル國祭日デ、國父祭トモイヒ
マス。わしんとんハあめりか合衆{ガツシウ}國第一代ノ

≪p175≫
大統領デ、此ノ國ノ父デス。此ノ日ハドノ家ニ
モ國旗{コツキ}ヲ立テ、わしんとんノ像ヲカザリ、家業
ヲ休ンデ祝ヒマス。
ほのるるデハ此ノわしんとん祭ノ前後一週
間、中央太平洋祝祭トイフ大ジカケノ御祭ガ
行ハレマス。市中ニハ色々ノ美シイカザリガ
出來テ、樣々ノ餘興{ヨキヨウ}ヲモヨホシマス。一番オモ
シロイノハ花行列トチヨウチン行列デス。
花行列ハソレ〴〵メヅラシイ思ヒツキデ美

≪p176≫
シクカザツタ百臺カラノ自動車ガ、行列ヲシ
マス。コレニハ布哇{ハワイ}ニヲル各國ノ人ガ加リマ
ス。
チヨウチン行列ハ日本人バカリデスルノデ
スガ、一万人以上モ出マスカラ、大ソウナニギ
ヤカサデス。市中ガマルデ火ノ海ノヨウニ見
エマス。
布哇ハ二月デモ暖デスカラ、大陸ノ方カラア
ソビカタ〴〵、此ノ御祭ヲ見ニ來ル者ガ、毎年

≪p177≫
何千人トアリマス。
第五十 勢至{せいし}丸
七百年のむかし、美作{みまさか}國に漆間{うるま}時國・明石定明{あかしさだあきら}
といふ二人の武士がありました。どういふも
のか、此の二人はたがひに中が惡く、家來の者
どもも、つねににらみ合つてゐました。
ある夜、定明は手兵數十人を引きつれて、ふい
に漆間方へおしよせました。をり惡く、時國の
家には一人の家來もゐませんでした。時國一

≪p178≫
人、太刀をぬいてふせぎましたが、多ぜいに無
ぜいで、多くのきずをうけました。其の時、どこ
からともなく、一つの矢が飛んで來て、定明の
みけんにあたりました。定明の家來は、大いそ
ぎで定明をたすけながら、引上げてしまひま
した。
此の矢をいたのは、其の時わづかに九つの勢
至丸でございました。勢至丸は時國の子で、此
の夜のさわぎに、母とともにやぶの中にかく

≪p179≫
れてゐましたが、見るに見かねて、小弓を取つ
て、父をすくつたのでございます。
敵が引上げたのを見て、勢至丸は母とともに
父をかいほうしました。勢至丸はなきながら、
「おとうさん、今夜の敵はよく見おぼえてお
きましたから、御安心なさい。私がきつとか
たきを取ります。」
と言ひますと、時國は
「だれか。」

≪p180≫
と問ひますので、勢至丸は
「明石定明でございます。私が手を負はせま
した。」
と、やぶの中から矢をはなつたことを物がた
りました。
時國は之を聞いて、
「いや〳〵、汝が彼をかたきとねらふならば、
彼の子がまた汝をかたきとねらふであら
う。さういふように、血で血をあらふようで

≪p181≫
は、いつまでもはてしが無い。かならずかた
きを討つことは思ひ止つてくれよ。」
と言ひました。
定明はとう〳〵其の矢きずで死にました。時
國は之を聞くと、
「見よ、勝ちほこつた者も、汝の矢にあたつて、
とう〳〵たふれた。もろいものは人の命で
ある。汝は何とぞ僧となつて、父を始め、敵の
後をもねんごろにとぶらひくれよ。」

≪p182≫
と、くりかへし〳〵言つて死にました。
勢至丸は父の言葉に感じ、僧となつて、深く佛
道ををさめて、多くの人々をすくはうと決心
しました。これが後に淨土{じようど}宗を開いた源空{げんくう}上
人でございます。
第五十一 ふくろふの恩がへし (一)
むかしホノルルに、カポイといつて、年をとつ
た貧しい農夫がゐました。そまつな家にすん
でゐたので、大雨の時にはやねから雨がもり

≪p183≫
ました。ある日、やねをふく材料を取らうと、野
へ出ました。あちこちで、あしやかやなどを取
つてゐると、しげつた草むらの中に、鳥の卵を
七つ見つけました。「これでばん飯のおかずが
出來た。」と喜んで、それをふところへしまつて
かへりました。
カポイはさつそく其の卵を一つ一つ木の葉
につゝんで、あつばひの中へ入れて、やかうと
しました。其の時どこから飛んで來たのか、一

≪p184≫
羽のふくろふが垣根{かきね}にとまつて、圓い大きな
目を光らして、
「おゝ、カポイさん、どうか其の卵を返して下
さい。それは私のです。」
と言ひました。カポイはびつくりして、ふくろ
ふの方をふり返つて、
「何だ、お前の卵なら、幾つあつたか、言つて見
よ。」
「七つです。」

≪p185≫
「さうだ。しかしこれは私どもが食べるのだ。」
と言つて、カポイは中々返しさうにもござい
ません。ふくろふは目になみだを一ぱいため
て、
「どうぞ返して下さい。」
と、またたのみました。カポイもしまひにはか
はいさうになつて、
「よし〳〵、それほどまでに卵がほしいなら、
返して上げよう。さあ、持つて行け。」

≪p186≫
と言つて、七つとも返しました。ふくろふは大
そう喜んで、幾度かれいを申しました。さうし
て返る時、カポイにかう言ひました。
「カポイさん、あなたは一つ御宮をたてて、神
樣を御祭りなさい。さうすれば、きつと後の
世までもたつとばれます。」
第五十二 ふくろふの恩がへし (二)
カポイはふしぎに思ひながらも、ふくろふの
言つた通りに、御宮をたて、御祭をしました。そ

≪p187≫
こで、だれもかれもカポイの心がけをほめま
したから、其の名は遠い村々までも知れわた
りました。
此の事がワイキキの王様の耳に入りました。
王樣はカポイの名高くなつたのをねたんで、
新しいおきてを作りました。「わが人民の中に、
だれでも勝手に宮をたてて、神樣を祭る者は、
死刑にする。」といふのです。其のために、カポイ
は王の命によつて、すぐしばられて、ワイキキ

≪p188≫
のろうやにおしこめられました。さうしてカ
ネの日にいよ〳〵死刑になるといふ御ふれ
が出ました。カネの日とは月の二十七夜にあ
たる日です。
ふくろふは其の後七つの卵を大切に暖めて、
のこらずりつぱなひなにかへしました。さう
して七羽の子鳥をそれ〴〵オアフ島の外の
七つの島へうつりすませましたが、だん〳〵
一族がはんじようするので、親鳥はそれを見

≪p189≫
て喜んでゐました。
此の度カポイがカネの日に死刑にあふとい
ふことを聞いて、びつくりしました。卵を返し
てもらつた恩返しをするのは此の時だと決
心して、七つの島のふくろふどもに、一同あつ
まれと言つてやりました。ふくろふの大軍は
すぐさまあつまりましたが、親鳥はさとられ
ないように、一同を山のかげにかくしておき
ました。

≪p190≫
いよ〳〵カネの日になつて、カポイをころす
したくがとゝのへられました。親鳥は之を見
て、あひづをすると、幾千とも知れぬふくろふ
の大軍はホノルルの空一ぱいになつて、どつ
と王城へおしよせました。其のすさまじい勢
に、王の軍勢はとてもかなひません。王はおそ
れて、城のおくへかくれました。ふくろふの軍

「カポイを返せ。」

≪p191≫
とさけんで、くちばしでろうやのやねを食ひ
やぶり、中にはいつて、カポイのくさりをかみ
切つて、すくひ出しました。王はとう〳〵こう
さんして、カポイをゆるしました。其の時から、
ふくろふは神の鳥として、土人にたつとばれ
るようになつたといふことです。
第五十三 勇敢{いうかん}な水兵
煙も見えず、雲も無く、
風もおこらず、波立たず、

≪p192≫
かゞみのごとき黄海は
くもりそめたり、時の間に。
空にとゞろくいかづちか、
波にきらめくいなづまか。
煙は空を立ちこめて、
天つ光もかげ暗し。
戰今やたけなはに、
つとめつくせるますらをの
たふとき血もて、かんぱんは

≪p193≫
からくれなゐにかざられつ。
たまのくだけの飛びちりて、
數多のきずを身に負へど、
其の玉のをを勇氣もて、
つなぎとめたる水夫あり。
副艦長のすぎ行くを
いたむまなこに見とめけん、
苦しき聲をはり上げて、
彼はさけびぬ、「副長よ。」

≪p194≫
よび止められし副長は
彼のかたへにたゝずめり。
聲をしぼりて、彼は問ふ、
「まだしづまずや、定遠{ていえん}は。」
副長の目はうるほへり、
されども聲はいさましく、
「心安かれ。定遠は
戰ひがたくなしはてぬ。」
聞得し彼はうれしげに、

≪p195≫
さいごのゑみをもらしつゝ、
「いかで、かたきを討ちてよ。」と、
言ふほどもなく、息たえぬ。
御國につくすみいくさの
むかふ所に敵も無く、
日の大みはたうら〳〵と
東の海をてらすなり。
「まだしづまずや、定遠は。」
其の言の葉は短きも、

≪p196≫
御國を思ふ國民の
心に長くしるされん。
日本が支那{しな}と戰つた黄海海戰のさい中、日本
軍艦|高千穂{たかちほ}の水兵三浦虎次郎{みうらとらじろう}といふ者、敵の
だん丸にあたつて、「あゝ、ざんねん。」とさけんで、
かんぱんの上にたふれました。たま〳〵副長
がそばを行きすぎてゐるのを見て、
「副長殿。」
とよび止めました。副長は虎次郎のわきに立

≪p197≫
止りますと、虎次郎は
「まだ定遠はしづみませんか。」
と、苦しい聲をしぼつて言ひました。
「安心せよ。定遠はもう戰爭は出來なくなつ
た。」
と、副長は答へました。虎次郎は之を聞いて、
「どうぞかたきを取つて下さい。」
と言終つて、息が切れました。
今はのきはまで御國を思つたたつとい心に、

≪p198≫
副長も大そう感心しました。
第五十四 公益
公益トイフノハ、多クノ人ノタメ、世間ノタメ
ニナル事デス。自分ノ事ヲ後ニシテ、公益ヲハ
カル人ハ、タツトイ心ガケノ人デス。
ムカシ栗田定之丞{クリタサダノジヨウ}トイフ役人ガアリマシタ。
其ノ近所ノ村々デ、暴風ガ砂ヲフキ飛バシテ、
家ヤ田畑ヲウヅメルコトガ毎度アツタノデ、
定之丞ハドウカシテ之ヲフセガウト、色々工

≪p199≫
夫シマシタ。マヅ海岸ノ風ノフク方ニ、ワラタ
バヲ立テツラネテ、砂ヲフセギ、其ノ後ノ方ヘ、
ヤナギノ木ヤグミノ木ノ枝ヲサヽセマシタ。
ソレガメヲフクヨウニナツテカラ、サラニ松
ノ苗木ヲ植ヱサセマシタノデ、次第ニ大キク
ナツテ、イツカリツパナ松林ニナリマシタ。
定之丞ハ十八年ノ間、此ノ事ニホネヲリマシ
タガ、其ノタメニ風ヤ砂ノウレヘガ無クナツ
テ、田畑モ多ク開ケマシタ。此ノ地方ノ人々ハ、

≪p200≫
今日マデモ其ノ恩ヲアリガタガツテ、定之丞
ノタメニ社ヲタテテ、年々ノ御祭ヲオコタリ
マセン。
第五十五 ナポレオン (一)
ナポレオンはフランスの領地のコルシカと
いふ島に生れました。十七の時、兵學校を出て、
砲兵|少尉{しようい}になりましたが、間もなくフランス
にそう動がおこつた時、之をしづめて、其の名
をあらはしました。それから度々外國をせい

≪p201≫
ばつして、ほとんどヨー
ロッパ全土を討平げまし
た。三十五で、國民ののぞ
みによつて、帝位につき、
後イギリスに負けて、セント、ヘレナのはなれ
島にながされて、そこで死にましたが、實に古
今にまれな英雄{えいいう}です。
ある時、ナポレオンは敵をふいうちにしよう
と思つて、アルプス山をこえることにしまし

≪p202≫
た。アルプス山はイタリヤの北にそびえてゐ
る山で、高くてけはしいことはヨーロッパ第一
です。
どの道から行くのがよいかと、マレスコとい
ふ工兵の將軍にしらべさせました。マレスコ
はアルプスへ行つて、よくしらべてから、「サン、
ベルナール峠{たうげ}が大勢の軍たいを通すのに一
番よろしうございます。しかしずいぶんこん
なんな道です。」と申しました。ナポレオンはそ

≪p203≫
れを聞いて、「こんなんはかまはないが、はたし
てこえることが出來るか。」と言ひました。「出來
ると思ひます。たゞひじようのこんなんをし
のばなければなりません。」と答へました。「よし、
出發しよう。」と、ナポレオンはむぞうさに申し
ました。
此の峠で一番けはしい所は、いたゞきのサン、
ベルナールまでの上りが三里と、そこから下
りが二里の間です。此の間、雪にうづもれた細

≪p204≫
い道は、がけの上を通じてゐて、もし一歩をあ
やまると、深い谷ぞこへおちます。ことにおそ
ろしいのはなだれです。少し暖い時候になる
と、人が大聲にさけんでも、其のひゞきで、數十
町にわたる大なだれをおこすことがあるさ
うです。
ナポレオンは今四万の軍隊をひきゐて、此の
あぶない峠をこえようとするのです。ことに
六十門の大砲はどうして運んだらよいでせ

≪p205≫
う。ナポレオンは多くの人夫・らば・そり・食物な
どを十分に用意しました。
第五十六 ナポレオン (二)
五月十四日の夜中にいよ〳〵進軍を始めま
した。夜は雪がかたまつて、なだれのおそれが
少いからです。音樂隊のマーチに兵士は勇ん
で道に上りました。たゞ大砲にはこまりまし
た。一々小さく取外して、馬で運ぶことにしま
したが、砲身だけはどうすることも出來ませ

≪p206≫
ん。色々かんがへたすゑに、
山のひの木を切つて、半分
にわり、中身をくり取つて、
其の中に砲身をつゝんで、
材木の形にして、引上げる
ことにしました。始めそれ
を人夫に引かせましたが、
重いのにしりごみして、み
な中途で止めてしまひま

≪p207≫
した。そこで兵士に賞金をやつて、引上げさせ
ました。かうしてやうやくいたゞきまで引上
げて、また元のように取りつけました。
いたゞきにはサン、ベルナール寺があります。
ナポレオンはかねて兵士をよくもてなすよ
うにたのんでおいたので、兵士はこゝでつか
れを休めて、勇氣を取返すことが出來ました。」
ナポレオン自身はふもとに近いマルギーで、
全軍が通りこすのを見送りつゝ、たえずはげ

≪p208≫
ましました。「むかしハンニバルは大象のむれ
をつれて、此のアルプスをこえたことがある。
お前たちはハンニバルに負けてはならぬぞ。」
などと言つたりしました。兵士はナポレオン
のすがたを見ただけで、勇氣が百倍になるほ
どでした。
さきに上つたラン將軍の一隊は、いたゞきか
ら谷川にそつて、バールまで下つた時、思はぬ
さまたげに出合ひました。谷の中に大きな岩

≪p209≫
山がつき立つてゐて、其の上に城があるので
す。岩山の左は川、右は町で、しかも町の入口に
は丈夫な門があります。ラン將軍は兵をひき
ゐて、敵のだん丸の中を進んで、門だけはやぶ
りました。けれども大砲を運ぶことは出來さ
うにも見えませんでした。どうしてもこゝか
ら軍を後へ引きかへさなければならぬよう
でした。此の事をナポレオンに知らせました。」
そこでナポレオンは五月二十日にふもとを

≪p210≫
出發して、あくる日にバールに着きました。其
の途中で、馬からおちて、あぶないこともあり
ましたが、あんないの者にたすけられました。
ナポレオンはまづ一隊の兵にバール城をせ
めさせました。しかし敵兵のねらひうちにあ
つて、二百人がたちどころにたふされました。
さすがのナポレオンもこまりました。ところ
が幸にも一つのよいはかりごとがかんがへ
出されました。夜の間に城の下の道にわらを

≪p211≫
しきつめて、砲車のひゞきを止めて、暗にまぎ
れて通りこさうといふのです。此のはかりご
とはうまく行つて、四十門の砲車と、其のだん
藥車はやうやく運ばれました。之を引く馬は
外の細い道からこえて、バールのはるか下の
方で、車につながれました。
かうしてナポレオンの全軍はアルプスをこ
えて、イタリヤにせめ入つて、敵をさん〴〵に
うちやぶりました。

≪p212≫
これはナポレオンのアルプスごえといつて、
有名な話です。


≪附 p001≫
新出漢字表
不。丸。之。乳。事。京。仕 以 伯 位 佛 作
使 便 信 倍 借 候 像 僧 億。元。全 兩。
兵 其。冬 冷 凉。刑 列 利 副 劔。加 勇
勉 動 務 勢。卵。原。反。各 員 喜。圓。坐
城 堂 場 墓。夏。夫 央 奉。妻 婦。存。宗
客 宮 宿 寒。將。尾。岡 峯。帝。幸。幾。府。
弗。役 彼 得 御 徳。忠 念 恩 息 感 意。
戰。政 數。料。新。族。畫 景 暑 暖 暴。會。
有。材 村 果 梅 植 極 樣 橋 横。止 此。

≪附 p002≫
殿。氏。氷 汝 決 治 法 活 浮 浴 深 淺
湯。無 燈。爪 爭。牙。獸。玉 球。産。由 界。
發。益 盛。相 眠。砂 砲。社 祭。秋 稱。笑
箱。精。紅 終 統 絲 緑。義。老 者。聲 職。
腹。臣。臺。舌。航 艦。良。菊 藤 藝 藥。蟲。
術。製。親 觀。話 談。貧 賞。輸。農。返 途
週 運 達 適。部。酒。里。錢 鐵。院 陸 隊。
面。領 頭 顔 類。飯。骨 體。鳴。鼻。
讀替漢字表
二日 二十日。万 上 下 下 下手 世。丸 主。

≪附 p003≫
乘。事。以 伯母 位 佛 作 使 來 來 便。
光。入 内。冷。列 分。勇 動 勢。北。南。古
合 同 命 品 善。城 場 墓。外 外 多 夜。
大人 太刀 夫 夫 奉。始。安 宮 宮 家 寒。
寺。小。尾。島。工。幸。強。後 御 御。惡。戰。
所。手。政 數 數 數多。新。暗。書。有 朝。
植 樂 樂 樣子。止 止 歩。死。氣。氷 消
港 漁。無。父。牛 物。生 生 生 産。男。社
神 祭。空。紅 細 終 緑。美。者。聞。腹。自。
色。花 草 藥。行。表。西。見 親 親。角。言

≪附 p004≫
話 讀。豆。負 賣。赤。足 足。身。近 通 造
運 道。都。里 重。開。雨 雪。音。風。食。首。
馬。魚。鳥。黄。
熟 語 表
武人1 討死1 長子1 大君1 朝敵1 戰死2 一門2 大軍2
合戰2 平生2 不忠2 不孝2 忠義2 商用3 一類4 家業5
長男5 領分5 一間6 勉強7 大學者7 不自由7 樣々8
見事8 感心8 下手8 市街9 親類9 家内中9 帝國10 半=
島10 領土10 本土10 時候10 東洋一11 宮城11 見物12 景色12
都會12 産物13 種類13 花鳥14 山水14 人物14 家來15 一大=

≪附 p005≫
事15 見物15 名馬15 出世15 元手17 商賣17 知合17 立身17
動物18 戰場18 冷水浴20 丈夫21 古人21 世間21 仕事21 生=
物23 水面23 樣子23 赤子23 大人23 植物24 一樣24 陸上24
精神25 航海26 世界26 本國26 外洋26 出來事26 暴風雨27
方角27 大會戰28 本分30 主婦30 事務30 職業30 仕合30 不=
足31 身代31 取高31 作物31 近年31 下男32 下女32 城主33
目通33 名將33 大地主34 所有地34 不幸34 戰爭34 氣候34
氣立35 奉公35 紅白36 新緑36 便利37 手數37 木材37 輸入37
輸出37 劔術38 兵學38 使者38 數々38 親切38 凉風39 夕立39
切腹40 一同40 家老40 笑草40 主君40 決心40 苦心40 用心40

≪附 p006≫
金鐵40 工夫40 討入41 命日41 義士41 首尾41 國法41 食事43
職分43 製造場43 相持43 政治家44 愛國家44 徳行家44 生=
活44 正午44 讀書44 金錢44 業務44 首府46 有名46 都市46
工藝46 美術46 發達46 出發地46 表面47 花木47 人類47 良=
港48 風光48 樂園48 海運48 十字街48 發見48 各國48 生産48
記念49 國祭日49 行列49 手兵50 佛道50 材料51 死刑52 一=
族52 軍勢52 數多53 公益54 全土55 帝位55 古今55 大勢55
人夫55 用意55 進軍56 砲身56 中途56 全軍56


----------------------------------------------------------------------------------
底本:筑波大学附属図書館蔵本(810.7-H45-4 10014023659)
底本の出版年:大正6[1917]年2月25日印刷、大正6[1917]年2月28日発行
入力校正担当者:高田智和、堤智昭
更新履歴:
2022年8月30日公開

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