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Nihongo tokuhon, jinjōkayō [Hawai Kyōikukai, 1917 edition]

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Volume 3

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日本語読本 尋常科用 巻三 [布哇教育会第1期]

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凡例
1.頁移りは、その頁の冒頭において、頁数を≪ ≫で囲んで示した。
2.行移りは原本にしたがった。
3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
4.振り仮名が付く本文中の漢字列の始まりには|を付けた。 〔例〕十五|仙{セント}
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≪目録 p001≫
もくろく
一 天の岩戸 一
二 金色ノトビ 四
三 舟あそび 六
四 新井白石{あらゐはくせき}のべんきよう 八
五 うる 十
六 水のたび (一) 十二
七 水のたび (二) 十六
八 カピオラ二こうえん 十八
九 水ゾクカン 二十二
十 草なぎのつるぎ 二十六
十一 コヒ 三十
十二 母の手つだひ 三十三
十三 ボーイの目じるし 三十六
十四 うめぼし 三十九
十五 茶トかふぃー 四十一
十六 孝行ナムスメ 四十七
十七 どくりつさい 四十九
十八 波乘 五十二
十九 布哇{はわい}の島々 五十六
二十 クヽイ 五十八
二十一 葉書 六十
二十二 瓜 六十五
二十三 カウモリ 六十八
二十四 かのはなし 七十一
二十五 火 七十四
二十六 上杉鷹山{うへすぎようざん} 七十七
二十七 木をうゑる日 八十
二十八 シカノ水カヾミ 八十三
二十九 ひよどりごえのさかおとし (一) 八十六
三十 ひよどりごえのさかおとし (二) 九十
三十一 ほのるる 九十四
三十二 ホノルルからの手紙 九十八
三十三 えんそく 百一
三十四 太郎の日記 百五
三十五 強い子ども 百八
三十六 宇治{うぢ}川のたゝかひ 百十一
三十七 花賣 百十四
三十八 かしこい子ども 百十八
三十九 ぱいなっぷる 百二十二
四十 よいボーイ 百二十四
四十一 織物 百二十八
四十二 コトワザ 百三十一
四十三 神功皇后{じんぐうこうごう} 百三十三
四十四 人のなさけ 百三十七
四十五 熊 百四十一
四十六 古づくゑ 百四十四
四十七 港 百四十九
四十八 大阪{オホサカ} 百五十二
四十九 かぞへ歌 百五十五
五十 聖徳{しようとく}太子 百五十九
五十一 ワシントン 百六十二
五十二 火の始 (一) 百六十七
五十三 火の始 (二) 百七十一
五十四 米 百七十五

≪p001≫
一 天の岩戸
天照大神{あまてらすおほみかみ}はお心のやさしい神さまでした。
その弟にすさのをの神といふ、きのあらい
神さまがあつて、いろ〳〵わるいいたづら
をなさいました。あねの大神は、いつもそれ
をがまんしていらつしやいましたが、ある
時すさのをの神は、生きた馬の皮をはいで、
その馬を大神のはたおりばへおなげ入れ

≪p002≫
になりました。大神はおどろいて、天の岩戸
の中へおかくれになりました。
さあ大へん、今まであかるかつたせかいが
くらやみになつて、わるものがさま〴〵の
わるいことをはじめました。
神さまたちはどうかして、大神にまた出て
きていたゞきたいと、いろ〳〵そうだんの
上、天の岩戸の外へあつまつて、おかぐらを

≪p003≫
はじめました。その時あ
めのうずめのみことと
いふ女の神さまのまひ
がおもしろかつたから、
大ぜいの神さまたちは
手をたゝいてわらひま
した。
あまりにぎやかなので、

≪p004≫
大神は少しばかり戸をあけて、おのぞきに
なる所を、手力男命{たぢからをのみこと}といふ力のつよい神さ
まが、大神の手をとつて、外へお出し申しました。
これからせかい中が、またもとのとほり、あ
かるくなつたと申します。
二 金色ノトビ
日本ノ一バンハジメノ天皇ヲ神武{ジンム}天皇ト

≪p005≫
申シマス。コノ天皇
ガワルモノドモヲ
ゴセイバツニナツ
タ時、ドコカラトモ
ナク、一羽ノ金色ノ
トビガトンデキテ、天皇ノ弓ノ
サキニトマリマシタ。ソノ光ガ
キラ〳〵トカヾヤイテ、ワルモノドモハ目

≪p006≫
ヲアケテヰルコトガデキマセン。ソノ光ニ
オソレテ、ミンナニゲテ行キマシタ。
天皇ハ國中ノワルモノドモヲノコラズオ
タヒラゲニナツテ、ゴソクイノシキヲオア
ゲニナリマシタ。ソノ日ハ二月十一日ニア
タリマスカラ、キゲンセツトイツテ、毎年オ
イハヒヲスルノデゴザイマス。
三 舟あそび

≪p007≫
一二、一二、かけごゑ高く、
ちからを合せて、こげ〳〵、
ともよ。
一二、一二、こげ〳〵、ともよ。
あの島めがけて、たゆまず
こげよ。
一二、一二、それ、もうちかい。
岸べについたら、ゆつくり

≪p008≫
休まう。
一二、一二、はや、もうついた。
あちらの木かげで あそんで
行かう。
四 新井白石{あらゐはくせき}のべんきよう
新井白石は九つの年から、毎日ひるの中に
三千字、夜は一千字づつ習字をすることに
きめました。

≪p009≫
日本ではふゆは日が短くなりますから、時
時きめただけの字を書きをはらない中に、
くらくなることがございました。そのよう
な時には、つくゑを西むきのえんがはにも
ち出して書きました。また夜ねむくなつて
たまらなくなると、くんでおいた水をかぶ
つて、ねむけをさましました。このように、は
じめにきめたことを、少しもちがへずに行

≪p010≫
ひました。
白石は本を習ふのに、きまつた先生があり
ませんでしたから、ひとりで字引を引いて、
べんきようしました。それでものちにはり
つぱながくしやになりました。
五 うる
うるハ大ソウヨクノビル木デ、大キイノハ
五六丈グラヰノ高サニナリマス。ハハツヤ

≪p011≫
ノアルクロズンダミドリ色デ、二尺グラヰ
モアツテ、年中コンモリトシゲツテヰマス。」
うるノ木ハナカ〳〵クサラナイシ、マタヨ
ウイニサケマセンカラ、色々ナモノニツカ
ヒマス。皮ハクスリニナ
リ、皮カラ出ルゴムハ鳥
モチニナリマス。
うるニハサシワタシ三

≪p012≫
四寸グラヰノマルイミガナリマス。ジユク
スルト、サツマイモノヨウナニホヒガシテ、
オイシイモノデス。たひち島デハコレヲぶ
れっど、ぽいトイツテ、ゴハンノヨウニタベマ
ス。
六 水のたび (一)
私はもと雨の一しづくです。空から下りて、
山の木のはの上に休んでゐましたが、風に

≪p013≫
ふかれて、土の上へおちました。
そこで大ぜいと一しよになつて、せまい谷
へ下りました。私どものなかまは、出合ふと
すぐに一しよになるのがきまりです。
それから少しくると、高いがけの上へ出ま
した。一おもひにとび下りると、何だか目が
まはつて、しばらくの間は何も知らずにゐ
ました。きがついて見ると、人が二三人立つ

≪p014≫
て「見ごとなたきだ。」と言つて、
ながめてゐました。
だん〳〵くると、ひろい野は
らへ出ました。野はらはたひ
らですから、ゆつくりあるき
ました。鳥はたのしさうに時
時きて、羽をひたしました。魚
はうれしさうに、ういたり、し

≪p015≫
づんだりして、およいでゐま
した。
ひるはあたゝかな日にてら
され、夜はうつくしい月をう
かべながら、休なしにあるき
ました。そばをとほる人が「う
つくしい川だ。」と言つて、ほめ
ました。

≪p016≫
七 水のたび (二)
それから田やはたけの間をとほつてくる
中に、右からも、左からも、なかまがあつまつ
てきて、いよ〳〵にぎやかになりました。そ
のうち、上の方でさわがしい音のする所へ
きました。見上げると、はしがかけてあつて、
人や馬や車がたくさんとほつてゐるので
す。

≪p017≫
間もなくまちの中へはいると、りようがは
にいへがならんでゐて、人がいそがしさう
にあるいてゐます。やがて重いものが私ど
もの上へきましたから、何かとおもつたら、
にもつをつんだ船がとほつてゐたのです。
まちの中をとほる時に、きたないものをな
げつけられるのにはこまりました。けれど
も重いものはそこへしづめてしまつて、輕

≪p018≫
いものは一しよにこゝまでもつてきまし
た。
こゝへきて見ると、ひろ〴〵として、どちら
を見ても、私どものなかまばかりです。こゝ
を人が海と言ひます。
八 カピオラニこうえん
私はこのまへの日ように、おとうさんにつ
れられて、ホノルルにまゐりました。その時

≪p019≫
ホノルルのをぢさんは、
私をカピオラニこうえ
んへつれて行つて下さ
いました。
カピオラニこうえんは
ホノルルの町はづれの
ワイキキの海岸にあり
ますから、ワイキキのこ

≪p020≫
うえんとも申します。をぢさんと私はでん
しやにのつて、こうえんにつきました。
こうえんには人がたくさん出てゐました。
青い海の上を船がはしつて行くのをなが
めてゐる人もあります。こんもりとした木
の下で本をよんでゐる人もあります。私ど
もぐらゐの子どもが四五人、しば草の上で
しようかをうたつて、あそんでゐました。

≪p021≫
私はをぢさんに水ぞくかんを見せていた
だきました。それからおとなや子どもが一
しよになつて、海で水およぎをしてゐると
ころも見ました。
大きなバンヤンの木の下で休んでゐます
と、きれいな鳥が一羽きました。をぢさんに
名をきゝましたら、くじやくだとをしへて
下さいました。くじやくは美しい羽をあふ

≪p022≫
ぎのようにひろげて、あるいてゐます。少し
も人をおそれるようすがありませんでし
た。
私はかへつてから、おとうさんに、こうえん
で見てきたもののはなしをしました。
九 水ゾクカン
水ゾクカンニ行ツテ、コレマデ見タコトノ
ナイサマ〴〵ナメヅラシイ魚ヲ見マシタ。

≪p023≫
生キタ魚ガ、海ノ中ニスンデヰルトホリ、タ
ノシサウニオヨイデヰルノガ、オモシロウ
ゴザイマシタ。サウシテ何トイフ色ノ美シ
イコトデセウ、赤ヤ、青ヤ、黄色ヤ、金色ヤ、上カ
ラサシテクル日ノ光ニカヾヤイテ、ソノ美
シサハタトヘヨウガアリマセン。ドンナ上
手ナヱカキデモ、ヱノグデハ、トテモアンナ
色ハ出セマイトオモヒマシタ。

≪p024≫
白・黒・赤・黄・青ナドノ色ガタテヨ
コニ、スヂニナツタリ、モンニナ
ツタリシテ、一ツ一ツノ魚ガ、ミ
ナソレ〴〵カハツタ色ヲシテ
ヰマス。中ニハニシキノキレヲ
見ルヨウナノモアリマス。人間
ノキモノニモ、アンナニ美シイ
ノハアリマセン。

≪p025≫
カタチモ色々カハツテヰマス。
太ツタノモアリ、ヤセタノモア
リ、長イノモ、短イノモアリマス。
一バンメヅラシイトオモツタ
ノハ、きひきひトイフ魚デ、セナカノヒレガ
長ク二三寸ホドモノビテ、マルデヲノヨウ
ニヒラ〳〵シテヰマシタ。
ガラスノ戸ノ外ニ書イテアルフダヲ見テ、

≪p026≫
色々ナ魚ノ名ヲオボエマシタ。
十 草なぎのつるぎ
神武{じんむ}天皇から十二代目の天皇|景行{けいこう}天皇は、
日本武尊{やまとたけるのみこと}にいひつけて、東の方のえぞをご
せいばつになりました。尊は伊勢{いせ}へ行つて、
まづ神宮{じんぐう}におまゐりをし、それからをばさ
まのやまとひめのみことにおいとまごひ
をなさいました。その時やまとひめのみこ

≪p027≫
とは、尊に天のむらくものつるぎをおさづ
けになりました。
尊はみち〳〵わるものどもを平げて、駿河{するがの}
國までお出でになりますと、そこのぞくど
もはこうさんしたふりをして、
「このへんには、しかがたくさんゐますか
ら、かりをしてごらんなさい。」
とすゝめました。尊は

≪p028≫
「それもおもしろからう。」
と、野の中へおすゝみにな
りました。
ぞくどもはこ
れを見ると、四
方か
ら火
をつ

≪p029≫
けて、尊をやきころさうとします。尊はだま
されたのにお氣がつき、すぐさま天のむら
くものつるぎをぬいて、そのへんの草をな
ぎはらはれました。すると、ふしぎにも風の
むきがかはつて、火がぞくのゐる方へもえ
て行つて、尊はあやふいところをおのがれ
になりました。
この時から、このつるぎの名を草なぎのつ

≪p030≫
るぎと申すことになりました。
十一 コヒ
池ノ中デコヒガオヨイデヰルノヲ見タコ
トガアリマスカ。大キナコヒガ、タクサンア
ツマツテオヨイデヰルノハ、マコトニミゴ
トナモノデゴザイマス。
コヒハムカシカラ川魚ノ長トイハレテヰ
マス。ウロコガアタマカラヲマデ、リヨウガ

≪p031≫
ハニ三十六枚ヅツ、ナランデヰマス。ソノ色
ニハ黒イノモ、赤イノモ、白イノモアツテ、ミ
ナ金色ヲオビテヰマス。目ハ大キクテ、口ノ
左右ニハ太イヒゲガアリマス。
コヒハマコトニイセイノヨイ魚デ、ドンナ
ナガレノ早イ川デモ、オヨイデノボリマス。
コヒノタキ上リトイツテ、タキデモ上ルコ
トガアルサウデゴザイマス。男ノ子ノアル

≪p032≫
ウチデハ、五月ノセツクニ
コヒノフキナガシヲ立
テマス。コヒノヨウニ
ゲンキガヨク、大キ
クナツテカラハ、
コヒガタキヲ上ルヨウニ、ズンズ
ンシユツセヲセヨトイフ心デ、祝フノデゴ
ザイマス。

≪p033≫
十二 母の手つだひ
「お花や、用があるから、ちよつとお出で。」
と、母はだいどころからよびました。
お花は
「はい。」
と言ひながら、いそいで行つて見ますと、母
はながしもとで、まないたに魚をのせて、さ
しみをこしらへてゐます。

≪p034≫
母は戸だなの方をさして、
「そこにおさらがあるから、取つておくれ。」
と言ひました。
お花は戸だなの中から、一ばん大きなさら
を持つてきました。母は
「ありがたう。それからそこに切つてある
れんこんをおなべの中へ入れておくれ。」
「はい、これでございますか。」

≪p035≫
と、お花はざるの中のれんこんをなべの中
へ入れました。
「こんどは何のご用をいたしませう。」
母は
「ちよつとお待ち。」
と言つて、切つたさしみをさらの中へ入れ
ながら、
「わたしは手がなまぐさいから、おまへは

≪p036≫
あのおかまに水を入れておくれ。」
と言ひました。
お花はそのとほりにしました。
十三 ボーイの目じるし
ゐなかからにぎやかな町にきて、ボーイに
やとはれた子どもがありました。おつかひ
に出る時、主人から、
「外へ出ると、同じようないへがたくさん

≪p037≫
ならんでゐるから、目じるしをしておい
て、かへる時にまちがはないようにしな
さい。」
と言はれました。子どもは
「はい。」
と言つて、出て行きましたが、なか〳〵かへ
つてきません。主人はしんぱいになつて、さ
がしに出ました。見ると、子どもはなきなが

≪p038≫
ら、みちばたにうろ〳〵してゐます。
「どうしたのです。」
と、主人がたづねますと、子どもは
「出て行きます時、やねに鳥がとまつてゐ
ましたから、それを目じるしにしておき
ましたが、かへつて見ると、鳥がをりませ
ん。それでうちが分らなくなつたのでご
ざいます。」

≪p039≫
とこたへました。
十四 うめぼし
二月・三月花ざかり、
うぐひすないた春の日の
たのしい時もゆめのうち。
五月六月みがなれば、
枝からふるひおとされて、
きんじよの町へ持出され、

≪p040≫
何升何合はかり賣。
もとよりすつぱいこのからだ、
しほにつかつてからくなり、
しそにそまつて赤くなり、
七月・八月あついころ、
三日三ばんの土用ぼし、
おもへばつらいことばかり、
それもよのため、人のため。

≪p041≫
しわはよつてもわかい氣で、
小さい君らのなかま入、
うんどうかいにもついて行く。
ましていくさのその時は、
なくてはならぬこのわたし。
十五 茶トかふぃー
フダンニモチヒル茶ハ、茶ノ木ノ葉デコシ
ラヘマス。

≪p042≫
コヽニ茶ノ木ガアリマス。葉
ガヨクシゲツテ、下ノ方ハ枝
モ見エマセン。茶ノ木ハアタ
タカイ所ニヨクソダツ木デ、
高サハ大テイ三四尺グラヰデゴザイマス。」
私ドモノノム茶ハ、コノ木ノワカイ葉ヲツ
ンデコシラヘルノデス。五月ゴロカラツミ
ハジメテ、一バンハジメニツムノヲ一番茶

≪p043≫
トイヒマス。ソノ葉デコシラヘル茶ガ、一番
ヨイ茶ニナリマス。ソレカラ一月ホドタツ
テツムノヲ二番茶トイヒマス。マタ三番茶・
四番茶マデモツムコトガアリマスガ、ソン
ナニツムト、茶ノ木ノタメニハヨクアリマ
セン。茶ハはわいニハデキマセン。
コレハかふぃーノ木デゴザイマス。コイミド
リ色ノ葉ノアヒダニ白イ花ガサイテヰテ、

≪p044≫
大ヘンキレイニ見エ
マス。かふぃーノ木ハ、ヒ
トリデニハエタノハ
二丈グラヰノ高サニ
ナリマスガ、人ノウヱ
タノハ、アマリ高クナルト、實ヲツムノニフ
ベンデスカラ、一丈グラヰヨリノビナイヨ
ウニシマス。

≪p045≫
かふぃーハコノ木ノ實カラコシラヘルノデ
ス。かふぃーノ實ハハジメハ青イガ、ヨクジユ
クスルト、黒ミガカツタ赤色ニナリマス。實
ノ中ニハカタイツノノヨウナタネガアリ
マス。
かふぃーノ實ハジユクスル時ガキマツテヰ
マセンカラ、一年ニ三度モ四度モトルコト
ガアリマス。

≪p046≫
はわいニハジメテかふぃー園ヲコシラヘタ
ノハまてーんトイフ人デ、ソレハ今カラ九
十年アマリマヘノコトデス。
ソレカラ二三年ノチニ、いぎりすノういる
きんそんトイフ人ガ、まのあ谷ニかふぃー園
ヲコシラヘマシタ。コヽカラかりひ・ぱうお
あ・にゆーナドノ谷々ニモウツシウヱマシ
タ。ソレカラマタ一二年タツテ、まにらカラ

≪p047≫
持ツテキタ種ヲまのあ谷ニマキマシタ。
今デハドノ島ニモかふぃー園ガアツテ、六十
年アマリモタツタ木ハメヅラシクハアリ
マセン。中ニモこなノガ一番品ガヨロシウ
ゴザイマス。
十六 孝行ナムスメ
ムカシ播磨{ハリマ}ニオフサトイフ孝行ナムスメ
ガアリマシタ。家ガマヅシイタメ八ツノ時

≪p048≫
カラ、ヒルハ子モリナドニヤトハレテ、クラ
シヲタスケマシタ。夜ウチニヰル時ハ、父ガ
ゾウリヤワラヂヲコ
シラヘルソバデ、ワラ
ヲウツテ手ツダヒマ
シタ。十一ノ時カラホ
ウコウニ出マシタガ、
主人カライタヾイタ

≪p049≫
モノハ、ミンナ父母ヘオクリマシタ。マタヒ
マガアレバ、主人ノユルシヲウケテ家ヘカ
ヘリ、ネンゴロニオヤタチヲナグサメマシ
タ。
オフサハコノヨウニオヤヲ大切ニシマシ
タノデ、ヤクシヨカラゴホウビヲイタヾキ
マシタ。
十七 どくりつさい

≪p050≫
七月四日は、アメリカ人にとつては一番だ
いじな祝日です。
アメリカ人のせんぞは大ていイギリスか
らわたつてきました。そのころアメリカは
イギリスの國のものでございました。とこ
ろがイギリスがあまりかつてなことをし
ましたから、アメリカにゐた人たちは、だま
つてゐられなくなつて、ワシントンをかし

≪p051≫
らにして、イギリスの國といくさをはじめ
ました。
正しいものがいつまでもまけてゐるわけ
がありません。アメリカの人たちはとうと
ういくさにかちました。さうして
「私どもはもうイギリスの人民ではない。
アメリカ合衆國{がつしうこく}といふあたらしい國を
たてて、どくりつしたのだ。」

≪p052≫
といふことをせかいに知らせました。それ
が今から百四十年ばかりまへの七月四日
のことでございました。
毎年この日には學校がお休になり、方々に
ベースボールやフートボールなどがあつ
て、大そうにぎやかなのは、そのお祝のため
でございます。
十八 波乘

≪p053≫
島國ノはわいニ、水ニツイテノハナシガア
マリ多クナイノハ、マハリノ海ニフカガタ
クサンヰテ、海ヘ出ルコトヲ人々ガオソレ
テヰタカラデゴザイマセウ。
ケレドモ、土人ノ中ニハ半日グラヰ水ノ中
ニヰテモ、平氣ナモノガヰマス。ほのるるニ
船ガツクト、土人ノ少年ガ大ゼイデ、船ノマ
ハリヲオヨギマハリ、中ニハ船ノ上カラ海

≪p054≫
ニトビコンダリ、キヤクガナゲコム五仙・十
仙ノ金ヲ取ツテ見セタリスルモノモアリ
マス。
毎年わしんとん祭{サイ}ノ時ニ行フ水上祭モナ
カナカサカンデ、水オヨギノキヨウソウニ
ハあめりかカラモ選手{センシユ}ガマヰリマス。
ケレドモ、外ノ國ノ人ガ見テ一番オモシロ
クオモフノハ、一枚ノ板ニ乘ツテ、山ノヨウ

≪p055≫
ニヨセテクル大波ヲ、矢ノヨウナイキホヒ
デ乘リキルさーふ、らいじ
んぐデセウ。ムカシだるま
トイフ人ハ、いんどカラ支
那{シナ}ヘ行ク時、アシノ葉ニ乘
ツテ海ヲワタツタトイヒ
マスガ、コノ波乘ハチヨウ
ドソレト同ジヨウナ、マコ

≪p056≫
トニフシギナカルワザデス。
十九 布哇{はわい}の島々
私どものすんでゐる布哇の島々は太平洋
のまん中にあります。あつさ・さむさのちが
ひが日本のようではなく、年中あたゝかで、
さうしてすゞしい風がそよ〳〵とふいて
ゐます。草や木がいつでも青々としげつて
ゐて、野にも山にも美しい花のたえる時が

≪p057≫
ありません。
せまい所ですが、ハレヤカラやマウナケヤ
といふ高い山があつて、いたゞきには雪の
ある時があります。また夜ひる火とけむり
をふき出してゐるキラウエヤといふ名高
い火山もあります。
布哇にはおそろしいけものもゐないし、い
やなへびなどもゐません、またどくになる

≪p058≫
ような草などもあまりはえてゐませんか
ら、どこへでもあんしんしてあそびに行か
れます。
山から海を見わたしたけしきもおもしろ
く、海からをかを見たながめも美しうござ
います。
二十 ク、イ
ク、イはたくさん一しよにはえて、林をつ

≪p059≫
くつてゐます。葉には
銀のような美しいつ
やがあつて、とほくか
らでもよういに見わ
けがつきます。
ク、イの實は形も大きさもくる
みににてゐます。かたくて黒い種
は、みがくときれいなつやが出ま

≪p060≫
すから、色々のかざりにつかひます。種には
油が多いから、細くけづつた竹にさして、た
いまつをこしらへます。ク、イをろうそく
くるみといふのはそのためです。
ク、イの油はこの種からしぼり取つたも
ので、タパにぬつて水よけにします。土人は
まへには石のらんぷにとぼしました。
二十一 葉書

≪p061≫
「ねえさんの所から葉書がきてゐます。讀
んでごらんなさい。」
と、母は葉書をお千代にわたしました。お千
代は讀んで見ると、
あさつては太郎のたんじよう日で
すから、朝早くからあそびにいらつ
しやい。お花さんもつれて一しよに
お出でなさい。

≪p062≫
九月十三日 あねより
お千代さま
と書いてあります。お千代はよろこんで、母
にはなしますと、母は
「あさつては學校がお休ですから、二人と
も行つてお出でなさい。それから今すぐ
にへんじを書いてお出しなさい。」
お千代「それでも私はまだ葉書の書き方を習

≪p063≫
ひませんから、どう書いてよいか分りま
せん。」
母「おはなしをするとほりに書けばよいの
です。さあ、こゝに葉書があります。」
お千代はしばらくかんがへて、葉書の裏へ
次のように書きました。
お葉書をいたゞいて、まことにうれ
しうございます。あさつてはお花さ

≪p064≫
んと一しよにきつとまゐります。
それを母に見せますと、母は
「よくできました。これでよく分ります。そ
のおしまひのあいてゐる所へ、『おかあさ
んからもよろしく。』と書きたして下さい。
それから表の方へあて名を書いてお出
しなさい。」
と言ひました。

≪p065≫
二十二 瓜
瓜ニハキ瓜・白瓜・マクハ瓜・スイカ・トウガン・
カボチヤ・ヘチマナドガアリマス。キ瓜・白瓜・
ヘチマハ細長ク、トウガンハ太ク、カボチヤ
ハ平タウゴザイマス。マクハ瓜ヤスイカニ
ハ、マルイノモ、長イノモアリマス。キ瓜ニハ
皮ニ小サイトゲガアリ、カボチヤニハデコ
ボコガアリマス。ソノ外ノ瓜ハ大テイナメ

≪p066≫
ラカデゴザイマス。
カボチヤハ中ガ黄色デ、スイカ
ハジユクスルト中ガ赤クナリ
マス。スイカノ種ニハ白イノモ、
黒イノモアリマスガ、ソノ外ノ
瓜ノハ大テイ白ウゴザイマス。」
スイカハ中ヲタベテ外ヲノコ
シ、ソノ外ノ瓜ハ外ヲタベテ中

≪p067≫
ヲノコシマス。ナマデソノマ、
タベルノハ、マクハ瓜トスイカ
デ、ニナケレバタベラレナイノ
ハ、カボチヤトトウガンデス。キ
瓜ヤ白瓜ハ瓜モミヤツケモノ
ニシテタベマス。マタヘチマハ
ワカイウチハタベラレルガ、實
ガイルトタベラレマセン。

≪p068≫
瓜ノ葉ハ廣クテ、ナカニハトゲノハエテヰ
ルノモアリマス。花ハ大テイ黄色デス。
二十三 カウモリ
ムカシ鳥トケモノガケンカヲシタコトガ
アリマス。ソノ時カウモリハ
「私ハ鳥デモケモノデモナイカラ。」
ト言ツテ、ドチラヘモツキマセンデシタ。ソ
ノ中ニケモノガ勝チサウニナツタノヲ見

≪p069≫
テ、ニハカニ
「私ハカラダガネズミニニテヰルカラ、ケ
モノダ。」
ト言ツテ、ケモノノミカタニナリ
マシタ。
シバラクタツト、ケモノガ負ケサ
ウニナツタノデ、コンドハ
「私ハ羽ガアルカラ、鳥ダ。」

≪p070≫
ト言ツテ、鳥ノ方ニツキマシタ。
イツマデタツテモ勝負ガツカナイカラ、リ
ヨウ方ガ中ナホリヲシマシタ。ソノ時カウ
モリガケモノノ方ヘ行キマスト、
「オマヘハ鳥デハナイカ。」
ト言ツテ、ナカマヘ入レマセン。マタ鳥ノ方
ヘ行キマスト、
「オマヘハケモノデセウ。」

≪p071≫
ト言ツテ、アヒ手ニシテクレマセン。シカタ
ナシニ、ヒルノ間ハ木ノウロヤ穴ノ中ニカ
クレテヰテ、夜ニナルト出テ、空ヲトビアル
クヨウニナツタトイフハナシデゴザイマ
ス。
二十四 かのはなし
かは小さい虫で、草木やくだものなどのし
るをすつて、生きてゐます。人のからだをさ

≪p072≫
すのはめすで、するどい口ばしで血をすひ
ます。かにさゝれてかゆくなるのは、血をす
ふ時、どくを出すからです。
かはたまごを水の中に生みつけます。みな
さんは水たまりの中に、ぼうふらのういた
り、しづんだりしてゐるのを見たことがあ
りませう。あれがかのたまごのかへつたの
です。

≪p073≫
ぼうふらはたまごからかへつて五六日た
つと、さなぎになり、それからまた二三日た
つと、羽がはえて、かになつてとびます。たま
ごからかになるまで十四五日ぐらゐかゝ
るさうです。
かはわるい病氣のなかだちをすることが
あるから、氣をつけなければなりません。マ
ラリヤといふ病氣は、かからうつることが

≪p074≫
多うございます。
二十五 火
人ハ火デタベモノヲヤイタリ、ニタリシテ
タベマス。マタサムイ時ニハ火ニアタリマ
ス。夜ニナレバ火ヲトボシマス。火ガナカツ
タラ、ドンナニフベンダカ知レマセン。
大ムカシハ木ト木ヲコスツテ火ヲ出シマ
シタガ、ソレカラノチニハ、石ト金ヲウチ合

≪p075≫
セテ出スヨウニナリマシタ。今デハマタマ
ツチトイフベンリナモノガデキテヰマス。」
火ノシナドニツカフ炭ハ、木ヲヤイテコシ
ラヘタモノデス。ソレユヱ木炭トイヒマス。
ソノ外ニ石炭トイフモノガアリマス。コレ
ハ大ムカシハエテヰタ木ガ土ノ中ニウマ
ツテ、シゼントデキタモノデ、石ノヨウニカ
タクナツテヰマスカラ、石炭トイフノデゴ

≪p076≫
ザイマス。石炭ノ火ノカハ木炭ヨリモズツ
トツヨイノデ、汽車ヤ、汽船ヤ、ソノ外キカイ
ナドヲウゴカスノニハ、オモニコレヲツカ
ヒマス。
火ヲトボス油ニモ色々アリマス。魚カラ取
ツタモノモアリ、ケモノカラ取ツタモノモ
アリ、シヨクブツカラ取ツタノモアリマス。
神ダナヤブツダンニトボスアカリニハ、大

≪p077≫
テイナタネカラ取ツタ種油ヲツカヒマス。」
ランプニトボスノハ石油トイヒマス。コレ
ハ土ノ中カラシゼントワキ出ルモノデ、ワ
キ出タマヽノハニゴツテヰマスガ、ヨクセ
イスルト、キレイニナリマス。
二十六 上杉鷹山{うへすぎようざん}
上杉鷹山は今から百三四十年ほどまへの
人で、日本の米澤{よねざは}といふ所の大名でござい

≪p078≫
ました。けらいもたくさんあつて、身分のり
つぱな人でございましたが、少しも人にた
かぶるようなことはありませんでした。か
しこい人をまねいて、色々そうだんをした
り、教をうけたりして、少しでも人民のため
になるようにと心がけた人です。
鷹山はわかい時に、細井平洲{ほそゐへいしう}といふ先生の
教をうけましたが、あとでこの先生を自分

≪p079≫
の國へよびま
した。その時は
身分の高い鷹山が
わざ〳〵とほくまで平
洲をむかへに出ました。さ
うして一しよにあるく時
でも、いつでも平洲をさき
に立てて、自分はあとから

≪p080≫
ついて行つたといふことです。古いことば
に、「弟子は七尺はなれて、先生のかげをふま
ぬ。」といふことがありますが、鷹山はこのこ
とばのとほりに、先生をうやまつたのです。
二十七 木をうゑる日
布哇{はわい}では毎年十一月の半ごろ、日をきめて
木をうゑることになつてゐます。この日を
アボアデーと申します。アボアデーにうゑ

≪p081≫
る苗木は、やくしよからもらへるのです。
私どもの學校でも、アボアデーには、先生と
生徒が一しよになつて木をうゑます。私ど
もが一年きうにゐたころにうゑておいた
木は、もうよほど大きくなりました。中には
きれいな花のさいたのもあります。私ども
もあの木のように大きくなつて、りつぱな
人になりませう。うゑておいた木が、時々風

≪p082≫
にふきをられたり、いたづらな子どもにナ
イフできずつけられたりするのを見ると、
何だかかはいさうな氣がいたします。
私はいつかおかあさんに、
「なぜ、毎年木をうゑるのでせう。」
ときいて見ましたら、おかあさんは、
「家でも、どうぐでも、みんな木を切つてこ
しらへたものでせう。切つてばかりゐて

≪p083≫
はすまないではありませんか。」
とおはなしになりました。
二十八 シカノ水カヾミ
シカガ水ヲノマウト思ツテ、谷川ノ中ヘハ
イリマシタ。フト水ニウツツタ自分ノスガ
タヲ見テ、アタマカラ足マデツク〴〵トナ
ガメテ、ヒトリゴトヲハジメマシタ。
「自分ノ角ハ實ニリツパナモノダ。牛ノ角

≪p084≫
トハチガツ
テ、枝ガアル。
毎年オチル
ガ、オチルト、
スグマタア
タラシイノガハエテ、ソノ度ニ枝ガ一ツ
ヅツフエル。角ノアルケモノモタクサン
知ツテヰルガ、コンナリツパナ角ヲモツ

≪p085≫
テヰルモノハナイヨウダ。ケレドモ、コノ
足ハ細クテ、イカニモ弱サウニ見エル。デ
キルコトナラ、モツト太クテ強イ足ガホ
シイモノダ。」
ソノ時ウシロノ方カラ、カリウドガキタラ
シイノデ、オドロイテカケ出シマシタ。タク
マシイ大キナカリ犬ガ四五ヒキデ、オツカ
ケテキマス。シカハ輕イ足デズン〴〵ニゲ

≪p086≫
テ、林ノ中ヘカケコミマシタ。カハイサウニ
美シイ角ガ木ノ枝ニヒツカヽツテ、イクラ
モガイテモハヅレマセン。トウ〳〵犬ニオ
ヒツメラレマシタ。
二十九 ひよどりごえの
さかおとし (一)
平家のぐんぜいは、ふくはらのしろをまも
つてゐます。東生田の門から西一の谷の門

≪p087≫
までの間、北は山のふもとから南は海の波
うちぎはまで、人や馬でふさがつてゐます。
海には一めんにいくさ船がならんでゐて、
海とをかにおし立てた何千本の赤はたは、
まるで火のもえたつたように見えます。
げんじは二手に分れて、のりよりのぐんぜ
いは東の門にむかひ、よしつねのぐんぜい
は西の門へむかひました。しかしよしつね

≪p088≫
は「表からせめおとすことはむづかしい。何
でも裏からまはつて、てきのふいをうたな
ければならぬ。」とかんがへて、強いものばか
り三千人をすぐつて、こつそりと裏道から、
ひよどりごえへまはりました。この中には
べんけいもゐました。
ひよどりごえはしろの北の方にあつて、よ
ほどけはしい所です。ふだんは人も通らな

≪p089≫
い道ですから、どこをどう行つてよいか分
りません。その中に日がくれて、まつくらに
なつてしまひました。
この時べんけいは、ともし火の光をたより
にたづねて行つて、一人のかりうどをつれ
てきました。見ると丈の高い、たくましい男
で、手にはかりにつかふ弓矢を持つてゐま
す。「年はいくつか。」と問へば、「十七。」と答へまし

≪p090≫
た。よしつねはよろこんで、刀やよろひをや
つて、けらいにしました。
三十 ひよどりごえの
さかおとし (二)
よしつねはまづたづねました。
「こゝからしろの方へ下りることができ
るか。」
「とてもできません。しろのうしろはけは

≪p091≫
しいさかで、馬の通れる所ではございま
せん。」
「しかはどうだ。」
「しかはをり〳〵通ります。」
よしつねはこれを聞くと、
「しかも四足、馬も四足、しかの通れる所を
馬の通れないといふことはあるまい。さ
あ、あんないせよ。」

≪p092≫
と言ひつけ
て、夜のうち
にがけの上
まで出まし
た。間もなく夜が
あけました。見下せば、
しろは何十丈のがけの下
にあります。東西の二門は

≪p093≫
今いくさのまつさい中です。
平家方はがけの上から、てきの軍ぜいがせ
めこまうとはゆめにも思ひません。よしつ
ねはこゝぞと思つて、「進め〳〵。」とさしづを
しましたが、馬もこはがつてすくんでしま
ひ、人もかほを見合せて進まうとはしませ
ん。
この時よしつねは、

≪p094≫
「われを手本にせよ。」
と言ひながら、馬に一むちあててかけ下り
ました。これを見た三千の軍ぜいは、どつと
一時にかけ下りて、しろの中へせめこみま
した。平家はふいをうたれて、どうすること
もできません。三方からせめられて、さんざ
んにやぶられました。
三十一 ほのるる

≪p095≫
日本カラ來テモ、あめりかカラ來テモ、船ガ
ほのるるニチカヅクト、ヲカヲ見ヨウト思
ツテ、人々ハミンナカンパンニアツマリマ
ス。七日モ十日モ海ノ水バカリ見テヰタ目
デ、ヒサシブリニ草木ノシゲツタ美シイ山
ヤ町ヲナガメルノハ、ドンナニタノシミナ
コトデセウ。
ほのるるノ町ハ上ツテ見ルト、海デ見タヨ

≪p096≫
リモ一ソウキレイデス。キレイニカツタミ
ドリ色ノシバフノ上
ニハ、赤・黄・白、サマ〴〵
ナ草木ノ花ガサイテ
ヰテ、スヾシイカゲヲ
コシラヘテヰルナミ
木ノリヨウガハニハ、
色々ナ形ノ木造ヤ石

≪p097≫
造ノ家ガナランデヰ
マス。
「マルデ公園ノヨウ
デスネ。コンナヨイ
所ニスンデヰル人
ハシアハセデス。」
船カラ上ツタ人ハ、ダ
レデモキツトサウ申シマス。

≪p098≫
わいききノ公園ハ海岸ニアリマスシ、たん
たらすノ山、ぬあぬノ谷ナド、ケシキノヨイ
所モ方々ニアリマス。
三十二 ホノルルからの手紙
ホノルルから手紙をさし上げます。ホノル
ルとはカナカのことばで、美しいみなとと
いふことだともいひますし、ものがたくさ
んあつてしづかな所といふことだとも申

≪p099≫
します。ホノルルは大へん夕日の美しい町
です。町のうしろには、タンタラスの山を中
にして、右にマノア谷、パロロのをか、ダイヤ
モンドヘッドなどがあり、左にヌアヌパリ、カ
リヒの谷モアナルアの高地がつゞいてゐ
ます。この山や谷から海までの間をホノル
ルと申すのでございます。
ホノルルの人口は六万人ばかりで、ずいぶ

≪p100≫
ん色々な人種がまじつてゐます。
ホノルルには縣廳{けんちよう}・市役所{しやくしよ}|裁判{さいばん}所、其の外色
色な學校があります。また國々の領事館{りようじかん}も
あり、博物{はくぶつ}館や水族{すいぞく}館などもあります。
りつぱな家のたくさんあるのはマノアと
いふあたりですが、プナホオ・マキキのあた
りの町もきれいでございます。日本人のり
つぱな店も、すまひも、あちらこちらにたく

≪p101≫
さんあります。
學校にも方々の國の人があつまつてゐて、
色々かはつためづらしいことがございま
す。
三十三 えんそく
きのふはからりとはれたよい天氣でした。
私はかねてのやくそく通り、三人のともだ
ちとえんそくに出かけました。

≪p102≫
家を出たのは朝の七時ごろでした。みんな
とはしのたもとで出合つて、川について四
五町行くと、もう町をはづれて、廣い耕地{こうち}へ
出ました。耕地にはさとうきびがよくのび
てゐて、さきも見えないほどです。耕地のは
づれにはこんもりとしたクヽイの森があ
つて、森の後に小高い山があります。その山
へ上らうといふのです。

≪p103≫
七八町ほども行つて、小川のはしをわたる
と、廣い花園の前へ出ました。私どもは花園
をぬけて、森にはいつて、しばらく休みまし
た。
森の中から山へ上る道がついてゐます。そ
れは細くてけはしい道で、道ばたにはきれ
いな草花がさきみだれてゐます。上りつい
た時分には、足もだいぶくたびれて、はらも

≪p104≫
すつかりすきました。
すゞしい風にふかれながら、草の上にすわ
つて、サンドヰッチをたべた時は大そううま
うございました。
かへりには同じ道を通らずに、べつの道か
ら下りましたが、時間は上る時の半分ぐら
ゐしかかゝりませんでした。
それからまた方々であそんで、うちへかへ

≪p105≫
つたのは夕方でした。
三十四 太郎の日記
十一月十一日 日曜 雨 十時からおと
うさんと教會{きようかい}へ行きました。午後は次郎
さんとゑを書いてあそびました。
十一月十二日 月曜 晴 日本語學校{につぽんごがつこう}で、
習字の清書{せいしよ}がありました。公立學校では、
さんじゆつがありましたが、今日はよく

≪p106≫
できました。山本さんはけつせきしまし
た。學校からかへつてから、山本さんをた
づねましたら、風を引いたと言つて、ねて
ゐました。夜は風が大そうすゞしうござ
いました。
十一月十三日 火曜 晴 朝おきてかほ
をあらふ時、大きなにじが見えました。に
はとりがたまごを三つ生みました。

≪p107≫
十一月十四日 水曜 晴 夕方細い三日
月が見えました。おとなりの田中さんで
赤んぼが生れたと言つて、おかあさんが
見まひに行きました。
十一月十五日 木曜 午前晴 午後雨
午後、川村君と魚つりに行かうと思ひま
したが、雨がふりましたから、やめました。
十一月十六日 金曜 晴 風がなくて、あ

≪p108≫
つい日でした。おかあさんからあたらし
いノートブックをいたゞきました。くつが
いたんだので、なほしにやりました。山本
さんは今日から學校へ出ました。
十一月十七日 土曜 晴 日本のをぢさ
んから、いうびんがとゞきました。午後、大
ぜいでボールをなげてあそびました。
三十五 強い子ども

≪p109≫
孝造のところへともだちが來て、夜おそく
まであそんでゐました。ともだちはおくび
ような子どもでしたから、かへる時に、
「外がくらくて、ひとりでかへるのはこは
いから、送つて行つて下さい。」
と言ひました。孝造はわらひながら、
「それでは一しよに行きませう。」
と言つて、ともだちをうちまで送りとゞけ

≪p110≫
ました。かへりはひとりでしたが、孝造はべ
つにこはいとも思ひませんでした。
孝造はまた大そうしんぼう強い子どもで
した。先生につれられて、えんそくに行つた
時、はいてゐたくつが小さかつたので、足に
まめが出來て、あるくのがなんぎでした。時
時は休みたくなりましたが、自分のために
人を待たせてはすまないと思つて、とうと

≪p111≫
うがまんをして學校へかへりました。あと
で先生がこのことを知つて、孝造は強い子
どもだとほめられました。
三十六 宇治{うぢ}川のたゝかひ
これはひよどりごえの軍よりも少し前の
ことです。よしつねの引きつれた軍ぜいが
宇治川の西の岸につきました。川のむかふ
には、てきのよしなかの軍ぜいが待ちかま

≪p112≫
へてゐます。川は大雨のあとで、にごつた水
が一ぱいにみなぎつて、うづをまいてなが
れてゐて、見るもものすごいほどです。
この時後の方からかけて來て、川の中へざ
んぶと馬を乘入れた二人の武士がありま
した。一人はかぢはらかげすゑ、一人はさゝ
きたかつなでございます。二人のかほには、
われこそこの川を一番にわたつて、てがら

≪p113≫
を立てようといふか
くごの色があらはれ
てゐます。後になつた
たかつなは前のかげ
すゑにこゑをかけて、
「馬のはらおびがゆ
るんでゐる。早く引
きしめよ。」

≪p114≫
と言ふ。かげすゑははつと思つて、馬をとゞ
め、はらおびをしめなほさうとしました。た
かつなはその間に、つとかけぬけました。
かげすゑは「さてはだまされたか。おくれて
は大へん。」とあせりましたが、とう〳〵たか
つなをおひこすことが出來ませんでした。
三十七 花賣
四郎ハ兄ガあめりかノ學校ヘ行クノヲ見

≪p115≫
送ルタメ、ほのるるノ町ヘ來マシタ。
船ガイヨ〳〵出ルトイフ朝、ヲヂサントハ
トバヘマヰリマシタ。ニイサンノトモダチ
ハ、メイ〳〵ニ美シイ花ワヲ持ツテ來テ、ニ
イサンノ首ニカケテ、アイサツヲイタシマ
シタ。タビニ出ル人ハミナ同ジヨウニ、首ニ
花ワヲカケテヰマス。
「アノ首ニカケテアル花ワハ、ドウシタノ

≪p116≫
デスカ。」
ト、四郎ハヲヂサンニタヅネマシタ。ヲヂサ
ンハ、
「アレハれいトイツテ、遠クヘ行クトモダ
チニ、ワカレノシルシニカケテヤルノデ
ス。」
ト教ヘテ下サイマシタ。
船ガ出テシマツテ、カヘル時、ヲヂサンハふぉ

≪p117≫
ーと街ノ角デ立チトマ
ツテ、
「四郎、ムカフヲゴラン。
アスコニれいヲコシ
ラヘテ賣ツテヰル人
ガアリマス。」
トオツシヤイマシタ。
ソコニハ土人ガ四五人、

≪p118≫
スミニコシヲ下シテ、赤・ムラサキ・黄・白ナド
ノ色々ノ花ヲソロヘテ、花ワヲアンデヰマ
シタ。四郎ニハソレガ大ヘンメヅラシク思
ハレマシタ。
三十八 かしこい子ども
(一)
むかしある國で、大きな象の目方をはから
うとしましたが、どうしてはかつてよいか

≪p119≫
分りませんでした。
その時一人の子どもが、
「私がはかつて見ませ
う。」
と言つて、まづ象を船に
のせて、船の水につかつ
た所にしるしをつけま
した。

≪p120≫
それから象をおろして、その代りに石をた
くさんつみました。さうして前のしるしの
所まで水が來た時に、石をおろして、それを
はかりにかけて、目方を知りました。
(二)
ある家のにはに大きな水がめがあつて、雨
水が一ぱいたまつてゐました。一人の子ど
もがそのふちへ上つて、あそんでゐる中に、

≪p121≫
ふみはづして、かめの中へおちました。すて
ておけば、すぐ死んでしまひます。子どもら
はうろたへてさわぎ
ました。その時一人の
子どもは大きな石を
持つて來て、力まかせ
にうちつけました。さ
うすると、かめに大き

≪p122≫
な穴があいて、水が出ましたから、子どもは
あやふい命をたすかりました。
三十九 ぱいなっぷる
布哇{ハワイ}ノ松ノ木ニハ小サナ實ガナリマスガ、
日本ヤソノ外ノ國ノ松ノ木ニハ、カナリ大
キナノガナリマス。ソノ松ノ實ノ形ガぱい
なっぷるノ形ニニテヰマス。ぱいなっぷるノ名
ハソレカラ出タノデセウ。

≪p123≫
ぱいなっぷるニハシゼンニ
野山ニハエルノモアリ、人
ガ畑デツクルノモアリマ
ス。シゼンニハエタノニハ
種ガアリマスガ、畑デツク
ツタノニハ種ガアリマセ
ン。
ぱいなっぷるハウヱテカラ實

≪p124≫
ノトレルマデニハ、ナカ〳〵時間ガカヽリ
マス。中ニハ二年近クカヽラナイト、ジユク
サナイノガアリマス。
ぱいなっぷるハウマイクダモノデスカラ、布
哇デコシラヘタカンヅメハ、外ノ國ヘモ、タ
クサン賣レマス。
四十 よいボーイ
進次と長松は同じ店のボーイでした。

≪p125≫
ある日主人は朝から用たしに出ましたの
で、二人が店のるすをしてゐると、一人の男
の子が買物に來ました。一本五仙のえんぴ
つを二本買つて、二十五仙の銀|貨{か}を出しま
したから、進次は何の氣なしに、そのつりに
五仙の白銅貨を二枚わたしました。男の子
も氣がつかずに、そのまゝかへりました。
進次は後で、ふと氣がついて、

≪p126≫
「あゝ、大へんなことをした。今のおきやく
に、もう五仙上げなければならなかつた。」
と言つて、すぐにおつかけて行きまして、五
仙をわたしました。かへつて來ると、長松は
わらつて、
「さきでは知らないのだから、五仙まうけ
ておけばよかつたのに。」
と言ふと、進次は

≪p127≫
「そんなことが出來るものですか。ほんと
うのまうけでない金は、少しでも取つて
はなりません。」
「それでも主人がゐないから、だまつてゐ
れば、だれにも知れはしません。」
「主人がおるすだから、なほさらまちがひ
があつてはならないのです。」
と言つても、長松はまだわらつてゐました。」

≪p128≫
後になつて、主人はこのことを聞いて、進次
をしようじきものだとほめて、長松にはひ
まをやりました。
四十一 織物
キル物ト、タベル物ト、スム所ト、コノ三ツハ
一日モナクテハナリマセン。キル物ハ大テ
イ織物デコシラヘマス。
織物ニハ絹{キヌ}織物・毛織物・木綿{モメン}織物・麻{アサ}織物ナ

≪p129≫
ドガアリマス。
絹織物ハカヒコノマユカラ取ツタ絹糸ヲ
織ツテ、コシラヘタモノデス。ネダンノ高イ
着物ヤ、羽織・ハカマ・オビナドハ、多クハ絹織
物デス。女ノ洋服ナドモ、品ノヨイノハ絹織
物デス。
毛織物ハラシヤ・フランネル・モスリンナド
ノヨウニ、ケモノノ毛ヲツムイデ織ツタモ

≪p130≫
ノデス。洋服ニハ大テイコレヲ用ヒマス。毛
織物ニハ羊ノ毛ヲ一番多クツカヒマス。
木綿糸デ織ツタノガ木綿織物、麻糸デ織ツ
タノガ麻織物デ、コレラハミナ草カラ糸ヲ
取ツタモノデス。日
本人ノフダン着ハ
大ガイ木綿織物デ、
アツイ時ニ着ルカ

≪p131≫
タビラナドニハ麻
織物ガアリマス。
洋服ニモ木綿ヤ麻
ヲツカヒマスガ、白シヤツハ大テイ木綿カ
麻デス。
四十二 コトワザ
ユダン大敵。
人ノフリ見テ、ワガフリナホセ。

≪p132≫
サルモ木カラオチル。
イソガバマハレ。
樂ハ苦ノ種、苦ハ樂ノ種。
コロバヌサキノツヱ。
チリモツモレバ山トナル。
病ハ口カラハイル。
鳥ナキサトノカウモリ。
井ノ中ノカハヅハ大海ヲ知ラヌ。

≪p133≫
四十三 神功皇后{じんぐうこうごう}
ずつと古いむかし、九州{きうしう}のくまそがむほん
をしたことがありました。その時|仲哀{ちうあい}天皇
は神功皇后とご一しよに、ごせいばつにお
出かけになりました。その時分、今の朝鮮{てうせん}に
はしらぎ・くだら・こまの三國があつて、日本
ではこれを三韓{さんかん}といつてゐました。三韓の
中では、しらぎが一番日本に近く、いきほひ

≪p134≫
も強うございました。さうしてしらぎはく
まそのあとおしをしてゐるようすでござ
いました。
皇后はまづしらぎをしたがへたら、くまそ
はきつと平ぐにちがひないとおかんがへ
になりました。をりあしく天皇がおかくれ
になりましたが、皇后は武内宿禰{たけうちのすくね}とごそう
だんの上、海をわたつて、しらぎをお討ちに

≪p135≫
なりました。
しらぎの王は
皇后の軍ぜいの
強いのを見て、大
へんおそれて、とう
とうこうさんしま
した。さうして
「たとひ日が西の空

≪p136≫
から出て、川の水がさかさまにながれる
ようなことがあつても、けつしてもうそ
むきはいたしません。」
とちかひました。くだら・こまの二國も、また
間もなく日本にしたがひました。
その後三韓からは色々なみつぎものをた
てまつりました。
支那{しな}の學問も、これからだん〳〵と日本へ

≪p137≫
つたはつて、日本の國が開けました。
四十四 人のなさけ
身を切るような北風の
ふく夕ぐれにあねいもと、
かへりをいそぐ野中道。
八つばかりの女の子、
たもとをかほにおしあてて、
ひとりしく〳〵ないてゐる。

≪p138≫
姉のおつるは立ちよつて、
「なんでそんなにないてゐる。
もしおなかでもいたいのか、
おとし物でもしたのか。」と、
その子のかたに手をかけて、
ことばやさしくなぐさめる。
なみだをふいて女の子、
「いゝえ、さうではありません。

≪p139≫
前からわたしは目がわるく、
つゑをたよりに歩きます。
今そのつゑをもぎとられ、
かへりの道が知れません。」
「そんなわるさをだれがした。」
「わるい子どもが大ぜいで、
わたしの手からもぎとつて、
はふつた音はしましたが、

≪p140≫
かなしいことに目が見えず、
さがすことさへ出來ません。」
それを聞くより、妹の
おふみはいそぎ道ばたを
そこかこゝかとさがすうち、
少しはなれた草むらに、
やう〳〵つゑを見つけ出し、
すぐに拾つて取つてやる。

≪p141≫
めくらはつゑをうけ取つて、
「あゝ、ありがたうございます。
うれしいこと。」と、れい言つて、
見えぬ目ながらふりかへり、
二人の行くへ見送れば、
二人も後ふりかへる。
四十五 熊
熊ハ力ノ強イケモノデス。敵ニムカフ時ハ、

≪p142≫
大キナ手ノヒラデツカ
ミカヽツテ、スルドイツ
メデヒツカキマス。赤熊
ハ小馬ホドアツテ、大テ
イノケモノハ一ウチデ
コロサレテシマヒマス。」
熊ノ毛色ハ大ガイマツ黒デ、ムネノ所ダケ
三日月ナリノ白イ毛ガアリマス。コレヲ月

≪p143≫
ノワトイヒマス。赤熊ハ赤茶色デス。マタ毛
ノマツ白ナ白熊モアリマス。熊ノ皮ハヨイ
シキ物ニナリマス。
熊ハイタヅラモノデ、人ノ家ノクラノ戸ヲ
アケテ、カズノ子ノタワラヲ
カツイデ、ニゲテ行クコトガ
アルトイヒマス。
マタ川バタヘ行ツテ、魚ヲツ

≪p144≫
カマヘルコトガアリマス。ソノツカマヘタ
魚ヲ竹ノ枝ニ通シテ、カツイデ行キマスガ、
後カラ一ツヅツヌケテオチルノヲ知リマ
セン。ソレヲ人ガ後カラ拾ツテ來ルコトガ
アルサウデス。
四十六 古づくゑ
私は古づくゑでございます。私がこゝへま
ゐつたのは、この學校がたつた年でござい

≪p145≫
ますから、今年で十五年になります。その間
に色々な子どもを見ました。
あくびやわき見ばかりしてゐて、先生に何
か聞かれても、答へることが出來ないで、か
ほを赤くする子どももございました。ちや
んとしせいをよくして、氣をつけてゐて、何
を聞かれても、はつきりと答へる子どもも
ございました。

≪p146≫
字を書くのに、ふでをおとしたり、すみをこ
ぼしたり、書きそこなつて、紙をたくさんほ
ごにしたりするような、そゝつかしい子ど
ももございました。よくおちついてゐて、少
しも書きそこなひなどをしない子どもも
ございました。
度々けつせきしたり、ちこくしたりして、先
生にしかられた子どももございました。一

≪p147≫
日もけつせきもせず、ちこくもしなかつた
子どももございました。
十人十色と申しますが、まことにその通り
で、かほのちがふように、せいしつも色々か
はつてゐます。學校でいつも先生にほめら
れ、ともだちにもすかれた善い子どもは、お
となになつてから、りつぱな人になりまし
た。學校で先生にしかられ、ともだちにもき

≪p148≫
らはれた惡い子どもは、おとなになつてか
ら、大ていつまらない人になつてゐます。
私は一たい子どもがすきでございますが、
十五年の間に、どうしてもきらひな子ども
が七八人ございました。私のからだがこん
なにきずだらけになつたり、ぐらつくよう
になつたのも、その子どもたちのいたづら
からでございます。こんなにたくさんすみ

≪p149≫
をつけたのも、その子どもたちでございま
す。
四十七 港
廣イ港ガ船デ一パイニナツテヰマス。高イ
ホバシラヤ、ヒクイホバシラガタクサン重
リ合ツテ、マルデ林ノヨウニ見エマス。
大キナ汽船ノ間ヲ、煙ヲ出シナガラ、早クハ
シツテ行ク小サナ船ガアリマス。アレハハ

≪p150≫
シケデス。
オキノ方カラ黒クヌツタ船ガハイツテ來
マス。白イ帆ヲアゲタ船モ、イクツトナクハ
イツテ來マス。
ムカフニアル二本エントツノ汽船ハ、シキ
リニキテキヲナラシテヰマス。アレハ今ニ
出帆スルノデセウ。
ハトバノ右ニ着イテヰル汽船ハ、今荷ヲオ

≪p151≫
ロシテヰマス。左手ノ汽船ハ、今荷ヲツミコ
ンデヰマス。大キナキカイデ、ドンナ重イ荷
物デモ、ラク〳〵ト上ゲオロシヲスルノデ
ス。右ノ方ノ汽船デハ、サツキカラ牛ヲ何ビ
キトナクツルシオロシマシタ。
オロシタ荷物ハスグニ車ニノセテ、馬ニヒ
カセテ行キマス。アレハテイシヤバヘ送ル
ノデセウ。

≪p152≫
布哇{ハワイ}ニアル港ノ名
オアフ島 ホノルル
馬哇{マウイ}島 ラハイナ カフルイ
布哇{ハワイ}島 ヒロ ナポポ
マホコナ
加哇{カウアイ}島 ワイメヤ エレエレ
ナベリベリ
四十八 大阪{オホサカ}

≪p153≫
大阪ハ日本デ一番商業
ノサカンナ所デス。ムカ
シハ難波{ナニハ}トイツテ、仁徳{ニントク}
天皇ガ都ヲナサレタ地
デゴザイマス。今カラ三
百年ホド前、豐臣秀吉{トヨトミヒデヨシ}ガ
コヽニシロヲコシラヘ
テカラ、ダン〳〵ハンジ

≪p154≫
ヨウシテ、今デハ日本第一ノ商業地ニナリ
マシタ。
仁徳天皇ハカマドカラ立上ル煙ノ少イノ
ヲ見テ、民ノマヅシイノヲオアハレミニナ
リマシタ。今日ノ大阪ハ工業モ大ソウ開ケ
テ、エントツノ煙ガ空一パイニタナビイテ
ヰマス。
市中ヲナガレル川ヲ淀{ヨド}川トイヒマス。淀川

≪p155≫
ハイクスヂニモ分レテ、海ニソヽギマス。市
ニハホリガタクサンアツテ、川ト川ヲツナ
イデヰマス。大阪ハホリトハシノ多イノデ、
名高イ所デゴザイマス。
港ニハ出タリハイツタリスル船ガタクサ
ンアリ、テイシヤバニハ着イタリ出タリス
ル汽車ノタエ間ガアリマセン。
四十九 かぞへ歌

≪p156≫
一つとや、
人の道には二つなし。
國の東西へだつとも、かはるとも。
二つとや、
二人のおやごを大切に、
思へや、ふかき父の愛、母の愛。
三つとや、
みきは一つの枝と枝、

≪p157≫
中よくくらせよ、兄弟・姉妹。
四つとや、
善きことたがひにすゝめ合ひ、
惡しきをいさめよ、友と友、人と人。
五つとや、
いつはり言はぬが子どもらの
學びのはじめぞ、つゝしめよ、いましめよ。
六つとや、

≪p158≫
むかしをかんがへ、今を知り。
學びの光を身にそへよ、身につけよ。
七つとや、
なんぎをする人見る時は、
力のかぎりいたはれよ、あはれめよ。
八つとや、
病は口より入るといふ。
食物・飲物氣をつけよ、心せよ。

≪p159≫
九つとや、
心はかならず高くもて、
たとひ身分はひくゝとも、輕くとも。
十とや、
時々みづからかへりみて、
正しくまもれや、人の道、世のおきて。
五十 聖徳{しようとく}太子
聖徳太子は今から千三百年も前のお方で

≪p160≫
す。
そのころの日本はまだ十分に開けてをり
ませんでしたから、太子は三韓{さんかん}や支那{しな}のよ
いところを取つて、色々日本のためになる
ようにと、おほねをりになりました。また支
那とゆききをお始めになりましたから、こ
れまで三韓を通つて日本にわたつて來た
學問などは、すぐに支那からつたはるよう

≪p161≫
になつて、日本は
ます〳〵進歩し
ました。
太子はぶつ教をたつと
んで、お寺をたてたり、ぶ
つぞうをこしらへたり
なさいました。そのため
に色々の工業や、畫をか

≪p162≫
くわざなども、一時に進歩しました。
太子がおかくれになつた時は、日本中の人
が、父母に別れたと同じようになきかなし
んだと申します。
五十一 ワシントン
ワシントンの母は大そうワシントンをか
はいがりました。ワシントンはおや孝行な
人で、どんなことでも、母のことばにそむい

≪p163≫
たことはありません。
ワシントンが十六の時でした、イギリスの
軍人になりたいと思つて、兄のローレンス
とそうだんして、母のゆるしをこひました。
ローレンスがしきりに弟のためにすゝめ
たので、母もやう〳〵しようちしてくれま
した。
いよ〳〵出立の時が近づきました。ワシン

≪p164≫
トンの荷物はもう軍かんへはこばれまし
た。ワシントンは海軍の軍服を着て、よろこ
びいさんで、母にいとまごひにまゐりまし
た。
母は一目見るより、わつとなき出しました。
さうして
「お前はどこへも行つてはなりません。わ
たしが心細いから。」

≪p165≫
と言ひました。ワシントンはおどろいて、
「それでも、私はこの通り軍人になり、荷物
も船へやつて
あります。」
と答へますと、母

「もしお前がわ
たしをかはい

≪p166≫
さうだと思ふなら、早く荷物をお取りか
へしなさい。早くその着物をおぬぎなさ
い。」
と言ひました。ワシントンは母の心をさつ
して、
「よろしうございます。もうどこへもまゐ
りません。」
と、すぐにそのことばにしたがひました。

≪p167≫
母のことばにしたがつたこの子どもが、後
にアメリカ合衆{がつしう}國の父になつたのです。
五十二 火の始 (一)
むかし馬哇{まうい}島の酋長{しうちよう}に四人兄弟のむすこ
がありました。むすこたちは毎日海に出て
漁をして、むつましくくらしてゐました。そ
の時分にはまだ火といふものがありませ
んでした。

≪p168≫
ある日のこと、四人の兄弟はいつもの通り、
カヌウに乘つて、おきで魚をつつてゐまし
たが、ふと見ると、海岸の方に煙が上つてゐ
ます。兄弟はおどろいて、舟をこぎかへしま
した。海岸ではアラエといふまつ黒な鳥が
あつまつて、火をこしらへて、バナヽの實を
やいてたべてゐたのでございます。今兄弟
が舟をこぎかへして來るのを見ると、アラ

≪p169≫
エはいそいで火を消して、どこへともなく
飛んで行つてしまひました。
それから兄弟はアラエがどうして火をこ
しらへるか、それを知りたいと思ひました。
しかしその後もアラエの方では、兄弟の見
てゐる所ではけつして火をこしらへませ
ん。いつでも四人のものがおきへ出たあと
でばかり、火をこしらへます。さうして兄弟

≪p170≫
が煙を目あてに舟をこぎよせる時には、も
う火を消して、すがたをかくしてしまふの
です。
一番年上のマウイが一つのはかりごとを
思ひつきました。それは人形に自分の着物
を着せて、弟たちと一しよに舟に乘せてや
り、アラエが兄弟四人ともおきへ出てゐる
と思つて、火をこしらへにかゝるところを、

≪p171≫
かくれてゐて、見とゞけてやらうといふの
でございます。
五十三 火の始 (二)
あくる日の朝、三人の弟は一つの人形を舟
に乘せて、おきへ出て行きました。マウイは
いつも煙の上るあたりの大きな木のかげ
にかくれて、アラエの來るのを今か今かと
待つてゐます。

≪p172≫
一羽のアラエがどろ田の草の中から飛ん
で來ました。アラエはおきへ出てゐる兄弟
の舟をながめて、一人二人とかぞへ、四人ゐ
るので安心して、なかまのものどもをよび
あつめました。たくさんのアラエがてんで
にバナヽをくはへて、あつまつて來ました。
やがて火をこしらへてバナヽの實をやき
始めました。

≪p173≫
マウイは木のかげにかくれて、これを見て
ゐましたが、火をこしらへるしかたが、どう
もよく分りません。そこでふいに飛出して、
アラエをつかまへようとしました。
アラエはおどろいて四方へ飛立ちました
が、一番わかいのが一羽にげそこなつて、つ
かまりました。
つかまつたアラエは、始の中はなか〳〵ほ

≪p174≫
んとうのことを言ひませんでしたが、言は
なければひどい目にあはせるぞとおどさ
れて、とう〳〵火のこしらへ方を教へまし
た。それはハウの木のきれを外のかたいか
わいた木で、強くこするのでございました。
教へられた通りにやつて見ますと、見ごと
な火花がちつて、火がもえ出しました。マウ
イは大そうよろこんで、わかいアラエをは

≪p175≫
なしてやり、さつそく弟たちをよんで、その
はなしをしました。
馬哇島のものは、この時から魚や肉を火で
あぶつて食ふことにしたといふはなしで
ございます。
五十四 米
私は日本で生れた米でございます。なかま
のものと一しよにふくろにつめられて、く

≪p176≫
らの中にはいつてゐたのを、米商人が買取
つて、はる〴〵こゝまで送つてよこしまし
た。
汽車に乘つて、生れた土地からはなれる時
も、いよ〳〵船に積みこまれて、日本の港を
出る時も、まだ見たことのない知らぬ土地
へ行くのがうれしくて、別にかなしいとも、
心細いとも思ひませんでした。それになか

≪p177≫
まのものがたくさん一しよにゐますから、
どこへ行くにも心強うございました。
船の中では、色々の荷物と一しよに船ぞこ
の暗い所へ入れられてゐました。暗いのは
がまんが出來ますが、ひどくあついのには
弱りました。たえずがた〳〵いつてゐるき
かいの音も、ずいぶんやかましうございま
した。

≪p178≫
日本を出てから十日目にホノルルに着き
ました。こゝはホノルルでございます。私ど
もは船から出されて、くらの中へはこばれ
ました。
いつもふくろの中にはいつてゐますので、
外のようすは少しも分りません。
私どもは今に精米所{せいまいじよ}へ送られます。精米所
では、からだがきれいになつて、色も白くな

≪p179≫
ります。さうすると、家々へ送られて、ごはん
にたかれて、人々に食べられます。
をはり

≪p180≫
A I U E O
KA KI KU KE KO GA GI GU GE GO
SA SHI SU SE SO ZA ZHI ZU ZE ZO
TA CHI TSU TE TO DA JI DZU DE DO
NA NI NU NE NO
HA HI FU HE HO BA BI BU BE BO
MA MI MU ME MO PA PI PU PE PO
YA YI YU YE YO
RA RI RU RE RO
WA WI WU WE WO

≪附 p001≫
新出漢字表
万 丈 世。主。乘。井。仙 代 來。光。公。分
前 別。勝。千 升 午 半。取 友。合 同 命
品 商 問 善。園。地。士。妹 姉 始。孝 學。
安 家 實。寸 寺。尺。岸。工。帆 市。平。店
度 廣。弱 強。形。待 徒 後。思 惡 愛。拾
持。教 敵。春 晴 暗 曜。書。服。松 板 枚
枝 校 森 業 樂。歌。歩 武。民。氣。池 汽
油 洋 消 港 漁。炭 煙 熊。物。王。瓜。用。
町 畑 番 畫。病。皇。着。祝。種 積。第 答。

≪附 p002≫
織。美。習。聞。肉。自。苗 茶 荷 葉。血。街。
表 裏。角。討 記 讀。谷。象。負。身。車 軍
輕。近 送 通 造 進 道 遠。都。重 野。金
銀 銅。開 間。飛。食 飲。首。黄。黒。
讀替漢字表
五。九。十。丈 下。中。今 今年 代 代。兄。
出。分 別 前。勝。千 半。口 右 合 合 名
君 問。國 園。外 夜。天 天 太。子 學。家
實。少。岸。左。帆。平 平。度。弟 弟子。形。
後 後。心。惡。教。日 時。月。木 木 本 東。

≪附 p003≫
正 歩。民。油 海。火 炭。物。生。用。町。病。
白。着。石。祝。種。立。羽 習。船。苦。行 行。
西。角。負。車 軍。進。重。金。間 間 間。食。
高。
熟語表
金色2 國中2 毎年2 習字4 年中5 海岸8 土用14 一番=
茶15 谷々15 孝行16 祝日17 島國18 半日18 平氣18 島々19
勝負23 身分26 人民26 弟子26 苗木27 谷川28 何千本29 二=
手29 四足30 手本30 木造31 人口32 人種32 國々32 天氣33
時分33 時間33 半分33 日記34 三日月34 武士36 目方38 大=

≪附 p004≫
敵42 大海42 學問43 野中道44 赤茶色45 今年46 十人十色46
出帆47 左手47 商業地48 市中48 十分50 進歩50 出立51 安=
心53 火花53 米商人54 家々54


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底本:筑波大学附属図書館蔵本(810.7-H45-3 10014023658)
底本の出版年:大正6[1917]年2月25日印刷、大正6[1917]年2月28日発行
入力校正担当者:高田智和、堤智昭
更新履歴:
2022年8月30日公開

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