日本語史研究用テキストデータ集

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春色梅児与美しゅんしょくうめごよみ

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巻十一

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春色梅児与美 巻十一

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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
 複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(1オ)
春色{しゆんしよく}梅児誉美{うめこよみ}巻拾壱
江戸 狂訓亭主人著
第二十一齣
再回{めぐりあひ}て見{み}しやそれともわかぬ間{ま}に雲{くも}かくれにし夜半{よは}の月{つき}
それならなくに逢見{あひみ}ての後{のち}の心{こゝろ}にくらぶれば昔{むかし}はものを思{おも}はざ
る身{み}にしあらねど此{この}頃{ごろ}は苦労{くらう}求{もと}めて牛島{うしじま}の|寓居{りやう}にお由{よし}が
もの案{あん}じ。憂{うき}をかたりて姉娣{あねいもと}と誓{ちか}ひし例{れい}の蝶吉{てふきち}が姉{あね}を大
事{だいじ}と心付{こゝろづき}【蝶】「アノウ姉{ねへ}さんおまへさんは此節{こないだ}は誠{ま〔こと〕}にふさいで

(1ウ)
おいでだがネなぜで有{あり}ますヱ。今{いま}じや藤{とう}さんといふ後見{うしろだて}が出
来{でき}たから気{き}が丈夫{ぢやうぶ}じやアありませんか。チツトうき〳〵と
なさいナねへ。」【由】「アイヨおまへも他{ひと}の〔こと〕を苦労{くらう}にして気{き}をもむ
性{しやう}だから私{わたし}が元気{げんき}のない㒵{かほ}をすると直{ぢき}に案{あん}じて同{おな}じ様{やう}
にふさぐだろうと思{おも}つてもツイこり性{しやう}だから胸{むね}がつかへる様{やう}
になつて今{いま}までの奴{やつこ}な気{き}まへが出{で}なくツて只{たゞ}心{こゝろ}ぼそくばかり
なるヨ。」トはなしなかばへ勝手口{かつてぐち}四十才{よそぢ}あまりの内義風{ないぎふう}たし
かにこゝと合点{うなづき}つゝ【内義】「ハイチト御免{ごめん}なさりましお由{よし}さんとは

(2オ)
こちらでございますか。」トおとづるゝ声{こゑ}。お蝶{てふ}は立出{たちいで}【蝶】「ハイどちら
からお出{いで}なさいました。」【内義】「アノ私{わたくし}は千葉{ちば}の大和町{やまとちやう}から参{さん}じ
ましたがお由{よし}さんにお目{め}にかゝつてくはしくおはなし申たい〔こと〕が
ございますがどうぞおむづかしくもお逢{あひ}なさつてくださいまし
といふを聞{きく}より奥{おく}の方{かた}千葉{ちば}ときいては藤兵衛{とうべゑ}が方{かた}より
ならん。」トお由{よし}は声{こゑ}かけ【由】「お蝶{てふ}さんこちらへお連{つれ}もうして
おくれ。」トいひつゝ出迎{でむか}ふ中{なか}の間{ま}へお蝶{てふ}とともに入{い}り来{く}る内義{ないぎ}
お由{よし}は㒵{かほ}見{み}てふしんの体{てい}内義{ないぎ}は何{なに}やら眼{め}に涙{なみだ}互{たが}ひにその

(2ウ)
座{ざ}が定{さだ}まればまづはじめてのあいさつにしばらく有{あつ}て彼{かの}内
義{ないぎ}【内儀】「早速{さつそく}ながらお由{よし}さん御遠慮{ごゑんりよ}なさるお方{かた}もなくばチト
込入{こみいつ}た私{わたし}がおはなし亦{また}おきゝもうす〔こと〕もあり。」ト見{み}かへる側{そば}
にお蝶{てふ}はさとり勝手{かつて}へ立{たつ}て行{ゆく}跡{あと}に心{こゝろ}がゝりとお由{よし}は摺{すり}より
【内義】「され
ばサその〔こと〕では有{あり}ますけれどマアこれを御覧{ごらう}じて。」ト取出{とりいだ}し
たる一品{ひとしな}は昔{むかし}蒔絵{まきゑ}の織部形{おりべがた}好{この}みを尽{つく}せし三ツ組{くみ}の懐中{くわいちう}
盃{さかづき}下重{したがさ}ねしかも世{よ}に知{し}る下{しも}の句{く}のほとゝぎすといふ五文

(3オ)
字{ごもじ}にて高尾{たかを}が筆{ふで}をうつせしなり。お由{よし}はこれをいぶかしく
手{て}に取{とり}あげてその身{み}もまた手箱{てばこ}を出{だ}して八重封{やゑふう}じ上{うへ}に
記{しる}せし書附{かきつけ}をあくるを止{とゞ}めて彼{かの}内義{ないぎ}その書{かき}つけはわたしが
手{て}でみまがひもない後日{ごにち}の証古{しようこ}と半分{はんぶん}いひて泪声{なみだごゑ}お由{よし}は
聞{きい}てびつくりし【由】「ヱヽそんなら私{わちき}が五{いつ}ツの歳{とし}お別{わか}れ申シた
母御{おつか}さんでございますか。」【内義】「サア。アイと返事{へんじ}も出来{でき}にくい
わたしが胸{むね}を推量{すいりやう}して邪見{じやけん}な母{おや}と思{おも}はずに勘忍{かんにん}してと
泣沈{なきしづ}む。お由{よし}もワツ。」ト声{こゑ}をあげむせかへりつゝ寄添{よりそ}ひて【由】「イヱ〳〵

(3ウ)
何{なん}の勿体{もつたい}ない。堪忍{かんにん}どころじやございません。親父{おとつ}さ゜んの
存生{たつしや}な節{とき}さへ恋{こひ}しかつたおつかさんまして常〻{つね〴〵}気{き}にしても
尋{たづ}ねる当{あて}もないおまへがどうして私{わちき}の存宅{ありか}が知{し}れてモシ
マア夢{ゆめ}じやア有{あり}ませんか。」と取{とり}すがりたる親{おや}と子{こ}の道理{わけ}さへ
しれぬ愁歎{しうたん}にお蝶{てう}も彳聞{たちぎゝ}もらひ泣{なき}。障子{しやうじ}を隔{へだて}泣{なく}声{こゑ}も
へだてぬ中{なか}と知{し}られけり。やゝありて二人{ふたり}とも涙{なみだ}をはらひ【母】「ホンニ
マア私{わたし}とした〔こと〕が歳{とし}がひもなく泣{ない}たとてかへらぬむかしと
今{いま}の身{み}をくはしくいふもはづかしい〔こと〕ではあれどわざ〳〵と

(4オ)
今日{けふ}来{き}た仕義{しぎ}の前後{あとやさき}よく聞{きゝ}わけて合点{がてん}してと過越{すぎこし}
かたの物語{ものがたり}拙{つたな}き筆{ふで}に言葉書{〔こと〕ばがき}ではしるし尽{つく}さんよしな
ければ左{さ}にしるすを見{み}て解{げ}したまへ。」
○そも〳〵お由{よし}が五才{いつゝ}の時{とき}この母親{はゝおや}は歳{とし}わかくやう〳〵
二十一|歳{さい}にてお由{よし}を産{うみ}しは十六|歳{さい}の暮{くれ}のことにて
ありしとなん。かくて乙子{おとご}をまうけたる二十一|歳{さい}の頃{ころ}に
いたりてその亭主{つま}薄命{しあはせ}わろくして夫婦{ふうふ}より〳〵
談合{だんかふ}し夫{をつと}はお由を伴{ともな}ひて田舎{ゐなか}の縁者{ゑんじや}を心{こゝろ}あてに

(4ウ)
あきもあかれもせぬ中{なか}を離別{りべつ}なしつゝ乳呑{ちのみ}をば
母の手元{てもと}にゆだねつゝ終{つひ}のよるべもそらだのめはかな
く親子{おやこ}ちり〴〵になりにし後{のち}にこの母{はゝ}は我{わが}子{こ}を里{さと}
につかはしてその身{み}は乳母{うば}に出{いで}しかど心{こゝろ}づかひの期{うへ}な
れば忽{たちま}ち乳{ちゝ}の上{あが}りしゆゑ当惑{たうわく}したる折{をり}からに彼{かの}
藤兵衛{とうへゑ}が父{ちゝ}なりし藤左衛門{とうざゑもん}に思{おも}はれて心{こゝろ}ならずも
またさらに結{ゆひ}なほしたる嶋田髷{しまだまげ}囲{かこは}れ女{め}にはなりし
なり。かくて里子{さとご}にやりたりしは是{これ}ぞお由が娣{いもと}にて今{いま}

(5オ)
婦多川{ふたがは}に全盛{ぜんせい}の芸者{げいしや}となりし米八{よねはち}なり。さて
米八{よねはち}は里親{さとおや}の養育{やういく}にて成長{ひとゝな}り母{はゝ}はさずかに藤左
衛門{とうざゑもん}に子{こ}のあるよしを隠{かく}したれば手元{てもと}におく〔こと〕なら
ずして終{つひ}に里親{さとおや}に任{まか}せしゆゑ十三|才{さい}の時{とき}米八{よねはち}は里
親{さとおや}難義{なんぎ}の〔こと〕ありて唐琴屋{から〔こと〕や}へ芸者{げいしや}に売{う}られ身儘{みまゝ}
にならぬそのよしを知れどもこの頃{ころ}藤左衛門{とうさゑもん}は老病{らうびやう}
にて何事{なに〔ごと〕}も不自由{ふじゆう}ゆゑに本妻{ほんさい}にあかしてお由{よし}か母
親{はゝおや}を千葉{ちは}の家内{かない}に引取{ひきとり}しゆゑ何事{なに〔ごと〕}も忘{わす}れし〔ごと〕く

$(5ウ)

$(6オ)

(6ウ)
打捨{うちすて}て八年{やとせ}あまりを過{すぎ}しとぞ。かゝればお由{よし}が旅寝{たびね}
して佐倉{さくら}にいたり藤兵衛{とうべゑ}にちぎりを結{むす}ぶ前{まへ}の年{とし}
米八{よねはち}は唐琴屋{から〔こと〕や}の抱{かゝ}へになりし〔こと〕とおもはる。さてお由{よし}
と米八{よねはち}が姉娣{きやうだい}といふ〔こと〕は今{いま}この母{はゝ}が知るばかり。お由{よし}は
五才{いつゝ}米八{よねはち}は当歳{たうざい}の時{とき}なれば姉娣{はらから}ありとは露{つゆ}ばかり
もしらで月日{つきひ}を過{すご}せしとぞ。こゝに親子{おやこ}の対面{たいめん}は凡{およそ}
二十一ケ|年{ねん}の後{のち}にしていと〳〵ながき月日{つきひ}なり。この始
終{おもむき}にて見{み}る時{とき}は母親{はゝおや}の歳{とし}は四十二|才{さい}お由{よし}は二十六|才{さい}にて

(7オ)
かの米八{よねはち}は二十二|才{さい}におよぶなるべし。よく〳〵かんがへ
よみたまはねば作者{さくしや}の綴{つゞ}りがあしきゆゑわかりがた*「作者{さくしや}」は小書き
かるくだりもあるべし。凡{すべて}予{おのれ}が作意{さくい}の癖{くせ}は発端{ほつたん}に*「予{おのれ}」は小書き
いふべきすぢを後{のち}にしるすが常{つね}なればよろしく察{さつ}
して高覧{かうらん}をねがふのみ。
斯{かく}てお由{よし}と母親{はゝおや}は前文{ぜんぶん}の一条{おもむき}を問{とひ}つ問{と}はれつ時{とき}うつる噺{はなし}
に果{はて}もなかりしがやゝありて【母】「ノウお由{よし}今{いま}までいふたは過{すぎ}
た〔こと〕今日{けふ}わざ〳〵と来{き}たわけはチツトおまへに頼{たのみ}が有{ある}が聞{きゝ}

(7ウ)
とゞけておくれか。」といへばお由{よし}は膝{ひざ}すり寄{よ}せ【由】「アノ改{あら}たまつ
たそのお言葉{〔こと〕ば}たとへ別{わか}れて育{そだ}つても産{うみ}の恩{おん}ある母人{おつか}
さん頼{たの}むなんぞと被仰{おつしやる}は他人{たにん}がましいなんのマア親子{おやこ}の
中{なか}じやアございませんか。」【母】「サアそうでは有{ある}けれど此{この}盃{さかづき}の
三組{みつぐみ}の一{いち}ばん小{ちひ}さひすゑの所{ところ}を別{わか}るゝ時{とき}に遣{や}つたのは今{いま}はな
した米八{よねはち}が証古{しようこ}の品{しな}母{はゝ}の此{この}身{み}は二十|年{ねん}にあまる恩義{おんぎ}の
大和町{やまとちやう}藤兵衛{とうべゑ}さんの両親{おやごたち}に今{いま}もまかせし義理{ぎり}あるこの
母{はゝ}藤左衛門{とうざゑもん}さまからそのお子{こ}の藤{とう}さんの代{よ}へかけて一方{ひとかた}ならぬ

(8オ)
深{ふか}い縁{ゑん}にかゝればつながる姉娣{きやうだい}が姉{あね}も娣{いもと}も藤{とう}さんのお世|
話{わ}になつて居{ゐ}た日{ひ}にはたとへ両方{りやうはう}知{し}らぬ同士{どし}藤{とう}さんとても
其様{そう}なれど此{この}身{み}になつては朝夕{あさゆふ}に他目{ひとめ}にしれぬ心{こゝろ}の苦労{くらう}
大|旦那{だんな}が死去{なくな}られてモウ八九年{はつくねん}になるけれどやつはり旦
那{だんな}の繁昌{はんじやう}の時{とき}にかはらぬ本妻{おかみ}さんわたしを実{ほん}の妹{いもうと}と思{おも}つて
ゐると信切{しんせつ}づくめ何も不足{ふそく}のない宅{うち}で本妻{おかみ}さんの御苦
労{ごくらう}は只{たゝ}藤{とう}さんのお身{み}のうへまた嫁{よめ}御さへとられぬは唐琴屋{から〔こと〕や}
だの和哥町{わかちやう}じやのまたそなたじやのといふ者が三方四方に

(8ウ)
あるゆゑと聞{きい}てはどうもその儘{まゝ}に捨{すて}ておかれぬ藤{とう}さんの
身持{みもち}勿論{もちろん}是{これ}までいろ〳〵と胴楽{どうらく}の止{やむ}間{ま}がないゆゑ母{はゝ}
御の苦労{くらう}は無理{むり}ならず。何{なん}の縁{ゑん}でか親子{おやこ}三人{さんにん}千葉{ちば}のお宅{うち}の
厄界{やつかい}になるもふしぎな〔こと〕ながらお米{よね}なり[米八が〔こと〕をいふなり]其方{そなた}なり
いつそ私{わたし}がすゑ〴〵まで知{し}らねば知らぬで済{すま}しもすれど
別{わか}れて居{ゐ}ても親子{おやこ}の情{じやう}案{あん}じてくらす月{つき}と日{ひ}にだん〳〵
知{し}れた今{いま}の身{み}のうへ知{し}つてはさすがよそ〳〵しくならぬが
浮世{うきよ}の人情{にんじやう}づくこゝの所{ところ}をくみわけてどうぞしばらく藤{とう}さんが

(9オ)
本宅{おうち}に腰{こし}の落付{おちつく}やう其方{そなた}の仕打{しうち}でどうでもなる。お由{よし}も
こうだと米八{よねはち}に是{これ}から逢{あつ}てはなしたら得心{とくしん}しない〔こと〕も有{ある}
まい。此{この}頃{ごろ}聞{き}けば唐琴屋{から〔こと〕や}は少{すこ}し遠{とほ}ざかつてお出{いで}もないと。そふ
して見{み}ればお米{よね}は商売{しやうばい}外{ほか}の座敷{ざしき}へ行{ゆく}日{ひ}もあろう。お足{あし}の
近{ちか}いはどうでも此方{こつち}それゆゑ頼{たの}む此{この}母{はゝ}が無理{むり}であろうと
聞{きゝ}わけて愛相{あいさう}つかすほどではなくともおもしろからず会釈{あしらふ}て
遠{とほ}ざかるやうにしてくだされ。」といはれてお由{よし}は口{くち}のうち只{たゞ}アイ
〳〵もないじやくりしばしは答{こたへ}もなかりける。

$(9ウ)
三{み}ツ組{ぐみ}盃{さかづき}の図{づ}
米八{よねはち}が所持{しよぢ}
〈画中〉きみは
いま
お由{よし}が所持{しよぢ}
〈画中〉駒形
あたり
母{はゝ}の所持{しよぢ}
〈画中〉ほとゝ
ぎす

これ親子{おやこ}三人{みたり}が別{わか}るゝ時{とき}後{のち}の証古{しようこ}とせしものなり。因{ちなみ}にいふ織部形{おりべがた}*以下本文
とは古田氏{ふるたうぢ}の好{このみ}にして凡{およそ}の道具{だうぐ}小器{ちいさき}を珍重{ちんてう}せられしゆゑ此{この}小盃{こさかづき}をも
織部形{おりべがた}といふ。古{ふる}き椀久{わんきう}の唄{うた}に「思{おも}ひざしなら武蔵野{むさしの}でなりと何{なん}じや織部{おりべ}
の小盃{こさかづき}。」トつゞりたり武蔵野{むさしの}といふは大盃{おほさかづき}にてのみつくされぬといふ謎{なぞ}なりとぞ。

(10オ)
第二十二齣
さてもお由{よし}はつく〴〵と過越{すぎこし}かたの物{もの}かたりに去{さり}にし親父{おや}の
〔こと〕さへも胸{むね}にうかみて悲{かな}しさの猶{なほ}いやまさる浮世{うきよ}の義
理{ぎり}。亦{また}藤兵衛{とうべゑ}と米八{よねはち}が中{なか}をくわしく知{し}らざれば現在{げんざい}
娣{いもと}の契{ちぎ}りたる男{をとこ}と知{し}らねば兎{と}も角{かく}も五{いつ}才の時{とき}に別{わか}れ
しより。二十年{ふたむかし}まで隔{へだ}たりし母{はゝ}のたまさかめぐり合{あひ}頼{たの}
むといはるゝ一言{いちこん}は思{おも}ひ切{き}らねはならぬ仕義{しぎ}。とはいへその身{み}は
七年{なゝとせ}前{さき}いまだ娣{いもと}も此糸{このいと}も逢はぬ前{まへ}より言{いひ}あはし縁{えん}

(10ウ)
あればこそわが身{み}さへあはれぬ中{なか}とあきらめて心{こゝろ}にあらぬ
女丈夫{をんなだて}一生{いつしやう}やもめで活業{くらさん}と思{おも}ひしものがはからずもお
蝶{てふ}が〔こと〕よりめぐり合{あ}ひむかしにかへる女気{をんなぎ}の他{ひと}よりわけ
て実正{こりせう}の心{こゝろ}をまたも入{いれ}かえてどう縁{えん}切{きつ}てこれきりにな
られうものかなりもせじならねば母{はゝ}へ不孝{ふかう}ぞと千〻{ちゞ}に
くだくるもの思{おも}ひ折{をり}から隣{となり}の垣根{かきね}ごし清元{きよもと}入{いり}のトヽ一{どゞいつ}を
娘{むすめ}が唱{うた}ふその一節{ひとふし}
〽梅{うめ}に鴬{うぐひす}アレきかしやんせ【きよ元】〽すゐなゆかりとわれながら

(11オ)
我{わか}つま琴{〔ごと〕}を掻{かき}ならす思{おも}ひの丈{たけ}の尺八{しやくはち}も一夜{ひとよ}ぎり
とはきにかゝる〽凧{たこ}の糸目{いとめ}も花{はな}の邪广{じやま}
他{よそ}の端唄{はうた}も身{み}にあたる縁{ゑん}の糸目{いとめ}の切{きれ}よとは花{はな}をちらさ
ぬ辻{つぢ}うらかとは思{おも}へども藤兵衛{とうべゑ}とわかれてなんのながらへ
てまた来{く}る春{はる}を待{また}れうぞと繰{くり}かへしたるお由{よし}がなけぎ母{はゝ}
は義理{ぎり}ある藤兵衛{とうべゑ}に身{み}を保{もた}せんと思{おも}ふゆゑ無理{むり}を承
知{しようち}のねづり言{〔ごと〕}【母】「モウ〳〵能{いゝ}からなきなさんな。親{おや}とは
言{いふ}ぜう二十|年{ねん}産{うん}だばかりで恩{おん}もなし。たま〳〵尋{たづ}ねて

(11ウ)
来{く}るよりはやく親子{おやこ}の|名対面{なのり}をするやせず思{おも}ふ男{をとこ}と縁{ゑん}
を切{き}れ母{はゝ}が恩{おん}ある家{いへ}へ対{たい}して済{すま}ぬのなんのと得手{えて}勝手{かつて}
みんなわたしがわるかつた。姉娣{きやうだい}他人{たにん}のはじまりとやら
ずゐぶん娣{いもと}にはり合{あつ}て男{をとこ}をとられぬ用心{ようじん}しな。年{とし}とつた
そなたがその様子{やうす}では娣{いもと}もなか〳〵得心{とくしん}しまい。人{ひと}なみ〳〵の
親{おや}ならば親{おや}の威光{ゐくわう}もいふけれど薄命{ふしあはせ}ゆゑ子{こ}どもにも
口{くち}のきかれぬ生{いき}がひもない此{この}母{はゝ}が死んで万事{ばんじ}のいひわけ
します。」とすげなく立{たつ}を引{ひき}とめて【由】「アレ母人{おつか}さんお気{き}の

(12オ)
みぢかひマア堪忍{かんにん}して私{わちき}のまうす〔こと〕を一通{ひととほ}りお聞{きゝ}なさつ
てくださいまし。」ト涙{なみだ}ながらに七年{なゝとせ}以前{いぜん}佐倉{さくら}で逢{あひ}し
時{とき}よりして心{こゝろ}を尽{つく}せし操{みさほ}のやもめ神{かみ}や仏{ほとけ}の恵{めぐみ}にて
ふたゝび合{あひ}たる今日{けふ}の今{いま}浮気{うはき}で惚{ほれ}て身{み}のために男{をとこ}
を釣寄{つりよ}せくらすかとおぼしめすのが恥{はづ}かしい。モウさつぱり
と思{おも}ひきつて是{これ}までしつけた髪{かみ}ゆひと小梅{こうめ}の宅{うち}の
貸衣裳{かしいしやう}損料{そんりやう}夜具{やぐ}の活業{よわたり}でその日{ひ}を過{すご}して故
人{なくなつ}たおとつさ゜んの命日{めいにち}には現成菴{げんじやうあん}へでもお参{まゐ}り申て一

$(12ウ)

$(13オ)

(13ウ)
生{いつしやう}をおくります。トいはれて見{み}れば母親{はゝおや}も無理{むり}と承知{しやうち}で
言出{いひだ}して今{いま}さらなんと善悪{よしあし}を定{さだ}めかねたるこの座{ざ}の模
様{もやう}。折{をり}から隣{となり}に続{つゞい}たる四畳半{よでうはん}の小座{こざ}しきの縁{えん}の障子{しやうじ}
を押{おし}あけながら「イヤノウ娣{いもと}おそのとの義理{ぎり}をおもふて
藤兵衛{とうべゑ}が身持{みもち}に付{つ}いての心{こゝろ}づかひはかたじけないがお由女{よしぢよ}
は私{わし}が大事{だいじ}の恋嫁御{こひよめご}。吉辰{ひがら}を撰{えら}んで藤兵衛{とうべゑ}が家{やど}の内
義{るすゐ}でございます。」トいふこゑ聞{きい}ておどろく二人{ふたり}入{い}り来{く}る
姿{すがた}は歳{とし}のころ五十才{いそぢ}あまりの尼御前{あまごぜ}にてさも上品{おうよう}なる

(14オ)
その出立{いでたち}御納戸{おなんど}加賀{かゞ}の羽二重{はぶたへ}に花色{はないろ}ちりめんの裏{うら}つ
けて下着{したぎ}も対{つい}の花色{はないろ}無垢{むく}【尼】「おゆるしなさいと手{て}を
膝{ひざ}に珠数{じゆず}つまぐりて座{ざ}につけば。」【お由】「あなたは此間{こないだ}お隣{となり}で
お目{め}にかゝつた御隠居{こいんきよ}さま。」【母】「思{おも}ひもよらぬお姉{あね}ヱさんどふ
して爰{こゝ}を御存{ごぞん}じで。」トお由{よし}が母{はゝ}とお由とが右左{みぎひだ}りから問{とひ}
よれば尼{あま}はにつこりうち笑{わら}ひ【尼】「さぞふしんなと思{おも}ひなさろふ。
今日{けふ}来{き}たわしが心{こゝろ}のうち釈尊{おしやか}さまでもごぞんじある
まい。とはいふものゝ案{あん}じたより産{うむ}が易{やす}いと世{よ}の諺{〔こと〕わざ}。産{うま}ぬ

(14ウ)
子{こ}どもの身{み}の素生{すじやう}わしが年来{ねんらい}娣{いもと}ぞと思{おも}ふてくらした
おそのどのの実{じつ}の娘{むすめ}のお由{よし}女郎{ぢよらう}。それと知らずに藤兵衛{とうべゑ}が
深{ふか}くやくそく堅{かた}めたは一方{ひとかた}ならぬ縁者{えんじや}の中{なか}。何心{なにごゝろ}なくお隣{となり}
からつゞく庭{には}ゆゑ不遠慮{ふえんりよ}と思{おも}ひながらも来{き}かゝつてふと
耳{みゝ}にいる咄{はな}し声{ごゑ}品{しな}こそかはれ藤兵衛{とうべゑ}が為{ため}をおもふて
おそのさん血{ち}をわけた子{こ}に縁{えん}切{き}れとはま〔こと〕に義理{ぎり}の
深{ふか}い〔こと〕。わたしはそれに引{ひき}かえて子{こ}にあまいゆゑ藤兵衛{とうへゑ}
が是{これ}までつゞく胴楽{どうらく}わがまゝ。今{いま}さら嫁{よめ}の詮穿{せんさく}も里{さと}の

(15オ)
しうとの気〻{きぎ}さま〴〵それよりいつそ子{こ}どもの気に
いつたら女郎{ぢようろ}芸者{げいしや}でもかまはぬ方{ほう}が当世{たうせい}かと思{おも}つて見{み}
てもそうはない。三日も尻{しり}の落着{おちつか}ぬ女{をんな}は宅{うち}へもいれられず
と不断{ふだん}思案{しあん}の絶{たえ}ない時節{をりから}此間{こないだ}途中{とちう}で桜川{さくらがは}が見{み}えた
ゆゑだん〳〵の理{わけ}をはなして世間{せけん}のひろい善孝{ぜんかう}のこと
とうぞ忰{せがれ}が遊先{あそびさき}たがひに始終{しじう}真実{しんじつ}に添{そ}ひとげやう
といふわけの女{をんな}があらば一日{いちんち}もはやく宅{うち}へとたのんだところ
唐琴屋{からことや}は藤兵衛{とうべゑ}も繁{しげ}く行{いつ}たは一盛{ひとさかり}どふやらこれは

(15ウ)
ない縁{ゑん}といふゆゑそれから米八{よねはち}が方{ほう}はときけばはツきりと
わからぬあいさつさりながら元{もと}此糸{このいと}と同{おな}じ家{いへ}に居{ゐ}た時{とき}
どふかわけあつてふた川{がは}へ自売{じまへ}とやらになつたは不残{みんな}藤
兵衛{とうべゑ}がした〔こと〕ゝ去{さる}人{ひと}のはなしそれゆゑわたしが米八{よねはち}を
たづねて直{ぢき}に心根{こゝろね}を聞{きか}ふとおもふその中{うち}に噂{うわさ}を聞けば
丹次郎{たんじらう}といふ人{ひと}に操{みさほ}を立{たつ}て表向{おもてむき}は男{をとこ}きらひと風聴{ふいちやう}を
させる芸者{げいしや}と聞{きい}て見{み}ればこれも此方{こつち}のものではなし。
それほど馬鹿{ばか}には産{うみ}つけぬと腹{はら}は立{たつ}て見るものゝ男{をとこ}の

(16オ)
意地{いぢ}とか達引{たてひき}とかでふりつけられても幾度{いくたび}か通{かよ}ふ遊{あそ}
びもするものと聞{きけ}ばまんざらだまされて世話{せわ}をして
置{おく}わけも有{ある}まいといろ〳〵気{き}をもむその中{うち}にこちら
の様子{やうす}を聞出{きゝだ}して幸{さいは}ひこの頃{ごろ}お参{まゐ}り申|現成菴{けんしやうあん}で
お心{こゝろ}やすくなつたお隣{となり}のお袋{ふくろ}さん打明{うちあか}しておはなし申
それとはなしに此{この}間{あいだ}知己{ちかづき}になつたお由{よし}どの元{もと}は小梅{こうめ}の
女伊達{をんなだて}強{つよ}い人{ひと}じやと噂{うわさ}とはうつてかはつたそのやさしさ。
殊{〔こと〕}にすぐれた美目{みめ}形容{かたち}これで心{こゝろ}がはすはでなくば

(16ウ)
藤兵衛{とうべゑ}が嫁{よめ}には過{すぎ}ものとだん〳〵近所{きんじよ}の取沙汰{とりさた}から気{き}
だての様子{やうす}何{なに}ひとつ不足{ふそく}はないと思{おも}ふゆゑ今日{けふ}は直〻{ぢき〳〵}千
葉{ちば}の宅{うち}へ|這入{はいつ}てもらふ相談{さうだん}をと来{き}かゝる爰{こゝ}への庭{には}伝{づた}ひ
願{ねが}ふてもない縁{えん}つゞきおそのさんの実{じつ}の子{こ}と始{はじめ}て聞{きい}て嬉{うれ}
しさに罪{つみ}深{ふか}いといふ彳聞{たちぎゝ}もわれをわすれた此{この}よろこび。
しかし此方{こつち}はその気{き}でも心〻{こゝろ〴〵}の人{ひと}の望{のぞみ}お由{よし}どのはじめおその
さん藤兵衛{とうべゑ}が本妻{ほんさい}にするのは心{こゝろ}にそまぬかへ。」トいはれて
飛{とび}たつうれしさは何{なに}にたとへん方{かた}もなくおそのお由{よし}が喜{よろこ}びにも

(17オ)
涙{なみだ}さきだつ夢{ゆめ}ごゝろ。しばらくあつて【母その】「思{おも}ひがけない御隠居{ごいんきよ}
さまの有{あり}がたい思召{おほしめし}。今{いま}にはじめぬ〔こと〕ながら勿体{もつたい}ないやう
にぞんじます。」【由】「いやしい此{この}身{み}を有がたいお慈悲{じひ}のお言葉{〔こと〕ば}
ではございますがそうして見{み}ると藤{とう}さんのお蔭{かげ}で世{よ}にたつ
米八{よねはつ}さ゜んが俄{にはか}にどうか前後{あとさき}の都合{つがう}も違{ちが}ふ心{こゝろ}あてたとへ娣{いもと}
としらずとも女{をんな}の心のはかなひをぞんじましては是{これ}も亦{また}心{こゝろ}
にかゝる成行{なりゆき}の。」【藤】「イヤその〔こと〕は遠慮{えんりよ}におよばぬ。」【由】「そうおつしや
るは藤兵衛{とうべゑ}さん。」【尼】「ヲヽ藤兵衛{とうべゑ}が来{き}たのかへ。」。[しやうじをあけて藤兵衛は尼のまへにすはり]

(17ウ)
【藤】「お歳{とし}よられて母人{おつか}さん私{わたくし}ゆゑに相{あひ}かはらずさま〴〵のお心
遣{こゝろづか}ひモウ〳〵これから気{き}を入{いれ}かえて急度{きつと}身持{みもち}を改{あらため}ます。殊{〔こと〕}に
お由{よし}を添{そは}せんと深{ふか}いお慈悲{じひ}のお志{こゝろざし}野暮{やぼ}らしい御気性{ごきせう}だとな
か〳〵出来{でき}ぬ今日{けふ}の仕義{しぎ}。お由やよくお礼{れい}を申なゝ。おそのさんもいろ
〳〵と御信切{ごしんせつ}。しかしこれからきまじめでみんなに安堵{あんど}をさせ申や
す。又{また}米八{よねはち}が事{〔こと〕}はその始{はじめ}此糸{このいと}が頼{たのみ}によつて自売{じまへ}の身{み}にしてやり
ましたがそれから後{のち}にお出入{でいり}やしきの畠山{はたけやま}さまの御家老職{ごからうしよく}誉田{ほんだ}の
次郎{じらう}近常{ちかつね}さまから頼{たのま}れまして心{こゝろ}にない無理{むり}な〔こと〕まで言{いひ}かけて

(18オ)
心{こゝろ}の底{そこ}をさくつて見{み}ましたが中{なか}〳〵乱{みだ}れぬ心{こゝろ}の操{みさほ}歳{とし}のゆ
かぬ女{をんな}にはまた有{ある}まじき気性{きしやう}ゆゑ此{この}藤兵衛{とうべゑ}が証人{しようにん}媒人{なかたち}
丹次郎{たんじらう}どのゝ内室{ないしつ}と始終{しじう}をはかる深{ふか}いわけしかしこれは
今{いま}こゝでちよつと申てわからぬおはなしまづその〔こと〕はとも
角{かく}も私{わたし}が爰{こゝ}へ来{き}かゝつて扣{ひか}へて居{ゐ}たもやゝしばらくさためて
母人{おつか}さんも御食前{ごじぶん}だろう。」ト次{つぎ}の方{かた}へ向{むか}ひ【藤】「ヲイ何{なに}やお
蝶{てふ}ぼうやちよつと来{き}てくんな。お蝶さんいねへのか。」と呼{よ}べどお蝶
は先刻{せんこく}よりお由{よし}が〔こと〕を彳聞{たちぎゝ}して案{あん}じ煩{わづら}ふそのあげく彼{かの}米

(18ウ)
八{よねはち}を丹次郎{たんじらう}へそひとげさせると藤兵衛{とうべゑ}が言葉{〔こと〕ば}にハツト当
惑{たうわく}し涙{なみだ}に返事{へんじ}もなさぬとはしらでお由{よし}は次{つぎ}へ出{いで}【由】「ヲヤ
此{この}子{こ}はやお出{いで}でないかと思{おも}つたに藤兵衛{とうべゑ}さんがお呼{よび}だヨ。」ト言{いは}
れてアイと立上{たちあか}る娘心{むすめこゝろ}にいとせまき袂{たもと}をぬらす憂{うき}思{おも}ひ
一ト間{ま}へだてて悦{よろこ}びと歎{なげ}ぎと変{かは}るお蝶{てう}が胸{むね}必竟{ひつきやう}このすゑ
いかならん。そは第{だい}二十四|齣{せき}にいたりて満尾{まんび}の段{だん}にくはしくしる
す。これよりはまた此糸{このいと}が伝{でん}にうつれば前後{あとさき}を繰返{くりかへ}しつゝよみたまへ。
春色梅児誉美巻之十一了


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底本:国立国語研究所蔵本(W99/Ta81、1001142254)
翻字担当者:金美眞、洪晟準、成田みずき、藤本灯
更新履歴:
2017年4月5日公開

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