日本語史研究用テキストデータ集

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春色梅児与美しゅんしょくうめごよみ

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巻四

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春色梅児与美 巻四

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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
 複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(口1オ)
春色梅暦
子細{しさい}らしき顔{かほ}で息子{むすこ}を禁制{いましめる}親父{おやぢ}
も。功徳{くどく}池{ち}の内{うち}より涌出{わきいで}たるにもあらず。
殊勝{しゆしよう}がましく数珠{じゆず}爪{つま}ぐる母親{おふくろ}も。菩提
樹{ぼだいじゆ}の二股{ふたまた}より生{うま}れもせず。されば色{いろ}好{この}ま
ざらん男{をのこ}は玉{たま}の巵{さかづき}の当{そこ}なき心地{こゝち}すべき
はづ也。兎角{とかく}当世{たうせい}の姫殿達{ひめとのたち}の翫弄{もてあそび}に

(口1ウ)
具{そな}ふもの。色情{しきじやう}の草紙{さうし}に非{あらず}して何{なに}歟
|右{みぎ}に出{いで}ずなん。世{よ}の流行{りうかう}書肆{ふみや}の米箱{こめびつ}
をうるをす事{〔こと〕}。是{これ}将{まさ}に小説家{せうせつか}の
戯作{けさく}の種蒔{たねまき}万{よろづ}よしによれり。今{いま}茲{こゝ}に
開{ひら}ける梅暦{うめごよみ}は為永{ためなが}大人{うし}の吉書始{きつしよはじめ}に
して。書房{しよばう}が金神{こんじん}の金得利{かねまうけ}は。天{てん}おん
得{え}たる家{いへ}のふく{福}日。とる。たつ年{どし}の春{はる}の新

(口2オ)
板{しんはん}。嗚呼{あゝ}趣向{しゆかう}の新{あたら}しき事{〔こと〕}。室咲{むろざき}の
梅{うめ}も遂{つひ}に及{およ}ばず。変生{へんじやう}女子{によし}の新工夫{しんくふう}は。
青漬{あをづけ}の梅{うめ}のすいにして。過{あやま}ちなしの延
喜{えんぎ}吉慶{きつけい}。恵方{ゑはう}に向{むか}ふて出方題{ではうだい}に。
阿房{あはう}な事{〔こと〕}を序{じよ}めかす而己{のみ}。
九返舎主人戯述〈印〉

(口2ウ)
江戸為永春水著〈印〉
天保三壬辰年
春正月吉日
当今流行第一魁
江戸書林
永寿堂 西村与八
文永堂 大嶋屋伝右衛門
江戸柳川重信画〈印〉

$(口3オ)
帰雁
節婦の
こゝろを
いたま
しむ
物{もの}思{おも}ふ
涙{なみだ}に
にじむ厂{かり}の
文字{もじ}
為永喜久女
寮防
町{りやうばうまち}
於阿{おくま}が
准娘{むすめぶん}

蝶吉{たけてうきち}

$(口3ウ)
婦多川{ふたがは}の米八{よねはち}。
○そも
流行{りうかう}に心{こゝろ}を
つけて高名
書画{かうめいしよぐわ}の花押{くわわう}に
くはしく風流{ふうりう}の
雅莚{がえん}に招{まね}かれ一中{いつちう}の調子{てうし}を
あはしてまたよくトヽ一{どゞいつ}の新文
句{しんもんく}にゆきわたる。

$(口4オ)
○傾城{けいせい}の賢{けん}なるは此{この}柳橋{やなぎばし}
堀{ほり}の噂{うわさ}もあしからぬたしかにこれぞ
おしよくの全盛{ぜんせい}
唐琴屋内{から〔こと〕やうち}
此糸{このいと}

$(口4ウ)
胸{むね}のなやみの
かさなりて
ついおもひ寝{ね}の
夢{ゆめ}となる
蝶{てふ}が阿長{おちやう}か
阿長{おちやう}が蝶{てふ}か正{まさ}に
荘子{そうし}の寓言{ぐうげん}蛇足{じやそく}
再出
|竹
蝶吉{たけてふきち}

$(口5オ)
画工{ぐわこう}が筆意{ふでのこゝろ}を
ゑがき

さらに作者{さくしや}の
補{おぎな}ひとせり
女髪結{をんなかみゆひ}
小梅{こうめ}の於由{およし}

$(口5ウ)
石台{せきだい}に
うたぬ
水{みづ}あり
梅{うめ}の
花{はな}

(1オ)
春色{しゆんしよく}梅児誉美{うめこよみ}巻の四
江戸 狂訓亭主人作
第七齣
さても丹次郎{たんじらう}は二階{にかい}より下{を}りかゝりたる段階子{だんばしご}登{のぼ}る梅次{うめじ}
と米八{よねはち}にぎよつと後{うしろ}を振向{ふりむけ}ばかわゆき顔{かほ}に茜{あかね}さすりん
きの眼元{めもと}露{つゆ}ふくむお長{ちやう}がうらみ。米八{よねはち}もそれと見{み}るより
角目立{つのめだつ}こゝろをやう〳〵おししづめ【よね】「丹{たん}さん待{まつ}てお出{いで}と
いつたのに帰{かへ}りそうにしておいでだ。」トいひながらお長{ちやう}に向{むか}ひ

(1ウ)
「ヲヤお長{ちやう}さんま〔こと〕にお久{ひさ}しいねへ。たいそうに美{うつ}くしく
おなりだ。そしてマア少{すこ}しの中{うち}に背丈{せゑ}も延{のび}た〔こと〕は。それじやア
モウ何処{どこ}へ娵{よめ}にお出{いで}でも能{いゝ}。」といひながら丹次郎{たんじらう}の顔{かほ}をじ
ろりと見{み}る。丹{たん}次郎は知{し}らぬ㒵{かほ}で【丹】「ほんにちつと見{み}ねへうち
大{おほ}きくなつたのう。今{いま}其処{そこ}で逢{あつ}て見{み}そく
なつたくらひだ。」
【よね】「ナニ見{み}そくなふ〔こと〕もあるまいねへ。お長{ちやう}さん男{をとこ}といふものは
どうもたのみになるやうで頼{たのみ}にならないもんだ。のう梅次{うめじ}
さん。」トすこし丹{たん}次郎にあてる。【うめ】「そりやアそうだけれどなん

(2オ)
でも女{をんな}の気魂{きこん}次第{しだい}さ。此方{こつち}が惚{ほれ}りやア他{ひと}もほれるから由
断{ゆだん}をするといかないよ。」○お長{ちやう}はさすが娘気{むすめぎ}に表向{うはべ}をつくろふ
愛相{あいさう}のならねば胸{むね}におもふ〔こと〕面{おもて}に出{いで}てやゝしばらく物{もの}もい
はずにありけるがやがて心{こゝろ}を取{とり}なほし【長】「米{よね}八さん堪忍{かんにん}おしよ。
私{わちき}は久{ひさ}しく逢{あは}ない人{ひと}にあふと急{きう}にかなしくなつてものが
いはれないからツイだまつて居{ゐ}たヨ。」トわらひ顔{がほ}する一言{ひと〔こと〕}は娘
心{むすめごゝろ}にしかたなく性{せい}いつぱいの世事{せじ}なるべし。【よね】「ナニ堪忍{かんにん}も何{なに}
もいらないはネ。そしてマア廓{てう}の方{はう}はどうおしだヱ。」【丹】「マア今{いま}に

(2ウ)
くわしく咄{はな}そうがおめへは兎{と}も角{かく}も梅次{うめじ}さんにはやく酒{さけ}でも。」【うめ】「ナニマアよいはねへ。」【よね】「上{あが}りしなにモウあつらへたはねへ。」【丹】「ハアそふ
か。」トいふうち誂{あつら}へのうなぎと酒{さけ}を下{した}よりはこぶ。これよりし
ばらく盃{さかづき}の取遣{とりやり}をしながら【よね】「それじやアお長{ちやう}さんは今{いま}では
どうしてお出{いで}のだへ。」【丹】「イヤモウとんだはなしさ。」トお長が身{み}の上{うへ}
を先刻{せんこく}聞置{きゝおき}たるとほりくわしくはなせばさすが米{よね}八も気{き}の
毒{どく}におもひ【よね】「それじやアマアとんだ苦労{くらう}をなすつたねへ。しかし
物怪{もつけ}の幸{さいはひ}とやら鬼兵衛{きへゑ}どんがわが儘{まゝ}らしい〔こと〕をするのを

(3オ)
見て居{ゐ}るよりは能{よい}はネ。」トいひながら米{よね}八つく〴〵とかんがへ思{おも}ふ
に此{この}お長{ちやう}は丹{たん}次郎がいひなづけといひまづわが身{み}のため
には主{しゆう}すぢなればわるくすると男{をとこ}をとられるも知{し}れずまた
丹{たん}次郎も好物{かうぶつ}の娘{むすめ}なれば由断{ゆだん}はならずはやく明白{しら}でいひ
出{だ}すにしかず。そのうへ義理{ぎり}で二人{ふたり}が心{こゝろ}をとりおさへたとへお長{ちやう}
が何{なん}とおもふとも此方{こつち}はやけに隠{かく}さぬが後手{ごて}にならざる用
心{ようじん}と胸算用{むなざんよう}の差引{さしひき}してお長{ちやう}に盃{さかづき}をさし【よね】「ハイはゞかりな
がら少{すこ}しお呑{のみ}な。」【長】「そんならちいツとついでおくれ。」【よね】「梅次{うめじ}さん

(3ウ)
どうぞ。」【うめ】「アイ。」と酌{しやく}をする。【よね】「ほんにお長{ちやう}さん久{ひさ}しぶりでお
目{め}にかゝつてこんな〔こと〕をいふもぶしつけだがネ今{いま}じやアわ
たしも婦多川{ふたがは}でどうやら斯{かう}やら芸者{げいしや}の数{かず}になつたと
いふも自惚{うぬぼれ}らしいとおわらひだらうが実{じつ}の〔こと〕此{この}梅次{うめじ}さん
をはじめとしてみんなが心易{こゝろやす}くしておくれだから押{おし}もおさ
れもしない身{み}のうへ。それについちやア若旦那{わかだんな}もだん〴〵

御{ご}ふしあはせ。また申シにくいがわたしも。」ト[すこしいひかねしがおもひきつて]「つい
した〔こと〕から若旦那{わかだんな}と深{ふか}くいひかはして身儘{みまゝ}になつては

(4オ)
いふにおよばず。今{いま}でも一所{いつしよ}に居{ゐ}ないばかりお客{きやく}の座敷{ざしき}に
出{で}て居{ゐ}ても心{こゝろ}ははなれぬ夫婦中{みやうとなか}。」ト[わざとあぶらツこくいふはまだはじまらぬお長がこゝろの
いろをとりひしぐつもりとみえたり]「それゆゑわたしが何{なに}も角{か}もといふはどうも失
礼{しつれい}だか手{て}のとゞくたけ身をいれてみつぐといふ程{ほど}ではない
けれどマア若旦那{わかだんな}のたそくになる気{き}だん〳〵聞{きけ}ばおまはん
もどうか気がねな今{いま}の様子{やうす}。かならず遠慮{ゑんりよ}をしないます
な。およばずながらおまはんをもずいぶん見継{みつぐ}しがくをして。」ト
半分{はんぶん}聞{きい}てお長{ちやう}もまた年{とし}はゆかねど恋{こひ}の意地{いぢ}【長】「ま〔こと〕に

(4ウ)
御信切{ごしんせつ}有{あり}がたふ。しかし宅{うち}に居{ゐ}た芸者衆{げいしやし}に二人{ふたり}が二人
お世話{せわ}になつちやアお気{き}の毒{どく}だから私{わちき}もどうか若旦那{おあにいさん}の
手助{てだす}けになるやうにこれからちつと気をつけて。」ト聞{きい}て米{よね}
八さげすみわらひ【よね】「ヲヤそうかへ。それじやア若旦那{わかだんな}のお仕合{しあは}せ
だ。」トいひつゝ丹次郎{たんじらう}にむかひ「アヽほんにおまへはんにそう云{いは}ふ
とおもつてわすれて居{ゐ}たがネ若裏{わかうら}に小〆{こじんま}りとした家{うち}が
あるから急{きう}にあそこへ越{こし}てお呉{くん}なはいヨ。中{なか}の郷{がう}は私{わたし}が往来{いつたりきたり}
に遠{とほ}いしそしてモウ不用心{ぶようじん}だから苦労{くらう}だよ。そふなさいヨ。今日{けふ}

$(5オ)
よね八
丹次郎

(5ウ)
帰{かへ}ると造作{ざうさく}とか戸棚{とだな}とかを買{かつ}て仕舞{しまひ}ますヨ。」ト何{なに}か急腹{きうばら}
の様子{やうす}。梅次{うめじ}は詮方{しかた}なしにさばく心{こゝろ}【うめ】「コウ米八{よねはつ}さんなんだか
おめへ丸くねへ言葉付{〔こと〕ばつき}だが素人{しろうと}らしく妬心{ぢんすけ}でも有{ある}めへが
どうかおかしく座{ざ}がしらけるじやアねへか。丹{たん}さんおまはんマア
このお娘{こ}を連{つれ}て先{さき}へお帰{かへ}りな。」【丹】「さやうさ女{をんな}の子{こ}一人で宅{うち}を
出{で}たのだから案{あん}じるとわるいからはやく帰{けへ}しやせう。それじやア
米{よね}八おらア先{さき}へ行{いく}から梅{うめ}さんとゆるりと。」【よね】「ハイさやうなら。急{いそ}
いでお帰{かへ}んなはい。お長{ちやう}さんまた此間{こないだ}に。」ト口にはいへど心には

(6オ)
犬骨{いぬぼね}折{をつ}て鷹{たか}の餌{ゑ}となりもやせんと廻{まは}り気{ぎ}はほれた
女{をんな}の常{つね}にして野暮{やぼ}らしけれどむりならず。【長】「ハイさ
やうなら。」ト梅次{うめじ}と米{よね}八へ一度{いちど}にあいさつして二階{にかい}を
下{をり}る。丹{たん}次郎もつゞいて上{あが}り口{くち}へ行{ゆく}を米{よね}八はうしろから
背中{せなか}をひどくつめり眉毛{まゆげ}をあげてにらみながら元{もと}の
処{ところ}へすはり【よね】「はやくお帰{かへ}りにくらしい。」【うめ】「モウいゝじやアねへ
か。前{さき}は小児{こども}だアな。」。丹{たん}次郎はにがわらひ【丹】「おへねへ気{き}ちが
ひだ。」【よね】「アヽわつちやア気違{きちがひ}さ。」トくわへて居{ゐ}た楊枝{やうじ}をほふ

(6ウ)
りながら中音{ちうおん}にて「お長{ちやう}さん迷子{まひご}にならねへやうに手{て}
をひかれておいでよ。」【丹】「いゝかげんに馬鹿{ばか}をいひな。」ト梅次{うめじ}に
何{なに}かさゝやいてたのみ下{を}りて行{ゆく}。【よね】「いめへましいのう。」【うめ】
「なんのつまらねへ。あんなひい〳〵たもれを妬心{ぢんすけ}する〔こと〕
もねへ。おめへマア不断{ふだん}の気{き}に似合{にあ}はねへ。丹印{たんじるし}にかゝると
ま〔こと〕に愚智{ぐち}だヨ。てへげへにしねへな。」【よね】「それでもどふも。」【うめ】「ば
からしいやアな。丹{たん}さんだつてもまんざらおめへの㒵{かほ}をつ
ぶすやうな〔こと〕もあるめへはな。」【よね】「そうも思{おも}ふけれどお長{ちやう}さん

(7オ)
が才子{りこう}だから由断{ゆだん}はならねへ。」【うめ】「あきれるヨ。」ト猪口{ちよく}を米{よね}
八へさし「サアはやく呑{のん}で切{きり}あげねへな。おらア今日{けふ}はお
めへのお蔭{かげ}で酒{さけ}が裏{り}に落{おち}ていけねへ。」【よね】「ほんにのふ堪
忍{かんにん}しねへ。面目{めんぼく}ないがなぜこんなに迷{まよ}つたろう。」【うめ】「モウ〳〵
おいらは請{うけ}ねへ〳〵沢山{たくさん}だア。」トにつこりわらひ【うめ】「実{じつ}に
色{いろ}が活業{しやうばい}といふじやアねへが万事{ばんじ}行{いき}わたつたつも
りで居{ゐ}ても真底{しんそこ}ほれるとどうもわれながらこけに
なるよ。」【よね】「アヽ他{ひと}の〔こと〕を前方{まへかた}アわらつたがもう〳〵真{しん}に

(7ウ)
じれつたくなるのはこの道{みち}だのふ。」ト染〻{しみ〴〵}といへば梅次{うめじ}は手
拭{てぬぐ}ひを米{よね}八が膝{ひざ}へかける。【よね】「ヲヤ何{なに}をするのだ。」【うめ】「おめへがあん
まりのろけるからよだれをたらすかとおもつてサ。」【よね】「ヲヤ
くやしい。遊{あそ}ばれるとは気{き}がつかなんだ。」【うめ】「気{き}が付{つい}たらモウ
出{で}かけやう。」【よね】「ムヽモウ酒{さけ}もいゝの。」ト勘定{かんぢやう}を供{とも}の男{をとこ}にさせ
[箱持{はこもち}にはあらずおくりなり]二人{ふたり}は何{なに}かひそ〳〵とさゝやきながら帰{かへ}り行{ゆく}。思{おも}ひ
ある身{み}とたれかは知{し}らん。いよはま〳〵と賞{ほめ}らるゝその美{うつく}
しきが仇{あだ}となり他{ひと}にまさりし苦労{くらう}する娘芸者{むすめげいしや}の

(8オ)
浮沈{うきしづみ}豈{あに}岡目{おかめ}のおよぶ所{ところ}ならんや。[作者ある時|席上{せきしやう}にてうたひめをよめる]
糸竹{いとたけ}にみさほの節{ふし}は有{あり}ながら
手折{たをり}やすげに見{み}ゆる唄女{うたひめ}。
これはさて置{おき}彼{かの}お長{ちやう}はよもやとおもひし米八{よねはち}丹次郎{たんじらう}が
斯{かく}まで深{ふか}き中{なか}となり殊{〔こと〕}に男{をとこ}を見継{みつぎ}おけば我{わが}ものなり
とうちつけにいはぬばかりの仕{し}こなしのみか丹次郎{たんじらう}もまた
米八{よねはち}とははなれぬ契{ちぎ}りと椎量{おしはかれ}ば彼{かの}うなぎやを立出{たちいで}て帰{かへ}
る道{みち}さへはかどらぬ姿{すがた}を見{み}れば猶{なほ}さらにかわゆらしくもうる

(8ウ)
はしき莟{つぼみ}の花{はな}のお長{ちやう}が側{そば}往来{ゆきゝ}も稀{まれ}な武家小路{やしきまち}【丹】「お長
おめへなぜ泣㒵{なきがほ}をして歩行{あるく}。ヱヱこれさ機嫌{きげん}を直{なほ}しなよ。」
トいへばお長{ちやう}は前後{あとさき}を見まはし丹次郎{たんじらう}の顔{かほ}をながめて釣{つる}
さがるやうに左{ひだり}の手{て}に両方{りやうほう}の手をかけてしつかりと引{ひか}れ
ながら【長】「お兄{あに}イさん。」【丹】「ヱ。」【長】「おまへさんは誠{ま〔こと〕}に憎{にく}らしいヨ。」
【丹】「なぜ。」【長】「なぜといつて先刻{さつき}も米八{よねはつ}さ゜んの〔こと〕をいつたら
知{し}らぬ㒵{かほ}をしてお出{いで}なすつていつの間{ま}にか御夫婦{ごふうふ}になつ
ておいでなさるじやア有{あり}ませんか。」【丹】「ナニそういふわけもないが

(9オ)
おいらが浪人{らうにん}してこまつて居{ゐ}て殊{〔こと〕}に病気{びやうき}の最中{さいちう}来{き}
て彼是{かれこれ}世話{せわ}をしてくれたからツイ何{なん}したのだ。」【長】「ツイ夫
婦{ふうふ}におなりか。」【丹】「ナニ夫婦{ふうふ}になるものか。」【長】「それでも末{すゑ}には
一所{いつしよ}になるといふ約束{やくそく}じやアありませんかへ。」【丹】「ナニ〳〵夫
婦{ふうふ}にはなりやアしねへヨ。」【長】「そしてだれをおかみさんになさる
のだへ。」【丹】「おかみさんは米八{よねはち}より十段{じふだん}もうつくしいかわいら
しい娘{むすめ}がありやす。」【長】「ヲヤ何処{どこ}にヱ。」【丹】「これ爰{こゝ}にさ。」トいひ
ながらお長{ちやう}をしつかり抱寄{だきよせ}て歩行{あるく}。お長{ちやう}はうれしくす

(9ウ)
がりし手{て}に力{ちから}をいれて二{に}の腕{うで}の所{ところ}をそつとつめり眼{め}
のふちをすこしあかくしてにつこりとわらふゑかほのあい
らしさ。幸{さいは}ひ往来{ゆきき}も絶{たえ}たれば千話{ちわ}をしながら行道{ゆくみち}の
横小路{よここうぢ}より出{だ}し抜{ぬけ}に「鍋{なべ}ヱ釜{かま}アいかアけヱ[引]。」二人{ふたり}はビツクリ
早足{はやあし}に左右{さゆう}へわかる割下水{わりげすゐ}誓{ちかひ}もかたき石橋{いしばし}を渡{わた}れば
春{はる}の薄氷{うすごほり}とけてうれしき縁{ゑに}しぞと思{おも}ふ妹〓{いもせ}の中{なか}の郷{がう}*〓は「女(偏)+背」
粋{すい}な小梅{こうめ}の隠{かく}れ家{が}へ心{こゝろ}で手と手とりかはし柾{まさき}の垣
根{かきね}薮{やぶ}だゝみ寄{よれ}ば人目{ひとめ}のはね釣瓶{つるべ}覗{のぞ}かるゝかと隔{へだ}たれば

(10オ)
此方{こなた}の軒{のき}に鴬{うぐひす}のほうほけきやうも我{わが}うへをわらふ鳥{とり}の
音{ね}はづかしくたどり〳〵て帰{かへ}りゆく。
鴬{うぐひす}の遅{おそ}しと鞭{むち}やうめの花{はな} 巴兮。
第八齣
若鮎{わかあゆ}や釣{つ}らぬ柳{やなぎ}へ刎{はね}て行{ゆき}。【藤】「この扇{あふぎ}はだれのだ。鮎{あゆ}ばか
りじやアねへ餌{ゑさ}もねへ針{はり}へかゝる芸者{げいしや}や女郎{ぢようろ}がいくらも有{ある}。」
トいひながら横{よこ}になつて居{ゐ}るところへ米{よね}八は元気{げんき}らし
く二階{にかい}へ来{きた}る。【藤】「けふは大分{でへぶ}御機嫌{ごきげん}だの。」【よね】「ハイサ酒{さけ}でも

(10ウ)
無理{むり}にまいらずはとこせへておきますは。」トすこし鼻{はな}であし
らひ膝{ひざ}からどんと居{すは}る。藤は余程{よほど}酒{さけ}がまはりし風情{ふぜい}す
こし調子高{てうしだか}に【藤】「ヲイ米八さん今日{けふ}はどふぞその突{つゝ}かゝ
り口上{こうじやう}は一条{ひとくだり}抜{ぬい}てもらはふよ。突掛{つゝかゝつ}てよけりやアとふから
此方{こつち}で突{つゝ}かゝるのだ。いつでも〳〵和{やわ}らかに馬鹿{ばか}になつて
ゐてやりやア能{いゝ}かとおもつてふざけてへほうでへふざけやア
がつてなんのこつたへ。面白{おもしろ}くもねへ。言{いふ}〔こと〕がねへと客{きやく}の店下{たなおろ}
しばつかりこれヱたなおろしでたしなませられる藤さん

(11オ)
なら小{こ}べりへ手{て}をかけて小舟{こぶね}へ乗{のり}うつりやアしねへぞ。女{をんな}
日照{ひでり}がしはしめへし自惚{うぬぼれ}のお守{まも}りやア手めへから出{だ}すか。あ
きれた頓智気{とんちき}だア。」【よね】「ヲヤこわい。」トいつたばかり床{とこ}の間{ま}
の柱{はしら}へ寄{より}かゝり平気{へいき}な顔付{かほつき}。藤{とう}はぐつとせきこみ【藤】「ヲイ
あんまりすました面{つら}アするなへ。」ト大{おほ}きな声{こゑ}をする。【よね】「もし
藤さんもふちつとしづかに云{いつ}てもきこえますは。なるほど女
日でりがしやアしめへしとはそりやアモウおまへさん方{がた}のやうな
粋{すい}とやら通人{とほりもの}とやらいふ人{ひと}の〔こと〕亦{また}私{わちき}どものやうな自惚{うぬぼれ}の

(11ウ)
とんちきは男{をとこ}日{ひ}でりのしたやうに丹次郎{たのじ}より外{ほか}にやアマア
私{わちき}が目{め}をかけてやらうとおもふ者{もの}は一人{ひとり}もねへかとおもはれ
ますは。また一人や半分{はんぶん}有{あつ}た所{ところ}が。」ト[すこしおもいれのこなし]「あの義理{ぎり}の此{この}
義理{ぎり}のと。」ト[なみだをこぼし]「もふ勿体{もつてへ}ねへほどありがたくつても二個{ふたり}の
人へ義理が。」ト[いひかけてまたけんどんなる〔こと〕ば]「其処{そこ}がやつぱり男日でりのした
所かへ。」ト懐手{ふところで}をしてうつむく。藤はすこし考{かんが}へ【藤】「コウ奥
歯{おくば}にものゝはさまつたどつちつかずの殺{ころ}し文句{もんく}でまた一
芝居{ひとしばゐ}藤さんをたゝく気{き}か。おつかねへの。何{なん}ぼ手めへが利口{りこう}

(12オ)
そうに小{こ}いやらしい口{くち}をきいてもナこれよく聞{きけ}よ。土場{どば}
のちつともまじらねへ黄色{きいろ}な光{ひか}る餌{ゑさ}を付{つけ}義理{ぎり}と恩{おん}
との銕丸{おもり}をかけつらい年季{ねんき}の長棹{ながざほ}を浮{うか}して身儘{じめへ}と
場所{かし}を替{かへ}はりと意気地{いきぢ}の婦多川{ふたがは}へさえねへ面{つら}を洒{さら}
し竹{だけ}細{ほそ}い元手{もとで}の糸筋{いとすぢ}でやう〳〵命{いのち}を継棹{つぎざほ}にやア
だれがお蔭{かげ}でなつたのだ。土段場{どだんば}へ直{なほ}したうなぎの様{やう}
にびくしやくしても歯{は}はたゝねへぜ。」【よね】「もしヱ藤{とう}さんいかに
六万坪{ろくまんつぼ}が近{ちか}いといつてあんまりごたくをならべるもんじやア

$(12ウ)
とうべゑ
ふなやど

$(13オ)
狂訓亭主人
いと竹に
みさほの
ふしはあり
ながら
たをり
やすげに
みゆる
うたひめ
よね八

(13ウ)
ねへはネ。」[藤はぐつとかんしやくをおこし]【藤】「なにこの女{あま}ア。」ト[きせるをとつてふりあげる。よね八はちよいと身をひね
つてなみだはら〳〵]【よね】「藤{とう}さんそれほど憎{にく}けりやアぶつとも殺{ころす}とも
おしな。あんなに事{〔こと〕}をわけていふのにおまはんの胸{むね}にやア
まだわからねへのかヱ。じれつてへ。爰{こゝ}でおまはんにころされ
りやア私{わちき}も余程{よつぽど}有卦{うけ}にいつたのだ。」ト[またちやかして]「そしてマア
こゝの内{うち}でも金{かね}もふけだ。」【藤】「ナニなんだとうぬアふてへ〔こと〕を
ぬかすな。アヽ時節{ときよ}につれてそふなるものかへ。乞喰染{こじきじみ}た丹
次郎{たんじらう}につながつて居{ゐ}りやア根生{こんじやう}までゆすりかたりも稽

(14オ)
古{けいこ}のためかへ。」米八{よねはち}は気色{けしき}をかえてかんしやく【よね】「モシヱ
藤{とう}さんよしてもおくんなはいヨ。仮{かり}にもそんな穢{けが}らはしい
〔こと〕を云{いつ}ておくれでないヨ。私{わたい}はなんといはれてもいゝがいとし
いかわいゝ丹{たん}さんに疵{きず}がついちやアかんしやくといふも近{ちか}ごろ
ぶしつけだが命{いのち}も捨{すて}る私{わちき}がこゝろ。今{いま}私{わたい}が殺{ころ}されりやア
此所{こゝ}の宅{うち}で金{かね}もうけだと言{いつ}たのはネよくお聞{きゝ}よ。こゝの柱{はしら}
は米八さ゜んが御入滅{ごにふめつ}あそばしたのだと義理{ぎり}と実意{じつい}にか
らまるものはけづつて守{まもり}にかける人{ひと}がたんとあろうとおもつ

(14ウ)
てサ。その時{とき}は私{わちき}も何{なん}とやら信女{しんによ}と名弘{なびろ}めをして極楽{ごくらく}の新
道{しんみち}へ世帯{しよたい}を持{もち}ますは。とてものお世話{せわ}ついでに冥土{めいど}とやらの
店請{たなうけ}もおまはんにおたのみ申ます。」と愛相{あいそ}づかしの有{あり}
たけをならべたてたる覚悟{かくご}の悪態{あくたい}。側{そば}にありあふ湯呑{ゆのみ}に
て手酌{てじやく}のぐいのみあをつきり藤{とう}はじろりとこれを見{み}て
【藤】「イヤハヤあきれてものがいはれねへ。」折節{をりから}階子{はしご}をあがり
来{く}る此{この}家{や}の主{あるじ}文蔵{ぶんぞう}が年{とし}は五十{いそじ}を二{ふた}ツ三{み}ツこしても流石{さすが}
老{おい}こまぬ気性{きだて}も土地{とち}がらはでやかな三升格子{さんじやうがうし}のどてらを

(15オ)
着|紫{むらさき}合糸{なゝこ}の細帯{ほそおひ}を前{まへ}で結{むす}び白{しろ}の喜世留{きせる}の重{おも}
たきやつを袖{そで}くゞみに持{もち}【文】「藤{とう}さん今日{こんち}は。」【藤】「ヲヤちやん
か。此間{こないだ}はいつ来{き}ても逢{あは}ねへの。」【文】「ヱイ此間はちつと遠{とほ}く
の講釈{かうしやく}を聞{きゝ}に行{いき}ますから。」【藤】「どこへ。」【文】「木{こ}びき町{ちやう}へ良斎{りやうさい}
が出{で}るがま〔こと〕に日本一{にほんいち}といふ昼夜{ちうや}の席{せき}が出来{でき}て大入{おほいり}サ。」
【藤】「そふかしかしあんまり遠{とほ}いの。」【よね】「ハイおとつさんあげます。」
ト猪口{ちよく}を出{だ}す【文】「アイ。」ト請{うけ}て下{した}に置{おく}。藤{とう}は急{きう}に立{たち}あがり
【藤】「ちやんヤゆるりと呑{のみ}な。おらアちよつと多賀町{たがちやう}まで行{いつ}

(15ウ)
て来{く}るから。」【文】「なぜへ。それじやアわりい。マア。」【よね】「ナニ私{わちき}がわりい
からサ。」【藤】「わりいかいゝか知{し}らねへがなんぞいふと義理{ぎり}づくめ。
手{て}めへの勝手{かつて}になる義理はたてとほしても我儘{わがまゝ}に己{おれ}へ
の義理は何処{どこ}でする。無理{むり}と知つても男{をとこ}の意地{いぢ}。おつな
はづみに迷{まよ}つたは此方{こつち}がわりいと幾度{いくたび}か思{おも}ひ直{なほ}して帰{かへ}つ
てもそのうつくしいしやつ面{つら}に生{うま}れ付{つい}たが其方{そつち}の不運{ふうん}。し
かし是{これ}からモウいはねへ。野暮{やぼ}な〔こと〕だがマア跡{あと}でちやんにゆ
るりとはなして見{み}や。まんざら男のおればかり無理{むり}だと

(16オ)
定{さだめ}が付{つき}もしめへ。」【よね】「マア堪忍{かんにん}していつもの通{とほ}り機嫌{きげん}を
直{なほ}してお帰{かへ}りな。」【文】「旦那{だんな}マアもふちつと。」【藤】「イヱマア帰{かへ}りに
また来{き}やせう。なんだかおかしな時宜{しぎ}になつて辰巳婦言{たつみふげん}の
藤兵衛{とうべゑ}にどうか似{に}よりの役{やく}まはり。名{な}さへも同{おんな}じ二枚目{にめへめ}
がたき。金{かね}を遣{つかつ}ていやがられわからぬ人といはれるも星{ほし}でも
わりい年{とし}だろうと気{き}が付{つい}てみりやアばか〳〵しい。ドリヤ
行{いつ}て来{こ}やう。」ト出{いで}て行{ゆく}男{をとこ}の心{こゝろ}米八{よねはち}が察{さつ}して見ればなか
〳〵に親兄弟{おやきやうだい}もおよびなきその信切{しんせつ}は数{かず}ならぬ此{この}身{み}を

(16ウ)
深{ふか}くかわゆいとおもつてせらるゝ情{なさけ}のほど忝{かたじけ}ないとお
もつても初{はじ}めをいへば此糸{このいと}さんのいふにいはれぬ情{なさけ}から
身儘{みまゝ}になつた大恩{だいおん}の金{かね}はといへばアノ藤{とう}さん。つく〴〵
かんがへアヽモウ〳〵死{し}んでしまひたい。【文】「コウ米八{よねはつ}さ゜んおらア
くわしく知{し}らねへがいつか中{ぢう}からちら〳〵と耳{みゝ}へはいつて気{き}
になつたがマアよく了簡{りやうけん}して見なヨ。今{いま}の浮世{うきよ}で藤さん
のやうに実意{じつい}の有{ある}人はめつたにはあるめへじやアねへか。と
いつて手{て}めへの田{た}へ水{みづ}を引{ひく}やうな異見{いけん}をいふ気はさら〳〵

(17オ)
ねへ。どふかおめへの身{み}の立{たつ}やう又{また}藤{とう}さんの気{き}の済{すむ}やうな
法{ほう}のつけやうが有{あら}ふじやアねへか。」【よね】「誠{ま〔こと〕}におとつさ゜ん有{あり}がたふ。
真{しん}にうれしいおまはんの異見{いけん}。私{わちき}もいろ〳〵思案{しあん}をし
ても。」【文】「サア藤さんがいやならばいやにして何{なん}でもかでもこれ
までは厚{あつ}く世話{せわ}にもなつた人。あんまりおめへが意地{いぢ}ばつちや
愛敬{あいきやう}をうしなふばかりか恩{おん}を仇{あた}でするやうなものだ。マア〳〵
おれにまかせなせへ。どうか思案{しあん}がありやせう。」トいふ折{をり}から
米八{よねはち}が迎{むかひ}。【よね】「どうしませうね。」【文】「藤{とう}さんか。ナニ今日{けふ}はもう

(17ウ)
寄{より}もなさるめへ。もしお出{いで}なすつたらいゝやうにいはふから。マア帰{かへ}
んなせへ。」【よね】「そんならどふぞおとつさん。」【文】「ムヽ承知{しようち}だヨ。案{あん}じ
なさんな。」ト斯{かゝ}る〔こと〕にはものなれたもやひの舟{ふね}の解{とき}かげん汐{しほ}
のさしひき如才{ぢよさい}なくもつれし中{なか}へ乗込{のりこむ}も商売{しやうばい}がらの
親父役{おやぢやく}実{げに}かぢ柄{づか}のかけがへをも用心{ようじん}する船宿{ふなやど}とはいはずと
知{し}れし風情{ふぜい}なりけり。
春色{しゆんしよく}梅児誉美{うめこよみ}巻の四終


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底本:国立国語研究所蔵本(W99/Ta81、1001142288)
翻字担当者:金美眞、洪晟準、成田みずき、銭谷真人
更新履歴:
2017年4月5日公開

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