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日本語読本NIHONGO TOKUHON[布哇教育会第3期]

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巻十一

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日本語読本 巻十一 [布哇教育会第3期]

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凡例
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3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
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≪目録≫
もくろく
第一 オハイの花 一
第二 ふすまのとら 三
第三 物のねだん 九
第四 旅だより 十五
第五 久田{ひさだ}船長 二十二
第六 小さなねじ 三十
第七 月の世界 三十八
第八 自動織機 四十六
第九 やしの芽 五十三
第十 青の洞門{どうもん} 五十六
第十一 アメリカだより 六十七
第十二 布哇人の先祖 七十八
第十三 くりから谷 八十七
第十四 ホノルル見物 九十
第十五 ピエール 百五
第十六 飛行機の發明 百十
課外 月光{げつくわう}の曲{きよく} 百二十一

≪p001≫
第一 オハイの花
校庭の
オハイの木が、
ふと君を思い出させました。
みず〳〵しい若葉のかげに、
今年も、あの
きぬ糸のふさのような
花が咲いたのです。
君とお別れしたのは、

≪p002≫
去年の今頃でした。
あの木の下で
語った時の
君の顔が、
希望{きぼう}にみちた君の目が、
まざ〳〵と心に浮かぶのです。
君は、今
どうしていられることでしょう。
また、いつ、どこで、
あえるでしょう。

≪p003≫
校庭の
あのオハイの木は、
今年も、
きぬ糸のふさのような
花が咲いているのです。
第二 ふすまのとら
上だん正面に、足利義滿{あしかゞよしみつ}其後に小しょうが刀を持っている。
下だんの左右に家來が大勢並んでいる。そこへ取次の家來
が出て來る。
取次 「大徳寺{だいとくじ}のおしょう樣が小ぞうを連れてまい

≪p004≫
りました。
義滿{よしみつ} 「こゝへ通せ。」
取次 「かしこまりました。」
取次出て行く。おしょう小ぞうを連れて出る。
おしょう 「おめしになりましたので、小ぞうを連れてま
いりました。」
義滿{よしみつ} 「小ぞう、もっと近くへ寄れ。」
小ぞう (前へ進み)「はっ。」(頭を下げる)
義滿{よしみつ} 「お前は何歳か。」
小ぞう 「八歳でございます。」
義滿{よしみつ} 「八歳か。年はいかぬが、お前はなか〳〵かし

≪p005≫
こいそうだな。」
小ぞう「いゝえ、私がかしこいのではございません。世
間の人が、「ばかなのでございます。」
並んでいる家來たち、驚いて顔を見合わせる。
義滿{よしみつ} (笑いながら)「なるほど、そうかも知れない。では一
つ、お前に、尋ねたい事があるが、答えられるかな。」
小ぞう「はい、何でもお答えいたします。」
義滿{よしみつ} 「これ、小ぞう。あのふすまにとらがかいてある。
此の頃、ふすまからぬけ出して、二日も三日も歸
って來ぬことがある。お前、あのとらをしばっ
て、ぬけ出さないようにしてくれ。」

≪p006≫
家來たち、小ぞうの
顔を見る。
小ぞう「よろしゅうござい
ます。(家來の方へ向
直り)どなたかと
らをしばるなわを
お貸し下さい。」
家來たち、たがいに
顔を見合わせる。
義滿{よしみつ} 「誰か、なわを持って
來てやれ。」

≪p007≫
家來、なわを持って來て渡
す。小ぞううでをまくっ
てふすまのそばへ行く。
小ぞう「やい、とら。將軍樣
の御命令だ。お前
をしばってしまう
ぞ。(一番強そうな仁木{にき}
に向かって)仁木{にき}樣、ち
よっと手つだって
下さい。」
仁木{にき} 「どうするのだ。」

≪p008≫
小ぞう「今、とらをしばるところですが、とらがふすまの
中にはいりこんで動きません。ちょっとこゝ
へ追出して下さい。あなたが追出して下さっ
たら、とらも驚いてきっと逃出すでしょう。そ
こを、私がつかまえてしばってしまいます。」
仁木{にき} (頭をかきながら)「それは困ったな。」
小ぞう「さあ、仁木{にき}樣。早く追出して下さい。」
仁木{にき} 「どうも困ったな。」
家來たち、くす〳〵笑う。
義滿{よしみつ} 「小ぞう、よし〳〵。もうよろしい。」
小ぞう「そうですか。もし仁木{にき}樣がだめなら將軍樣に

≪p009≫
追出していたゞこうと思って居りました。」
義滿{よしみつ} (笑いながら) 「もうよし〳〵。お前には一本まい
った。」
第三 物のねだん
昔、おにが持っていたとゆう打出の小ずちを、若し
人間の世界へ持って來たとすればどうでしょう。
きっと何億弗、何十億弗とゆう高いねだんの物にな
るに違いありません。なぜかと言えば、打出の小ず
ちは、それで何でもほしい物が打出せるとゆうこと
です。こうゆうちょうほうな物は、誰一人ほしがら

≪p010≫
ない者はありません。其の上、打出の小ずちは、お話
に聞くだけで、私たちの手にはいらない、非常に珍し
い物だからです。
ところで、此の打出の小ずちから、同じ打出の小ず
ちを、幾つも幾つも打出したらどうでしょう。そう
して、世界中の人が皆手に入れたらどうでしょう。
もう珍しくも何ともありません。めい〳〵の持っ
ている打出の小ずちから、新しいのが幾つでも打出
せます。こうなると打出の小ずちは、まるでねだん
の無い物になってしまうかも知れません。
これはたとえ話ですが、しかし、これと同じような

≪p011≫
事が、私たちの生活にもあるのです。
ダイヤモンドは、ほう石の中でも一番固くて、光の
美しい物ですから、誰でもほしがります。けれども、
ダイヤモンドはわずかしか出ませんから、皆が手に
入れるとゆうことは出來ません だから、ダイヤモ
ンドは豆つぶくらいの大きさの物でも、何千弗何万
弗とゆう高いねだんです。
私たちは空氣を呼吸して生きています。ダイヤ
モンドは無くてもさしつかえありませんが、若し空
氣が無かったら、私たちはしばらくも生きていられ
ません。空氣はこれほど大切な物ですが、しかし私

≪p012≫
たちの住んでいる所には、どこにでもあります。だ
から、空氣にはねだんが無いのです。ちょうど世界
中の人が、皆打出の小ずちを持っているようなもの
です。
こう考えると、物にねだんがあるのは、一つには、私
たちが其の物をほしがるとゆうことと、今一つには、
其の物が得がたいとゆうことがもとになっている
ことが分かります。
ところで、同じ物でも、時にねだんが高くなったり、
安くなったりします。それはどうゆうわけでしょ
う。

≪p013≫
せり市へ行って見ると、商人が、「さあ、いくら、さあ、い
くら。」と言いながら、大勢の人に品物を見せています。
すると、大勢の中から、「十五仙。」「二十仙。」「二十五仙。」などと
言う聲が起ります。もうそれ以上高いねだんをつ
ける人が無いと、其の品物は、「二十五仙。」と言った人の
手にはいります。つまり其の品物は、一番高いねだ
んをつけた人に賣られることになるのです。
又、これとはんたいの事があります。同じような
品物を賣る店が、多く並んでいるとします。品物を
買おうと思う人は、たいていあっちこっちと店を尋
ねて、ねだんを問合わせ、一番安く賣る店で買います。

≪p014≫
此の二つの場合から、こうゆう事が考えられます。
品物が少くて買う人が多い時には、品物のねだんは
高くなります。はんたいに、品物が多くて買う人が
少い場合には、品物のねだんは安くなります。ちょ
うど打出の小ずちが、たゞ一つしか無ければ、何億弗
とゆう高いねだんでしょうが、世界中の人が皆持て
ば、ねだんが無くなってしまうとゆうのと同じ事で
す。
こうゆう風に、物のねだんは、主として、物を買う方
と賣る方とのかんけいによって、高くもなれば安く
もなるのです。

≪p015≫
第四 旅だより
横濱から安着の御通知を申し上げただけで、其の
後すっかりごぶさたしてしまいました。お父樣
と私がいないので、さぞおさびしいことと存じま
す。正雄はいかゞですか。私の立つ頃、よち〳〵
歩き出していたのですから、もう大分上手に歩け
ることと思います。
私はお父樣と一しょに、奥羽{おうう}地方から北海道{ほっかいどう}へか
けての旅行に出かけました。今、十和田湖{とわだこ}の岸の
旅館にとまって居ります。

≪p016≫
横濱を立って、東京、日光{にっこう}、松島を見物し、青森|縣{けん}の古
間木驛{ふるまきえき}から自動車で十和田湖{とわだこ}へ向かって來まし
た。
三本木を過ぎて燒山に着くまで、別に變った景色
もありませんでしたが、燒山から十和田湖{とわだこ}までの
七哩あまりは、名高い奧入瀬{おいらせ}川にそって上る美し
い景色なのです。兩岸はぜっぺきで、木が一面に
生いしげった谷底の道を、流を右に見たり左に見
たりしながら進みました。流はまことに清らか
でした。此の水は、年中ふえもせずへりもせず、ど
んな大雨にもにごったことがないとのことでし

≪p017≫
た。其のためでしょう、兩岸の木は水ぎわから生
い立って、川の中に飛び〳〵にある岩にまで、こけ
がつき草木が生えていました。
流には、まっ白なレースを思わせるような瀬{せ}があ
ったり、ぜっぺきの下に深く入りこんだ青いふち
があったりします。とう〳〵と深山の靜けさを
破るのは瀧のひゞきでした。瀬{せ}もふちも瀧も、次
から次へと姿を變えてあらわれて來ます。
千年の昔其のまゝの林には、所々大木の立枯れに
なったのや、たおれて流に横たわっているのがあ
ります。しげったぶなの林のこずえから、時に青

≪p018≫
青とした空がのぞいたり、
しげみをもれる日の光が、
下草のしだの緑をあざや
かに見せたりしました。
こうした景色に氣を取ら
れながら、子{ね}の口{くち}の大瀧を
過ぎると、十和田湖{とわだこ}の水面
が廣々とあらわれました。
岸べに立つと、山のみずう
みはしいんとして、たゞ靜
かな波が足もとにひたひ

≪p019≫
たと、寄せていました。
船をやとって乘りこみ
ました。清くすんだあ
い色の水の上を、船は御
倉{おくら}半島へ向かってすべ
るように進みます。御
倉{おくら}半島には、水ぎわから
木が生いしげって、全山
の木はすべてしぜんの
姿です。何と言う美し
さでしょう。しかも、そ

≪p020≫
れが湖{こ}面にさかさにかげをうつしているのです。
半島を廻って中湖{なかのうみ}にはいると、景色がすっかり變
りました。幾百フィートの岩のぜっぺきが、水面か
ら突立っています。金屏風{きんびょうぶ}・五色岩{ごしきいわ}など、色とりど
りな火口へきが岩はだをあらわしています。水
の深さは千フィート以上もあるといゝます。赤
い岩はだが、あい色の水にうつって、さゞ波がむら
さきに見えます。美しいと言おうか、すごいと言
おうか、あまりの神々{こう〴〵}しさにみんなだまってしま
って、笑顔も見せないほどでした。
中湖{なかのうみ}を出て、私はほっとしました。中山半島の西

≪p021≫
岸を休屋{やすみや}とゆう所まで行く間は、島があり、みさき
があり、いりえがあって、つりでもしてみたい氣に
なりました。布哇にもコーケイ・ハレアカラ・キラ
ウエアなどすぐれた名所がありますが、山は水に
よって美しさをますものだと、つく〴〵感じまし
た。船が生出{おいで}に着く頃、日はもう西の山かげに落
ちて、寒さが身にしみるほどでした。
今、生出{おいで}の旅館で、始めて見るこたつに足をあたゝ
めながら、此の手紙をしたゝめています。
明朝こゝを立って、奧羽{おうう}線で青森に行き、海を渡っ
て北海道{ほっかいどう}の旅に上ります。

≪p022≫
お母樣を始め皆樣どうぞお体に氣をつけて下さ
い。
月 日 太 郎
母上樣
第五 久田{ひさだ}船長
千九百三年十月二十八日の事である。青森と函
館{はこだて}の間を通う東海丸は、いつもの通り多くの船客を
乘せた上、郵便物や貨物をも積んで、夜半に青森港を
出航した。海はしけもようであった。
津輕海峽{つがるかいきょう}は、きりがひどいので有名である。此の

≪p023≫
夜も、海はひどいきりでおうわれていた。進むにつ
れて波は次第に高くなって來る。しかも、雨はいつ
の間にか雪に變ってとう〳〵恐しい吹雪になって
しまった。たゞさえ曇った暗い夜である。其の上、
こいきりと吹雪でまったく目の前の物さえ分から
ない。東海丸はしきりに汽笛を鳴らしながら、用心
して進み續けた。こうして、翌朝四時頃には、どうに
か渡島{おしま}半島の矢越岬{やごしみさき}の沖まで來ていた。
すると、何とゆう恐しい事であろう。右手の直ぐ
そこに、こちらへ向かって來る船がある。それは室
蘭{むろらん}で石炭を積んで、ウラジボストックへ行くロシア

≪p024≫
の汽船であった。
東海丸の船長|久田佐助{ひさださすけ}は、目の前にせまった恐し
いしょうとつをよけようとして、全力をつくしたが、
もうおそかった。あっと言う間に物すごい音を立
てて、ロシア汽船の船首は、東海丸の船腹にしょうと
つしてしまった。破れた大穴からは、海水が瀧のよ
うに押しこんで來る。東海丸の船体は見る〳〵か
たむいていった。
もう仕方がない。こうなっては、まず船客を助け
なければならない。久田{ひさだ}船長は、早速船員に命じて
ボートを下させた。五せきのボートはまっ暗な大

≪p025≫
波の上にゆれている。船長は、泣叫ぶ船客を片はし
からボートに乘りうつらせた。こうしている間に
も、東海丸はかたむいたまゝ、ぐん〳〵と沈んで行く。
船客も船員も皆ボートに乘った。船長は幾度か
たしかめるように、
「みんな乘ったか。」
「乘りました。」
「一人も殘ってはいないか。」
「殘って居りません。」
殘ったのはたゞ船長一人であった。
「船長、早くボートに乘って下さい。」

≪p026≫
だが返答は無かった。一体何をしているのだろう。
船員の一人はたまらなくなって、又東海丸へもどっ
て來た。
「船長、早くボートへ。」
しかし、船長はらんかんのそばに立って動こうと
もしない。見れば、体は旗のひもで、しっかとらんか
んにむすびつけられている。船と共に沈んで行く
かくごだと分かった。船員の胸は一ぱいになった。
「船長、私も一しょにお供いたします。」
思わずこう叫んだ。船長はおごそかに答えた。
「船と共に沈んで行くのは船長のつとめだ。お前

≪p027≫
は早く逃げろ。一人でも多く助かってくれるの
が私に對するお前たちのつとめではないか。」
此の言葉に打たれて、船員ははっとした。心を殘
しながらも、彼は最後のボートに乘った。
東海丸からは、引切りなしに汽笛が鳴りひゞく。
聞く人々は、はらわたをえぐられる思いであった。
が、やがて其の音は聞えなくなった。汽笛を鳴らし
續ける船長を乘せたまゝ、東海丸は海の底に沈んで
しまったのである。
あれくるう暗い海の上に、五せきのボートは木の
葉のようにゆれた。中には波にのまれてしまった

≪p028≫
のもある。しかし乘客と
船員の半分以上は、こうし
た中にやっと助かること
が出來た。
話はたちまち世の中に
知れ渡った。
四十歳をさいごとして、
船と運命を共にした久田{ひさだ}
船長のまごころを知って、
誰一人涙を落さない者は
なかった。

≪p029≫
「船長は、万一の場合、死のかくごがなくてはならな
い。百人のうち九十九人まで助かることが出來
たら、或は自分も生きているかも知れぬ。そうで
なかったら、ふたゝび家へは歸って來ないものと
思え。」
久田{ひさだ}船長は、日頃其の妻にこう言って聞かせていた。
だから、東海丸の沈んだ知らせを受取った時、妻は直
ぐ夫の死を知って、少しもあわてた樣子を見せなか
った。人々は此の事を聞いて、久田{ひさだ}船長の平生の立
派な心がけに感心すると共に、夫をはずかしめない
此の妻をもほめたゝえた。

≪p030≫
第六 小さなねじ
暗い箱の中にしまいこまれていた小さな鐵のね
じが、不意にピンセットにはさまれて、明かるい所へ
出された。
ねじは驚いて、あたりを見廻したが、いろ〳〵の物
の音、いろ〳〵の物の形が、ごた〳〵と耳にはいり、目
にはいるばかりで、何が何やらさっぱり分からなか
った。
しかし、だん〳〵落着いて見ると、こゝは時計屋の
店であることが分かった。自分の置かれているの

≪p031≫
は、仕事台の上に乘っている小さなふたガラスの中
で、そばには、小さなしんぼうや、はぐるまや、ぜんまい
などが並んでいる。きりや、ねじ廻しや、ピンセット
や、小さなつちや、さま〴〵の道具も、同じ台の上に横
たわっている。まわりのかべや、ガラス戸だなには、
いろ〳〵な時計が澤山並んでいる。かち〳〵と氣
ぜわしいのは置時計で、かったりかったりとおうよ
うなのは柱時計である。
ねじはこれらの道具や時計を、あれこれと見くら
べて、あれは何の役に立つのであろう、これはどんな
所に置かれるのであろうなどと考えているうちに、

≪p032≫
ふと自分のことを考え始めた。
「何とゆう小さななさけない自分であろう。あの
いろ〳〵の道具や、澤山の時計は、形も大きさもそ
れぞれ違ってはいるが、どれを見ても大きくて、え
らそうである。たゞ自分だけが此のように小さ
くて、何の役にも立ちそうにない。あゝ、何とゆう
なさけないことであろう。」
不意にばた〳〵と音がして、小さな子供が二人お
くからかけ出して來た。男の子と女の子である。
二人はそこらを見廻していたが、男の子はやがて仕
事台の上の物をあれこれといじり始めた。女の子

≪p033≫
はたゞじっと見守っていたが、やがてかの小さなね
じを見つけて、
「まあ、かわいゝねじ。」
男の子は、指先でそれをつまもうとしたが、あまり小
さいのでつまめなかった。二度、三度、やっとつまん
だと思うと、直ぐに落してしまった。子供は思わず
顔を見合わせた。ねじは仕事台のあしのかげにこ
ろがった。
此の時、大きなせきばらいが聞えて、父の時計屋さ
んがはいって來た。時計屋さんは、
「こゝで遊んではいけない。」

≪p034≫
と言いながら、仕事台の上を見て、出して置いたねじ
の無いのに氣がついた。
「ねじが無い。誰だ、仕事台の上をかき廻したのは、
あゝゆうねじはもう無くなって、あれ一つしか無
いのだ。あれが無いと、お客さんのかいちゅう時
計が直せない。探せ〳〵。」
ねじはこれを聞いて、飛上るほどうれしかった。
それでは自分のような小さな者でも、役に立つこと
があるのかしらと、むちゅうになって喜んだが、此の
ような所にころげ落ちてしまって、若し見つからな
かったらと、それが又心配になって來た。

≪p035≫
親子はそうがかりで探
し始めた。ねじは、「こゝに
います。」と叫びたくてたま
らない。三人はさん〴〵
探し廻ったが、見つからな
いので、がっかりした。ね
じもがっかりした。
其の時、今まで雲の中に
いた太陽が顔を出したの
で、日光が店一ぱいにさし
こんで來た。すると、ねじ

≪p036≫
が其の光を受けてぴかりと光った。仕事台のそば
に、ふさぎこんで下を見つめていた女の子が、それを
見つけて、思わず「あら。」と叫んだ。
父も喜んだ。子供も喜んだ。しかも、一番喜んだ
のはねじであった。
時計屋さんは、早速ピンセットでねじをはさみ上
げて、大事そうに元のふたガラスの中へ入れた。そ
して、一つのかいちゅう時計を出して、それをいじっ
ていたが、やがてピンセットでねじをはさんで機械
の穴にさしこみ、小さなねじ廻しでしっかりしめた。
りゅうずを廻すと、今まで死んだようになってい

≪p037≫
たかいちゅう時計が、たちまちゆかいそうにかちか
ちと音を立て始めた。ねじは、自分がこゝにはいっ
たために、此の時計全体がふたゝび活動することが
出來たのだと思うと、うれしくてうれしくてたまら
なかった。時計屋さんは、仕上げた時計をちょっと
耳にあててから、ガラス戸だなの中につり下げた。
一日おいてお客さんが來た。
「時計は直りましたか。」
「直りました。小さなねじが一本いたんでいまし
たから、取りかえて置きました。工合の惡かった
のはそのためでした。」

≪p038≫
と言って渡した。ねじは、
「自分もほんとうに役に立っているのだ。」
と心から喜んだ。
第七 月の世界
ぼうえんきょうで見た月
學校の門を出てから、正雄君が僕に言った。
「君、今夜うちへ來ないか。」
「どうして。」
「兄さんが天体ぼうえんきょうを作ったんだ。」
「ほう。」

≪p039≫
「月がすばらしいよ。よかったら見に來たまえ。」
夕方、まだ明かるい空に、半月が光り始めた。お母
さんにそう言って、夕飯がすむと直ぐ出かけた。
行って見ると、正雄君のうちでは、もうえん先にぼ
うえんきょうをすえつけて、兄さんと正雄君が、代る
代るのぞいている。長さ三フィートばかりのぼう
えんきょうが三きゃくの上にのっている。
「立派なぼうえんきょうですね。」
と、僕が兄さんに言うと、正雄君は、
「これで兄さんのお手製なんだ。見たまえ、つゝは
ボール紙だろう。三きゃくはやっと昨日出來上

≪p040≫
った。僕もずいぶん手つだったよ。」
「レンズは。」
「買ったのさ。レンズは大分上等なんだ。」
正雄君はさも自分で買ったような口振をする。兄
さんは初からにこ〳〵しながらだまっていた。
「さあ、君ものぞいてごらん。」
と、正雄君に言われて、僕はぼうえんきょうに目を近
寄せた。すると、月がはっきりと浮出して見える。
それは目で見るのとすっかり感じが違って、今につ
ゆでもしたゝりそうな美しさである。
「きれいだろう。」

≪p041≫
と、あいずちを打つように
言う。だが、よく見ると、月
の表面は決してなめらか
ではない。一面にざらざ
らしたような感じである。
ことに半月のかけた部分
に近く、はちのすのような
でこぼこが目立って見え
る。
「でも、ずいぶんあばたで
すね。」

≪p042≫
と、僕が言ったので、兄さんも正雄君もどっと笑った。
それからも、三人代る〴〵のぞきながら、兄さんか
ら面白い説明を聞いた。
兄さんの説明
あのあばたのように見えるのは、大部分が火山で、
穴は噴火口です。こんな小さなぼうえんきょうで
さえ、はっきり見えるのですから、噴火口は非常に大
きいものに違ありません。一番大きいのはちょっ
けいが百二十哩もあるといわれています。こうし
た火山は、どれもこれもけわしくて、低いのでも千フィ
ート、高いのになると二万六千フィートもあって、マウ

≪p043≫
ナケア山の二ばいもあるのがあります。もちろん
月は地球と違って、とっくの昔すっかり冷えてしま
った天体ですから、火山といってもみんな死火山ば
かりですがね。
それから、よく見たまえ。月の中にうす黒い、大き
なまだらがあるでしょ
う。あれは海といわれ
る部分ですが、月には水
一てきありませんから、
海とゆうより平原とい
った方がよいかも知れ

≪p044≫
ません。多分、昔、此の澤山な火山から噴出したよう
がんが流れて固まったものでしょう。
月には水が無いと言いましたが、水ばかりか空氣
も無いのです。だから、雲や、雨や、あらしなどは一切
ありません。月はいつも晴天なのです。此のぼう
えんきょうで見ても分かるように、月のどこ一つ曇
った所がないのが其のしょうこです。しかも、空氣
も水も無いとすると、地球上のように、太陽から來る
光やねつをかげんするものが無いから、月の世界で
は、晝はこげつくような暑さ、夜は其の反對にひどい
寒さであろうと思われます。

≪p045≫
まだ面白い事があります。かりに、私たちが月の
世界へ行ったとすると、其の景色はどんなものでし
ょう。今も言うように、光をかげんするものが無い
から、太陽に照らされた部分は、目が痛いほど光って
見えるでしょうが、かげになる部分は、きっとまっ黒
に見えるに違いない。ごつ〳〵した火山がいたる
所にそびえ、それがまっ黒な大空に突立つとしたら、
どんなに恐しい景色でしょう。もちろん草も木も
ありませんよ。其の代り、一つうらやましいと思う
のは、月から見た地球の美しさです。地球のちょっ
けいは月の四ばいくらいありますから、夜、月から地

≪p046≫
球を見るとすると、私たちがつねに見る月の四ばい
くらいな地球が天にかゝって見えるわけです。
こうゆう風に、月の世界はまったく恐しい死の世
界ですが、それでいて昔から月ほどやさしい、平和な
氣持を與えてくれるものはありません。月の世界
に都があって、そこで天人がまっているなどは、實に
美しいそう〴〵ではありませんか。今私たちは、そ
れが死の世界であると知っても、やっぱり月が無か
ったらどんなにさびしいことでしょう。
第八 自動織機

≪p047≫
千八百九十年、東京にはくらん會が開かれた時の
事である。いなか者らしい一人の青年が、毎日々々
機械館に來ては、そこに並べてある織機の前に坐っ
て、じっとそれに見入っているのであった。かゝり
の人々は、とう〳〵其の青年をあやしい者とにらん
で取りしらべた。しらべてみると、氣違でも何でも
なく、非常に機械ずきな青年であった。此の青年こ
そ、後に自動織機を發明して、世界に名をあげた豐田
佐吉{とよださきち}であった。
佐吉{さきち}は靜岡縣{しずおかけん}のいなかに生まれた。初めは大工
として働いていたが、其のうちに織機のかいりょう

≪p048≫
を思い立ち、ひまさえあれば方々の織場を見て歩い
た。時には機械をこわしたといって叱られ、村の青
年たちからは、男のくせにとあざけられた。しかし、
佐吉{さきち}は、そんな事には、とんじゃくしない。家に歸る
と、たゞ一人仕事場に引きこもって工夫をこらす。
又織場を見に行く。こうして一台の木製織機が出
來上った。だが、じっけんしてみると、思ったように
は動かない。人々はそれ見たことかとあざけり笑
った。しかし、何と言われても、たゞだまって研究を
續けた。はくらん會を見に行ったのも、ちょうど此
の頃の事であった。

≪p049≫
歸ってから彼の熱心は一そう目ざましかった。
そうして其の年に、もう立派な木製織機を作り上げ
てしまった。これは佐吉{さきち}が二十四歳の時であった。
其の後|佐吉{さきち}はさらに動力を用いる織機を發明し
て、それが廣く世間に使われるようになった。或會
社で此の織機と外國製の織機を一年の間ためして
みたが、殘念な事に、佐吉{さきち}の機械は外國製の物に及ば
なかった。佐吉{さきち}は涙を流して殘念がった。さらに
三年の苦心を重ねて、やっと外國品にまさるものを
作り上げた。
しかし、これだけの成功にまんぞくしてしまう佐

≪p050≫
吉{さきち}ではなかった。彼はほ
とんど其の一生を機械の
かいりょうにさゝげた。
千九百二十六年、佐吉{さきち}はつ
いに世界一の自動織機を
發明した。これは、たて糸
が切れゝば自動的に運て
んが止り、横糸が無くなれ
ば自動的にこれをおぎな
う仕かけになっていて、一
人で四五十台を取りあつ

≪p051≫
かうことが出來た。此の大成功を見るまでには、實
に血の出るような苦心が三十年も續いたのである。
發明に對する彼の熱心は、まことに驚くべきもの
があった。朝は誰よりも早く起きて研究室にはい
り、夜もおそくまでとじこも
っているので、うちの人たち
は、主人がいつ寢たかも知ら
ないことが多かった。
こんな事もあった。いつ
ものように研究室にはいっ
た佐吉{さきち}は、日が暮れても出て來ない。夜中過ぎても

≪p052≫
出て來ない。とう〳〵夜が明けてにわとりが鳴い
た。東の空に朝日が上った。うちの人たちは心配
して、研究室へ行って見ると、とたんに佐吉{さきち}は、圖面を
片手に勢よく飛出して來た。そうして、一さんに工
場へ走って行った。
「おい、誰もいないか。」
と、佐吉は叫んだ。工場はがらんとしている。後か
らついて行ったうちの者が、
「今日は元日でございます。」
と言ったので、
「はゝゝゝ、そうだったか。」

≪p053≫
と大笑いした。佐吉{さきち}は、夜通し考えた事を其の通り
作らせてみようと思って、元日とも知らずに飛びこ
んだのであった。
第九 やしの芽
やしの實が芽を出した。
するどい、とがった芽だ。
みず〳〵しいかわいゝ芽だ。
私はうれしくてたまらない。
だいて來て、
そっとすいばんに寢かした。

≪p054≫
朝の日が十分當るようにと、
窓ぎわに持出して、
すいばんに水をそゝいでやった。
おゝ、やしの木の赤んぼうよ、
かゞやかしい日の光を
ぞんぶんに吸って、
ぐん〳〵のびてくれ。
上へ〳〵、
どこまでものびてくれ。

≪p055≫
こんじょうの大空高く、
思うまゝに廣がったお前の葉が、
東の風にゆら〳〵とゆらぎ、
三日月の夢のような光が、
お前の葉かげにやどり、
あざやかな朝の虹が、
お前のみきをかざるだろう。
私は其の日が待遠しくてたまらない。
おゝ、やしの木の赤んぼうよ。
すく〳〵とのびてくれ。

≪p056≫
第十 青の洞門{どうもん}
諸國雲水の旅に出た禪海{ぜんかい}は、豐前中津{ぶぜんなかつ}の町をはな
れて、山國川の清らかな流を右に見ながら、山すその
道を歩いていた。左手の岩山は次第に川岸へせま
って、とう〳〵道は其の山にせかれてしまった。
見ると、川の左にそびえるあらけずりにけずり立
った山が、山國川の岸に百フィートのぜっぺきを作
っている。川水は吸寄せられるようにこゝに寄っ
て來て、ぜっぺきのすそを洗いながら、青く靜かにう
ずを卷いている。

≪p057≫
村人がくさり渡しと言ったのは、こゝだろうと禪
海{ぜんかい}は思った。ぜっぺきに、松やすぎの丸太をくさり
でつないだかけ橋がかゝっていて、今來た道はそれ
へと續いている。
禪海{ぜんかい}は岩角にすがりながら、ふるえる足をふみし
めて渡った。幾十フィートの下は、底知れぬ深いふ
ち、上は、今にもたおれかゝるかと見える突立った岩
山。禪海{ぜんかい}の足のふるえはどうしてもやまなかった。
ようやく渡り終って後を振向いた時、ふと禪海{ぜんかい}の
心の中に大きな念願がわき起った。それは此の大
岩ぺきにトンネルを掘通して、諸人の通行を安全に

≪p058≫
しようとゆうことであった。長い雲水の旅の間、身
は雨に打たれほこりにまみれながらも、心は寢ても
さめても諸人をすくうことからはなれなかった。
道に難ぎする人を見ては、其の手を引いたり、こしを
押したりした。病氣に苦しむ子供や老人をおうて、
幾哩の遠い道を歩いたこともあった。橋のこわれ
に氣ずいた時は、ひとり山にはいって木を切って來
たり、石を運んだりしてそれを直した。こうした旅
を續けて來た禪海{ぜんかい}は、年々幾人かの命が此の難所で
失われると語った村人の話を思い起したのであっ
た。一年に十人助れば十年で百人、百年で千人――

≪p059≫
こう考えると、もうじっとしていることが出來なか
った。
其の日から村を廻って相談を持ちかけてみた。
だが、誰一人耳をかす者は無かった。しかし禪海{ぜんかい}の
心はゆるまなかった。よし自分一人ででもと決心
して、禪海{ぜんかい}はたがねとつちとを握って、ぜっぺきの前
に立った。
見上げ見下すぜっぺきは、たゞ一續きの岩である。
まず左手でたがねを岩に當て、右手に全身の力をこ
めて、第一のつちを打下した。が、岩山はびくともし
ない。たゞ岩のかけらが二つ三つ飛散ったばかり

≪p060≫
であった。第三、第四と、一心に打下した。其の度に、
指先ほどのかけらが飛んだ。一日、二日、三日、禪海{ぜんかい}は
かっちんかっちんと打續けた。
禪海{ぜんかい}の姿を見た村人は笑った。氣違だと言った。
古ぞうりや小石を投げつける者さえあった。しか
し、禪海{ぜんかい}は振向もしなかった。
新しい年が來た。春が來て夏が來て早くも一年
がたった。ぜっぺきのはしには七八フィートのほ
ら穴が出來た。
「あれ見ろ。氣違があれだけ掘った。一年かゝっ
てたったあれだけだ。」

≪p061≫
村人はこう言って笑った。だが、禪海{ぜんかい}は自分の掘っ
た穴を見ると、涙の出るほどうれしかった。
ほら穴の外には、日がかゞやき、月が照り、雨が降り、
風があれた。が、ほら穴の中には、かっちんかっちん
と、つちの音だけがひゞいた。
二年たった。村人はまだ笑うことを止めなかっ
た。又一年たった。禪海{ぜんかい}の振るつちの音は、山國川
の音と同じようにたえずひゞいた。
四年目の終りが來た。五十フィートの深さにな
ったほら穴を見て、村人は禪海{ぜんかい}の熱心に驚いた。そ
して、これをしとげるまでには幾十年かゝろうかと、

≪p062≫
氣の毒に思った。かみはのびて肩までおういかゝ
り、あかでよごれた顔は、のびたひげの中にかくれて、
とても人間とは思われなかった。
五年たち、六年たち、ちょうど九年目の終りになっ
た。ほら穴は入口からおくまで百三十フィートあ
った。村人は始めて此の大事業が成功するかも知
れぬと思った。そこで大勢がこれを助けることに
なって、ほら穴の中は急ににぎやかになった。もう
禪海{ぜんかい}は一人ぼっちではなかった。岩ぺきに打下す
多數のつちの音は、勇ましく穴の外まで聞えた。
翌年になって仕事の進み方をはかってみた時、一

≪p063≫
同はがっかりした。まだ
全体の四分の一しか進ん
でいなかったからである。
「これはだめだ。幾十人
が幾十年かゝったとこ
ろで、とても出來る仕事
ではない。」
こう思うと、一人へり二人
へり、いつの間にかほら穴
の中は、禪海{ぜんかい}のつちの音が
さびしくひゞくだけとな

≪p064≫
った。
もう村人は笑いもしないが、振向もしなかった。
禪海{ぜんかい}は十年の間、眞暗な穴の中で石の上に坐り續け
ていたために、顔色は青ざめ、目はくぼみ、肉は落ちて、
生きた人とは思われなかったが、つちを打下す手は
休めなかった。
又三年たった。つちのひゞきは相變らず穴のお
くから聞えて來る。村人は禪海{ぜんかい}の根氣に驚いて穴
の深さをはかってみた。全長二百三十フィートも
あった。村人は又手傳い始めた。しかし、一年たつ
と又禪海{ぜんかい}一人になってしまった。それでも禪海{ぜんかい}は

≪p065≫
止めなかった。時には夜
半までうす暗いあかりを
たよりに、おきょうをとな
えながらつちを打下した。
年が去り年が來た。村
人も手傳っては止め、止め
ては手傳った。そうして
三十年の長い年月が過去
って、禪海{ぜんかい}はよぼ〳〵の老
人になっていた。
夜半の事であった。禪

≪p066≫
海{ぜんかい}が力をこめて打下したつちが、何の手答もなく、力
が餘って右のこぶしが岩に當ったので、思わず「あっ」
と聲を上げた。其の時であった。禪海{ぜんかい}の目に、つち
に打ちぬかれた小さな穴から、月の光に照らされた
山國川の姿がはっきりとうつった。川にそうて黒
く一すじに見えるのは、三十年の昔|禪海{ぜんかい}が歩いた道
である。禪海{ぜんかい}は身をふるわせながら「おう」と叫んだ。
それに續いて、氣がくるったかと思われるような喜
の泣笑いが物すごくほら穴の中にひゞいた。
三十年をやみの中で石に坐って暮して來た禪海{ぜんかい}
は、全長七百フィートのトンネルを掘りぬいた喜に、

≪p067≫
其のまゝそこにたおれていた。
第十一 アメリカだより
サンフランシスコから
皆さん元氣ですか。ホノルルを出帆してから、毎
日海と空ばかりの航海を續けて、五日目の五月二十
一日、サンフランシスコに着きました。
船が金門海峽{きんもんかいきょう}にさしかゝって、左右に山を眺めな
がら、青インキをたゝえたような海を行く時は、何と
なく胸がおどるようでした。やがて行手に金門橋{きんもんきょう}
が水ぎわに高くあらわれ、それを過ぎると眺が開け

≪p068≫
て、わんの右手に大市街が見え出しました。大空に
そゝり立つ二十かい・三十かいの大きな建物、向岸の
オークランドへ渡る十四哩以上もあるすばらしい
長い橋、そうゆうものを見ただけで、もうびっくりし
てしまいました。
こゝは、アメリカ合衆國{がっしゅうこく}の裏門とも言われるほど
の所ですから、港や町のにぎやかなことは言うまで
もありませんが、又眺のいゝ事でも有名です。港か
ら後の高地へかけて、市街はごばんの目のように續
いていますから、町はどこを歩いても、急な坂になっ
ています。坂町を上って小高い所から眺めると、港

≪p069≫
の景色が高い建物の間や
美しい町の上などに、油畫
のように見えます。
サンフランシスコには、
日本人が澤山住んでいま
す。布哇と同じように、日
本人の子供たちは、公立學
校と日本語學校と兩方へ
通っています。今、私がと
まっている日本人の旅館
に、今年九つになるやえち

≪p070≫
ゃんとゆう女の子がいますが、英語も日本語も非常
に上手です。
明後二十五日にこゝを立って、ロスアンゼルスへ
行くつもりです。
ロスアンゼルスから
サンフランシスコからロスアンゼルスまでの間
は、アメリカ合衆國{がっしゅうこく}でも、一番景色のよい所だと言わ
れています。左は山、右は海、此の間を汽車は、時々五
十フィートから七十フィートくらいの高さの山腹
をぬって走ります。目の下に廣々とした太平洋を
見渡しながら、あの向こうに布哇がある、皆さんに見

≪p071≫
送って頂いたホノルルが
あると思うと、急になつか
しくなりました。
ロスアンゼルスは、一年
中暖かで、町にはやしの葉
がしげり、冬もばらの花が
咲くそうです。カリフォ
ルニア州の南部は、日本人
が早くから來て農業をい
となんだ所で、ロスアンゼ
ルスは其の中心地ですか

≪p072≫
ら、市内には立派な日本人町があります。日本から
來た書物や、雜貨や、食料品などを賣る店が見かけら
れます。美しいのはくだ物店で、見るからにおいし
そうなくだ物が、山のように積んであります。
サンフランシスコでも、こゝでも、私は多くの公立
學校をたずねましたが、きっと日本人の子供のせい
せきのよい事を聞かされて、涙が出るほどうれしく
思いました。
シカゴから
二十九日の朝、ロスアンゼルスを汽車で立って、夕
方、アリゾナ州のさばくにさしかゝりました。此の

≪p073≫
さばくは翌日まで續きました。見渡すかぎりあれ
はてたさびしい景色でした。たまさか、大きなサボ
テンがあるくらいのものでした。
しかし、それを過ぎると、今度は又廣々とした平野
でした。はてもない畠、ぼく場、森林、それからまばら
な村、幾つかの都市、其の間に、世界第一と言われるミ
シシッピー川が、洋々と流れていました。
三日二晩走り續けて、三十一日の夜、シカゴに着き
ました。
ミシガン湖{こ}とゆうすばらしく大きなみずうみの
岸にある此のシカゴには、サンフランシスコの美し

≪p074≫
さも、ロスアンゼルスの
なごやかさもありませ
ん。町はいたる所ごっ
た返しています。自動
車は、まるで川の水が流
れるように、續いて走っ
ています。
こゝに有名なとさつ
場があって、一日に何万
頭とゆうぶたや牛を殺
しています。廣い場内

≪p075≫
を一めぐりする間に、ぶたや牛がはだかになり、肉に
なり、ハムになり、又かんずめになって行くのがじゅ
んじょよく見られます。
ニューヨークから
世界第一と言われ
るニューヨークは、ま
ったく高い建物の大
都市です。二十かい
三十かいでは、もうい
ばれません。五十か
い・七十かいからとう〳〵百かいを越えてしまいま

≪p076≫
した。
町を通ると、まるでぜっぺきの谷底でも歩いてい
るような氣がします。そうして、どこもかしこも、息
ずまるようなさわがしさ、にぎやかさです。
高い建物がすく〳〵と眞直にそびえているばか
りでなく、町とゆう町は、たても横も皆眞直です。こ
とに中央のマンハッタンでは、十幾すじのたての大
通と、横の無數の通とが、ちょうどこうしじまのよう
に、きちんと十文字になっています。
行きこう自動車の目まぐるしさはもちろん、地下
には地下鐵道がすさまじい勢で、南から北へ、北から

≪p077≫
南へと、一直線に走って
います。
高い建物の上から見
たニューヨークの町は、
まことに珍しい眺です。
高い建物が、まるで墓場
の石とうか、きねんひの
林のように、にょきにょ
きと立っています。川
とゆうよりは、海といっ
た方がよいほど廣いハ

≪p078≫
ドソン川とイースト川に包まれたマンハッタンが、
ちょうど地圖のように見下されます。川岸にそう
て、ぎっしりと並んでいるさんばしは、みんなで千以
上もあるそうです。水上の船は、まるで風に吹散ら
された數かぎりもない木の葉のようです。此の廣
い川を渡す虹のような橋、對岸のうすもやの中に續
くはてもない町、なるほどアメリカ合衆國{がっしゅうこく}の表門と
言われるだけあって、實に何とも言えないすばらし
い眺です。
第十二 布哇人の先祖

≪p079≫
花子 「おじさん、今晩は何のお話をして下さいます。」
おじ 「さあ、何の話にしようかな。」
三郎 「マウイの話。まだ此の前の續きがあるでしょ
う。」
おじ 「うん、まだある。花子は布哇人の事をしらべて
いたが、もうすっかりしらべが出來たかね。」
花子 「はい。たいていしらべました。」
おじ 「では、今晩は花子から布哇人の先祖の話を聞く
ことにしよう。」
花子 「何からお話したらいゝでしょう。おじさん、一
つ一つお聞きになって下さい。」

≪p080≫
おじ 「では聞くよ。布哇人の先祖はどこから來たの
かね。」
花子 「大昔の人の書殘した物がないので、どこから渡
って來たのか、はっきり分かりません。けれども、
布哇は太平洋のまん中にあって、外の島々が南の
方から飛石のように布哇の方へ並んでいるでし
ょう。それでポリネシアの方から來たのだろう
と考えられて、います。」
おじ 「すると、サモアから來たと言うのは間違だね。」
花子 「間違です。そう考えている人もあるそうです
けれど。」

≪p081≫
三郎 「サモアがにとゆう大きいかにがいるでしょう。」
花子 「まあ、かにの事は後にしましょう。」
おじ 「此の地圖で見ると直ぐ分かります。布哇とニ
ュージーランドとイースター島の三つを線でつ
ないで三角をこしらえると、ポリネシアはたいて
い其の中へはいります。」
おじ 「ポリネシア人とはどんな人種だろう。」
花子 「ポリネシア人は、いろ〳〵まじった人種です。
カヌーなども、布哇人のと同じかっこうなのがあ
るそうです。」
おじ 「すると、布哇人はポリネシアから來たわけだね。」

≪p082≫
花子 「えゝ。太平洋諸島
の傳説をよく研究し
た人の話では、千二百
年頃に、ソサイチー群
島から、澤山の人がこ
こへ渡って來たと言
っています。今の布
哇人は其の子孫だそ
うです。」
おじ 「ソサイチー群島は
どこにあるのか。」

≪p083≫
花子 「タヒチ島も其の一つなのですが、サモアの東で、
布哇の南に當ります。布哇人の傳説に「カヒキ」と
ゆうのは、タヒチのことだそうです。」
三郎 「マウイもカヒキから來たのですねえ、おじさん。」
おじ 「そうだ。三郎はよくおぼえていたな。では其
のポリネシア人はどこから來たのだろう。」
花子 「初は印度{いんど}から出て、印度支那{いんどしな}へ渡って、それから
マレーへうつって、そこから太平洋へ出たものだ
そうです。」
おじ 「よくしらべているね。ポリネシア人はどうし
て太平洋を渡ったのか知っているかい。」

≪p084≫
花子 「ダブルカヌーで渡っ
て來ました。大きな力
ヌーを二そうむすびつ
けて、たこの木の葉であ
んだござのような帆を
つけた船です。遠い島
へ渡る時には、こうした
カヌーに乗って行った
のだそうです。」
おじ 「なぜ、布哇とゆう名が
ついているのかね。」

≪p085≫
花子 「さあ、それは知りません。」
三郎 「布哇島があるからでしょう。ね、おじさん。」
おじ 「はゝゝゝゝ。三郎もなか〳〵えらいぞ。昔、ハ
ワイロアとゆうえらい航海家があって、大きなダ
ブルカヌーで布哇島までやって來た。島へ上っ
てみるとたいへん美しい。それにいかにも住み
よさそうな所なので、直ぐ引返して大勢の人々を
連れて來たのだ。此の人の名を取って、布哇とゆ
うようになったのだよ。」
花子 「其の頃布哇には、人は住んでいなかったのです
か。」

≪p086≫
おじ 「もちろん人もいないし、動物も植物も、まだほん
のわずかな種類しか無かったのだ。ぶたやにわ
とりや野菜の種などは、ハワイロアと一しょに來
た人たちが持って來たものだ。」
三郎 「キャプテン、クックとハワイロアはどっちが早
く來たのですか。」
おじ 「ハワイロアだよ。ハワイロアはずっと大昔の
人だ。キャプテン、クックが布哇を發見したのは、
今から百五六十年前で、それ以來追々世界の國々
の人が、うつって來るようになったのだ。」
花子 「布哇はほんとうにいゝ所なんですね。」

≪p087≫
おじ 「まったくいゝ所だ。よすぎるかも知れん。だ
から、太平洋の樂園といわれるのだ。」
第十三 くりから谷
木曾義仲{きそよしなか}が都へ攻上ると聞いて、平家はあわてて、
兵をさし向けた。
大將|平維盛{たいらのこれもり}は、十万の軍勢を引連れて、越中{えっちゅう}のとな
み山にじんを取った。義仲{よしなか}は五万の軍勢を引連れ
て、これも同じくとなみ山のふもとにじんを取った。
兩軍はたがいにじり〳〵と押寄せて、其の間はわず
かに三百ヤードばかりとなった。

≪p088≫
夜になった。義仲{よしなか}は、たいまつを角にくゝりつけ
た牛數百頭を、敵の中に追入れ、ひそかに味方の兵を
敵の後に
廻らせて、
前後から、
どっとと
きの聲を
あげさせ
た。
不意に
攻寄せられて、平家は、上を下への大さわぎになった。

≪p089≫
矢を忘れて弓だけ持ってまごつく者もあり、弓を忘
れて矢だけ握って走る者もある。あわてて人の馬
に飛乗る者もあれば、自分の馬を人に乗取られる者
もある。後向きに乗る者もある。一匹の馬に二人
乗る者もある。やみのこととて道は分からず、平家
の軍は逃場を失って、後のくりから谷になだれを打
って落ちこんだ。
親も落ちる、子も落ちる。弟も落ちる、兄も落ちる。
馬の上には人が落ち、人の上には馬が落ちる。後か
ら後からと重なり重なって、さしもに深いくりから
谷も、平家の人馬でうずまってしまった。

≪p090≫
大將|維盛{これもり}は、わずかの家來を連れて、命から〴〵加
賀{かが}の方へと逃げのびた。
第十四 ホノルル見物

さわがしい人聲に目をさますと、もうすっかり夜
が明けて、船はホノルルの近くへさしかゝっていた。
私は、急いでしたくをして甲板に出て見た。
ダイヤモンドヘッドが、寫眞や畫で見る通りの姿
で、うすもやにかすんでそびえている。山々の中腹
から、海ぎわまで立並ぶ澤山な家を眺めているうち

≪p091≫
に、船の速力が少しおそくな
ったと思うと、もう港の入口
である。池のように靜かな
海だ。木のしげった島と、幾
つも並んださん橋との間を
靜かにはいって行く。目の
前にそびえているアロハタ
ワーの大時計が、六時十五分
を指している。
さん橋に着くと、大勢の人
の中にまじって、いとこの一

≪p092≫
郎さんと次郎さんがにこ
にこして手を振っている
ので直ぐ分かった。
自動車でカイムキのお
じさんの家へ向かった。
キング街を眞直に一郎
さんは車を走らせる。さ
すがにホノルルだ。自動
車の多いのに驚く。初め
てホノルルに來た私は、見
る物がみんな珍しい。兩

≪p093≫
側の店は皆大きくてきれいだ。カン〳〵〳〵〳〵。
かねをならして電車が來る。私は思わず、
「あ、電車だ。」
と言った。一郎さんが、
「うん、君は電車を初めて見たんだな。」
と、笑いながら言った。電車の直ぐ後から不思議な
物が走って來る。針金を傳って行くのは電車と同
じだが、車体は自動車だ。だまって見ていると次郎
さんが、
「見たまえ。」 あれはむき道電車といってレールの
無い電車だ。だから自由にサイドオークに近ず

≪p094≫
いたり、前の自動車を追越した
りすることが出來るんだ。」
と教えてくれた。
ビショップ街とキング街のつ
じでじゅんさが交通せいりをし
ている。此のあたりはどちらを
見ても、皆大きな高い建物が並ん
でいて、いかにも大都會らしい感
じがする。少し行くと、廣い街路
に出た。右側に郵便局があり、左
側に布哇|政廳{せいちょう}がある。此の建物

≪p095≫
が昔の王宮だったのかと振向い
て見ていたら、次郎さんが私の肩
をつゝく。指さす方を見ると、カ
メハメハ大王の銅ぞうが朝の光
に美しく金色にかゞやいている。
此のあたりには商店はなく、布哇
のいろ〳〵な役所や、圖書館、ホノ
ルル市役所、カワイハオ教會など、
大きな建物が兩側に並んでいる。
アフリカンチューリップの並木には、赤い美しい
花が咲きそろっている。海岸の通に出ると、ダイア

≪p096≫
モンドヘッドが、きれいな濱べ
をへだてて向こうに見える。
海岸には大小數百の漁船がつ
ないである。ほとんど日本人
の漁船だとのことである。
海岸にそうた廣い〳〵アラ
モアナ公園を右に見て、ワイキ
キにはいる。
やしの林の涼しい木かげの
街路を通って、電車通に出た。
城のように大きな高い建物が、やしの林の中にそび

≪p097≫
えている。船から見えたローヤ
ルハワイアンホテルである。沖
の白波で波乘をしている。ワイ
キキ公園にはいると、長い並木道
のこずえをもれる日の光が、白い
すじになってさしている。實に
いゝ氣持だ。海水浴場にはもう
大分泳いでいる者があった。
ワイキキ公園には、いつかゆっ
くり遊びに來ることにして、きれ
いな道をカイムキへと走った。

≪p098≫
おじさんの家は高台にある。海
も市街も一目に眺められるのが
うれしい。

市の中央に、パンチボールとゆ
う高さ五百フィートくらいの岡
がある。自動車で頂上まで上っ
た。ホノルルの市街がすっかり
見下され、さん橋に着いている船
も、港へはいって來る船もよく見
える。緑の木立に包まれたホノ

≪p099≫
ルルは、ほんとうに美しい町である。はてもなく廣
がる太平洋は波一つ立っていな
い。西の方には遠く山みゃくが
かすんでいて、エワ・ワイパフのき
び畠から眞珠灣{しんじゅわん}・アイエアあたり
の眺もきれいである。頂上には、
洋上の島々や、各地への方角、きょ
りなどがしるしてある。東京は
西方に當って三千三百十六哩、サ
ンフランシスコは東の方で二千
九十一哩とあった。東から北へ

≪p100≫
はずっと緑の山が續いていて、マノアやヌアヌの谷
谷が其の間に深く入りこんでいる。
岡を下って、びじゅつ館へ行く。幾つもの室に、い
ろいろなびじゅつ品が澤山並べてある。日本の畫
や武器なども大分集めてある。よろいやがぶとな
ども初めて見た。支那{しな}|印度{いんど}其の外、太平洋を取りま
く國々のちょうこくや畫など、一々見ていたら半日
もかゝるだろう。此のびじゅつ館は、或アメリカ人
が自分の金で此の建物を建て、澤山のびじゅつ品を
集めて、自由に誰にでも見せてくれるのだそうだ。
ヌアヌ街を山手へ向かって進む。一郎さんが、

≪p101≫
「日本の總領事{そうりょうじ}館はこゝだよ。」
と言う。庭園の立木の間から、金色に光るきくの御
もんがちらりと見えた。
道は次第に坂になる。
「これは布哇の王樣のお墓だ。」
と、一郎さんが右側を指す。
「カメハメハ大王のお墓もこゝにあるの。」
と聞くと、
「カメハメハ大王のお墓はない。其の後の王樣の
は、たいていこゝにある。」
と言った。

≪p102≫
坂道を上るにつれて、窓から吹きこむ風が冷たく
なって來た。雨だ。兩側の林はすっかりぬれてい
る。切立った岩山のすその廣場に車を止めた。あ
たりは一面のきりに包まれている。ヌアヌパリで
ある。
「今日はだめだ。此のきりでは何も見えない。」
一郎さんは、車の前のガラスの曇をふきながらそう
言った。
車を下りてみたら、風に吹飛ばされそうだったの
で、直ぐ又車にはいった。
引返して元の道を下る。「アップサイドダウンフ

≪p103≫
ォール」と書いた立ふだの所
に車を止めた。
「そら、あれだ。あの瀧だ。」
一郎さんは岩山を見上げた。
頂をおうった雲の中から
二すじの瀧がかゝっている。
瀧は中ほどから下が風に吹
上げられて消えて無くなる。
不思議な瀧だと思った。
少し坂を下ると、からりと
晴れたいゝ天氣だ。

≪p104≫
ホノルルへ引返して、ビショップ博物{はくぶつ}館に行く。
外側は石造だが、内側はコアの建物である。昔の布
哇人の使っていたさま〴〵な道具が、どの室にもず
らりと並べてある。タパを作っている女や、ポイを
ついている男の人形もある。ヘイアウや、キラウエ
ア火山のもけいもある。王樣のいすや、かんむりも
ある。かんむりには、大きなダイアモンドがきらき
ら光っていた。一々くわしく見たら、一日や二日で
は見つくせまいと思った。此の博物{はくぶつ}館は、ビショッ
プとゆう人が建てたのだそうだ。
歸りにマノアにある布哇大學を見た。

≪p105≫
第十五 ピエール
ナポレオンの軍が、イタリーへ攻入ろうとしてア
ルプス山を越えたのは、ちょうど冬の半ば頃であっ
た。野山も谷も眞白な雪にうずめられて、吹く風は
身を切るようであった。
軍中に、ピエールとゆう十三四歳の少年があった。
此のひどい寒さにもひるまず、眞先に立って進軍の
たいこを打鳴らしながら、元氣よく山腹の道を進ん
で行った。
ふと、山の頂にすさまじい音が聞え始めた、と思う

≪p106≫
と、大地をふるわせてなだれがやって來た。それっ
とばかり、兵士たちは急いで後によけたが、逃げおく
れたピエールは、たちまちなだれに押したおされて、
底も見えぬ深い谷へ落されてしまった。驚いた兵
士たちは、
「ピエール、ピエール。」
と、大聲で叫んだが、たゞあたりの山々にこだまする
ばかりで、下からは何の答もない。なだれの後は、た
だ、ひっそりとして、遠い水音だけが谷底から聞えて
來る。
しばらくすると、谷底の方にたいこの音がかすか

≪p107≫
に聞える。たしかに進軍のしらべである。
「あっ、ピエールだ。ピエールがたいこを打ってい
る。」
どうかして助ける工夫はあるまいかと、兵士たちは
しきりに氣をもんだ。しかし谷は幾百フィートの
深さで、其の上がけは雪と氷でおういかぶさってい
る。進軍のしらべは引續き聞える。が、次第に低く
かすかになって行く。おくれゝばピエールはこゞ
えて死ぬに違いない。
「わしが助けに行こう。」
と叫ぶ者がある。一同は驚いて其の方へ目を向け

≪p108≫
た。司{し}令官マグドナール將軍である。其の時すで
に將軍はがいとうをぬぎすてて、今にも谷へ下りよ
うとしている。兵士たちはあわてて、
「將軍のお命は、私ども千万人の命よりも大切です。
ピエールを助けることは、私たちにおまかせ下さ
い。」
と言って引止めた。將軍は、
「兵士は皆わが子だ。わが子の死ぬのを見て命を
おしむ父があろうか。大砲のつなをくゝりつけ
て、早く自分を谷へ下せ。早くしないか。ピエー
ルが死んでしまうぞ。」

≪p109≫
叱るように言う。兵士らは仕方なく、つなをくりな
がら將軍を谷底へ下した。
將軍が谷底に着いた時は、たいこの音はもう聞え
なかった。將軍は、
「ピエール、ピエール。」
と呼びながら、深い雪
の中をあちらこちら
と尋ね歩いた。息も
たえ〴〵に、半ば雪に
うずめられていたピ
エールは、將軍の手に

≪p110≫
だき上げられた。首にたいこを下げ、兩手にばちを
握ったまゝ、こゞえて眠っている。將軍は手早くお
びをほどいて、ピエールの体にくゝりつけた。合圖
をすると、兵士たちは力を合わせて二人を引上げた。
ピエールは助った。ふたゝび軍の眞先に立って、
元氣よくたいこを打ちながら進んだ。
第十六 飛行機の發明
空を飛ぶ鳥を見て、人間もあのように自由に飛べ
たらどんなにゆかいだろうとの考は、ずっと昔の人
人にもありました。たゞそう思うだけでなく、いろ

≪p111≫
いろ工夫して、實際に飛んでみた人もありました。
日本では、今から百數十年前、岡山の幸吉{こうきち}とゆう表
具師が、鳩の体を研究して、大きなつばさをこしらえ
ました。そうして、それを体につけ、屋根の上から飛
んで、人々を驚かしたとゆう話があります。
ドイツのリリエンタールとゆう人も、幸吉{こうきち}のよう
に鳥から思いついて、大きな鳥のつばさのような物
をこしらえました。それを自分の体に着けて、岡の
上から飛んでみると、すうっとうまく飛べました。
これに元氣ずいて、其の後一生けんめいに研究を續
け、改良しては飛び、改良しては飛びしてみました。

≪p112≫
ところが、或日、急に吹いて來た強い風にあおられて、
空から落ちて死んでしまいま
した。これは千八百九十六年
八月の事でした。
同じ頃、日本では愛媛{えひめ}縣の二
宮忠八{にのみやちゅうはち}とゆう人が、鳥や虫の飛
ぶのをくわしくしらべて、飛行
機のもけいを作りました。そ
れには、プロペラや車りんまで
工夫してつけてあるのですか
ら、もう立派な飛行機でした。たゞ動力が無かった

≪p113≫
ので、これを飛ばせてみることが出來なかったのは、
實に殘念なことでした。
アメリカのラングレーとゆう人
もまた飛行機のもけいを作りまし
だ。彼は次から次へともけいを作
って研究を進め、動力についてもい
ろいろ考えた末、小さいじょう氣機
かんを作って取りつけることに成
功しました。こうして出來上った
彼のもけい飛行機は、見事一氣に三
千フィートも飛んで、人々をあっと

≪p114≫
言わせました。それはちょうど、リリエンタールが
死ぬ三ヶ月ほど前の事でした。
ラングレーは、もけいがこううまく飛ぶから、此の
何百ばいも大きな物をこしらえたら、人間が乘って
も飛べるはずだと考えました。そこで、今度は大き
な實物の飛行機をこしらえました。いよ〳〵やっ
てみると、うまく飛べません。二度やってみたが、二
度ともだめでした。
同じ頃、アメリカにライトとゆう兄弟がありまし
た。兄はウィルバー、弟はオービルとゆう名でした。
二人とも、小さい時から機械がすきでした。

≪p115≫
兄弟は、リリエンタールが死んだことや、ラングレ
ーがもけい飛行機を飛ばせたことについて、熱心に
其の記事を讀んだりしらべたりしました。とゆう
のは、二人とも飛行機をこしらえることが、ずっと前
からののぞみだったからです。
兄は何でもりくつで考える方でしたが、弟はりく
つよりも實際の物を作るのが得意でした。
千九百年の夏、二人は、北カロライナ州の砂山のあ
る所を見立て、そこで自分たちのこしらえたグライ
ダーを走らせました。いろ〳〵工夫してはこしら
えてやってみているうちに、翌年の夏、三百フィート

≪p116≫
も空中を飛びました。
今度は發動機です。ガソリン發動機がよいと思
いましたが、其の頃は、輕くて強い力の出るのが無か
ったので、二人はたいへん苦心して、とう〳〵いゝ物
をこしらえ出しました。それから、プロペラについ
ても、ずい分工夫をしました。
千九百三年十二月十四日、今日こそ、兄弟が苦心に
苦心を重ねた飛行機を飛ばせようとゆうのです。
其の日は少しも風が無いので、砂山の上へ機を運ん
で、しゃ面をすべらせながら飛ばせることにしまし
た。

≪p117≫
兄のウィルバーが最初に乘りました。プロペラ
がすばらしい速さで廻り出すと、機は勢よくすべり
出して、四五十フィートしゃ面をすべり下りてから、
すうっと地面をはなれました。
しかし、七八フィート空中に上ったと思うと、急に
ふら〳〵として、飛行機は地上に落ちてしまいまし
た。其のため機体は幾分いたみました。こうして、
此の日のしけんは失敗に終りました。
それから二日間、兄弟は機の修ぜんに一生けんめ
いでした。
三日目の十二月十七日でした。其の日は、朝から

≪p118≫
大分風がはげしいため、し
ばらく見合わせていまし
たが、少し靜まったので、兄
弟は機を引出しました。
今日は、平地でも飛べそう
に思われました。
今度は弟のオービルが
乘りました。機は風に向
かってゆる〳〵とかっそ
うし始め、四五十フィート
走ってふわりと空中に浮

≪p119≫
かびました。
風が強いので、機は上へ下へと動きます。それで
も百フィートばかり見事に飛んで、地上に下りまし
た。たった百フィート、時間にしてわずか十二秒で
す。しかし、發動機をつけた飛行機が人間を乘せて
空中を飛んだのは、これが初めてです。
其の日は、なお二回、三回としけんをくり返しまし
た。其の度ごとにうまく行って、四回目に、兄ウィル
バーが乘った時は非常にちょうしがよく、五十九秒、
八百フィート近くも飛びました。
それから今日までまだ四十年もたちませんが、ち

≪p120≫
ゅう返りや木の葉落しに、人々が驚いたのはもう昔
のこと、今では、陸でも海でも、飛行機が何千哩も空中
を飛んで、旅行にも戰爭にもすばらしい働をしてい
ます。もちろん其の間、飛行機は日々改良され、そう
じゅうの仕方も非常に進みはしましたが、それにし
ても、其の最初と言えば、ライト兄弟の苦心になった
十二秒から五十九秒の飛行で、これが實に飛行機に
おける人間のかゞやかしいレコードだったのです。

≪p121≫
課 外
月光{げっくわう}の曲{きよく}
ドイツのいう名なおんがく家ベートーベンが、ま
だ若い時分のことであった。月のさえた夜、友だち
と二人町へさんぽに出て、うす暗い通をとほって、或
みすぼらしい家の前まで來ると、中からピヤノの音
が聞える。
「あゝ、あれは僕の作った曲{きょく}だ。聞きたまへ。なか
なかうまいではないか。」
ベートーベンは、かう言って足を止めた。

≪p122≫
二人は、しばらく耳をすましてゐたが、やがてピヤ
ノの音がはたと止んで、
「兄さん、まあ、何といふよい曲{きよく}なんでせう。私には
もうとてもひけません。ほんたうに一度でもよ
いから、えんそうくわいへ行って聞いてみたい。」
と、さもなさけなささうに言ってゐるのは若い女の
こゑである。
「そんなことを言ったって仕方がない。やちんさ
へも拂へない今の身分ではないか。」
と、兄のこゑ。
「はいってみよう。さうして一|曲{きよく}ひいてやらう。」

≪p123≫
ベートーベンは、きふに戸をあけてはいって行った。
友だちもつゞいてはいった。
うす暗いらふそくの火の下で、色のあをい元氣の
なささうな若い男がくつをぬってゐる。其のそば
にある古いピヤノによりかゝってゐるのは妹であ
らう。二人は不意の客にさも驚いたらしいやうす
である。
「ごめん下さい。私はおんがく家ですが、面白さに
ついつりこまれてまゐりました。」
と、ベートーベンが言った。妹の顔はさっと赤くな
った。兄はむっつりとして、少し困ったやうすであ

≪p124≫
る。
ベートーベンも、自分ながらあまりだしぬけだと
思ったらしく、口ごもりながら、
「實はその、今ちょっとかど口で聞いたのですが―
あなたは、えんそうくわいへ行ってみたいとかい
ふことでしたね。まあ一|曲{きよく}ひかせて頂きませう。」
其の言ひ方がいかにもをかしかったので、言った
者も聞いた者も思はずにっこりした。
「ありがたうございます。しかし、まことにそまつ
なピヤノで、それにがくふもございませんが。」
と、兄が言ふ。ベートーベンは、

≪p125≫
「え、がくふがない。」
と言ひさして、ふと見ると、かはいさうに妹はめくら
である。
「いや、これで澤山です。」
と言ひながら、ベートーベンはピヤノの前にこしを
かけて、直ぐにひき始めた。其の最初の音がもうき
ゃうだいの耳には不思議にひゞいた。ベートーベ
ンの目はいやうにかゞやいて、何者かが乘りうつっ
たやうである。何とも言へないよい音に、きゃうだ
いはたゞうっとりとしてゐる。ベートーベンの友
だちもわれを忘れて、一同夢に夢見るこゝち。

≪p126≫
きふに、あかりがぱっと明かるくなったと思ふと、
ゆら〳〵と動いて消えて
しまった。
ベートーベンはひく手
を止めた。友だちがそっ
と立って窓の戸をあける
と、清い月の光が流れるや
うに入りこんで、ピアノの
ひき手のかほを照らした。
しかし、ベートーベンは、
たゞだまってうなだれて

≪p127≫
ゐる。しばらくして兄は、恐る〳〵近寄って、
「一体あなたはどういふお方でございますか。」
「まあ待って下さい。」
ベートーベンは、かう言って、さっき娘がひいてゐた
曲{きよく}を又ひき始めた。
「あゝ、あなたはベートーベン先生ですか。」
きゃうだいは思はず叫んだ。
ひきをはると、ベートーベンはつと立上った。三
人は、「どうかもう一|曲{きよく}。」としきりに頼んだ。かれは
又ピヤノの前にこしを下した。月はます〳〵さえ
渡って來る。

≪p128≫
「では、此の月の光をだいに一|曲{きよく}。」
と言って、かれはしばらくすみ切った空を眺めてゐ
たが、やがて指がピヤノにふれたと思ふと、やさしい
しづんだしらべは、ちょうど東の空に上る月が、次第
次第にやみの世界を照らすやう、かと思ふと、今度は
いかにもものすごい不思議な物の精{せい}が寄集って、夜
のしばふにをどるやう、をはりは又急流が岩をかみ、
あら波が岸にくだけるやうなしらべに、三人はたゞ
ぼうっとして、ひきをはったのも氣づかぬくらゐ。
「さやうなら。」
ベートーベンは立って出かけた。

≪p129≫
「先生、又お出で下さいませうか。」
きゃうだいは口をそろへて言った。
「まゐりませう。」
ベートーベンはちょっと振りかへってめくらの娘
を見た。
かれは急いでいへに歸った。さうして其の夜は
まんじりともせず、つくゑに向かって其の曲{きよく}をがく
ふに書上げた。
ベートーベンの「月光{げつくわう}の曲{きよく}」といって、世界に名高い
のはこれである。
(終)

≪p130≫
卷十一 新出漢字
億9 弗9 非10 常10 得12 仙13 存15 館15 變16 清16 廻20 郵22 炭23 對27 陽35 等40 表41  説42 球44 反44
和46 與46 織46 研48 究48 熱49 社49 念49 的50 諸56 終57 握59 眞64 傳64 餘66 州71 雜72 料72 央76 孫82
菜86 寫90 交94 路94 局94 武100 器100 造104 際111 師111 改111 良111 敗117
卷十一 讀替漢字
庭{てい}1 語{かたる}2 無{ない}10 石{せき}11 呼{こ}11 吸{きゅう}11 市{いち}13 品{しな}13 着{ちゃく}15 知{ち}15 正{まさ}15 旅{りょ}15 生{おい}16 深{しん}17 笑{え}20 西{せい}20 明{みょう}21 朝{ちょう}21 便{びん}22 吹{ふゞ}
雪{き}23 首{しゅ}24 答{とう}26 夫{おっと}29 柱{はしら}31 太{たい}35 光{こう}35 晴{せい}44 織{おり}48 夫{ふう}48 用{もちいる}49 殘{ざん}49 苦{く}49 元{がん}52 當{あたる}54 雲{うん}56 願{がん}57 失{うしなう}58 根{こん}64 行{ゆく}67
書{しょ}72 野{や}73 森{しん}73 林{りん}73 頭{とう}74 直{ちょく}77 墓{はか}77 表{おもて}78 傳{でん}82 植{しょく}86 樂{らく}87 馬{ば}89 眞{しん}90 店{てん}95 圖{と}95 並{なみ}95 内{うち}104 半{なかば}105 進{しん}105 得{とく}115
漢字表
卷一 子 中 大 立 一 二 三 四 五 行 外 六 七 八 九 十 目
卷二 赤 小 白 青 今 木 下 持 上 切 入 言 見 畠 泣 出 月 日 光 山
虫 玉 拾 早 來 手 自 分 思 水 戸 方 首 私 前 先 生 休 貝 少 待 門

≪p131≫
犬 川 時 男 名 向 刀 人 車
卷三 花 君 取 受 長 石 重 同 本 穴 口 所 郎 次 毎 又 間 何 雲 風
空 吹 天 雨 夕 夜 星 右 面 左 朝 田 枝 考 僕 急 走 音 昔 土 金 話
聞 松 米 火 枯 咲 歩 集
卷四 動 學 校 氣 笑 寸 神 指 高 舟 供 遠 通 忘 買 匹 島 作 沖 引
海 太 紙 顔 耳 茶 色 細 合 助 皿 黄 始 草 度 美 糸 困 年 逃 夏 町
友 喜 着 物 近 足 道 母 知 起 元 妹 枚 書 牛 答 用 千 百 強 落 羽
使 店 種 呼 渡 黒 兩
卷五 電 竹 谷 岸 流 食 晩 苦 樣 洗 賣 家 箱 村 住 死 仕 病 体 皮
皆 息 父 新 多 止 雄 讀 半 泳 砂 池 打 親 並 地 暗 力 飲 明 鳥 番
廣 弱 越 岩 西 東 眺 仲 負 毛 痛 申 國 主 弟 兄 深 後 銀 雪 綿 葉
追 文 字 横 女 森 井 古 形 北

≪p132≫
卷六 声 聲 消 鐵 正 直 若 鳩 屋 根 頭 週 鳴 育 春 者 別 兵 弓 乘
遊 勉 開 叱 丸 攻 敵 矢 連 勝 歸 歌 心 會 平 命 去 苗 植 實 樂 魚
或 煙 殘 數 安 澤 教 固 肉 窓 机 腹 探 靜 尾 恐 破 短 庭 尋 置 勇
波 飯 午 肩 底 曜 乾 沈 惡 居 勢 誰 悲 涙 湯 暮 配 耕 送 涼
卷七 第 港 船 馬 汽 針 進 頃 世 界 身 汗 晴 布 哇 晝 寢 運 働 王
組 角 掘 飛 野 笛 意 眠 血 刀 旅 商 御 片 荷 甲 乙 役 淺 雀 降 其
台 糖 不 以 坂 計 士 戰 爭 軍 殺 内 類 姉 原 工 場 寺 習 板 問 幾
裏 共
卷八 活 登 冬 末 南 鼻 曇 此 秋 陸 官 許 畫 建 返 叫 散 隣 頂 室
噴 初 汁 背 卷 側 珍 有 感 積 包 哩 浮 照 冷 卵 貧 灰 頼 禮 宮 祭
派 城 全 部 張 續 機 林 低 記 回 願 芽 緑 最 鉢 寄 景 發 驚 胸 柱
忙 暑 舌

≪p133≫
卷九 快 速 代 具 老 丈 夫 濱 借 吸 銅 粉 姿 暴 幸 福 浴 帆 線 圓
岡 乳 過 投 燈 万 必 虹 豆 祝 京 公 園 橋 都 相 談 毒 夢 妻 違 翌
製 語 徒 英 修 綴 品 孝 成 功 洋 航 民 農 業 漁 市 街
卷十 皇 守 客 令 袋 瀧 振 議 法 輕 歳 械 貨 粗 群 油 無 燒 富 昨
院 久 失 寒 暖 決 坐 將 退 由 祖 猿 極 氷 怒 秒 娘 員 押 墓 宅 槍
突 貸 拂 圖 當 産 便 利 砲 味 條 旗 鏡


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底本:ハワイ大学マノア校図書館ハワイ日本語学校教科書文庫蔵本(T638)
底本の出版年:1939年10月1日発行
入力校正担当者:高田智和
更新履歴:
2021年11月27日公開

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