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日本語読本NIHONGO TOKUHON[布哇教育会第2期]

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巻六

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日本語読本 巻六 [布哇教育会第2期]

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凡例
1.頁移りは、その頁の冒頭において、頁数を≪ ≫で囲んで示した。
2.行移りは原本にしたがった。
3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
4.振り仮名が付く本文中の漢字列の始まりには|を付けた。 〔例〕十五|仙{セント}
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≪目録 p001≫
もくろく
第一課 みつばち 一
第二課 分業 四
第三課 コロンブスのアメリカ發見 七
第四課 瀬戸{せと}内海 十五
第五課 雨 十九
第六課 乃木{のぎ}大將の幼年時代 二十一
第七課 銀行 二十六
第八課 布哇から米大陸へ 二十九
第九課 忠實な水夫 三十二
第十課 フランクリンの自立 四十一
第十一課 京都 四十四
第十二課 競{くらべ}馬 四十八
第十三課 私のうち 五十四
第十四課 住宅の美化{びか} 五十七
第十五課 青の洞{どう}門 六十一
第十六課 招待{しょうだい}状 六十九
第十七課 小さなねじ 七十
第十八課 パナマ運河 七十九
第十九課 燈臺{とうだい}守 八十五
第二十課 ベンの繪筆 (一) 八十六
第二十一課 ベンの繪筆 (二) 九十一
第二十二課 大阪{おうさか} 九十四
第二十三課 ウェリントンと少年 九十八
第二十四課 祖先と家 百二

≪目録 p002≫
第二十五課 今日 百五
第二十六課 ホノルヽの名所 百七
第二十七課 らくだ乗り 百十一
第二十八課 時は金なり 百十六
第二十九課 塩原多助 百十九
第三十課 南米から(父の通信) 百二十三
第三十一課 小石と金剛{こんごう}石 百二十九
第三十二課 老砲手 百三十四
第三十三課 動植物の改良 百三十九
第三十四課 少年|鼓{こ}手 百四十三
第三十五課 アレキサンドルと醫師 百四十九
第三十六課 禮儀 百五十三
第三十七課 太陽 百五十六
第三十八課 我は海の子 百五十九
第三十九課 加藤{かとう}清正 百六十二
第四十課 小話 百七十一
第四十一課 コトワザ 百七十五
第四十二課 つじ音樂 百七十六
第四十三課 高等女學校に入學するについて問合わせの手紙とその返事 百八十一
第四十四課 勝|安芳{やすよし}と西郷隆盛{さいごうたかもり} 百八十四
第四十五課 善良な市民 百九十三
第四十六課 布哇 百九十六
課外
一 燈臺守 一
二 言いにくい言葉 六
三 ウイリアム、テル 十

≪p001≫
第一課 みつばち
みつばちにはおばち・めばち・働きばちの三種があっ
て、共同の生活をいとなんでいる。
一群の中、もっとも多いのは働きばちで、うちに
居ては幼虫{ようちゅう}を育て、すを造り、外に出ては食物を集
め、外敵をふせぐなど、内外すべての仕事にあたる。
春夏花盛りの頃は、外|役{えき}のはちは山野を飛びめぐっ
て、出ては歸り、歸っては出て、少しも休むことが
ない。すの入口に立番する強い働きばちは、一々そ
の出入を調べて、みつを持歸らないものがあると、

≪p002≫
うちにはいることを許さない。無理にはいろうとす
れば、たゞちにこれをさし殺す。このように一群共
同してみつを貯えるから、秋や冬になっても、食物
に不足することがない。
めばちは一群の中たゞ一匹で、これが女
王である。女王の務は卵を産むことで、氣
候の暖な間はたえず産卵するから、一群の
數は次第にふえる。その數があまりふえる
と、女王は新しく生まれためばちに位をゆ
ずって、もとのけらいを引連れて、べつの

≪p003≫
場所にうつる。みつばち
を養うものは、この機{き}會
を見はからって、箱・たる
などを都合のよい所に置
けば、分れた一群はその
中に集る。こうして次第にその群の數
をふやすことが出來るのである。
おばちの數は、春の頃には一群の總
數の四十分の一から三十分の一にたっ
するけれども、少しも働かないで食べ

≪p004≫
るばかりだから、秋になればみんな働きばちにさし
殺されて、一匹も殘らない。
働きばちは体の後方に針を持っている。これがか
れらの武器であって、外敵の攻來る時には、たゞち
に出て戰う。
花の小さい時、または雨が降りつずいてみつを集
めがたい時には、一群のはちは他のはちのすに攻め
よせて、みつをうばおうとして、こゝに花々しいは
ち合{がっ}戰の起ることも珍しくない。
第二課 分業

≪p005≫
マッチはちょっとした物で、ねだんも安く、一包
十箱が五|仙{セント}ぐらいで買われる。しかしこれを一人で
造るとして、こんなに安く賣れるであろうか。たと
い休まず働いても、一人で一日に一包は造れまい。
かりに造れたとしても、それを五|仙{セント}ぐらいで賣って
はもうかるまい。もうかるどころか非常な損になる。
それではマッチはどうしてだれが造るのであろう。
マッチの製造所へ行って見ると、職工が大ぜい居っ
て、それ〴〵手分をして働いている。材{ざい}木を機械に
かけてじく木をこしらえている者もあり、じく木を

≪p006≫
火でかわかす者もあり、かわかしたじく木の先に藥
をつける者もあり、藥をつけたじく木を温{おん}室でかわ
かす者もあり、かわかしたのをそろえてマッチの箱
に入れる者もあり、箱に入れたのを十ずつ集めて包
紙に包む者もある。すべてこうゆう風に、手分をし
てべつ〳〵に仕事をすることを分業とゆう。
分業で造ると、その出來がよいばかりでなく、出
來高が大そう多くて、一人々々になって造るのとは
くらべものにならない。從って一包のマッチを五|仙{セント}
ぐらいで賣っても、そうおうにもうかるのである。

≪p007≫
分業はマッチの製造ばかりではない。うちわを造
るにしても、時計を造るにしても、家を建てるにし
ても皆これによるのである。
分業で仕事をする時だれか一人の手ぎわが惡いと、
全体の出來までも惡くなる。やはり世は相持のもの
である。
第三課 コロンブスのアメリカ發見
四百年以前までは、東半球の人は全く西半球を知
らなかった。始めて西半球の陸地を發見したのは、
イタリヤの人コロンブスで、かれをしてそのこゝろ

≪p008≫
ざしを成さしめたのは、
イスパニヤの皇后イサ
ベラであった。當時イ
タリヤはぼうえきの中
心地で、インド地方の
産物は、ベニス・ゼノア
等の港から盛にヨーロッ
パヘ輸{ゆ}入された。しか
るにインドとのこうつ
うが長日月を要{よう}し、途{と}

≪p009≫
中のこんなんも少くないから、便利な航|路{ろ}を開こう
との考はヨーロッパ人一同ののぞみであった。中に
もゼノアに生まれて十四歳の時から航海業に從事し
ていたコロンブスは、もっともねっしんにこれを考
えた。
コロンブスははじめから世界は球形だと信じ、ヨ
ーロッパの西海岸から西へ向って進んだなら、イン
ドの東海岸に出るであろうとの意見を持っていた。
たま〳〵元の忽必烈{フビライ}につかえたイタリヤの大旅行家
マルコ、ポーロの日本に關{かん}する記事を讀み、ポーロの

≪p010≫
旅行記によって作った地圖を得て思うには、もしヨ
ーロッパから西へ向って進んだなら、インドにたっ
する前に日本またはシナに出るであろうと。すなわ
ちアジヤの東|端{たん}はヨーロッパの西|端{たん}に近いと信じて、
地球をあまりに小さく見たコロンブスのあやまりは、
この大發見を成さしめるもといとなったのである。
コロンブスはポルトガルに居る間ねっしんにこの
事をとなえたが、だれ一人として耳をかたむけて聞
く者がなかった。それからイスパニヤに居ること多
年、ついに皇后イサベラに知られて、その助によっ

≪p011≫
てこの大
たんけん
を行うこ
とを得た
のである。
一千四
百九十二年八月三日の朝、今日はコ
ロンブスが遠|征{せい}隊出發の日だとゆう
ので、イスパニヤのパロス港には、早くから見物人
が山のように集った。一行百二十八人、三せきの小

≪p012≫
艦に分乗して、次第に朝ぎりの中にかくれ行くのを
見送って、皆その前|途{と}をあやぶまない者はなかった。
パロスを出|帆{ぱん}して七日めに、アフリカの北西岸に
近いカナリヤ島に着き、九月六日さらに西に向って
航行した。これから先は人のまだ航行したことのな
い大洋だから、乗組の人々も次第に不安の思を起し
た。かくて多くの日數を重ねたが、陸地のかげも見
えず、空にたゞよう雲を見ては、山かとうたがった
のも幾度か知れない。船員は力を落し、氣もくじけ
て、コロンブスを海に投込もうとはかる者さえ出來

≪p013≫
た。けれどもコロンブスのけっしんの動かないのは
山のようで、船員もその勇氣に感じて、めいれいに
ふくしたのであった。
十月十一日、川に生ずる水草が流れて來たり、果
實のついた枝が波の上に浮かんで居たりしたのを見
て、一同は始めて陸地の近いのを知った。その夜は
うれしさに眠ることも出來なかった。十時頃はるか
に一點の燈{とう}火らしいものをみとめたが、朝の二時頃、
「陸だ陸だ。」とさけぶ者がある。「どこに。」「それ、あそ
こに。」と言う聲やかましく、人々の喜は言葉にもの

≪p014≫
べられない。
明行くまゝに見渡すと、前面の一島には、草木が
青々として、花も咲き、鳥もさえずり、土人らしい
ものが驚き顔してこの新來の客をながめて居る。船
員はコロンブスを取りかこんで、これまでの不明を
わびた。
一千四百九十二年十月十二日、コロンブスは深紅{しんく}
の禮服を着て、イスパニヤの國旗を持ち、深き喜の
色を目に浮かべて、第一に上陸した。さてこのイス
パニヤの新領地をサン、サルバドルと命名した。これ

≪p015≫
が今の西インド諸島の一である。かくてコロンブス
はほうこくのためにイスパニヤに歸った。パロス港
の群集は出|帆{ぱん}の日に數ばいし、前に一行の運命をあ
やぶんだ者も、始めてコロンブスの先見に服し、皇
后はコロンブスを引見して、あつくそのこうを賞{しょう}し
た。その後コロンブスは數回の航海をこゝろみたが、
一千四百九十八年第三回の航海で、ついにアメリカ
大陸を發見した。
第四課 瀬戸{せと}内海
日本本州の西、近く九州とせっするばかりの所に

≪p016≫
下關{しものせき}かいきょうがある。四國
の西には佐田岬{さだのみきき}が長くつき出
て、九州にせまり、そこに豐
豫{ほうよ}かいきょうをなしている。
淡路{あわじ}島の北方、本州と向い合
う所は明石{あかし}かいきょうとなり、
四國に近い所は鳴門{なると}かいきょ
うとなっている。この四かい
きょうに包まれた細長い内海
を瀬戸{せと}内海とゆう。

≪p017≫
瀬戸{せと}内海には、いたる所に
みさきがあり、わんがあり、
大小無數の島々がさんざいし
ている。船がその間を行く時、
島かと見ればみさきであり、
みさきかと見れば島である。
一島がまだ去らぬうちに、他
の一島がまたあらわれ、水|路{ろ}
がきわまるようでまた開ける。
島はてんじ、海はめぐって、

≪p018≫
どこまで行っても面白いけしきがつずく。
春は島山がかすみに包まれて眠っているように見
え、夏は山も海も皆緑で、目もさめるばかりあざや
かである。兩岸も島々も、見渡すかぎり田|畑{はた}がよく
開け、ちょうどもうせんをしいたようで、その間あ
ちらこちらに白{しら}かべの家が見える。
海の靜かなことはかゞみのよう、朝日・夕日をおう
て、島がくれ行く白帆{しらほ}のかげものどかである。月の
光がさゞ波にくだけ、いさり火が波間に浮き沈みす
る夜のけしきも、また一そうのおもむきがある。

≪p019≫
内海にそうた陸地および島々には、名勝の地が少
くない。中にも嚴島{いつくしま}は昔から日本三景の一に數えら
れ、屋島・壇浦{だんのうら}は源平{げんぺい}の古戰場として名高い。日本に
遊んだ外國人は瀬戸{せと}内海の風景を賞{しょう}して、世界海上
の大公園だと言った。
第五課 雨
雨がふった。
清らかな水が草木をぬらし、
玉をつずり、きれいな水たまりが庭に出來た。
空には雲がさけて

≪p020≫
すんだ青空がのぞき、
息ぐるしい暑さがすっかり去った。
冷え〳〵とするくらい明るく
そこらがすみきっている。
ほんとうに清らかな雨、
その美しい世界を、
私はかえるのように目をぱちくりさせて
見ている。
清くて明るくて、
たのしいごくらくだ。

≪p021≫
木々から銀の玉がたくさんしたゝる。
夕立あとの靜かさ、明るさ、
かゞやいた品のあるしずくがたれる。
草の間の小さい池へ、
しぜんに出來た池へ、
明るいふしぎな世界が、
神秘{しんび}なかげをうつしている。
第六課 乃木{のぎ}大將の幼年時代
乃木{のぎ}大將は幼少の時体が弱く、その上おくびょう
であった。幼名を無人{なきと}といったが、寒いといっては

≪p022≫
泣き、暑いといっては泣き、朝晩よく泣いたので、
近所の人は大將のことを、無人{なきと}ではない泣人{なきと}だといっ
たとゆうことである。
大將の父は長府藩主{ちょうふはんしゅ}につかえて、江戸{えど}で若君のお
守役をしていたが、自分の子がこう弱虫の泣虫では、
第一|藩主{はんしゅ}に對しても申しわけがない、どうかして大
將の体を丈夫にし、氣を強くしなければならぬと思っ
た。
そこで大將が四五歳の時から、大將の父はうす暗
い中に大將を起して、おうふく二マイル半もある高

≪p023≫
輪{たかなわ}の泉岳{せんがく}寺へよく連れて行った。泉岳{せんがく}寺には名高い
四十七義士の墓がある。大將の父はみち〳〵義士の
ことを大將に話して聞かせ、その墓にさんけいした
のである。
ある年の冬、大將が思わず、「寒い。」と言った。す
ると大將の父は、
「よし。寒いなら、暖くなるようにしてやる。」
と言って、大將をいどばたへ連れて行って、着物を
ぬがせて、頭から冷水をあびせかけた。大將はこれ
から後、一生の間「寒い。」とも「暑い。」とも言わな

≪p024≫
かったとゆう。
大將の母もまたえらい人であった。大將が何か食
物の中にきらいな物があると見れば、三度々々の食
事にかならずそのきらいな物ばかり出して、大將が
なれるまで、うち中の者がそればかり食べるように
した。そのため大將には全く食物に好ききらいとゆ
う物がないようになった。
大將が十歳の年、大將の一家はきょうりへ歸るこ
とになった。その時大將は江戸{えど}から大阪{おうさか}まで、馬や
かごに乗らず、兩親とともに歩いて行った。當時大

≪p025≫
將の体はもうこれだけ丈夫になっていたのである。
實に鐵はあつい中にきたえなければならぬ。
きょうりの家は六じょう・三じょう・二じょうの三間
と、二じょうの板の間が一つだけの、いたってせま
い、そまつな家であった。けれども、刀・やり・なぎな
たなど、武士のたましいと呼ばれる物は、いつもき
らきら光っていたとゆうことである。
この父母のもとに、この家に育った乃木{のぎ}大將が
終生|忠誠{ちゅうせい}|質素{しっそ}でおし通して、武人の手本とあおがれ
るようになったのは、まことにいわれのあることで

≪p026≫
ある。
第七課 銀行
「おとうさんは、いつか銀行へ行ってお金を預けて來
るとおっしゃいましたね。銀行はお金を預ける所で
すか。」
「まあ、そうだね。」
「なぜお金を預けるのですか。」
「お金とゆう物は、うちにしまっておくものではない。
うちにおくと、火事にあったり、盜人に取られたり
するきけんがあるからね。そうでなくても、餘分の

≪p027≫
お金があると、ついむだな事に使ってしまう。少し
でも餘ったお金があったら、かならず預金にしてお
くものだ。」
「預けたお金は、いつでも返してもらえますか。」
「銀行の預金には、定期預金とゆうのと、當|座{ざ}預金と
ゆうのがある、當|座{ざ}の方はいつでも引出すことが出
來るが、定期の方は、預けた日から半年とか、一年
とか、きまった期|限{げん}が來ないと引出すことが出來な
い。」
「それでは當|座{ざ}預金の方が便利ですね。」

≪p028≫
「便利だが、その代り利子が安い。定期の方には利子
がずっと多く着く。だから當分使う見込のない、ま
とまったお金は、定期預金にした方がよいのだ。」
「一体、銀行は人からお金を預ってそれをどうするの
ですか。大ぜいの人に利子を拂うだけでは、銀行が
損をしないでしょうか。」
「世の中にはお金の有餘っている人もあるが、また何
か事業を起そうと思っている人で、お金の無い人が
ある、銀行は有餘っている人からお金を預って、資{し}
金の足らぬ人に貸しつけるのだ。貸しつけの利子は

≪p029≫
預金の利子より高くしてあるから、その差{さ}だけが銀
行のしゅうにゅうになるのだ。」
「なるほど、うまく出來たものですね。」
第八課 布哇から米大陸へ
御出發の時、いろ〳〵と申し上げたいこと
もございましたけれど、あの人込でろくろ
く御話も出來ませんで失禮致しました。
さて無事その地に御着きの上、目的の學校
に御入學なさったそうで、まことに喜ばしゅ
う存じます。私も御一所に願いたいものだ

≪p030≫
と、實はゆめにまで見たくらいでございま
す。中學をそつぎょうしますと、ぜひ參る
つもりですから、その節はよろしく御願い
致します。
先日學校の先生が赤ゲットとゆうことをお
話になりましたが、ニューヨークへ御出で
になったばかりでは、失禮ですがあなたも
赤ゲットだろうと存じます。私が參ります
時には、私が赤ゲットで、あなたから笑わ
れる番だと、今からかくごしています。じょ

≪p031≫
うだんはさておき、そちらは世界の大都會
でございますから、定めて珍しいこともた
くさんあろうと存じます。どうぞおり〳〵
御たよりを願います。こちらでも負けずに
御通信致す考でございます。
ニューヨークは夏は大そう暑く、冬は大そ
う寒い所だと聞いておりますが、何分にも
御身体を御大切に願います。こちらの御兩
親様は元氣よく御働きの御様子ですから御
安心下さい。草々。

≪p032≫
十月十七日 銀次郎
勉造様
第九課 忠實な水夫
ある日船長が船の中に働いている人たちを集めま
した。
「さあ皆さん、こゝにお金のはいった袋があります。
あなたがたの中で、一番よく船のために働いて下
さる方にこの袋を上げます。」
と申しました。火夫がまっ先に船長の前へ進み出ま
した。

≪p033≫
「船長さん、私ぐらいこの船の中で骨の折れる仕事
をしている者はありません。私は百度以上もある
あついかまどの前で、まっ黒になって毎日働いて
います。私が石炭をたかなければ、この船のきか
んが直止まってしまいます。私は船のために一番
よく働いています。どうぞ、そのお金の袋は私に
いたゞかせて下さい。」
と申しました。運|轉手{てんしゅ}が船長の前へ出ました。
「船長さん、私は晝でも夜でも、高いブリッジの上
に立ちつずけに立って働いています。あなたがた

≪p034≫
がお休みになる時でも、私は眠らずに船のかじを
動かしています。私が居なければこの船はどこへ
行くか知れません。暴{ぼう}風雨にあっても方角が分り
ません。港へ着きたくも着くことが出來ません。
私は船のために一番よく働いています。どうぞ、
そのお金の袋は私にいたゞかせて下さい。」
と申しました。すいじがかりの料理人が出て來まし
た。
「船長さん、私はあなたがたのために、三度々々に
なくてはならない物をこしらえております。私は

≪p035≫
朝から晩までほうちょうを持って、大ぜいの人を
養うために休まず働いています。
パンを燒くのも私です。おさかなを料理するのも
私です。私が一日でも居なければ、この船の中に
居る者は皆うえて死んでしまいます。私は船のた
めに一番よく働いております。どうぞ、そのお金
の袋は私にいたゞかせて下さい。」
と申しました。事務員が出て來ました。
「船長さん、火夫や運|轉手{てんしゅ}や料理人があんなことを
申しますけれども、一体この船は何のためにある

≪p036≫
のですか。石炭をたく人があってもかじを取る人
があっても、食物をこしらえる人があっても、た
だそればかりでは仕方がありません。港に着く度
に、たくさんな荷物の上げ下しからお客様の世話
をして、あせを流して働くのは私です。私は船の
ために一番よく働いています。どうぞ、そのお金
の袋は私にいたゞかせて下さい。」
と申しました。今度はだれが出るかと思って船長が
待っておりますと、船の醫者が出て來ました。
「船長さん。私はもう何年もこの船に乗っています。

≪p037≫
私はあなたがたの一番大切な命を預っています。
胃{イ}病で困るとか、かっけで足がはれたとか、腹が
急にいたいとかゆう人があれば、皆私の所へもっ
て來ます。私が居なかったら、こんな海の上でだ
れが安心して船に乗りましょう。だれがあなたが
たに藥を差{さし}上げましょう。私こそ船のために一番
よく働いていると思います。どうぞ、そのお金の
袋は私にいたゞかせて下さい。」
と申しました。一番おしまいに船長の前へ進み出た
のは、年をとった水夫でした。

≪p038≫
「水夫よ、お前も何かゆうことがあるか。」
と船長がたずねますと、その年をとった水夫は頭を
下げまして、
「船長さん、私は皆さんのように強い力もなく、す
ぐれたちえもなく、これぞと申すうでまえのある
ものではありません。たゞ正直一方にして、船の
ために働こうと思う無學な水夫でございます。も
うずっと以前に、私は自分のあやまちからこの船
の帆{ほ}柱にある高いはしごをふみはずし、まっさか
さまに海へ落ちました。もとより水夫のことです

≪p039≫
から水泳は心得ておりますが、何分にも大きな海
の中でしおのためにおし流されてしまいました。
いくら私があせっても泳いでもかないません。私
はさけんで助をもとめましたが、見る〳〵船は遠
くなってしまいました。その時私はもう助からな
いものと思いました。もしもこの船を止めて下さ
る方もなく、私の方へ助のつなを投げて下さる方
もなかったら、とっくの昔に、私はふかのえじき
にでもなっていたかも知れません。それを思うと
私は今でもぞっとします。

≪p040≫
この船は私の恩人です。私はその恩返しに一生こ
の船で御奉公するつもりでございます。」
と申しました。船長は皆の言うことを聞きまして、
「なるほど火夫が居なければきかんはすぐに止まっ
てしまう。運|轉手{てんしゅ}が居なければ方角を定めること
が出來ないし、料理人が居なければ皆うえて死ん
でしまうし、事務員が居なければ荷物やお客様を
あつかう者が無いし、お醫者さまが居なければ大
切な生命を預けることが出來ない、だれ一人がか
けてもこの船は動きません。しかし皆さんはいつ

≪p041≫
までもこの船にとゞまり、あきずに働いていて下
さるでしょうか。早く陸へ上ってもっと他の事を
したいと思うような働手よりも、私はこの船で一
生御奉公したいとゆう水夫が好きです。船のため
に一番忠實なものはこの水夫です。」
そう言って、船長はそのお金のはいった袋を正直で
年をとった老水夫にやりました。
第十課 フランクリンの自立
フランクリンは、今から二百餘年前に、北アメリ
カのボストンで生まれました。家が貧しい上に兄弟

≪p042≫
が多いので、十歳で學校をやめて家業の手つだいを
しました。しかしおさない時から讀書が好きで、こ
ずかい錢をためては本を買い、少しでもひまがある
と、熱心にそれを讀みました。そのために、早くか
らけんやくと勉強のよ
いしゅうかんがつきま
した。
十二歳の時、兄のい
んさつ工場で仕事を習
うことになりましたが、

≪p043≫
子供ながらもよく働いて仕事を覺え、間もなく一人
前の職工になりました。その間にも知合の人からい
ろいろな本を借受けて、一日の仕事がすむと、それ
を讀むのを樂しみにしていました。
十七歳の時、ボストンからフィラデルフィヤに行っ
て、或いんさつ工場にやとわれました。そこで一生
けんめいに働いて、ついに二十四歳の時には、ひと
りでいんさつ業をいとなみ、長くフィラデルフィヤ
に住居するようになりました。それから後も、常に
學問をおこたらず、徳行にはげんだので、ついには

≪p044≫
りっぱな人になり、アメリカ合衆{がっしゅう}國の獨{どく}立の時に大
|功{こう}を立てました。
「天ハ自ラ助クル者ヲ助ク。」
第十一課 京都
京都は美しい山にかこまれた美しい靜かな都です。
東には加茂{かも}川、西には桂{かつら}川が流れています。皇宮は
廣い御苑{ぎょえん}の中に、紫宸{ししん}殿・清涼{せいりょう}殿など多くの宮殿が立
ちならんで、神々{こうごう}しい感じを起させます。市街は縦{たて}
横十文字に、ごばんの目のようにきまりよくならん
でいます。

≪p045≫
京都は一千年來の帝都でした
から、どこへ行っても名所や古
せきがたくさんございます。そ
のおもなものは知恩|院{いん}・清水寺・三
十三間堂・平安神宮・東西本願寺等
で、その他古い神社、名高い寺、
こゝは何の宮のあと、あそこは
何の院{いん}の池などと、長い日を五
日や六日めぐりめぐっても、見
つくすわけにはまいりません。

≪p046≫
まるで歴史の上を歩いてい
るような心持がします。
京都の人口は六十万ばか
りございます。産物では清
水燒や、ゆうぜん染や、西
じん織や、京人形・小町|紅{べに}な
ど、その名を聞いてもなつ
かしい感じがします。
(一)
一千年の昔より

≪p047≫
名も平安の都とて、
眠るに似{に}たる東山、
さゝやくごとき加茂{かも}の川。
(二)
朝{あした}|御苑{ぎょえん}のつゆふみて、
はるけき代々をなつかしみ、
夕御寺のかねの音{ね}に
過ぎにし人も思い出ず。
(三)
春は櫻のあらし山、

≪p048≫
花に吹く風うらめしく、
秋のも中の月のかげ、
さが野に虫の聲は澄{す}む。
(四)
一|條{じょう}・二|條{じょう}・三|條{じょう}と
都大|路{じ}はしげけれど、
かしこの社、こゝの森、
たゞいにしえのしのばれて。
第十二課 競{くらべ}馬
昔或|氏{うじ}神のお祭に、競{くらべ}馬の神事とゆう事があった。

≪p049≫
それは氏{うじ}子の五ヶ村から、子供の騎{き}手を一人ずつ出
して、社の横の池のまわりで競{くらべ}馬をさせて、勝った
子供を出した村が、次の年のお祭の日まで、五ヶ村
の頭になるとゆう定であった。
或年えらばれた子供の中に、すぐれて上手な騎{き}手
が二人あった。一人は信作、一人は耕造といって、
年は同じく十五歳。「今年の競{くらべ}馬はさぞ面白かろう。」
といって、祭の當日には、おびたゞしい見物人が、
朝早くから宮のけいだいへつめかけた。やがて五人
の騎{き}手は多くの人々につきそわれ、しず〳〵と馬を

≪p050≫
歩ませて、鳥居の中に集って來た。
神{かん}主はまず神前でのりとを上げて、それがすむと、
「したく」とゆうあいずの一番だいこを打鳴らした。
五人の騎{き}手は神に勝利をいのって、第二のあいずを
待ちかまえている。五ヶ村の人々は各我が村の騎{き}手
に向って、「ぜひ勝ってくれ。」「負けたら村のはじにな
るぞ。」「しっかりやってくれ。」などと、口々に勢をつ
けている。
二番だいこの「並べ」のあいずに、五人の騎{き}手は打
連れて、拜殿のそばの大きな立石の前にならんだ。

≪p051≫
馬の頭をそろえて、三番だいこを今やおそしと待ち
かまえている。
三番だいこが鳴るが早いか、五匹の馬は一さんに
かけ出した。始の間は餘り甲乙はなかったが、半分
ほどの所から一|騎{き}おくれ、二|騎{き}おくれ、つずいて三
|騎{き}までもおくれて、もはや信作と耕造の二人だけの
きょうそうとなった。そうしてそれが同時に決{けっ}勝點
へ着いた。二人を出した村の者は、たがいに勝利を
いゝはるので、神{かん}主は二人の者だけで、もう一度きょ
うそうさせることにした。

≪p052≫
今度のきょうそうも
五分五分に進んで行っ
たが、中ほどまで行っ
た時、信作の馬はつま
ずいて、前足を折った。
信作はつるりとすべり
落ちて、そのはずみに、
ころ〳〵と池の中へこ
ろげ込んだ。しかもそ
こは深い所である。

≪p053≫
耕造は驚いて、ひらりと馬からとび下り、一たん
沈んでまた浮上った信作のえりを引っつかんで、ぐっ
と岸へ引上げた。つきそいの者や見物人はかけよっ
て來て、信作に水をはかせるやら、醫者を呼びに走
るやら、上を下へのさわぎである。
耕造方の人々は耕造の肩をたゝいて、
「感心だ感心だ、えらい子だ。信作の落ちたのにか
まわず、馬をかけさせたら、大勝に勝ったのに、
人の命にはかえられないと思って、相手を助けて
やったのはえらい。いかにも見上げた心がけだ。

≪p054≫
相手の信作があの通りだから、いずれまた改めて
やり直しをしてもらわなければなるまい。」
などと言った。信作方の人々はこれを聞いて、
「もう改めて勝負するには及びません、あなた方の
村が勝ったのです。耕造さんのおかげで、信作の
命が助かりました。耕造さんの心がけは實に見上
げたものです。どうか今日から一年の間、あなた
方の村が五ヶ村の頭になって下さい。」
と言ったので、そうきまったとゆうことである。
第十三課 私のうち

≪p055≫
私のうちは皆で八人暮しです。一番年の多いのは
おじいさんで、昨年六十一のお祝がありました。一
番小さいのは去年の春生まれた妹で、四五日前から
やっと二足三足ずつ歩けるようになりました。一番
やせているのはおばあさんで、一番せいの高いのは
おとうさん、一番むじゃきでよく人を笑わせるのは
今年五つになる弟です。
おかあさんは毎朝暗いうちから起きて働かれます。
その外の者も皆日の出ないうちに起きます。私の次
の弟はうち中での朝寢|坊{ぼう}でしたが、學校へ行くよう

≪p056≫
になってからは、早く起きるようになりました。
夕方には家内中一しょに御飯を食べて、それから
いろ〳〵面白い話をします。一日の中でこの時ほど
樂しいことはありません。
私のうちは數代前の先祖がたんせいして起された
ので、その頃先祖自身で
勤|儉{けん}は齊家{せいか}の上策{じょうさく}たり。
和平は處世{しょせい}の良道なり。
と書かれたが、今も殘って私の家のおきてになって
います。

≪p057≫
先祖の殘されたものには、家や田|畑{はた}やその外いろ
いろの品物がありますが、一番貴いのはこのおきて
です。
私のうちでは、代々このおきてを守って家を治め
たり、世間のつきあいをしたりして來ました。おと
うさんも、
「この家風にそむかないように。」
と言って、いつも私どもをいましめられます。
第十四課 住宅の美化{びか}
日本から布哇に來て直ぐ目に着くのは、日本のい

≪p058≫
なかと布哇の耕地との間に、よほど相違のあること
です。日本のいなかにはずいぶん小さい家もあるが、
どんな小さい家でも、小さいながら庭があって、い
ろいろの草や木が植えてあり、家の中には、つまら
ない品でもかけ物の一つぐらいはかけてあって、ど
ことなく家らしい氣分がします。ところが布哇の耕
地の住宅は、近頃大分改っては來ましたが、まだ家
らしい氣分のとぼしいのがあります。せっかくまわ
りに空地があっても、草や木を植えて美化{びか}するとゆ
うこともなく、家屋はたゞ寢る所、雨つゆをしのぐ

≪p059≫
所とゆう考でいる者もあるようです。
むやみに家をかざり立てたり、りっぱな庭をこし
らえたりするのは、よい事でもありませんし、第一
金が無ければ出來ない事です。けれども日本のいな
かの家のように、家らしく住心地よくするのは、何
もむずかしい事ではなく、しようと思えば、だれに
でも出來ることです。
今まで耕地の人々がこの事に注意しなかったのは、
多分自分等は日本から出かせぎに來た者で、いつ歸
るか分らないとゆう考をもっていたからでしょう。

≪p060≫
しかし布哇で生まれて、布哇で育った皆さんにとっ
ては、耕地はその生まれた所で、住宅はその育った
家であるから、もう少し意を用いて、自分たちのま
わりを美|化{か}するようにつとめるのがよいだろうと思
います。
こゝろみに木を植えてごらんなさい。花を植えて
ごらんなさい。家の中にがくをつるしたり、花を生
けたりしてごらんなさい。私どもの住宅はちょっと
の骨折で、見違えるようにきれいになり、住心地も
よくなります。まわりが殺風景だと、しぜん心持も

≪p061≫
殺風景になる。自分の居る所がかりの宿だとゆう氣
でいる間は、とても心が落着きません。また自分の
住んでいる土地を愛する心が無ければ、永久{えいきゅう}的の事
業などは何一つ出來るものではありません。愛|郷{きょう}心
は自分の家を愛する心から始り、家を愛する心は私
どもの住宅を住心地よくすることによって養われる
のです。こう考えて來ますと、住宅を美|化{か}するとゆ
うことは、私どもにとってなか〳〵大切な意|味{み}のあ
ることではありますまいか。
第十五課 青の洞{どう}門

≪p062≫
豐前{ぶぜん}の中津{なかつ}から南へ七マイル、激{げき}流岩をかむ山國
川を右に見て、川ぞいの道をたどって行くと、左手
の山は次第に頭{ず}上にせまり、ついには道の前面につ
き立って人のゆくてをさえぎってしまう。これから
が世に恐しい青のくさり戸である。それは山國川に
そうて連なるびょうぶのようなぜっぺきをたよりに、
見るからあやうげな半マイルもあるかけはしを造っ
たものであるが、昔からこれを渡ろうとして水中に
落ち、命を失った者が幾百人あったか知れない。
享保{きょうほう}の頃の事であった。この青のくさり戸にさし

≪p063≫
かゝる手前、道をさえぎって立つ岩山に、毎日々々
根{こん}氣よくのみをふるって、一心に穴を掘っている僧
があった。身には色目も見えぬ破れごろもをまとい、
日にやけ仕事にやつれて年の頃もよく分らぬくらい
であるが、きっと結んだ口もとには意志の強さがあ
らわれている。
僧は名を禪海{ぜんかい}といってもと越後{えちご}の人、諸國の社寺
をおがみめぐった末、たま〳〵この難所を通って幾
多のあわれな物語を耳にし、どうにか仕方はないも
のかと深く心をなやました。さていろ〳〵と心をな

≪p064≫
やましたあげく、ついに心を決して、たとえ何十年
かゝらばかゝれ、我が命のあるかぎり、一身をさゝ
げてこの岩山を掘りぬき、万人のために安全な道を
造ってやろうと、神佛にかたくちかってこの仕事に
手を着けたのであった。
これを見た村人達は、かれを氣違あつかいにして
相手にもせず、たゞ物笑の種にしていた。子供等は
仕事をしている老僧のまわりに集って、「氣違よ〳〵。」
とはやし立て、中には古わらじや小石を投げつける
者さえあった。しかし僧はふりかえりもせず、たゞ

≪p065≫
點{もく}々としてのみをふるっていた。
そのうちにだれゆうとなく、あれは山師{し}坊主{ぼうず}で、
あのようなまねをして、人をろうらくするのであろ
うとゆううわさが立った。そうしていろ〳〵と仕事
のじゃまをする者も少くなかった。しかし僧はたゞ
點{もく}々としてのみをふるっていた。
かくてまた幾年かたつうちに、穴はだん〳〵深さ
を加えて、すでに何百フィートとゆう深さに達した。
この洞{ほら}穴と、十年一日のごとく點{もく}々としてのみの
手を休めない僧の根{こん}氣とを見た村の人々は、今さら

≪p066≫
のように驚いた。出來る氣ずかいはないと見くびっ
ていた岩山の掘拔も、これではどうにか出來そうで
ある。一心のこった力は恐しいものであると思いつ
くと、この見るかげもない老僧のすがたが、急に貴
いものに見え出した。そこで人々はいっそ我々も出
來るだけこの仕事を助けて、一日も早く洞{どう}門を開通
し、老僧の命のあるうちにその志をとげさせるとと
もに、我々もあのくさり戸を渡る難|儀{ぎ}をのがれよう
ではないかと相談して、その方法をも取りきめた。
その後は老僧とともに洞{ほら}穴の中でのみをふるう者

≪p067≫
もあり、費用を進んで出す者もあって、仕事は大い
にはかどって來た。しかし人は物にうみやすい。こ
うしてまた幾年か過すうちに、村の人々はこの仕事
にあきて來た。手つだいをする者が一人へり二人へ
りして、はてはまた村人全体がこの老僧からはなれ
るようになった。
けれども老僧はさらにとんじゃくしない。かれの
一心は年とともにます〳〵かたく、時には夜半まで
もうす暗いあかりをたよりに、經{きょう}文をとなえながら
一心にのみをふるうことさえあった。

≪p068≫
老僧の終始一|貫{かん}した根{こん}氣は、ついに村の人々をは
じさせたものか、仕事を助ける者がまたぼつ〳〵と
出來て來た。こうして、老僧が始めてのみをこのぜっ
ぺきに下してからちょうど三十年めに、かれが一生
をさゝげた大工事が見事に出來上った。洞{どう}門の長さ
は實に六百フィート餘に及び、川に面した方には所
所にあかり取りの窓さえうがってある。
今ではこの洞{どう}門を掘りひろげ、所々に手を加えて
昔の有様とはかわっているが、一部はなお昔の面目
をとゞめて、禪{ぜん}海一生の苦心を永久{えいきゅう}に物語っている。

≪p069≫
第十六課 招待{しょうだい}状
その一
老父事本年|滿{まん}六十歳に達しましたので、來
る十二月五日のたんじょう日に親族どもが
集って、心ばかりの祝|宴{えん}を開き、御心安い
方々も御|招待{しょうだい}申し上げたいと存じます。同
日午後五時に御出でが願われますれば仕合
わせに存じます。
右御|案{あん}内申し上げます。さようなら。
その二

≪p070≫
來る十二日は亡母七回|忌{き}に當りますので、
午後三時私宅で法|會{え}をいとなみたいと思い
ます。御多用中恐れ入りますが御參り下さ
れば有難う存じます。さようなら。
第十七課 小さなねじ
暗い箱の中にしまい込まれていた小さな鐵のねじ
が、不意にピンセットにはさまれて、明るい所へ出
された。ねじは驚いてあたりを見廻したが、いろい
ろの物音、いろ〳〵の形がごた〳〵と耳にはいり目
にはいるばかりで、何が何やらさっぱり分らなかっ

≪p071≫
た。
しかしだん〴〵落着いて見ると、こゝは時計屋の
店であることがわかった。自分の置かれたのは、仕
事だいの上に乗っている小さなふたガラスの中で、
そばには小さな心ぼうや齒{は}車やぜんまいなどが並ん
でいる。きりやねじまわしやピンセットや小さなつ
ちやさま〴〵の道具も、同じだいの上に横たわって
いる。まわりの壁やガラスとだなには、いろ〳〵な
時計がたくさん並んでいる。かち〳〵と氣ぜわしい
のは置時計で、かったり〳〵と大ようなのは柱時計

≪p072≫
である。
ねじは、これらの道具や時計をあれこれと見くら
べて、あれは何の役に立つのであろう、これはどん
な所に置かれるのであろうなどと考えている中に
ふと自分の身の上に考え及んだ。
「自分は何とゆう小さい情ない者であろう。あのい
ろいろの道具、たくさんの時計、形も大きさもそ
れぞれ違ってはいるが、どれを見ても自分よりは
大きく、自分よりはえらそうである。一かどの役
目を務めて世間の役に立つのに、どれもこれも不

≪p073≫
足は無さそうである。たゞ自分だけがこのように
小さくて何の役にも立ちそうにない。あゝ何とゆ
う情ない身の上であろう。」
不意にばた〳〵と音がして、小さな子供が二人お
くからかけ出して來た。男の子と女の子である。二
人はそこらを見廻していたが、男の子はやがて仕事
だいの上の物をあれこれといじり始めた。女の子は
たゞじっと見守っていたが、やがてかの小さなねじ
を見着けて、
「まあ、かわいゝねじ。」

≪p074≫
男の子は指先でそれをつまもうとしたが、餘り小
さいのでつまめなかった。二度、三度、やっとつま
んだと思うと直に落してしまった。子供は思わず顔
を見合わせた。ねじは仕事だいのあしのかげにころ
がった。
この時大きなせきばらいが聞えて、父の時計師が
はいって來た。時計師は
「こゝで遊んではいけない。」
と言いながら仕事だいの上を見て、出して置いたね
じの無いのに氣が着いた。

≪p075≫
「ねじが無い。だれだ、仕事だいの上をかき廻した
のは。あゝゆうねじはもう無くなって、あれ一つ
しか無いのだ。あれが無いと町長さんの懷{かい}中時計
が直せない。探せ、探せ。」
ねじはこれを聞いて、飛上るようにうれしかった。
それでは自分のような小さな者でも役に立つことが
あるかしらと、むちゅうになって喜んだが、このよ
うな所にころげ落ちてしまって、もし見着からなかっ
たらと、それがまた心配になって來た。
親子は總掛りで探し始めた。ねじは「こゝに居り

≪p076≫
ます。」とさけびたくてたまらないが、口がきけない。
三人はさん〴〵探し廻って見着からないのでがっか
りした。ねじもがっかりした。
その時、今まで雲の中に居た太陽が顔を出したの
で、日光が店一ぱいにさし込んで來た。するとねじ
がその光線を受けてぴかりと光った、仕事だいのそ
ばに、ふさぎこんで下を見つめていた女の子がそれ
を見着けて、思わず「あら。」とさけんだ。
父も喜んだ、子供も喜んだ。しかも一番喜んだの
はねじであった。

≪p077≫
時計師はさっそくピンセットでねじをはさみ上げ
て、大事そうにもとのふたガラスの中に入れた。そ
うして一つの懷{かい}中時計を出してそれをいじっていた
が、やがてピンセットでねじをはさんで機械の穴に
さし込み、小さなねじ廻しでしっかりとしめた。
りゅうずを廻すと、今まで死んだようになってい
た懷{かい}中時計が、たちまちゆかいそうにかち〳〵と音
を立始めた。ねじは自分がこゝに位置を占めたため
に、この時計全体がふたゝび活動することができた
のだと思うと、うれしくて〳〵たまらなかった。時

≪p078≫
計師は仕上げた時計をちょっと耳に當ててから、ガ
ラスとだなの中につり下げた。
一日置いて町長さんが來た。
「時計は直りましたか。」
「直りました。ねじが一本いたんでいましたから、
取りかえて置きました。工合{ぐあい}の惡いのはそのため
でした。」
と言って渡した。ねじは
「自分もほんとうに役に立っているのだ。」
と心から滿{まん}足した。

≪p079≫
第十八課 パナマ運河
北アメリカが南アメリカに續く部分は、パナマ地
|峽{きょう}といって、地形がきわめて細長くなっている。こ
の地|峽{きょう}に造った運河が、世界に名高いパナマ運河で
ある。
パナマ地|峽{きょう}は一体に小山が起伏{きふく}している上に、地
層にはかたい岩石が多い。その外にもいろ〳〵の理
由があるので、この地|峽{きょう}を切通し、平かな掘割を造っ
て、太平・大西兩岸の水を通わせることはとうてい出
來ぬ事であった。そこでこの運河は、非常にかわっ

≪p080≫
た仕組に出來ているのである。
まず地|峽{きょう}の山地を流れている河の水をせき止めて、
湖水を二つ造った。高い土地の上に水をたゝえたの
であるから、湖の水面は海面よりずっと高い。この
湖へ兩方の海から掘割が通じてある。所で、この高
い湖と低い掘割を何の仕掛もなしに連結すれば、湖
の水はたきのように掘割へ落込んで、とても船を通
すことは出來ないから、掘割の所々に水門をもうけ
て、たくみに船を上下するようにしてある。
今太平洋の方からこの運河を通るとする。船はま

≪p081≫
ず海から廣い掘割にはいる。しばらく進むと水門が
あって、行くてをさえぎっている。近ずくと、門の
戸びらは左右に開いて、船が中にはいり、戸びらは
しまる。上手にも水門があるので、船は大きな箱の
中に浮いている形である。底の水道から水がわき出
て、船は次第に高く浮上る。と、上手の水門が開い
て、船は次の箱の中へはいる。前と同じ方法で、船
はもう一だん高く浮上り、次の水門をこして、小さ
い人造湖に出る。この湖を横ぎるとまた水門があっ
て、船はさらに一だん高くなる。こうして前後三だ

≪p082≫
んに上った船は、海面より約八十五フィートも高い
水面に浮ぶのである。
それから船はクレブラの掘割を通る。これは高い
山地を切通したもので、こゝを切通すのは非常な難
工事であったとゆうことである。掘割を通過して、
船はまた湖に出る。ガツン湖とゆう大きな人造湖で、
今湖上に點々として散在している島々は、もとこゝ
にそびえていた山々である。この湖を渡ってまた水
門を通過する。今度は前と反對に、順次に三だんを
下って、海と同じ水面に浮ぶ。こゝからまた掘割を

≪p083≫
走って、ついに洋々たる大西洋に出るのである。運
河は全長五十マイル餘り、およそ十時間前後でこれ
を航することが出來る。
パナマ地|峽{きょう}に運河を造ることは、數百年來ヨーロッ
パ人のしば〳〵計|畫{かく}したところで、實地に大仕掛の
工事を行ったこともあったが、成功を見るに至らな
かった。最後にアメリカ合衆國は、國家事業として
この工事に着{ちゃく}手し、十年の歳月と八|億{おく}圓の費用とを
費して、一千九百十四年、ついにこれを造り上げた
のである。

≪p084≫
米國がこの運河を造るに成功したのは、主として、
最{さい}新の學理を應{おう}用したからであった。衞{えい}生のせつび
をよくしてきけんな病氣をこんぜつし、幾万の從業
者のけんこうをはかったことや、ほとんどあらゆる
文明の利器を運用して、山をくずし、地をうがち
河水をせき止めた事など、一としてそれならぬもの
は無い。
昔、太平・大西兩洋の間を往{おう}來する船は、はるか南
アメリカの南|端{たん}を大廻りしなければならなかった。
しかしパナマ運河の開通以來は、この不便が無くな

≪p085≫
り、したがって世界の航|路{ろ}に大きなかわりを生じた
のである。
第十九課 燈臺{とうだい}守
水と空 たゞ一つなる
大海の はなれ小島に、
波の音 風を友なる
我こそは 燈臺{とうだい}守よ。
白き鳥 朝のねざめに
鳴きかわし おとない來れど、
魚の群 夕の波に

≪p086≫
光りつゝ 飛ぶを見れど、
たずね來る 人も無ければ、
さびしさは かぎりもなしや。
海の日の 沈むを見れば、
身ひとりの うらみは長し。
八|重{え}の潮{しお} だれかこえ來て、
このうれえ なぐさむべしや。
人の聲 夢のまくらに
うつゝにも 聞え來るよ。
第二十課 ベンの繪筆 (一)

≪p087≫
他人の助を待たず、自分の力で事を成し、自分の
ちえで工夫發明をすることを自助とゆう。古今東西
とも、名高い人物中には、自助で立身した人が少く
ない。アメリカの畫師で、後にはその名をヨーロッ
パまで知られたベンジャミン、ウェストの話などはそ
のよい一れいである。
ベンジャミンは今から三百年前に北アメリカのペ
ンシルバニヤ州の片いなかに生まれ、幼少の頃はベ
ンよベンよと呼ばれた。父母は貧しく暮していた上
に子供だくさんであったから、ベンにはろく〳〵教

≪p088≫
育もしなかった。しかしベンは天|才{さい}であったとみえ
て、六つ七つの頃から、だれ教えぬのに、畫をかき
習い、彩色{さいしき}することまで心得ていた。或日、幼い妹
がゆりかごに入れられて寢入った顔の、いかにも愛
らしいのをつくずく見て、つい筆を取って寫生をし
たが、これが兩親を驚かしたはじめであった。
父の知人のアメリカ土人が或日商用で立ちよった
時、ベンのかいた畫を見て感心し、「惜しいことは繪
の具が足らぬ。筆も本物でなさそうだ。繪の具には
赤と黄のかよう〳〵の土を使うがよい。筆はらくだ

≪p089≫
の毛で作るのだ。」とこま〴〵と教えて行った。
教えられた赤と黄の繪の具は、近所の山の土から
取れたが、かんじんのらくだの毛は、こゝらでは得
られない。ベンはいろ〳〵考えた末、ふと飼|猫{ねこ}に目
をつけて、だしぬけにおさえつけた。かわいそうに、
猫はしっぽの毛を一つかみほど拔かれてしまった。
繪の具は土から取った赤・黄の外に、母にもらった
染料のあいを加えて都合三色、それをいろ〳〵に配
合して、幾種かの色を得た。それからは毎日のよう
に外へ出て、山や川や木や花や鳥や獸や、目にふれ

≪p090≫
るあらゆるしぜんを手本にして、畫ばかりかいてい
た。すると父のところへ來た或りっぱな商人が、ベ
ンのかいたいたずらがきに目をとめて、「手本無しで
これほどにかくのは末たのもしい。これはいわゆる
天|才{さい}であろう。ともかくも、よい手本を與えて少し
習わせて見るがよい。」といって、後日繪の具や、本
當のらくだの毛の筆や、りっぱな油繪の手本などを、
わざ〳〵フィラデルフィヤから送ってくれた。その
品々が屆いた時にはベンは家中をおどりまわって喜
んだ。

≪p091≫
第二十一課 ベンの繪筆 (二)
ベンはその晩はろく〳〵眠らず、翌日は暗いうち
に飛起きて、二かいの物置にはいり、朝の食事も忘
れて一心に畫をかいた。その日ばかりでなく、その
翌日もそのまた翌日も、物置にばかりひっこもり、
三度の食事の外はほとんどちらとも顔を見せぬ。
ベンはその頃、小學校へ通っていたから、はじめ
は父母も氣に止めず、いつもの通り學校へ出ている
こととばかり思っていると、しばらくたって學校か
らけっせきの知らせが來た。兩親は始めて驚き、さ

≪p092≫
ては繪をかいているのではないかと母親が二かいへ
上って見ると、これはどうしたこと、物置はまるで
てんらん會のようで、四方の壁には、すきまもなく
油繪を掛けつらね、右も左も繪の具だらけの中に、
小さい畫師がきちんと腰掛けて、一心ふらんに畫を
かいていた。
これほどまでに好きなものをしかって止めるので
もないと、父母相談の上、師について畫を習わせる
ことに定め、さきに手本や繪筆を送ってくれたフィ
ラデルフィヤの商人のところへベンを送ることにし

≪p093≫
た。
さてベンはその人のしょうかいで、始めて或畫師
の門に入り、正式に畫法を學び、かつ古今の名畫を
も見ることが出來た。始めて或名畫を見た時、ベン
は非常に感動して覺えず聲をあげて泣いたとゆう。
それからは自分も必ず名畫師になろうとゆう志が
いよ〳〵かたく、したがって學問の必要をもさとり、
日々學校へ通って勉強し、ついに天下に大名を成す
人となった。
後、イギリス國王に知られて四十年ばかりの間ゆ

≪p094≫
うたいせられ、學士會|院{いん}の會長にもすいせんされた。
一千八百二十年、かれは九十二歳の高年をもって名
|譽{よ}ある一生を終えた。
第二十二課 大阪{おうさか}
東京の西三百五十マイルにある大阪{おうさか}は、人口が約
二百三十万あり、商工業の盛なことは東京をしのい
でいます。東京のように大きな役所もなく、また奈
良{なら}京都のように名所や古|蹟{せき}も多くはありません。し
たがって遊覽の場所とゆうよりもむしろ活動の場所
で、全市十三|區{く}に活氣がみち〳〵ています。市内に

≪p095≫
はいたる所にほりが通じ、それに大小幾多の橋がか
けてあります。ほりにはたくさんの船が通っており、
橋の上には幾十の車馬が往{おう}來しています。市の内外
にはたくさんの工場があって、林のように立ってい
るえんとつからはき出す煙に、太陽もはっきり見え
ないほどです。
大阪{おうさか}停車場で下車し、南へ少し行った所に、有名
な取引所のある堂島や、中の島公園などがあります。
園内には圖書館{としょかん}公會堂があり、またこゝから天|滿{まん}宮
へも近うございます。

≪p096≫
天神橋を渡って進むと、名高い大阪{おうさか}城が見られま
す。高くほりの上にそびえている
石|垣{がき}の石の大きいのにはだれも驚
かされます。
市の中部には、商業の取引の中
心になっている北濱や、にぎやか
な心齋{しんさい}橋通等があります。心齋{しんさい}橋
の西には四つ橋といって、ほりと
ほりが十の字に通じ、そこに四つ
の橋が井{い}げたのようにかゝっています。大阪{おうさか}らし

≪p097≫
い景色です。
心齋{しんさい}橋から南の方へ行くと、道頓堀{どうとんぼり}・千日前等とゆ
う所があります。活動寫眞|館{かん}・劇{げき}場等がぎっしり並ん
で押合う群衆は、あらゆる音と、あらゆる色の入り
みだれる中を、うしおのように押しよせています。
その東方にある生{いく}國|魂{たま}神社は市中第一の大社で、こ
この高臺へ上ると、市中が一目の中に集り、大阪灣{おうさかわん}
から淡路{あわじ}島まで見えます。それから南へ行くと、有
名な四天王寺があります。こゝには美しい五重の塔{とう}
が空高く立っています。寺の裏手は櫻・はぎなどを植

≪p098≫
えつけた小公園になっていて、遊覽の客がたえませ
ん。
大阪{おうさか}がいかに商工業の盛な地であるかは、港口へ
行って見ると、よく分ります。川口から港へかけて
大小無數の船がかゝり、日に何百となく出入してお
ります。これらは内地はもちろん、朝鮮{ちょうせん}・シナ・インド
等へ航行する船です。
第二十三課 ウェリントンと少年
昔イギリスの或農場で、農場主が大勢の人の耕作
するのをかんとくしていた。

≪p099≫
ふと向うを見ると、かりに出たらしいりっぱな騎{き}
馬の人達が、ま一文字にこちらへかけて來る。農場
主はせっかくよく出來ている麥を、たくさんの馬や、
犬にふみ荒されてはたまらないと思って、そばに居
た自分の子に、
「ジョージ、早く行って農場の門をしめろ、人が何
と言っても決してあけるな。」
と言いつけた。
ジョージが飛んで行って門の戸にかんぬきをさす
が早いか、騎{き}馬の人達はもう門の外まで乗りつけた。

≪p100≫
そうしてジョージに早くあけて通すようにと言った。
するとジョージは、
「皆さん、こゝは通れません。僕はおとうさんから、
だれが來てもこの門をあけてはならないと言いつ
けられているのです。」
と言ってどうしてもあけない。騎{き}馬の人達は、あけ
ないとなぐるぞと言っておどしたり、あけてくれゝ
ばお禮に金貨をやると言ってすかしたりした。しか
しジョージは立ったまゝ、
「おとうさんは、だれが來てもこの門をあけてはな

≪p101≫
らないと僕に言いつけました。」
とくり返すばかりであった。一番しまいに目つきの
やさしい老|紳{しん}士が言った。
「私は公|爵{しゃく}ウェリントンだ。よい子だから私の頼を
きいてくれ。」
ジョージは、かねてウェリントン公|爵{しゃく}が勲{くん}功も高く、
りっぱな人物であるとゆうことを聞いていたので、
ぼうしをぬいでうや〳〵しく敬禮して、さて靜かに
口を開いた。
「ウェリントン公|爵{しゃく}ともいわれるえらいお方が、お

≪p102≫
とうさんの言いつけにそむけとおっしゃろうとは、
どうしても考えられません。僕は、だれが來ても
この門をあけてはならないとおとうさんに言われ
ているのです。」
公|爵{しゃく}はひどくこの答が氣に入った。そうして自身も
ぼうしをぬいで答禮し、一同を引連れて立去った。
ジョージは後を見送って、ぼうしをふりながらさ
けんだ。
「ウェリントン公|爵{しゃく}万歳。」
第二十四課 祖先と家

≪p103≫
我等の家では、父は職業にはげみ、一家の長とし
て我等をほごし、母は父を助け、一家の主婦として
家事に當り、共に一家のはんえいと子孫の幸福をは
かっています。
父母の前は祖父母、祖父母の前は曽{そう}祖父母と、我
が家は祖先が代々|維{い}持して來たものです。代々の祖
先が家のはんえいと子孫の幸福をはかった心持は、
いずれも父母とかわりがありません。我等はかよう
に深い祖先の恩を受けて生活しているのです。この
恩を感|謝{しゃ}し、祖先を貴ぶのは、自然の人情であり、

≪p104≫
また人の道であります。
一家の中で一人でも多くよい人がいて、業務には
げみ、公共の事に力をつくせば、一家のはんえいを
増すばかりでなく、また家の名|譽{よ}を高めることにな
ります。わずか一人でも不心得の者がいて、惡いこ
とをしたり、務をおこたったりすれば、一家の不名
|譽{よ}となり、そのはんえいをさまたげます。一人の善
惡の行は、たゞその人だけのことと思うのは大きな
間違で一家全体の幸・不幸となり、祖先の名にもかゝ
わります。それゆえ一家の人々は皆心を合わせて家

≪p105≫
の名|譽{よ}とはんえいの爲に力をつくし、祖先に對して
はよい子孫となり、子孫に對してはりっぱな祖先と
なるように心掛けることが大切です。
第二十五課 今日
ふけ行く夜の靜けさよ。
あらゆるものはやみとゆう
黒きとばりにおうわれて、
安き眠に入れるなり。
ひとり目ざむる古時計。

≪p106≫
夜をいましむる夜まわりの
ひょうし木のごと、かち〳〵と、
さびしく時をきざみ行く。
きざみ〳〵て、明方の
雞鳴けば、夜のとげり
靜かに明きて、ほの〴〵と
東の窓はしらみたり。
よき日は明けぬ、さわやかに。

≪p107≫
朝日は出でぬ、花やかに。
いざ、起き出でて、勇ましく
我もはげまん、今日の業{わざ}。
第二十六課 ホノルヽの名所
ホノルヽ市の近くには、風光のすぐれた所が少く
ない。南方のワイキヽの海岸には、布哇第一ともい
われるカピオラニ公園がある。ワイキヽ公園とも呼
ばれるもので、園内には公共テニスコートや、諸學
校の運動場に當てられる廣場などがある。公園の後
方には、ダイヤモンドヘッドがのこぎりの齒{は}のよう

≪p108≫
にそびえており、マノア谷からカイムキのおかもな
がめられる。前面は直に遠淺の海で、そこには公衆
海水浴場のもうけがある。その近くにある音樂堂の
かたわらに水族|館{かん}がある。きぼは大きくないが、布
哇の近海でなければ見られないさま〴〵の珍しい魚
類が集めてあるので、世界的かちのあるものとして
旅客は必ず見物することになっている。
市外東南|端{たん}の一地方はカイムキといって、近年住
宅地として開けた所である。土地が高くて、いなが
ら四方のながめがきき、大海を一目の中におさめて、

≪p109≫
布哇特有ともゆうべき夕ばえの美觀をほしいまゝに
することが出來る。
市の東方プナホウから左へまがると、山が兩がわ
からせまって來て、その谷間に村落がある。これが
マノア谷である。木が少くて明るい。谷の淺い所に
は住宅が立並んでいる。谷底には小川があって、そ
のあたりに住む者は農|牧{ぼく}生活をいとなんでいる。
この谷はホノルヽ名物のにじの出る所として有名
である。朝夕はもちろん、夜でもにじが出ることが
ある。月夜にあらわれる夜のにじの美觀は、とても

≪p110≫
他國では見られない光景である。
市の中央道|路{ろ}ヌアヌ街を北へと一|直{ちょく}線に進んで、
オアフ島を貫{かん}通する山|脈{みゃく}の一部を横切る所が、いわ
ゆるヌアヌパリである。せまい土地ではあるが、脚{きゃつ}
下に一大ぜっぺきを見下し、前後兩面に太平洋をな
がめる景色は、このぜっぺきの下の深谷で、かのカ
メハメハ大王が敵軍をみなごろしにしたとゆう歴史
と相まって、ホノルヽ第一の名所である。詩{し}歌の好{こう}
材料になっているヘイアしぐれ、谷間からふき上げ
る風の爲に上方に走るたきの奇{き}觀もこゝの名物であ

≪p111≫
る。
市の西|端{たん}には布哇の富人サミエル、デーモン氏{し}の一
大庭園がある。園内には熱|帯{たい}植物の珍しいのが集め
てあるばかりでなく、多大の費用を以て造り上げた
日本式の庭園や家屋もある。
第二十七課 らくだ乗り
昔アラビヤの或町にハッサンとゆう人がありまし
た。らくだに乗って隊商の仲間に加り、大さばくを
往{おう}來するのを業としておりました。ある時、旅行先
から手紙でその子のアリに、らくだを連れて荷物を

≪p112≫
取りに來いと言ってやりました。アリは十歳ばかり
の子供でしたが、父の手紙を讀んで勇み立ち、日頃
飼いならしたらくだに乗り、飲用水その外何くれと
用意をして、隊商と共に出立しました。
さていよ〳〵さばくに入りましたが、木のかげ一
つもない砂原續きでありますから、その苦しさはた
とえようがありません。日が暮れると、一同はテン
トをはって夜を過します。アリは子供ですから話相
手もなく、たゞ父に會うのを樂しみに、一日々々と
旅行を續けました。

≪p113≫
四日目の正午頃でした。大風が吹起って、砂煙で
一|寸{すん}先も見えなくなりました。一同は仕方なく進行
をやめて、風の靜まるのを待つことにしました。
すべてさばくの旅行は、以前に通ったらくだの足
あとを目あてにして行くのです。ところが、この大
風のために今までのらくだの足あとが消えましたか
ら、翌日風がやんで出立はしましたが、一同は進む
方向にまよって右に行き左に行くうちに、空しく一
日を過しました。これがために一行の用意した水も
殘り少になりました。その夜、アリがふと目をさま

≪p114≫
して人々の話すのを聞きますと一人の言うに、
「もし明日中に水のある所に着かなかったら、らく
だを殺してその胃{い}の中の水を飲もうではないか。」
また一人、
「それなら、あの子供の乗っているらくだを殺そう。」
と言いました。これを聞いたアリは大そう驚いて、
このまゝでは過されないといろ〳〵考えた末、一大
決心をして、人々のねしずまるのを待ってこっそり
らくだにうち乗り、そこから逃出しました。
晴渡る大空には、無數の星がきら〳〵とかゞやい

≪p115≫
ていました。アリは幸にも星によって方角を見定め
ることを知っていましたから、それをたよりに進行
しました。夜が明けて見ますと、砂の上に新しいら
くだの足あとがありました。これに力を得て南へ南
へと急ぐうちに、その日の夕方一組の隊商のテント
を見つけました。アリはそこに行き、今までのこと
をくわしく話してねんごろに同行を頼みました。こ
れを聞いた一同はこゝろよく引受けてくれました。
そうこうする間に、また向うから一組の隊商が着
きました。その中には、アリの父ハッサンもまじっ

≪p116≫
ていました。聞けば、ハッサンはアリの來るのが餘
りにおそいので、道連のあったのを幸、迎えかたが
たこゝに來たのです。たがいに心もとなく思い合っ
た父子が、今無事で會った喜はどのようであったで
しょう。
やがて親子は打連れて心樂しく出立しました。
第二十八課 時は金なり
ことわざに、「時は金なり。」とゆうことがあるが、
これは時とゆうものは目に見えないものだけれども、
金のように貴いものだとゆうことである。しかし金

≪p117≫
はなくなってもまたこれを得ることは出來るが、時
間にいたっては、一度費したら決して取りもどすこ
とが出來ない。
支那{しな}の詩{し}にも、「少年老い易{やす}く、學成り難し。一|寸{すん}
の光|陰{いん}輕んずべからず。」とか、「盛年重ねて來らず、
一日|再{ふたゝ}び晨{あした}なり難し。」とかゆうのがあるが、皆時間
の貴くして、二度とこれを得ることの出來ないこと
をよくいましめた語である。毎日の仕事をするにし
ても、學課の勉強をするにしても、その日になすべ
きことときめたものは、ぜひその日の中にかたつけ

≪p118≫
てしまわなければならない。まあ、今日はこのくら
いにしてまた明日のことにしようとゆうのは、なま
け者の常である。明日になってもしさしつかえが出
來れば、その仕事はまたのびてしまう。そうすると、
まあ來週にしようとゆうことになり、來月にしよう
とゆうことになり、來年にしようとゆうことになる。
そうゆう風では、いつまでたっても決して出來るも
のではない。そのうちに月日はえんりょなくたって
しまって、あゝ、あの時にやってしまっておけばよ
かったのにと、後悔{こうかい}しなければならないようになる。

≪p119≫
世にびんぼうして苦しんでいるものの中には、こう
ゆうなまけた考からそうなったのが少くない。
一分一|秒{びょう}もおろそかにしないで一しょうけんめい
にかせぐ者は、まず困るようなめにあうことはない
はずである。日本のことわざにも、「かせぐに追いつ
くびんぼうなし。」とゆうことがある。
我々も平生時間をむだにしないように勉強してい
れば、學年の終になって落第とゆう大きな借金を背
おい込む心配はないのである。
第二十九課 塩原多助

≪p120≫
昔塩原多助とゆう男がありました。江戸{えど}へ出て或
炭問屋に奉公しましたが、誠に心掛のよい男で、万
事店のためになるようによく働きました。
或日主人が番頭に、
「くらではくぞうりは、もう買入れる時分だろう。」
「はい、實は今日あたりお願い申し上げようと思っ
ていたところでございます。どうも若い者ははき
ようが荒くて困ります。」
「今度はたくさんまとめて買っておきたいと思うが、
どうだろう。」

≪p121≫
「しごくけっこうなことでございましょう。どうせ
いるものでございますから、一度にまとめて買っ
た方がおためによろしかろうと存じます。」
「それでは四百足も買っておきなさい。」
多助は店で働きながら、この話を聞いていましたが、
「もし番頭さん、お話中で恐れ入りますが、ぞうり
がお入用なら、どうか私が持合わせているのを使っ
ていたゞきとうございます。」
「だんな様いかゞ致しましょう、多助があのように
申しますが。」

≪p122≫
「まあ、持って來て見せなさい。」
「それでは多助さん、ありったけこゝへ持って來て
見なさい。」
多助は直にぞうりを店先へ運んで來て、山のように
積上げました。
「これは驚いた。多助一体これはどうしたのだ。」
「はい、店の者が毎日はきすてるぞうりは二三十足
もございます。そのまゝすててしまうのはもった
いないと思いまして、毎晩御用のすんだ後で、そ
れをつくろってためておいたのでございます。」

≪p123≫
「番頭、どうも感心なものではないか。」
「いやどうも驚きました。」
「多助、そのぞうりは殘らず買取ってやろう。」
「有難うございます。しかしもと〳〵だんな様の物
でございますから、お金はいたゞきません。すて
た物がお役に立てばそれでけっこうでございます。」
多助はこのような心掛でよく働きましたから、後
にはりっぱな炭屋を始めて、名高い商人になったと
ゆうことです。
第三十課 南米から(父の通信)

≪p124≫
(一)
御手紙を有難う。二人ともよく勉強してい
るそうで安心しました。勉強も大事ですが
体にも精々氣をつけなさい。
今居るリオ、デ、ジャネーロ市は、ブラジル國
の首|府{ふ}で、非常に景色がよく、港としても
有名です。町のりっぱさも、文明諸國の大
都會にくらべて少しもおとりません。
このブラジル國は、廣さが日本の十三倍も
あって、大部分熱|帯{たい}になって居ますが、中

≪p125≫
央の高地や、海岸地方の大部分は割合に凉
しく、ことに南部は温|帯{たい}になって居ます。
(二)
この手紙と一しょに、繪葉書をたくさん小
包で送ります。その中には、有名なアマゾ
ン河や、イグアッスー大|瀑布{ばくふ}の壯{そう}觀をうつ
したものもあります。アマゾン河は長さが
三千八百マイルあって、世界の河の王とい
われて居ます。河幅は驚くほどの廣さで、
河口の所は二百二十マイルもあるそうです。

≪p126≫
それからイグアッスーのたきは、この國と、
となりのアルゼンチン國との境{さかい}にあって、
高さが百八十二フィート、幅が一万一千九
百フィート、その壯{そう}觀はたとえようがあり
ません。
(三)
二週間ばかり前から西方のサンパウロ市に
來て居ます。このへんは南米中一番日本人
のたくさん居る所で、どこへ行っても日本
人に會うので、非常にうれしく思います。

≪p127≫
ことに日本人の小學校があって、お前達ぐ
らいの子供が通學しています。
世界に名高いブラジルカフィーの主なる産
地もこのへんで、かんしゃ・綿花・米等もよく
出來るそうです。
カフィー園には日本人がたくさん働いてい
ますが、中には十三四の子供も居ます。そ
んな小さい子供が、外國人の間にまじって、
かい〴〵しく働いているのを見ると、いか
にもけなげに思われます。

≪p128≫
ブラジルはどこへ行ってもはてもない原{げん}野
と森林です。原{げん}野は多く牧{まき}場で、牛や馬が
はなし飼にしてあります。森林には、天に
とゞくような大木がすき間もなくしげって
いて、その根本には、つる草やかん木が思
うまゝにはびこっています。こうゆう所で
も日本人が盛に開いている有様はいかにも
男らしく、勇ましいものです。
もうブラジルのしさつも大体終ったから、
近々の中歸る考でいます。

≪p129≫
第三十一課 小石と金剛{こんごう}石
私の叔父さんは、よく面白いお話をして下さいま
す。この間御用があってうちへとまりがけでお出で
になった時のこと、お夕飯がすんでから、おとうさ
んとのお話も大方おすみになった御様子なので、私
はいつものように
「叔父さん、何か面白いお話をして下さい。」
とおねだりしました。すると叔父さんは煙草をくゆ
らしながら、
「度々のことでお話も種切れになりそうだが、お前

≪p130≫
も直に卒業することだから、何か一つお話をしよ
う。」
とおっしゃって、次のようなお話をして下さいまし
た。
「或時金持の婦人が野末の道を通り過ぎる時、一つ
の金剛{こうごう}石を落しました。その金剛{こんごう}石はあたりの石
ころの間にまじって、いつまでも〳〵、そのまゝ
さびしい日を過しました。時には道行く人の足に
けとばされたこともありますし、馬のひずめにふ
まれたこともありました。けれども金剛{こんごう}石は何の

≪p131≫
不平もなく、粗末な小石の群の中に身を置いてい
ました。
その中に或日遠い都から來た一人の寶{ほう}石商人が、
この道を歩きました。そうしてふと道のかたわら
の小石まじりに、きらりと光る物があるのを見つ
けて、商人は手早く、これを拾い上げました。
『ほう、たしかにこれは金剛{こんごう}石だ。こんな大きな金
剛{こんごう}石は實に珍しい。これを王様にさし上げたら、
さぞお喜になることだろう。』
こう言って、商人はその金剛{こんごう}石を都へ持って歸り

≪p132≫
ました。その金剛{こんごう}石はやがて王様にさし上げられ
て、見るもまばゆい王様のかんむりをかざること
になりました。
そのことが以前の野末の道の小石の仲間に傳えら
れました。それを聞いて小石の一つは、さも驚い
たらしく聲を上げて、
『なんだ、あれが王様のかんむりをかざるようになっ
たのか。いつの間にそんなに出世したのだろう。
都へ上ったからだな。よし、それではわたしも都
へ出て王様のごちょうあいを受けなければならな

≪p133≫
い。友達に負けていてははずかしいから。』
こう獨言した小石は、そこを通る人を見るごとに、
『どうぞ都へ連れて行って下さい。』
と言って頼みました。それで、或小賣商人が小石
の心をあわれんで、花の都へ連れて行きました。
それから小石はいろ〳〵つてをもとめて、王宮ま
で運ばれようと望みました。けれどももとより普
通の小石が人の目に止まるわけはありません。と
うとう道ぶしんの時そこらの穴の中へ投込まれた
まゝ、永久に日の光をあおぐことすら出來なくな

≪p134≫
りました。こうなっては、『かわいそうな石。』と言っ
てくれるものもなくなりました。」
叔父さんはお茶をめし上りながら、
「お花、この話は或文學者の書いた本の中にあった
のだが、どうだ、なか〳〵よいお話だろう。」
とおっしゃいました。
第三十二課 老砲手
昔、アフリカの或港に一そうの船がとまっていた
時の話である。
熱|帯{たい}の暑さにたえかねていた船員等は、船長から

≪p135≫
泳を許されたので、我先にと海に飛込んだ。船には
船長と老砲手だけが殘っていた。
船員等は、いかにも氣持よさそうに泳ぎ廻ってい
たが、中にもうれしそうに見えたのは、十三四にな
る二人の少年であった。二人は外の者からずっとは
なれて、沖の浮を目當に泳ぎくらをしていた。一人
は老砲手の子である。はじめには二十ヤード以上も
相手を拔いていたが、どうしたのか急に相手に拔か
れて、三四ヤードもおくれてしまった。これまでに
こにこして眺めていた老砲手は、急に氣をもんで、

≪p136≫
「しっかりしろ。負けるな〳〵。」と、かんぱんからし
きりにはげました。
ちょうどその時、「ふかだ〳〵。」とゆう船長のけた
たましいさけび聲が聞えた。老砲手が驚いて向うを
見ると、船から三四百ヤードの所に、大
きなふかの頭が見える。人々はさけび聲
に驚きあわてて、我先にと船へもどって
來る。しかし二人の少年はまだ知らない
らしい。老砲手は氣違のようになって、
「逃げろ〳〵。」と聲をかぎりにさけんでい

≪p137≫
たが、二人の耳にははいら
ぬのか、夢中で泳ぎくらを
續けている。
すくいのボートは下され
た。しかしとても間に合い
そうもない。その中に二人
はふかの來るのに氣がつい
た。驚いて一しょうけんめ
い逃げようとしてあせって
いるが、もうおそい。ふか

≪p138≫
ははや十數ヤードの近くにせまっている。
ものすごい程青白くかわった老砲手の顔には、決
心の色が浮かんだ。つと大砲のそばへ寄って、急い
でだんがんをこめ、ねらいを定めた。
ふかの口はもうほとんど子供に屆いている。
「あっ。」と、思わず人々がさけんだ。とたんに、ず
どんと一發すさまじい大砲の音がとゞろき渡った。
老砲手はその結果を見るのを恐れるように、手で
顔をおうって大砲の上につっ伏した。
立ちこめた砲煙のうすれ行くにつれて、まず目に

≪p139≫
入ったのは、大きなふかの死体であった。
喜の聲はどっと起った。
二人の少年はボートに乗せられて歸って來る。老
砲手は大砲にもたれて、無言のまゝじっとそれを見
つめている。
第三十三課 動植物の改良
子は親に似{に}るものである。けれども、全く親と同
じとゆうことはまれで、多少違う所がある。この違
い方はその子よりその孫に、孫よりも孫の子にいたっ
て、いよ〳〵いちじるしくなる。そうして何代かの

≪p140≫
後には、祖先と同一種とは思われない程のかわり種
も出來るのである。
このへんかは自然に起るのであるが、人が世話を
して手傳ってやれば、さらに多く、さらに早く、か
わり種が出來る。兎{うさぎ}を飼う人があって、耳の長いの
がほしいと思う時には、多くの兎{うさぎ}の中から最も耳の
長いのを選び出して子を生ませ、その生まれた子の
中から、さらに最も耳の長いのを選び出して子を生
ませ、こうしてつずけて行けば、だん〳〵耳の長い
兎{うさぎ}が出來て行く。日本の國にはさゞなみとゆう尾の

≪p141≫
長い雞の一種がある。長いのになると、六七フィー
トもあるが、これも前のようにして出來
たのである。その外犬や羊や牛や馬や金魚などにい
ろいろの種類があるのも、人がそのへんかを助けた
ためである。

≪p142≫
このへんかは植物の上にも起る。同じ大根でも細
長いのもあれば太いのもある。菊{きく}の花にも豆つぶ程
のものから、さしわたし一フィートに餘るものがあ
り、色もさま〴〵、形もさま〴〵、葉もまたさまざ
まであるが、これは皆人が工夫して作ったから出來
たのである。ハイビスカスにもかわり種は多數ある。
これも同じく人が手傳ってへんかさせたのである。
ぶどう・みかんにも種子の無いのがあるが、あれも種
子の少いのからだん〳〵へんかさせたのである。
人力を加えて動植物を改良するのは必要なことで

≪p143≫
ある。役牛には力の強いのを選び、食肉用の牛には
肥{ひ}大で成長の早いのを選び、乳牛にはたくさんに乳
の出るのを選ぶとゆう風に、家|畜{ちく}の改良に心掛けね
ばならぬ。
また農作物の上にも同様な工夫をすることが必要
である。すべて開けた國ほど穀物{こくもつ}・果實・家|畜{ちく}の種類が
多いのである。
第三十四課 少年|鼓{こ}手
ナポレオンの軍がイタリヤへ攻入ろうとして、ア
ルプス山をこえた時は、山も谷も雪にうずもれ、吹

≪p144≫
く風も身を切るような冬の半であった。
隊中に、ピエールとゆう年の頃十三四ばかりの少
年|鼓{こ}手があった。まっさきに立って進軍の太鼓{たいこ}を打
ちながら、かい〴〵しく進んで行く。ふといたゞき
の方にすさまじい物音が聞え始めた。と思う間もな
く、百|雷{らい}の一時に落ちかゝるようなひゞきとともに、
山のような雪なだれがなだれて來て、むざんや、か
の勇ましい少年|鼓{こ}手は、たちまち谷ぞこへはき落さ
れた。
「ピエールよ、少年|鼓{こ}手よ。」と聲をそろえて呼んだ

≪p145≫
が、何の答もない。なだれの後の山の中はひっそり
として、たゞ水の音が遠く聞えるばかり。しばらく
すると、谷底の方に太鼓{たいこ}の音がかすかに聞える。耳
をそばだてて聞けば進軍の調である。ピエールが打
ついつもの太鼓{たいこ}に違いない。さては生きているのか。
あの勇ましい少年を殺してはならぬ。どうかして助
ける工夫はあるまいかと、兵士等は皆氣をもんだ。
深さは幾千フィートとも知れない谷底、しかもがけ
は雪や氷にとざされて、下りて行くたよりもない。
打鳴らす太鼓{たいこ}の音は次第々々に低くかすかになる。

≪p146≫
おくれればピエールはこゞえて死んでしまう。兵士
等は氣をあせるのみで、何の工夫もつかぬ。
この時、「自分が行こう。」とさけぶ人をだれかと見
れば、司令官{しれいかん}マクドナール將軍である。突貫{とっかん}將軍と
ゆうあだ名をもった勇將で、部下から父のごとくし
たわれる人である。兵士等は驚いた。將軍はがいと
うをぬぎすてて、はや谷へ下りようとする。兵士等
はあわてて、異口{いく}同音に、
「將軍の命は我々千万人の命よりも貴い。ピエール
は我々におまかせ下さい。」

≪p147≫
と言って引止めた。將軍はどうしてもきかぬ。
「兵士は皆我が子も同様である。我が子の死ぬのを
見て、命を惜しむ父はない。大砲のつなをくゝり
つけて、早く自分を谷へ下せ。早くしないとピエ
ールが死んでしまう。」
としかるように言うので、兵士は止むを得ず將軍を
谷底へ下した。
將軍が谷底へ下りた時には、もう太鼓{たいこ}の音は聞え
なかった。聲をかぎりに、「ピエールよ、ピエールよ。」
と呼びながら、方々をたずねて、よう〳〵探し當て

≪p148≫
たが、少年はは
や息もたえ〴〵
である。手早く
おびをほどいて、
ピエールの体に
くゝりつけて合
圖をすると、兵士等は力を合わせて二人を引上げた。
將軍の愛情と勇氣によって、軍中の花が助かった。
全軍は、アルプスの山もふるうばかりに、喜の聲を
あげた。

≪p149≫
第三十五課 アレキサンドルと醫師
昔ヨーロッパにアレキサンドル大王とゆう王があっ
た。マケドニヤとゆう小さな國の王子と生まれ、二
十一で位につき、わずか十數年の間に四方の國々を
征{せい}服して、當時世界に類のない大國を建てた英雄で
ある。
その大王が東方諸國の遠|征{せい}に出かけた時の事であ
る。或日王は部下の精兵を引連れ、燒けつくように
暑い平原を横ぎって、タルスヽとゆう町に着いた。
全身砂ぼこりにまみれた王は、町はずれを流れてい

≪p150≫
るきれいな川にはいって水浴をした。水は意外に冷
たくて、まるで氷のようであった。
この水浴が体にさわったものか、王はにわかには
げしい熱病にかゝった。陣{じん}頭に立っては百万の敵も
物とも思わぬ英雄も、病氣は如何ともすることが出
來ない。ようだいは時々こっこくに惡くなって行く。
醫師は皆、投藥してもし万一の事があれば、毒殺の
うたがいを受けはしないかと恐れて、たゞけいかを
見守っているばかりである。
この有様を見て、フィリップとゆう醫師が、一命

≪p151≫
をなげうって王を助けようと決心した。方法はある
劇{げき}藥を用いる外になかったので、フィリップはまご
ころこめてこの事を申し出た。王は心よくこれを許
した。
フィリップが藥を調合しに別室にしりぞいた後へ、
王の日頃信頼しているパルメニオ將軍から、王にあ
てたみっしょが屆いた。それには、フィリップが敵
から大金をもらうやくそくで王を毒殺しようとして
いるとゆうふうせつがあるから、用心するようにと
書いてあった。王は讀終って、そっと手紙をまくら

≪p152≫
の下へ入れた。
程なくフィリップは病室にはいって來て、うやう
やしく藥のコップを王にさゝげた。王は片手にそれ
を受取り、片手にかのみっしょを取出して、靜かに
フィリップに渡した。
一口また一口、平然と藥を飲む王、一行また一行、
おそれとこうふんにまなこかゞやくフィリップ。
やがて讀終ったフィリップが、まっさおな顔をし
て王を見上げると、王は信頼の情を顔にあらわして、
フィリップを見下していた。

≪p153≫
王は間もなくけんこうをかいふくして、ふたゝび
その英姿を陣{じん}頭にあらわすことが出來た。
第三十六課 禮儀
我等が世間の人と共々に生活するには、知ってい
る人にも知らない人にも禮儀を守ることが大切です。
禮儀を守らないと人にふかいの念を起させ、また自
分の品位を落すことになります。
人の前に出る時には頭|髮{はつ}や手足をせいけつにし、
着物の着方にも氣をつけて、身なりをとゝのえなけ
れば失禮です。

≪p154≫
人の前であくびをしたり、目くばせをしたり、人
と耳こすりをしたりするような不行儀をしてはなり
ません。人と食事をする時には、音を立てたり、食
器をらんざつにしたりしないで、行儀よく、ゆかい
な心持で食べるようにしなければなりません。室の
出はいりには戸やしょうじのあけたてを靜かにする
ものです。
汽車・汽船・電車などに乗った時には、たがいに氣を
つけて、人にめいわくを掛けないようにすることが
必要です。自分だけ席を廣くとったり、不行儀なな

≪p155≫
りをしたり、いやしい言葉ずかいをしたりしてはな
りません。集會所・停{てい}車場、その他人が込合って順番
を守らなければならない場所で、人を押しのけて、
我先にと行ってはなりません。また人の顔かたちや
なりふりを笑い、惡口を言うのはよくないことです。
人にあてた手紙を許を受けずに開いて見たり、人
が手紙を書いているのをのぞいたりしてはなりませ
ん。その外人の話を立聞きするのも、人の家をすき
見するのもよくないことです。
親しくなると何事もぞんざいになりやすいもので

≪p156≫
すが、親しい中でも禮儀を守らねば仲よくこうさい
することはできません。
第三十七課 太陽
地球上に存在するもので、太陽のえいきょうを受
けぬものは一つもない。太陽の光と熱とがなくては、
我々人間はもちろん、あらゆる生物、一として生存
することはできない。
これほど我々に重大な關係のある太陽とは、一体
どんなものであろう。一口にいえば、白熱のじょう
たいにある一大火球で、これを形造っているものは、

≪p157≫
えき体に近い氣体であろうとゆう。そうしてそのさ
しわたしは、八十六万三千マイル、すなわち地球の
百九倍餘に當り、そのようせきは地球の百三十万倍
に當っている。温度は表面でおよそ六千度、内部に
入るにしたがってます〳〵高い。光の強さにいたっ
ては非常なもので、これをしょっこうでいえば一三
の次にれいを二十六もつけて表さねばならぬ。
ぼうえんきょうで見ると、太陽の表面は全部が一
様にかゞやいているのではなく、光の強い部分もあ
れば弱い部分もあり、また所々に黒點といって黒く

≪p158≫
見える所もある。この黒點は多分表面に生ずるうず
まきであろうとゆう。そうしてその數や大きさは、
およそ十一年餘を週期として増減している。
ところがこの大きな太陽も、夜の空に銀の砂をま
いたように見える小さな星の一つと同じものだとゆ
う。つまりこのうちゅうには、あの太陽の外に、こ
れと同じようなものが、なお數かぎりもなく存在し
ているが、たゞそのきょりの遠いために、あんなに
小さく見えるのである。しかも我々に最も近いあの
太陽でさえ、地球からはおよそ九千二百七十万マイ

≪p159≫
ルもはなれている。今かりに一時間百マイルのはや
さで飛ぶ飛行機に乗って行ったとしても、太陽に達
するには百年餘もかゝるのである。
第三十八課 我は海の子

我は海の子、白波の
さわぐいそべの松原に、
煙たなびくとまやこそ、
我がなつかしき住家なれ。


≪p160≫
生まれてしおにゆあみして、
波を子守の歌と聞き、
千|里{り}よせくる海の氣を
吸いてわらべとなりにけり。

高くはなつくいその香{か}に、
ふだんの花のかおりあり。
なぎさの松に吹く風を
いみじき樂と我は聞く。


≪p161≫
輕くろかいをあやつりて、
行くて定めぬ波まくら、
百{もゝ}ひろ千ひろ海の底、
遊びなれたる庭廣し。

幾|年{とせ}こゝにきたえたる
鐵よりかたきかいなあり。
吹くしお風に黒みたる
はだは赤銅{しゃくどう}さながらに。


≪p162≫
波にたゞよう氷山も、
來らば來れ、恐れんや。
海巻上ぐるたつまきも、
起らば起れ、驚かじ。

いで、大船を乗出して、
我は拾わん、海の富。
いで、荒波を押分けて、
我は求めん、海の幸{さち}。
第三十九課 加藤{かとう}清正

≪p163≫
豐臣秀吉{とよとみひでよし}が朝鮮{ちょうせん}へ向わせた先手の大將は、加藤{かとう}清
正・小西行長の兩人でした。行長は清正の軍功をねた
み、石田三成に頼んで、清正のことを秀吉{ひでよし}にざんげ
んしました。
三成は秀吉{ひでよし}のお氣に入りですから、秀吉{ひでよし}はこれを
信じて、清正に歸國を命じました。清正は朝鮮{ちょうせん}を立っ
て、伏見へ參りました。當時|秀吉{ひでよし}は伏見の城に居っ
たのでございます。
清正はまず増田|長盛{ながもり}をたずねました。この人だけ
は自分のために心配してくれるであろうと思ったの

≪p164≫
でございます。ところが長盛{ながもり}がろく〳〵あいさつも
せず、石田と仲直りをしなければ太閤{たいこう}の御きげんは
直るまいと申しました。清正は腹を立てて、
「神々も照覽あれ、戰一つ出來ず、人のかげごとば
かり言う石田めとは、この清正一生中仲直りは致
さぬ。たとい數年の軍功がみとめられず、このま
ま切腹を命ぜられても、石田めとは仲直りは致さ
ぬ。」
と言いきって歸りました。正直者の清正は人ずきあ
いが下手なので、だれ一人清正を秀吉{ひでよし}にとりなす者

≪p165≫
がなく、とう〳〵太閤{たいこう}の御目通へ出ることを止めら
れました。
ところが或夜大じしんが起って、人家堂|塔{とう}一時に
たおれ、人々の泣きさけぶ聲は天地にひゞきました。
この時清正は、じしんと共にはね起き、家來の者二
百人にてこを持たせて、一さんに伏見の城へかけつ
けました。夜はまだ深うございます。
秀吉{ひでよし}は城の庭にしき物をのべさせ、まくやびょう
ぶでまわりをかこわせ、大じょうちんをとぼして、
御臺所やおそばの女共と居りました。そこへ清正が

≪p166≫
かけつけました。まだだれ一人城にのぼっておりま
せん。清正は大聲で申しました。
「加藤{かとう}清正これまで參上つかまつる。上様をはじめ
皆様、押の下じきになっておられはせぬかと存じ、
家來共二百人にてこを持たせてかけつけました。」
秀吉{ひでよし}はこれを聞いて、
「さて〳〵、早く參った。」
と心の中で喜びました。そうして清正のやせた姿、
日に燒けた顔を見ては、怒がとけて、涙ぐみました。
「お庭先の御門を守る者がございません。それがし

≪p167≫
の手でかためましょう。」
と清正が言いますと、秀吉{ひでよし}はうなずきました。
間もなく石田三成が城にのぼって參りました。
「石田でござる。お通しなされ。」
「石田とゆう者だそうだ。」
「ずいぶんおそく來たものだ。」
「通さないことにしょう。」
などと清正の家來どもが申します。三成は驚いて、
「今天下にこの石田を知らぬ者はあるまい。御門を
守る者はだれか。」

≪p168≫
「加藤{かとう}清正の家來でございます。」
「何と申す。清正は上様へお目通がかなわぬはず。」
「何ゆえにお目通がかないませぬ。」
秀吉{ひでよし}がこれを聞いて、まくの中から、
「もうよい。通してやれ。」
と言いましたので、清正は
「あのせいの低いのが石田だ。通してやれ。」
と言って、三成を入れてやりました。
翌日諸大名が伏見城の大廣間へつめました。秀吉{ひでよし}
は清正をめし出して、

≪p169≫
「その方は無分別者で、大名になってもまだ仲間げ
んかのくせが拔けぬ。小西程の者を堺{さかい}の町人との
のしり、また明{みん}國への返書に豐臣{とよとみ}清正と記したと
ゆうが、それはまことのことか。」
とたずねました。清正はつゝしんで、
「明{みん}國の使者、それがしの陣{じん}中に參り、『大|明{みん}の軍勢
四十万、勢はげしく、押寄せたるに、日本の大將
小西行長は一たまりもなく逃落ち、もはや朝鮮{ちょうせん}に
日本の武士は一人も居らぬ。生けどった者は皆返
せ。命ばかりは助けてやろう。』などとの廣言。御

≪p170≫
いこうにもかゝわる所と存じ、『小西は日本の大將
ならず、まことは堺{さかい}の町人、道|案内{あんない}の者ゆえ、逃
げも致したであろう。この清正こそはまことの大
將、四十万の軍勢はこの所へ向けよ、切って〳〵
切りまくり、その勢で明{みん}の都へ押寄せ、四百餘州
を燒拂おう。』と返書をつかわしましたが、それが
しは四つ五つの頃から親にはなれて、姓{せい}も存じま
せんので、御いこうを借りて豐臣{とよとみ}と記したのでご
ざいます。」
と、べんぜつさわやかに申し開きました。秀吉{ひでよし}は感

≪p171≫
心して、
「それは皆この方がやりそうな事。清正はつけひも
の頃から、この方のひざの上で育ったので、いつ
か見習ったものと見える。もとこの方には近い親
類の者、豐臣{とよとみ}と名乗ったのもさしつかえがない。」
と言って、軍功の賞{しょう}として、清正に名刀を與えまし
た。
第四十課 小話
(一) 無言の行
或山寺で、四人の僧が一室に閉じこもって、七日

≪p172≫
間の無言の行を始めた。小僧一人だけ自由に室内に
出入させて、いろ〳〵の用を足させた。
夜がふけるにつれて、ともしびがだん〳〵暗くな
り、今にも消えそうになった。末席に坐っていた僧
は、それが氣になってしかたがない。うっかり口を
きいてしまった。
「小僧、早くとうしんをかきたててくれ。」
となりに坐っていた僧がこれを聞いて、
「無言の行に口をきくとゆうことがあるか。」
第二|座{ざ}の僧は、二人ともきそくを破ったのがふゆか

≪p173≫
いでたまらない。
「あなたがたはとんでもない人達だ。」
三人ともものを言ってしまったので、上|座{ざ}の老僧が
もっともらしい顔をして、
「ものを言わないのはわしばかりだ。」
(二) べんご士と肉屋
或日、肉屋の主人が近所のべんご士をおとずれた。
「ちょっとだんなに伺いますが、肉を盜まれた時に
は法|律{りつ}上どんな手續をしたものでしょうか。」
「こくそするがいゝじゃないか。いくらの肉か知ら

≪p174≫
んが、すてておくとくせになるからね。」
「全くでございます。ところが盜んだやつが人間で
はなく、犬なんで實は弱っているのです。」
「犬か。飼犬かな。そうなら當然その飼主からべん
しょうさせるさ。」
「へゝゝゝゝそれで安心しました。實はその犬とゆ
うのはお宅のポチなんです。」
べんご士はいやな顔をしたが、言うがまゝに肉代と
して五ドルを拂った。翌日べんご士から肉屋へしん
てん書が來た。何だろうと開いて見ると、

≪p175≫
一金五ドル也
たゞし牛肉とうなんじけんかんてい料
右せいきゅう致します。
肉屋の主人は仕方なく五ドルのかんてい料を拂った。
第四十一課 コトワザ
ユダン大敵。
人ノフリ見テ、我ガフリ直セ。
サルモ木カラ落チル。
イソガバ廻レ。
樂ハ苦ノ種、苦ハ樂ノ種。

≪p176≫
コロバヌ先ノツエ。
チリ積ッテ山トナル。
病ハ口ヨリ入ル。
親ホド親ヲ思エ。
鳥ナキサトノコウモリ。
第四十二課 つじ音樂
オーストリヤの首府ウィーンの大公園で、盛大な
祭が行われた時のことである。頭にはしもをいたゞ
き、身にはつずれをまとい、やせおとろえた体を義
足にさゝえて、道ばたにバイオリンをひいているつ

≪p177≫
じ音樂師があった。
忠實な犬は古帽子をくわえて、あわれな主人の爲
に、道行く人の投與えるほどこしを待ちわびている。
見る物の多い今日の祭日に、時代おくれの下手な音
樂に耳をかたむける者は一人もない。日はすでに西
へかたむいて、祭見物の人々はだん〳〵歸り始める。
帽子の中には一文の錢もない。老人はかたむく夕日
を望み、帽子の内を眺めては、もはやひく力もつき
て、しきりにため息をついている。
木{こ}かげに立って、先程からこの様子を見ていた一

≪p178≫
人の紳士があった。ずか〳〵と走り寄って、「ちょっ
と貸したまえ。」と言いながら、そのバイオリンを取っ
てひき始めた。ゆみが一度糸にふれると、天上の音
樂かと思われるような美しい音がわき出した。老人
は、あのバイオリンからどうしてあんな音が出るの
かと、ふしぎそうにバイオリンと紳士の手つきを打
ちまもっていた。
人々は四方から集って來て、見る〳〵人山をきず
いた。重く沈んだ調に、暗い〳〵海の底へ引込まれ
るような氣がするかと思うと、輕く浮立った調子に、

≪p179≫
野越え、山越え、ふわり〳〵と空のかなたへ連れて
行かれるような心持になる。へんかきわまりない妙{みょう}
音は、たちまち人の心を百花滿開ののどかな春によ
わせ、またたちまち落葉散りしく秋のさびしさに沈
ませる。人々はたゞ妙{みょう}音に心をうばわれて、身動き
さえもしない。
やゝあって、紳士はひく手を止めた。人々は老人
のさゝげた帽子の中へ、爭って錢を投入れる。銅貨
といわず、金銀貨といわず、手當り次第に投込む。
またゝく間に帽子に一ぱいになる。老人はこれを袋

≪p180≫
に移して、ふたゝび帽子をさし出す。見る間にまた
あふれるばかり。
紳士はさらにオーストリヤの國歌をひき始めた。
幾千の人々は帽子をぬいで、相和して歌った。歌が
終ると、紳士はバイオリンを老人に渡し、目禮して
どこへか行ってしまった。日ははやかくれて、燈火{とうか}
の光が點々とこゝかしこにかゞやいているとは、今
の今までだれ一人氣がつかなかった。
かの情深い紳士はだれであったか、老人も知らぬ。
人々も知らぬ。一同はたゞ神のしわざではないかと

≪p181≫
思った。フランスのバイオリンの名手アレキサンド
ル、ブーシェーであったとは、後になってわかった。
第四十三課 高等女學校に入學するについ
て問合わせの手紙とその返事
その後はごぶさた致しました。おかわりは
ございませんか。私は、無事で勉強してお
りますから、どうぞ御安心下さいませ。
さて、私は今年第六學年を卒業することに
なっています。卒業後は御校の本科第一學
年に入學したいと思っておりますが、今年

≪p182≫
も入學考|査{さ}がございましょうか。もし、ご
ざいますなら、今からその用意を致したい
と思います。どんなことを調べておいたら
よろしゅうございましょうか。お手數では
ございましょうが、どうぞ、お知らせ下さ
いませ。さようなら。
五月十六日 西村はな
高山しげ子様
お手紙拜見致しました。あなたは、この度、

≪p183≫
當校へ入學御志願とのこと。私は、つい去
年まで、同じ學校で親しんだ友達がいらっ
しゃるかと思うと、たいそううれしゅうご
ざいます。
おたずねのことは、學校で聞きましたら、
まだしかとは分りませんが、多分入學考|査{さ}
はあるだろうとのことでございました。考
|査{さ}は第六學年の程度で行われるとのことで
ございました。
あなたは、日頃お出來なさるのでございま

≪p184≫
すから、改めて御勉強なさらないでもよい
かと存じますが、念の爲、今まで習ってい
らっしゃったことを、よくおさらいなさい
ましたら、十分だろうかと思います。
いずれこの月末には歸りますから、くわし
いことは、そのおりに申し上げましょう。
さようなら。
五月十九日 高山しげ
西村はな子様
第四十四課 勝|安芳{やすよし}と西郷隆盛{さいごうたかもり}

≪p185≫
明治元年三月徳川|慶喜{よしのぶ}せいとうの官軍は諸道より
並び進んで、東海道の先手は品川に、東山道の先手
は板橋に着いた。月の十五日を期して總こうげきを
行い、一度に江戸{えど}を乗っ取る手はずである。徳川方
も事こゝにいたっては、あくまでも戰うかくごをき
めたので、市中ははちのすをついたようなさわぎで
ある。
慶喜{よしのぶ}から官軍に對する交渉{こうしょう}の全權をまかせられて
いた舊幕府{きゅうばくふ}の陸軍總裁勝|安芳{やすよし}は、三月十三日官軍の
さんぼう西郷隆盛{さいごうたかもり}に會見を求めた。西郷{さいごう}はさっそく

≪p186≫
承知して、芝{しば}、高輪{たかなわ}のさつまやしきで會見したが、
その日は何の得るところもなく、兩人は翌日また會
うことを期して別れた。
翌十四日の會見は、芝{しば}、田町のさつまやしきで行
われた。安芳{やすよし}は今日こそは最後の確{かく}答を得ようと決
心して、西郷{さいごう}をおとずれたのである。
やしきの近くは、官軍の兵がすき間もなくけいえ
いしている。安芳{やすよし}がはいって行こうとすると、門を
守っていた兵士等が
「それ勝が來た、勝が來た。」

≪p187≫
とひしめきながら、一せいにじゅうけんを取直して
行くてをさえぎった。安芳{やすよし}は大音に
「西郷{さいごう}はどこに居る。」
とさけんだ。その勢にのまれて、兵士等は思わず道
を開いた。
一室に通されて待っていると、やがて西郷{さいごう}が出て
來た。次の間には官軍の荒武者共がひかえて、何と
なく物々しい。しかし二人は互に信じ合っている仲
なので、話はおだやかに運ばれる。安芳{やすよし}が言う、
「官軍方の御意見はどのようなものか存じませんが、

≪p188≫
拙者の考える所では、今日日本のまわりには諸外
國がさま〴〵の考を持って見ておるので、うかう
かと兄弟互に爭っていたら、日本全國にのしをつ
けてどこかの國へやってしまうような事にならぬ
とは決して申されませぬ。
これにくらべると、幕臣{ばくしん}の身としては如何がな申
分ではあるが、徳川家の存亡などは言うにも足ら
ぬ小事でござります。」
相手は大きな目でじっと安芳{やすよし}の顔を見つめながら
だまって聞いている。安芳{やすよし}はさらに、

≪p189≫
「しかしたとえにも申す通り、一|寸{すん}の虫にも五分の
たましい。徳川ざむらいのなまくら刀にも少しは
切れる所がござりましょう。官軍方のおぼしめし
通り一押にはいかぬかも知れませぬ。するとその
中にはまた思の外な後押などもあらわれて、事め
んどうにならぬとも限りませぬ。拙者は、この談
判がよしどのように決着するにもせよ、さような
事になれかしとは毛頭考えませぬが、大勢は人力
の如何ともしようのないもので。」
西郷{さいごう}はだまってうなずいた。安芳{やすよし}はなお言葉を續け

≪p190≫
て、
「このへんの事情をよく〳〵御すいさつ下されて、
特別のお情を以ておだやかに事のまとまるよう今
一度御ひょうぎ下さることになりますれば、誠に
日本國の幸でござります。またひいては徳川家及
び江戸{えど}百万の民の仕合わせ、これは申すまでもご
ざりませぬ。何分今一度の御ひょうぎをぜひとも
御願い申す次第でござります。」
西郷{さいごう}はしばらくじっと考えていたが、
「よろしい。とにかく明日の總こうげき見合わせの

≪p191≫
一事だけは、拙者一命にかけて御引受け申します。
その餘の事は拙者の一存にはまいりませぬから、
おってのさたをお待ち下さい。」
やがて安芳{やすよし}は西郷{さいごう}に見送られて門を出た。
けいえいの兵士等は、安芳{やすよし}の姿を見ると一時に押
寄せて來たが、西郷{さいごう}が後に續いているのを見て、一
同うや〳〵しくさゝげつゝの禮をした。安芳{やすよし}は自分
の胸を指さして、
「次第によっては、或は君等のそのつゝ先に掛って
死ぬかも知れぬ。よくこの胸を見覺えておいてく

≪p192≫
れ。」
と言いながら、西郷{さいごう}と顔を見合わせてにっこり笑っ
た。
西郷{さいごう}は軍令を出して翌日の進軍を中止させた。そ
うして直に靜岡{しずおか}の大總|督{とく}府にはせつけて議{ぎ}をまとめ、
さらに京都に上って勅裁をあおぎ、とう〳〵徳川方
の願意を通させた。安芳{やすよし}が一命をかけた努{ど}力と、西
郷{さいごう}のかだんによって、江戸{えど}の市民も徳川家もわざわ
いをまぬかれて、維{い}新の大事業もとゞこうりなく成
しとげられるようになった。

≪p193≫
第四十五課 善良な市民
諸子の父祖は、遠く祖國をはなれて、太平洋たゞ
中のこの布哇に來たのである。多數の諸子は布哇に
出生し、布哇|縣{けん}の公立學校に教育せられ、將來米國
市民たるべき特權を有せんとしておる。米國市民と
しての權利を有する諸子は、必ず善良な米國市民と
して世に立たなければならない。これ諸子の父祖と
父祖のぞくする日本國とが、ひとしく希望する所で
ある。
米國の市民中には、その祖先がイギリスより來れ

≪p194≫
る者、フランスより來れる者、ドイツより來れる者、
その他ロシヤ・イタリヤ・イスパニヤ・ポルトガル等より
來れる者がある。これら白人種の外、シナ人があり、
黒人がある。かく多種多様の人達が、同一の星|條{じょう}旗
のもとに生活を營むは、なお諸子が學校において各
人種と共に相親しくして學校生活をなすと同様であ
る。
諸子は、諸子の學校が他の學校よりもすべての點
においてまさることを望むが如く、將來米國市民と
して、米國の進歩發達をりそうとし、あくまでその

≪p195≫
國の爲につくすかくごがなくてはならぬ。國の榮え
るのもおとろえるのも、皆その國民の心掛一つにあ
る。諸子は常に正義の觀念の上に立って、公明正大、
その國家の爲に善良なる市民たるの決心がなくては
ならぬ。
日本國の歴史は、日本國民が如何にゆうりょうな
とくしつを持っているかを表わすものである。幾多
の美しき史上の實話を學び、今の日本國の發達を知
れる諸子は、他人種の間に立って生活するに當って
も、ゆうりょうなる日本國民の子孫たる自信を失う

≪p196≫
ことがないであろう。日本民族の長所を忘れず、そ
の美徳を保って、さすがは日本民族けいの米國市民
であると、米國各人種の間にそんちょうせられるよ
うに心掛けよ。これ諸子が米國につくすゆえんであっ
て、同時にまた、その父祖の國に報いるゆえんであ
る。
諸子よ、將來米國市民たるべき諸子よ。諸子は決
して父祖の名をけがすことなく、父祖の國の名をは
ずかしめることがあってはならぬ。
第四十六課 布哇

≪p197≫
我等の月日は
仙|郷{きょう}さながら。
照る日の下より
夕立そゝぎて、
おとひめかつぎを
さぎりとおうえば、
つゆ散るしずくに
花みな笑う。
日毎々々によき日は續きて、
年中いつとて六月びより。
Our days are all as a fairy tale,
Braided of sunshine and showers
Mists from the sea, the mermaids' veil,
A sprinkle of rain for the flowers.
And ev'ry day is "rare day,"
Every month of the year is June!

≪p198≫
小山のいたゞき、
浦わの高空、
にじのかけ橋
かけんと急ぐ。
おわるゝ白雲
さまよいおかしく、
七色見る〳〵
谷間をつゝむ。
日毎々々によき日は續きて、
春夏秋冬六月びより。
To span the sky, hilltop and sea,
A rainbow hastens with delight.
Shoving the clouds along, in glee,
Wrapping the valleys in colors bright.
And ev'ry day is a rare day,
Every month of the twelve is June!

≪p199≫
愛らし、島々、
我等の故郷{こきょう}。
人の國をば
何うらやまん。
よその海をば
何望むべき。
金砂に縫いたる
いそべよ、あわれ。
日毎々々によき日は續きて、
布哇の一年六月びより。
When all so lovely is our own,
We may not dream of other lands;
We cannot covet other seas,
When ours are fringed with golden sands!
And ev'ry day is a rare day,
Ev'ry month of Hawaii is June.

≪p200≫
新出漢字表
共1 群1 務2 總3 針4 器4 非-常5 損5 機-械5
藥6 計7 以7 球7 圖10 得10 艦12 果13 服14 靜18 景19
息20 幼21 預26 餘26 期27 拂28 貸28 失29 袋32 折33 炭33
料34 燒35 柱38 熱42 或43 帝45 染46 耕49 勢50 並50 拜50
改54 及54 勤56 良56 宅57 僧63 結63 志63 難63 決64 達64
状69 亡70 廻70 壁71 師74 探75 掛75 陽76 線76 河79 續79
割79 低80 底81 在82 順82 功83 衆83 圓83 夢86 筆86 惜88

≪p201≫
與90 屆90 必-要93 約94 覽94 寫-眞97 押97 臺97 貨100
孫103 然103 増104 爲105 特109 觀109 央110 材110 背119 誠120 倍124
凉125 温125 幅125 綿127 根128 叔129 卒130 粗131 傳132 獨133 望133
普133 永-久133 砲134 眺135 程138 寄138 伏138 最140 選140 英-
雄149 如150 別151 姿153 儀153 念153 席154 關-係156 減158 吸160
求162 怒166 閉171 坐172 伺173 也175 府176 帽177 紳178 越179 滿179
移180 科181 權185 互187 拙188 限189 胸191 令192 勅192 希193 營194
榮195 保196 報196 仙197 浦198 縫199

≪p202≫
讀替漢字表
貯エ2 卵ン2 養ウ3 後ウ4 時7 當ウ8 等ウ8 便ン9 從ウ9 形イ9 港ウ11
集ウ15 去ラヌ17 古コ19 冷エ20 明ルク20 品ン21 守リ22 好キ24 終ウ25 餘ツタ27 預ヨ27
定イ27 草ウ31 務ム35 泳イ39 住-居ヨ43 常ネ43 自ラ44 文ン44 宮ウ45 夕ベ47
手ユ49 頭ラ49 分ブ52 道ウ56 違イ58 改ツテ58 空ウ58 屋ク58 心-地チ59 等ウ59
美ビ60 殺ツ60 連ナル62 失ツタ62 佛ケ64 開イ66 志シ66 過ス67 始シ68 難ウ70 位-
置チ77 岩ン79 河ワ80 掛ケ80 連-結ツ80 左-右ウ81 過カ82 散ン82 合ツ83
費シチ83 群レ85 助ヨ87 畫エ87 幼イ88 染ン89 色ク89 正イ93 學ビ93 必ツ93 景-

≪p203≫
色キ97 勢イ98 答ウ102 共モ103 持ジ103 自シ103 音-樂ク108 落ク109 深-谷ク110
歌カ110 庭イ111 以ツテ111 會ウ112 進ン113 空シク113 得ル117 老イ117 盛イ117 借ク119 炭ミ120
運ンデ122 主モ127 花カ127 森-林ン128 父129 末ツ131 夢ム137 煙ン138 言ン139 改イ139
孫ゴ139 根ン142 役キ143 半バ144 原ン149 何ン150 投-藥ク150 頼イ151 行ウ152 親シク155
表ウ157 表サ157 増ウ158 飛ヒ159 白ラ159 氷ウ162 歸キ163 照ウ164 腹ク164 家ケ165 參ン166
姿タ166 名ウ168 記シ169 使シ169 廣-言ン169 刀ウ171 末ツ172 樂ク175 病イ176 音ネ178
御ン181 考ウ182 程イ183 元ン185 別レ186 最イ186 武ム187 如-何カ188 着ク189 毛ウ189
或イ191 止シ192 直チ192 善ン193 望ウ193 如ク194 歩ポ194 毎ト197 砂サ199

≪課外 p001≫
課外
一 燈{とう}臺守
フランスの西海岸に近い小さな島に、一つの燈{とう}臺が
ありました。マトローと言う者がそれを守っていまし
た。
或日マトローは燈{とう}臺に上って、いつものようにそう
じをしていましたが、急に病氣が起ったので、そうじ
をし上げないで下におりて、そのまゝ床につきました。
マトローの妻は、心を込めてかん病をしましたが、病
氣はます〳〵つのるばかり、もう息もたえ〴〵になり
ました。もとより小さなはなれ島で、この燈{とう}臺守の家
族の外には、だれも住む者がありませんから、お醫者
を頼むことも出來ず、持合わせの藥などを、いろ〳〵

≪課外 p002≫
飲ませましたが、少しもきゝ目がありません。妻はど
うか病人がなおるようにと、一心に念じていました。
その中に夕暮近くなって、暗い色がだん〳〵海を包
みます。が病人のまくらもとははなれることが出來ま
せん。はなれたならば病人がいつ死ぬか分りません。
といって燈{とう}臺の火はつけなければなりません。つけな
ければ今夜の航海者が道にまよってしまいます。
夕暮の暗い色はます〳〵深くなりました。たそがれ
は全く海を包みました。この時妻の心には、「職務!職
務をかいてはならぬ。」とゆう考が力強く起りました。
そして死にかゝっている病人を後に殘して、後がみを
引かれる心で、燈{とう}臺の高いはしごをのぼって行きまし
た。燈{とう}臺は明{あきら}かに海上のやみを照らしました。夜の船

≪課外 p003≫
路{ふなじ}の案内{あんない}として、今夜も明{あきら}かに海上のやみを照らしま
した。
燈{とう}臺の火をつけますと、妻は急いでおっとのへやに
下りました。そして心配の目をおっとの顔にそゝぎま
した。あゝその時、妻の目には何がうつったでしょう。
最後の息がこの時にたえて、おっとの冷いくちびるが、
だん〳〵青くかわって行くのでありました。妻はその
場に打ちたおれて、正體もなく泣きくずれました。
その時一人の子供がかけて來て、
「おかあさん、燈{とう}臺の火が廻りません。」
とつげました。この燈{とう}臺は廻轉{かいてん}式の燈{とう}臺といって、機
械の力でランプがぐる〳〵廻っている間に、光が強く
なったり弱くなったりするように出來ているのであり

≪課外 p004≫
ました。マトローはこれをそうじする時、機械を外{はず}し
たまゝ下りましたから、それで廻らないのであります。
もしそのまゝにしておけば、出入の船がよその燈{とう}臺と
見ちがえて、どんなさいなんを引起すか知れません。
一時もすててはおけませんから、妻はおっとのしがい
に手をかけているひまもなく、ふたゝび燈{とう}臺に上りま
した。妻は幾度もその機械を組立てようとしましたが、
幾度やって見ても、少し廻ったかと思うと、またして
もがたりと外{はず}れて、どうしてもその機械が廻りません。
この上は致し方がありませんから、十歳と八歳にな
る二人の子供を呼寄せ、その小さな手で、一晩中機械
を廻させました。燈火{ともしぴ}は廻りながら海上のやみを照ら
しました。夜の船路{ふなじ}の案内{あんない}として、今夜も廻りながら

≪課外 p005≫
海上のやみを照らしました。
かようにして悲しい一夜は明けました。この夜、安
全にこの島のあたりを航海した船は、たゞいつものよ
うに明るく、いつものように廻轉{かいてん}するこの燈{とう}臺の燈火{ともしび}
を眺めただけで、別にけなげな親子の心ずくしを思う
ことはなかったでしょう。しかしこの夜の燈{とう}臺の明{あきら}か
な光は、あわれな妻がま心の光でありました。またこ
の夜の廻轉{かいてん}は、いじらしい子供達が、夜の目も合わせ
ずに務めたま心の働であったのです。この夜のことは
後で世の中に知れ渡りました。人々は口をそろえてこ
の親子の行をほめ、多くの新聞社は、この親子のため
に義えん金を集めました。
あゝその晩の燈{とう}臺こそは、清く美しい光を放{はな}って、

≪課外 p006≫
ながい〳〵後の世までも、職|務{む}をおこたる世の人の心
のやみを照らすことでしょう。
二 言いにくい言葉
ナマムギナガゴメナガタマゴ。
ナマムギナマモメナマタマゴ。
幾度もくりかへしている中に、太郎は
生麥生米生卵。
と、早口にすら〳〵言えるやうになった。太郎は得意{とくい}
になって、
「おとうさん、こんなに言いにくい言葉は外に無いで
しょう。」
と言うと、父はにこ〳〵笑いながら、
「おとうさんは、もっと言いにくい言葉を知っている。」

≪課外 p007≫
「何とゆう言葉ですか。」
「『はい。』とゆう言葉と、『いゝえ。』といふ言葉だ。」
「『はい。』『いゝえ。』たいへんやさしい言葉ではありませ
んか。どうしてそんなに言いにくいのです。」
父は
「誠にやさしいようだが、それで中々言いにくい場合
があるのだ。」
翌日太郎が友だちの正雄{まさお}・良一と三人連で、學校から
歸る時の事であった。「本道は遠いから近道を通ろう。」
と正雄{まさお}が言うと、良一はすぐさんせいした。その近道
とゆうのは田のあぜ道で、途{と}中にはかなり深い小川に
かけ渡した一本橋がある。太郎は前から父に、「あの橋
はあぶないから決して渡ってはならぬ。」とかたく止め

≪課外 p008≫
られていたのであるが、友達のすゝめをことわりかね
て、一所に渡り出した。すると橋はまん中から折れて、
三人は水中におちいった。幸近所の田で働いてゐた村
の人々に助けられ、いずれもぬれねずみのようになっ
て家に歸った。
父は
「お前はどうしたのだ。かねてあぶないといって置い
た、あの橋を渡ったのでは無いか。」
とたずねたが、太郎はだまっていた。
その夜また父に強く聞きたゞされて、太郎はやっと
今日の次第{しだい}を有りのまゝに話した。父は
「なぜその時『いゝえ。僕は止められてゐるから渡りま
せん。』と、きっぱりことわらなかったのか。」

≪課外 p009≫
「僕は幾度もことわったのです。すると、しまいに皆
が僕の事を弱虫だといって笑いました。僕はざんね
んでたまらなかったので、何このくらいの事がこわ
いものかと、自分から先に立って渡ったのです。」
「成程弱虫だ。人の言うことに對して、『いゝえ。』と言
切るには、ほんとうの勇氣がいる。お前のような弱
虫にはひょっとすると命を失うようなあぶない時で
も、言出すことの出來ない程、『いゝえ。』とゆう言葉
は言いにくいのだ。
それからまた、晝間私が聞いた時、なぜすなおに『は
い。』と言わなかったのだ。」
「僕何だかきまりが惡くって、そう言えなかったので
す。」

≪課外 p010≫
「それごらん。『はい。』も言いにくい言葉では無いか。」
太郎はつくずくと自分の惡かった事を後悔{こうかい}すると共
に、「はい。」と「いゝえ。」の言いにくいわけをさとること
が出來た。
三 ウィリアム、テル
スイッツルの國民は、今でこそ自由幸福の民である
が、昔はゲッスラーと呼ぶ惡代官の暴政{ぼうせい}に苦しめられ
た時代もあった。
或時ゲッスラーは、四つつじにさおを立てて、その
上に帽子をかけ、往來{おうらい}する者は、皆その帽子に敬禮し
なければならぬとゆう無法な命令を下した。
するとこゝに、ウイリアム、テルとゆう熱心に自由を
愛する人があった。此の子供おどしのような帽子を見

≪課外 p011≫
て、大聲であざ笑った。その聲を聞いた代官は、
「にくいやつだ。かれを許しておいたら、國中の者は
おれをあなどって、おれのさしずにそむくようにな
るかも知れぬ。」
と、たちどころにテルを引きとらえて、重くばっしよ
うとした。
テルはある山中に住んでいるりょうしで、弓の名人
であった。それをよく知っていたゲッスラーは、弓で
その身をほろぼすようにしむけてやらうと考えた。先{ま}
ずテルの幼い子供をとらえて來て、四つつじに立たせ、
その頭の上にりんごを一つ乗せさせた。そしてテルに
向って、
「その方がとく意の一矢で、あのりんごに射{い}當てて見

≪課外 p012≫
よ。射{い}そこなったら命を許さぬぞ。」
と、きびしく言いつけた。
我が子の頭{ず}上にあるりんごに、親として矢がはなた
れようか。如何に勇もうな者でも、こればかりはしの
ぶことが出來ない。さすがのテルも悲しくなって、涙
ながらにあわれみをこうた。情を知らぬゲッスラーは、
「だまれ、その方は一矢でりんごを射{い}當てるより外に、
助けることも助けられることも出來ないのだ。ぐず
ぐずしてると、親子もろとも殺してしまうぞ。」
ときめつけた。
テルの子供は日頃、飛ぶ鳥も一矢で射{い}落す父親のう
でなみを知っていたので、一向驚いた樣子もなく、
「おとうさん、早く射て!ちっともこわくはないよ!」

≪課外 p013≫
とさけんだ。テルは急に氣を取直して、
「よし、射{い}落そう。」
彼は弓を取直して靜かに立上った。そして心中に神の
助を祈{いの}りながら、矢をつがえて、きりきりと引きしぼ
ったが、ちょうど心持が落ちついて、ねらいが定った
時、ひょうと切ってはなした。空を切って飛んで行っ
た矢は、見事に頭{ず}上のりんごを射{い}落して子供にはかす
りきずさえつけなかった。それを見ていた人々は、ど
っと喜の聲をあげて、思わず胸をなで下した。
「おとうさん、僕にあたってたまるものか。」
と言ってかけよった我が子を、テルは兩うででだきし
めたまま、地上にたおれ伏した。
ところが、ゲッスラーは目ざとくも、テルが前にそ

≪課外 p014≫
っと用意した二の矢を見とがめて、
「その矢は何にするつもりか。それを聞かなければ、
許すことは出來ないぞ。」
と言った。
「外ではありません。射{い}損じた時に、代官を一矢で射{い}
殺すためです。」
と、テルは明らかに答えた。ゲッスラーは怒{いか}るまいこ
とか、直にテルを遠いごくやへ送った。がテルは運よ
くごくやからのがれて、ほどなく惡代官を自分の矢に
かけて射殺してしまった。その目ざましい働を見て、
スイッツルの人民はたちまちどくりつの旗を擧{あ}げ、つ
いに自由幸福の國となったのである。


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底本:ハワイ大学マノア校図書館ハワイ日本語学校教科書文庫蔵本(T595)
底本の出版年:昭和4[1929]年7月25日発行、昭和13[1938]年8月8日第11版
入力校正担当者:高田智和
更新履歴:
2021年11月27日公開

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