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日本語読本NIHONGO TOKUHON[布哇教育会第2期]

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巻五

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日本語読本 巻五 [布哇教育会第2期]

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凡例
1.頁移りは、その頁の冒頭において、頁数を≪ ≫で囲んで示した。
2.行移りは原本にしたがった。
3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
4.振り仮名が付く本文中の漢字列の始まりには|を付けた。 〔例〕十五|仙{セント}
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≪目録 p001≫
もくろく
第一課 ホノルヽから横濱{よこはま}へ 一
第二課 東京見物 (一) 五
第三課 東京見物 (二) 九
第四課 上杉|鷹山{ようざん} 十二
第五課 祖父母に 十四
第六課 海水浴 十六
第七課 つゆと虫 二十
第八課 火 二十二
第九課 赤いまりと白いまり 二十四
第十課 虎{とら}と赤んぼう 二十七
第十一課 郵便|物語{ものがたり} 三十二
第十二課 二十フランの金|貨{か} 三十五
第十三課 川中島の戰 三十九
第十四課 感謝{かんしゃ}祭と新嘗{にいなめ}祭 四十二
第十五課 雞 四十六
第十六課 夕日の光 五十一
第十七課 寒い國々の人 五十二
第十八課 儉約{けんやく}と義捐{ぎえん} 五十七
第十九課 遊學する友に 五十九
第二十課 餅{もち}つき 六十一
第二十一課 伊藤{いとう}公の幼時{ようじ} 六十五
第二十二課 ニューヨークから布哇{ハワイ}へ 七十二
第二十三課 一休のとんち 七十六
第二十四課 捕鯨{ほげい}船 七十八

≪目録 p002≫
第二十五課 勇ましい少女 八十三
第二十六課 キャプテンクック 八十九
第二十七課 一日 九十四
第二十八課 大岡{おうおか}さばき 九十六
第二十九課 少女ノ貯金 百一
第三十課 病氣見まい 百三
第三十一課 養生 百六
第三十二課 小島|蕉園{しょうえん} 百十二
第三十三課 カメハメハ大王 百十六
第三十四課 ワザクラベ 百二十
第三十五課 千早城 百二十四
第三十六課 老社長 (一) 百二十九
第三十七課 老社長 (二) 百三十三
第三十八課 何事も精神 百三十七
第三十九課 日本 百三十九
第四十課 小話 百四十二
第四十一課 國旗 百四十四
第四十二課 母の日 百四十八
第四十三課 出産の知らせ 百五十
第四十四課 日本一の物 百五十三
第四十五課 たしかな保證{ほしょう} 百五十七
第四十六課 安倍{あべ}川の義夫 (一) 百六十一
第四十七課 安倍{あべ}川の義夫 (二) 百六十六
課外
一 雀{すゞめ}の子 一
二 勇ましい親子 三
三 良寛{りょうかん}さま 八

≪p001≫
第一課 ホノルヽから横濱{よこはま}へ
私どもの乗りこんだ天洋丸が、ホノルヽの港
を出帆{しゅっぱん}したのは水曜日の午前十時でした。少し
曇った日で、ヌアヌパリのあたりにはうす黒い
雲が煙のようにたゞよっており、ワイキヽの海
岸はうちよせる波に白く長くふちどられて見え
ました。高いおか、ひくい林、あの家この家と、
あざやかにかぞえられた繪のようなけしきが
しだいに遠ざかって、ダイヤモンドヘッドもや
や青くかすんで見えるころには、飛立つ水鳥の

≪p002≫
むれも、だん〳〵かず少になりました。午後五
時ごろ左の方に加哇{カウアイ}の島が見え、燈臺{とうだい}の光もみ
とめられました。次の朝かんぱんに上って見る
と、青い海と青い空、空にはちぎれ〳〵の白い
雲が飛んでいるばかり。鳥一つ見えず、船一つ
通りません。今は太平洋のたゞ中に來たのでしょ
う。きのうから今日の正午までの航|程{てい}は三百五
十ノット。タ方ホノルヽの友だちから無線{むせん}|電信{しん}
がかかって、
ブジ コウカイ ヲ イノル

≪p003≫
毎日々々同じようなけしきです。雨雲がひく
くたれて、はるか向うは夕
立かと思う中、いつしか船
はその雲の下に來て、大つ
ぶな雨が一しきりかんぱん
を洗っていったこともあり
ました。月はだん〳〵まる
くなりました。
五日めの朝、今日は日曜
日と思うのに月曜日とゆう

≪p004≫
のでおどろきました。きのうの土曜日から一日
とんで月曜日になったのです。日本から來る時
にはこれと反對に同じ日が二度かさなるのです。
九日め金曜日の朝、「富士山{ふじさん}富士山」と言う聲
が聞えました。急いでかんぱんに出て見ると、
西の空の雲間に雪をいたゞいた富士{ふじ}のけだかい
すがたが見えました。始めてこの山を見て私は
何ともいえないなつかしいうれしい心持がしま
した。夕方には横濱へ着くとゆうので、船客一
同の顔に喜の色が見えました。

≪p005≫
長い航海をおえて、無事に横濱に上陸したの
は、その日の午後五時でした。
第二課 東京見物 (一)
横濱はアメリカから日本への入口の港です。
こゝからは汽車でも電車でも一時間たらずで東
京へ着きます。
東京|停車場{ていしゃじょう}は東洋一の大きな停車場{ていしゃじょう}です。こ
こを出てまっすぐに行くと、ほりをへだてて向
うの高い石がきの上に、天皇陛下のいらせられ
る宮城が見えます。宮城のおほりには二重橋が

≪p006≫
かゝっています。二重橋の前
の廣場には一面に小松があっ
て、そこに楠木正成{くすのきまさしげ}の銅像{どうぞう}が
立っています。
二重橋を右に見て櫻田|御{ご}門
を通ると、そこには石造の大
きな役所がならんでいます。
その後が日比谷{ひゞや}公園になりま
す。
公園の中には池があり、花|園{ぞの}があり、音樂{おんがく}堂

≪p007≫
もあり、廣い運動場もあ
ります。
にぎやかな銀|座{ざ}通へ出
て、電車通を北へ進み、
京橋・日本橋を渡り、大通
をたどりたどって、やが
て上野公園へ行きます。
上野公園は小高いおかに
なっています。こゝに動
物園・博物館{はくぶつかん}・圖書館{としょかん}などが

≪p008≫
あります。さくらの木がたくさんあって、花ざ
かりには大へんなにぎわいです。こゝから下を
見下すと何万とゆう人家のやねが、波の打った
ように見えます。しかしこれで東京の何分の一
かゞ見えるだけです。
上野公園を出て淺草公園へ向います。こゝに
は名高い觀音{かんおん}堂があって、堂の近所にはげきじょ
うや、かつどうしゃしんかんなどがあります。
櫻で名高い向島は隅田{すみだ}川の向岸にあります。
隅田{すみだ}川には大きな橋が十かゝっています。

≪p009≫
第三課 東京見物 (二)
東京は廣い都ですから一日や二日では見つく
されません。同じような町がいくらもあります
から、あんないを知らないと道にまよいます。
銀|座{ざ}についでにぎやかなのは神田{かんだ}です。このへ
んには書店がたくさんあります。それから九|段{だん}
坂を上ると靖國{やすくに}神社へ出ます。大きな鳥居には
だれもおどろきます。神社の後の池も美しゅう
ございます。
こゝを出て、ほりばたを通る電車に乗って方

≪p010≫
方を見物しながら行くのも面白うございます。
士官學校、赤坂|離宮{りきゅう}などは
皆電車の中から見えます。
明治天皇・昭憲{しょうけん}皇太后をお
まつりした明治|神宮{じんぐう}は、西
の方|代々木{よゝぎ}にあります。兩
がわに木{こ}立のしげった廣い
參道{さんどう}を進みますと、白{しら}木造
の社|殿{でん}の前に出ます。内|苑{えん}
には拜觀{はいかん}する所がたくさん

≪p011≫
あり、外|苑{えん}もこゝから遠くありません。
南の方にある公園は芝{しば}公園です。これも見落
してはなりません。こゝに増上寺{ぞうじょうじ}とゆう大きな
お寺があります。これから少しはなれた所に泉
岳寺{せんがくじ}があって東京へ來た人はだれでもきっとお
まいりする所です。
こゝには四十七義士の墓があって、墓の前に
は二百年後の今日もせんこうの煙がたえたこと
がありません。
東京にはりっぱな大學を始め、たくさんの學

≪p012≫
校があります。大きな銀行や會社もたくさんあ
ります。
東京には二百万あまりの人がいます。
第四課 上杉|鷹山{ようざん}
上杉|鷹山{ようざん}は今から百三四十年ほど前の人で日
本の米澤{よねざわ}とゆう所の大名{だいみょう}でございました。けら
いもたくさんあって身分のりっぱな人でござい
ましたが、少しも人にたかぶるようなことはあ
りませんでした。かしこい人をまねいていろい
ろ相談をしたり、教を受けたりして、少しでも

≪p013≫
人民のために
なるようにと
心がけた人で
す。
鷹山{ようざん}は若い時に細{ほそ}
井|平洲{いへいしゅう}とゆう先生の教
を受けましたが、後にこ
の先生を自分の國へよびま
した。その時は身分の高い鷹
山{ようざん}が、わざ〳〵遠くまで平洲{へいしゅう}を迎えに出ました。

≪p014≫
そうして一しょに歩く時でも、いつも平洲{へいしゅう}を先
に立てて自分は後からついて行ったとゆうこと
です。古いことばに、「弟子{でし}は七|尺{しゃく}はなれて先生
のかげをふまぬ。」とゆうことがありますが、鷹
山{ようざん}はこのことばの通りに先生をうやまったので
す。
第五課 祖父母に
おじい様おばあ様御きげんよくいらせ
られますか。私も三郎も元氣よく毎日
學校へ通{かよ}って居りますから御安心下さ

≪p015≫
いませ。私どもは午前九時から午後二
時まではこの地の公立學校へまいりま
す。公立學校にはアメリカ人の子供も
居り、土人その外、各國人の子供も居
りますが、皆仲よくして同じ教場で勉
強し、同じ運動場で遊んで居ます。私
の一番すきなのは歴史と地理で、この
間も答が大そうよく出來たと先生がお
ほめになりました。三郎は二年生です
が、去{きょ}年からまだ一度も休んだりちこ

≪p016≫
くしたりしたことはありません。公立
學校がすむと、三時から五時まで日本
語の學校へまいります。こゝで日本語
や書き方を習います。先生から日本の
昔話や地理のお話を聞くのが何よりも
たのしみです。
九月二十八日 次郎
おじい様
おばあ様
第六課 海水浴

≪p017≫
いつもの所へ行く。もう大ぜい來ている。遠
くから見ると、海にはあちらにもこちらにも黒
い顔がまるですいかを浮かしたようだ。濱近く
なると銅{あかゞね}色をしたたくましそうな体や、色とり
どりに美しい海水着が目につく。小さな子供は
波打ぎわでぼちゃ〳〵やっている。日はやけつ
くように暑い。急いで來たのであせがたら〳〵
流れる。僕は着物をぬいでいきなり飛びこもう
とした。するとにいさんが
「おい、また忘れたか。」

≪p018≫
と言ったので、僕ははっと思って水ぎわでいつ
ものような用|意{い}をした。そうしてしずかにはいっ
て行った。
よい氣持だ。さっきまでの暑さもけろりと忘
れてしまった。皆の中へはいって泳ぎまわる。
あおむけになって泳いでいると、だれかの体に
つき當ったのでびっくりして起きかえった。に
いさんはしきりに飛びこみのけいこをしていた。
しばらくして濱へ上って砂を掘って遊ぶ。大
きな波が來ると、せっかく掘った池が一ぺんで

≪p019≫
やられてしまう。
沖の方を眺{なが}めると帆{ほ}かけ船が三つ四つゆるや
かに動いている。はるか水平|線{せん}上に汽船の煙が
見える。だん〳〵こちらへ進んで來る。大きな
汽船だ。
「にいさん、あれはどこの船でしょう。」
と聞くと、
「どうも見なれない船だ。外國船らしいよ。」
と言った。
また海にはいる。今度はにいさんとならんで

≪p020≫
泳ぐ。時々泳ぐのを止めて波に体をまかせてい
ると、ふわり〳〵とよい心持だ。
いつの間にか空が曇って來てぽつり〳〵雨が
降出した。
「やあ雨だ、雨だ。」
と言って皆が先をあらそって逃出した。僕らも
急いで上った。
第七課 つゆと虫
つゆが散る。
つゆが散る。

≪p021≫
月の光のてる庭に、
きら〳〵〳〵と
つゆが散る。
さや〳〵ゆれる
葉かげでは、
つゆの散るのがうれしいか、
ころろ〳〵と虫が鳴く。
虫が鳴く。
虫が鳴く。
月の光のてる庭に、

≪p022≫
ころろ〳〵と虫が鳴く。
さや〳〵ゆれる
葉末から、
虫の鳴くのがうれしいか、
きら〳〵〳〵とつゆが散る。
第八課 火
火は私どもにはきわめて大切なもので、一日
でもなくてはならないものです。朝晩の食物の
にたきからいろ〳〵の工業にまで、火の力をか
らねばならぬことはかぞえきれないほどたくさ

≪p023≫
んあります。大きな機械{きかい}を動かすにも汽車や汽
船を走らせるにも、皆この火の力によることが
多いのです。
火はこの通り必要{ひつよう}なもので火がないと私ども
は生きていることが出來ません。けれども一面
からみればこれはまた大へん恐しいものです
から、平生取りあつかいによほど氣をつけなけ
ればなりません。もしそまつにしようものなら、
たちまち火事になって、りっぱな大きな家も、
木も草も皆|灰{はい}にし、時には人の命までも取って

≪p024≫
しまいます。こんな恐しい火事も、多くはス
トーブの火や、煙草{たばこ}のすいがらがもとになるの
です。ことに煙草{たばこ}のすいがらから大火事になっ
たためしは少くありません。小さな火でも氣を
つけなければなりません。
第九課 赤いまりと白いまり
人には、だれにもあやまちのない者はありま
せん。あやまちを知ってあらためるからこそし
だいに善い道に進んで行かれるのです。昔、瀧
鶴臺{たきかくだい}とゆう學者がありました。その妻も賢{けん}婦人

≪p025≫
の聞えのある人でしたが、この婦人がどれほど
我が身をふりかえってみてその行をつゝしんだ
かは、次の話でも知られます。
ある日、鶴臺{かくだい}の妻がふとたもとから赤いまり
を落し、あわててこれを拾い取りました。鶴臺{かくだい}
はあやしんで「それは何か。」と問いました。妻
は顔を赤らめながら、またもたもとから白いま
りを一つ取出して申しますには、「私はふつゝか
な者でありまして、日々の行にあやまちが多う
ございますから、どうかしてこれを少くしよう

≪p026≫
と思い、このように赤白二つのまりを作って、
いつもたもとに入れて居ります。もしあやまち
のあった時は赤いまりに赤い糸をまきそえ、善
い行のあった時は白いまりに白い糸をまきそえ
ました。はじめは赤まりばかり大きくなりまし
たから、我が身をふりかえってみて、深く行を
つゝしみましたところ、今ではようやく二つが
同じくらいの大きさになりました。」
と答えました。鶴臺{かくだい}は大そう妻の心がけを喜ん
で、それから夫婦はます〳〵その徳{とく}行を積んだ

≪p027≫
とゆうことです。
第十課 虎{とら}と赤んぼう
「おじいさん、何か面白いお話をして下さい。」
と言って、兄と弟がおじいさんのへやにはいっ
て來ました。おじいさんはいすに腰をかけて、
お茶を飲んでいましたが、かべにかゝっている
時計{とけい}を見て、
「よし〳〵、今日はもうひまだから一つ恐しい
お話をして聞かせよう。
今から七十年も前の事です。赤んぼうを連れ

≪p028≫
た夫婦がいなかを旅行していました。ところ
が、ある日山の中で日が暮れたので、さびし
い森の近くにテントを張って野宿しました。
夜中に母親がふと目をさますと、そばにねか
しておいた赤んぼうが見えません。兩親はびっ
くりして氣ちがいのようになってあたりをさ
がしまわりました。
すると、何か大きな動物が白いものをくわえ
て森の方へ行くようです。月の光ですかして
見ると、それは虎{とら}で、白いのは赤んぼうです。

≪p029≫
父親はすぐてっぽうを取り出してそっと虎{とら}の
後をつけました。母親もつずいて出ました。
間もなく虎{とら}はとまりました。そうして赤んぼ
うを前に置いて、猫{ねこ}がねずみにじゃれるよう
にふざけ始めました。兩親はまっさおになっ
て、たゞ顔を見合わせるばかりでした。やが
て父親はてっぽうを取直して虎{とら}をねらいまし
た。母親はあわててその手をおさえ、小さな
聲で『あなた、赤んぼうにあたったらどうし
ます。』と言いました。父親はとめる母親の手

≪p030≫
をふりはらって引金に指をかけたとたん、ず
どんと一ぱつ、たまは見事に虎{とら}にあたりまし
た。虎{とら}はおどり上ってすぐたおれました。兩
親が走りよって見ると虎{とら}はもう死んでいます。」
兄弟は一心に聞いていましたが、この時兄が
「おじいさん、その赤んぼうはそれからどうな
りましたか。」
とたずねました。
おじいさんは兄弟の顔を見くらべて、にこ〳〵
しながら、

≪p031≫
「それからたっしゃに育って、今も生きていま
す。」
兄はたゝみかけて、
「どこにいますか、おじいさん。」
おじいさんはまじめになって、
「このへやにいます。お前たちは毎日その人を
見ています。」
兄弟はふしぎそうにへやの中を見まわしまし
たが、外にだれもいません。兄弟の目はしぜん
におじいさんに集りました。そうして一しょに

≪p032≫
手をうって、
「あゝ分りました、おじいさんがその赤んぼう
なのでしょう。」
第十一課 郵便|物語{ものがたり}
私ども一同は、顔に黒い消印{けしいん}をおされてロン
ドンを出發{しゅっぱつ}しました。これは南・北アメリカ行、
これは日本・シナ行と、それ〴〵べつなふくろに
入れられ、汽車でリバプールの港まで送られま
した。リバプールの港は船の出入が多くていそ
がしくにぎやかな港でした。

≪p033≫
こゝで私どもはホワイトスターラインの郵便
船に乗せられて夕方港を出ました。海はずいぶ
んあらかったが、無事に航海をつずけて五日め
の晝ごろにニューヨークの波止{はと}場へ着きました。
船の中には完全{かんぜん}な郵便|局{きょく}があって、三人の役
人が手ばしこく一つ一つのふくろをといて私ど
もを檢査{けんさ}しました。檢査{けんさ}といっても、たゞ私ど
もの行く目的地によって私どもをより分けるの
です。役人は皆米國の役人だそうですが、これ
は米國に向うのだからです。反對に米國からイ

≪p034≫
ギリス國に向う航海では、イギリス國の役人が
乗りこんでこの仕事をするのだそうです。
ニューヨークの郵便|局{きょく}と停車{ていしゃ}場との間には大
きな空氣|管{かん}があって、私どもは船から上って郵
便|局{きょく}へ着くとすぐにこの空氣|管{かん}で停{てい}車場へ追い
やられました。そうして急行|列車{れっしゃ}で西へ西へと
進みました。
サンフランシスコの港へ着いたのは四日めで
しょう。こゝで一たん郵便|局{きょく}に行きましたが、
直にまた汽船に乗って太平洋に浮かび出ました。

≪p035≫
仲間のものがだん〳〵へって心細く思いました
が、ロンドンを出てから十五日めに目的地のホ
ノルヽ港に着きました。やはり前と同じく郵便
|局{きょく}につれ行かれ、今度は体の上ヘホノルヽの黒
|印{いん}をおされて郵便|配達{はいたつ}人に渡されました。私が
つれのものにわかれてたった一人キング街の太
郎君の家にほうりこまれた時、太郎君は、「やあ、
おじさんから手紙が來た。」と言って喜びました。
第十二課 二十フランの金|貨{か}
世界戰爭の時、フランスの國では入用なもの

≪p036≫
を外國から買入れるために、人民からお金を集
めることにしました。
小學生までも皆喜んで持合わせの御金をきふ
いたしました。
ちょうど朝の八時二十分でありました。生徒
たちが學校の門をはいって來ました。その中の
十歳ばかりの女の子がかわいゝ顔をまっさおに
して校長先生の所へ來ました。
「先生、私はこのお金を持ってまいりました。
どうぞお國のために使って下さい。」

≪p037≫
と聲もふるえています。見れば涙はそのほうを
つたって流れています。そうして小さい手には
二十フランの金|貨{か}をかたくにぎっています。
「おや、あなたはこんな大金をどうして持って
いるのですか。」
「先生、これはにいさんが戰爭に行く時、かた
みとして私に下さったのです。そうしてにい
さんはとう〳〵戰爭で死んでしまいました。
私は今日までこれを大事にしてしまっておい
たのです。」

≪p038≫
涙はたきのように小さい娘の目から流れ出ま
した。
「では大切にしまっておおきなさい。大事なに
いさんのかたみですから、それを出さなくと
もよいのです。さあ、もう涙をおふきなさい。」
「先生、私はこのお金をきふしてお國のために
使っていたゞきたいのです。私はお國に不忠
なフランス娘にはなりたくありません。にい
さんはお國のために死にました。私もお國の
ためにこのお金をさし上げます。」

≪p039≫
とやさしいそうして勇ましいフランスの小娘は、
二十フランの金|貨{か}を先生に渡し、涙をぬぐって
教場にはいって行きました。校長先生はこのりっ
ぱな心を持った娘のすがたを涙にくもった目で
じっと見送っておりました。
第十三課 川中島の戰
戰國時代には面白い武勇談がたくさんありま
す。その中でも越後{えちご}の上杉|謙信{けんしん}と甲斐{かい}の武田信
玄{たけだしんげん}はいずれおとらぬ軍の上手で、幾度も幾度も
信濃{しなの}の川中島で戰いましたが、とう〳〵勝負が

≪p040≫
つきませんでした。ある時の戰に、謙信{けんしん}はたゞ
一人馬にうち乗り太刀{たち}をふるって信玄{しんげん}の本|陣{じん}へ
かけ入りました。「信玄{しんげん}は居らぬか。」と大聲にさ
けびましたから、
床几{しょうぎ}に腰をかけて
いた信玄{しんげん}は、「何者
だ。」と言って立上
ろうとする所を、
謙信{けんしん}は三|太刀{たち}まで
も切りつけました。

≪p041≫
不意をうたれた信玄{しんげん}は、刀を拔く間もなくぐん
ばいうちわで防ぎました。これを見た信玄{しんげん}のけ
らいは走りよって、やりをしごいて謙信{けんしん}の馬の
しりをつきました。馬がおどろいて飛上るすき
に、信玄{しんげん}はよう〳〵逃げてあやうい命を助りま
した。
上杉|武田{たけだ}の戰爭も十三年のひさしい間つずき
ましたが、信玄{しんげん}が病死したので軍が終りました。
信玄{しんげん}が死んだと聞いて謙信{けんしん}は、「あゝおしいこと
をした。軍のよい相手がなくなった。」と言った

≪p042≫
そうです。
第十四課 感謝{かんしゃ}祭と新嘗{にいなめ}祭
一千六百二十年の冬、一そうの船がボストン
近くの海岸に着きました。船の中の男も女も大
人も子供も、やれ安心とゆう顔はしていました
が、どこかに不安の様子{ようす}があらわれていました。
かれらははる〴〵と海を渡ってイギリスから來
た清教徒の一團でございました。木をきって家
を建て、地をたがやして穀物{こくもつ}をまいたが、その
年はめずらしい寒さで、ほとんど取入とてはあ

≪p043≫
りませんでした。かれらのある者はうえて死に、
ある者は病にたおれて、大方は悲しいめにあい
ました。
その中に光りかゞやく暖い春がめぐって來ま
した。男も女も大人も子供もおの〳〵分にした
がって力一ぱい働きました。春がすぎ夏がすぎ
秋になりますと、去年とはうってかわってあり
あまるほどの見事な取入があり、一同が集って
感謝{かんしゃ}のいのりをさゝげました。それから出來る
かぎりのごちそうをとゝのえて、一同の者がもっ

≪p044≫
とも樂しい祝をもようしました。その時のごち
そうに七面鳥があったので、これから後の感謝{かんしゃ}
祭にもきっと七面鳥の料理{りょうり}が用いられるように
なりました。はじめかれらが海を渡って來た時
にインデアンが大そう親切にしてくれたことを
かれらは心からうれしく思って、インデアンを
も呼んで樂しい食卓{しょくたく}をともにしました。これが
感謝{かんしゃ}祭の始りです。
このならわしが年とともにだん〳〵植民地ぜ
んたいに廣がって、しまいには米國祝祭のもっ

≪p045≫
とも重要{じゅうよう}な一つとなりました。毎年十一月の終
の木曜日をこの日とさだめたのは、はるか後の
事でございます。
感謝{かんしゃ}祭は年々の幸福を神に謝{しゃ}するとゆうとう
とい深い意味{いみ}をもっている上に、一面米國建國
の精神{せいしん}をしのび、祖先の辛苦{しんく}を思うたよりとも
なりますから、祝祭の中でも重要{じゅうよう}なものになっ
ています。
日本にもこれと同じような祝祭日があります。
それは十一月二十三日の新嘗{にいなめ}祭で、その日には、

≪p046≫
天皇陛下は皇祖皇|宗{そう}を始め天地の神々に今年の
新|穀{こく}をさゝげて、その年の幸福を國民にかわっ
て感謝{かんしゃ}あそばすのです。
第十五課 雞
一昨年の秋から裏の空{あき}地を利用して雞を飼っ
ています。飼始には三羽でしたが今では十四五
羽になりました。ずいぶん手がかゝりますが、
またなか〳〵樂しみなものです。
とやは南向に作って風通しをよくしてありま
す。始のうちは犬やいたちにおそわれたり、ま

≪p047≫
たよく羽虫がついてたおれたりしましたが、と
やの作り方をあらため、また時々砂あびをさせ
るようにしてから、そんな事はなくなりました。
とやは毎日そうじして、一週間に一度ぐらいは
たな板やかべ板までも十分に洗って清潔{せいけつ}にしま
す。
えは麥・こごめ・ぬかなどを主とし、貝がらのく
だいたのや青|菜{な}なども食べさせます。水は毎日
やらなければなりません。卵をかえさせるほど
樂しみなことはありません。一羽にだかせる卵

≪p048≫
の數はまず七つですが、親
鳥の大きさや時候{じこう}によって
かげんします。卵をだかせ
るすはとやの中に箱を入れ、
わらをしいてこしらえてや
ります。毎朝一度だけは親
鳥を外へ出して、えをやり
水をやり、ふんをさせてま
たすの中へ入れます。卵が
ひよこにかえるまでには、

≪p049≫
三週間ほどかゝります。中
にはかえらないのもありま
すから、はじめから卵に番
號をつけておきます。だか
せてから五日ほどたって卵
をしらべると、かえるのと
かえらないのが見分けられ
ます。燈{とう}火にすかして見て
どこもすきとおって見える
のはかえらないもので、ま

≪p050≫
ん中に黒點の見えるのはよく發育しているもの
です。いよ〳〵かえってかわいらしいひよこが
飛出しますと、親鳥は喜んで大事にします。そ
の時は私どももうれしくてたまりません。ひよ
こには始はゆで卵の黄身をくだいてやります。
水はあまり多くやってはいけません。
今居るめすは十羽で、このごろは毎日平|均{きん}五
六|箇{こ}の卵が取れますが、春のころはもっと多く
生みます。卵を賣ったり雞を賣ったりするので、
えの入費をさし引いても毎月かなりの利|益{えき}があ

≪p051≫
ります。
第十六課 夕日の光
夕日の光が
美しく流れている。
何とゆう美しさだろう。
家もはたも道も人も
金色にそまっている。
まるで火の海だ。
微{び}風が生じて、
木々や草がやさしくそよいでいる。

≪p052≫
小さな子供が四五人
道の上に立って、夕日の沈むを見ている。
顔もすがたもともしびのような赤い光に
照らされてすきとうるようだ。
あゝ夕日の光は
平和な樂しい世の光、
いずくにも樂しみが生きかえるよう、
夕日は今世界を活氣ずけているのだ。
第十七課 寒い國々の人
世界のごく寒い國々の人は、我々とはよほど

≪p053≫
ちがっためずらし
い生活をして居る。
そうゆう人々の食
物は、おもに獸や
魚の肉で、こくもつ野菜{やさい}などは
ほとんど用いない。着物は毛皮
で造る。帽子{ぼうし}もくつも大ていは
獸や魚の皮で造るのである。頭
のてっぺんから足の先まで毛皮
ずくめの人が、雪の中に居るの

≪p054≫
を見ると、まるで獸かと思われる。
かれらの家は所によって造り方が一様ではな
い。獸の皮のテントを張って家にする所もあれ
ば、また地面に穴を掘って、その上にテントを
屋|根{ね}にする所もある。中には、夏はテントを張
り、冬は氷の家を造る所もある。氷の家は氷を
角石の様に切り、これを積み重ねて茶わんをふ
せた様な形に造る。すべて寒い國の家は、寒さ
をふせぐためにまどを小さくし、入口もせまく
してある。

≪p055≫
ともしびはゆうまでもなく、食
物をにたりやいたりするに
も、獸や魚の油{あぶら}をもやす。
食器{しょっき}も大ていは獸や魚の骨
でこしらえる。
獸をいたり、魚をつった
りするのが毎日の仕事で、
それにつかう弓|矢{や}や、つり
ばりから、船や船|具{ぐ}までも、
獸や魚の皮・骨などで造るの

≪p056≫
である。
人が乗ったり荷物を運んだりするには、車や
馬車の代りに、そりとゆう物を用いる。そりは
犬やとなかいとゆう獸に引かせる。
となかいは鹿{しか}のたぐいで、鹿{しか}よりも大きい。
足の裏にはこわい毛がはえて居て、雪や氷の上
を走るのに都合がよい。大きな角をふり立てふ
り立て、そりを引いて廣い雪の野を走るさまは、
見事なものである。となかいの肉は寒い國の人
に取っては何よりの御ちそうで、じよう分もす

≪p057≫
こぶる多い。乳も牛乳よりすぐれて居て、老人
や子供も喜んで飲む。毛皮は着物になり、角や
骨はいろ〳〵の道具{どうぐ}になる。首の所にはえて居
る長い毛は物をぬう糸につかい、ふんはかわか
してたき物にする。寒い國の人は、となかいが
無ければ、生きて居られないくらいである。
第十八課 儉約{けんやく}と義捐{ぎえん}
ある村に大火事があって、その村は大方丸や
けになってしまった。となり村の青年たちが見
かねて方々へ義捐{ぎえん}金をつのりに出た。ある金持

≪p058≫
の所へ行くと、下男がまだつかえるなわをすて
たと言って、主人がひどくしかっていた。青年
たちはこれを聞いてさゝやき合った。
「こまかな人だ。これではとても義捐{ぎえん}はしては
くれまい。」
「そうかも知れない。」
さて主人に火事の話をして義捐{ぎえん}金の事を言出
すと、
「それはお氣の毒だ。」
と言って、たくさん金を出した上に、米やしょ

≪p059≫
うゆも上げてもよいと言った。その歸り道で青
年たちは、
「こまかな人だが出す時は出すね。」
「まったくだ。あんな小言{こごと}を言うほどだから、
この義捐{ぎえん}金が出來たのだろう。」
「そうだ、そうだ。」
と言合った。
第十九課 遊學する友に
御出發の日も近くなりまして、いろい
ろとおいそがしい事と存じます。遠く

≪p060≫
御兩親のもとをおはなれになる事はお
さびしい事と思いますが、日本には御
親類がおありなそうで、何の御心配も
なく日ごろのお望{のぞみ}をたっせられ御遊學
なさる事を思えば、まことにおめでた
く、かつはおうらやましい次第でござ
います。うけたまわれば來年三月には
中學校の入學|考査{こうさ}をお受けなさるそう
ですが、日ごろ一心に御勉強なさるあ
なたの事ですから、かならず合格{ごうかく}なさ

≪p061≫
る事と思います。しかし入學出願者も
多數との事でございますから、この上
とも十分御勉強なさいまして、しゅび
よく御入學なされるようおいのり申し
ます。御出發の時はぜひ波止場{はとば}まで御
見送り致そうと存じております。
十二月十八日 木村勇二
松川國造様
第二十課 餅{もち}つき
餅{もち}をつく音に目がさめた。はね起きて見ると、

≪p062≫
大|釜{がま}の上に積んであるせいろうからは、さかん
にゆげが上っていた。
おかあさんは取粉{とりこ}をのし板の上にひろげて、
餅{もち}のつき上るのを待っていらっしゃる。おとう
さんはきね、おばあさんはこねどり。おじいさ
んは大|釜{がま}の火をたいていらっしゃる。
にいさんがおくの間に、餅{もち}をならべる所をこ
しらえていた。
「お早う。」
と言うと、

≪p063≫
「よく目がさめたね。今四時を打ったばかりだ。」
と、にいさんが言った。
つき上ると、おばあさんが餅{もち}をうすの中で丸
めて、おかあさんの所へ持っていらっしゃった。
おかあさんはそれを二つにちぎって、ぐる〳〵
まわしていらっしゃったが、たちまちきれいな
おそなえになった。
二うすめで小さなおそなえが幾かさねか出來、
三うすめからは、のし餅{もち}が出來た。四うすめの
時はおじいさんもてつだってつかれた。

≪p064≫
二かさねめのせいろうから、ゆげが上るまで
に、少し間があった。その時ににいさんが
「私にもつかせてみて下さい。」
と言出すと、おじいさんが
「まだとても。」
とおっしゃったが、おばあさんは
「まあ、ついてみるがよい。」
とおっしゃった。
いよ〳〵にいさんがつき出した。はじめのう
ちはいきおいがよかったが、間もなく腰がふら

≪p065≫
つき出して、ふみしめている兩足が、きねをふ
り上げる度に動いた。おとうさんが
「せいは高くても、まだだめだ。」
とおっしゃったが、それでもとう〳〵一うすだ
けはつき上げた。
八時ごろにはすっかりすんだ。おしまいの一
うすには、小豆{あずき}やきな粉{こ}をつけて、うちでも食
べ、近所へもくばった。
第二十一課 伊藤{いとう}公の幼時{ようじ}
伊藤{いとう}公が八九歳のころのことです。ある日大

≪p066≫
ぜいの子供が村のお宮のけいだいで遊んでいま
した。しばらくの間はおにごっこをしたり、か
くれんぼをしたりしていましたが、それにもあ
きて、そこらあたりに腰をかけて休んでいまし
た。すると一人の子供が
「おい、よい物を見つけたぞ。」
とさけび出しました。何か面白い事はないかと
思っていたやさきですから、みんな聲をそろえ

「何だ、何だ。」

≪p067≫
と言いながらすぐその方へかけて行きました。
見ると社殿の床{ゆか}下にお祭に使うだしのだいがあ
りました。
「面白いなあ、引き出せ、引き出せ。」
と口々に言立て、すぐ引きずり出しました。
「お祭だ、さあかつごう。」
と言って、みんなでかつぎかけると、さっきか
らこの様子{ようす}を見ていた一人の子供が、
「お祭に使う物を僕らが遊び道具{どうぐ}にするのはよ
くない。」

≪p068≫
と言いました。ところが、いきごんでいる大ぜ
いの子供は、
「なに、かまうものか。」
「かつげ、かつげ。」
と言って、かつぎ出してしまいました。
「わっしょい、わっしょい。」
とはやしながらけいだいをねりまわります。
「お祭だ、お祭だ。わっしょい、わっしょい。」
子供らはよい遊びごとが出來たから、もうむちゅ
うになってはねまわります。

≪p069≫
その時けいだいにはいって來た一人の老人が
あります。この様子{ようす}をじっとながめていました
が、
「何をするのか。」
と大聲にどなりました。子供らはびっくりして
ふり向くと、村の庄{しょう}屋さんでしたから、
「あっ。」
と言うが早いか、だしのだいをそのまゝにして、
くもの子を散らすように逃げてしまいました。
庄{しょう}屋さんは

≪p070≫
「しようのない小|僧{ぞう}ともだ。」
と舌{した}打しながら子供らの後を見送っていました
が、ふとだしのだいのそばを見ると一人の子供
が立っています。
「お前はなぜ逃げなかったか。こわくないのか。」
と言いますと、その子供は、りこうそうな目つ
きをして庄{しょう}屋さんの顔を見ていましたが、やが

「おじさん、惡い事をしました。どうぞゆるし
て下さい。はじめ僕は惡い事だと思って止め

≪p071≫
ましたが、みんな聞きませんでした。その中
に僕も面白くなって一しょにかつぎまわりま
した。どうぞゆるして下さい。」
ときっぱり言いました。これを聞いた庄{しょう}屋さん
はにわかに顔色をやわらげて、その子供の頭を
なでながら、
「お前は正直者だ、かしこい子供だ。」
と言ってほめました。
この子供こそ後に明治の功{こう}臣とうたわれた伊
藤博文{いとうひろぶみ}公です。

≪p072≫
第二十二課 ニューヨークから布哇{ハワイ}へ
おとうさんは長くたいざいしていたシ
カゴ市を立って、今日いよ〳〵米國第
一の大都會ニューヨーク市に着きまし
た。
シカゴとニューヨークの間は九百八十
マイルもありますが、おとうさんは最{さい}
大急行の列{れつ}車に乗ってたった十八時間
で着きました。布哇{ハワイ}にはまだこんな早
い汽車はありません。

≪p073≫
ニューヨークは人口からいえばロンド
ンに次ぐ大都會で、七百万あまりもあ
るといゝます。高い建物のあることは
世界第一で、十|階{かい}二十|階{かい}の家はいくら
もあります。中でもっとも高いのは五
十五|階{かい}もあります。

≪p074≫
地上にはもちろん、地下にも高|架線{かせん}に
も、電車や汽車が夜晝たえまなしにう
んてんしています。アメリカ人は大き
いこと、廣いこと、高いこと、早いこ
と、何でも世界一になるように心がけ
ているといゝますが、何しろ大したい
きおいです。
ニューヨークは有名な商業地ですが、
りっぱな學校もありますし、博物館{はくぶつかん}や
圖書館{としょかん}などもたくさんあります。

≪p075≫
シカゴを立つ日にお前たちの年|始状{しじょう}が
着きました。二人とも字が上手になっ
たのにおどろきました。うちには何事
もないそうで安心しました。そのうち
に繪葉書やしゃしんじょうを送ります
から、ゆっくりごらんなさい。おかあ
さんによろしく。
一月十二日 父から
太郎どの
二郎どの

≪p076≫
第二十三課 一休のとんち
昔京都の紫野{むらさきの}の大徳寺に、一休とゆう坊{ぼう}さん
がありました。この坊{ぼう}さんは學問も出來、徳も
高い人でしたが、とんちに富んでいたことは、
人なみ〳〵ではありませんでした。ある所に物
ずきな人があって、一休をこまらせようと考え
ておりました。ある日、大徳寺へ行って、今月
の何日は父の命日にあたりますから、ぜひ和尚{おしょう}
様の御|回向{えこう}をお願いしたいと頼みました。和尚{おしょう}
はこゝろよく承知しました。

≪p077≫
さて、その日に一休がその家へまいりますと、
家の前にはへいがあって、橋がかけてあります。
その橋を渡らなければその家へ行くことが出來
ないのです。ところが、その橋の上には大きな
立ふだがあって、「このはしわたるべからず。」と
書いてあります。一休|和尚{おしょう}はそれを見ましたが
知らないふりをして橋のまん中を通って行きま
した。その家の主人はこれを見ていましたが、
一休の顔を見るやいなや、「あなたは、渡るなと
あるあのはしを、なぜお渡りになりました。」と

≪p078≫
問いつめました。すると一休は平氣で、「私はは
しは渡らない。まん中を渡って來た。」と答えま
したので、その主人もあいた口がふさがらなかっ
たとゆうことです。
第二十四課 捕鯨{ほげい}船
昨夜の風雨はなごりなくおさまったが、海面
にはまだ波のうねりが高い。一そうの捕鯨{ほげい}船が、
勇ましく波を切って進んで行く。マストの上の
見張人が不意に、
「鯨{くじら}、鯨{くじら}。」

≪p079≫
と聲高くさけんで、北の方を指さした。
かんぱんに立っていた船長を始め十人ばかり
の乗組員は、ひとしく目をその方向に向けた。
はるかのあなたに白い水煙が見える。
砲手{ほうしゅ}の落ちついた力のこもったごうれいに、
船ははや方向をかえた。砲手{ほうしゅ}はその時早く船首
の砲{ほう}後に立って、その引金に手をかけた。右に
左に鯨{くじら}を追いつゝ、五六十ヤードまで近ずい
た時、ねらいを定めてずどんと一發、はれつや
をしかけたもりを打つ。もう〳〵と立ちこめる

≪p080≫
白煙の間から見ると、すさま
じい波を起して、鯨{くじら}は海ぞこ
深く沈んだ。
「命中、々々。」
一同はかんこの聲をあげた。
もりが体内に深くくいこんで、
はれつやが見事にはれつした
のであろう。もりにつけた長いつなはぐん〳〵
引張られて、三百ヤードばかりもくり出された。
やがて鯨{くじら}はふたゝびはるかかなたに浮かび上っ

≪p081≫
た。今までいきおいよ
く引出されていたつな
も、やゝゆるんで來た。
つなを次第々々にくり
もどすと、鯨{くじら}は刻{こく}一|刻{こく}
船に近よって來る。し
かしまだなか〳〵いき
おいが強いので、つな
を巻いてはのばし、の
ばしては巻いて、氣長

≪p082≫
くあしらっているうちに、さすがの鯨{くじら}も次第に
弱って、船から五十ヤードぐらいのところま
で引きよせられた。その時、二番もりが打出され
た。六十フィートもある大|鯨{くじら}が今はまったくい
きたえて、小山のような体を水面に横たえる。
あたりには流れ出る血に、くれないの波がたゞ
よう。
「万歳、々々。」
船員は手早く鯨{くじら}の尾をくさりで船ばたにつな
いで、いきおいよくこんきょ地に引上げる。

≪p083≫
第二十五課 勇ましい少女
イギリスの東海岸にロングストーンとゆう島
があります。その一角にそびえている燈臺{とうだい}に、
年をとった燈臺守{とうだいもり}が妻と娘と三人でさびしくそ
の日を送っていました。波風の外には友とする
ものもないこの島で、老夫婦のなぐさめとなる
ものは、氣だてのやさしい一人娘のグレース、ダ
ーリングでありました。
ある秋の夜の事です。一そうの船がにわかの
あらしにおそわれて、この島に近い岩に乗上げ

≪p084≫
ました。船は二つにくだけて、その半分は見る
見る大波にさらわれてしまいました。岩の上に
殘った船体には十人ばかりの船員がすがりつい
て、聲をかぎりにすくいをもとめましたが、何
のかいもありませんでした。
夜がほの〴〵と明けたころ、荒れくるう海上
を見渡したグレース親子は、ふとはるか向うの
沖合にかの難破{なんば}船を見とめました。娘はおどろ
いて、
「まあかわいそうに。おとうさん早く助けに行

≪p085≫
きましょう。早く〳〵。」
「あの大波をごらん。かわいそうだがとてもす
くえない。」
「私はどうしても人の死ぬのをじっと見てはい
られません。さあ、行きましょう。命をすて
てかゝったらすくえないことはありますまい。」
娘のけなげな言葉に父もはげまされて、二人
は急いでボートを出す用意に取りかゝりました。
しばらくしてボートは岸をはなれました。打
返すいそ波に巻込まれたかと思えば、たちまち

≪p086≫
大波にゆり上げ、ゆり下げら
れながら沖へ〳〵とつき進み
ました。親子は死力をつくし
てこぎました。岩の附{ふ}近は波
がいよ〳〵荒れくるって、打
ちよせる大波、打返すさか波、
ボートはあやうく岩に打ちつ
けられようとしたことが幾度
あったか知れません。
かろうじてボートをかの難

≪p087≫
破{なんぱ}船にこぎ着けました。父がつかれはてた船員
を助けてボートの中にうつす。この間、岩にも
あてず、波にも流されず、岩と波との間にボー
トをあやつっていた少女の働はとても人間わざ
とは見えませんでした。
やがて二人はまたあらんかぎりの力を出して
ふたゝび荒波を切りぬけ、燈臺{とうだい}に歸り着きまし
た。
二日たって天氣も晴れ波もおさまりました。
グレースのま心こめた看護{かんご}によって、まったく

≪p088≫
元氣を回復{かいふく}した船員らは、涙を流して親子に禮
をのべ、なごりをおしんでこの島をさりました。
今まで人にも知られなかった燈臺守{とうだいもり}の娘グレ
ース、ダーリングの名は、ほどなく國の内外につ
たわり、この勇ましい行は、歌に歌われ、その
肖像画{しょうぞうが}はいたるところの店頭にかざられました。
グレース、ダーリングの生家にほど近い寺の庭
には、右手にオールを持った少女の銅|像{ぞう}があり
ます。そうしてながくこの勇ましいやさしい昔
の物語を語っています。

≪p089≫
第二十六課 キャプテンクック
布哇{ハワイ}島の發見者ゼームス、クックは、イギリス
のヨークシャイヤの貧しい農家に生まれました。
はじめの中は小間物屋や靴屋にほうこうしまし
たが、數年の間船乗をしている中に、一通りの
航海|術{じゅつ}を覺えて、二十八歳の時海軍の軍人にな
りました。その後十年間はニューファウンドラン
ドの海岸や、アメリカのセント、ローレンス川の
そくりょうをしましたが、その間に、數學その
外航海家としてのちしきを十分にたくわえまし

≪p090≫
た。
クックは前後三回にわたって名高い航海をし
ました。第一回は、金星を太平洋でかんそくす
るとゆうにんむをおびて、一千七百六十八年に
航海の途{と}に上りました。翌年四月には夕ヒチ島
に着いて金星をかんそくし、その歸途{きと}はじめて
ニュージーランドをめぐりました。それからオ
ーストラリヤとニューギニヤの海|峽{きょう}を通ってこ
の二つがべつな島であることをたしかめました。
喜望峯{きぼうほう}をまわって無事イギリスへ歸ったのは一

≪p091≫
千七百七十一年です。
翌年にはオーストラリヤが北方へどのくらい
のびておるかを調べる目的で、第二回の航海の
途{と}に上りました。ふたゝびタヒチ島をとい、ニュ
ーヘブリデスをたんけんし、ニューカレドニヤお
よび多くの群{ぐん}島を發見しました。かくてオース
トラリヤの大きさを調|査{さ}して、一千七百七十五
年にイギリスヘ歸りました。すると翌年、今度
は太平洋からアメリカの北海岸をまわる航|路{ろ}を
發見する役を命ぜられました。そこでタスマニ

≪p092≫
ヤおよびニュージーランドをとい、太平洋の島
島をまわって、一千七百七十八年のはじめごろ、
北アメリカの西海岸へ向って進んでいる時、ふ
と布哇{ハワイ}|群{ぐん}島中の加哇{カウアイ}島を發見しました。それか
らニイハウ島やオアフ島へ參りましたが、土人
からはよいもてなしを受けました。クックはア
メリカの北海岸をまわる航|路{ろ}を發見しようと北
へ進みましたが、次の夏まで暖い地方で暮そ
うと、ふたゝび布哇{ハワイ}|群{ぐん}島に着きました。そうし
て一千七百七十九年のはじめには、布哇{ハワイ}島のケ

≪p093≫
アラケクア灣{わん}にいかりを下したのです。こゝで
クックは神様でも迎えるようなもてなしを受け
ました。その中に土人の様子{ようす}がにわかにかわっ
て來ました。
土人はクック
らをほんとう
の神様と信じ
ていたのでしょう。ところが船員の中から病人
が出たのを見て、うやまう心がうすらいだらし
いのです。

≪p094≫
ある日、土人が船へしのび込んで物を盗んで
行きましたから、クックはそれを取りもどそう
と上陸しますと、急に土人が集ってとう〳〵クッ
クを殺してしまいました。それは一千七百七十
九年の二月十四日のことでした。船員らはクッ
クの死体の一部分をうばい返してほうむりまし
た。クックのたおれた場所にきねんひが立った
のはそれから百年ほど後のことです。
第二十七課 一日
(一)

≪p095≫
朝の氣こもる森の中、
さえずるマイナ聲高く、
花のか送るそよ風に
枝をこぼるゝつゆの玉。
(二)
サボテンの木のはてもなく、
おかよりつずく雲のみね。
緑おうえるバンヤンの
かげに休ろう人と牛。
(三)

≪p096≫
きびのはたけに日は落ちて、
夕立の雨一しきり、
晴るゝ雲間に月見えて、
空にかゞやく夜のにじ。
第二十八課 大岡{おうおか}さばき
ごふく屋の手代が、大きなふろしき包を石じ
ぞうの前に下して休みましたが、よほどつかれ
ていたものと見えて、いつの間にかぐっすり寢
込んでしまいました。
目をさまして見ると、ふろしき包がありませ

≪p097≫
ん。包の中には白|木綿{もめん}が五十反ばかりはいって
いたのでございます。おどろいてあたりをさが
しても見當らず、近所の人にきいても知らぬと
申します。困って町|奉行{ぶぎょう}へうったえて出ました。
時の町|奉行{ぶぎょう}は名高い大岡越前守{おうおかえちぜんのかみ}で、
「その方の申す所では、どうやらそのじぞうが
うたがわしい、めしとってぎんみをしよう。」
と言って、下役の者に石じぞうをしばって來る
ように命じました。下役の者が石じぞうに荒な
わをかけて車に積んで參ります。物見高いは江

≪p098≫
戸{えど}のくせで、
「何だ、何だ。」
「じぞう様がなわにかゝっていらっしゃる。」
「これは、めずらしい。じぞう様でも惡いこと
をなさったと見える。」
などと言って、四五百人の者がぞろ〳〵と車の
後について、思わず知らず役所の門内へ入込み
ました。
越前守{えちぜんのかみ}はさっそく門をしめさせて、見物人一
同の所名前を書取らせ、さておごそかに、

≪p099≫
「こゝは天下の役所なるに、許しもなくて亂入{らんにゅう}
するとはふとゞきしごく。もはやかえすこと
は相成らぬ。」
と申し渡しました。一同はおどろいて、泣くや
らなげくやら、大さわぎでございます。しばら
くして、その中のおも立った者が出て、いろい
ろおわびをしますと、越前守{えちぜんのかみ}は
「しからば許してつかわすであろうが、その代
りと致して、白|木綿{もめん}を一反ずつ、名ふだを着
けて、三日の間に間違なく持參{じさん}致せ。」

≪p100≫
と命じました。
三日の間に一同は白|木綿{もめん}を一反ずつ持って參
りました。越前守{えちぜんのかみ}はごふく屋の手代を呼出して
その中に盜まれた品の有り無しを調べさせまし
た。するとその中に二反ありました。そこでそ
の反物を出した者を呼出して買先をたゞし、そ
れからそれと調べましたので、とう〳〵罪人{ざいにん}が
分りました。
越前守{えちぜんのかみ}はふたゝび一同を呼出して、先におさ
めさせた白|木綿{もめん}を返し、ついでに石じぞうをも

≪p101≫
との所へもどしたと申します。
第二十九課 少女ノ貯金
アル村ノ貧シイ農家ニ、タネトユウ少女ガア
リマシタ。毎朝早ク起キ町ニ出テ花ヲ賣ッテイ
マシタ。ソノ花ハ我ガ家ノ畠ニ作ッタモノカ、
マタハ自分ガ野山カラ取ッテ來タモノデアリマ
ス。タネガ美シイ聲ヲハリ上ゲテ、「花ヤ、花ヤ。」
ト賣歩ク時、町ノ人ハ爭ッテ買取リマシタ。ソ
レハ人々ガコノ少女ノ善イ行ヲ知ッテイタカラ
デアリマス。ソウシテタネガモウケタ錢デ家ノ

≪p102≫
暮シヲ助ケル事ヤ、花ヲ賣終エテ後學校へ通ウ
事ナドマデモ知ッテイタカラデアリマス。
タネハ日々モウケタ錢ノ幾分ヲバ不時ノ用意
ニトテ貯金シマシタ。チリ積ッテ山トナルタト
エ、ワズカズツノ貯金モ、イツカ一カドノ金高
トナリマシタ。アル年ノ秋、末ノ弟ガ病氣ニカ
カッタ時、タネハソノ貯金ヲ出シテ弟ヲ醫者ニ
カケ、氣長ク養生サセマシタカラ、弟ノ病モナ
オリマシタ。父母モコレハ皆オ前ノ力ダトイッ
テタネニ禮ヲ言イマシタ。

≪p103≫
タネハ二三年前學校ヲ終エマシタガ、毎朝花
ヲ賣歩クコトハ今モ昔ニカワラナイトユウコト
デアリマス。
第三十課 病氣見まい
一昨日から御出校が無いのでどうなさっ
たかと、級{きゅう}中の者一同心配しておりま
したところ、けさ御病氣と聞きまして、
皆驚きました。日ごろけんこうな君の
ことですから、その中にぜんかいせら
れることと存じますが、教場に運動場

≪p104≫
に、元氣な君のすがたの見えないのは
何となく物さびしくて、一同氣拔けが
したようです。十分御養生の上、一日
も早く御出校のほどを願います。いず
れ明後日の日曜日には、御たずね致し
ます。この繪は裏の庭に咲いた草花を
私がしゃせいしたのです。御笑草まで
に。
三月一日 上野一郎
林清一君

≪p105≫
同じく返事
さっそく御見まい下さいましてまこと
に有りがとう存じます。日ごろのじょう
ぶにほこって母の止めるのもきかず、
くだ物を食いすごしたための病氣です。
まったく不孝のばちと、こうかい致し
ております。しかし幸にも今日は少し
もいたみませんから、この様子{ようす}ならば
土曜日までにはぜんかいするだろうと
思います。どうぞ御あんじ下さいます

≪p106≫
な。
御自作のしゃせい畫は見事で、母も感
心致しました。さようなら。
三月二日 林清一
上野一郎様
第三十一課 養生
「病は口より入る。」と言うことわざもあるほど
で、つゝしまなければならないのは飲食であり
ます。おいしいからと言って、飲過ぎたり、食
過ぎたりしてはなりません。また食物はよくか

≪p107≫
みこなすがよい。八十歳をこえても病氣を知ら
ないある老人に、長生の仕方を聞きましたら、
「やわらかな物でも二十七度かめ。」と答えたと言
います。
よくない水を飲み、あるいは、じゅくさないく
だ物や、なまにえの肉や、古い魚などを食べて、
恐しい病氣にかゝる者が多いようです。さけや
たばこの害は今さら言うまでもありません。
不|潔{けつ}もまた病氣の種となります。度々入浴し
て、体を清|潔{けつ}にするがよい。きたない手で目を

≪p108≫
こすり、このために眼{がん}病にかゝることも珍しく
ありません。着物もふだんよく洗って、住居も
なるべくきれいにそうじするがよい。心持のよ
いだけでも、けんこうをたもつ助となりましょ
う。
運動は食物のこなれをよくし、血行を盛にし、
身体のはったつを助け、氣分をさわやかにさせ
ます。ふだん無病で醫者にかゝったことのない
人があります。この人に平生の心えを聞きます
と、「私は天氣に相談しないで、毎日運動をしま

≪p109≫
すから、醫者にも相談するひつようがないので
す。」と言いました。けれども運動をし過ぎます
と、かえって病氣になることがあります。「過ぎ
たるはおよばざるがごとし。」と言うことわざも
あります。
身体のつかれをなおすにはよく眠るにこした
ことはありません。とこにはいって後も讀書を
したり談話をしたりするのは、惡いことである
から、出來るだけこれを止めるがよい。また
「夜半十二時前一時間の眠は、十二時後二時間の

≪p110≫
眠にまさる。」とさえ言われています。早く寢て
早く起きるがよろしい。
空氣の大切なことも食物におとりません。ふ
だん新しい空氣をこきゅうすることを心がける
がよい。とじた室内にはよごれた空氣がこもっ
ているから、時々まどを明けはなって、新しい
空氣を流通させるがよい。人の多い都會に住む
者は時々野外に出て、木{こ}立の多い公園などをさ
んぽすることが大切です。
日光もまたけんこうをたもつに大へん大切な

≪p111≫
ものであります。日光に浴することの少い人は、
色が青ざめて元氣がありません。家を建てるに
も日當りのよい所をえらび、夜具や着物の類は
時々日にさらすがよい。ことわざにも、「よく日
光の見まう家には、醫者は見まわぬ。」といって
います。
きりつの正しい生活をすることもまたひつよ
うであります。飲食や、すいみんなどはことに
不きりつに流れやすいものでありますから、もっ
とも注意しなければなりません。

≪p112≫
人がもし飲食をつゝしみ、身体の清|潔{けつ}をたも
ち、てきどの運動をおこたらないで、よく眠り、
新しい空氣をすい、日光に浴し、つねにきりつ
正しい生活をしたならば、けんこうをたもって、
樂しい一生を送ることが出來ます。
第三十二課 小島|蕉園{しょうえん}
昔|江戸{えど}の小島|蕉園{しょうえん}とゆう人が、役人となって
甲斐{かいの}國へ行きました。甲斐{かい}は人情が荒々しくて
治めにくいとゆうひょうばんの國でした。蕉園{しょうえん}
は一から十まで人民のりえきになる事を心がけ

≪p113≫
て、公平無私に治めました。人民はいつか蕉園{しょうえ}
の徳になついてその國の人情もあらたまり、惡
い風習もだん〳〵と直りました。數年の後|蕉園{しょうえん}
は役人を止めて江戸{えど}へ歸り醫を業としましたが、
思うようなしゅうにゅうがありませんから、貧
しい暮しをしていました。そんな中でも一人の
老母には出來るだけの孝養をつくしていました。
甲斐{かい}の人々は、この事を聞いて前年の恩義に
むくいねばならぬと、三人のそうだいをえらび、
金子百兩を持たせ、江戸{えど}へ上らせて蕉園{しょうえん}の家を

≪p114≫
たずねさせました。あいにく蕉園{しょうえん}はるすでした
から、そうだいの者は金を老母にあずけて宿へ
歸りました。
あくる日、ふたゝび蕉園{しょうえん}の家をおとずれます
と、蕉園{しょうえん}は喜んで出迎え、何くれともてなして、
さて昨日母のあずかった金子を取出して言いま
すには、「皆様の御親切に對しては申し上げる言
葉もありません。しかしこの金子はどうか御持
歸りを願います。私が先年御國のために致した
事は役人としてのつとめで致したので、けっし

≪p115≫
て私人として致したのではありません。私は今
貧しく暮してはいますが、きまった職業もある
身分ですからどうか御心配下さらぬように。」と
理を正してじたいしました。これを聞いてそう
だいの者はいろ〳〵とすゝめましたが、蕉園{しょうえん}の
けっしんのかたいのを見て、あつく禮をのべて
國へ歸り、一同にその事をつたえました。
間もなく蕉園{しょうえん}が死んだと聞いた時には、甲斐{かい}
の人々は父母にわかれたように悲しみました。
そうしてながくその恩を忘れないために、前の

≪p116≫
金で蕉園{しょうえん}の社を建てて祭ったと申します。いつ
の世にもこうゆう心がけの人が多く居なければ
なりません。
第三十三課 カメハメハ大王
皆さんはホノルヽ市キング街のせいちょうの
前の大きな銅|像{ぞう}を見たことがありましょう。あれ
が昔の布哇王カメハメハ一世の銅|像{ぞう}であります。
カメハメハは、一千七百三十九年に布哇島コ
ハラの酋{しゅう}長の家に生まれました。かれは成長す
るにしたがって力が強く、大たんで、すもうが

≪p117≫
強く、なげやりなども大へんに上手でございま
した。はじめは農業を好み、みずから土地をた
がやし、かんしゃ・タロなどを作って土民にも農
業をすゝめま
した。
このころの
布哇は各島に
王があり、そ
の下にあまたの酋{しゅう}長があってたがいに相爭い、
戰爭のたえ間はありませんでした。カメハメハ

≪p118≫
は伯父{おじ}カラニオブ王にしたがい、所々の戰爭に
出ててがらを立てましたが、そのころから布哇
全島をとう一しようとゆうこゝろざしを起し、
まず布哇島の諸|酋{しゅう}長をしたがえ、馬哇{マウイ}島に渡っ
て馬哇{マウイ}王カエキリとイアオ谷にはげしく戰って、
とう〳〵これを破りました。
一千七百九十五年には、大軍をひきいて、オ
アフ島に上陸し、オアフ王カラニプヽレと叛{はん}將
カイアナとのれんごう軍と、ヌアヌパリに戰っ
てこれをぜんめつさせました。ついで加哇{カウアイ}王カ

≪p119≫
ウムアリは、カメハメハのいきおいの強いのを
見てこうさんしましたので、布哇全島はまった
くとう一されました。
カメハメハは永年ののぞみをたっしましたの
で、これから大いにせいどをとゝのえ、農業を
すゝめて國のさかえをはかりました。
カメハメハは後に布哇島カイルアにうつり、
一千八百十九年に八十二歳でなくなりましたが、
はじめて布哇をとう一したえいゆうですから、
今でもカメハメハ大王と言って其の名が世に聞

≪p120≫
えています。
第三十四課 ワザクラベ
昔、百濟{クダラノ}川成トユウ繪カキト、飛驒工{ヒダノタクミ}トユウ
大工ガアッテ、ソノ名ガドチラモ世ニ聞エテイ
マシタ。アル日|工{タクミ}ガ川成ニ向ッテ、
「コノゴロ小サイ堂ヲ建テマシタ。四方ノカベ
ニ繪ヲカイテ下サイ。」
ト言イマシタ。
川成ガ行ッテ見マスト、小サイ四角四面ノ堂
ガアッテ、四方ノ戸ガミンナ開イテイマス。工{タクミ}

≪p121≫

「ハイッテゴランナサイ。」
ト言イマスカラ、川成ハ何
心ナク堂ニ近ズイテ、南ノ
口カラハイロウトシマスト、
ソノ戸ガバッタリトシマル。
驚イテ西ノ口カラハイロウ
トシマスト、ソノ戸ガマタ
シマッテ、南ノ戸ガ開ク。
北ヘマワルト、北ノ戸ガシ

≪p122≫
マッテ、西ノ戸ガ開キ、東ヘマワルト、東ノ戸
ガシマッテ、北ノ戸ガ開ク。幾度モマワリマシ
タケレドモ、ハイルコトガ出來マセン。ソバニ
イタ工{タクミ}ハ大聲ヲアゲテ笑イマシタ。川成ハ口オ
シク思イマシタケレドモ、仕方ガアリマセン。
ソノマヽ家ニ歸リマシタ。
四五日タッテ、川成ノ方カラ
「私ノ家ヘオイデ下サイ。オ見セ申シタイ物ガ
アリマス。」
ト言ッテ來マシタ。工{タクミ}ハコノ間ノ仕返シヲスル

≪p123≫
ノダロウト思イナガラ行ッテ見マスト、川成ハ
外ノ人ニ、
「サア、オハイリナサイ。」
ト言ワセマシタ。工{タクミ}ガハイロウトシマスト、内
ニハ黒ブクレニナッテクサッテイル死人ガ横タ
ワッテ、クサイコトハ鼻ヲツクヨウデス。工{タクミ}ハ
驚イテ、アット聲ヲ立テテ逃出シマスト、川成
八戸ヲ明ケテ、
「私ハコヽニ居マス。ナゼ、オハイリナサイマ
センカ。」

≪p124≫
ト言ッテ、大笑ヲシマシタ。工{タクミ}ハ恐ル〳〵近ヨッ
テヨク見マスト、マア、驚キマシタ。死人ト見
エタノハ、フスマニカイテアル繪デアッタトユ
ウコトデス。
第三十五課 千早城
楠木{くすのき}正成がまもった千早城は、けわしい金剛
山{こんごうざん}上にはあるが、まわりが一|里{り}にも足らず、そ
うぜいわずか千人ばかり。これをかこんだぞく
は百萬|騎{き}とゆう大軍で、城の四方二三|里{り}の間は
人や馬でふさがった。

≪p125≫
こんな山城一つ、何ほどの事があるものかと、
ぞくが城の門まで攻上ると、城のやぐらから大
きな石を投落して、ぞくのさわぐ所をさん〴〵
に射{い}た。ぞくは坂からころげ落ちて、たちまち
五六千人も死んだ。
これにこりて、ぞくは城の水をたやして苦し
めようとはかった。まず谷川のほとりに三千人
の番兵をおいて、城兵がくみに來られないよう
にした。城中には十分水の用意がしてあった。
二日たっても三日たってもくみに來ない。番兵

≪p126≫
がゆだんをしていると、城兵が切りこんで來て、
旗をうばって引上げた。
正成はこの旗を城門に立てて、さん〴〵にぞ
くの惡口を言わせた。ぞくがこれを聞いて、く
やしがって攻めよせると、正成は高いがけの上
から大木を落させた。そうして、これをよけよ
うとしてぞくのさわぐ所を射{い}させて、また〳〵
五千人あまりも殺した。この上はひょうろう攻
めにしようと思って、ぞくは城へ攻めよせない
ことにした。

≪p127≫
ある朝、夜明ごろ、城中からうって出て、どっ
とときの聲をあげた。ぞくは「それ、敵が出た。
一|騎{き}もあますな。」とおしよせた。城兵はさっと
引上げたが、二三十人はふみとゞまった。ぞく
が四方からこれを目がけておしよせると、城か
ら大石を四五十、一度に落したので、また何百
人か殺された。ふみとゞまっていたのは、みん
なわら人形であった。ぞくはうまくはかられた
のである。
もうこの上は、しゃにむに攻落そうとゆうの

≪p128≫
で、ぞくは大きなはしごを作って、これを城のほ
りに渡して橋にした。はゞが一|丈{じょう}五|尺{しゃく}、長さが
二十|丈{じょう}、その上をぞくが我先に渡った。今度こ
そは千早城もあやうく見えた。すると正成はい
つの間に用意しておいたか、たくさんなたいま
つを出して、これに火をつけて、橋の上に投げ
させた。そうしてその上へ油をふりかけさせた。
橋はまん中からもえ切れて、谷そこへどうと落
ちた。またぞくは何千人か死傷した。
ぞくは千早城一つを持てあましていると、方

≪p129≫
方で官軍がぞくのひょうろう道をふさいだので、
ぞくは人馬ともにつかれた。百|騎{き}逃げ、二百|騎{き}
逃げして、はじめ百万|騎{き}といったぞくも、しま
いには十万|騎{き}にへり、前後から官軍にうたれて、
殘少になってしりぞいた。
正成は實にえらい人である。
第三十六課 老社長 (一)
僕は今日學校から歸るとすぐ、おとうさんの
お手紙を持って、精米會社へお使に行って來まし
た。會社では、幾だいもある精米|機械{きかい}が電力で

≪p130≫
いきおいよくまわり、四五人の若い人々がぬか
だらけになって、働いていました。社長さんは
よほどの年よりらしいが、にこ〳〵している元
氣な方です。僕は何となくえらそうな人だと思
いました。
お返事をお渡しした後で、おとうさんに
「あの精米會社の社長さんはえらい方なんでしょ
う。」
と言うと、おとうさんは
「お前にもそう見えるかね。」

≪p131≫
とおっしゃって、あの方の小さい時分からのお
話をして下さいました。
「あの社長さんがこの町へ奉公に來たのは、ちょ
うどお前と同じ十二の年だったそうだ。主人
の家が大きなしょうゆ屋だったので、はじめ
は近|在{ざい}の小賣店へ、毎日々々、降っても照っ
ても、おろしに歩きまわったものだそうだが、
そのつらさはとてもお前たちには分るもので
はない。十年あまりもしんぼうして、ようよ
う一人前の番頭になり、それから又長い間ま

≪p132≫
じめにつとめて、三十ぐらいの時、長い年月
の貯金と主人からもらった金をもとでにして、
小さい米屋を始めた。
さて商賣を始めると、あの人ならとゆう信用
はあるし、それにわき目もふらずに働くので、
店はだん〳〵はんじょうして、十年もたゝぬ
中に、町でも指おりのざいさん家となった。
そうして人々におされて、町の銀行の頭取に
なった。それはわたしの十五六の時分だった
ろう。うちのおじいさんはあの人とは前から

≪p133≫
友だちだったので、よくその話をしては大へ
んほめていらっしゃったものだ。」
「ほんとうにえらい人ですね。」
「いや、これから先があの人のほんとうにえら
い所だ。」
とおとうさんはおっしゃいました。
第三十七課 老社長 (二)
おとうさんはすぐ言葉をついで、
「社長さんが銀行の頭取になってからちょうど
十年めの秋、いろ〳〵の手違から、銀行がは

≪p134≫
さんしなければならぬことになった。世間に
はこんな場合に、なるたけ自分のわりまえを
輕くしようとする者もあるが、あの人は反對
に、少しでも他人のわりまえを輕くしようと
して、自分のざいさんを殘らずさし出した。
そうして全く無一物になって、親子三人町は
ずれの裏長屋にうつってしまった。けれども
社長さんは、それを少しも苦にしないで、『な
あに、もう一度出直すのです。』と言って、笑っ
ていた。

≪p135≫
社長さんはさっそく荷車を一だい借りて來て、
しょうゆのはかり賣を始めた。町の人々はこ
れを見かねて、『そんな事までなさらなくても。』
と言って、もとでを出そうとする者もあった
が、社長さんは、『自分の力でやれる所までやっ
てみます。』と言って、夜を日についで働いた。
人々の同情は集っているし、商賣の仕方は十
分心得ているので、朝引いて出た荷が、夕方
には皆賣れてしまうとゆう有様。それにあの
人のことだから、けっしてあせらず、一けん

≪p136≫
二けんととくい先をまして行って、後には表
通へ店を出すまでになった。それからだんだ
ん商賣の手を廣げて、六十五六の時にはもう
よほどのざいさんが出來た。そこで間もなく
片手間に精米所を始め、おい〳〵に大きくし
て、あんなりっぱな會社にしたのだ。全くあ
んな人は珍しい。」
とお話しになりました。僕は今日そのえらい社
長さんにあって來たのだと思うと、何となくう
れしい氣がした。

≪p137≫
第三十八課 何事も精神
のきより落つる雨だれの
たえず休まず打つ時は、
石にも穴をうがつなり。
我らは人と生まれ來て、
一たん心さだめては、
事に動かず、さそわれず、
はげみ進むに何事か
など成らざらん。鐵石の
かたきもついに通すべし。

≪p138≫
小さきありもいそしめば、
とうをもきずき、つばめさえ
千|里{り}の波を渡るなり。
ましてや人と生まれ來て、
一たん目あてさだめては、
わき目もふらず、おこたらず、
ふるい進むに何事か
など成らざらん。ばんじゃくの
重きもついにうつすべし。

≪p139≫
第三十九課 日本
アジヤ洲{しゅう}の東方、北は千島から南は琉球{りゅうきゅう}|臺灣{たいわん}
までくさりのような形につらなっている島々と、
アジヤ洲{しゅう}の東方につき出ている朝鮮{ちょうせん}半島と、樺
太{からふと}の南半分とが日本のりょう土です。島の中で
大きいのは本州・四國・九州・北海道・臺灣{たいわん}、小さいの
は千島・琉球{りゅうきゅう}などで、人の住んでいる島の數は、
そうたいで五百近くもあります。人口は八千万
人と申します。時候のもっともよいのは、櫻の
花の咲く四月および五月の春の時分と、十月・十

≪p140≫
一月のもみじの美しい秋
の頃です。
米は四月に種をまき、
六月に苗{なえ}を植えて、十月
頃にかり取ります。くだ
物の木は、大てい春に花
が咲いて秋にみのります。
年中雨はずいぶん多うご
ざいますが、冬は寒くて
雪が降ります。しかし夏

≪p141≫
はかなり暑うございます。
日本はけしきのよい國です。山のけしきも海
のけしきも、美しゅうございます。山には松・杉・
ひのきなどがたくさんにしげっています。海岸
はどこへ行っても面白い枝ぶりの松の木があっ
て、よいけしきです。
日本は古い國で、神武{じんむ}天皇が御位におつきに
なってから二千五百八十年あまりになります。
今の天皇陛下は神武{じんむ}天皇から百二十四代目の天
皇でいらせられます。天皇陛下の御すまいになっ

≪p142≫
ている都は東京です。
第四十課 小話
(一)
引力のほうそくを發見したイギリスの理學者
ニュートンは、學術のけんきゅうにねっしんな
あまり、時々ふだんの事がらに物忘れをするく
せがありました。ある日、いつもの通り室内で
書物を調べていますと、女中が朝飯の用意をし
ようと思って、生卵となべを持って來ました。
ニュートンは、「自分でにるからそこへ置いて

≪p143≫
行け。」と言いました。少したって女中が來て見
ると、これはしたり、卵は机の上に殘って、な
べの中ではかいちゅうどけいがくた〳〵とにえ
かえっていました。
(二)
煙草を始めてヨーロッパに持って來たのはイ
ギリスのぼうけん家サーウオルターラレーであ
ります。ある日、ラレーが室内で煙草をすって
いますと、ちょうどこの時、戸を明けて下男が
はいって來ました。見ると、室内は煙が一ぱい

≪p144≫
で、主人の頭からは白煙が立上っています。下
男は驚いて、あわててバケツの水をラレーの頭
からあびせかけました。
第四十一課 國旗
空にひら〳〵ひるがえっている國旗は、一つ
の布きれであります。けれどもこれは國のしる
しであって、その一つ〳〵が皆意|味{み}を持ってい
るのです。この米國々旗をごらんなさい。横に
は、赤と白との十三本のすじが、一つおきにな
らんでおります。左手の上のすみには、四角な

≪p145≫
あい色の地に、白い星が四十八あります。
白い色は清いことをあらわし、
赤い色は勇氣をあらわし、
あい色は正しいことをしめしております。
十三本のすじは、アメリカがイギリスから獨{どく}
立する時、一しょに戰った州の數で、四十八
の白い星は、今のアメリカ合衆{がっしゅう}國を成してい
る州の數を、あらわしたものであります。
州はもとは十三でありましたが、これに加わ
る州の數のふえる度に、それだけ星の數もまし

≪p146≫
て、今ではこんなにたくさんになりました。
この國旗をはじめて造った人はベーチロッス
とゆう婦人で、ワシントンなどのたのみを受け
て造ったものです。そうしてアメリカの國旗と
して用いられるようになったのは、一千七百七
十七年六月十四日でありました。
國旗は私たちを守ってくれます。この國旗の
ひるがえる所では、私たちは幸福に暮して行く
ことが出來ます。それゆえ皆さんは國旗を貴び、
けっしてそまつに取りあつかってはなりません。

≪p147≫
地につけたり破れたまゝ用いたりすることは、
けっしてしてはいけません。ぎょうれつのおり
など、國旗の通る時は、立止まりぼうしをとっ
て敬禮をせねばなりません。アメリカの市民は
國旗に對して次のようにちかっています。
私たちの國は、たれに對しても自由でかつ正
しく、一つにむすんでけっしてとけることの
ない貴い國であります。私たちはこの國と、
この國をあらわす國旗に對し、忠義をつくす
ことをかたくちかっています。

≪p148≫
皆さんは自分の國旗を大切にするように、外
國の國旗に對しても、無禮なことのないように
注意せねばなりません。
第四十二課 母の日
五月の第二の日曜日には、白いせきちくの花
をむねにつけたり、えりにかざったりして樂し
げに歩いている若い人々を市中で見受けます。
この日は母の恩愛を思って感|謝{しゃ}をさゝげる日で
す。白いせきちくは母の愛をかたどる花です。
この日には家をはなれている者は、かならず母

≪p149≫
のもとへ手紙を出すことになっています。
米國では、今から十年ほど前フィラデルフィ
ヤのアンナジャーキスとゆう婦人が始めてとな
え出して、今日ではほとんど全國にわたって行
われ、布哇でも盛に行われるのです、イギリス
ではこれが二百年も前から行われています。そ
の頃はイギリスにも學校が少くて、生徒は大て
い兩親のもとをはなれて學校の生活をしなけれ
ばなりませんでしたから、これらの生徒や奉公
に出ている者などのために、一年に一日、この

≪p150≫
日を定めてなつかしい兩親にあわせたのです。
この日に子供らは小さな菓子の手みやげを持っ
て家に歸ります。兩親はまたごちそうをこしら
えて、子供たちをもてなしたとゆうことです。
この風習から、今日の母の日が起ったと申しま
す。
日本でも一月と七月との十五日・十六日には、
やぶ入りといって奉公に出ている者が兩親にあ
いに行く風習が昔からずっとつずいています。
第四十三課 出産の知らせ

≪p151≫
御うちでは皆さん御さわりもございま
せんか。こちらでも一同たっしゃです
から御安心下さい。先日申し上げてお
きました通り、山田のねえさんは御産
のため、先日から、うちへ來ておられ
ましたが、昨日午後四時安産、かわい
らしい男の子が生まれました。ねえさ
んも赤ちゃんも丈夫で、赤ちゃんは大
きな聲で泣いています。皆さんが大そ
うな御喜です。何と名をつけようかと

≪p152≫
山田のおじいさんが考えておられます。
きまったら御知らせします。
五月十日 福三郎
兄上様
同じく返事
十日ずけの手紙が今着いた。今年は春
から、御めでたい事ばかりつずくね。
二月はおばあさんの六十一の御祝、四
月は小林のお千代さんのおよめ入、今
度はまたおつるが赤ちゃんを産んで、

≪p153≫
まことにうれしい。おとうさんや、お
かあさんの御喜の顔が目に見えるよう
だ。お前ももう二人のおじさんになっ
たのだから、一そうおとなしくしなけ
ればならないよ。
五月十三日 兄より
福三郎どの
第四十四課 日本一の物
日本一の高山は臺灣{たいわん}の新高{にいたか}山である。その高
さは一万二千九百五十九フィートであって、富

≪p154≫
士山より高いことがおよそ六百フィートである。
しかし富士山は四時雪をいたゞいて、白いおう
ぎをさかさまにかけた様な、そのすがたの美し
さは、日本一の山であるばかりか、世界第一の
名山とも言えよう。
日本一の湖は近江{おうみ}の琵琶{びわ}湖で、どちらから見
ても山にさえぎられ、かすみにへだてられてそ
の全|景{けい}を見ることが出來ない。近江{おうみ}一國の川は
皆この湖にはいって大阪{おうさか}で海にそゝぐ。
日本一の長流は朝鮮{ちょうせん}の鴨緑江{おうりょっこう}で、その長さは

≪p155≫
およそ四百マイル、この川にかゝっている鐵橋
も日本第一の長い橋である。
日本一の古いけんちく物で今に殘っているの
は大和{やまと}の法隆{ほうりゅう}寺である。日本の建物はたいてい
木造であるから、古い社や寺など昔のまゝ今に
殘っているのははなはだ少い。けれどもこの寺
は今から一千二百年も前に聖徳{しょうとく}太子の建てられ
たもので、昔のまゝの形をしている。おそらく
は木造けんちく物中、世界でもっとも古い物で
あろう。

≪p156≫
大和{やまと}にはもう一つ日本一の物がある。それは
東大寺の大佛である。身長は五十三フィートあ
まりで、銅|座{ざ}石|座{ざ}を合わせると、その高さは七
十一フィートあまりである。
これは坐像{ざぞう}で、もしこれを立|像{ぞう}とすれば、何
ほどの高さとなるであろう。大佛殿は大きさに
おいて世界第一の木造のけんちく物であって、
高さ百六十五フィート、東西百八十五フィート、
南北百六十五フィートある。
西洋風の建物で、大きさの日本一と言われて

≪p157≫
いるのは東京|停{てい}車場で、その長さは千九十八フィ
ート、はゞは六十六フィートから百三十七フィ
ートほどである。
第四十五課 たしかな保證{ほしょう}
ある商會で、新聞に店員入用のこうこくを出
した。志望{しぼう}者は五十人ばかりもあって、中には
知名の人の手紙を持って來た者や、りっぱな學
歴のある者もあったのに、主人はそれらの人々
をさしおいて、ある一人の青年をやとい入れる
ことにきめた。

≪p158≫
ある人が主人に向って、どうゆう御見込であ
の青年を御用いになったのかとたずねた。主人
は答えて
「あれがこの室にはいる前に、まず着物のほこ
りをはらい、はいるとしずかに後の戸をしめ
た。きれいずきでつゝしみ深いことはそれで
よく分りました。談話中一人の老人がはいっ
て來ましたが、それを見ると、直に立ってい
すをゆずりました。人に親切なことは、これ
でも知れると思いました。あいさつをしても

≪p159≫
ていねいで、少しも生意氣な風がなく、何を
聞いても一々明白に答えて、しかもよけいな
ことは言いません。はき〳〵していて、禮|儀{ぎ}・
作法をわきまえていることも、それですっか
り分りました。
私は、わざと一さつの書物をゆかの上に投げ
ておきました。外の者は少しも氣がつかない
で、中にはそれをふんだ者もありましたが、
あの青年は、はいると直に書物を取上げてテ
ーブルの上に置きました。それで注意深い男

≪p160≫
とゆうことを知りました。
着物はそまつながらさっぱりしたものを着て、
齒{は}もよくみがいていました。また字を書く時
に、指先を見ると、つめは短く切っていまし
た。外の者は着物だけは美しかったが、つめ
の先はみんなまっ黒になっていました。
このようにいろ〳〵なよいところをもってい
ることをよく見定めましたので、あの人をや
とうことにしました。りっぱな人の手紙より
も何よりも、本人の行がたしかな保證{ほしょう}です。」

≪p161≫
と言った。
第四十六課 安倍{あべ}川の義夫 (一)
百八九十年昔の事であります。降りつずく雨
で川とゆう川には水があふれました。橋の無い
所では五日も十日も水のひくのを待たなければ
ならず、川べの宿はとめきれないほどの客でご
ざいました。
中でも安倍{あべ}川の宿は一そうの人込みであった
と申しますが、「それ、川が渡れる。」とゆうこと
になりますと、我も〳〵と先を爭って渡りまし

≪p162≫
た。渡るといっても、自分一人では渡ることは
出來ません。水になれた人夫の肩に乗るか、手
を引いてもらうかして渡るのでございます。大
ぜいの人々が口々に人夫を呼んで我先に渡ろう
としますし、年よりや子供は聲を立てて呼合い
ますので、川べはひじょうなさわぎでございま
した。
この時見すぼらしいなりをした一人の男が、
人夫と渡賃を高い安いと言って爭っていました
が、相談は出來ないものと見きったのでしょう、

≪p163≫
着物をぬいで頭にのせ、一人で川へはいって行
きました。そうしてずいぶんあぶないめにあっ
て、よう〳〵向岸に着きました。
かの人夫は少ししてから、何の氣もなく、先
ほど渡賃を爭った所へ行って見ますと、かわの
さいふが落ちていました。取上げると大そう重
くて中には小判がどっさりはいっていました。
これはあの人が落して行ったに違ないが、渡賃
が高いと言って、このあぶない川を一人でこし
たほどの人である。もしこの大金がなかったら、

≪p164≫
氣が違って死ぬような事になるかも知れぬ。氣
の毒なことだと思って、人夫は直に川を渡って、
かの男を追いかけました。
二|里{り}ほど行って、大きなとうげにかゝります
と、上から片はだぬいで、右手につえをついて、
かけ下りて來る者があります。見れば先の男で
ございます。人夫は、「もし〳〵。」と呼びかけて、
たずねました。
「あなたは今朝一人で川をこした方ではありま
せんか。」

≪p165≫
「そうです。」
「なんでまたそうあわてて引返します。」
「落し物をしましたから。」
と言い〳〵かけ出します。人夫はその男のたも
とをおさえて、
「まあ、お待ちなさい。落した物は。」
「かわのさいふで。」
「中には。」
「小判が百五十兩はいっております。五十兩は
黄色な切れに包んであって、百兩は小さなふ

≪p166≫
くろに入れてあります。外にまだ手紙が七八
本。」
「安心しなさい。こゝへ持って來ました。」
と言って、人夫はさいふを出して渡しました。
第四十七課 安倍{あべ}川の義夫 (二)
かの男はゆめかとばかり喜んで、さいふを幾
度かいたゞきましたが、目からは涙がひっきり
なしにこぼれています。しばらくして
「家の中で見えなくした物でも、中々出ないも
のでございます。まして人通りの多い渡場で

≪p167≫
落しましたから、たとい飛んで行って見た所
で、もう有るまいとは思いましたが、このま
ま歸ることも出來ませんので、引返して參り
ました。いよ〳〵ない時には、川の中へ飛込
んで死んでしまおうと、かくごをして來たの
でございます。それがあなたのような正直な
お方に拾われて、さいふをいたゞかせてもら
いましたが、いたゞいたのはさいふではなく
て、私の命でございます。ついてはこの中の
金を半分だけ御禮のしるしにさし上げます。」

≪p168≫
と言って、さいふの中に手を入れました。人夫
はこれを見て、
「お止めなさい。あなたから一もんでももらう
氣があるくらいなら、こゝまで持って來はし
ません。さあ、道を急ぎなさい。私は渡場へ
歸って人を渡します。」
と言って、歸ろうとしました。かの男は、「どう
ぞしばらく。」と言って引止めました。
「私はこゝから百|里{り}先の紀州の者でございます。
房{ぼう}州へ出かせぎに行って、りょうを致してお

≪p169≫
りましたが、仲間の者から國へ送る金をあず
かって、このさいふに入れて來たのでござい
ます。小ぶくろの方は私どものだんなが國へ
おやりになる金ですが、だんなは情深い方で
すから、この金をあなたにさし上げましても、
おしかりになることはあるまいと思います。
どうぞこれを受取って、私の氣がすむように
して下さい。その上あなたのお名前を承りと
うございます。妻や子供に、朝晩おねんぶつ
の代りにとなえさせます。」

≪p170≫
人夫はこれを聞いて、首をふりました。
「もしお金をもらったら、あなたの氣はそれで
すむかも知れませんが、私の氣がすみません。
私は川ばたの人夫で、名前をゆうほどの者で
はありません。家には七十近い父と、三十に
なる妻と、三つになる子供があるので、どう
かすると、その日の生活に困るような事もあ
りますが、心にすまないことはまだ一度もし
た事はありません。たとい親子の者がうえ死
をするようなことがあっても、人からいわれ

≪p171≫
なく金をもらおうとは思いません。」
こう言ってさっさと歸って參いります。かの男
は、「それでは困る、ぜひ。」と言いながら、人夫
の後について來ましたが、とう〳〵また川を渡っ
て人夫の家へ參りました。見れば年取った父と
ゆうのが、うす暗い小窓の下で、わらじを作っ
ておりまして、妻はろばたでぼろをつずってお
ります。かの男がわけを話して、どうか御禮を
受けてくれと言いますと、年よりはちょっとふ
り返りましたが、何とも言わず、直にまた仕事

≪p172≫
をつずけました。妻もまた、「せっかくですが。」
と言って、相手になりません。
男はしあんに暮れて、役所へうったえて出ま
した。役人はわけをくわしくたずね、人夫をも
呼出して、
「さて〳〵、二人ともまことに心がけの善い者。
近頃感心致した。紀州の男は急いで國へ歸っ
て、その金を間違なくとゞけるように致せ。
人夫にはこの方から手當を致す。」
と申し渡して、人夫にほうびの金をたくさんやっ

≪p173≫
たと申します。


≪p174≫
新出漢字表
課1 曇1 反-對4 濱4 陛5 橋5 櫻6 打8 明-治10
后10 寺11 義11 杉12 迎13 祖14 御14 各15 運15 歴-史15
理15 語16 体17 暑17 當18 掘18 降20 散20 工22 婦24 我25
積26 張28 宿28 育31 郵-便32 無33 的33 追34 街35 歳36
娘38 忠38 代39 武39 意41 防41 終41 團42 建42 暖43 夏43
秋43 去43 樂44 植44 福45 雞46 利46 飼46 板47 數48 號49

≪p175≫
點50 發50 費50 照52 和52 活52 獸53 氷54 乳57 老57 毒58
存59 配60 致61 殿67 臣71 市72 有74 徳76 富76 承76 組79
巻81 荒84 込85 歌88 銅88 靴89 回90 翌90 調91 參92 信93
部94 緑95 寢96 困97 許99 成99 違99 貯101 錢101 醫102 養102
驚103 孝105 畫106 過106 害107 珍108 盛108 室110 具111 注111 情112
職115 布-哇116 好117 諸118 投125 旗126 油128 傷128 精129 奉131
他134 鐵137 州139 候139 頃140 術142 加145 守146 敬147 愛148 定150
産150 丈151 湖154 佛156 法159 肩162 賃162 窓171

≪p176≫
讀替漢字表
太イ2 雨マ3 下カ5 宮-城ウ5 重ウ5 石キ6 店ン9 皇ウ10 造ウ10 行ウ12
父-母ボ14 居リ14 教-場ウ15 作ツテ26 夫ウ26 旅ヨ28 直シテ29 南-北ク32
目ク33 分ケル33 米イ33 空ウ34 直グ34 入ウ35 勇マシイ39 清イ42 鳥ウ44 用イ44 祝ク44
建ン45 新ン46 羽ハ47 黒ク50 育ク50 我レ52 様ウ54 重ネテ54 代リ56 都-合ウ56
牛-乳ウ57 無ナケレバ57 青イ57 遊ウ59 出ツ59 次シ60 來イ60 願ン61 多-數ウ61
御オ61 止メ70 都ト72 高ウ74 休ウ76 寺ジ76 命イ76 知チ76 向ウ79 首ユ79 体イ80

≪p177≫
少ウ83 明ケ84 言ト85 力ク86 間ン87 荒ラ87 頭ウ88 語リ88 船ナ89 星イ90 調ウ91
西イ92 反ン97 有リ100 爭ツテ101 終エテ102 通ウ102 幸イ105 飲ン106 血ツ108 身ン108 無ム108
讀ク109 話ワ109 流-通ウ110 野ヤ110 治メ112 私シ113 習ウ113 子ス113 宿ド114 社ロ116
成イ116 全ン118 工ク120 内チ123 千チ124 正-成ゲ124 足ラズ124 木ク126 馬バ129 實ツ129
米イ129 賣イ132 苦ク134 神ン137 九ウ139 植エテ140 御ミ141 引ン142 生マ142 煙-草コ143
旗キ144 布ノ144 貴ビ146 代ヨ152 産ンデ152 富フ153 湖コ154 橋ウ155 西イ156 聞ン157 白ク159
作サ159 安イ162 今-朝サ164 情ケ169 承リ169

≪課外 p001≫
課外
一 雀{すゞめ}の子
松平|正綱{まさつな}の子|信綱{のぶつな}は幼{よう}名を長四郎といった。九つの
時から將軍の若君竹千代のおつきになった。長四郎が
十一歳の時のことである。竹千代がのきばに雀{すゞめ}のすを
見つけて、
「長四郎、雀{すゞめ}の子を取って參れ。」
と命じた。
日が暮れてから、長四郎がそっと屋|根{ね}ずたいに行っ
て、もう少しで雀{すゞめ}のすに手がとゞこうとした時、ふみ
はずしてのき下へどうと落ちた。將軍|秀忠{ひでたゞ}が刀を取っ
て出て見ると、長四郎であった。
「何しにこゝへ參った。」

≪課外 p002≫
「雀{すゞめ}の子がほしくて參りました。」
「だれに頼まれた。」
「だれにも頼まれは致しません。」
「いや、きっと頼まれたのであろう。」
「いゝえ、頼まれたのではございません。」
將軍は長四郎を大きなふくろの中へ入れ、
「ありのまゝに申すまでは出さぬ。」
といって、ふくろの口をふうじて柱にかけた。
翌日になって、將軍がまたたずねたが、はじめのよ
うに答えた。晝頃、御臺{みだい}所のおわびによって、長四郎
はやっとふくろから出された。
將軍はあとで、御臺{みだい}所に、
「長四郎があの心で大きくなったら、竹千代には無二

≪課外 p003≫
の忠臣となるであろう。」
と言ったとゆうことである。
二 勇ましい親子
ある山|里{さと}に、一人の娘とともにさびしく暮している
おばあさんがあった。これといってきまった職業もな
いので、にわとりを飼ったりかれ木をひろったりして、
それを近所の町へ賣ってはその日〳〵の暮しを立てて
いた。
この山|里{さと}を一すじの鐵道が通っていた。そうして、
汽車が長いトンネルを出て、おばあさんと娘の住んで
いる近所へ來ると、荒川とゆう急流を渡るのであった。
おばあさんや娘が町へ出て足のつかれた時などは、お
り〳〵この汽車に乗って歸ることもあった。汽車は汽

≪課外 p004≫
|笛{てき}を鳴らして鐵橋を渡るので、おばあさんは
「おや、もう汽車が荒川を渡っている。」
と言っては、荷物をまとめて下りる用意などをするの
であった。鐵橋のかゝっているあたりは大へんながめ
がよいので、晴れた日などには、親子が荒川の兩岸を
ぬって走る汽車に見とれて、ぼんやり立っていること
もあった。
ある秋の夜のことである。この山|里{さと}を恐しい暴{ぼう}風雨
がおそって來た。風は木や電信|柱{ばしら}をたおし、雨は荒川
の水をまして、とう〳〵鐵橋までもおし流してしまっ
た。夜のことではあるし、人|里{ざと}をはなれた山の中でも
あるので、このありさまを知っている者はおばあさん
と娘より外にはなかった。親子はものすごい水音を聞

≪課外 p005≫
きながら、この暴{ぼう}風雨を小屋の中にさけていたが、鐵
橋のおし流されたことを思うとじっとしてはいられな
かった。
「おかあさん、もし汽車が走って來たら大へんですね。」
「そうだとも、川の水があんなにましているのだから、
落ちたら助かる者はありますまい。」
「何とかして汽車を止めて、乗っている人々を助ける
工夫はないでしょうか。」
「助けたいは山々だが、このあらしでは何とも手の出
しようがないでしょう。」
「でも、乗っている人々がかわいそうです。」
親子はしばらくしあんに暮れていたが、おばあさん
は娘のけなげな心に動かされて、とう〳〵雨風のはげ

≪課外 p006≫
しい中へかけ出した。外はまっ暗で一|寸{すん}先も見えない。
親子は水音をたよりに、何べんか風のためにたおされ
ながら、やっと鐵橋のそばへたどりついたのである。
二人はまずどうして汽車に合圖{あいず}をしようかと考えた。
手をふっても、大聲でさけんでも、こんな夜では何に
もならない。
「おかあさん、せんろのまん中で火をたいたらどうで
す。そうしたら走って來た汽車もその火を見て止ま
るでしょう。」
「なるほど、それがいゝ。」
その中に、雨風はだん〳〵しずまって來た。親子は
天の助けと喜んで、あたりからたくさんたきぎをはこ
んで來た。そうしてせんろのまん中につみ重ねて火を

≪課外 p007≫
つけた。火がもえあがると間もなく汽車はいきおいよ
く走って來た。二人は汽車がこの火を見て止まるかど
うか心配でならない。持っていた木の枝に火をつけて、
これをふりまわしながら、
「汽車を止めなさい。鐵橋が落ちています。」
と聲を限りにさけんだ。
機關手{きかんしゅ}はこれを見て、何事が起ったのであろうと思
った。そうして急に車を止めようとした。車はようや
く火の近所で止まった。人々はあらそって汽車から下
りた。そうして
「どうしたのだ。何事が起ったのだ。」
と口々にさけんだ。
やがて親子の勇ましい行がわかると、人々は泥{どろ}にま

≪課外 p008≫
みれた二人を取巻いて、心から感謝の言葉をのべた。
おばあさんは
「私どもの力で汽車を止め、皆様の命をお助けするこ
とが出來たのは、何よりもうれしゆうございます。」
と言って、おし流された鐵橋の所へあんないした。一
同はこの恐しい有様を見て、いよ〳〵親子のなさけと
勇氣に感心した。
「私どもが助かったのは、全くお二人のおかげです。」
と言って一同は涙を流して喜んだ。
三 良寛{りょうかん}さま
良寛{りょうかん}さまはお坊{ぼう}さま、
子供の好きなお坊{ぼう}さま、
子供みたいなお坊{ぼう}さま。

≪課外 p009≫
子供みたいに金持たず、
子供みたいに遊んでる。
子供といつでも遊んでる。
ある日、たんぼでかくれんぼ、
夕|燒{やけ}小|燒{やけ}でかくれんぼ、
子供といっしょにかくれんぼ。
しめた積わら、こりゃよかろ、
良寛{りょうかん}さまは、こっそこそ
そのわらかぶって、こっそこそ。

≪課外 p010≫
そのうち、とっぷり日は暮れる。
子供はお家へ歸ります。
坊さま忘れて歸ります。
星がきら〳〵光ります。
待っても〳〵だれも來ず、
夜しもがきら〳〵光ります。
わらをかぶってお坊{ぼう}さま、
いきをこらしてお坊{ぼう}さま、
來るか來るかと、お坊{ぼう}さま。
だれも來ませぬ、風ばかり、

≪課外 p011≫
野がもが遠くで鳴くばかり、
だん〳〵夜ふけになるばかり。
やっぱり來るかと、お坊{ぼう}さま、
ほんとに來るかと、お坊{ぼう}さま、
とう〳〵夜っぴて、お坊{ぼう}さま。
だれも來ませぬ、夜が明けた。
すゞめがちゅんちゅく鳴出した、
朝|燒{やけ}小|燒{やけ}で夜が明けた。
來ました、ひゃくしょうが、すたこらさ。
お鍬{くわ}をかついで、すたこらさ。

≪課外 p012≫
あぜしもふみ〳〵、すたこらさ。
今度は來たぞと、お坊{ぼう}さま、
深いきつめ〳〵お坊{ぼう}さま、
今度はびく〳〵、お坊{ぼう}さま。
おやとひゃくしょう目をつける。
なんだか、へんだぞ、このわらが、
おやとひゃくしょうが手をかける。
ついとはがせば、おどろいた。
おや〳〵、おや〳〵、お坊{ぼう}さま、
良寛{りやうかん}さまかえ、おどろいた。

≪課外 p013≫
叱{し}っ〳〵、そっとしろ、見つかるで、
子供がいるかと、お坊{ぼう}さま、
叱{し}っ〳〵、そっとしろ、見つかるで。
良寛{りょうかん}さまはうそつかず、
子供にだまされ、氣がつかず、
いつもだまされ、氣がつかず。
子供みたいなお坊{ぼう}さま、
なんと、のろまのお坊{ぼう}さま、
なんと、佛{ほとけ}のお坊{ぼう}さま。


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底本:ハワイ大学マノア校図書館ハワイ日本語学校教科書文庫蔵本(T582)
底本の出版年:昭和4[1929]年7月22日印刷、昭和4[1929]年7月25日発行、昭和6[1931]年5月30日修正印刷発行
入力校正担当者:高田智和
更新履歴:
2021年11月27日公開

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