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日本語読本NIHONGO TOKUHON[布哇教育会第2期]

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巻四

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日本語読本 巻四 [布哇教育会第2期]

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凡例
1.頁移りは、その頁の冒頭において、頁数を≪ ≫で囲んで示した。
2.行移りは原本にしたがった。
3.振り仮名は{ }で囲んで記載した。 〔例〕小豆{あずき}
4.振り仮名が付く本文中の漢字列の始まりには|を付けた。 〔例〕十五|仙{セント}
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≪目録 p000≫
もくろく
第一 金色のとび 一
第二 兄弟 三
第三 御禮の手紙 六
第四 ボーイの目じるし 九
第五 私のお友だち 十一
第六 熊{くま}のさゝやき 十五
第七 指 十七
第八 會話{かいわ} 二十一
第九 犬 二十五
第十 おうぎのまと 三十
第十一 太郎の日記 三十五
第十二 水トカラダ 三十九
第十三 鹿{シカ}ノ水カヾミ 四十一
第十四 仕合わせ 四十四
第十五 問合わせの手紙 四十七
第十六 海ノ動物 五十
第十七 メリーのきてん 五十五
第十八 土 六十
第十九 白すゞめ (一) 六十一
第二十 白すゞめ (二) 六十五
第二十一 塙保己一{ハナワホキイチ} 七十
第二十二 なさけぶかい兵士 七十五

≪目録 p000≫
第二十三 ナイチンゲール 八十
第二十四 こすもす 八十六
第二十五 逃げたらくだ 八十八
第二十六 人をまねく手紙 九十八
第二十七 航海の話 (一) 百一
第二十八 航海の話 (二) 百六
第二十九 胃{イ}トカラダ 百十一
第三十 ねずみ 百十六
第三十一 リンカーン 百十九
第三十二 しゃしんを送る手紙 百二十三
第三十三 ちえだめし 百二十七
第三十四 遠足の前夜 百三十二
第三十五 象{ぞう} 百三十五
第三十六 蚕 百四十
第三十七 ふくろうの恩返し (一) 百四十三
第三十八 ふくろうの恩返し (二) 百四十七
第三十九 飛方のけいこ 百五十二
第四十 七|里{り}|和尚{おしょう} 百五十六
第四十一 招魂{しょうこん}祭とぼん 百六十二
第四十二 アンドロクラスとしゝ (一) 百六十五
第四十三 アンドロクラスとしゝ (二) 百七十一
かがい
一 のらくら虫 (一) 一
のらくら虫 (二) 五
二 若葉かげ 九

≪p001≫
第一 金色のとび
日本の一番はじめの天皇を神武{じんむ}天皇と申
します。この天皇が、惡ものどもをごせい
ばつになった時、どこからともなく、一羽
の金色のとびがとんで來て、天皇のおゆみ
の先にとまりました。その光がきら〳〵と
かゞやいて、惡ものどもは目をあけている
ことが出來ません。その光におそれて、み
んな逃げて行きました。

≪p002≫
天皇は國中の惡
ものどもをのこら
ずお平げになって、
やまとのかしわら
でごそくいの式を
おあげになりました。その日
は今の二月十一日にあたりま
す。それで、この日を紀元節
といって、毎年お祝をするのでございます。

≪p003≫
第二 兄弟
兄弟は、なかよくしなければなりません。
兄弟なかのよいのは、よその人が見ても、
よいものです。
昔兄弟で田地のあらそいをして、役所に
うったえて出たものがありました。さいば
んをする役人は、泉八右衞門{いずみはちえもん}とゆう人でご
ざいましたが、その兄弟二人を自分の家へ
よんで、一|間{ま}の中に待たせておきました。

≪p004≫
一時間待っても二時間待っても、八右衞
門{はちえもん}は出て來ません。兄弟二人は、はじめの
中は、たがいににらみ合って、口一つきか
ず、遠くへはなれてすわっていましたが、
長い間待っている中に、寒い日ではあるし、
だん〳〵すりよって、一つの火ばちで手を
あぶり、少しずつ話をするようになりまし
た。そうすると、小さい時分に、二人がな
かよく遊んだことなどを思い出しました。

≪p005≫
それから死んだ親のことを思い出して、昔
のことがしみ〴〵となつかしくなりました。
いつとなく、こんな兄弟げんかをしたこ
とを、こうかいする心が出ました。
そこへ八右衞門{はちえもん}が出て來て、
「どうだ、二人のもの、あらそいはいかゞ
いたしたか。」
とたずねました。二人は手をついて、
「もうなかなおりをいたします。ありがと

≪p006≫
うございました。」
と、禮を言ってかえって行きました。
第三 お禮の手紙
(一)
今日學校からかえってみると、い
つもほしい〳〵と思っていた箱入
の色えんぴつが、机の上にのって
いました。どうしたのかと思って、
おかあさんにたずねましたら、「お

≪p007≫
じさんからお前に送って下さった
のです。」とおっしゃったので、と
び上るようにうれしゅうございま
した。おじさん、まことにありが
とうございます。今度このえんぴ
つでうまくえをかいて、お目にか
けます。
(二)
昨夜にいさんがおかえりになった

≪p008≫
時、私はもうねむっていました。
ゆり起されたので、起きてみます
と、兄さんが、「これはおばさんか
らです。」と言って、紙箱を渡して
下さいました。あけて見たら、美
しいリボンがはいっていました。
うれしくて〳〵、すっかり目がさ
めてしまいました。おかあさんや
ねえさんも、「こんな美しいのはこ

≪p009≫
のへんにはない。」とおっしゃいま
した。おばさん、どうもありがと
うございます。だいじにしまって
おいて、お正月にかけます。
第四 ボーイの目じるし
いなかからにぎやかな町に來て、ボーイ
にやとわれた子供がありました。おつかい
に出る時、主人から、
「外へ出ると、同じような家がたくさんな

≪p010≫
らんでいるから、目じるしをしておいて、
かえる時にまちがわないようにしなさい。」
と言われました。子供は、
「はい。」
と言って、出て行きましたが、なか〳〵か
えって來ません。主人はしんぱいになって、
さがしに出ました。見ると、子供は泣きな
がら、道ばたにうろ〳〵しています。
「どうしたのです。」

≪p011≫
と主人がたずねますと、子供は
「出て行きます時、やねに鳥がとまってい
ましたから、それを目じるしにしておき
ましたが、かえって見ると、鳥がおりま
せん。それでうちが分らなくなったので
ございます。」
と答えました。
第五 私のお友だち
おのぶさんは、私と仲のよいお友だちで

≪p012≫
す。學校へ行くのに、きっと私をさそって
くれます。おのぶさんがうちへよってくれ
る時間は、きちんときまっていて、學校に
は、いつでもおけいこ
の始る十分前ぐらいに
着きます。
私には朝ねをするく
せがあったのですが、
おのぶさんが毎朝よっ

≪p013≫
てくれるようになってから、それがすっか
りなおりました。
おのぶさんは何でもよく出來ますが、前
には算術{さんじゅつ}だけよく出來なかったのです。そ
れをざんねんに思って、うちでもねっしん
に勉強したので、近ごろでは、どんなもん
だいを出されても、きっと出來るようにな
りました。私も算術{さんじゅつ}が下手ですから、おの
ぶさんのように、この間から毎日うちで勉

≪p014≫
強しています。
おのぶさんは、本を讀む時でも、字を書
く時でも、いつもしせいを正しくしていま
す。タブレットの字なども、一字々々きれ
いに書いてあります。
おのぶさんのかみは、毎朝自分でとくの
だそうです。つめもいつもきれいに切って
いますし、手や足のよごれているのを見た
こともありません。

≪p015≫
おのぶさんは、まことにやさしい人で、
弟や妹をよくかわいがり、友だちにも親切
てす。人の惡口などは、けっして言ったこ
とがありません。私が病氣で學校を休んだ
時などは、大そうしんぱいして、度々見まっ
てくれました。
第六 熊{くま}のさゝやき
二人の者が山の中を通ると、熊{くま}が出て來
ました。一人は早く見つけて、木の上へ逃

≪p016≫
上りました。一人はもう逃げる間がないの
で、地にたおれて、死んだふりをしていま
した。熊{くま}は死人には手を着けないと聞いて
いたからでございます。
熊{くま}が來て、からだ中かぎまわしましたが、
ほんとうの死人だと思ったのでしょう、そ
のまゝ行ってしまいました。
この時木に上っていた者が下りて來て、
「どんなにこわかったろう。僕は木の上か

≪p017≫
ら見て、びく〳〵していた。熊{くま}が君の耳
の所へ口を持って行ったようだが、何か
言ったのか。」
「うん。『あぶない時に、友だちをすてて逃
げるような者には、これからつきあうな。』
と言った。」
第七 指
「だれが一番えらいだろう。」と
手の指たちがあらそった。

≪p018≫
「みんなしずかにするがよい。
一番強くてえらいのは、
何といってもこのおれだ。
四人がかりでかゝって來ても、
おれ一人にはかなうまい。」
まず親指はこう言った。
人さし指も負けぬ氣で、
「まめで、たっしゃで、元氣よく、
どんな仕事もせい出して、

≪p019≫
はたらくものがえらいのだ。」
中指もまたえらそうに、
「一番長くてまん中に
どっしりすわるこのおれが、
五本の指の王様だ。」
くすり指も負けずに言った。
「長い、大きい、はたらくだけで、
えらいとたれが言うものか。
金の指わをはめておく

≪p020≫
指はおれより外にない。」
小指はだまって笑っていたが、
後からしずかにこう言った。
「わたしはけんかをしたくない。
みんなと仲よくならんでいて、
一しょに仕事をしたいのだ。
わたしは細くて小さいけれど、
それそうおうの役目もあろう、
わたしはそれをするだけだ。」

≪p021≫
これを聞いた外の指は、
はずかしそうにしていたが、
口をそろえてこう言った。
「なるほど小指の言う通り、
みんなそろっておとなしく、
自分の仕事にせいを出す、
そうするものがえらいのだ。」
第八 會話{かいわ}
(一)

≪p022≫
甲「ごめん下さい。」
乙「はい。」
甲「この近くに、山下さんとゆう方はいらっ
しゃいませんか。」
乙「山下さんですか。近ごろこの近所におい
でになった方ですか。」
甲「はい、二十日ほど前だったと思いますが。」
乙「それなら、そのころ、こゝから三げんめ
の家へ、かわって來られた方があります

≪p023≫
から、そこでたずねてごらんなさい。」
甲「あゝ、そうですか。どうもありがとうご
ざいました。」
乙「どういたしまして。」
(二)
中川「ごめん下さい。こちらは山田さんのお
うちですか。」
山田「はい、さようでございます。」
中川「私は中川ですが、一郎さんはいらっしゃ

≪p024≫
いますか。」
山田「はい、おります。たゞ今呼びますから、
ちょっとお待ち下さい。」
中川「どうぞ、おねがいいたします。」
一郎「やあ、一郎です。」
中川「僕は清です。明日{あした}のばん、僕の學校で
學|藝{げい}會がありますが、おいでになりませ
んか。」
一郎「ありがとう。私も行きたいと思ってい

≪p025≫
た所です。何時から始りますか。」
清「七時半から始ります。うちへ七時ごろま
でにお出で下さい。いっしょにまいりま
しょう。」
一郎「それでは、そうゆうことにいたしましょ
う。ありがとうございました。」
清「さようなら。」
一郎「さようなら。」
第九 犬

≪p026≫
犬の種類はたくさんありま
す。大きなのは小馬ほどもあ
り、小さなのは猫{ねこ}よりも小そ
うございます。やせたのもあ
り、太ったのもあります。指
でつまめないほど毛の短いの
もあれば、立っても土にとゞ
くほど毛の長いのもあります。
あるものは、頭が大きくま

≪p027≫
るくて、しゝのようであり、
あるものは、かおが長くとがっ
て、狐{きつね}のようです。耳のたれ
ているもの、立っているもの、
尾の長いもの、たれているも
の、またまいているもの、足
の短いもの、長いものなど、
さま〴〵です。
犬はよく人になれて、よく

≪p028≫
主人のゆうことを聞分けます。昔から、「三
日かえば、三年おんをわすれぬ。」といわれ
ています。
犬は耳ざとい動物で、ねむっている時で
も、人の足音を聞けば、すぐに目をさまし
ます。またはなもよくきいて、物のにおい
をかぎ分けることが上手です。
まきばでは、犬に手つだいをさせます。
一匹の犬で、牛ならば百匹も、羊ならば千

≪p029≫
匹も、自|由{ゆう}に引きまわすことが出來ます。
また寒い所では、犬にそりを引かせます。
八九匹の犬がいきおいよく四五人乗のそり
を引いて、雪道を走って行くのは、まこと
にいさましいものです。
ある山國では、犬の首にくすりや食物を
入れたかごをかけておいて、雪の中にたお
れているたび人をすくわせます。また戰場{せんじょう}
に犬をつかって、たおれている兵士をさが

≪p030≫
させることもあります。
第十 おうぎのまと
屋島の戰に、源氏{げんじ}はおか、平家{へいけ}は海で、
向いあっていました時、平家{へいけ}方から舟を一
そうこぎ出して來ました。見れば、へさき
に長いさおを立てて、さおの先には、開い
た赤いおうぎがつけてあります。一人の官
女がその下に立って、まねいています。さ
おの先のおうぎをいよとゆうのでしょう。

≪p031≫
舟は波にゆられて、上ったり下ったりし
ます。おうぎは風に吹かれて、くる〳〵ま
わっています。いくら弓の名人でも、これ
を一|矢{や}でい落すことは、なか〳〵むずかし
そうです。
源氏{げんじ}の大將|義經{よしつね}はけらいに向って、
「だれかあのおうぎをい落す者はないか。」
とたずねました。その時一人のけらいが進
み出て、

≪p032≫
「那須{なす}の與{よ}一
と申す者が
ございます。
空をとんでい
る鳥でも、三
羽ねらえば、
二羽だけはきっ
とい落すほどの上手でございます。」
と言いました。義經{よしつね}は

≪p033≫
「それを呼{よ}べ。」
と言いつけて、すぐに與{よ}一を呼
出しました。
與{よ}一はおことわりいたしまし
たが、義經{よしつね}がゆるしません。そ
こで、與{よ}一は心の中で、もしこ
れをいそこなったら、生きては
いまいと、かくごをきめて、馬
にまたがって、海の中へ乗入れ

≪p034≫
ました。
弓を取りなおして、向うを見渡すと、舟
がゆれて、まとがさだまりません。しばら
く目をつぶって、神様にいのってから、目
を開いて見ると、今度はおうぎが少し落着
いて見えます。與{よ}一は弓に矢{や}をつがえ、よ
くねらいをさだめて、ひょうといはなしま
した。
赤いおうぎは、かなめのきわをい切られ

≪p035≫
て、空に高くまい上って、ひら〳〵と二つ
三つまわって、波の上に落ちました。
おかの方では、大將|義經{よしつね}をはじめ、みん
なが馬のくらをたゝいて、喜びました。海
の方でも、平家{へいけ}方が舟ばたをたゝいて、一
度にどっとほめました。
第十一 太郎の日記
十一月十一日 日曜 雨 十時からおとう
さんと教{きょう}會へ行きました。午後は次郎さ

≪p036≫
んと、えをかいて遊びました。
十一月十二日 月曜 晴 日本語學校で、
書き方の清書{せいしょ}がありました。公立學校で
は、さんじゅつがありましたが、今日は
よく出來ました。山本さんは、けっせき
しました。學校からかえってから、山本
さんをたずねましたら、風を引いたと言っ
て、ねていました。夜は風が大そうすゞ
しゅうございました。

≪p037≫
十一月十三日 火曜 晴 朝起きて、顔を
洗う時、大きなにじが見えました。にわ
とりがたまごを三つ生みました。
十一月十四日 水曜 晴 夕方細い三日月
が見えました。おとなりの田中さんで赤
んぼが生まれたといって、おかあさんが
お祝に行きました。
十一月十五日 木曜 午前晴 午後雨 午
後、川村君と魚つりに行こうと思いまし

≪p038≫
たが、雨がふりましたから、やめました。
十一月十六日 金曜 晴 風がなくて、あ
つい日でした。おかあさんから、新しい
ノートブックをいたゞきました。くつが
いたんだので、なおしにやりました。山
本さんは今日から學校へ出ました。
十一月十七日 土曜 晴 日本のおじさん
から、手紙がとゞきました。午後、大ぜ
いでボールをなげて遊びました。

≪p039≫
第十二 水トカラダ
ワレ〳〵ハ一日ノ中ニ水ヲ飲マナイコト
ハアリマセン。水ヲ飲マナイコトハアッテ
モ、水ノマジッタ物ヤ、水ヲマゼテコシラ
エタ物ヲ、口ニ入レナイコトハアリマセン。
茶・シル・スイモノハモトヨリ、スモ、ショ
ウユモ、飯モ、パンモ、カシモ、水ガナケ
レバ出來マセン。クダモノニモ水ヲ多クフ
クンデオリ、ヤサイニモ水ケガアリマス。

≪p040≫
ワレ〳〵ハ毎朝水デ顔ヲ洗イ、口ヲスヽ
ギマス。マタ時々|湯{ユ}ニハイリマス。時々|湯{ユ}
ニハイラナイト、カラダガキタナクナッテ、
病氣ニカヽリヤスウゴザイマス。冷水浴ヤ
海水浴ハヒフヲ強クシ、シタガッテカラダ
ヲ強クシ、心ヲサワヤカニシマス。
コノヨウニ、水ハワレ〳〵ニハモットモ
大切ナモノデ、水ガナケレバ、生キテオル
コトガ出來マセン。ケレドモ水ヲタクサン

≪p041≫
飲ミスギタリ、冷タイ水ノ中ニ長クハイッ
テイタリスルノハ、ヨクアリマセン。マタ
キタナイ水ヤ、クサッタ水ヲ飲ムト、オソ
ロシイ病氣ニカヽルコトガアリマス。
第十三 鹿{シカ}ノ水カヾミ
鹿{シカ}ガ水ヲ飲モウト思ッテ、谷川ノ中ヘハ
イリマシタ。フト水ニウツッタ自分ノスガ
タヲ見テ、頭カラ足マデツクズクトナガメ
テ、ヒトリゴトヲ始メマシタ。

≪p042≫
「自分ノ角ハ
ジツニリッ
パナモノダ。
牛ノ角トハ
チ ガッテ、
枝ガアル。
毎年落チルガ、落チルトスグマタ新シイ
ノガハエテ、ソノ度ニ枝ガ一ツズツフエ
ル。角ノアルケダモノモタクサン知ッテ

≪p043≫
イルガ、コンナリッパナ角ヲモッテイル
モノハナイヨウダ。ケレドモ、コノ足ハ
細クテ、イカニモ弱ソウニ見エル、出來
ルコトナラ、モット太クテ強イ足ガホシ
イモノダ。」
ソノ時後ノ方カラ、カリュウドガ來タラ
シイノデ、オドロイテカケ出シマシタ。タ
クマシイリョウ犬ガ四五匹デオッカケテ來
マス。鹿{シカ}ハ輕イ足デズン〳〵逃ゲテ、林ノ

≪p044≫
中ヘカケコミマシタガ、カワイソウニ、美
シイ角ガ木ノ枝ニヒッカヽッテ、イクラモ
ガイテモハズレマセン。トウ〳〵犬ニオイ
ツメラレマシタ。
第十四 仕合わせ
「おかあさん。花子さんはほんとうにお仕合
わせな方ですよ。」
「なぜですか。」
「だって、うちではこんなにおいしくない物

≪p045≫
ばかりですのに、花子さんのうちはいつも
ごちそうをたべていらっしゃるのですもの。」
「いゝえ、お前はほんとうに仕合わせなんです
よ。世の中には、たべるごはんがなくて、
こまっている人さえあるではありませんか。」
「でも、おかあさん、花子さんはいつもおも
しろそうに遊んでいらっしゃるのに、私は
朝からばんまで、こうしてはたらかなけれ
ばなりません。」

≪p046≫
「それはお前、大へんな考ちがいです。めく
らやいざりのことを考えてごらんなさい。
いくらはたらきたくても、思うようにはは
たらけないでしょう。そんな人にくらべる
と、お前はどれほど仕合わせだか分りませ
ん。」
「それなら、私は何もかも皆仕合わせだとおっ
しゃるのですか。」
「そうです。だが、お前にはたった一つ不仕

≪p047≫
合わせなことがあります。」
「それはどんなことですか。」
「おいしい物をたべたいとか、はたらきたく
ないとかゆうその心のあることが不仕合わ
せだと思います。」
第十五 問合わせの手紙
うちの父はにわかに用が出來て、
來る二十五日|出帆{しゅつぱん}の天洋|丸{まる}で、日
本へ立ちます。東京{とうきょう}に一月あまり

≪p048≫
居て、用をすませ、それから、ちょっ
と大阪{おうさか}の方へも行くそうです。あ
ちらにご用がありますなら、何で
もいたしますと申しておりますか
ら、どうか、おとうさん・おかあさ
んにうかゞって下さい。らい年の
一月中にはかえるそうです。
十一月二十日 大川一郎
中山森一様

≪p049≫
へんじ
おとうさんが日本へおいでになる
そうで、何か用はないかとおたず
ね下さって、ありがとうございま
す。父も母も、たゞ今べつにおた
のみすることはないと申しており
ます。たゞ父も母もひさしく日本
へかえらないので、あちらへのお
こしは、おうらやましいと申して

≪p050≫
おりました。どうか、おとうさん
にもおかあさんにも、よろしくおっ
しゃって下さい。
十一月二十三日 山中森一
大川一郎様
第十六 海ノ動物
海ノ中ニハイロ〳〵ナ動物ガスンデイマ
ス。
魚類ニハ、イワシ・アジ・カツオナドノヨウ

≪p051≫
ニ、水面ニ近イ所ヲ泳グモノガアリ、タイ・
アナゴ・ハモナドノヨウニ、岩ノカゲヤ海|藻{ソウ}
ノ間ヲ泳グモノガアリ、カレイ・ヒラメナド
ノヨウニ、ソコニ沈ンデイルモノモアリマ
ス。
魚類ノ外ニ、エビ・カニ・タコ・イカナドモス
ンデイマス。エビノピン〳〵ハネタリ、カ
ニノ横ニハッタリスルサマハ、池ヤ川ニス
ムモノトチガイマセンガ、タコヤイカガ、

≪p052≫
足ヲソロエテ泳グサマハ、マ
コトニオモシロウゴザイマス。
アサリ・ハマグリナドハ、砂
ヤドロノ中ニオリ、カキ・アワ
ビナドハ、岩ニツイテイマス。
アワビハ岩ヲハナレテ動キマ
スケレドモ、カキハ一度ツイ
タラ、ケッシテハナレマセン。
カキハマタスグフエルモノデ、

≪p053≫
軍カンヤ汽船ハ時々コレヲカ
キ落サナケレバナラナイホド
デアリマス。シンジュ貝トユ
ウモノガアリマス。指ワヤエ
リドメナドニハメル美シイシ
ンジュハ、コノ貝ノカラノ中
ニアルノデス。
虫類モタクサンアリマスガ、
ソノ中デオモシロイノハサン

≪p054≫
ゴデス。タクサン集ッテ、木
ノ枝ノヨウナ形ヲシテイマス。
マタ物ヲ洗ッタリ、フイタリ
スル時ニツカウ海|綿{メン}モ、ヤハ
リ海ノソコノ岩ニ取リツイテ
イル虫ノホネデス。
海ニハマタケダモノモスン
デイマス。陸ノケダモノニニ
タモノニハ、ラッコ・オットセ

≪p055≫
イ・アザラシナドガアリ、魚ニニタモノニハ、
クジラガアリマス。クジラハケダモノノ中
デ一番大キュウゴザイマス。陸ニスムモノ
デハ象{ゾウ}ガマズ一番大キュウゴザイマスガ、
クジラニクラベルト、赤子ト大人トヨリモ、
モットチガイマス。
第十七 メリーのきてん
あわたゞしくかけこんで來た者がありま
す。見れば自|國{こく}の兵士です。

≪p056≫
「かくして下さい。敵がおっかけて來ます。」
メリーは、どうかしてかくしてやりたいと
思いました。けれども貧しい木こり小屋で、
とだな一つもありません。こまっています
と、
「では、水を一ぱい下さい。」
と兵士が言いました。メリーが大急ぎでコッ
プに水をくんで來ました。あまり急ぎまし
たので、水がいすの上にあったおばあさん

≪p057≫
のずきんの上にこぼれました。
「あゝ、そうだ。」
と言って、メリーはおば
あさんのずきんを取って、
兵士の頭にかぶせました。
「しばらく、うちのおば
あさんにおなりなさい。」
こう言って、また大急ぎ
でおばあさんの着物を着

≪p058≫
せてやりました。かたかけや前だれまで。
「向うむきになって、このいすにかけてい
らっしゃい。」
「こうですか。」
「あゝ、そうです。それから、つんぼのま
ねをしてね。」
この時、どや〳〵と四五人の敵兵がはいっ
て來ました。
「おい、兵士が一人來たろう。」

≪p059≫
「いゝえ。」
「たしかに來たはずだ。」
と言って、敵はあちこち見まわしましたが、
おばあさんのかたに手をかけて、
「これ、おばあさん、お前は知っているだ
ろう。」
すると、兵士のおばあさんが、
「はい、よいお天氣でございます。」
敵はどっと笑いました。そうして

≪p060≫
「こいつ、つんぼだな。」
と言って、みんな出て行ってしまいました。
第十八 土
草とゆう草、
木とゆう木、
一本一本
土から生まれる。
花とゆう花、

≪p061≫
實とゆう實、
それが殘らず
土へと落ちる。
土の中に何がある。
掘{ほ}っても〳〵土ばかり。
第十九 白すゞめ (一)
昔ある所に、畠もたくさんもち、牛もた
くさんかって、何不足なくくらして居る農

≪p062≫
夫がありました。はじめは、近所の人にも
うらやまれるほどの身代{しんだい}でしたが、その中、
牛もだん〳〵へり、畠の取れ高も年々少く
なって、五六年の中に、よほど身代{しんだい}をへら
しました。親類や友だちは大そうしんぱい
して、どうしたらよいかと、考えました。
ある日この農夫は、一人の友だちと、野
原の草の上にすわって、いろ〳〵な話をし
ました。その時、友だちは、そこらにとん

≪p063≫
で居るすゞめを見て、すゞめはよくふえる
鳥で、大へん作物をあらすからこまるとゆ
うことを話しました。農夫はそれを聞いて、
近年麥の取れ高の少いのは、このすゞめの
せいではあるまいかと思いました。
友だちはふと思い出したように、農夫に
問いました。
「それはそうと、君は白いすゞめを見たこ
とがあるか。」

≪p064≫
「いや、見たことはない。白いすゞめがほ
んとうに居るのか。」
と、ふしぎそうに問いかえしました。する
と、友だちはまじめに答えました。
「居るそうだ。そうしてそれをつかまえる
と、大へんに仕合わせがよくなるとゆう
が、毎年一羽ずつしか出て來ない。もし
外のすゞめが見つけると、よってたかっ
ていじめるから、毎朝早くえをさがしに

≪p065≫
出て、すぐかえってしまうそうだ。」
農夫はこの話を聞いて、それはめずらしい、
どうかしてそのすゞめをつかまえたいと思
いました。
第二十 白すゞめ (二)
次の朝、農夫は早く起きて、もしや白す
ずめが居はしまいかと、やしき中を見まわっ
て、野原の方までも行って見ましたが、見
つかりません。かえって來ると、家の戸が

≪p066≫
まだしまって居て、だれも起きて居るよう
すがありません。日はもう高く上って居ま
す。牛小屋の牛はしきりに鳴いて居るのに、
だれも草をやる者がありません。
その中に下男が麥だわらをかついで、裏
門から出て來ました。どこへ行くかと見て
居ると、酒{さか}屋の方へ行きます。この男は酒{さか}
屋に酒代{さかだい}の借があるので、そのかわりに麥
を持って行こうとするのです。農夫はおど

≪p067≫
ろいて取りもどしまし
た。
取りもどしてかえっ
て來ると、下女がバケ
ツをさげて、牛小屋か
ら出て來ました。何を
するかと氣をつけて見
ると、となりの家の方
へ行きます。この下女

≪p068≫
は毎朝主人の目をかすめて、牛乳{ぎゅうにゅう}を賣って
居たのです。農夫ははらを立てて、そのバ
ケツを引ったくりました。
「なるほど、これではいけない。」
とひとりごとを言いながら、すぐ家の中に
かけこんで、まだねて居た妻を起して、
「朝ねほどそんなものはない。朝ねをして
居る間に、身代{しんだい}がへって行くのだ。」
と言って、今見たことをすっかり話して聞

≪p069≫
かせました。
その後は、毎朝早く起きて、下男や下女
を早くから畠へ出してはたらかせ、自分は
どうかして白すゞめを見つけようと、たず
ねまわりました。
二三週間もたずねましたが、白すゞめは
見つかりません。その中にすゞめのことは
わすれてしまって、身代{しんだい}を取りかえすこと
ばかり心がけるようになって、夜も晝もよ

≪p070≫
くはたらきました。
四五ヶ月たってから、前の友だちが來て、
「どうだ、白すゞめは見つかったか。」
と、笑いながらたずねました。農夫は、
「おかげで目がさめた。御恩{ごおん}は一生わすれ
ない。」
と言って、かたく友だちの手をにぎりしめ
ました。
第二十一 塙保己一{ハナワホキイチ}

≪p071≫
塙保己一{ハナワホキイチ}ハ五ツノ時ニメクラニナリマシ
タ。十八ノ時、今ノ東京、ソノコロノ江戸{エド}
ヘ出テ、一心ニ學問ヲ勉強シ、後ニハ多ク
ノ書物ヲアラワシテ、名高イ人ニナリマシ
タ。
ハジメ先生ハ保己一{ホキイチ}ニシャミセンヲ教エ
マシタガ、今日習ッタコトヲ、スグソノバ
ンノ中ニワスレテシマイマス。三年モ習ッ
テ、一ツモ十分ニハオボエマセンデシタ。

≪p072≫
ソコデ先生ハハリヲ習ワセテミマシタ。コ
レモ人ナミニハ出來マセンノデ、アル日先
生ハ、保己一{ホキイチ}ニ申シマスヨウ、
「オ前ハ何ヲ習ワセテモダメデス。コノ上
ハオ前ノスキナコトヲ何デモヤルガヨイ。
今カラ三年ノ間ヤシナッテアゲマス。モ
シ三年タッテ、何モ出來ナカッタラ、ス
グ國ヘ送リカエシテシマイマス。」
ト、キビシクサトシマシタ。コレカラ保己

≪p073≫
一{ホキイチ}ハ學問ニ心ガケテ、夜書トナクハゲミマ
シタカラ、ツイニ大學者ニナッタノデス。
保己一{ホキイチ}ハイツデモ人ニ、
「自分ガ今ノヨウニナッタノハ、マッタク
先生ノオカゲデス。タヾザンネンナノハ、
先生ノ生キテイラレル中ニ、今ノ仕合ワ
セヲオ聞カセ申スコトガ出來ナカッタコ
トデス。」
ト言イマシタ。

≪p074≫
保己一{ホキイチ}ニハオモシロイ話ガアリマス。ア
ル夜|弟子{デシ}ヲ集メテ書物ヲ
讀ンデイタ時、風ガニワ
カニ吹出シテ、トモシビ
ガ消エマシタ。保己一{ホキイチ}ハ
ソレトモ知ラズ、ツズケ
テ讀ンデイマスカラ、弟
子{デシ}ドモハ、
「先生、少シオ待チ下サ

≪p075≫
イ、今アカリガ消エマシタ。」
ト言イマシタ。保己一{ホキイチ}ハ笑ッテ、
「サテ〳〵、目アキトユウモノハ不自由ナ
モノデスネ。」
ト言ッタソウデス。
第二十二 なさけぶかい兵士
昔スウェーデンとデンマークとが戰爭い
たしました。ある日の大會戰に、スウェー
デン人はさん〴〵にやぶれました。

≪p076≫
少しばかりのきずをうけていたデンマー
クの一兵士が、水とうから一口水を飲もう
といたしました。その時だれか苦しそうに、
「おゝ、君、私にも一ぱい下さい。死にそ
うですから。」
と言う者があります。見れば、きずをうけ
たスウェーデン人が、少しはなれた地上に
たおれていたのです。デンマーク人はすぐ
さまそこへ行って、たおれた敵のそばにひ

≪p077≫
ざまずいて、その口に水とうをおしつけて、
「さあ、お飲みなさい。僕よりも君の方が
つらそうだから。」
と言いました。
かれがこう言いおわるかおわらない中に、
スウェーデン人は、ひじで身をさゝえて起
上り、ポケットからピストルを引出して、
自分を助けようとしているデンマーク人を
うちました。たまはかたをかすっただけで、

≪p078≫
大したけがはありませんでした。デンマー
ク人は、大きにおこって、
「あっ、ふとゞき者め。君を助けようとし
ているのに、そのむくいに僕を殺そうと
するのだね。そんならひどいめにあわせ
てやろう。僕はこの水をありたけ君に上
げようと思っていたが、もうたゞの半分
しか上げない。」
とさけびました。そうしてこう言いながら、

≪p079≫
半分を自分で飲んで、その殘りをスウェー
デン人にやりました。
デンマークの王様がこの事をお聞きになっ
た時、その兵士を呼出して、くわしくその
時の話をおさせになりました。
「スウェーデン人がお前を殺そうとしたの
に、お前はなぜその命を助けてやったの
か。」
と、王様がおたずねになりますと、

≪p080≫
「私はどうしても、けがをした敵を殺すこ
とが出來なかったのでございます。」
と、兵士は答えました。
「それでは、お前は貴族にするねうちがあ
るぞ。」
と、王様がおうせられまして、貴族にお取
立てになり、高い位をおさずけになったと
申します。
第二十三 ナイチンゲール

≪p081≫
ナイチンゲールは、イギリスの大地主の
むすめで、今からおよそ百年前に生まれた
人です。父はなさけぶかい人でありました。
ナイチンゲールも父ににて、小さい時分か
ら、なさけぶかい心を持っていました。父
の所|有{ゆう}地に貧しい人がすんでいましたが、
ナイチンゲールはそれらの人の手つだいを
してやったり、なぐさめてやったりしまし
た。大きくなってからは、病|院{いん}を見まった

≪p082≫
り、ろうやをたずねたりして、不幸な人々
をなぐさめるのを、何よりのたのしみとし
ました。
そのころの病|院{いん}のかんごふは、いやしい
心や行の者が多うございました。ナイチン
ゲールは、どうかしてこれをよくしようと
思い立ちました。そこでドイツやフランス
の病|院{いん}に、十年の間も苦しいつとめをして、
まずかんごの仕方をおぼえました。

≪p083≫
ナイチンゲールが三十三の時、イギリス・
フランスとロシヤとの間に戰爭が起りまし
た。戰爭がはげしいのと、氣|候{こう}が惡いので、
死人や、けが人や、病人が大へん出來まし
た。これを聞いて、ナイチンゲールは四十
二人のかんごふ隊をつくり、そのかしらと
なって、はる〴〵と戰地の病|院{いん}へまいりま
した。
病|院{いん}は、へやもろうかも、病兵で一ぱい

≪p084≫
でした。ナイチンゲールは、夜も晝も、母
のような心で、病兵をなぐさめたり、はげ
ましたりしました。
死にかゝっている者でも、ナイチンゲー
ルのけだかい、やさしいすがたを見ると、
苦しみをわすれて、ありがた涙を流したと
ゆうことです。
戰爭がすんで、ナイチンゲールがイギリ
スにかえった時、その行に感じた人たちは、

≪p085≫
たくさんの金を集めておくろうとしました
が、ナイチンゲールはその金を自分でうけ
ず、それでりっぱなかんごふ養成{ようせい}所をたて
ることにしました。
皆さんは赤十字社のことについて聞いた
ことがありますか。赤十字社の出來るよう
になったのも、多くの人がナイチンゲール
の仕事に感心したからです。ナイチンゲー
ルの善い行がそのもととなったのです。

≪p086≫
第二十四 こすもす

こすもす、こすもす、いつ咲いた。
ゆうべか、けさか、あけがたか。
つゆにやどった お星さま、
そのまゝ花に なったのか。

こすもす、こすもす、いつ咲いた。
やさしい青葉に つゝまれて、

≪p087≫
まともに朝の 日をあびた
花はゆめから さめたよう。

こすもす、こすもす、いつ咲いた。
赤・白・もゝの 三つの色。
三つのことばで ほめましょう、
清い、かわいゝ、美しい。

こすもす、こすもす、いつ咲いた。

≪p088≫
おにわにしずかな 風吹いて、
羽かる〴〵と ちょう〳〵が、
とまれば花も うれしかろ。
第二十五 逃げたらくだ
(一) さばくの中
さばくの中で、ある旅人が二人の商人に
出合いました。
旅人「あなた方は大そうしんぱいらしいよう
すをしておいでだが、もしやらくだを逃

≪p089≫
がしたのではありませんか。」
二人「そうです〳〵。」
旅人「そのらくだは片目ではありませんか。
右の目がつぶれて居ましょう。」
二人「よくごぞんじですね。まったくその通
りです。」
旅人「そうして左の足が一本短くて、前|齒{ば}が
二三本ぬけて居ましょう。」
二人「それにちがいありません。どこでごら

≪p090≫
んになりましたか。」
旅人「そうして、つけて居た荷は麥でしょう。」
二人「たしかにそうです。
どこに居るか、どうぞ
早く教えて下さい。」
旅人「いや、私はそのらく
だを見たのではありま
せん。」
甲「えっ、でも、そんなに

≪p091≫
くわしくごぞんじではありませんか。」
乙「それとも、だれかにお聞きになったので
すか。」
旅人「いゝえ、見たのでも、聞いたのでもあ
りません。」
二人は顔を見合わせて、
甲「おかしいね。こいつがどろぼうだぞ。」
乙「そうだ〳〵。さあ、警察署{けいさつしょ}へひっぱって
行こう。」

≪p092≫
二人はむりに旅人を警察署{けいさつしょ}へひっぱって
行きました。
(二) 裁判所
旅人は警察署{けいさつしょ}から裁判所へまわされまし
た。裁判官は三人を呼出して、
裁判官「一たい、どうゆう事か、くわしく申せ。」
甲「この男が私どものらくだを盜んだのでご
ざいます。私どもは麥をつけたらくだを
引いて、さばくの中を通って居ましたが、

≪p093≫
とちゅうで一休して居る中に、ついねむっ
てしまいました。」
乙「目がさめてみると、らくだが居ませんの
で、おどろいて方々さがして歩きました。
そのとちゅうでこの男に出合いますと、
向うから、『らくだを逃がしたのではない
か。』とたずねるのでございます。」
甲「そうして、そのらくだは片目だろうの、
びっこだろうの、齒{は}がぬけて居るだろう

≪p094≫
のと、一々見たように申
しますから、あやしいで
はございませんか。」
乙「その上、つけて居た荷物
の品までよく知って居ま
した。」
二人「らくだを盜んだのは、
どうしてもこの男にちが
いありません。」

≪p095≫
裁判官「こりゃ、旅人、その方にも言分がある
ならば申せ。」
旅人「私を盜人などとは、もっての外でござ
います。私がさばくを歩いて居ますと、
らくだの足あとがつずいて居るのに、人
の足あとが見えません。それでらくだが
逃げたのではないかと思ったのです。」
裁判官「そのらくだが片目だとゆうことは、ど
うして分ったか。」

≪p096≫
旅人「道の片がわの草ばかり食ってあったか
らでございます。」
裁判官「それでは、びっことゆうことはどうし
て知って居る。」
旅人「片方の足あとが一つおきに淺くなって
居るのでさっしました。」
裁判官「齒{は}のぬけて居るとゆうことはなぜ分っ
たか。」
旅人「草を食取ったあとを見ますと、かみ切

≪p097≫
れないで、殘って居る葉があるので、そ
う考えました。」
裁判官「なるほど、聞いてみれば、一々もっと
もである。」
二人「もし〳〵、それなら荷物の品をどうし
て知って居るのでございましょうか。」
旅人「それは何でもありません。道に麥がこ
ぼれて居たからです。」
裁判官「よし〳〵、よく分った。たしかにお前

≪p098≫
が盜んだのではない。もうかえってよろ
しい。二人がうたがったのもむりではな
いが、今聞いた通りである。早く行って
らくだをさがすがよい。」
第二十六 人をまねく手紙
(一)
來る十六日は私の誕生{たんじょう}日で、ちょ
うど日曜日ですから、母が私に、
お友だちをお呼びなさい、おこわ

≪p099≫
でもふかして上げようと申します。
お呼びするのは大てい近所の、あ
なたがごぞんじの方ばかりです。
花子さんも連れてお晝前にぜひお
いで下さいませ。何かおもしろい
ことをして遊びましょう。お待ち
申します。
一月十五日 春子
松子様

≪p100≫
(二)
去{きょ}年日本に行った父が、きのう天
洋丸で歸って來ました。
みやげにいろ〳〵なめずらしい繪
葉書や、おもしろい本を持って歸
りました。この土曜日午後二時ご
ろ、お友だちをお呼びして見てい
たゞこうと思います。どうぞ三郎
君もお連れになって私のうちまで

≪p101≫
おいで下さい。お待ちいたします。
一月十八日 一郎
森一様
第二十七 航海の話 (一)
ホノルヽの港に着いていた天洋丸の船長
は、ある日學校にまねかれて、航海の話を
しました。
「生まれた國を遠くはなれて、世界の方々
を年中航海する私どもにとって、一番う

≪p102≫
れしいのは、時々本國の人に出合うこと
であります。ことに今日のように、大ぜ
いのかわいらしい皆さんの前でお話する
のは、私には何よりもうれしゅうござい
ます。
皆さんの中には、日本へおいでになった
方もありましょう。そんな方は航海の事
はごぞんじでしょうが、私は年中航海を
しているものですから、少しそのお話を

≪p103≫
いたしましょう。
さて、皆さんは汽船も軍かんもよくごぞ
んじでしょう。私の乗っている天洋丸は、
長さが五百七十フィートほどあります。
船員が二百二十人も乗っている上に、客
が八百人も乗れます。
大海へ乗出すと、五日も十日も山が見え
ないこともあります。日も月も波から出
て波へ入ります。日の出や日の入には、

≪p104≫
日光が波にうつって、水の色が金色にな
りますし、月夜には、波が銀のように光っ
て、その美しいことは
何とも言いようがあり
ません。時には大きな
くじらが高くしおを吹
いて居るのを見ること
があります。何万とも
知れないいるかが、は

≪p105≫
ね上っては泳ぎ、はね上って
は泳ぎして行くのを見ること
もあります。またある時には、
とび魚がかんぱんの上へとび
上ることもあります。
航海中は、船は一けんの家と同じです。
船員も乗客も皆一家内になって、たのしく
暮します。乗客には世界のいろ〳〵な人
種がありますが、皆兄弟のようにしたし

≪p106≫
み合い、助け合います。船の上は、陸に
いるのとちがわないほど、万事がとゝのっ
ています。近ごろ無線電信{むせんでんしん}によって、航
海中も世界の大きな出來事が知れます。
第二十八 航海の話 (二)
船長はコップの水を一口飲んで、またそ
の話をつずけました。
「航海とゆうものは、こうゆう面白いもの
ですが、たまには恐しいめにもあいます。

≪p107≫
きゅうに暴{ぼう}風雨が來ると、山のような波
が立って、船は今にも沈むかと思うよう
になります。けれども船はなか〳〵ひっ
くりかえるものではありません。また深
いきりやはげしいふゞきで、少しも先が
見えなくなることもあります。そうゆう
時には、淺せへ乗上げたり、外の船につ
きあたったりしないように、たえず海の
深さをはかったり、きてきやかねを鳴ら

≪p108≫
したりします。深さをはかるのは、淺せ
に乗上げないため、きてきやかねを鳴ら
すのは、外の船に自分らの居ることを知
らせて、つきあたることをさけるためで
あります。
一たい船には、らしんぎと言う物があっ
て、それで方角をとって進みますから、
いくらきりが深くても、まるでちがった
方へ行くようなことはありません。また

≪p109≫
夜はいくら暗くても、星が出て居れば、
それにたよって方角を知ることも出來る
し、自分の船の居場所
を知ることも出來ます。
また海岸には、所々に
燈臺{とうだい}がありますから、
それを見ると、あれは
どこだとゆうことが分
ります。この星を見分

≪p110≫
けることや、燈臺{とうだい}のありかを知ることは、
船に乗る者にとって、はなはだ大切な事
なのであります。」
こう言った後で、船長は一だん高く聲を
はり上げて、
「さておしまいに一つ言っておきたい事が
あります。それは島國にすんでいながら、
海をこわがる人がずいぶんあるとゆうこ
とで、これはじつにざんねんなことであ

≪p111≫
ります。皆さんのおとうさんやにいさん
は、はる〴〵遠い海を渡ってこちらへ來
て、商業なり、農業なり、漁{ぎょ}業なりに從っ
ておられます。皆さんもおとうさんやに
いさんのような強い心を持って、働くよ
うに心がけなければなりません。」
と言って、話をおわりました。
第二十九 胃{イ}トカラダ
アル時、口・耳・目・手・足タチガ申シ合ワセテ、

≪p112≫
胃{イ}ニ向ッテ
「僕ラハ、イツモイソガシク働イテイルノ
ニ、君ハタヾスワッテイテ食ウダケデ、
少シモ僕ラノタメニツクサナイ。僕ラ一
同申シ合ワセテ、今日カラハ働カナイコ
トニシタカラ、ソウ思ッテクレタマエ。」
ト言イマシタ。ソウシテソレカラ後ハ、耳
ハ食事ノ知ラセヲ聞イテモ、聞カナイフリ
ヲシ、目ハ食物ヲ見テモ、見ナイフリヲシ、

≪p113≫
手ハ食物ヲ口ヘ入レルコトヲ止メ、足ハ食
堂ヘ行クコトヲ止メマシタ。
コウシテ二三日タチマスト、耳ハ鳴リ、
目ハクラミ、手足ハナエテシマッテ、動ク
コトガ出來ズ、顔ノ色モ青クナッテ來テ、
カラダニマッタク力ガナクナリマシタ。コ
ノ時、胃{イ}ハ一同ニ向ッテ言イマシタ。
「君ラハ、コウナルコトヲ知ラナカッタノ
デスカ。僕ハタヾスワッテイテ物ヲ食ウ

≪p114≫
ダケノモノデハアリマセン。食ッタ物ヲ
コナシテ、コレヲ血ノ製造場ヘ送ルノガ
僕ノ役メデアッテ、僕ガモシ食物ヲコナ
サナカッタナラ、カラダヲヤシナウトコ
ロノ血ガドウシテ出來マショウ。君ラハ
僕ヲ苦シメヨウトシテ、コノ間カラ、少
シモ食物ヲ送ッテヨコシマセンデシタ。
ソノタメニ、新シイ血ガ出來ナクナッテ、
カエッテ君ラハ自分デ苦シムヨウニナッ

≪p115≫
タノデス。コレハ全ク君ラガ自分デマネ
イタノデアリマス。今ニナッテ始メテ、
考チガイヲシテイタコトガオ分リニナル
デショウ。君ラガモシ僕ニ食物ヲ送ルタ
メニ働イタトユウナラ、僕モマタ君ラヲ
ヤシナウタメニ骨ヲオッタトイヽマス。
コンナワケデスカラ、コレカラ後ハタガ
イニシタシミ合ッテ暮シマショウ。世ノ
中トユウモノハ、スベテ相持ノモノデ

≪p116≫
ス。」
コレヲ聞イテ、手・足タチ一同ハ、ナルホ
ドト感心シタトイヽマス。
第三十 ねずみ
ある時、都のねずみが いなかのねずみ
の所へ遊びに行きました。いなかのねずみ
は、豆や麥やいわしなど ありたけのたく
わえを出して もてなしましたが、都のね
ずみはあまり喜びません。いなかのねずみ

≪p117≫
が、麥をほのまゝ、うまそうにかじるのを
見て、
「そんなものがよくたべられるね。こんな
さびしい家に住んでいて、何が面白いの
だろう。にぎやかな都を見せて、もっと
うまい物をたべさせて上げるから、僕の
うちへ來ないか。」
と言いました。いなかのねずみは喜んで、
その後へついて行きました。

≪p118≫
なるほど、うちは大きなかまえで、りっぱ
なへややざしきがいく間もあります。都の
ねずみは、菓子だの、魚や鳥や牛の肉だの、
いろ〳〵なうまい物をたくさんならべてた
べさせました。いなかのねずみは、生まれ
てはじめてこんなうれしいめにあったと、
大そう喜んでいました。その時、がらりと
戸があいて、どや〳〵と二三人の女中がは
いって來ました。二匹のねずみはうろたえ

≪p119≫
て、命から〴〵逃出して、花いけの後へか
くれました。しばらくたって女中が出て行っ
たので、いなかのねずみはそっとはい出し
て、
「あゝ、こわかった。こんな恐しい所でう
まい物を食うよりも、安氣な所で麥や豆
を食う方がよほどましだ。」
と言って、すぐにいなかへ歸りました。
第三十一 リンカーン

≪p120≫
リンカーンは一千八百九年二月十二日、
ケンタッキーの山おくに生まれました。家
は小さい丸木小屋で、夜はねていて、丸木
のすき間から、月や星をながめることが出
來ました。
冬になると、戸やまどに熊{くま}の皮をかけて、
寒さをふせぎました。
こんな貧しい家でしたから、學校へは五
つの時一年かよっただけです。それから後

≪p121≫
は、おとうさんの手助をするために、仕事
をせねばなりませんでした。
リンカーンがまだ若かった時、ある店で
働いておりますと、一人の婦{ふ}人が買物に來
ました。リンカーンはかんじょうをまちが
えて、六|仙{セント}多くもらいました。正直なかれ
は、じっとしていることが出來ないで、そ
の晩店をしめた後、大雨のふる中を三マイ
ルの夜道を走って、その婦{ふ}人の家に行き

≪p122≫
わけを話して金を返しました。
後にリンカーンはべんご士となりました。
かしこくて正直で、公平でありましたので、
めんどうな事が起った時には、人々はいつ
でも、リンカーンの所にたのみに來ました。
かれはうそを言ったり、まちがった事を
したりすることが、大きらいでしたから、
いくらたくさんお金をはらう人があっても、
正しくない人のみ方はしませんでした。そ

≪p123≫
れで人々はリンカーンを信{しん}用し、えらい人
であるとゆうひょうばんが、國中にひろが
りました。
國内に大そうどうの起った時、人々はこ
のかしこい、勇氣のある人を、大|統領{とうりょう}にし
たいと思いました。
リンカーンはついに大|統領{とうりょう}にえらばれて、
ホワイトハウスに住むようになりました。
第三十二 しゃしんを送る手紙

≪p124≫
この間、おとうさんの誕生{たんじょう}日に、
みんなのしゃしんをとりましたか
ら、一枚さし上げます。笑ってい
るのは、おとゝし生まれた三郎で
す。私どもも、お見ちがえになる
ほど大きくなったでしょう。しゃ
しんではお分りになりますまいが、
おとうさんはしらががふえました。
おじ様・おば様の新しいおしゃしん

≪p125≫
をいたゞきたいと、みんなで申し
ています。この次のたよりで送っ
て下さい。
三月二十一日 はな
おば上様
返事
おしゃしんをありがとう。ひさし
ぶりで、皆さんにお目にかゝった
ような氣がします。三郎さんは、

≪p126≫
はじめてですが、ほんとうにかわ
いらしゅうございますね。次郎さ
んもお花さんも、しばらく見ない
中に、大そう大きくおなりです。
お花さんは、かみが大へんりっぱ
で、顔もだん〳〵おかあさんにに
て來ます。このしゃしんで見ると、
おかあさんの小さい時分にそっく
りです。おとうさんは相かわらず

≪p127≫
御丈{ごじょう}夫だそうで、けっこうです。
私どものは近ごろとったのがあり
ませんから、さっそくうつしてお
送りしましょう。
三月二十五日 おばより
お花さま
第三十三 ちえだめし
昔、ある大國の王様が、となりの小さい
國を攻めようと思いました。その前に、ま

≪p128≫
ず相手の國の人のちえをためそうと思って、
まがりまがった細いくだを送って、「この中
へ糸を通してもらいたい。」と申しこみまし
た。
となりの國では、大ぜい集って相談しま
したが、どうしてもよいちえが出ません。
その時、一人の年よりが、
「一方の口へみつをぬっておいて、そうし
て大きなありに糸をつけて、一方の口か

≪p129≫
ら入れてやるがよい。」
と言いました。
その通りにしますと、ありはみつのにお
いをかいで、向うの口へ出たので、糸が通
りました。そこで、「この通り通りました。」
と言って、返してやりました。
今度は大國の王様が、まっ黒にぬった木
のぼうを一本送って、「どちらが本で、どち
らが末か 教えてくれ。」と言ってやりまし

≪p130≫
た。
となりの國では、また前の年よりに相談
しますと、年よりは、
「それは川の中へなげこんでみれば分る。
少し沈んで流れる方が本だ。」
と教えました。その通りにして本と末をき
めて、しるしをつけて返しました。
大國の王様は、國は小さいけれども、な
かなかちえのある人が居ると思いました。

≪p131≫
そうして三度めには、同じくらいの大きさ
の牛を二匹送って、「どちらが親でどちらが
子か、見分けてくれ。」と言送りました。
また〳〵前の年よりが、
「草をやってみれば分る。先に食うのが子
牛で、ゆっくり後から食うのが親牛だ。」
と言ったので、その通りにすると、すぐ親
子の見分けがつきました。
三度までうまく考えられたので、大國の

≪p132≫
王様は、こんなちえのある人が居ては、と
てもかなわないと思って、軍をするのを止
めました。そうしていつまでもその國と仲
善くしました。
第三十四 遠足の前夜
夕飯をすまして、ねえさんと一しょにお
湯{ゆ}にはいりました。お湯{ゆ}から上って、おか
あさんに、明日着て行く着物やぼうしを出
していたゞきました。くつや、くつ下や、

≪p133≫
手ぬぐいもそろえました。おべんとうは、
明日の朝おかあさんがこしらえて下さるは
ずです。
これですっかりしたくが出來ました。も
う忘れ物はないかと、いく度もしらべてみ
ましたが、何もありません。
お天氣はどうかと思って、外へ出て見る
と、空には美しい星がきら〳〵光っていま
す。思わず、「おゝ、うれしい。」と言ってし

≪p134≫
まいました。
着物やぼうしを、まくらもとにおいてね
ました。明日は起きるのが早いから、早く
眠ろうと思っても、なか〳〵眠られません。
明日の樂{たの}しい事が、後から〳〵目に浮かん
で來ます。
かっての方で、「あんなにうれしがってい
たが、もう眠ったのか知らん。」「明日のゆめ
でもみているでしょう。」とおっしゃるおか

≪p135≫
あさんやねえさんのお聲が聞えました。八
時をうつとけいの音はゆめうつゝに聞きま
した。
第三十五 象{ぞう}
見せ物小屋で象{ぞう}を見ました。まず大きな
のにおどろきました。たけは十フィートか
らあったでしょう。自由にうごかすことの
出來る長い鼻、廣い大きな耳、長いきば、
小さな目、それから太い足、細い尾、一さ

≪p136≫
い繪で見た通りでありました。
象{ぞう}つかいが乗っていて、口上をのべては、
ラッパを吹かせたり、ごばんの上へ乗らせ
たりしました。
象{ぞう}が大きなおけを鼻で頭の上へまき上げ
ると、乗っていた象{ぞう}つかいは、おけの中へ
はいってしゃがみました。象{ぞう}がそれを下し
て來て、地に置くと、象{ぞう}つかいがぬっとお
けの中で立上りましたので、みんな手をうっ

≪p137≫
てかっさいしました。
象{ぞう}の鼻は手の用を
なすもので、じつに
力があります。きば
は象{ぞう}つかいのうでよ
りも太うございまし
た。自分たちほどの
子供が出て來て、象{ぞう}
の前足にだきついて見せました。子供の手

≪p138≫
がやっと合っていました。象{ぞう}つかいが
「この太い足で、どさり〳〵と歩きます。」
と言うと、長い鼻をぶら〳〵させて歩き出
しました。何だか地ひゞきでもするような
氣がしました。また
「ごらんの通り大きなからだをしています
が、氣立はしごくやさしゅうございます。
なれますれば、お子供しゅうのおもりも
いたします。インドの國はいたってあつ

≪p139≫
うございますので、お子供しゅうはこの
腹の下でお晝ねをなさると申します。」
と言うと、今の子供が象{ぞう}の腹の下へねころ
びました。すると、象{ぞう}は鼻で、そこにあっ
たうちわを拾って、子供の顔をあおぎ出し
ました。この時、
「大きなおもりさんだ。」
とだれかが言いましたので、みんなが一度
にふき出しました。

≪p140≫
第三十六 蚕
生{き}糸は、日本から外國へ賣出す産{さん}物の中
で、もっともおもなものです。
生{き}糸は蚕のまゆから取った糸です。蚕は
卵からかえったばかりの時は、ありぐらい
の大きさです。かえりたてから食物をさが
して、くわの葉をやると、すぐ食始めます。
小さい時分は、やわらかな葉をこまかく切っ
てやりますが、大きくなると、枝のまゝや

≪p141≫
ります。
蚕がくわの葉を食うのは、
およそ二十五日から四十日の
間で、その間に一日か二日ず
つ眠ることが四度あり
ます。眠る度に皮をぬ
ぎかえて、しまいには、
からだがすきとうって
見えるようになります。

≪p142≫
この時、木の枝やわらなどでつくったまぶ
しとゆうものへうつしてやると、口から美
しい糸を出して、自分のからだを包みます。
そうして二三日の中に、まゆが出來上って、
まゆの中の蚕はさなぎになります。
まゆをつくってから二十日あまりたつと、
さなぎは、ちょうのような形になって、ま
ゆを破って出て來ます。これを蚕のがとい
います。がを紙の上に置くと、そこへ卵を

≪p143≫
生みつけて、間もなく死んでしまいます。
ががまゆを破って出ると、糸が取れなく
なりますから、出ない中にむして、さなぎ
を殺しておいて、それからまゆをにて、糸
を取るのです。
第三十七 ふくろうの恩返し (一)
昔ホノルヽに、カポイといって、年をとっ
た貧しい農夫が居ました。そまつな家に住
んで居たので、大雨の時には、やねから雨

≪p144≫
がもります。ある日、野へ出て、やねをふ
くあしやかやなどを取って居ると、草むら
の中に、鳥の卵を七つ見つけました。
「やあ、これで、夕飯のおかずが出來た。」
と喜んで、それをふところへ入れて、急い
で歸りました。
カポイはさっそくその卵を一つ〳〵木の
葉に包んで、あつい灰{はい}の中へ入れて、やこ
うとしました。その時、どこからとんで來

≪p145≫
たのか、一羽のふくろうがかきねにとまっ
て、まるい大きな目を光らせて、
「おゝ、カポイさん、どうかその卵を返し
て下さい。それは私のです。」
と悲しそうに言いました。カポイはびっく
りして、ふくろうの方をふり返って、
「何だ、お前の卵なら、いくつあったか言っ
てごらん。」
「七つです。」

≪p146≫
「そうだ。しかしこれは私が食べるのだ。」
と言って、カポイはなか〳〵返そうともし
ません。ふくろうは目に涙を一ぱいためて、
「どうぞお返し下さい。」
と、また頼みました。カポイもしまいには
かわいそうになったので、
「よし〳〵、それほどまでにほしいなら、
返して上げよう。さあ、持って行け。」
と言って、七つとも返しました。ふくろう

≪p147≫
は大そう喜んで、いく度もお禮を申しまし
た。そうしてカポイに、こう言って歸りま
した。
「カポイさん、あなたはお宮をたてて、神
様をおまつりなさい。そうすれば、きっ
と後の世までもたっとばれます。」
第三十八 ふくろうの恩返し (二)
カポイは、ふしぎに思いながらも、ふく
ろうの言った通りに、お宮をたててお祭を

≪p148≫
しました。そこで、だれもかれもカポイの
心がけをほめましたから、その名は遠い村
村までも知れ渡りました。
この事がワイキヽの王様の耳に入りまし
た。王様は、カポイの名高くなったのをね
たんで、新しいおきてをつくりました。そ
れは、「かってに宮をたてて、神様を祭る者
は死|刑{けい}にする。」とゆうのでございます。そ
のために、カポイは王様の言いつけによっ

≪p149≫
て、しばられて、ワイキヽのろうやにおし
こめられました。それからいよ〳〵死|刑{けい}に
なるとゆうおふれが出ました。
ふくろうは、その後七つの卵を大切にあ
たゝめて、殘らずりっぱなひなにかえしま
した。そうして七羽の子鳥をそれ〴〵オア
フ島の外の七つの島へすませましたが、一
族がかぞえきれぬほどふえたので、親鳥は
大へん喜んでいました。

≪p150≫
ところが、この度カポイが死|刑{けい}になると
ゆうことを聞いて、親鳥はびっくりしまし
た。卵を返してもらった恩返しをするのは
この時だと心をきめて、七つの島のふくろ
うども一同に、集れと言ってやりました。
ふくろうの大軍はすぐさま集りましたが、
親鳥は人にさとられないように、一同を山
のかげにかくしておきました。
いよ〳〵その日になって、カポイを死|刑{けい}

≪p151≫
にするしたくが出來ました。親鳥がそれを
見て、あいずをすると、何千とも知れぬふ
くろうの大軍は、ホノルヽの空一ぱいになっ
て、どっと王様の城へおしよせました。そ
のすさまじいいきおいには、王様の軍ぜい
はとてもかないません。王様も恐れて、城
のおくへかくれました。ふくろうの大軍は、
「カポイを返せ。」
とさけんで、くちばしでろうやのやねを食

≪p152≫
破り、中にはいって、カポイのくさりをか
み切って、すくい出しました。王はとうと
うこうさんして、カポイをゆるしました。
その時から、ふくろうは神の鳥として、土
人にたっとばれるようになったとゆうこと
です。
第三十九 飛方のけいこ
雀{すゞめ}は、ひながだん〳〵大きくなって、羽
もすっかり出來あがり、もう飛んでもよい

≪p153≫
ころになると、飛方を教えます。
親|雀{すゞめ}が輕そうに、すから飛んで出るのを
見ながら、ひなは、すの上で羽をばさ〳〵
してみますが、まだ一度も飛んだことがな
いものですから、こわくてなか〳〵飛べま
せん。
それを見た親|雀{すゞめ}は、何べんも〳〵飛んで
見せて、「ちっともこわくはないよ。」と教え
ます。

≪p154≫
もしそれでもひなが飛べない時は、食べ
ものを口にくわえて、「これを上げよう。こ
こまでお出で。」とゆうふうに、先に飛出し
て、ひなをさそいます。
一度すからは
なれたひなは、
いやでも羽を動
かさなければな
りませんから、

≪p155≫
思ったよりもたやすく、いくらか飛んで行
きます。
すると、親|雀{すゞめ}はまた少し飛んで、「こゝま
でお出で。」をします。
こうして、ひなは、やねの上や畠の中の
ようなあぶなくないところで、少しずつ少
しずつ飛ぶことをけいこして、今度は地面
から木へ、木から地面へ、木から木へと、
だん〳〵むずかしいところを飛んでみます。

≪p156≫
いよ〳〵ひながよく飛べるようになると、
親|雀{すゞめ}は、外の鳥やけだものに食べられない
ように、逃げることや、よいえさのあると
ころへ飛んで行くことを教えます。
第四十 七|里{り}|和尚{おしょう}
万|行寺{ぎょうじ}のあかりが消えています。和尚{おしょう}は
もうねたのでしょう。ねんぶつの聲も聞え
ません。
いつの間にしのびこんだか、庭のやみか

≪p157≫
ら大きな男があらわれました。そうして戸
をこじあけて、中におし入りました。
「起きろ、金を出せ。」
和尚{おしょう}は目をあけました。まくらもとには、
刀を持った男が立っています。和尚{おしょう}はしず
かに起きなおって、
「金は出してやるが、はじめてよその家に
來て、刀をぬいて、あいさつをする者が
あるか。」

≪p158≫
と言いました。どろぼうは刀をさやにおさ
めました。和尚{おしょう}は先に立って、おくの一間
にはいりました。そうしてたんすを指さし
て、
「この中に金がはいっている。いるだけ持っ
て行くがよい。」
どろぼうは、たんすの金をすっかりさらっ
て、逃げようとしました。
和尚{おしょう}は、

≪p159≫
「ちょっと待て、その中に明日返さなけれ
ばならない金がある。それだけは殘して
おけ。」
どろぼうは、言われただけの金を殘して、
外へ出ようとしました。この時、和尚{おしょう}は
「人にめぐみを受けたら、お禮の一|言{こと}ぐら
いは言うがよい。他{た}人の物をうばって、
その日〳〵を暮そうと思うのはあさまし
いことだ。早く心をあらためよ。」

≪p160≫
と、弟子{でし}の心えちがいをいましめるように、
親切に言って聞かせました。どろぼうは、
頭を下げて聞いていましたが、ていねいに
おじぎをしてから、金を持って行ってしま
いました。
その後役所から和尚{おしょう}に呼出しがあって、
「万|行寺{ぎょうじ}にどろぼうのはいったことがある
か。」
と言うおたずねがありました。和尚{おしょう}は、

≪p161≫
「まったく覺がございません。」
と答えましたが、役人はどろぼうをつきつ
けて、
「この者に見覺はないか。」
と言いました。どろぼうは
「めんぼくがありません。あの夜ありがた
いおさとしを受けながら、かい心しなかっ
たことを、ざんねんに思います。たとい
和尚{おしょう}さまは、『見覺がない。』とおっしゃっ

≪p162≫
ても、私はたしかに盜んだのです。」
と言いました。和尚{おしょう}はつくずくとその顔を
見て、
「さて〳〵お前は物覺の惡い男だ。あの夜
わたしが金をあたえたら、ていねいに禮
を言って、歸ったではないか。」
と言いました。
どろぼうの目には涙があふれていました。
第四十一 招魂{しょうこん}祭とぼん

≪p163≫
五月三十日の朝、ホノルヽの市街{しがい}へ出て
見ると、きれいな身なりをした人たちが、
手に〳〵美しい花をかゝえて、ヌアヌの墓
地の方へ急いで行きます。電車は花を持っ
た人で一ぱいです。晝ごろになると、軍人
が、れつをつくって、墓地へおまいりに行
きます。
この日はアメリカ合衆{がっしゅう}國の祭日の一つで、
人々は皆その親類や友だちの墓にまいり、

≪p164≫
墓をきれいにそうじして、死んだ人が平生
すいていた花や、その外の花をさゝげて、
お祭をするのです。軍隊でも戰死した人を
祭りますから、大切な日になっています。
日本では、戰死者は皆|靖國{やすくに}神社に祭られ
ており、毎年四月と十月には、さかんなお
祭があります。また七月十五日は、ぼんと
いって、どこの家でも死んだ人を祭ります。
そうして墓地もきれいにそうじして、家内

≪p165≫
中そろって、お墓まいりをいたします。
どこの國にもこんな風があるのは、死ん
だ人を思い出して、昔をしたうのでありま
す。まことに美しいならわしではありませ
んか。私どもは長くこの善い風をつずけて
行かなくてはなりません。
第四十二 アンドロクラスとしゝ (一)
昔ローマの國にアンドロクラスとゆう人
がありました。その主人は大そう不親切な

≪p166≫
人で、アンドロクラスをひどく使ったり、
いじめたりしましたので、かれはとう〳〵
主人の家から逃げてしまいました。
幾日も〳〵、森の中を、めあてもなく逃
げて行きました。その間、時々谷川の水を
飲む外には、何一つ食べる物はありませ
んので、ひもじくて〳〵、今はもう一足も
歩くことが出來なくなりました。それで、
そばにあった、ほら穴の中にはいこんで休

≪p167≫
みますと、ひもじさとつかれのために、ぐっ
すりねこんでしまいました。
しばらくすると、恐しい大きな音がした
ので、はっと目をさましました。見ると、
一匹のしゝがほら穴の中へはいって來て、
聲高くうなっているのです。おどろいて、
逃出そうとしましたけれども、足腰が立
ちません。アンドロクラスは、自分はもう
このしゝに食殺されるのだと、かくごを

≪p168≫
きめて、じっとしゝを見
つめました。すると、し
しは少しもいかったよう
すはなく、片足を上げ、
首をうなだれて、何かお
願でもしているようすで
す。アンドロクラスは、
ふしぎに思って、しばら
くそれをながめていまし

≪p169≫
たが、やがて大たんにも手をさしのばして、
しゝの足を取って引きよせました。しゝは
おとなしく立っていて、その頭をかれのか
たにすりつけました。
見ると、足には大きな、長い、するどい、
とげがさゝっています。しゝが片足を上げ
て、いたそうなようすをしていたのは、こ
のためだとゆうことが分りました。アン
ドロクラスは、とげのはしをしっかりとつ

≪p170≫
まんで、強くきゅっとひっぱりました。と
げは拔けました。しゝは大喜で、小犬のよ
うにじゃれて、アンドロクラスの手や足を
なめました。そうしてその夜は同じ穴の中
でやすみました。
それから毎日々々しゝは外に出て、鹿{しか}や
兎{うさぎ}やきつねなどをとって來て、アンドロク
ラスに食べさせました。ふたりは仲のよい
友だちとなってしまいました。

≪p171≫
第四十三 アンドロクラスとしゝ (二)
その後、アンドロクラスは、この森の中
を通った軍隊のためにとらえられて、ロー
マに送られました。そうして長い間ろうや
に入れられました。そのころローマのきそ
くでは、主人の家から逃出した者は、幾日
も幾日も食事をやらないで氣をあらくした
しゝと、戰わされることになっていました。
もしうんがよくて、しゝに勝つことが出來

≪p172≫
れば、罪{つみ}をゆるされます。けれども、そん
な人は百人に一人もありません。
いよ〳〵その日が來ました。幾千の人々
は、恐しいこの勝負を見ようと思って、四
方から集って來ました。アンドロクラスは
勝負の場所に引出されました。かれはあま
りの恐しさに、もうぶる〳〵とふるえてい
るのでした。
けれども見物人は、だれ一人かわいそう

≪p173≫
と思う者はありませんで
した。
しゝのおりの戸が開か
れました。血にうえたし
しは、火のような目をい
からし、恐しいうなり聲
を立てて、飛びついて來
ました。アンドロクラス
は、あっとさけびました。

≪p174≫
そのとたん、しゝは急に立ちすくみました
が、やがて尾をたれ頭をふって、アンドロ
クラスに近よって、手足をなめたり、から
だをすりつけたりしました。そのしゝはか
れの友だちだったのです。アンドロクラス
もうれしさのあまり、しゝの首にとりつき
ました。
見物人は、ふしぎなこの場のありさまを、
たゞあっけにとられて、ながめていました。

≪p175≫
何が何だかわけが分らないのです。
アンドロクラスは、見物人にそのわけを
話しました。
「このしゝは、私にとっては恩人です。た
だ一人のしたしい友だちです。たゞ一人
の兄弟です。」
見物人はこれを聞いて、口々にさけびまし
た。
「ゆるせ!逃がせ!」

≪p176≫
役人もこの聲に動かされて、アンドロクラ
スをゆるし、しゝをかれにあたえました。
おわり

≪p177≫
新出漢字表
第1 皇1 式2 紀2 節2 寒4 親5 禮6 箱6 昨7 起8
主9 仲11 勉13 者15 王19 呼24 清24 會24 類26 短26 尾27
動28 百28 引29 兵-士29 戰30 開30 官30 弓31 將31 喜35
記35 曜35 午35 晴36 顔37 新38 飲39 茶39 飯39 冷40 浴40
角42 枝42 輕43 不46 問47 洋47 面51 沈51 横51 砂52 陸54
貧56 急56 殘61 農61 夫62 作63 麥63 借66 妻68 週69 晝69

≪p178≫
京71 由75 爭75 助77 殺78 命79 貴-族80 位80 幸82 隊83
涙84 感84 社85 善85 旅88 商88 片89 荷90 裁-判92 盜92
淺96 連99 丸100 歸100 繪100 航101 員103 客103 内105 恐106 深107
暗109 場109 聲110 業111 從111 働111 止113 堂113 血114 製-造114
全115 骨115 相115 住117 菓118 冬120 直121 晩121 返122 勇123 談128
末129 明132 忘133 眠134 浮134 鼻135 置136 腹139 拾139 蚕140 卵140
包142 破142 恩143 悲145 頼146 宮147 祭147 村148 飛152 庭156 受159
覺161 墓163 電163 使166 幾166 腰167 願168 拔170

≪p179≫
讀替漢字表
田ン3 夜ヤ7 起キ8 始ル12 着キ12 強ウ13 下-手タ13 親-切ツ15 間マ16
近ン22 種ユ26 物ツ28 食-物ツ29 女ヨ30 名-人ン31 落トス31 後ゴ35 月ツ36
立ツ36 本ト36 生ミ37 前ン37 冷メタイ41 犬ン43 來タル47 魚ヨ50 動キ52 大-人ナ55
足ク61 下-男ン66 ケ70 生ウ70 五ツ71 東ウ71 問ン71 書ヨ71 者ヤ73 消エ74
戰ン75 主シ81 行イ82 金ネ85 赤キ85 長ウ101 國ク102 光ウ104 乗ウ105 家カ105 万-
事ジ106 面モ106 風-雨ウ107 角ク108 同ウ112 子シ118 平イ122 返ン125 相ウ128 軍サ132

≪p180≫
遠ン132 飯ン132 明-日タ132 口ウ136 外イ140 食ベ146 恐レ151 祭イ162 墓カ163 神ン164
勝ウ-負ブ172 見ン172 急ウ174

≪課外 p001≫
かがい
一 のらくら蟲
(一)
ある村に一人の善いおじいさんがあって、にわとり
をたくさんかっていました。その近所に一人ののらく
ら者が住んでいました。ある日こののらくら者が、お
じいさんのにわとりを一羽盜んで來て、夕飯のごちそ
うにすっかり食べてしまいました。
おいしいごちそうをどっさり食べると、のらくら者
のことですから、すぐに眠くなってしまいました。そ
こでごろりと一眠りして、夜なかすぎに目をさますと、
やねの破れたところから、お月様が寒そうにのぞいて
いらっしゃいます。

≪課外 p002≫
のらくら者は、いま一眠りしようと思って、そのま
ま目をつぶりますと、どこか遠い所でにわとりの鳴聲
が聞えます。「あゝ、もうにわとりが鳴くな。」と思った
はずみに、どうした事か急におなかがいたんで來て、
まるではらわたをかきまわされるようです。
「いたい、いたい〳〵。これはたまらない。」
のらくら者は、うん〳〵うなりながら、ころげまわ
りました。その中に方々のにわとりが鳴きはじめます。
おじいさんのうちのにわとりも、「こけこっこう。」と元
氣な聲で鳴き出しました。その聲がのらくら者の耳に
ひゞくと、おなかのいたみはます〳〵ひどくなって、
何だかおなかの中でにわとりが羽ばたきをするような
氣がします。「あいたっ、うん〳〵、いたい〳〵。」とう

≪課外 p003≫
なりながら、しっかりおなかをおさえますと、これは
ふしぎ、おさえたおなかがごろ〳〵と大へんに鳴り出
して、しまいにはおなかの中で、「こけこっこう。」とに
わとりの鳴聲がします。さすがののらくら者もびっく
りしました。
「これは大へん。盜んで食べたにわとりがおなかの中
で鳴き出した。あいたっ。いたい〳〵。」
「こけこっこう。」
鳴く度に、はらわたがちぎれるようにいたみます。
のらくら者がころげまわっていますと、空からお月様
がすうっと下りて、やねの破れたところから、家の中
へはいってお出でになりました。
「にわとりを盜んだばちがあたったのです。」

≪課外 p004≫
その聲にびっくりして、のらくら者が顔を上げます
と、お月様はとうといおすがたをして立っていらっし
ゃいます。のらくら者が何か言おうとすると、またお
なかがごろ〴〵と鳴って、「こけこっこう。」と鳴き出し
ました。
「助けてやろうか。」
と、お月様はやさしくおっしゃいました。
「はい、どうぞ。あいた。うん〳〵。」
「それではね、これからすぐにおじいさんの所へ行っ
て、にわとりを盜んだことを、はくじょうしなさい。
そしておじいさんが腹を立てて、お前に『このどろぼ
うめ』と言ったら、お前のおなかはなおります。」
この時、夜はほの〴〵と明けかゝって、お月様はど

≪課外 p005≫
こへか消えておしまいになりました。のらくら者は、
おなかはなおしたいが、自分がどろぼうをしたことは
言いたくありません。そこでのらくら者は、とにかく
おじいさんが、「このどろぼうめ。」といゝさえすれば、
自分のおなかはなおるだろうと考えました。そうして
おじいさんのところへ行きました。
(二)
早起のおじいさんは、もうにわとり小屋のそうじを
していました。
「おじいさん、お早う。」
「はい、お早う。」
「私はおじいさんに話したいことがある。」
「そりゃまた何でござりますか。」

≪課外 p006≫
「向う村の惡太郎が、お前さんのにわとりを盜みまし
た。私がつれて行って上げますから、惡太郎の家の
前へ行って、『このどろぼうめ。』といって、しかりつ
けておやりなさい。」
「私はいそがしくて行かれません。」
こんなことをいっている中に、のらくら者のおなか
はまたごろ〳〵鳴り出しました。今にも「こけこっこ
う。」と鳴き出しそうです。さすがののらくら者も、も
うかくしてはおかれなくなりました。それで自分がに
わとりを盜んだことをすっかりはくじょうして、
「どうか『このどろぼうめ。』といって下さい。」
と泣きながら、おじいさんに願いました。
おじいさんは根{ね}が善{ぜん}人ですから、そんな惡口をゆう

≪課外 p007≫
のはいやですけれど、この男の命を助けるためだと思
って、もじ〳〵しながら、小さい聲で、
「このどろぼうめ。」
といってやりました。そうすると、のらくら者のおな
かは急に小さくなつて、のどの方へ何かせり上げて來
るものがあるようです。と思っている中に、ふしぎに
ものらくら者の口の中から、一羽のにわとりがするり
と出て、お庭の上に飛下りて、ばた〳〵と羽ばたきを
しました。
おじいさんものらくら者も、腰のぬけるほどびっく
りしました。よく見れば、このにわとりは大きななめ
くじのやうなものをくわえています。
「何だろう。」

≪課外 p008≫
「おかしなものですね。」
「取ってみようか。」
おじいさんは木のきれを持って行って、にわとりの
口からそれをたゝき落してみました。
「蟲だろうか。」
「蟲のようですね。とにかく何でも知っていらっしゃ
るおしょうさんの所へ行って聞いてみましょう。」
「それがよからう。」
二人はそれを、おしょうさんのところへ持って行き
ました。するとおしょうさんは、
「あゝ、これかい。これはのらくら蟲といって、大そ
ういけない蟲だ。それにしても、この蟲がおなかか
ら出て來たのは大そうめでたい。これは善いおじい

≪課外 p009≫
さんのとくが、にわとりにうつって、そのにわとり
がこののらさんを助けてくれたのだ。」
とおっしゃいました。これを聞いて、はっと氣がつい
たのはのらくら者です。今までくるしかった心が急に
せい〳〵して、何ともいえないよい氣分になりました。
そこでこの男は、おじいさんとおしょうさんに、
「どうもありがとうございました。おかげさまで命が
助った上に、たましいまで入りかわりました。」
と、何べんもお禮をいって家に歸りました。それから
は生まれかわった善い人間になって、大そう仕事にせ
い出して働いたとゆうことです。
二 若葉かげ
若葉のかげの、

≪課外 p010≫
うばぐるま。
そよ〳〵風の
吹く度に、
すや〳〵眠る
赤ちゃんの、
りんごのような
ほっぺたに、
ちら〳〵ゆれる
日の光。
わたしのひざの
繪ざっしの、
繪にもきら〳〵
日の光。


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底本:ハワイ大学マノア校図書館ハワイ日本語学校教科書文庫蔵本(T571)
底本の出版年:昭和4[1929]年7月25日発行、昭和10[1935]年8月10日第7版
入力校正担当者:高田智和
更新履歴:
2021年11月27日公開

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