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Umegoyomi yokyō shunshoku tatsumi no sono

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Volume 4

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梅暦余興春色辰巳園 巻四

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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
 複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(口1オ)
辰巳の園二編序
千艘{せんざう}の出舟{でふね}あれば万艘{まんざう}の入舟{いりふね}あり。色{いろ}の
湊{みなと}の夕景色{ゆふげしき}道{みち}のかきがら踏{ふみ}わけて陸歩{おかぶら}
ながら此{この}里{さと}の穴{あな}を穿{さぐ}りし筆{ふで}の綾{あや}実{じつ}に
作者{さくしや}の黒江町{くろえちやう}小本{こほん}の中{なか}の|流行先生{はやりつこ}そも
うめ暦{こよみ}の開{ひらけ}てより大吉利市{たいきちりし}の大当{おほあた}り。

(口1ウ)
恋{こひ}にはすゑをとほし矢{や}も石{いし}に辰巳{たつみ}の風
俗通{ふうぞくつう}土橋{どはし}仲町{なかちやう}裾矢倉{すそやぐら}と他{ひと}のかぞへる
類{たぐひ}にあらずよく人情{にんじやう}に大島町{おほしまちやう}眉毛{まゆげ}
ぬらして用心{ようじん}しても化{ばか}されやすき稲荷
横町{いなりよこちやう}これ化{ばか}すにはあらずして自身番横
町{じしんばんよこちやう}に自身{じしん}の迷{まよ}ひと異見{いけん}もこもる|為

(口2オ)
永{おきな}の癖{くせ}金子横町{かねこよこちやう}の金{かね}でかはれぬ唄女{はをり}
女郎{こども}の心{こゝろ}いき土地{とち}に居{ゐ}てさへおぼつか
なき真{しん}の咄{はな}しを聴出{きゝた}して細{こま}かにしるす紅
筆{べにふで}の文{ふみ}はいとしい念力{ねんりき}が彼{かの}舟宿{ふなやど}に行届{ゆきとゝ}く
客{きやく}の心{こゝろ}のかわゆき誠{ま〔こと〕}は親里{おやさと}までもうかべ
らるゝもやひの舟{ふね}の塩{しほ}ざかひ。さす。ひく。そこる

(口2ウ)
にしる。程{ほと}深{ふか}くさがせし辰巳{たつみ}の園{その}また呼
出{よひだ}されし二編目{にへんめ}は行{いつ}て来{き}なよと縁宜{ゑんき}を
いはふ娘分{むすめふん}の言葉{〔こと〕ば}もさへた調子{てうし}にならば
音〆{ねじめ}くるはぬつくたぶし送{をく}り迎{むか}ひの船{ふね}
の中{うち}枝蔵{えだぐら}かよひの道草{みちくさ}にぺん〳〵草{くさ}の
業{わざ}くれば蔵{くら}ほうしの娘{むすめ}が仕込{しこむ}まて妙{めう}な

(口3オ)
穿{うがち}と虚賞{そらぼめ}にはむくを直{すぐ}に付込{つけこん}て序
文{じよぶん}を頼{たの}むと狂訓亭{きやうくんてい}が川岸{かし}を付{つい}たる桜川{さくらがは}
久{ひさ}しく怠{おこた}る病気{びやうき}の床上{とこあげ}御{ご}ひいき方{がた}へ乗
出{のりだ}さんその内心{したごゝろ}で筆{ふで}を採{とり}
辰巳{たつみ}の遊人{いうしん}善孝誌。

$(口3ウ)

$(口4オ)
紀貫之
春秋に
思ひ乱れて
わきかねつ
折につけつゝ
うつる心は

$(口4ウ)
夕越る
人を
待乳の
さん茶

米八
三孝
〈画中〉たかはしや
〈画中〉高橋屋

$(口5オ)
清元延津賀

$(口5ウ)
珍奇楼主人
小松雪柳
みをつくす
心のたけは
千尋にて
とゞかぬ
文のたより
つらけれ

(1オ)
[梅暦{うめごよみ}餘興{よきやう}]春色{しゆんしよく}辰巳園{たつみのその}巻の四
江戸 狂訓亭主人著
第七回の上
塩{しほ}むきの|小赤貝{ばか}少{すく}なしといへども土地{こゝ}に来{きた}つて見{み}る時{とき}は座
附肴{ざつきざかな}の自慢{じまん}にして絶{たえ}る〔こと〕なき流行妓{はやりツこ}今朝{けさ}見参{かほぶれ}の新妓{しんこ}
あれば晩方{ゆふかた}引込{ひつこむ}自前{じまへ}あり。こゝに白狐{びやつこ}の通{つう}も得{え}し手取{てとり}手{て}
くだの上手達{じやうずたち}が軒{のき}を並{なら}べし新道{しんみち}を稲荷横町{いなりよこちやう}とか呼{よび}なれし
所{ところ}に程{ほど}よき中年増{ちうどしま}彼{かの}増吉{ますきち}が中{なか}の間{ま}に今日{けふ}も遊{あそ}んで仇

(1ウ)
吉{あだきち}が此{この}程{ほど}目病{めやみ}の気保養{きほうやう}気{き}の相同志{あいどし}とて信切{しんせつ}に親子{おやこ}も
和合{なかよき}増吉{ますきち}が【増】「サア茶{ちや}がはいつたヨ。母人{おつかア}此所{こゝ}へおくぜ。」ト湯呑{ゆのみ}へ
ついで茶{ちや}をいだす。【母】「アイ〳〵。」【仇】「母御{おつかア}お待{まち}ヨ。今{いま}奴{やつこ}が来{く}るはネ。」
【増】「ヲヤそうだつけのう。母人{おつかア}今{いま}仇{あだ}さんが奴{やつこ}を越後屋{ゑちごや}へやつた
から美味{うまい}ものが来{く}るヨ。あけて置{おこ}ふか。」ト湯呑{ゆのみ}を取{とり}にかゝると母
親{はゝおや}は手{て}をいだし【母】「マア〳〵一盃{いつぱい}呑{のん}で咽{のど}をよくしめしておいて。」
ト笑{わら}ひながら茶{ちや}をのむ。【増】「そうかそんならもつとつがふか。仇{あだ}さん
サア茶{ちや}はいやか。」【仇】「何{なに}いゝのサ。茶{ちや}は茶{ちや}酒{さけ}は酒{さけ}だアな。」【増】「そふか女房{にようばう}は

(2オ)
女房{にようばう}情人{いろ}は情人{いろ}か。どうしても跡{あと}でいふほうがいゝもんだの。」
【仇】「亦{また}かやう〳〵途切{とぎ}れたのに。」トいふ折{をり}から十一二{じういちに}の小女子{こぢよく}糸{いと}
びん奴{やつこ}の色素{いろじろ}髪{かみ}のはけをよこツちやうにまげがた〳〵と障子{しやうじ}
を明{あけ}仰山{ぎやうさん}に欠入{かけい}り喘息{せい〳〵}いつて来{きた}りしが【小】「ハイ仇吉{あだきつ}さ゜ん。」ト出{だ}し
て肩{かた}で息{いき}をしてゐる。【仇】「アイヨ御{ご}くろう〳〵。サア母御{おつかア}。」【増】「ちよつ
とマア見{み}な。奴{やつこ}がどうしたんだな。」【小】「それだつてもあんまり久{ひさ}
しくまたせておきやアがるから腹{はら}が立{たつ}て〳〵思入{おもい}れ小僧{こぞう}と喧
嘩{けんくわ}をしてどなつてやつたら追{おつ}かけて来{き}やアがつたものを。」【増】「

(2ウ)
こまるがきだよ。出{で}ると喧嘩{けんか}アして来{き}てどうもならねへ。」【仇】「
ナニサそうじやアねへやアな。おいらが待{まち}どほだろうとおもつて
だのう。」【小】「アイ。」トとぼけた顔{かほ}をして居{ゐ}る。[作者曰|色白{いろじろ}にきれいなる女の子をいとびんやつこなぞに
おもひきつてこしらへいやみなくしてつかふがはやりていつもこの土地{とち}の風{ふう}なり。あながち今{いま}もあるといふにはあらずたゞおしはかるのみ]【母】「サア〳〵おい
らはこの事{〔こと〕}だ。ドレ〳〵老人{としより}がはじめるものだ。」【仇】「そうよのう
母御{おつかア}たんとお上{あが}り。サア増{ます}さんどうだ。」【増】「いゝのサ甘{あま}いものもわる
かアねへ。」ト練{ねり}ようかんと極製{ごくせい}のかすてらへ庖丁目{ほうてうめ}を入{い}れて
台{だい}へ積{つむ}ばかりにせしを一切{ひときれ}とつて【増】「ヲヤ〳〵ぞんぜへな切様{きりやう}だ。

(3オ)
しかし餅{もち}と酒{さけ}の両刀{りやうとう}だからふせうしてやれか。」【仇】「酒{さけ}のわりい
ほど腹{はら}は立{たつ}めへ。」【増】「ちげへねへ。練{ねり}ようかんより此{この}薄皮{うすかは}のほうが
いゝのう。」【母】「なんだなこの子{こ}は一人{ひとり}でそんなにせへ出{だ}さずといゝはな。
意地{いぢ}のきたねへ。」【増】「フムウおめへの喰{く}ふのが少{すくな}くなると思{おも}つて急
腹{きうばら}だの。」【母】「ふざけなさんな。外聞{げへぶん}のわりい。にくまれ口{ぐち}ばつかり
きかア。仇{あだ}さんおめへわりいものを姉妹{きやうだい}ぶんにしていけないヨ。」ト笑{わら}ふ。
仇吉{あだきち}もわらひながら【仇】「それだからうらやましいヨ。増{ます}さんは
仕合{しあは}せだ。ほんに母御{おつかア}のやうなさばけた人{ひと}はないヨ。」【増】「ナニそふでも

(3ウ)
ねへ。時〻{とき〴〵}愚智{ぐち}をいふ折{をり}も有{ある}はネ。それだがその愚智{ぐち}が余程{よつぽど}
おかしいヨ。此間{こないだ}も何{なに}かしながら独言{ひとり〔ごと〕}に「アヽモウ〳〵死{し}んでても
しまひてへじれつてへ。」トいふから私{わたい}がヲヤ母人{おつかア}何{なに}がそんなにじれつ
たくツて死{し}ぬ程{ほど}の〔こと〕があるといつたらの何{なに}もいふ〔こと〕がねへから
手{て}めへでにおかしくなつたそうで吹出{ふきだ}して笑{わら}ふやつサ。それだから
の此間{こないだ}兄{あに}さんが来{き}た時{とき}何{なに}をか私{わたい}の〔こと〕をいツつけると云{いつ}て半分{はんぶん}
ごろから外{ほか}のはなしになつたもんだから兄{あに}さんがおかしがつて
笑{わら}ひだすとまじめになつておめへ達{たち}は親{おや}を馬鹿{ばか}にすると云{いつ}て

(4オ)
腹{はら}を立{たつ}から兄{あに}さんがいふにはそんならいつそお増{ます}をこらしめの
ために屋敷{やしき}へでも出{だ}して窮屈{きうくつ}な目{め}をさしたらよかろうと
いふと直{ぢき}に泪{なみだ}ぐんで心細{こゝろぼそ}い〔こと〕を言{いつ}ておれにいやがらせてあそぶ
といふはな。」【母】「ヱヽいゝかげんに親{おや}の店卸{たなおろし}をするもんだア。」[仇吉ははらをかゝへておかしがり
もみのきれにてめをふきわらひながらうす皮{かは}をとつてだし]【仇】「サア〳〵奴{やつこ}おめへもけんくわのだちんを
たべな。」【増】「母人{おつかア}ちつと叱{しか}つてやんねへヨ。もう〳〵いけねへぜ。そして
の奴{やつこ}や今度{こんど}ツから待{また}して置{おい}たツてはらをたつもんじやアねへよ。
薄皮{うすかは}ばつかりやア出来{でき}たてをよこすからだヨ。」【小】「アイ。」【母】「奴{やつこ}〳〵

(4ウ)
手{て}めへやおればかり豊年{ほうねん}じやアいけねへ。ちよツくり催促{さいそく}を■■*「■■」は「して」の欠損か
こいヨ。」【小】「アイ今{いま}帰{けへ}る時{とき}はやくと言{いつ}て来{き}ました。」【増】「それでも
宅{うち}へ欠込{かけこん}だじやアねへか。はやくもう一{いつ}ぺん行{いつ}て来{き}な。」【仇】「ナニしづか
でもいゝやアな。」【小】「サア〳〵行{いつ}て来{こ}やう。」ト出{いで}て行{ゆく}。【母】「おいらも
行{いつ}て来{こ}やうのうお増{ます}。」【増】「アヽそうしておくれ。」【仇】「何所{どこ}へ行{いく}のだへ。」
【母】「ナニ上専寺{じやうせんじ}へ御名代{ごみやうだい}サ。」【仇】「そうかへ日参{につさん}かへ。」【増】「そうヨ。それじやア
母人{おつかア}ちよつくら行{いつ}て来{き}ておくれ。」【母】「サア〳〵いこう〳〵。仇{あだ}さん
御馳走{ごちさう}。たんとお遊{あそ}び。」【仇】「アイヨ。」【母】「ドレいこふ。イヤついでに栄代{ゑいたい}へ

(5オ)
まはつて賀久子{おかく}さん処{とこ}へ寄{よつ}て奴{やつこ}が御手本{おてほん}を取て来やうか。」
【増】「ほんにそふしておくれな。そして何ぞ新作{しんぱん}の稿本{たねほん}とやらが
有{あつ}たらかりて来{き}ておくれな。」【母】「よくいろ〳〵な〔こと〕をいふのう。わ
すれてもいゝか。」【増】「わすれるのまで断{〔こと〕}はらずといゝはな。」【仇】「アハヽヽヽヽ
おかしい〳〵。」【母】「ヲイ巾着{きんちやく}をわすれた。お増{ます}やその用箪笥{ようだんす}の
上{うへ}に有{ある}からとつてくんな。」【増】「そりやはじまつた。枝蔵{ゑだぐら}あたりから
帰{けへ}つて来{く}るヨ。杖{つゑ}をやろうか。」【母】「ころばぬさきの用心{ようじん}か。まだそれ程{ほど}は
老込{おいこま}ねへ。」【増】「おめへはおいこまねへつもりでも。」【母】「ヱヽもういゝにし

$(5ウ)
ます吉
仇吉
しめやかに
ぬれのうわさや
春の雨
兼八

$(6オ)
〈画中〉梅子筆

(6ウ)
ねへなふけへきな。」ト気{き}さくな母{はゝ}の機嫌{きげん}よくお祖師{そし}さまへと
出行{いでゆき}ける跡{あと}にお増{ます}はわらひながら【増】「サア〳〵仇{あだ}さん心おきなくのろ
けなせへ。」【仇】「ナニおめへの処{とこ}の母御{おつかア}なんざアちつとも心はおけねへ
はな。」【増】「ずいふんむかしの洒落者{しやれもん}だがどうも歳{とし}がよつちやア
いけねへのう。」【仇】「ナニ〳〵此宅{こつち}の母御{おつかア}は通人{とほりもん}だヨ。おいらが宅{とこ}の母
|人{かア}ときちやアモウ〳〵たまらねへヨ。」【増】「ナニ何所{どこ}でもそうだアな。」
トいふうち小女子{こぢよく}が前{さき}に立{たち}何かいろ〳〵持て来{く}る。小女子|障
子{しやうじ}をあけて【小】「サア〳〵来{き}ました〳〵。」【増】「御苦労{ごくらう}〳〵。其所{そこ}へ

(7オ)
置{おい}て行{いつ}てくんな。」【仕出しやの男】「ハイ〳〵おほきにおそくなりました。」ト置{おい}て
行{ゆく}。【仇】「増吉{ますきつ}さ゜んかんをかけやうか。」【増】「そふヨ。奴{やつこ}其所{そこ}の燗徳利{かんどつくり}へ
酒{さけ}をいれて仇{あだ}さんのとこへやんねへ。」【小】「アイ。」【仇】「ヲツトよし〳〵
おいらがするヨ。」トかんを付{つけ}る。増吉{ますきち}は来{き}たりし肴{さかな}を火鉢{ひばち}の側{そば}へ
ならべて【増】「サアマア仇{あ}の字{じ}ばじめねへか。」【仇】「ヲヤおめへ主{あるじ}のくせに。」「ばじめ」の濁点ママ
【増】「また株{かぶ}でおつなくせだの。そんならわたくしがおはじめもふ
そふ。」ト猪口{ちよく}をとる。【仇】「お酌{しやく}をいたしませう。」【増】「いたしでも鼠{ねずみ}
でもいゝがやつと酒{さけ}になつたやうだの。」【仇】「そうヨのう誠{ま〔こと〕}に長{なが}かつた。」

(7ウ)
【増】「サア仇{あ}の字{じ}。」【仇】「アイサア〳〵呑{のま}ふ〳〵。なんだかちつと浮{うい}たやう
だ。」【増】「しかしういてもおめへ沢山{たんと}は眼{め}にわりいヨ。今日{けふ}はよつぽど
いゝかとおもふは。」【仇】「アヽ今日{けふ}はたいそういゝよ。日長{につちやう}さまはありかたい
のう。ヲヤおいらアおつかアがいくならお洗米{せんまい}を。ムヽそう〳〵今朝{けさ}
はやく|家内{うち}の母人{おつかア}が行{いつ}たからいゝ。」【増】「あんまり逆上{のぼせる}から眼{め}も
わるくなるのだアな。こまつたもんだよのう。」【仇】「そういはれると己{おれ}
ばつかり惚込{のぼせ}てゐるやうだがまさかそうでもねへヨ。そして。」【増】「
いゝよ彼男{あつち}でも逆上{のぼせ}てゐるヨ。わかつたヨ。」[仇吉はわらひながら]【仇】「ナニサマア

(8オ)
聞{きゝ}なヨ。それでものどんなにおいらの眼{め}を案{あん}じて居{ゐ}るだろふ。」
【増】「ヲヽ〳〵大変{たいへん}〳〵始{はじま}り〳〵。」ト仇吉{あだきち}のあごを手拭{てぬぐ}ひで
ふくまねをする。【仇】「あれサマア増吉{ますきつ}さ゜んじれつてへ。」【増】「イヤもふ
こまるの。おれまでじれつてへのか。近所{きんじよ}にはことなかれだのう
ハヽヽヽヽヽ。」仇吉{あだきち}もしばらくわらつて居{ゐ}て【仇】「しかし串戯{じやうだん}じやア
ねへヨ。おいらアどんなに気色{あんばい}がわるくつても大略{てへげへ}我慢{がまん}を
するけれどもこんどの眼{め}ばかりは苦労{くらう}になるヨ。」【増】「そふヨのう。
ひよつと眼{め}がつぶれると丹{たん}さんの顔{かほ}もみられずか。」【仇】「そればツかりは

(8ウ)
ほんとうだヨ。」ト目{め}をふいてふさぐ。【増】「つまらねへ〔こと〕をいふ
のう。つぶれるほどの眼{め}で酒{さけ}が呑{のめ}るものか。第一{だいゝち}そんなにのろ
けてゐられるものか。それよりかマアちつと酒{さけ}をはやらせなナ。」
【仇】「そうさねへ。斯{かう}だものいけねへのう。どうかしたそうだ。」ト
下{した}においたる猪口{ちよく}を干{ほし}顔{かほ}をしかめて「アヽつめてへ。」【増】「それ見な
あんまりながいからだ。よせばいゝのにそれこそどくだ。」ト燗{かん}でう
しを取{と}る。
心{こゝろ}爰{こゝ}にあらざれば見{み}れどもみえず食{くら}へどもその

(9オ)
味{あぢは}ひを知{し}らずとは斯{かゝ}る〔こと〕をや言{いふ}ならん。喜怒愛苦
相悪欲{きどあいくあいあくよく}の七情{しちじやう}にわれとなやます煩悩{ぼんのう}の中{なか}に恋{こひ}
ほどやるせなきものはなけれど近来{ちかごろ}は人情{にんじやう}甚{はなは}だいやしく
なりたゞ美服{びふく}をかざりて色{いろ}をつくろい婦女子{ふぢよし}の心{こゝろ}
ます〳〵賎{いや}しく真{しん}の情合{じやうあい}あらざれば娘{むすめ}一人{ひとり}に男{いろ}
八人{はちにん}逃{にげ}て隠{かく}れてその先{さき}でまた他男{ほかいろ}と逃{にぐ}る類{たぐ}ひ
朝夕{あさゆふ}いろのかけ流{なが}し親{おや}もこれらを恥{はぢ}とせず若{わか}い中{うち}は
二度{にど}となし一人{ひとり}や半分{はんぶん}好男{いろをとこ}のないは今時{いまどき}ない〔こと〕などゝ

(9ウ)
たはけを尽{つく}す母親{はゝおや}のあまきたはけにほめられし娘{むすめ}
もいつか札付{ふだつき}のどうらく者{もの}となれるが多{おほ}し。それから
見{み}れば仇吉等{あだきちら}は真{ま〔こと〕}をまもる女{をんな}といふべし。

第七回の下
折節{をりふし}何{いづ}れの客{きやく}なるか細糸{ほそいと}のさへた音色{ねいろ}〽チヤン〳〵
そヲれ[引]テン〳〵いざなぎいざなみ夫婦{ふうふ}より合{あひ}て
まん〳〵たるわたずウみあまのさかほこおろさせ
たまひ引上{ひきあげ}たまふそのしたゝりこりかたまつて一ツの

(10オ)
島{しま}よ月{つき}よみ日{ひ}よみひる子{こ}そさのウもふけたまふ。
ひる子{こ}ともう[引]すはゑびすのことよ。
トうたふも古風{こふう}な七福神{しちふくじん}【仇】「モいやなものを弾{ひい}てるよう[引]。」
トじれる。【増】「なぜ七{しち}ふくじんじやアねへか。あたりさはりは有{あり}もし
ねへもんだに。」【仇】「ナニサ他{ひと}にやアねへがおいらはあるよ。」【増】「そうか
なぜの。」【仇】「わたやアもう七福神{しちふくじん}といふものは余程{よつぽど}ゑんぎの
いゝものだと思{おも}つてゐたけれどま〔こと〕に嫌{きら}ひになつたは。」【増】「サア
わからねへ。折節{とき〴〵}へんちきな〔こと〕をいふからこまるの。」【仇】「それ

(10ウ)
だつても夫婦{ふうふ}より合{あひ}てまん〳〵たるわたずみあまの
さかほこおろさせたまひツサ気障{きざ}じやアねへかのう。いやらしい。」
【増】「どうも〳〵およそ愚智{ぐち}なものも聞{きい}たがおめへぐらゐ愚
智{ぐち}な人{ひと}はどうもま〔こと〕に〳〵御殿女中{ごてんぢよちう}じやアねへが感心{かんしん}だ。
唄{うた}にまで妬心{ぢんすけ}じやアしかたがねへのう。ハヽヽヽヽ。」【仇】「それだつても
夫婦{ふうふ}より合{あひ}てが気{き}にいらねへはネ。夫婦{ふうふ}といふ字{じ}は腹{はら}が立{たつ}
よ。」【増】「そりやアおめへの文句{もんく}の取{とり}やうがわりいはな。寄合{よりあひ}てまん
〳〵たるわたづみもおめへと丹印{たんじるし}にとつて見{み}ねへな。どんなに

(11オ)
うれしい辻占{つぢうら}だろう。」【仇】「そういへばそうだけれどどうもすゑ
始終{しじう}苦労{くらう}したところが夫婦{ふうふ}になられるわけでは有{ある}めへと
思{おも}ふからだアネ。そりやアモウ米八{よねはつ}さ゜んに義理{ぎり}と人情{にんじやう}をかいて
しまやア世間{せけん}の口{くち}はなんのそのと思{おも}つて見{み}てももしやまた
丹{たん}さんも米八{よねはつ}さ゜んにやアいふにいはれぬ恩{おん}が有{ある}そうだから兼{かね}
ておめへにはなすとほり両方共{どつちへも}つかれぬ義理{ぎり}とうぬぼれら
しいが私{わたい}にも顔{かほ}を立{たて}させてくれる心{こゝろ}になりかねない気性{きしやう}
だからそればつかりおもひ過{すご}して自分{てん〴〵}の身{み}ではがいゝ心{こゝろ}を

(11ウ)
出{だ}して居{ゐ}るんだアね。」トすこし声{こゑ}くもりて眼{め}をおさへて居{ゐ}る。
【増】「マア〳〵なんでもあんまり気{き}をもみなさんなよ。高慢{かうまん}
らしいやうだがなんでも人間{ひと}は義理{きり}や人情{にんじやう}を捨{すて}てしまつ
ちやアわけはないヨ。あつちこつちを考{かんげ}へて苦労{くらう}するから色{いろ}
もかはいゝわけなもんだアな。いきなりに世間{せけん}を捨{すて}て懸ツ{かゝつ}ちやア
からすてばちでいとしいなつかしいの情合{じやうあい}もうすくなるから
おめへなんぞも猶{なほ}の〔こと〕唄妓{げいしや}中間{なかま}で取{とり}わけて二{に}とは下{さが}らねへ
米八{よねはち}仇吉{あだきち}どつちこつちの勝負{かちまけ}が有{あつ}てもといふ中{うち}おめへは

(12オ)
不思議{ふしぎ}な縁{ゑん}で姉妹{きやうだい}同前{どうぜん}になつて居{ゐ}るから寄場{よせば}の世
間咄{せけんばな}しにもいかに色{いろ}にこりかたまつても不人情{ふにんじやう}な子{こ}だ
わけ知{し}らずだとはいはしたくねへと思{おも}ふのもマア釣方{つりかた}とやら
いふもんだろうヨ。」【仇】「ほんに嬉{うれ}しいヨ。こゝろやすくすればこそ一
所{いつしよ}に苦労{くらう}してもらつてほんとうにおいらアモウしみ〴〵
わすれやアしねへは。」【増】「またふさぐとわりいからちつとうい
て遊{あそ}びなヨ。いらざる異見{いけん}らしい〔こと〕も言出{いひだ}してまた裏{り}に
落{おち}た。ドレ燗{かん}を直{なほ}そう。」ト燗銅壼{かんどうこ}の蓋{ふた}をとる。【仇】「おつかアは

$(12ウ)
おそいのう。」【増】「ナニまた方{ほう}〴〵へよつて来{く}るからヨ。いつでも
斯{かう}だヨ。ヲヤそういへば奴{やつこ}は何所{どこ}へ行{いつ}たツけの。」【仇】「そうサのう。
ムヽ左様{そう}〳〵
今{いま}しがた其所{そこ}の
おつかアの仕事{し〔ごと〕}
の側{そば}の本{ほん}ばさ
みを持{もつ}て出{で}て
行{いつ}た。」【増】「ヲヤそふか。
〈画中〉延津賀

(13オ)
それじやアおほかた稽古{けいこ}に行{いつ}たろう。行{いく}ならいくと言{いへ}ばいゝ
のに。」【仇】「ナアニあんまりわたいらが夢中{むちう}になつてはなしを
してゐたからわざとだまつて行{いつ}たのだろう。利口{りこう}な子{こ}だ
のう。」【増】「ばかじやアねへやうだがおてんばで〳〵こまりきるよ。」
【仇】「そのかはり芸{げい}もすゝどかろうはネ。」【増】「アヽそうサ歳{とし}に合{あは}し
ちやアずいぶんもの覚{おぼ}えもよしいたづらだけの〔こと〕はどうか有{あり}
そうだがまだ何{なん}だかわからねへヨ。どうぞマア相応{さうおう}な者{もの}にしてへ
もんだヨ。」【仇】「ならなくつてサ。」【増】「イヽヱ左様{そう}ではないよ。何{なん}にし

(13ウ)
てもおいらがもう時代違{じだいちげ}へになつて居{ゐ}るからどうもいけ
ねへはナ。稽古{けいこ}をして来{き}たつて此方{こつち}が知{し}らねへ新{しん}もの
なんざア小言{こ〔ごと〕}をいふ〔こと〕が出来{でき}ねへからどうも押手{おしで}が利{きか}な
くつてじれつてへよ。」【仇】「そうサのう。それだつてそんなに時
代{じでへ}ちがひといふほどもちがひはしねへはな。そして譬{たとへ}知{し}らねへ
でもまたおめへなんぞの座敷{ざしき}の出立{でたて}はどうもまた芸{げい}を
磨{みが}いたものばかりみがゝねへじやアならなかつたそうだからどふ
しても子{こ}どものためにはつよみだアね。」【増】「なアにそうでねへヨ。

(14オ)
おいらアモウわずか四年{よねん}ばかり引込{ひつこん}でるが一年{いちねん}ちがつても様
子{やうす}の変化{かは}るもんだアな。そのうち今日日{けふび}の唄妓衆{はおりし}や何{なに}かは
よつほどほねがおれらアな。ほんに私{わたい}なんざアそのうちで
ちつとどうも一{いつ}こく座敷{ざしき}だつたから面倒{めんど}くせへ〔こと〕が嫌{きれ}へと
いふ野暮{やぼ}てんでどうも流行{はやり}やうがねへはな。」【仇】「そうでもねへ
よ。そりやアモウほんとうにおめへのうわさは知{し}つてゐるヨ。私{わたい}も
おめへのいふとほり斯{かう}して世話{せわ}になるからざしきの噂{うわさ}も気{き}
をつけるヨ。今{いま}の私等{わたいら}が仲間{なかま}は不残{みんな}らくだはネ。そのうち私{わたい}

$(14ウ)
仇吉
ます吉

$(15オ)
仇吉母
いぢわるく
あらしなまぜそ
春の雨
滝ノみよ女

(15ウ)
なんざア何{なに}も是{これ}ぞと取{とり}しきつて芸{げい}もなくつてマア唄
妓衆{はおりし}の仲間{なかま}も付合{つきあい}をよくしてくれるから気{き}がねも
なし。船宿衆{ふなやどし}やお茶屋{ちやや}でもひいきにしてもらふもほんとう
に今更{いまさら}おそまきな世事{せじ}じやアないヨ。おめへなんぞとこゝろ
やすくしてゐるから何{なに}か行{いき}とゞいた唄妓衆{はおりし}と思{おも}つてくれる
のだろうとほんに自力{じりき}で斯{かう}してゐるとはおもやアしねへはネ。」
【増】「ソレ見{み}ねへ。それがどうも今{いま}の唄妓衆{げいしやし}やア如才{ぢよせへ}ねへヨ。左様{そう}
早速{さつそく}他{ひと}をうれしがらせるといふのが日{ひ}ごろ活業{しやうばい}のみゝツ

(16オ)
ちいのだはな。芸{げい}ばかりでげいしやじやアねへはな。今{いま}はまた猶{なほ}の
〔こと〕はりも意気地{いきぢ}も達引{たてひき}もむかしにまさつた人情{にんじやう}だから
それに順{じゆん}じて芸{げい}もそのとほりサ。もつとも此方{こつち}をあそぶ
お客{きやく}にやア気障{きざ}もたんとはねへけれど時{とき}に寄{よつ}ちやア鼻{はな}もち
のならねへ〔こと〕も有{ある}もんだアな。私等{わたいら}なんぞの時分{じぶん}にやア。お
けさせうぢきなら。で済{すん}だもんだがどうして〳〵」「おまへを
まち〳〵蚊屋{かや}のそと。」を唄{うた}つた口{くち}で。【住吉{すみよし}】「またの月見{つきみ}をたのし
みに日数{ひかず}かぞへて思{おも}ひ出{だ}す。」トいふ世{よ}の中{なか}だから実{じつ}にほねが折{をれ}るのサ。」

(16ウ)
○看官{ごけんぶつ}の通君子{つうくんし}殊{〔こと〕}に辰巳{たつみ}の穿鑿家{せんさくか}此{この}さうしを
閲{けみ}したまはゞそのいたらざるを笑{わら}ひもそしりもしたま
はんが元{もと}これ穿{うがち}の冊子{ふみ}ならず只{たゞ}人情{にんじやう}を尽{つく}さんとて
愚智{ぐち}をならべるのみなればかならすしも当世{たうせい}の
酒落家{しやらくか}予{よ}が非{ひ}をかぞへて梅暦{うめごよみ}の愛敬{あいきやう}までうし
なはせたまはんかとおそれてこゝにわぶるものなり。
[梅暦餘興]春色辰巳園巻の四終


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底本:国立国語研究所蔵本(W99/Ta81、1001142239)
翻字担当者:成田みずき、矢澤由紀、島田遼、藤本灯
更新履歴:
2017年3月28日公開

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