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物類称呼巻五
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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.行移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.漢字は常用漢字新字体によることを原則とした。
5.繰り返し符号は次のように統一した。
平仮名1文字の繰り返し 〔例〕いなゝく、いとゞ
片仮名1文字の繰り返し 〔例〕タヽミ、イタヾキ
漢字1文字の繰り返し 〔例〕千々
複数文字の繰り返し 〔例〕いよ〳〵、ぢう〴〵
6.白ゴマ読点は読点(、)、小さな白丸は中点(・)で代用した。
7.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
8.傍記・振り仮名は{ }で囲んで表現した。 〔例〕乾坤{けんこん}
9.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕乾坤{#あめつち}
10.傍記・振り仮名が付く本文文字列の始まりには|を付けた。
11.割注・角書は[ ]で囲んで表現した。
12.漢文部分(日本語語順でない漢字列)は語順を入れ替えた。
13.訓読記号(レ点・一二点・合符など)は省略した。
14.書名や語形を示す枠囲みは『 』で代用した。
15.原本の表記に関する注記は(*)で記入した。 〔例〕又諸國にて・ざふ(*「ざふ」に傍線)
本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(1オ)
物類称呼巻之五
言語
○大いなる事を五畿内近国共に・ゑらいといひ又・いかいと云
今按に東国にてもゑらひと云物の多き事をいひて大いなるかたには
用ひず上かたにては高大なる事に聞えたり又いかいはいかいものといふ時は
大い成事いかい事と唱ふる時は多き事也諸国の通称にや四国にてい
かいと云はいかいお世話いかい御苦労などゝ云事にのみつかふ是も大いなる義なり
古には大なるをいかといひしと見えたり貝原篤信はいかいといふはいかめしいの
畧語ともいへり
伊豆駿河辺にはいかいとも又・がんかう(*「かう」に傍線)ともいふ上野に・野風と云陸奥にて
・でつかいと云[いかいの転語か]仙台にて・をかると云又・がいとも云[関東すべていふか]又・づな
(1ウ)
いと云安房上総及遠江信濃越後にて・でこといふ越後にては大きし
小さしといふをでこしのこしといふ西国及四国にて・ふといと云
○多いと云事を・たんと・ぜう・だいぶん・たくさんなどいふ時は関西関東
共に通称なり又尾張にて・ふんだくといふは東武にていふ・ふんだんと云にひと
しき歟又たんとゝは足{たん}ぬといふ事胆斗{たんと}と書く時は『蒙求』ニ姜維{きやうい}胆斗といへる
より出て大なる事也をゝしにはあたらず又|饒{ぜう}はをゝしと訓ず古哥に
〽大和なるうちのこほりの戸たて山ぜうにをりたるかぎわらびかな
京にてせんどゝ云相模にて・たう(*「たう」に傍線)どゝいふ常陸にて・だらくと云信州上州共
に・もうにと云上総にて・どんとゝ云遠江にて・しごくだまと云東国にて・し
こたまといふ仙台にて・よんこと云肥州にて・よんにやう(*「にやう」に傍線)と云是は余饒{よにやう}也
○わざとゝいふ事を参州奥州にて・やくとう(*「とう」に傍線)と云
今案にわざといひわざ〳〵などいふをなじ詞也尾張にて・ゑりわざといふ
(2オ)
東武にて・ゑりわりといふ是もおなし意{こゝろ}也わざ〳〵といふにもかなふ歟又東
武にて・やくと云詞は尾張辺にて・やわといふにあたるたとへばかゝる碁にやくと
負{まけ}んや又やはと負んやなどいふこゝろ也『枕草子』ニやくとしてといふ詞の註に
役{やく}としてと有はわざといふにかよふなるべし
○所の仕来{しきたり}といふ詞のかはりに京都及丹州辺にて・所法則{ところぼつそく}と云豊州辺にて
は・恒規{がうき}と云大隅薩摩にて・いかたと云又掟{をきて}といふ[をきてとは諸国の通語也]
○見よといふ事を奥州南部にて・みどう(*「どう」に傍線)らいと云南部の方言にてよめる歌に
〽見どうらい山にちとべこ雪もありこの春がいにさぶうかるべい
此哥の見どうらいは見よやいの転語にてよびかけたる詞なるべしちとべこはち
とばかり也がいと云は尾張辺より東奥まての通称にて古代よりの詞とこそ聞ゆ
又べいとは可{べき}にて哥にはべらとも詠り徂来翁のあんべいやうもないといふは
田舎{いなか}詞なりとて今は人の笑ふなれど源氏物語にも有也といへり予考るに
(2ウ)
見よといふことを東国にて見ろと云又聞ケよ置ケよといふをきけろをけろと
云類ひ古く云ならはしたる詞にや津軽にてはちてべこといふも是にをなじ此
所の童謡にあまりさむさにつらひぱた、山にちてべこのこる雪、なんせばぢうかい
どんこゝに云所のつらは頬{つら}にて『枕草子』頰杖{つらつえ}など云事なり俗にほう杖なと云に
ひとしなんせばぢうかいどんとはなんとしや(*「しや」に傍線)うかいなと云事ならんか又『万葉集』
〽草まくら旅のまろ寝の|ひも{紐}たえ{絶}ば|あ{吾}が|て{手}とつけろこれの|はる{針}もし{持}
○労{らう}して苦{くる}しむことをせつないといひ又じゆ(*「じゆ」に傍線)つないといふを加賀にて・てき
ないと云按にせつなるとは自語{じご}にて今いふ転語に『せつない』『じゆつない』『てき
ない』などいふ語に当れり自語なれば文字なしせつなと云べきをせつないと云
はせはしいせはしないの詞にて考合すべし哥書物語等にもせちに思ふなと書リ
○いかにしてもと云事を長崎にて・いかなちう(*「ちう」に傍線)つろばつてんからと云
○女色の事を丹波丹後にて・知音{ちいん}と云父母のゆるさゞる妻をちいん女房
(3オ)
と云[知音の二字は伯牙鍾子期の故事ニ出]長崎にて・しや(*「しや」に傍線)んすといふ[想思を唐音に唱るか]同所丸山にて・がつ
と云九州及中国にて・ちかづきと云長門にて人に始て対面するを近づきに成
とは敢{ゑ}いはずしてべつしてになると云薩摩にては女色をちかづきと云男色
を念者と云土佐にてもちかづきと云詞を耻らふ也奥州にては・ならびといふ
南部にては・けいやくといふ出羽ノ秋田にて・はなぐりと云江戸にて・いろと云・しや
う(*「しやう」に傍線)ねと云又念頃念者などいふは諸国の通言也色と云は『経文』ニ女ヲ通メ色ト曰フ(*原本「通女曰色」の順)と
有是による歟又しや(*「しや」に傍線)うねと云詞は五六十年来の流言{りうげん}歟又しや(*「しや」に傍線)うねとは執
念{しうねん}の転語なるべし又男女|交合{こうかう}することを信州にては・ねつれると云上総にては・めぐすといふ
○呵らるゝといふ事を長崎にて・がらるゝと云薩摩にて・がらりうばあと云
[是はしかられんなり]肥後にて・をぐると云房総{あはかつさ}辺にて・をださるゝと云尾州より遠州辺
・をめると云是を汗面{をめる}と書時は音語のやうに聞ゆれ共をめるは和語なり又
(3ウ)
『江家次第』ニをめるといふは劣{をとり}たる事にあたる歟又畿内にてひかると云はしかるなり
如此の類かそへかたし尾州知多郡にてはひとつふたつと云を『ふとつ』『ひたつ』とかぞへ
て、ひと、ふとの相違あり下野にても、ひと、ふと、(*読点)あちらこちらに云在所有尾州北
在所にて馬を『イマ』と云又今を『ムマ』と云是もおなし詞也但『日本紀』ニ今ヲ『ムマ』
馬を『イマ』とよませたる所見え侍れは笑ふべき詞にはあらざるか又安房の国にては
カキクケコの牙音{げおん}をアイウヱヲにつかふたとへば『百』{ひ(*「ひ」に傍線)やう}『二百』{にひ(*「ひ」に傍線)やう}なと云如き也上総の
東房州境辺是に同しすべて東国にて『見えぬ』『しらぬ』なと云ぬの字を延{のべ}
て『見えない』『しらない』といふ*『ナイ』の反{かへし}*『ヌ』なれば是も則*『ぬ』の字の拗{やう}音と見るべし
哥にも松も昔の友ならなくにとは友ならぬにと云*『ぬ』の字をのべたる物歟
その外此例をゝし
○よひとよといふ事を関東又は四国にて・よがよつ(*「よつ」に傍線)ぴといと云畿内にて・よが
よさゞらと云『大和物語』ニよひとよ立わづらひてと有
(4オ)
○方外なる物を関東にて・だうらくと云大坂にて・どろばう(*「ばう」に傍線)と云薩摩にて
・沒落{ぼつらく}と云東国にいふどうらくは堕落{だらく}の転語にや又どろばうとは東国に
ては盗賊{とうぞく}を云おもふにだらく変してだうらくといひ又だうらくと云詞ちゞみて
どらとなりたる歟但葬礼の時僧の鉦{どら}をうつもの故にどらをうつは人の終り
なりといふ意にや
○かはいらしいと云詞のかはりに下総又信濃にて・つぼいと云[『大江山の謡』にうち見にはをそろしげなれとなれて
つぼいは山ぶしとあり]越後及奥羽にて・めごいと云津軽にて・いずいと云武州片田舎
にて・むぢこいと云也上総房州又四国にて・むごいと云上野にて・いげちない
と云肥前及薩摩にて・むざうと云是等は皆かはゆひといふ事也
今案にかはい又かはゆしなど云自語[上古よりの自然の詞を云]ありて漢字{かんじ}渡し後可愛
の字を仮借{かしやく}したるもの歟正字とは見えず土御門内府通親記ニ云むげに
ちかく候はんまてぞかはゆく覚ゆると有又正親町一位公通卿の狂哥に
(4ウ)
さみせんのいとしかはゆしなどゝも詠し給へり
○あぢなし[食物の味ひうすき也]京江戸共に・無味{あぢなし}と云[但江戸にてうまくなひともいふ也]東国にて・
まづいと云大和及摂河泉又は九州のうちにて・もみないといひ又もむな
いといふいにしへ吉野の国栖{くず}の邑人|蝦蟆{かへる}を煮て上味とし食ふ名付
けて毛瀰{もみ}といへるよし『日本紀』ニ出ツ今云*『もみ』ないとは『もみな』物と云心成
べしいは助字也又武蔵国桶川の駅近辺にて目摺鱠{めすりなます}と名つけて蛙を
食ふよし聞り山東の人目摺鱠を食ふと云事『俗説弁』ニ委し
よつてこゝに畧す
○情なきといふ詞のかはりに大坂及播磨辺にて・いげちないと云東国にて・
むげちなきといひ又きせちないと云江戸にて・むごらしいと云『涅槃経』ニ
仏性ノ者名テ無{む}礙{げ}智{ちト}曰フ(*原本「仏性者名曰無礙智」の順)とあれは仏性のなきといふ事なるべし又あぢ
きなしといふも情なき心なり
(5オ)
○しぐむといふ事を江戸にて・はにかむと云又びゞるともいふ東国にて・しごむと云
又はがむと云房総海辺にて・がなづうと云がなづうとは寄居虫{がうな}の事を云己{をのれ}
か家より外へ出る事あたはず内に斗居るにたとへたり遠江にて・やにる
と云関西にて・わにるといふ越後にて・けすむと云『万葉集』ニつのゝふくれに
しぐひあひけんとよめりしぐひはしぐむといふにをなしと有
○久しきといふ事を出羽にて・よつ(*「よつ」に傍線)ぱるかといふ[世遙{よはるか}といふ心か]関西関東共に・やつ(*「やつ」に傍線)と
といひ又ゑつ(*「ゑつ」に傍線)とゝ云[但シ多い又よほどなと云詞にも当るか]京に住む人|太刀魚{たちのうを}に食傷せし友に
狂哥よみておくる
〽太刀の魚さして毒とはしらねどもやつと参つたものでかなあろ
○あるましき事をするといふ詞のかはりに東国にて・てんこちもないと云又つが
もないと云詞も是にひとし『宇治拾遺』ニ天骨無シ(*原本「無天骨」の順)と有或人曰東風{こち}は則谷
風にてきはめて地を吹て空を吹ずされば天に東風{こち}なしと云心也とぞ未詳
(5ウ)
○他{ひと}をさしていふ詞に畿内にて・吾身{あがみ}といふ東国にておのし又おぬし又そな
たなと云参河にて・おのさと云[是おのさまの略語なり]豊前豊後辺にて・わごりよ(*「りよ」に傍線)と
いふ畿内及出雲若狭辺にて・わごれと云『太平記』ニ和殿{わとの}と有これらの転語
歟上総にて・にし下総にて・いしと云奥州津軽にて・うがといふ又畿内にて
・おどれといひ対馬にて・あやつ・こやつ又そやつなどゝ云詞は人を罵{の}る心成べし
今按に『万葉』には・わぬとも・わけとも有我身の事也又あれとも吾{あ}とばかりも
見えたりあれといふは彼{かれ}と云にひとし『狭衣』にあはれあれが身にてだにあらばや
と有又『源氏』に・すやつ『枕草子』に・かやつ『宇治拾遺』に・くやつなと有は今
いふきやつと云に似たり又そいつと云は其奴{そやつ}なり或はそなたはこなたに対して
いえる詞也『神代口決』に汝{そなた}之ヲ忘レ不(*原本「汝不忘之」の順)と有和歌には汝{なれ}と詠ぜりこれらのことば
のたくひかぞふるにいとまあらす又中品己上の言語は万国かはる事なきかこゝに畧す
(6オ)
○自{みつから}をさしていふ詞に豊前豊後にて・わがとうと云又身が等といふもおなじ
又身ども身とばかりもいふ『正徹物語』ニ身が家は二条東ノ洞院に有し也と云々
又おれと云おらといふは己{おのれ}の転語にて諸国の通称か東国にては・おいらとも云中国にて・うらと云寄田百姓ノ言葉飛鳥井雅章卿
〽田をかるにあつうも寒うもあらなくにうらゝがいねは色になる稲
○穴{あな}のあいたといふ事を九州にて・ほげたと云
○おそろし[こはし]畿内近国或は加賀及四国なとにて・をとろしいと云西国にて
・ゑずいと云[薩摩にては人に超{こえ}て智の有をゑずいと云]伊勢にて・をかれいと云遠江にて・をそおたいと
いふ駿河辺より武蔵近国にて・をつ(*「をつ」に傍線)かないといふ飛騨及尾州近国又は上総
にて・をそがいと云按にをそがいと云詞は恐れ怖{こわ}いの略語也こはいの*『こは』
を反{かへ}しつゞむれば*『か』の直音{ちよくをん}となるしかれはをそがいとは恐れこ|は{ワ}いの畧也
○こゝろなくと云を甲斐国にて・けゝれなくと云又遠江にて九ツをけゝねつと云
(6ウ)
是にひとし『万葉』に心を古古里{こゝり}とも有又『古今集』に
〽かいがねをさやにも見しかけゝれなくよこをりふせるさやの中山
○あそここゝといふを西国にて・あんなけこんなけと云肥前にて・そこねい
こゝねいと云尾州にて・あそこなてこゝなてと云京にて・あこと云
按にそこねいごゝねいと云は「そこに「こゝにといふ心歟江都にて見へぬの「ぬを
のべて見えないと云にひとしかるへし
○あのやうにこのやうにといふを勢州長嶋及出雲辺又は播磨なとにて・あ
がいこがいと云九州にて・あんがいこんがいと云総州にて・あげ|へ{エ}にこげ|へ{エ}にといふ
又あんなこんなといふはあのやうなこのやうな也そんなといふはそのやう(*「やう」に傍線)
な也肥前ノ佐賀にて・そがいと云是なり
○出るといふを出羽の秋田或は肥ノ長崎又四国にて・づると云づるは・い
つるを上畧していふ能(*「能」に傍線)の狂言に身ともが国もとをづる時にと云是|出{いづる}
(7オ)
なり又でるとは出{いで}るの上畧にてをなし心也、長崎にて・づらんばいとは出{いで}
んかと云事なり又肥前及薩摩にてさるくと云はあるくなり尾張
遠江にてゆかずといふは行んずる也馬をやらず駕籠をやらずなど
道中にていふ事也馬をやらんずるかごをやらんずるなれとも訳しらさる
人は笑ふこそをかしけれ又|行{ゆく}をいくといふは『万葉』に多く見えたり
○よいと云事を筑紫にて・よかと云若狭にて・ぶすといふ遠州にて・
よかんなと云西行上人の『撰集抄』にいとよかなりと有但シよかん也と
読む口伝なり
○わるいといふ事を備前及筑紫にて・おろよいと云若州にて・ぶさぬと云
豊前にては・をろしいと云尾張辺又は奥州仙台にて・をぞいと云上
総下総にて・いしいと云筑紫の方言にてよめる歌に
〽桜ばなさへてなじかい散ていろおろよか風のふいたけいこつ
(7ウ)
さへては咲て也なじかいはなせになりいかなれば也いろはいる也あしき風の吹
し故に桜の散りしと也又おろとはおろふる雪などゝ哥にもよみて少シ
の事をいふ然ともこゝに云おろよいは少しの義にてあらさるべし西国に
おろの島といふ一島有此地の詞は皆さかしまにてよいと云事をわるいと云
大いなるをちいさいといふたぐひの方語也さればおろの嶋にてよいといふは
西国にてわるいといふ事なれはおろよいとはわるしと云事也又をぞいとは尾州
奥州辺にて物のあしき事也然るに駿河わたりより武蔵上野辺迄
物事かしこき事に云ならはせりもとより自語にして相当の文字な
けれは猶更はかりがたし『和字正濫』にはからすてふ大をそどりの哥を
おほをぞどりと濁音{だくをん}によみてあしき鳥の事とし我心からをそや此
君と云るもをぞや此君とあしきに解したり其|清濁{せいだく}は予しらず東国
にては賢{かしこき}事をもをぞいと云侍る也又|南総{なんさう}にてあしき事をいしいと云畿
(8オ)
内又東武にても味の美なる物をいしいと云女の詞にをいしいと云これ
又をぞいの詞とひとしく表裏{ひやうり}の違とやいはん
○すてると云事を東国にて・うつ(*「うつ」に傍線)ちや(*「ちや」に傍線)ると云関西にて・ほかすといふ
[東国にて・ほうるといひ越州にて・ほぎなげると云は投{なげ}やる事なり]『伊勢物語』にぬきすを打やりてと有此
ぬきすは女の手洗ふ所の竹にてあみたる簀{す}のこを云打やりてを東国に
うちや(*「ちや」に傍線)るとつめて云也又ほかすは渤海{ぼつかいに}捨{すてる}といふ三字の頭字を一字づゝ取て
いふとぞ又放下すにて禅家{ぜんけ}の語也ともいふ
○負{お}ふと云事を東国にて・せう(*「せう」に傍線)と云[背負{せお}ふのちゞみたることば也]長崎又四国にて・
かるふ(*「るふ」に傍線)と云東武にては荷を負ふて賃銀を取ものをかること云又
物を荷ふ畚{もつこ}といふ物を泉州堺にては・かることいふ又浅草御蔵前
にて・小揚といふ物は大坂にて・中仕{なかし}と云にひとし
○東へ西へといふ事を肥前にて・東さなへ西さなへと云
(8ウ)
案に辺リといふ事を薩摩にて・さまといふ東さなへは東さまへの転したる
詞にて東の辺と云事なるべし又江戸にて日のくれかたを日くれさまと云は
日の暮る有様の略言なり賑{にきや}かさ寂{さび}しさなどのさも有様ならんか
但し助語なるにや
○右へ左へといふ事を武之秩父にて・ゆふ(*「ゆふ」に傍線)じ・きう(*「きう」に傍線)じと云奥州にて・鑿
方{のみかた}槌方{つちかた}と云案に山路にて石工{いしきり}の云出せし詞にや
○つかはせといふ詞を大坂にて・おこせと云[おこせは送り越せといふ詞の畧なり]京にて・く
せと云江戸にて・よこせと云羽州秋田にて・のべろと云尾張にて・いこせ
と云『万葉』八塩爾染而於己勢多流{やしほにそめておこせたる}又菅公の御哥に
東風吹はにほひおこせよ梅の花と詠しさせ給ふ又源ノ信綱俗間
に物をかりて返さぬを横にねるといふはおこすといふの裏{うら}なるへしとの給へり
○くるゝといふ事を[『神代巻』ニ養{クルヽ}と有人に物をあたふる也]出羽にて・けろと云[くれろ也くれの反シけなれはなり]又・
(9オ)
けとう(*「とう」に傍線)らいともいふ案にくるゝとは自語か但|下{クダシ}有{アレ}(*原本「有下」の順)を畧して『クダサレ』
又略して『クダレ』又畧して『クレ』となりたる詞か[他{ひと}より我にあたふる也]『徒然草』に
よき友三ツ有一ツには物くるゝ友と有又『十訓抄』に云むかし無縁なる法
師人の許にて物こひけるに東おもてに居たる人はあたへず西おもてに
あるひとは時々物をとらせけれは
〽をこなひをつとめて物のほしけれは西をぞたのむくるゝ方には
とよめりけるとぞ又芭蕉翁あるとしの十五夜に
〽米くるゝ友をこよひの月の客
○なに事じやといふ事を上総にて・あんだちふ(*「ちふ」に傍線)と云会津にて・あんちふ(*「ちふ」に傍線)だ
びつ(*「びつ」に傍線)ちふ(*「ちふ」に傍線)だと云あんだは何ンぢや也『ちふ』は何々と云言をつゞめて何々『ちふ』
とも何々『とふ』とも何々『てふ』とも上代よりいひし言なり恋すてふなど
哥によめるも恋すといふ詞なり長門又は土州の山家にて何ちふ(*「ちふ」に傍線)と云
(9ウ)
又事ぢやと云を京近辺西国にては『何ンの事{こつ}ちや』とつめて云尾州辺
にて『何の事でや』と直にいひ東国にては『何ンの事{こん}だ』とはねて云是等の
はねるとつめるの相違は風土のならはし也
○たのみなきといふ詞のかはりに上総にて・ろかいのないと云案に艪櫂{ろかい}は
倶{とも}に舟(舩)の具也曽禰好忠のゆらの戸をわたる舟(舩)人かぢをたえ行衛
もしらぬと詠せし哥考合すべし
○ある時にと云事を長崎にて・あるばつせんと云
○くたびれといふ事を[草臥とは山伏の入峰修行より起れる詞也と貝原の説也]畿内にて・しんどゝ云[しんろの転語にやしん
ろは辛労なり]伊勢にて・ざんなう(*「なう」に傍線)きけた又ひどう(*「どう」に傍線)きけたと云薩摩にて・だつ(*「だつ」に傍線)たと
云東国にて・かつ(*「かつ」に傍線)たるいと云又ごちたとも云徂来翁のごう(*「ごう」に傍線)したりとは困{こん}
の字なり田舎人はごちたりといふといへり又肥前の佐賀にて・ぬたのご
としといふ
(10オ)
○打擲{てうちやく}すといふ事を肥前の平戸にて・とらすといふ同国佐賀にては
・つくにう(*「にう」に傍線)にやせと云づくにうとは天窓{あたま}の事をいふ也豊前にて・くれつけ
ると云肥後にて・きいつくといふ良基公『榊葉日記』ニ云神人をはらひ
うちはりしかばと有しからば人を打をはるともいふ但シ杖棒なとにて打
をたゝくぶつといふは諸国通していふかはるといふは拳{こぶし}などにて打事成へし
○ゆるやかに坐する事を京大坂にて・じやう(*「じやう」に傍線)らくむといふ関東にて・あぐら
かくと云又ろくに居る共いふ大和及伊賀伊勢遠江にて・あづくみと云南
都にて・をたびらかくと云加賀にて・あいぐちかくと云越前にて・あぐし
と云肥前及薩摩にて・いたぐらみといふ肥後にて・いたぐらめといふ
案にじやうらくとは蔵六{ざうろく}也亀の首尾手足の六を蔵{かくす}に似たれはかく云
然らはじやう(*「じやう」に傍線)らは転語か『和漢三才図会』ニ常楽とも見えたり又あぐらと
云『ア』は脚{あし}也『クラ』は坐{くら}也『日本紀』ニ跌坐{フザ}読で『うちあぐみゐる』と云か如し又
(10ウ)
|胡床{あぐら}俗にいふ床几{しやうぎ}也これより起{をこり}たる名なりや又ろくといふは直{ちよく}の字に当ルか
物を直{すなほ}に置事をろくに置といひ直{ちよく}ならぬ人をろくでなしと云琉玖
人{りうきうじん}の『アンジキ』と云もろくに居る事をいふと也
○かりそめと云詞のかはりに畿内にて・あじやら(*「じやら」に傍線)と云東国にては大抵{たいてい}の事ならぬ
を云考るに其意をなじ
○あとかたもなしといふ事を関西関東共に・とてつもないと云下野にて・とつ
ぺいもないと云遠州にて・しや(*「しや」に傍線)うくもないと云『性理大全』ニ塗轍{とてつ}とある是歟
又江戸にて・とつけもないといふは転語なるべし
○やをら[そつ(*「そつ」に傍線)といふ心又少しのこゝろも有ことば也]西国および常陸にて・やう(*「やう」に傍線)らと云[そろ〳〵といふ事に用ひていふ]
『源氏橋姫巻』に云ひめ君御硯をやをら引よせてと有尾州近国にて・こ
そ〳〵と云伊予にて・ほし〳〵と云
○急にといふ事を予州にて・あたゞにと云『古文』ニ遽{あはたゝし}又あはて又あはつなど云
(11オ)
はあはたゝし也あたゞにもあはたゝしの転したる詞にや
○目さむるといふ事を薩摩及肥前にて・をぞむと云[尾州にてはをそるゝと云事をおぞむと云]
○明日{あす}明後日{あさつて}といふ事を播州赤穂にて・あすてりあさつて照{てり}といふ
[この所塩浜なれは日和よかれと祝していふなるへし土佐にてきのふりゆふべりと云も是に同しきか]
○雨降らんとして日和になりたるを畿内近国にても・日なをるといふ
東国にて・俄{にはか}ひよりと云
○日和の定らぬを尾張にて・一両日和と云筑紫にて・一|石{こく}日和と云
今按に尾州にて鈍{にぶ}々したる日和と云を金子の弐歩〳〵にとりなして
一両の天気と云又一こく日和といふは雨ふらんやふるまいやといふを筑紫にて
降うごとふるまいごとゝ云『十六夜ノ日記』阿仏の短歌に
〽今はたゞくがにあがれる魚のごとかぢをたえたる船(舩)の如{ごと}などよめる類
にてごとは如し也如々{ごと〳〵}を米穀{べいこく}などの五斗五斗になぞらへて一石日和と云
(11ウ)
又天正文祿の頃|曽呂里{そろり}新左衛門と云者有泉州堺の住にて鞘{さや}師也
細工の名誉{めいよ}を得たり刀の鞘口にそろりと納るをもつて異名とす太閤
秀吉公|朝鮮{てうせん}征伐{せいばつ}のをりから一首の落首をぞたてける
〽太閤が一石米を買ひかねてけふもごとかいあすも御渡海
又江戸に一石橋と云有『江戸砂子』に後藤氏の両家かの橋の前後に有
故に一石橋と名くと有これ皆同日の談なり
○羞明{まばゆし}といふ事を中国にて・まぼそしと云江戸にて・まぼしいと云東奥
にて・まじぽ|ひ{イ}と云美濃尾張辺にて・かゝはゆ|ひ{イ}と云土佐にて児童など
・ばゞいひといふ[ばの濁音はまの清音にかよふ也]
○あたらしいといふ事を相模にて・に|ひ{イ}しいと云たとへは新宅{しんたく}をにひ家{や}と
いふ総州野州をなじ上野にて・に|ひ{イ}家{いゑ}と云も是又同し詞也[古代の言なり]
○うつぶくと云事を肥後にて・くるぼくといふ
(12オ)
○律義なる人を中国にて・まてな人と云畿内及東国にて・またう(*「たう」に傍線)ど
と云案に『まてな人』又『またう(*「たう」に傍線)ど』共に全{まつたき}人と云事也『万葉』ニ全手{まて}と有
は左右の手の事にて諸手{まて}とも書よし同キ抄に見えたりこれは別なり
○太義なといふ事を薩摩にて・だりがていと云常陸にて・ほりないと
云上総下総にて・こわいと云仙台にて・うざねはくと云
○なぜと云事を薩摩にて・なじかいと云古き哥に
〽大和かい西はあじかを関東べい都こざんすいせをりやります
西土にてあじかをと云もなじかいといふにひとし総州及東奥にて・あぜといふ
江戸にて・なぜといふ京にて・なせにと清{すみ}ていふ案になぜとは胡{なんぞ}也とがめ
たる言葉也『万葉』にあぜそもこよひよしろきまさぬなと詠り古き詞なり
○脇へ退{のけ}といふ事を上総辺下野にて・ちや(*「ちや」に傍線)がれといふ
〽ちやがれはあかしやしや庭のきり〳〵すをなし所にねまりてぞなく
(12ウ)
下野の方言を詠たる哥也とて古くいひつたへたりはあとははや也すべて東国
にていふ詞也かしや(*「しや」に傍線)しやはかしましや也ねまるは居ると云ことにて奥羽又は加賀
なとにて云尤古代の詞也出羽の尾花沢ニて、はせを翁の発句にもきこえたり
又『挙白集』ニ云小田原と云所の宿にとまる明れば玉だれの小瓶に酒少し入て
粽めくもの御前にとてさしいづあるしのおとこにやあらんけふはめてたき
せちに候一盃けしめされ候へかしとあいたちなくいふも顔まほられぬへしし
どけなき事打語て今しばしねまり申べいをそれがしが旦那のえらま
からんとて立ぬる彼かふるまひにつけて[下略]此文章を見る時は相州辺にても
ねまるといふ詞を遣ひたるとおもはるむかしはすべて通語にや
○しらぬといふ事を上総にて・いちや(*「ちや」に傍線)しらねと云上総の国人の云クいちやは一社
也其故は上古当国に鎮坐の神霊{しんれい}のうちに一社其祠る所の地を今時知
るものなしよつて国俗物のしらざる事を一社{いつしや}しらなひといふとそ予が云
(13オ)
是妄説なりいちや(*「ちや」に傍線)はいさ知不ル(*原本「不知」の順)なり辺土は其国かぎりの地音にして却{かへつて}
古代の詞遺れり然るに方言|郷談{けうだん}にも漢字を主とするの誤よりあらぬ
鑿説{さくせつ}も出来る也徂来翁の云クいにしへの詞は多く田舎に残れり都会の
地には時代の流行詞{はやりことば}といふものひたもの出来て古きは皆かはり行に田舎の人
はかたくなにてむかしをあらためぬ也此頃は田舎人も都に来りて時の詞を習
つゝ行て田舎詞もよきにかはりたりといふはあしきにかはりたるなるべし
○互に人を雇ひつやとはれつする事を武州及上総にて・えいにすると云
下総辺にて・いひにするといふ今案にこれはいにしへゆひするといへる詞の
転したる成べし俊頼朝臣の哥に
此里にゆいするひとのなきやらんみふしたつまて早苗とらねは
○たづぬるといふ事を播磨及出雲辺又土佐にて・とめると云京加茂の
南堤の下に西念寺といふ有西行法師此寺に暫く住す庭に梅あり
(13ウ)
愛{めで}翫ひて
〽とめこかし梅さかりなる我宿をうときも人の折にこそよれ
此哥のとめこかしは求めこよかし也尋る同意也『万葉』ニ尋{とめる}とあり
○めてたきと云詞のかはりに長崎にて・けいくわ(*「くわ」に傍線)んと云今按にけいくわん
とは慶歓{けいくはん}と書にや又めてたきといふに品有散れはこそいとゝ桜はめてたけ
れといふ哥のめてたきは愛{めで}の字也花を愛したるの心也と肖柏老人の説也
めでるめづるなとよむ同し心也又|珍{ちん}の字めづらしとよむはめでらしの転語にや
○嫁{よめいり}といふ事を出羽及信濃にて・むかされと云薩摩にて・御前{ごぜ}むかひと云
案にむかされは迎えらるゝのちゞみたる詞なるべし
○夕{ゆふべ}を東国の詞によんべと云今案に『遊仙屈』ニ宿『ヨベ』『ヨンベ』と訓ず又
『万葉』ニ大伴ノ郎女か歌に
〽あまさはりつねする君は久かたのよんべの雨にこりにけんかも
(14オ)
『土佐日記』ニ舟子のうたふうたによんべのうなひもかなひもがなと有又今夕を
ゆふべといふは勿論の事にて昨夜の事をよんべと云万葉の哥并土佐日記
に云よんべも昨夜の事とぞ聞ゆる又一昨夜の事をきのふの晩といふは
是か非歟又人の寝{いぬ}る事ををよるといふは御夜{をよる}にてをひんなるは御昼{をひる}なる
にや黄昏{たそかれ}は誰彼{たそかれ}也暁更{かはたれ}は彼誰{かれたれ}也其さだかならぬ所をいふ也
○他人を馳走{ちそう}する事を上総にて・ほとめくといふ
○醜{みにく}き女を譏{そし}る詞に西国にて・ぶつそうづらと云東国にて腹{はら}立顔を・
ぶつてう(*「てう」に傍線)づらと云『袖中錦』[ニ云]胡国{ここく}の婦人黄色の物を以て面に塗るこれを
仏粧といふと有又|仏頂面{ぶつてうつら}とは面{つら}ふくらして螺髪{らほつ}を見るがことしと云たとへ也
ともいふ又東国の俗人に対{たい}するに和{くは}せざるをぶにんさう(*「さう」に傍線)といふは『金剛経』に
無人相とあり此事なりとぞ
○おめきさけぶと云詞のかはりに九州及四国にて・おらぶと云『神代巻』ニ哭{おらぶ}
(14ウ)
声{こゑ}と有いたくこゑをはかりに泣をおらぶと云と聞えたり『平家物語』ニをめ
かせ給へと有はうめくといふにひとしき事にや東国にておめきさめくといふは
おめきさけぶの転語か雨々{さめ〴〵}と泣{なく}なといふ心ならん
○咳{せき}をせくと関東にていふを関西にてせきをせたぐるといふ播磨辺にて咳を
たぐるといふ阿波にてはせきをこづくと云中国にて咳をこつるといふ『神代巻』
にいざなぎの尊たぐりす金山彦の神となると云云又東国にて咳ばらひ又
しや(*「しや」に傍線)ぶきするなといふは欬嗽{しはぶき}のちゞみたる詞にて通称也
○めいわくといふ事を上野にて・さぶけさんがいといふ
○道路のぬかりを関西にて・しるいと云東国にて・ぬかりといふ
[続千載]〽あぜおこす苗代水のほと見えて道のぬかりのかはくまもなし
又道のすべるを常陸にて・なめり道といふ案に是に似たる事有
俗に猿すべりと云木有哥に猿滑{さるなめり}とよめり
(15オ)
[夫木]〽あし曳の山のかけちのさるなめりすへらかにても世をわたらめや
深山に猿すべりといふ木有百日紅に同して葉|粗{ほゞ}厚く四時|凋不{しぼます}(*原本「不凋」の順)花さかず
此木を酒家にて榕木{しめぎ}とす又寺院にて撞鐘{つきかね}の撞木に用ゆ又百日紅は
夏秋に花さき冬に到て葉凋む木也同名にして少異也
○跨{またぐ}といふ事を東国にて・あごむと云跨をあとこゆるといふは足|迹{あと}のま
たがりこゆると云意なりとぞ又あごむはあとこゆるの転語也
○水にものを浸{ひた}す事を関西にて・ほとばかすと云東国にて・ひやかすと云
『伊勢物語』ニかれいひの上に泪{なみた}をとしてほとびにけりと有
○なぶる[手にてなれふるゝなり]関西にて・いらふ(*「らふ」に傍線)と云東国にて・いぢる又いびるといふ
西国にて・あつかふ(*「かふ」に傍線)といふ
○ざれたはふるゝ事を上方にて・ほたえると云関東にて・をどけると云
又でう(*「でう」に傍線)けるといふ又そばへるといふ陸奥にて・あだけるといふ『源氏』おどけたる
(15ウ)
人こそたゞ世のもてなしに随ひと有『春曙抄』ニそばへとはざれほこりたる也と有
○さう(*「さう」に傍線)じや、かうじや(*「じや」に傍線)と云を安芸にて・さあつく、もうつくといふ
○物に驚くことを東国にて・たまげると云下総にて・ちめう(*「めう」に傍線)したと云津軽
にて・動転{どうてん}したと云出雲にて・をびへると云又肝をつぶすと云びつくり
したなどいふ詞は諸国の通語也土佐の西境にては・たまげるといふ上土佐
中土佐には此称なし薩摩にては・たまがると云案に東国にていふた
まげるは『源氏』に魂消{たまきゆ}ると有『ける』は消也けぬがうへなるふじの初雪とよめる
は消ぬがうへなる也
○養生といふを但馬にて・やうすけるといふ
○正直といふを播磨にて・うちぬきといふ
○いつはり[うそ]といふを房総にて・うそをかたると云常陸下野辺にて
・ちくとも又ちくらくとも云尾張にては謀計なる事すべて深きたくみ
(16オ)
をちくらくと云江戸尾張辺及上野にて・万八ともいふ[近年のはやりことばなり]九州にて
・すう(*「すう」に傍線)ごと云又弥助といふ[はやり詞か]又・千三{せんみつ}ともいふとぞ按に千の偽の内に
実{まこと}三ツもあらんかといふ意にや万八といへる流言も是に似たる事なるべし
又いすかなどゝいふ是はうそ鳥の雌{め}なれはかく云にやいすかといふ鳥はくち
ばしの合ぬ故口の合ざるにたとへたるか『万葉』ニ乎曽{をそ}と有は今云|宇曽{うそ}也
○やくたいもなしといふを奥の南部にて・ぎがないといふ
○いかやう(*「やう」に傍線)にもといふを伊予にて・どうばりと云土佐にては・どう(*「どう」に傍線)まれ、かう
まれなといふ案に土佐にてどう(*「どう」に傍線)まれかう(*「かう」に傍線)まれと云はどうもあれかうも
あれなり予州にていふどうばりは是もどうまれの転語也東国にて・な
でう又あでうなどいふはいかやうなといふ意也『紫日記』ニなでう女のまなぶ
みとあり
○是ほどゝいふ詞のかはりに西国にて・是しこ彼{あれ}しこと云伊勢にて・これほど
(16ウ)
きあれほどきと云肥ノ久留米{くるめ}にて・是しころあれしころと云東国にて・是
しきあれしきと云
○はなはだしきといふ詞のかはりに尾張にて・りう(*「りう」に傍線)とと云又・きう(*「きう」に傍線)ととも云
りうとゝいふ語は物を振廻し或は物を打時或は走る時など猶予なくけはしき
事をりう〳〵と云語有其如くはげしくゆるかせにせさる事に用ゆる詞
なり上古よりの自語と見えたりたとへば『フハ〳〵』の語を浮和{ふわ}〳〵と書て正
字の様に用ゆる事妄説なり強{しゐ}て文字を施{ほどこす}時は和語も漢語のやうに
なり行やせん
○物を借るといふ事を甲斐国にて・いらう(*「らう」に傍線)と云案に東国には物を借る
と云時・かりいらひと云詞有同し心ばへなるべしたゞ・いらうとばかりは唱へず
又京都にて・借{か}つてこいといふは江戸にていふ借{かり}てこい也京にて買{か}ふてこいと
いふは江戸にて買{か}つてこい也西国にていろはぬといふはかまはぬと云意也土州など
(17オ)
にていろはぬといふも物に手をふれずかまはぬと云にをなし意なるべし東
国にてもいろふ(*「ろふ」に傍線)いらはぬなどの詞あれ共いぢるいぢらぬと云方多し尾州にてい
ぢるの語は物を頼みて催促{さいそく}する心に用る也
○ぎしむ畿内の語也関東にて・りきむといふに当る言也上総にて・ぎしや(*「しや」に傍線)
ばると云仙台にて・ぎづむと云これ皆をなじ心歟ぎしや(*「しや」に傍線)ばるは義者振の
転にや又義者張といふ事なりや
○直{ぢき}にといふ事を大坂及尾州辺又は土佐にて・いつ(*「いつ」に傍線)きにといふ其意は休まず
して一ト息に物をする事也関東にて・すぐさまといふも是にひとし
○他{ひと}と連立行を東国にて・同志{どうし}に行といふ[一所にいかふともいふ]播磨にて・つんのふ(*「のふ」に傍線)て
行と云又|誘{さそはれ}て行を尾州にて・をこづらるゝと云又いざかつ(*「かつ」に傍線)せと云も人を誘{さそふ}
詞也『日本紀』ニ誘{をこづる}と有又いざかつ(*「かつ」に傍線)せはいざは発語{はつご}也さそふ也東国にて『さ・御出{をいで}』
『さ・いかう』と云詞にあたる『いざ』とも又『さ』とばかりも唱ふる也『いぬる』はかへるなり
(17ウ)
『いなふ』は帰らん也『いんでは』帰りて也如此の詞は諸国かそへ尽しかたし
○際{きは}[そばと云に同し心か]畿内また尾張辺播州辺にても・ねきといふ根際{ねきは}の畧なる
べし土州にて・いつ(*「いつ」に傍線)きにねきにといふはすぐに近所をいふ也
○外{そと}の事を西国にて・あだと云常陸及奥州にて・とはと云上総房州にて・
とでといふ『日本紀』ニ外{アダシ}と有[上世の語にや]とはとは外端{とは}にてそとのはしといふ意歟
はしははなともいふ也
○物に𤾣{かび}の生したるを上総にて・かもじれると云案に氈{せん}の和名かもと云は
羚羊{かもしゝ}の皮を敷物にする故に名づく関東にてかもしかと云是なり冬瓜{かもうり}と
いふ物も冬に到れは白毛を生ず故にかもうりといふ物の𤾣{かび}も白毛を生ず
よつてかもじれるといふ
○焦臭{こがれくさき}を京にて・かんこくさしと云[紙臭なり]東武にて・きなくさいと云[木にてはない
にほひと云こゝろ]尾張遠江辺にて・かこくさいと云[京にをなし]近江にて・やぐさいと云和泉に
(18オ)
て・かこびくさいといふ奥州にて・ひなくさひと云津軽にて・ふなくさいと云薩
摩にて・かなくさいと云土佐にて・けふらぐさいと云
○おろかにあさましきを京大坂にて・あんた又あんだら共云伊勢にて・あん
がう(*「がう」に傍線)又せいふと云越中にて・だらけと云因幡にて・だらずと云信濃にて
・だぼう(*「ぼう」に傍線)と云奥州にて・ぐだまと云豊州にて・をう(*「をう」に傍線)かましいと云尾州にて
・をごさと云俗に馬鹿と云は『史記』秦趙高カ故事ニもとづけり
[拾遺]〽鹿をさして馬と云人有けれはかもをもおしとおもふ也けり又・あほうは秦ノ
阿房ノ宮号に出たる詞也とぞ又・たわけとは田分{たわけ}也といふ[未詳]『日本紀』ニ結婚{タワケ}
と有たはふれけの畧語也又淫{タハケ}と書『万葉』をなじ媱乱者をいふと見えたり
○月水{つきのさはり}を畿内の方言に・手桶番{てをけばん}と云[水に付キといふ秀句]美濃及尾張伊勢辺に
・たやと云[待室{たいのや}の畧也といふ]江戸にて・さしあひ又さはりと云仙台にて八左衛門と
(18ウ)
いふ[はやり詞なるべし]
○物事|軽卒{けいそつ}に騒{さわが}しき事を東国にて・ひや(*「ひや」に傍線)うきんと云西国にてはをどけ
たる事をひや(*「ひや」に傍線)うきんといふ
○残りなくと云詞のかはりに尾州にて・こつ(*「こつ」に傍線)ぺりと云東武にて・さつ(*「さつ」に傍線)はり
又・すつ(*「すつ」に傍線)へりなどの語と同し意{こゝろ}也匹如{するすみ}の末訓{まつくん}より出たる詞と聞及たり東国
にて・すきとなし又すつきりないなどゝいふもをなしこゝろ也
○たび〳〵といふ事を伊勢及駿河相模にて・さんたいと云東武にて再{さい}々
といふに似たり
○ねんごろなる事を下総にて・おふな〳〵といふ信州にて・おなごらといふ他{ひと}の
もとへわざ〳〵行なといふ事也懇なる心也『源氏』ニおふな〳〵おぼしいたづく
とあり『伊勢物語』にあふな〳〵思ひはすべしなぞへなくなどゝもよめり
○いろ〳〵といふ事を肥前佐賀にて・ぐせことゝいふ
(19オ)
○居{すは}るといふ事を日向及北陸道又下野辺にて・ねまるといふ畿内にて・いしかる
といふ関東又は泉州境辺にて・へたばると云伊豆にて・ぎかると云但馬に
て・へこたれると云長崎にて・をらすと云土州にて・いざると云
○八道{むさし}[わらべの地上に大路小路の形を書て銭を投てあらそひをなすたはふれ也]京の小児・むさしと云大坂にて・ろくと
云泉州及尾張上野陸奥にて・六道{ろくだう}と云相模又は上総にて・江戸と云江戸の
町々にたとへて云信濃にて・八小路{やこうぢ}といふ越後にて・六道路といふ奥の津軽に
・をえどゝ云江戸にて・きずと云江戸田舎にて・十六といふ
〇十六むさし京江戸共に・十六むさしと云中国にて・むさしと云上野下野辺
にて・十六さすがりと云陸奥にて・弁慶むさしと云信濃にて・さすがりと云
○石投{いしなご}江戸にて・手玉といふ東国にて・石なんご又なつこともいふ信州軽井
沢辺にて・はんねいばなと云出羽にて・だまと云越前にて・なゝつごと云伊勢
にて・をのせと云中国及薩摩にて・石なごといふ
(19ウ)
〽石なごの玉の落くるほどなさにすぐる月日のかはりやすさよ 西上人
○かくれんぼ[小児のたはふれ也]出雲にて・かくれんごと云相模にて・かくれかんじや(*「じや」に傍線)うと
云鎌倉にては・かくれんぼと云仙台にて・かくれかじかといふ
○鬼わたし江戸にて・鬼わたしと云京にて・つかまえぼと云大坂にて・むかへぼ
といふ東国及出雲辺又肥ノ長崎にて・鬼ごとゝ云奥ノ仙台にて・鬼々と云
津軽にて・おくりごと云常陸にて・鬼のさらと云
○他{ひと}の呼{よぶ}に答る語関東にて・あいと云畿内にて・はいと云近江にて・ねい
と云長門辺にて・あつ(*「あつ」に傍線)つと云薩摩にて・をゝと云肥前にて・ないといふ
土佐にて・ゑいといふ[又ゑつともいふ奴僕のたぐひは・をゝとも・やつともこたふ]越後にて・やいと云越前にて
・やつ(*「やつ」に傍線)といふ陸奥にて・ないと云
案に国々のこたふる詞大いに同しくして少く異{こと}也といへとも各転語なるべし
有が中にをゝといへるは諸国にて下輩にこたふる語なるに九州にては上ざまの
(20オ)
人に対してかくの如く答る所も有也俗間に応{をう}の字を書もあれど『をゝ』は和訓
なれば唯{をゝ}々書べきよし先哲{せんてつ}も沙汰し侍る『漢書』ニ唯唯{イヽ}注恭応{ツヽシンデコタフル}之|詞{コトバ}ト有
『枕草子』に、をゝと目うち引てと有
〽をゝ〳〵といへとたゝくや雪の門 去来
○助語{ぢよご}[ことばのをはりにつくことなり]京師にて『ナ』八瀬大原辺にて『ニヤ』橋本辺にて『ノヨ』大和にて
『ナヨ』摂津にて『ノヤ』播磨にて『ノ』石見にて『ケニ』因幡にて『ケン』但馬にて『ガ〓(*「ア」に濁点)』
紀伊及豊後にて『ニ』豊前にて『メセ』西国及中国にて『ドモ』『テヤ』土佐にて『ナア』
『ノヲ』『ネヤ』尾参遠駿甲信にて『ズ』武蔵にて『ケ』上総にて『サ』下総にて『ナサイ』
安房にて『サア』上下野州にて『ムシ』越後にて『ナ』加賀にて『ナ』陸奥にて『サア』
出羽最上にて『ベ』同国庄内にて『チヤ(*「チヤ」に傍線)』同国秋田にて『サイ』関東にて『ベイ』美濃
にて『ヂヤ(*「ヂヤ」に傍線)』○畿内近国の助語に・さか|ひ{イ}と云詞有関東にて・からといふ詞に
あたる也[からと云詞故といふに同し吹からに秋の草木のと詠るも吹ゆへに也]
(20ウ)
[二篇三篇]近刻
安永四乙未正月
江都書林[須原屋市兵衛同善五郎]
物類称呼巻之五終
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底本:国立国語研究所蔵本(W52-5/Ko85/5、1001089836)
翻字担当者:杉本裕子、松川瑠里子
更新履歴:
2015年5月7日公開