浦里時次郎明烏後の正夢 五編下
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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。
本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(1オ)
明烏{あけがらす}発端{ほつたん} [楚満人作 英泉画] 近刻。
是{これ}は初編{しよへん}明烏{あけがらす}壱{いち}の巻{まき}より以前{いぜん}の所{ところ}にして浦里{うらざと}が廓{くるわ}に
ありてはじめて時次郎{ときじらう}となれそむること。浦波{うらなみ}長五郎{てうごらう}が
赤縄{せきじやう}をむすぶはなしそれよりして時次郎{ときじらう}浦里{うらざと}をとも
ない廓{くるわ}を欠落{かけおち}して花又村{はなまたむら}の隠家{かくれが}にいたる事{こと}。梅ケ谷{うめがや}
甚三郎{ぢんざふらう}お露{つゆ}土平等{どへいら}が始終{しゞう}。荒川{あらかは}淵右エ門{ふちゑもん}が奸悪{かんあく}甚三郎{ぢんざぶらう}を
闇打{やみうち}にする事{こと}など。さま〴〵の物語{ものがたり}を全本{ぜんぼん}三冊{さんさつ}に書
綴{かきつゞ}リ来ル申ノ初春{しよしゆん}売出{うりいだ}し申候|間{あいだ}御求{おんもとめ}御高覧{ごゝうらん}可被下候。
青林堂謹白
(1ウ)
[浦里{うらざと}時次郎{ときじらう}]明烏{あけがらす}後正夢{のちのまさゆめ}巻之十五
江戸 [南仙笑楚満人 滝亭鯉丈] 合作
廿六回
其{その}時{とき}彼{かの}浪人{らうにん}主人{あるじ}文蔵{ぶんぞう}に打{うち}むかひ「今更{いまさら}語{かた}るも面目{めんぼく}なき
仕合{しあはせ}ながら。最前{さいぜん}よりの一五一十{いちぶしゞう}あれなる一ト間{ひとま}で聞{きい}たるに
あまりといへばこれなる老女{らうぢよ}が無法{むほう}の有状{ありじやう}。見兼{みかね}て出{いで}たる
某{それがし}が。有{あ}りし昔{むかし}の物語{ものがたり}。さんげに罪{つみ}もめつするとかや。聞{きけ}ば
(2オ)
一通{ひととを}りはなし申さん。耳{みゝ}かしましくも聞{きい}てたべ。元{もと}某{それがし}は
筑紫{つくし}なる何某殿{なにがしどの}につかへたる。岬{みさき}鐘{かね}右衛門とよへる者{もの}。同{おな}じ
館{やかた}に妼奉公{こしもとほうこう}小笹{おざゝ}といひし手弱女{たおやめ}と蜜{ひそか}に通{つう}しで主親{しゆうおや}*「通{つう}しで」の濁点位置ママ
の目顔{めかほ}を忍{しの}んであふ夜{よ}の数{かづ}。重{かさなつ}たるが因果{いんぐわ}の種{たね}いつしか
小笹|懐胎{くわいたい}せしかば。我{われ}も小笹も宮仕{みやづか}への。身{み}の悲{かな}しさはおし
晴{は}れて。子{こ}をうますべき事{〔こと〕}ならねば。小笹は蜜{ひそか}に病気{びやうき}と披
露{ひろう}し彼{かれ}が親郷{おやさと}へ戻{もと}り居{い}て。産落{うみおと}せしは女子{おなこゞ}にて。いと美{うつく}しき
生{うま}れなれど。これを育{そだ}てん便{よすが}なければ。|些少{ちと}の金{かね}を其{その}子{こ}に
(2ウ)
添{そ}へ。古郷{ふるさと}近{ちか}き|何某{なにがし}へ。藁{わら}の上{うへ}より親{おや}しらずにつかはしたれど
守{まも}りの中{うち}へ我{わが}手跡{しゆせき}にて。筑紫{つくし}の住人{ぢうにん}岬{みさき}鐘{かね}右衛門が娘{むすめ}幼名{ようめう}
小磯{こいそ}としるせしも。若{もし}や行末{ゆくすゑ}あふ事{〔こと〕}もやと。思{おも}ふてかくは
はからひしも。子{こ}にまよふなる親心{おやごゝろ}其{その}後{ゝち}われも子細{しさい}有{あつ}て。
仕官{しくわん}を休{や}めて言{いゝ}かはせし。かの小笹{をざゝ}にも別{わか}るゝ時{とき}割符{わりふ}と
渡{わた}せし割笄{わりかうがい}にそへし一首{いつしゆ}の古哥{こか}の上{かみ}の句{く}「わするなよ程{ほど}は
雲井{くもゐ}にへだつとも。」トしるせし短冊{たんざく}定{さた}めし其{その}方{はう}覚{おぼへ}あらん。
夫{それ}よりこのかた我{われ}とても。諸国{しよこく}を返歴{へんれき}なしたりしが。尽{つき}ぬ
(3オ)
縁{ゑん}とて女房{にようぼう}小笹{おざゝ}。今{いま}の其{その}名{な}は篠塚{しのづか}とやらん無頼{ぶらい}のあぶれ
者{もの}ならんとは。神{かみ}ならぬ身のしらざりき。おもへば不思義{ふしぎ}な
対面{たいめん}なり。さはさりながら小笹{おざゝ}には。まだ五十{いそぢ}には程{ほど}あらんに
思{おも}ふにたがいて頭{かしら}の雪{ゆき}みつばくみたる老女{らうぢよ}の如{〔ごと〕}きは何共{なにとも}
もつて心得{こゝろえ}ね。」と聞{きい}て篠塚{しのづか}おもなけに「よふすを知{し}らし
給わねば左{さ}思{おも}ひ給ふもことわりなり。思{おも}ひ出せば我{われ}とても
まだ其{その}頃{ころ}は廿{はたち}に満{みて}ず含{つぼみ}の花{はな}の若木{わかき}同士{どし}。水{みづ}の出花{でばな}の
不思案{ふしあん}に一ト夜{ひとよ}はまゝよ二タ夜{ふたよ}さわと添寝{そひね}の枕{まくら}の数{かづ}
(3ウ)
積{つも}り只{たゞ}ならぬ身と奈良坂{ならざか}やこの手柏{てがしは}の身{み}二{ふた}ツになり
ての後{のち}にともかうもと。我{わが}古郷{ふるさと}へ立{たち}かへり。難{なん}なく子{こ}をば産{うみ}
おとし。御身{おんみ}にわかれて寡{やもめ}ぐらし。さそふ水{みづ}もとおもふうち。
かしこや爰{こゝ}の|風流士{たわれを}にかたらひよられて小夜衣{さよごろも}。つまを重{かさ}
ねて操{みさほ}を破{やぶ}り。女{をんな}の道{みち}に欠{かけ}たるさへ。今更{いまさら}夫{おつと}にあふ上{うへ}は。
うしろめたきに情{なさけ}なや。女{をんな}の身{み}にはあるまじき。ゆすりかたり
も呉竹{くれたけ}の。世{よ}渡{わた}る便{たつき}にこまりし故{ゆへ}。ふとした事{〔こと〕}より。思{おも}ひ
つきなまじい年{とし}の若{わか}くては人{ひと}の用{もち}ひの疎{おろそか}なれば。何卒{なにとぞ}
(4オ)
齢{よはひ}の更{ふけ}てみゆる薬{くすり}もがなと去{さ}る医師{いし}にたづねとひしに
云云{しか〴〵}せよとおしへにまかせて妙薬{めうやく}とゝのへ呑{のみたり}しに不思義{ふしぎ}や
髪{かみ}の毛{け}忽{たちまち}白{しろ}く我{わが}身{み}ながらも見{み}まがふ面体{めんてい}。これ究竟{くつきやう}と
篠塚{しのつか}と名乗{なの}り表{おもて}はとり上{あ}ゲと身{み}をやつしては諸方{しよはう}を
あるき。武家{ぶけ}町人{てうにん}のきらひなく。有徳{うとく}の人{ひと}の家{いゑ}に立入{たちい}り克{よく}
其{その}家{いゑ}の案内{あない}を覚{おぼ}へ仲間{なかま}の者{もの}をつかはして金銀{きん〴〵}衣類{いるい}を盗{ぬす}
ませて蜜{ひそ}かにそれがわけまへをむさぼりこれを酒食{しゆしよく}にする
心付{こゝろつき}て悪事{あくじ}をなしたる此{この}年{とし}月。報{むく}ひは則{すなはち}おつとの手に
(4ウ)
かゝるも同{おな}し此{この}笄{かうかい}裳{もすそ}をかけてつらぬきしはとりも直{なを}さず
はり付{つけ}同前{どうぜん}。今{いま}ぞ我{わか}身{み}の先非{せんひ}を悔{くや}む。その臨終{りんじう}はまつ此{この}
とふり。」ト云{いゝ}ながら裳{もすそ}に立{たつ}たる笄{かうがい}をとるよりはやく咽{のんど}へ
ぐさと突立{つきたて}れ゛は「あはや。」と驚{おどろ}く文蔵{ぶんそう}夫婦{ふうふ}。一ト間{ひとま}のうちより*「突立{つきたて}れ゛は」の濁点位置ママ
浦里{うらざと}おてる周章{あわてゝ}まろひ出{いで}たりしがお里{さと}は篠塚婆〻{しのづかばゝ}に
取付{とりつ}き【里】「さいぜんあれなる一ト間{ひとま}にて様子{よふす}は残{のこ}らずきゝ
ました。お前{まへ}の娘{むすめ}の小磯{こいそ}といふは。やつぱりわたしでござります。
悪事{あくじ}の先非{せんぴ}を悔{くい}ての御自害{ごじがい}御{ご}もつともではござり升{ます}が
(5オ)
そふなさらずと済{すみ}そなもの。こりやまアどふかしよふはない
事{〔こと〕}か。」トうろ〳〵してぞ泣居{なきい}たる。その時{とき}篠塚{しのつか}くるしけに
【しの】「アヽさては実{ま〔こと〕}の娘{むすめ}小磯{こいそ}といひしはやつはり継子{まゝこ}のお里て
有{あつ}たか。そふとはしらず此{この}年月{としつき}親{おや}の手{て}づから川竹{かはたけ}の流{なか}れに
しつめてさま〴〵の物思{ものおも}はせしも他{ひと}の子{こ}と。思{おも}ふがゆゑに邪
見{しやけん}の有{あ}り状{せう}。その非道{ひとう}をもいとわすして孝行{かう〳〵}尽{つく}せしそなたへ
対{たい}し。今{いま}さら何{なん}と云訳{いゝわけ}ない。それのみならずいつぞやもアノ時
次郎様{ときじらうさま}のいとこなる儀{ぎ}七さまをは番頭{はんとう}の全六{ぜんろく}なんどゝ云
(5ウ)
合{いゝあは}せ建河通{たてかはどを}りてぶちころし。用意{ようゐ}の金{かね}を取{とつ}たるもみな
我{わが}なす業{わざ}なりけるぞ。殊{〔こと〕}にこれなるおてる〔さま〕{さま}四五日|以{い}ぜん
同国{どうこく}たる室{むろ}の八島{やしま}で悪漢{わるもの}のせまりて不義{ふぎ}をおこなはんと
したる其{その}場{ば}へ行合{ゆきあは}せたすけてかへりしお二人{ふた}りさま。亦{また}悪
念{あくねん}のきざしたゆゑおてるさまをすかし拵{こしら}へ此{この}山名{やまな}やへ売
渡{うりわた}し。多{おゝ}くの小金{こがね}をむさぼりしが。時次郎{ときじろう}さまへは一銭{いつせん}もあ
げすみな悉{〔こと〕〴〵}く酒色{しゆしよく}につかい又{また}候そなたがこの家{い■}に勤奉公{つとめほうこう}
して居るといふをほのかに聞{きく}よりも。仕事{し〔ごと〕}にせんとしけ込{こみ}しに
(6オ)
絶{た}へてひさしき我{わが}夫{つま}に。あふてはいとゞ面目{めんぼく}なし。」と苦痛{くつう}を
忍{しの}びて語{かた}るさへ。知死期{ちしご}近{ちか}づく息{いき}づかい。お照{てる}も是{これ}を聞{きく}からに
悪人{あくにん}ながら時次郎{ときじらう}に。かゝりやつながる浦里{うらざと}が母{はゝ}としれては
今{いま}さらに。さすが不便{ふびん}と介抱{かいほう}するに。あるじ文蔵{ぶんぞう}此{この}体{てい}に。
目{め}をしばたゝきいふよふは【文】「さては抱{かゝ}への浦里{うらざと}こそ。この御浪
人{ごらうにん}と篠塚{しのづか}が。若気{わかげ}の時{とき}のころび合{あい}。其{その}折{おり}からにもふけたる。
女{むすめ}にてこそ有{あ}りけるか。しらぬながらも此{この}年月{としつき}。母{はゝ}よ女{むすめ}と
仮初{かりそめ}に。よびしもつきぬ親子{おやこ}の縁{ゑん}。今{いま}又{ゝた}多年{たねん}の非{ひ}をしりて
$(6ウ)
文三{ぶんざう}
於照{おてる}
$(7オ)
篠塚{しのづか}
浦里{うらさと}
(7ウ)
自殺{じさつ}なすなる今日{けふ}に当{あた}ツて。絶{た}へて久{ひさ}しき妻{つま}や子{こ}に名乗{なの}り
遇{あふ}とは不思義{ふしぎ}な因念{いんねん}。それに付{つけ}ても思{おも}ひ出{だ}す。我{わが}身{み}の上{うへ}。以
前{いぜん}をいへば某{それがし}も。由緒{よし}ある武士{ぶし}にてありつるが。父{ちゝ}たる者{もの}は
朋輩{ほうばい}の。讒言{さかしら〔ごと〕}に浪〻{らう〳〵}の。身{み}となりはてゝ鎌倉{かまくら}に。吟行{さまよひ}た
りし其{その}折{をり}から。我{われ}は漸〻{やう〳〵}七{なゝ}ツのとし。我{わが}妹{いもと}なるこの花{はな}はまだ
五才{ごさい}なる幼子{おさなご}を。引連{ひきつ}れ所〻{しよ〳〵}を徘徊{はいくわい}せしうち。或{ある}日{ひ}荏柄{ゑがら}の
天神{てんじん}の。群集{くんじゆ}の中{なか}にて此花{このはな}を見失{みうしな}ひ。何国{いづく}へ行{ゆき}しと方〻{はう〴〵}を
探{さが}したなれど行衛{ゆくゑ}しれず。さては世{よ}にいふ神隠{かみがく}しか。または
(8オ)
人買{ひとかい}勾引{かどわかし}に連{つ}れて往{ゆか}れしものならんと思{おも}ひ切{き}ツても
恩愛{おんあい}の。闇{やみ}に迷{まよ}ふは親心{おやこゝろ}。その後{のち}父{ちゝ}は故{ゆへ}あつて武士{ぶし}を休{やめ}て
此{この}家{や}へ婿入{むこいり}昨日{きのふ}にかわる亡八{くつわ}の活業{なりわひ}。数多{あまた}の女子{おなご}をかい
求{もとむ}るなかにも若{もし}や我{わが}娘{むすめ}の。有{あ}りもやするとたつねしかと
夫{それ}ぞとおもふものなきはさては我{わか}子{こ}は亡人{なきひと}の。数{かづ}に入{い}りにし
ものならんと行衛{ゆくゑの}知{し}れぬ其{その}日{ひ}をは命日{めいにち}として此{この}年月{としつき}。追
善供養{ついせんくやう}をいとなみしか。御身等{おんみら}親子{おやこ}かかく迄{まて}にひさしき
年{とし}を爰{こゝ}に経{へ}てふたゝひ名乗{なの}り遇{あい}給ふを見{み}るにつけても
(8ウ)
羨{うらやま}し。」と語{かた}るうちより篠塚{しのつか}は。聞耳{きゝみゝ}立{たつ}て居{ゐ}たりしが主人{あるじ}
に向{むか}ひいふよふは【しの】「今{いま}の御身{おんみ}の物語{ものがた}り荏柄{ゑがら}の社頭{しやとう}て
失{うしな}ひし娘{むすめ}と聞{きけ}ば此{この}方{ほう}にも。いさゝか心当{こゝろあた}りもあり。シテその
娘御{むすめご}は年{とし}の頃{ころ}五ツ六ツにて衣服{いふく}には角切角{すみきりかく}に山{やま}といふじを
紋所{もんところ}には付{つけ}ざりしか。」トいへば文蔵{ぶんぞう}打驚{うちおどろ}き【文】「いかにも妹{いもふと}此
花{このはな}こそ其{その}時{とき}てうど五ツのくれ。しかも衣服{いふく}は我{わが}家{いゑ}の定紋
たりし角切{すみきり}かくに山{やま}といふしを付{つけ}たりしかとふしてこなたは
夫{それ}程{ほと}迄{まで}くわしくしつてござるぞ。」ト不審立{ふしんたつ}れは篠塚
(9オ)
婆〻{しのつかはゝ}苦{くる}しき息{いき}をほつとつき【しの】「それもやつはり我{わが}仕業{しわざ}。
或{ある}年{とし}われも鎌倉{かまくら}にさまよひあるきし折{おり}からに。荏{ゑ}がらの
社内{しやない}に迷{まよ}ひ子{こ}のいやしからさる気量{きりやう}を見{み}こみだましすか
して連{つれ}かへり。我{わが}子{こ}となして養{やしな}ひ育{そたて}て金{かね}にせばやと思{おも}ひ
の外{ほか}一人{ひと}りの男{おとこ}に操{みさほ}をまもり四の五のぬかして自由{じゆう}になら
ぬをいたくせめてこらせしかば死{しぬ}るよしを書残{かきのこ}し家出{いゑで}なし
て行衛{ゆくゑ}しれねばこれも此{この}世{よ}になき人{ひと}ならん。手{て}はおろさねど
御身{おんみ}か妹{いもと}も我{わ}か殺{ころ}せしも同前{どうせん}なり。さすれば主人{あるし}文蔵{ぶんそう}どの
(9ウ)
にも妹{いもと}の敵{かたき}の此{この}篠塚{しのづか}早{はや}首{くび}打{うつ}て手向{たむけ}られよ。」と先非{せんひ}を悔{くい}
てけなげなる詞{〔こと〕ば}に文蔵ほと〳〵感{かん}じ【文】「さては此{この}世{よ}に亡人{なきひと}と
思{おも}ひし妹{いもと}此花{このはな}はひと度{たひ}御身{おんみ}に養{やしなは}れ人{ひと}と成{なり}たる其{その}上{うへ}にて
いかなる人{ひと}に身{み}を寄{よせ}しや。シテ其{その}夫{おつと}みまかりて後{のち}貞操{ていそう}を守{まも}り
て節義{せつき}に死{し}せしとは。武士{ぶし}の素性{すぜう}をあらはせしもいやといわ
れぬ父{ちゝ}の骨肉{こつにく}。出{で}かしたり妹{いもふと}けなげなり此花{このはな}草葉{くさば}の蔭{かげ}にて
父上{ちゝうへ}のさそかし嬉{よろこ}び賞{ほめ}給はん。ナニ篠塚{しのづか}どのその妹{いもふと}か夫{おつと}と
頼{たの}みし主人{ぬし}は何所{いづく}の何人{なにびと}。」といふに篠塚|打合点{うちうなづき}【しの】「夫{それ}こそ
(10オ)
千葉家{ちばけ}の出頭{きりもの}に神崎{かうざき}甚三郎{ぢんざぶらう}といふ人{ひと}なり。」と語{かた}るをきいて
一ト間{ひとま}より。おづ〳〵出{いづ}る一人{ひとり}の男{をとこ}。是等{これら}の人{ひと}に打向{うちむか}ひ「私事{わたくし〔こと〕}は
只今{たゞいま}お前{まへ}さまがたの御咄{おはなし}なさるゝ神崎{かうざき}甚{ぢん}三郎さまの譜代{ふだい}の
家来{けらい}土平{どへい}と申もの。則{すなはち}御主人{ごしゆじん}甚{ぢん}三郎さま何者{なにもの}にや闇{やみ}うちに
おなりなされて後{のち}。あなた〔さま〕{さま}の御妹{おんいもふと}此花{このはな}さま今{いま}の御名{おな}は梅ケ
谷{うめがや}さまとて御息才{ごそくさい}にてやはりお屋敷{やしき}に御奉公{ごほうこう}なされてゞ
こざります。又{また}私{わたくし}と甚{ぢん}三郎さまの妹御{いもふとご}お露{つゆ}さまとは敵{かたき}をさが
さん其{その}為{ため}に。あるひは説経{せつきやう}よみに身{み}をやつし。又{また}は飴{あめ}の荷{に}ない
(10ウ)
うり。心{こゝろ}にもなき阿房{あほう}のたら〴〵。諸方{しよはう}をめぐりて人{ひと}を集{あつ}め。
街{ちまた}のうはさを餘所{よそ}ながら。聞{きく}も敵{かたき}をしらんがため。身{み}に膝{うるし}して*「膝{うるし}」(ママ)
癩病{かたい}となり。仇{あだ}をねらひし唐士{もろこし}の。忠臣{ちうしん}義士{ぎし}には劣{おと}るとも。やはか
打{うた}いでおくべきかと。思{おも}ふ心{こゝろ}の一筋{ひとすじ}に。我{わが}身{み}を忘{わす}るゝ此{この}土平{どへい}。異{〔こと〕}なる
形{なり}で空馬鹿{そらばか}つかい。童{こども}たらしの諺哥{わざうた}うたひ。彼所{かしこ}や此所{こゝ}をあり
きしかば。たれいふとなく土平飴〻〻{どへいあめ〳〵}としらぬものもなきやうに
なつたればこそ。日毎{ひ〔ごと〕}に多{おゝ}くの銭{ぜに}を得{え}て。お露{つゆ}さまに何{なに}一ツ{ひとつ}御不
自由{ごふじゆう}なく養{やしな}ひ申すも我{わが}忠義{ちうぎ}を。|皇天{てん}のあはれみたまふなるか。
(11オ)
夫{それ}のみならず今日{けふ}はからず。梅ケ谷{うめがや}さまの実{じつ}の兄御{あにご}にめぐりあふ
のも不思儀{ふしぎ}の因|縁{ゑん}。此{この}上{うへ}は何卒{なにとぞ}私{わたくし}どもの力{ちから}となつて。御主人{こしゆじん}甚{ぢん}三
郎さまのかたきを打{うた}せて下{くだ}さりませ。」と実{ま〔こと〕}をあらはす詞{〔こと〕ば}のはしに
文蔵{ぶんぞう}はじめ浦里{うらざと}お照{てる}。土平{どへい}が忠義{ちうぎ}を感{かん}ずる中{なか}に。篠塚{しのづか}ばゞは
いとゞしく。此{この}物語{ものがたり}を聞{きく}につけ。我{わが}身{み}の悪事{あくじ}が恨{うら}めしく因果{いんぐわ}は
めぐるおぐるまのむくひははやき我{わが}さいご。浦里{うらざと}といひ梅ケ谷{うめがや}と
いゝ匂引{かどわかし}せしは此{この}篠塚{しのづか}。しかのみならず浦里{うらざと}に種〻{しゆ〴〵}物思{ものおも}はせし*「匂引{かどわかし}せし」(ママ)
釣舟{つりぶね}の清次{せいじ}とよびしも我{わが}一度{ひとたび}。夫{おつと}とたのみし何{なに}かしが連子{つれこ}
$(11ウ)
時次郎{ときじろう}が妾{せう}
浦里{うらざと}
春日屋{かすがや}
時次郎{ときぢろう}
妻{つま}
於照{おてる}
鳶者{とびのもの}
長五郎{てうごろう}
芸者{けいしや}
浪吉{なみきち}
$(12オ)
於松{おまつ}
二見{ふたみ}
重三郎{ぢうさふろう}
於露{おつゆ}
土平{どへい}
(12ウ)
なれば。浦里{うらざと}が為{ため}にも兄{あに}といふへきか。是{これ}さへ今{いま}は行衛{ゆくゑ}しれず
何所{いづく}におるや。今{いま}に悪心{あくしん}ひるがへさずは。終{つい}に母{はゝ}と諸{もろ}ともに非業{ひごう}の
さいごをとげるならん。浦里{うらざと}此{この}後{ゝち}めぐりあはゞ。母{はゝ}の今{いま}はにいひ
おきしと。よしなに此{この}事{〔こと〕}伝{つた}へてたべ。もはや此{この}世{よ}に思{おも}ひおくこと
更{さら}になし。篠塚{しのづか}がさいごを不便{ふびん}と思{おも}はれなば。たゞ一{いつ}ぺんの御{ご}
ゑかうを頼{たの}む〳〵。」といふ声{こへ}も。知死期{ちしご}とみへてかすかなる。襖{ふすま}の
うちより声{こゑ}高{たか}く「ヤア〳〵篠塚{しのづか}苦痛{くつう}をこらへて今{いま}しはし
其{その}笄{かうがい}を抜{ぬく}べからず。あこぎの清二{せいじ}に対面{たいめん}させん。」と立{たち}いづるを
(13オ)
何者{なにもの}にやと見{み}てあれば。是{これ}別人{べつじん}にあらずして。千葉家{ちばけ}の老
臣{らうしん}二見{ふたみ}重{ぢう}左衛門なりければ。人〻{ひと〴〵}驚{おどろ}きいつのまに重{ぢう}左衛門が此{この}
所へ来{きた}りて居{お}りしを怪{あや}しみけり。[重左衛門は其時おもての方にむかひ相図{あいづ}とみへてよぶこのふへをふき立
れば組子の面〻清次{せいじ}泥蔵{どろぞう}飛介{とびすけ}らになわかけて庭前{ていぜん}にひきすゆれば重左衛門はしのづかばゞにうちむかひ]【重】「悪{あく}につよきはまた
善{ぜん}にもつよしと篠塚{しのづか}ばゞ。自{みづから}多年{たねん}の非{ひ}をしつて自殺{じさつ}なせ
しは殊勝{しゆせう}のさいご。彼{か}の唐土{もろこし}の遽{きよ}伯玉{はくぎよく}は五十にいたりて始{はじめ}て
四十九|年{ねん}の非{ひ}を知{しつ}たる例{ためし}も更{さら}に外{ほか}ならず。実{げ}に人間{にんげん}は万物{ばんもつ}の
霊長{れいてう}たれば性善{せいぜん}と孟子{もふし}の説{とき}しも宜{むべ}なるかな。それにはあらで
(13ウ)
釣舟{つりぶね}の清次{せいじ}は悪事{あくじ}もおのが名{な}の。あこぎの浦{うら}の度{たび}かさなり
終{つい}には我{わが}手{て}にとらへたり。まつた泥蔵{どろぞう}飛助等{とびすけら}は昨日{きのふ}某{それがし}此所へ
来{く}る道{みち}すがら。とある藪蔭{やぶかげ}にて。勝負{せうぶ}をなして居{い}たりしゆゑ。
捕{と}らへて詮義{せんぎ}をとげたれば。篠塚{しのづか}ばゞと言合{いゝあは}せ。旅{たび}に苦{くる}しむ
夫婦{ふうふ}をすかし。其{その}女房{にようぼう}を此所へ。売渡{うりわた}したる事{こと}よりして先年{せんねん}
儀七{ぎしち}を殺{ころ}せしこと又さいつ頃{ころ}舟橋{ふなばし}の油屋{あぶらや}にての盗賊{とうぞく}も皆{みな}
こやつらが仕業{しはざ}なる〔こと〕。明白{めいはく}にあらはれたり。かつまた先{さき}の月{つき}
迷岱{めいたい}にて。全六{ぜんろく}を殺{ころ}して一軸{いちゞく}をうばひし奴{やつ}も清次{せいじ}にて思{おも}はず
(14オ)
手{て}に入{い}る菅家{くわんけ}の正筆{せうひつ}。今{いま}ぞ春日屋{かすがや}時次郎が無実{むじつ}の難{なん}の
ぬれ衣{ぎぬ}も。はれて古郷{こきやう}へかへり花{ばな}。再{ふたゝ}び家{いゑ}をおこすへし。又{また}国元{くにもと}
にて神崎{かうさき}甚三郎を打{うつ}たる者{もの}こそ。荒川{あらかは}淵{ふち}右衛門なりと。彼の
軍藤二{くんとうじ}が白状{はくぜう}にて。淵{ふち}右衛門をはかねてより囚屋{ひとや}につなぎおい
たれば。土平{とへい}おまつお露{つゆ}らに。本望{ほんもう}をとげさするは。帰国{きこく}の上{うへ}
にて申|付{つけ}ん。清次{せいじ}泥蔵{どろぞう}飛助{とびすけ}をばおもき罪科{ざいくわ}に行{おこな}ふべし。」と。
残{のこ}るかたなき二見が詞{〔こと〕ば}。皆一同{みないちどう}に感{かん}じけり。[かくて重左衛門がさしづにて篠塚ばゞかなきがらをば
当所の粉川寺にあつくほうむり。あとねんころにとむらひける。又鐘右衛門人世をあぢきなくおもひ則此粉川寺のけい内に一ト宇の草庵をいとなみもらひていはつして浮世を
(14ウ)
やすらかにわたり。しのつかばゞ全六荒川清二らがぼたいをとむらいければうら里時次郎梅が谷がかたよりあつくふぢよして何不|足{そく}なく生涯を送ける]○去{さる}程{ほど}に
二見|重{ちう}左衛門は時{とき}次郎|浦里{うらざと}お照{てる}土平{どへい}お露{つゆ}を誘{ともな}ひ不日{ふじつ}に
鎌倉{かまくら}へたちかへり。蜜{ひそか}に畠山{はたけやま}重忠{しげたゝ}へ此{この}由{よし}を訴{うつた}へ。お露{つゆ}梅ケ谷{うめがや}
土平{とへい}お松等{まつら}に助太刀{すけたち}して。敵{かたき}荒川{あらかは}淵{ふち}右衛門を七里{しちり}が浜{はま}にて
うたせ。土平は殊{こと}に下さまの者にはまれなる忠臣{ちうしん}なりとて。
千葉家{ちばけ}の直参{ちきさん}となしお露と夫婦{ふうふ}にして神崎{かうざき}の家{いゑ}を継{つが}
せ二代目{にだいめ}甚{ぢん}三郎と名を改{あらた}め。梅ケ谷をば姉{あね}と敬{うやま}ひ大切{たいせつ}に
なしにける。又お松は重{ぢう}三良と相応{そうおう}の縁{えん}なればとて。甚{ぢん}三郎
(15オ)
お露{つゆ}が斗らひにてこれも行すゑは二見が家{いゑ}の嫁となす
べき約束{やくそく}をとりむすび。目出度|千葉{ちば}の家治り。万〻歳とぞ
祝{しゆく}しける。是{これ}よりさき伯父大膳は。荒川{あらかは}松戸が白状{はくせう}にて工の
一チ〳〵露顕{ろけん}におよびけれは。既{すで}に命をもうしなはるべきを。
重左衛門が斗らひにて。菩提所{ほだいしよ}浅茅{あさぢ}が原{はら}総泉寺{そうせんじ}にて剃
髪{ていはつ}をすゝめければ。これも二見が仁心を感{かん}じ多年の悪念{あくねん}
をひるがへし。道心{どうしん}堅固{けんこ}の大徳{たいとく}となり。行ひ清{すま}して一生を送{おく}り
ぬ。また時{とき}次郎はふたゝび春日屋{かすがや}へ立戻{たちもと}り親{おや}由兵衛が譲りを
(15ウ)
受け。お照を本|妻{さい}となし。浦里{うらざと}を妾{めかけ}となし親{おや}へ孝行{かう〳〵}を
尽{つく}し下部をあわれみ。慈悲善根{じひぜんこん}を専らとしければ家
|業{きやう}ます〳〵繁昌{はんぜう}して家に巨万{こまん}の宝をつむといへども。常{つね}
にはけんやくを守{まも}り。親類縁者{しんるいゑんじや}の難儀{なんぎ}の事といへば金銀を
おしまずほどこしければ。目出|度{たき}事{〔こと〕}のみ打つゞき。やがてお照か
はらに男子一人り浦里{うらざと}がはらに女の子一人りもふけ。よろ
こふ事かきりなし。儀{き}七はお玉と夫婦{ふうふ}となり。時{とき}次郎が方
の出店{てみせ}分になり。長五郎|波吉{なみきち}も相かわらず春日屋両
(16オ)
|家{け}へ出入{でいり}して睦{むつ}ましくまじはり。折{をり}〳〵上総{かづさ}の五井{ごゐ}正{せう}太郎
が方{かた}下野{しもつけ}宇津{うつ}の宮{みや}なる山名{やまな}や文蔵{ふんぞう}がかたへ消息{せうそく}して
時候{じこう}の安否{あんぴ}を問{と}ひ都{すべ}て親族{しんぞく}朋友{ほうゆう}和順{わじゆん}して。目出{めで}たき
春{はる}をむかへけるはめでたし〳〵。
○作者{さくしや}伏{ふして}稟{もふす}這{この}草紙{そうし}は元{もと}よりかく追〻{おい〳〵}に嗣{つぎ}いだ
すべき心{こゝろ}がまへなかりしかば。初編{しよへん}より其{その}種{たね}を蒔{まか}ず。
然{しか}るに御看官{ごけんぶつ}の跡引上戸{あとひきじやうこ}。年〻歳〻{ねん〳〵さい〳〵}お銚子{てうし}の
かわりめを急{いそ}ぐものから。板元{はんもと}のやじ馬{むま}又{また}種本{たねほん}の催
(16ウ)
促{さいそく}をする事{〔こと〕}周章{あはたゞ}しければいつも倉卒{そうそつ}のあいだに
稿{こう}を脱{だつ}し。一度{ひとたび}も其{その}草稿{したがき}をあらためず。そのまゝ
直{すぐ}に傭書{ようしよ}{#ヒツカウカキ}に与{あた}へ。厥人{けつじん}{#ハンギシ}にゆだねしかば。魯魚烏焉
馬{ろぎようゑんば}のたがひはものかはあるは心{こゝろ}あまりて詞{〔こと〕}ばたらず。
又{また}は無用{むやう}の人物{じんぶつ}筋{すじ}にもなき浪話{たわ〔こと〕}をいふの類{たぐ}ひ
いと多{おゝ}かるべし。そは巻毎{まき〔ごと〕}に丁数{てうすう}かぎりある小冊{せうさつ}
なれば看{みん}人{ひと}これを察{さつ}し給へかし。
○再云{またいふ}分{わけ}て小子{やつがれ}は外〻{ほか〳〵}の文人{ぶんじん}と違{ちが}ひ。活業{なりわひ}殊{〔こと〕}に繁
(17オ)
多{はんた}にして日毎{ひ〔ごと〕}に東西{とうざい}に走{はし}り。南北{なんぼく}に吟行{さまよふ}身{み}の
寸暇{すんか}を得{え}ざれば只{たゞ}夜{よ}にいたりて睡{ねむ}りに付{つか}んと
するいとま〔ごと〕に一頁{ひとひら}二頁{ふたひら}づゝ草{そう}し終{おは}れは直{すぐ}に
これを筆耕{ひつこうかき}の手{て}にわたす。されば最初{さいしよ}の一丁{いつてう}を
稿{こう}してより二三日あるは五六日を経{へ}て二|丁目{てうめ}を
草{そう}する事あれば前{まへ}の一丁{いつてう}に書{かき}たるおもむきを
わすれ。また二|丁目{てうめ}に誌{しる}しはじめにいふべき事{〔こと〕}を
後{のち}にかき後{のち}に断{〔こと〕}わるべき事{〔こと〕}をはじめに述{のぶ}るなど
(17ウ)
心{こゝろ}にもあらで誤{あやま}れる事いと多{さは}なり。さわれもと
より博識{はくしき}の君子{くんし}の覧{らん}に呈{てい}せんとにはあらす
閨人稚蒙{けいじんちもう}のために春雨{はるさめ}のつれ〴〵をなぐさむる
よすがともなすべき兎園草紙{とゑんそうし}にして一時{いちじ}灯
下{とうか}の戯墨{げぼく}に成{なつ}て
百年{ひやくねん}遺笑{ゐせう}のわざくれ文{ふみ}なれば作者{さくしや}も
あへてこれらの事{〔こと〕}に懸念{けねん}するに及{およ}ばず。
看{みる}人{ひと}もとがむることなし。
$(18オ)
お松{まつ}が
娘{むすめ}
おその。
明{あけ}がらす
後日{ごにち}ばなし
全本六冊出来
一名{いちみやう}
神医仁行記{しんゐじんこうき}
この後日{ごにち}ばなしは二編〔より〕
三編に説{とき}のこせし得本{とくほん}の
医{ゐ}じゆつ等{とう}までくわしくす
二代目{にだいめ}
山名屋{やまなや}
三世{さんせい}
浦里{うらさと}
$(18ウ)
二見{ふたみ}十三郎
おまつ
$(19オ)
太郎吉{たろきち}
〈画中〉鐘ケ淵
(19ウ)
浦里{うらさと}時次郎{ときしらう}後日{ごにち}ばなし
明烏寝覚繰語{あけがらすねざめのくり〔こと〕}
全部三冊
南仙笑楚満人著
滝亭鯉丈校合
渓斎英泉画
這{この}物語{ものかたり}は十五|巻{くわん}の結局{けつきよく}より十|餘年{よねん}の後{のち}の物語{ものかたり}に
して。正{せう}太郎が一子{いつし}太郎吉{たらきち}が勇猛{ゆうもう}よりしてお松{まつ}重{ぢう}三郎
山名屋{やまなや}文蔵{ぶんそう}時{とき}次郎が一子|時之助{ときのすけ}が事など様{さま}〳〵の珍説{ちんせつ}
奇話{きわ}を書綴{かきつゞ}り来春{らいしゆん}の初烏{はつがらす}と共{とも}に売出{うりいだ}し申候。
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底本:東京大学文学部国語研究室蔵本(4L:95:5)
翻字担当者:矢澤由紀、金美眞、島田遼、銭谷真人
更新履歴:
2017年7月26日公開