日本語史研究用テキストデータ集

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浦里時次郎明烏後の正夢うらざとときじろう あけがらすのちのまさゆめ

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四編下

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浦里時次郎明烏後の正夢 四編下

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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア
5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」
6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ
 複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵
7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。
8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。
10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕
11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい}
12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日}
13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい}
14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。
15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】
16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。
17.不明字は■で示した。
18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」
19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。
20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(1オ)
[浦里時次郎]明烏{あけがらす}後正夢{のちのまさゆめ}巻之十二
江戸[南仙笑楚満人 滝亭鯉丈]合作
第廿回
却{かへつて}説{とく}正{せう}右エ門は其{その}夜{よ}さり危{あやふ}き場所{ばしよ}を折克{をりよく}も来{きた}
り合{あわ}せし蝶{てう}五郎に輔{たすけ}られてお照{てる}を誘{ともな}ひ一{ひ}トまづ
油屋{あぶらや}へ立戻{たちもど}り。夕阝{ゆふべ}よりのとり始末{しまつ}をなし。此{この}夜{よ}の事{〔こと〕}
世上{せじやう}へしらさぬやうにと。つど〳〵に主人{あるじ}にたのみきこへ。

(1ウ)
蝶{てう}五郎に別{わか}れ。お照{てる}とともに次{つぐ}の日{ひ}船橋{ふなばし}の駅{ゑき}を発
足{ほつそく}して。検見川{けみがは}まで来{きた}りしに。お照{てる}は病気{びやうき}あげくと
いひ。此{この}程{ほど}よりの心{こゝろ}づかいにや。持病{ぢびやう}の癪気{しやくき}にて難儀{なんぎ}
しければ。いかゞはせんと途方{とはう}にくれけるが。幸{さいわゐ}かたはらに
一軒{いつけん}の酒屋{さかや}のありければ。爰{こゝ}に入{い}りてしばらく労{つか}れ
を休{やす}めける。[此{この}酒屋{さかや}の店{みせ}に居{ゐ}るは此{この}近辺{きんぺん}の馬士{むまかた}とみゆる男{をとこ}二三人|車座{くるまざ}に並{なら}び酒のみながらはなすを聞{きけ}ば]【一人の馬士▲】「いし{#主}
このあいだアゑらくめんがいゝな。よんべなんざア|ふとり{#一人}
でかわじやう{#側中}の銭{ぜに}イぶつさらツたそふだな。酒{さけ}でも

(2オ)
かうがゑいぜ。」【今一人馬士●】「アニたアことな。むかふにも荒神{くわうじん}
さまがついてござらア。そふおれふとりにゑゝ事{〔こと〕}を
させべいか。ほんにゑゝ事{〔こと〕}といへばゑゝ金{かね}もふけの事{〔こと〕}
が有{あ}るが。みんな聞{きい}たかへ。」【▲】「なんた〳〵。金{かね}もふけと
聞{きい}ちやア耳{みゝ}よりだ。早{はや}くはなせ〳〵。」【●】「アニ外{ほか}のこん
でもねへが。最前{さつき}御代官所{おだいくわんしよ}の御役人{おやくにん}さまがふれて
来{き}さつしつたア。モノ千葉家{ちばけ}のお屋敷{やしき}で。何{な}にか大
切{たいせつ}なア宝物{たからもの}が紛失{ふんじつ}とやらふんどしとやらしたが。

(2ウ)
其{その}盗人{どろぼう}の時{とき}次郎といふやつが。こつちの方{はう}へうろ
ついてこべいから。からめ捕{とつ}て出{た}したらほうびの
金{かね}は望{のぞみ}次第{しだい}やるべい。またおつかくしておいたら急
度{きつと}食事{しよくじ}に申付るときびしく言{いわ}つしつた。イヤ〳〵
しよくじぢやアねへ曲事{きよくじ}〳〵。その曲事{きよくじ}にもふし
つけるとの事{〔こと〕}だ。」【▲】「ハテナそふしてその宝物{たからもの}は何{なん}と
いふものだナ。」【●】「それよその宝物{たからもの}の名{な}はなんとか
いつたつけ。待{まて}よかうだに。よつて何{なん}でも旦那寺{だんなでら}の

(3オ)
お住持{ぢうぢ}さまが不断{ふだん}いわつしやる事{〔こと〕}だて。談義{たんぎ}で
なし説法{せつほう}でなし建立{こんりう}でなし。ヲそれ〳〵勧
化{くわんけ}〳〵。そのくわんけの一軸{いちゞく}とやらが紛失{ふんじつ}したと
いふ事{〔こと〕}。その盗{ぬすん}だ奴{やつ}をつかまへて出{だ}せとのきびしい
言付{いゝつけ}。てめへたちも眼玉{まなこだま}アおつひろげて。うさんな
やつと見{み}たならば。必{かならず}ぬからつしやるな。」【▲】「イヤモウ合
点{がつてん}だ〳〵。随分{ずいぶん}おいらたちもそふいふ事{〔こと〕}なら気{き}を
つけて。ナア八。」【▼▲】「ソレサ金{かね}にさへなる事{〔こと〕}なら往来{わうれい}

(3ウ)
の旅人{たびうと}に専{もつぱ}ら心{こゝろ}を付{つけ}て。その盗賊{とうそく}の時{とき}次郎と
やらをつかめへるよふにしよふよ。シタガ当時{とうじ}千葉
家{ちばけ}といつちやア。鎌倉{かまくら}の御{ご}一{い}チ門{もん}で此{この}海道{かいどう}ぢやア
並{なら}ぶものなき御威勢{ごゐせい}。たとへどこにかくれよふとも
さがし出{だ}さるゝはまたゝく内{うち}サ。」【●】「それだによつて
人{ひと}にさきへよい事{〔こと〕}されぬうち。かならず共{とも}に気{き}を
つけて。ぬからぬやうに。そんなら皆{み}んなや後{のち}にあ
わふよ。」ト[みなちり〴〵に出{いで}て行{ゆく}。おくの一ト間に聞{きゝ}いたる正右衛門おや子はむねに釘{くぎ}打{うた}るゝごとく手にあせをにぎり。安{やす}き心{こゝろ}もなかり

(4オ)
ける。かゝる所へ又一人の老人{らうじん}此{この}酒{さか}やへ入来{いりきた}り床几{しやうき}にこしうちかくるをよく見るに正右衛門が家{いゑ}に年{とし}ひさしくつかへし久作{きうさく}といへるものなりければ正右衛門みるより
久作{きうさく}をちかくまねきよふすを聞くに久作は声{こゑ}をひそめ]【久】「わたくし事{〔こと〕}は若旦那{わかだんな}正{せう}太
郎さま。急{いそ}ぎの用事{ようじ}があるほどに。この手紙{てがみ}を親
父{おやぢ}さまの所{ところ}へもつて行{い}つてくれろとおつしやり升{ます}
から。態{わざ}〳〵春日屋{かすがや}さまへあなたをたづねて参{まい}り
ます道{みち}でござります。よい所{ところ}でお目{め}に懸{かゝ}りました。
ヲヽお照{てる}さまようお達者{たつしや}でおめでたうござり升{ます}。」
と。ほた〳〵悦{よろこ}び正{せう}太郎が。手紙{てがみ}を出{だ}して渡{わた}す間{ま}も

(4ウ)
としや遅{おそ}しと封{ふう}おし切{きり}。読下{よみくだ}すその文言{もんごん}に○「何{なに}
なに急{きう}に申上候{もふしあげそろ}。春日{かすが}や時{とき}次郎どの事{こと}菅家{くわんけ}の
一軸{いちゞく}とやらの盗賊{とうぞく}のよし。もつとも此{この}義{ぎ}には深{ふか}き
よふすも|有之{これある}へき事{〔こと〕}におもはれ候得{そふらへ}ども。此{この}方{はう}は
至{いた}つてその詮義{せんぎ}きびしく御座候間{ござそふろふあいだ}。万一{まんいち}御前{おんまへ}さま
此{この}よしを御{ご}ぞんしこれなく。御同道{こどう〳〵}など|被成候事{なされそろ〔こと〕}
も候はゞ返{かへ}つて時{とき}次郎どの身{み}のために悪{あし}からん
と存{ぞんじ}候ゆゑ此{この}段{だん}申上候。早〻{そう〳〵}已上{いじやう}。」と読終{よみをわ}ツて再{ふたゝ}び

(5オ)
おどろく正{せう}右衛門。さては今{いま}の馬士{むまかた}が咄しのごとく
勢{いきほ}ひつよき千葉家{ちばけ}の権抦{けんぺい}。此{この}上総{かづさ}へは時{とき}次郎が
詮義{せんぎ}きびしく触{ふれ}なせしか。そふとはしらず時{とき}次
郎。もしや此{この}辺{あた}りにうろついて悪者{わるもの}どもにつけら
れんか。こふいふうちも気{き}づかいな。遠{とを}くはゆかじ時{とき}
次郎。跡{あと}追{おつ}かけていさゐの事{〔こと〕}。申談{もふしだん}じた上{うへ}にまた。
取{とり}はからふべき旨{むね}ありと。そこ〳〵にして爰{こゝ}を立出{たちいで}
三人{さんにん}ひとしく時{とき}次郎があと追{おつ}かけていそぎける。

(5ウ)
[それはさておき時次郎は父{ちゝ}のなさけに正右衛門か在所{ざいしよ}を心{こゝろ}ざしおちゆきしが。道{みち}〳〵せんぎきびしく所〻{しよ〳〵}に画{ゑ}すがたにてせんぎありしかば。上総{かづさ}に至{いた}らんは
あやうしと引返{ひきかへ}す途中{とちう}。おりよく正右衛門おてる久作等{きうさくら}に行{ゆき}あひければ。正右衛門は大きによろこひ時次郎にさゝやきけるは我{わが}親類{しんるい}二荒{にくわう}山のふもとにあれば
かしこへゆきてしばらくかくれしかるべし。おせわながらお照{てる}をもともなひ玉はれとて。金子{きんす}五十両わたし。てばやくかのしんるいのかたへの手がみをしたゝめ時次郎に
わたし。おてる時次郎をおとしやり。いまは心安{こゝろやす}しと久作をともない古郷{ふるさと}なるかづさの五井へと立ちかへりぬ]○[こゝにまた正右衛門が惣領{そうりやう}正太郎といへるは。いたつて
柔和温順{にうわおんじゆん}の生{うま}れなりしが。去{いぬ}るとし妻{つま}をむかへ。夫婦{ふうふ}なかむつましく太郎吉といふ子{こ}をもふけ。ことし四才{よつゝ}にぞなりにける。此おくみといへる女年はいまだやう〳〵■の
うへを一ツ二ツこへて。そのうつくしさ鄙{ひな}にはまれなるじんぜうの生れにて。近郷近在{きんご■きんざい}のひやうはんの女なりければ。所の代官{だいくわん}松戸{まつど}郡藤次{ぐんとうじ}といへるもの。いかゞして此おくみ
をかいまみけん。恋{こい}こがれ仲立{なかだち}をたのみ。千束{ちづか}の文{ふみ}をおくるといへども。おくみはこれを手にだもふれず其まゝかへしければ。今は思ひにたへかねさま〴〵と奸斗{かんけい}をめぐらし
ける。此{この}軍藤二{くんとうし}は荒川{あらかは}淵{ふち}右衛門が一ぞくにて。千葉家{ちばけ}の出頭{きりもの}なりければ。あしきおこなひおふかりけれど。たれあつてとがむるものなく。我{わが}まゝをぞはたらきける。古語{こご}にいへる〔ごと〕く

(6オ)
人{ひと}盛{さか}んなるときは天{てん}にかち。天|定{さだま}つて人にかつと。うべなる哉。正右衛門おや子はさせる悪人{あくにん}にあらずといへども。いかなる宿世{すくせ}にやあるとき正右衛門がうしろの籔{やぶ}より火{ひ}
もへ出{いだ}し正右衛門が家{いへ}はいふもさらなり。近所{きんじよ}となり四五|軒{けん}類焼{るいせう}しければ。正太郎は急{きう}に蔵{くら}へさしかけをなし住居{すまゐ}ける。もとよりことしは凶年{きやうねん}にて一村{いつそん}不作{ふさく}なり
ければ。このよし代官所{だいくわんしよ}へ愁訴{しうそ}なしけれども。こゝろよからぬ軍藤二{ぐんとうじ}すこしもこれを聞{きゝ}いれず。かへつてきびしく果役{くわやく}をいゝ付ければ。一村{いつそん}の人民{じんみん}うらみいかる事大かた
ならず。此{この}よしを鎌{かま}くらにうつたへ出んとひそかにせうぎし。いまだ壮年{そうねん}なれども家{いへ}がらなれば正太郎もせんかたなく。此人〻とともにかまくらへ出立{■ゆつたつ}しける]
○道陸神{どうろくじん}の祭礼{まつり}とて。村{むら}の若衆{わかいしゆ}打{うち}よりて。はやす
太鼓{たいこ}の音{おと}さへも。どんな拍子{ひやうし}もさすが又{また}。鄙{ひな}のなら
ひの殊勝{しゆせう}げに。参詣群集{さんけいくんじゆ}の其{その}中{なか}に。おくみは一人{ひと}り
太郎吉{たろきち}が手{て}をひきながら返{かへ}り来{く}る。我{わが}家{や}も近{ちか}き

$(6ウ)
黄昏{たそがれ}どき【おくみ】「コレ〳〵太郎吉{たろきち}
そのよふに急{いそ}いで怪我{けが}し
やんな。もふ内{うち}も近{ちか}い。父{とゝ}さん
の留守{るす}にひよつと怪我{けが}でも
して見{み}やれ。爺〔さま〕{とゝさま}がかへら
しやつて此{この}母{はゝ}が何{なん}と言訳{いゝわけ}が
有{あら}ふと思{おも}ふ。」トいへば太郎吉{たろきち}
おとなしく【太郎吉】「アイそんなら

$(7オ)

(7オ)
しづかに行{ゆく}程{ほど}にさいせん
店{たな}でかふた江戸菓子{ゑどぐわし}くだ
されや。」【おくみ】「これはしたり
どふした物{もの}じや。表{おもて}なかで喰{たべ}
るものじやござりませぬ。」【太郎吉】「イヤ
イヤくだされ〳〵。」【おくみ】「また
いふてかいの。其{その}様{やう}にやんちや
いやると爺〔さま〕{とゝさま}が腹立{はらたて}てモウ

(7ウ)
おかへりがないがよいかや。」トおどす詞{〔こと〕ば}に太郎吉は「コレ
かゝさまモウやんちやはいわぬほどに早ふ爺〔さま〕{とゝさま}を呼{よん}で
下{くだ}され。返事{へんし}さしやらぬは爺〔さま〕{とゝさま}はもふ帰{かへ}らしやれ
ぬのか。」と。母{はゝ}の顔{かほ}をさしのそけば。お組{くみ}は胸{むね}に満来{みちく}る
涙{なみだ}「もしや此{この}子{こ}のいふ事{〔こと〕}が前表{しらせ}とやらで丈人{こちのひと}再{ふたゝび}かへらぬ
事{〔こと〕}あらば。此{この}身{み}は何{なん}と生{いき}ながらへ。此{この}世{よ}の日陰{ひかげ}が見{み}らりやう
と。思{おも}へばいとゞ涙声{なみだごゑ}。子{こ}に悟{さと}られじとおしかくし【くみ】「イヤ〳〵
翌{あす}ははやふ戻{もと}らしやるほどに。随分{ずいぶん}とおとなしうして

(8オ)
土産{おみや}をもらや。サア〳〵行{ゆこ}。」と手{て}をとりて。歩{あゆ}む後{うしろ}へ
あらわれ出{いで}し壱人{ひと}リの曲者{くせもの}。ふくめん頭巾{づきん}に顔{かほ}を包{つゝ}み
やにはにおくみを引{ひつ}とらへ。ぐつとはまする猿{さる}ぐつわ「かゝ
さまノウ。」ととりつく太郎吉。足{あし}にてはつたとけかへ
して。邪广{じやま}ひろぐなといふ暮{ぐれ}に。紛{まぎ}れてこそは曲者{くせもの}の。
お組{くみ}を小脇{こわき}に引{ひき}かゝへ。飛が如{〔ごと〕}くに走去{はせさり}けり。斯{かく}とはしらす
正右衛門。孫{まご}のかへりの遅{おそ}きゆゑ。迎{むか}ひに来{きた}る辻堂{つぢどう}の。
辺{ほと}りに独{ひと}り泣居{なきゐ}る太郎吉。それと見{み}るより走{はし}りより

(8ウ)
【正右衛門】「ヤアそこにゐるは太郎吉じやないか。嫁{か}〻〔さま〕{さま}は何{なん}と
した。まだ跡{あと}にか。」と問{と}へど答{こた}へも泣入{なきい}る稚児{おさなご}。「コレ祖父{ちゞ}*「コレ」の前に開括弧なし
じや。わしじや。嫁女{よめぢよ}はどこに何方{いづく}に。」といへばやう〳〵
太郎吉が「かゝさまをばさつきにこわいおぢ〔さま〕がどこ
へやら連{つ}れて行{ゆか}しやれた。」と。聞{きい}ておどろく正右衛門「ヤア
何{なに}こわいおぢが連{つれ}ていんだ。そりやどつちの方{はう}へ。」【太郎】「アイ
あちらの方{はう}。」とおしゆれど。雲{くも}を闇{やみ}なるお組{くみ}がゆく末{すゑ}
せんかたなくもすこ〳〵と。稚児{おさなこ}脊負{せお}ひて正右衛門一{ひ}ト先{まつ}

(9オ)
其{その}夜{よ}は立{たち}かへりぬ。
廿一回
世{よ}の中{なか}は何{なに}が常{つね}なる飛鳥川{あすかがは}。昔日{きのふ}に変{かは}る正右衛門が。
家{いゑ}は火災{くわさい}に失{うしなは}れ見るもいぶせき埴生{はにふ}の住居{すまい}。折{おり}しも
つゞく秋雨{あきさめ}の篠{しの}つくごとくうば玉{たま}の。闇{やみ}もいとはで
鎌倉{かまくら}より。立戻{たちもど}りたる正太郎。我{わが}家{や}ながらも世{よ}を
しのぶ身{み}はさしあしして外面{そとも}にたゝずみ内{うち}の様子{やうす}
をうかごふに。老母{ろうぼ}の声{こゑ}とおぼしくて【老母】「ヤレ〳〵嫁女{よめぢよ}。

(9ウ)
どふしてゐやつた。いつぞや道陸神{どうろくじん}の祭{まつ}りの夜{よ}。此
太郎吉をとものふて行{ゆ}きやつたが。餘{あま}りかへりの
遅{おそ}いゆゑ。老爺{おやぢ}どのが迎{むか}ひに出られたに。辻堂{つぢとう}の辺{ほと}り
にて太郎吉が独{ひと}り泣{ない}てゐたを連{つれ}て戻{もど}つて様子{よふす}を
聞{きけ}どたゞこわい|叔父〔さま〕{おぢさま}がはゝさまをつれていたと
いふばかり。委細{いさい}の事がわからねば。近所{きんじよ}の人をお頼{たのみ}
もふし。そこよこゝよと尋{たづね}ても。絶{た}へてしれざるこなた
の行衛{ゆくゑ}。扨{さて}は世{よ}にいふ神隠{かみがく}しか。それでなければ勾

(10オ)
引{かどわかし}に連{つれ}ていなれたものであろと。老爺{おやぢ}どのと二人リ
して。泣{なき}いる孫{まご}をだましすかし。漸〻{やう〳〵}其{その}夜{よ}を明{あか}せしに。
其{その}次{つぎ}の朝{あさ}代官{だいくわん}より。何{なに}やらせんぎがあるといふて老
爺{おやぢ}どのをつれていなれたが。今{いま}に戻{もど}らぬそれ故{ゆゑ}に。
跡{あと}に残{のこ}つて此{この}婆{ばゞ}は。毎日{まいにち}毎晩{まいばん}孫{まご}めには。かゝさまや
とゝさまはなぜ戻{もど}らぬとせがまるゝ。そのたび〳〵に
身{み}をさくつらさ。翌{あす}はもどると啌{うそ}いふて。昼{ひる}は暮{くら}せど
夜{よ}に入{い}りて。寝{ね}る時分{じぶん}には思{おも}ひだし。嫁〻〔さま〕{かゝさま}呼{よん}でと

(10ウ)
むづかるを。漸〻{やう〳〵}だましてしなびたる。わしが乳房{ちぶさ}を
ふくませて。ねん〳〵ころにまぎらせど。乳{ちゝ}が出{で}ぬ故{ゆへ}
しく〳〵と。泣出{なきだ}す顔{かほ}を見{み}るときは。胸{むね}もはりさく憂{うき}
思{おも}ひ。アヽ世{よ}が世{よ}なら独{ひと}り子{こ}の。殊{〔こと〕}に男{おとこ}の美面容{みめかたち}も
人{ひと}にすぐれた生{うま}れなれば。お乳{ち}やめのとで育{そだて}んに
かゝる時節{じせつ}に生{うま}れ合{あ}ふ。此{この}子{こ}の不運{ふうん}か私{わし}が業{ごう}かと。
おもへば此{この}身{み}が恨{うら}めしく。長生{ながいき}すれば恥{はぢ}多{おゝ}しと昔{むかし}の
人{ひと}の譬{たと}への通{とを}り。アノ一昨年{おとゝし}の大煩{おゝわづらい}に。死{し}んでしもふ

(11オ)
た物{もの}ならば今{いま}のうき目{め}は見{み}まいにと。思{おも}へどかいなき
老{おい}が身{み}のうへ。とやせんかくやと千辛万苦{せんしんばんく}。千〻{ちゞ}に心を
くだいたに。よふマアもどつて下{くだ}された。シテこなたは
今日{けふ}が日{ひ}まで何所{どこ}に何{なに}していやしやれた。」と。問{とは}れて
おくみは涙{なみだ}をはらひ【くみ】「スリヤアノ爺{おやぢ}さまも代官所{だいくわんしよ}へ
連{つれ}て行ましたか。日頃{ひごろ}からなる邪{よこしま}非道{ひどう}。傍若無人{ぼうじやくぶじん}の
軍藤次{ぐんとうじ}。ぬしあるわたしに恋慕{れんぼ}して。兼〻{かね〴〵}文{ふみ}を送{おくり}し
かど。封{ふう}も切{き}らずにかへしましたが。道陸神{とうろくじん}の祭{まつ}りを

$(11ウ)
幸{さいわ}ひ家来{けらい}に言付{いゝつ}け待伏{まちぶせ}させむたいに私{わたし}を
引{ひき}とらへ。屋敷{やしき}へつれゆきしばり上{あ}ゲ。是非{ぜひ}
とも心にしたがへと毎日{まいにち}〳〵せめさい
なむ。そのくるしみより嘸{さぞ}やさぞ。
あなた方{がた}のお案{あん}じなされ
太郎吉めが此{この}母{はゝ}をさがしおる
で有{あら}ふぞとおもへば身も
よもあられねどせん

$(12オ)
方{かた}もなき身{み}のいま
しめ。あのゝものゝに
まぎらして。漸〻{やう〳〵}
其{その}場{ば}をにげ
延{のび}てかへり
ました。」と
口{くち}には
いへど

(12ウ)
心{こゝろ}には。今{いま}にも追手{おつて}のかゝるは必定{ひつぢやう}。とてもかくても存
命{ながらへ}はてぬ。此{この}身{み}としらぬ稚児{おさなご}が。【太郎吉】「コレのふかゝさま
爺〔さま〕{とゝさま}がいやしやれぬ上{うへ}に。嫁〻{かゝ}さまや祖父{ぢゞ}さまも
どこへやら行{ゆか}しやつて。ばゞ〔さま〕{さま}ひとりでは心{こゝろ}ぼそふて
ならぬゆゑ。モウどこへも行{いつ}てくださるナ。もふ是{これ}
からはやんちやもいわず。おまへのいふまゝに成{な}り灸{きう}も
すへ悪{わる}あがきもせぬほどに。はやふとゝ〔さま〕{さま}やぢゞ〔さま〕を
連{つれ}てもどつて下され。」と。すれつもつれつ母親{はゝおや}にすが

(13オ)
ればいとゞこらへ兼{かね}。せきくる涙{なんた}はら〳〵とこぼす
お組{くみ}が顔{かほ}さしのぞき。【太】「母{はゝ}さま何{なに}を泣{なか}しやります。
ぼんはちつとの間{ま}におとなしうなつて。おまへがたが
かまわいでも。独{ひと}り遊{あそ}びをするほどに。モウ泣{なか}しやるナ。
これ見{み}やしやれ。」ととり出{いだ}す。武者人形{むしやにんぎやう}をふりまはす
拍子{ひやうし}にころりと落{おつ}る首{ぐび}ハツとばかりにお組{くみ}がおど*「首{ぐび}」の濁点ママ
ろき。さては我{わが}夫{つま}鎌倉{かまくら}にて。もしや獄屋{ひとや}につながれて
首{くび}になりて故郷{ふるさと}へ返{かへ}るとしらする産神{うぶすな}の。此{この}子{こ}に

(13ウ)
付{つい}ての業{わさ}なるかと。口{くち}にはそれといわねとも。おもひは
同{おな}し老母{ろうほ}が心{こゝろ}。外面{そとも}にたゝずむ正太郎。さては代官{だいくわん}軍
藤次{ぐんとうじ}が皆{みな}悪計{あくけい}にて有{あり}けるか。女房{にようぼう}といゝ|爺〔さま〕{おやぢざま}松戸{まつど}か
為{ため}にとらわれと聞{き}けば猶更{なをさら}捨置{すておか}れず。今{いま}から屋
敷{やしき}へ切{き}りこんで。重{かさな}る恨{うらみ}おのれやれと。思{おも}へど多勢{たせい}の
其{その}中{なか}へ案内{あんない}しらすに行{ゆき}たりとも。本望{ほんもう}も得{え}とげず
して。とらへらるゝは必定{ひつぢやう}なれは。左{さ}あるときは恥{はぢ}にはち
を重{かさぬ}る道理{どうり}。とてもかくても鎌倉{かまくら}にて。村人{むらひと}ともに

(14オ)
つがいたる詞{〔こと〕ば}は反古{ほご}にはなるまじければ。たゞそれと
なく女房{にようぼう}子{こ}にいとまごひして引{ひき}かへし。死{し}をいさぎ
よくなすべしと。我{わが}家{や}のうちへ入{い}らんとせしがまた
思{おも}ひかへ。なまじい内{うち}にいる時{とき}は。此{この}ほどよりも待佗{まちわび}し。
女房{にようぼう}悴{せがれ}がなげきなば。夫{それ}に心が引{ひか}されて。未練{みれん}起{おこ}らば
大事{だいじ}のさまたげ。たゞよそながら母人{はゝびと}女房{にようぼ}へいとま乞{ごい}
せばそれでよしと。独{ひと}り心{こゝろ}にうなづきて。二足{ふたあし}三{み}あし
あゆみしが。又{また}立戻{たちもど}りせめて顔{かほ}なと只{たゞ}一目{ひとめ}と破{やれ}し

(14ウ)
壁{かべ}よりさしのぞく。一世{いつせ}のわかれ二世{にせ}の縁{えん}。見{み}かはす
お組{くみ}が顔{かほ}と顔{かほ}【くみ】「ヤアこちの人{ひと}。」【正太】「女房{にようぼう}か。」と。いふに
目早{めはや}く太郎吉が【太】「アレとゝさまが。」といふ声{こゑ}に。せん
かたなくも内{うち}へ入{い}り。【正】「ヤレ音{おと}高{たか}し壁{かべ}に耳{みゝ}。草{くさ}の物云{ものいふ}
世{よ}のたとへ。珍{めづ}らしや女房{にようほう}母人{はゝびと}。始終{しじう}のよふすは最前{さいぜん}
から。外{そと}にて聞{きい}て泣{ない}てゐた。知{し}ツての通{とを}り鎌倉{かまくら}へ訴{うつたへ}
出{いで}しは跡{あと}の月{つき}。佞人{ねいじん}ばらにさまたげられ。幾度{いくたび}訴詔{そせう}
をなすといへど上{かみ}へは聞{きこ}へず。もとより勢{いきほ}ひ盛{さか}んなる

(15オ)
千葉家{ちばけ}の事なりや誰{たれ}あつてとりあぐる人{ひと}なけれは。
歯{は}をくいしばるのみにして。空{むな}しく月日{つきひ}を過{すご}すと
いへど今{いま}において詮方{せんかた}なし。たゞ此{この}上{う■}は重忠公{しげたゞこう}。鶴{つる}が岡{おか}
へ社参{しやさん}の道{みち}蜜{ひそか}に隠{かく}れて待受{まちうけ}し。直{じき}〳〵愁訴{しうそ}する
より外{ほか}なし。されど此{この}義{ぎ}は安{やす}からぬ一大事{いちだいじ}にてもし
仕損{しそんず}る其{その}時{とき}は。罪科{ざいくわ}のがれぬおきてとは。知{し}れども
年頃{と■ごろ}松戸{まつど}めにしへたけられし村人{むらひと}どもうらみを
はらすはたゞ一挙{いつきよ}と。評儀{ひやうぎ}は一決{いつけつ}しながらも。眼{がん}ぜん

(15ウ)
命{いのち}を捨{すつ}ること誰{たれ}あつて其{その}役{やく}に応{おう}ぜんといふ者{もの}な
ければ。|産神〔さま〕{うぶすなさま}を祈念{きねん}して。鬮取{くじどり}にせし其{その}くじに
当{あた}りし人{ひと}は此{この}正太郎。とてもかくても亡{なき}命{いのち}。我{わが}身{み}一ツを
捨{すて}さへすれば。多{おゝ}くの人{ひと}の年来{ねんらい}の仇{あた}を亡{ほろほ}し後{のち}の愁{うれい}を
のぞく事{〔こと〕}と。心{こゝろ}に極{きわめ}は極{きわ}めながら。国{くに}に残{のこ}せし母{はゝ}や子{こ}に
せめて一度{ひとたび}いとまごひと。村人{むらびと}どもと約束{やくそく}して。蜜{ひそか}に
返{かへ}る我{わが}家{や}の門{かど}。よふすを聞{きけ}ば親父{おやぢ}さま。代官所{たいくわんしよ}へと
いて行{ゆき}しも。我{わか}鎌倉{かまくら}へ直訴{ぢきそ}せしを怒{いか}りての斗{はか}らひ

(16オ)
ならんと思{おも}ふにつけ。恨{うらみ}重{かさな}る軍藤次{ぐんとうじ}。今{いま}に思{おも}ひしらさん。」と。
拳{こぶし}をにぎり歯{は}をくひしばり。くやし泪{なみだ}にむせかへれば。
お組{くみ}もいとゞかなしさつらさ【くみ】「いかに浮世{うきよ}の義理{ぎり}じや
とて。命{いのち}を捨{すて}て人{ひと}を扶{たす}け。おまへはそれでよかろうが。
跡{あと}にのこつてわたしや此{この}子{こ}。何{なん}と生{いき}ていられませう。
最前{さいぜん}もいふとをり。アノ邪心{よこしま}な代官{だいくはん}どの。私{わたし}をとらへて
妾{てかけ}になれの何{なん}のかのと。仇{あだ}いやらしういわるゝつらさ。
譬{たと}へ此{この}身{み}はこのまゝに。せめころさるゝものなりとも。

(16ウ)
心{こゝろ}佞{ねぢけ}し軍藤次{ぐんとうじ}が。妾{てかけ}となりて操{みさほ}をやぶり。何{なん}と枕{まくら}が
かわされふ。それとはなしに漸{やう}〳〵と。番人{ばんにん}どもを
だましすかし。そつと逃{にげ}ては来{き}たけれど。いまにも
追手{おつて}の来{く}るは必定{ひつぢやう}とてもこゝにはいられぬ此{この}身{み}。
此{この}子{こ}や母{はゝ}さまもろともに。いかなる山{やま}へも隠{かく}れ忍{しの}び。
夫婦{ふうふ}諸{もろ}とも暮{くらす}すやう。思案{しあん}しかへて下{くだ}さんせ。」と*「暮{くらす}す」の「す」は衍字
いへば主{あるじ}はかぶりをふり【正太】「いや〳〵さうは成{な}りがたし。
雪{ゆき}の下{した}の旅店{はたごや}にて村人{むらひと}どもにつがいたる其{その}舌{した}の根{ね}も

(17オ)
かわかぬに。今{いま}さら妻子{さいし}を引{ひき}ぐして。影{かげ}をかくす其{その}
ときは。多{おゝ}くの人{ひと}の難義{なんぎ}といひ。殊更{〔こと〕さら}親人{おやびと}正右衛門|〔さま〕{さま}。
代官所{だいくわんしよ}へと引{ひか}れゆき。今{いま}に生死{せうじ}の程{ほど}さへも。知{し}れねば
いかで子{こ}の身{み}として。命{いのち}をおしみにげかくれ。生{いき}なが
らへても詮方{せんかた}なし。たゞいさぎよく死{しぬ}るより。外{ほか}に
思案{しあん}もあらざれば。我{わが}なき跡{あと}にて一遍{いつぺん}の。回向{ゑかう}を頼{たの}む。」
ト[いゝはなせば女房{にようぼう}おくみはなみだ声]【くみ】「イヱ〳〵それは聞{きこ}へませぬ。死{し}なで
かなはぬ御身{おんみ}なりや。わたしや此{この}子{こ}もおまへの手{て}に掛{かけ}。

(17ウ)
只{たゞ}ひとおもひに殺{ころ}した上{うへ}。鎌倉表{かまくらおもて}へ行{ゆか}しやんせ。いか
に気{き}づよい女房{にようぼ}じやとて。今{いま}死{しに}にゆく我{わが}夫{おつと}を。どふ
してはなしてあげられませう。コレ太郎吉よとゝ〔さま〕は。
冥土{めいど}といふ面白{おもしろ}い。けつこうな所{ところ}へ行{ゆか}しやる程{ほど}に。そなた
もわしも一所{いつしよ}に行{ゆく}。その代{かわ}りにはちつとの間{ま}目{め}をふさ
いでゐて手{て}を合{あわ}せ。南無阿弥陀仏{なむあみだぶつ}と唱{とな}へてゐや。」と。
教{おしゆ}る母{はゝ}ともろともに。少{ちいさ}キ両手{りやうて}を合{あは}せつゝ。南無{なむ}あみ
陀{だ}ぶつととなふるも。舌{した}さへまわらぬ稚児{おさなご}を見{み}るに

(18オ)
目もくれ正太郎。そのまゝ其処{そこ}にどふと伏{ふ}し前
後{ぜんご}せうたいなかりける。老母{ろうぼ}は始終{しゞう}さしうつむき。
泪{なみだ}にくれてゐたりしが。傍{そば}なる刀{かたな}とるよりはやく。
のんどへぐさと突{つき}たつれば。夫婦{ふうふ}はあわて立{たち}よりて
【正太】「コは何{なに}ゆゑに御生害{ごせうがい}。」と。いへば老母{ろうぼ}はくるしげに
「何{なに}ゆゑとは聞{きこ}へませぬ。おやぢどのも代官所{だいくわんしよ}へ。つれて
行{ゆか}れし上{うへ}からは。生死{せうじ}のほどもおぼつかない。いつその
事{〔こと〕}に此{この}婆〻{ばゞ}が。此{この}世{よ}になければ嫁女{よめぢよ}を連{つ}れ。孫{まご}もろ

(18ウ)
ともににげのびて。どふぞ存命{ながらへ}時{とき}を待{まち}。おやぢさま
をもすくひ出{だ}し。再度{ふたゝび}家{いゑ}を起{おこ}してくだされ。只{たゞ}不便{ふびん}
なは太郎吉が。さぞや祖母{ばゞ}をさがすであろと。思{おも}へば
黄泉{よみぢ}のさはりぞかし。死{しに}ばなさかぬ老{おい}の身{み}も捨{すつ}るは
惜{を}しき命{いのち}なれど。かわいゝ孫{まご}や深切{しんせつ}な。嫁女{よめぢよ}の身{み}の上{うへ}
正太郎。三人四人の命乞{いのちごひ}。心{こゝろ}に誓{ちか}ひの生害{せうがい}ぞ。」といふ
声{こゑ}さへも苦{くるし}げに。早{はや}よわり行{ゆく}知死期時{ちしごどき}。夫婦{ふうふ}は左
右{さゆう}にとりすがり。もつたいなみだのせきあへず。お組{くみ}は猶

(19オ)
更{なをさら}女気{おんなぎ}の。しのぶ身をさへうちわすれ。思わずワアヽ[引]ツと
声{こゑ}立{たて}て。泣入{なきい}るなげきの折{おり}しもあれ。外面{そとも}に様子{やうす}を
窺{うかゞ}ふ悪者{わるもの}。声をひそめて耳{みゝ}に口{くち}【さい八】「コレ同六{どうろく}よ。アノ
声{こゑ}は。たしかに主{あるじ}の正太郎。兼{かね}てお代官{だいくわん}。松戸{まつど}さまに。
言付{いゝつけ}られたわれ〳〵二人{ふたり}。大方{おゝかた}近日{このごろ}いとま乞{こひ}に宅{うち}へ
うせおる事あらふ。それと見たなら引{ひ}ツとらへ。連{つれ}て
来{こい}とのおさしづ故{ゆゑ}。毎日{まいにち}此近所{こゝら}をうろ〳〵と眼張{がんばつ}て
居{ゐ}た。あの野良{やらう}め。今夜{こんや}来{く}るとは夏{なつ}の虫{むし}。飛{とん}で火{ひ}に入{い}る

$(19ウ)

$(20オ)

(20ウ)
正太郎。」【同六】「さればサおぬしが云{いふ}通{とを}り。アノのろまめを
引{ひつ}くゝり。まだ其上に女房{にようぼう}めも。いつの間{ま}にやらにげ
かへつて。二人{ふたり}で泣顔{ほへづら}かくからは。あいつも一所{いつしよ}にくゝし上{あげ}。
松戸{まつど}さまへつれて行{ゆけ}ば。ほうびの金は望{のぞみ}次第{しだい}。うまい
うまい。」とうなづき咡{さゝや}き。猶{なを}も門口さし覗{のぞき}。同六{どうろく}前{さき}に
小手{こて}まねき。跡{あと}より合点{がてん}と佐伊八{さいはち}が。宅{うち}へ入{い}らんと
する後{うしろ}へ。現出{あらはれいで}し一人{ひとり}の侍{さむらい}。復面頭巾{ふくめんづきん}に顔{かほ}かくし。忽{たちまち}
二人{ふたり}が襟髪{ゑりがみ}を。むづとつかめば仰天{きやうてん}し。アツといふ声{こゑ}

(21オ)
諸{もろ}ともに。左右{さゆう}へ投退{なけの}け懐中{くわいちう}より。取縄{とりなは}出{だ}して引{ひ}ツ
くゝり。相図{あいづ}と見{み}へて袂{たもと}より。笛{ふへ}とり出{いだ}し吹{ふき}ならせば。
木蔭{こかげ}を出{いづ}る組子{くみこ}の人〻{ひと〴〵}。悪漢{わるもの}二人{ふたり}を引{ひつ}たつる。此{この}もの
音{おと}に驚{おどろい}て。何事{なに〔ごと〕}やらんと正太郎が。宅{うち}よりさし出{だ}す
紙燭{しそく}の灯{あかり}。さつと吹来{ふきく}る夜嵐{よあらし}に。消{きへ}て跡{あと}なきうば
玉{たま}の闇{やみ}にまぎれて侍{さむらひ}は。忽{たちまち}見{み}へず隠{かく}れけり。そもこの
侍{さむらひ}はいかなる仁{ひと}ぞ。そは五編目{ごへんめ}を読得{よみえ}て知{し}るべし。
楚満人|伏{ふ}して申上ます。当{とう}明烏{あけがらす}の義{ぎ}御ひゐきにあまへ

(21ウ)
且{かつ}版元{はんもと}の望{のぞみ}に任{まか}せ。段〻{だん〳〵}編{へん}数{かづ}かさなり御退屈{ごたいくつ}おそれ
いり候へば此{この}次{つぎ}五編目{ごへんめ}は惣|大結{おゝづめ}と仕{つかまつ}り首尾{しゆび}全本{ぜんほん}十五巻{じうごくわん}に
相成{あいなり}候。尤{もつとも}五編目{ごへんめ}大尾{たいび}三冊{さんさつ}は来甲申正月三日|相違{そうゐ}なく
出板{しゆつはん}いたし候。相{あい}かはらず御評判{ごひやうばん}よろしき様{やう}偏{ひとへ}ニ奉願上候。
[浦里{うらざと}時次郎{ときじらう}]明烏{あけがらす}後正夢{のちのまさゆめ}巻之十二了


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底本:東京大学文学部国語研究室蔵本(4L:95:4)
翻字担当者:金美眞、矢澤由紀、島田遼、銭谷真人
更新履歴:
2017年7月26日公開

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