統語的複合動詞構文は,一つの節の中に動詞が二つ現れるが,項は,単純な動詞が現れる節と同じような配列を示す。それで問題となるのが,複合動詞の項の生起がどのようにして認可されるかということである。本発表では,特に,格については,前部動詞と後部動詞によって与えられる場合があり,そのことが,コントロールと上昇の区別および,受け身などの統語操作の可能性と相関することを論じる。
T.B.A
クロード・シャノンの通信の数学理論で知られるエントロピーと冗長度という二つの指標を用いて,語彙的/統語的複合動詞の新聞と小説のコーパスにおける特徴と両者の違いを検討する。話の内容は以下の論文に準拠している。Tamaoka, Katsuo, Hyunjung Lim and Hiromu Sakai (2004). Entropy and redundancy of Japanese lexical and syntactic compound verbs. Journal of Quantitative Linguistics, 11(3), 233-250.
日本語はV+V型の複合動詞が非常に豊富に見られるのに対し て、同じSOV言語で、同じ膠着的性質を持つトルコ語にはV +V型の複合動詞の数が非常に限られている。この問題に対して、両 言語における形態構造や複合化の違いに着目しつつ、現時点で考え ている試論を提案したい。
なぜ,日本語では,補文をとる複合動詞があり,複合動詞が多種多 様になっているのに対して,朝鮮語ではそうではないのか,という ことを明らかにすることを目指す。その際,動詞連用形及びその他 の接続形式に関する両言語間の相違に着目し,それを解明の切り口 とする。
日本語で動詞に使える複雑述語は「洗い落とす」や「押し開ける」、「掻き混ぜる」といった複合動詞のほかに、「立ち読み」や「飢え死に」といった動詞由来複合語(deverbal noun)がある。特に動詞由来複合語は「動詞+動詞」のみならず、「名詞+動詞」(e.g. 昼寝)や「形容詞+動詞」(e.g. 早食い)などの複合も可能であり、多種多様な複雑述語が作られている。 これに対応した中国語にも合唱(hechang 合唱)、竊聽(qieting 盗聴)、自白(zibai自白)槍殺(qiangsha 銃殺)といったいわゆる「偏正式複合動詞」がある。これらの複合語は形態的にも主要部が後項にあるので、動詞と判定されるが、筆者の考察によれば、この「偏正式複合動詞」の中でも、一音節の動詞と比べて一、複合によって目的語が決まっており、文に現せなくなるもの(e.g. 海釣、盲打)と二、複合によって元の目的語が取れなくなるもの(e.g. 合唱、晨跑)と三、一音節の動詞とほぼ変わらないもの(e.g. 槍殺、緊握)などがあり、さらに分類する必要があることが判った。 但し、中国語には日本語のような活用変化がないため、品詞の決定は文に出現する位置によることになる。本発表では「偏正式複合動詞」を様々な構文に当てはめ、様々な複合語の「動詞度」を検証しながら、従来の「偏正式複合動詞」という主張に対して問題提起を行いたい。
本研究は認知言語学的アプローチにより、複合動詞の形成をV1とV2の意味フレームの融合と考え、複合動詞にはV1+V2全体で一つの整合性を保った意味フレームを構築する必要があるという制約が存在すると主張する。
本発表では、「V1+合う」はV2が補部にvPを選択し、そのvPのSpecにはproが生じる構造をもつこと、空演算子とその再述代名詞である「お互いに」は照応形であること、また、(1)と(2)はそれぞれ別の基底構造を持つこと、「お互 いに」はV1またはV2の項として意味役割と格を認可されなければならないことを仮定することで、「(2) BがAと(お互いに)V+合う」の形式が容認可能である文と容認不可能である文の間の対比を統語論的に説明できることを論じる。