百年後の地球言語

学習院大学文学部教授
新プロ「日本語」評価委員

徳川 宗賢




21世紀が終ろうとする百年後,世界の言語状況はどうなっているであろうか。ボーダレス状況は一層進み,世界語としての英語は,いよいよ強まっているのだろうか。
恐らくそうであろう。だからといって,現在世界人口の90%以上を占める英語を母語としない地球人類が,すべて英語を第一言語とするようになっているとは思えない。またそうあるべきではないと考える。
話は違うが,いまから45年ほど前のことである。当時米軍統治下にあった沖縄を訪ねた人が,彼の地の方言の残存状態について話をしているのを読んだことがある。周知のように沖縄は多くの島から構成され,島々のことばは互いに通じないほど多彩であると言われてきた。事実,古代の遺風が宝石箱をひっくりかえしたように,各島に残存していたのである。ところが,その人の話は意外なものであった。辺鄙な島ほど伝統的な方言が残りやすいのではなく,むしろその逆なのだという。中央から遠く離れた島の方言ほど,変化が烈しい。支持する人口も少く,文化的背景も強くない方言ほど,中央の影響を受けやすい,というのである。新しく目を開かれることになったのだが,僻遠の地ほど古いものが残りやすいというのは昔の話,いまや僻地ほど伝統を守りにくくなったのである。過疎の村の話を聞くようになったのは,それからしばらくたってからのことであった。
ところで地球上には,現在三千も五千もの言語があるという。数億,一億何千万の人が使う大言語がある一方,使用人口が三百とか五百とかの小言語もあるらしい。21世紀が終ろうとする百年後には,多くの力の弱い言語は,強力な言語の圧力のもとに淘汰され尽くされてしまっているのではあるまいか。モダン・ポストモダンの急激な流れの中で,小言語のうちかなりのものは,現代生活に対応できずに,足もとがぐらつくものと考えられる。なんとか守り抜こうとする懸命の努力がない限り,その言語はジリジリと土俵ぎわに追いつめられていくのである。
スペイン語や中国語は知らず,ロシア語・ドイツ語・フランス語は,相撲でいえば三役,すくなくとも幕内上位を占めてきた大言語である。しかしこれらの諸言語は,客観的にみて昔の面影はない。それぞれ必死の努力を傾注しているものの,退潮を余儀なくされているのは冷厳な事実である。百年後,これらの諸言語は,地球上でどんな地位を占めているのであろうか。
そこで日本語である。多くの人口を抱え,屈指の経済力を背景にして,日本語は例外的に安泰なのであろうか。百年後を考えても仕方がないという立場もあろう。しかし先憂後楽,地球の将来について多文化共生の旗印のもとに,また各言語が生存をかけて競っている折からウカウカしてはいられないと思うのである。足下に活断層が走っているかもしれない。英語を学ぶだけが国際化なのではない。


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