中国における日本語教育事情とその周辺

北京大学・早稲田大学交換研究員 彭 広陸


彭 広陸氏

 ご紹介に預かりました北京大学外国語学院日本言語文化学部の彭と申します。どうぞよろしくお願いいたします。まずこのシンポジウムで発表させていただく機会を与えてくださいました国立国語研究所,特に米田正人先生にお礼を申し上げたいと思います。一応タイトルは“中国における日本語教育事情とその周辺”となっておりますが,私は今回このお話をいただいてから手元にはあまり資料がございませんので6ページの方の参考文献に挙がっている国際交流基金のホームページに載っているそういう紹介とか国際交流基金の篠崎摂子さんの中国における日本語教育について書かれた文章をかなり参考にさせていただきました。ですから与えられた時間は限られていますので詳しく知りたい方は是非そっちの方もご覧になっていただきたいと思います。
 さて本題に入りますけれども,日本という国は中国人にとっては非常に近い国だと言えます。やはり地理的に見てもやはり文字通りの一衣帯水の間にある隣国でございます。それから歴史的にはやはり2000年以上の交流の歴史を持っているわけです。そして同じ漢字文化圏に属する国だから非常に親近感を持ちやすいといいますか親しみやすい国なのです。もちろん歴史上一時期不幸な時期もあったのですけれども,特に近年は歴史教科書問題とかそういう問題も起きているのですけれども,しかし中国人にとって国家関係は国家関係で学ぶ外国語はまた別のものだと割り切っているのです。ですから午前中お話を伺ったのですけれども,例えば日本では天安門事件などでかなり中国語学習者が減ったようですけれども,それからオーストラリアなどでもそういうケースが出ていますけれど,しかし中国人は例えばアンケート調査をとると,日本に好感を持っている人はどれくらいいるかというそのデータを見ていると必ずそのパーセンテージは高いとは言えませんけれどもしかし日本語学習者はやはり全体的に見れば少なくはないのです。もちろん英語の方が超大国というか圧倒的に人数が多いのですけれども,日本語の場合はそれに次いで2番目に学習人口の多い言語になっております。中国では俗に外国語学習者の数によって大言語と小言語という風に2つに分けられているのですけれども,中国語流に言えば大語種,小語種。語種というのは語彙論で使われる言葉なのですけれども和語・漢語・外来語・混種語という風にそういう意味を表す用語として広く知られているのですけれど,中国語ではむしろ言葉の種類,言語の種類,具体的に言うと外国語のことを指しているのです。ですから学習人口の多い言語は大語種,少ない言語は小語種ということになっておりますが日本語の場合は例えば私たちが大学に入ったのは70年代の後半なのですけれどもその時は日本語は小語種だったのです。もうすこし具体的に申し上げますと当時は中国のどこの大学にも日本語学部というのがなかったのです。やはり日本語学科ということで何学部,その下の日本語学科であったのです。しかし今はもう日本語学部,場合によっては日本語学院とかそういう格上げというか昇格というか,やはり学習人口・学生数が多いと規模が拡大されてやはりどんどん学部として独立する傾向にあるのです。ですから日本語の地位と申しますと,やはり英語に次ぐ2番目の言語という風に認識していただければありがたいのですけれども。つまりもう一つ強調したいのは今の中国人はかなり現実的になっているのです。昔は例えば50年代の時は自分の意志で専攻を選べたのですけれどしかし外国語の場合は国の外交政策というか外交戦略でかなり学校から指定されたケースもよくあったのですけれど,例えば今の中国の外務大臣を務めているトウカセンさんはもちろん私たちの大先輩に当たりますけれどもこの会場にいらっしゃるうちの日本語学部のロウ教授のソンソーコー先生の教え子に当たるのですけれどもその方は最初やはり上海にある復旦大学で英語を専攻していたのですけれどそれから3年生の時に繰り上げ卒業ということで外交部に勤務するようになったのですけれどしかし一日も外交部で働かないで上海からそのまま北京大学のキャンパスに入ってそこで日本語を5年間専攻したわけです。その時は国の政策で(ニーズで)そういうことをやっていたのですけれども今は完全に自由になっているといいますか,やはり自分で自由に自分の専攻を選べるようになっているのが現状なのです。そうしますとやはり日本語はそれだけニーズがありますので日本は中国にとってやっぱり最大の貿易相手国になっているのです。このあいだの新聞にも出ていたのですけれども逆に中国も日本の最大貿易相手国になっているのです。日本の企業もどんどん中国に進出して,ですから日本語の分かる人材がたくさん必要になるわけです。ですから実用の観点から見ても当分の間は特に高等教育では日本語の方が拡大されていく見込みです。1.の方に入りますけれども学習者の場合は初等教育・中等教育を見ていると,数は減っているのが事実なのです。小学校の場合は日本と違って中国の都市部ではみんな小学校で外国語をやっているわけです。その場合はもちろん圧倒的に英語の方が多いのですけれど,一部の地域ではロシア語と日本語も設置されているのですけど,やはり数は少ないです。中等教育の場合はこういう現象が見られます。やはり数が減っているのです。中国の大学の受験制度と関係があるのです。学生を募集するときに外国語が指定されているのが多いのです。例えば英語の受験者しかとらないとかそういうケースが多いのです。それから日本語専攻の場合はやはり一つのクラスに日本語の既習者と初心者が混じっているとやはり授業は成り立たないから最初から日本語既習者をとらないで初心者ばっかりとるという大学も結構あります。私のいる所もそうしているのです。既習者にとってはちょっと気の毒なのですけれども,しかしやはり実際にそういう人が1人か2人くらい入ってくると本当にやりにくいのです。たまにはそういう人も入ってくるのですけれどもそうすると他の専攻に,例えば韓国語・朝鮮語とかこちらから転向を勧めるようにしているのです。またこういうこともありますけれど,中学生の場合は英語を先にやってそれからどうしてもついていけないから挫折してしまって日本語が易しいから高校時代からまた英語をやり始める人も結構います。中等教育の場合とは逆に高等教育の場合は日本語の学習者がどんどん増えています。もちろん日本語専攻の場合も今日本語専攻のある大学はもう110校くらい,これは2001年の段階の統計なのですけれど,今はもっと増えているはずなのですけれども。それから中国の大学では統合も進んでいるのです。今まで日本語専攻のない大学がいくつか一つになって合併して日本語の教員がある程度の数に達していると,じゃぁ日本語を開設しようとか,日本語科を設けようとかそういうのもどんどん増えています。もう一つは第2外国語として日本語を専攻しようとしている人も結構います。ですから教員の数が足りなくてそのニーズに応えられなくて抽選で決められるケースもありますが。それから今中国では大学卒業生が就職するときにいわゆる三種の神器と言われているのですけれども一つは外国語,英語が多いのですけれど試験があるからその合格の証書が必要なのですけど,もう一つはパソコンです,それから運転の免許なのですけれど。この3つの証書を持っていると就職の時は非常に有利なわけです。もちろん習得している外国語は英語だけでなくて日本語も分かると鬼に金棒という感じです。ですからもう一つの理由も考えられますけれど,今アメリカ留学はだんだん難しくなっているのです。ビザを申請しても毎日アメリカ領事館の前にたくさんの人が並んでいるのですけれどもビザの申請を却下される人が結構います。何回申請しても却下される人もいるのです。実際私の研究室にいる修士課程の人も専攻は日本語学なのですけれども,しかしどうしてもアメリカに留学したいと言って何回も申請しているのですけれど却下されているのです。まだビザが取れていないのです。アメリカ留学が難しくなるとみんなやっぱり日本の方に来るようになるのではないかと予測できるわけですけれど。中国には日本語学習者が何人くらいいるかと見てみたいのですけれど国際交流基金の98年の統計によりますと25万人いるという事になっていますけれど,しかしそれはもちろん調査するときに調査票を送るわけですけれどその回収率は100%とは考えられないのですけれど,もう一つは教育機関じゃなくて他にいろいろな形で日本語を勉強している人も結構いるわけです。例えば企業とか日本語の教師に来ていただいて講義してもらっている所も結構ありますし,もう一つは中国人が外国語を勉強するときに結構独学でやっている人が多いのです。今はラジオとかテレビで日本語の講座も常時放送されているからそれを見て習っている人も結構います。ですから潜在的な学習者を計算に入れますと100万人ぐらいいるのではないかと推定されるのですけれど。一つの証拠として教科書がどれくらい売られているかをみるとある程度の検討がつくのではないかと思うのですけれど。ちょっととばして4ページの4.2の一番下の方に書いてあります中日の研究者の共同開発による社会人向けの教科書,これは『標準日本語』という教科書なのですけれど非常に人気があってたくさん売れているのです。2002年までには初級だけでも350万部売れているのです。もちろんこれは約10年の間にこれだけの部数が売れたのですけれど今まだ勉強を続けている人は350万いるとは思えないのですけれど。中級の方は80万部売れているのです。ですからやはり25万というのは実際の数とはかなりかけ離れているような気がするのです。それから2.の方に入りますが教育者なのですけれども,中国の場合は義務教育に携わっている人の場合はそういう全国な統一試験というのはないのです。だからそういう教員の免許を持っていなくても教えられるのです。中国の教育はご存じのように日本ほど発達していないから小学校で教えている先生は大学卒業生がむしろ少ないのです。師範学校を出た人が多いのです。中学校とか高校になると,大卒の比率が増えてくるのです。一部の名門校では有名な日本語教育で名前を知られている学校では最近新しく採用する教員は修士課程を出ていないととらないというケースもあります。高等教育になりますが,教養としての第2外国語としての日本語を教えている先生はどちらかというと学部卒が多いのです。日本語専攻で教えている先生はもちろん一概には言えないのですけれども最近は基本的に修士課程を出ていないとなかなか選任にはなれないということになっております。それから中国には修士課程が設けられている大学は20ぐらいあるというデータが出ているのですけれども,今はもっと増えていると思います。それから博士課程のあるところは4校あります。まだわずかですけれど,今までに5人ぐらいの修了者が出ています。それから近年日本留学から帰国する人もどんどん増えています。こういう事情もあるのですけれどつまり今までは日本で博士号が取れていると日本の大学で割と簡単に選任になれたのですけれど例えば中国語の教師としてよく採用されていたのですが,最近はいろいろな事情でそれも難しくなっているからそうするとそういう人たちは中国に帰られて中国の大学で教鞭をとるようになっていることが指摘できると思います。それから教師の研修につきましてはちょっと省略させていただきたいと思います。シラバス・ガイドラインは要するに今やはり中国の盛んに教育改革が叫ばれるようになっているのですけれど,基本的に今までは受験教育というのが中心だったのですけれどもそれはいけないとかなり批判を受けて,資質教育という新しい理念を持ち出しているのです。それに基づいて新しい日本語の教科書も作られているわけです。高等教育の場合は日本語専攻とそれから日本語専攻でない教養としての日本語の場合といろいろなケースがあるのですけれどそういうシラバス・ガイドラインも出ていますが,一つ指摘しておきたいのはほとんどやっぱり文法体系を見ているとやはり日本の学校文法をそのまま採用しているのです。やはり日本と違って中国では大学で日本語を専攻として教える歴史は1946年から計算するともう数十年の歴史がありますけれどほとんど日本の学校文法でやってきたのです。やはり教師にとってはそれが楽というか慣れきっているから。ですから新しいものをなかなか取り入れようとしないのです。これは良くないことだと思いますが。それから教材の方なのですけれどもやはりどんどん開発されているのですけれども,初等・中等教育の場合はやはり日本側の協力をいただいて教科書をどんどん作っているからかなり質の良いものができていますが高等教育の場合はちょっと事情が違ってやはり各大学が独自に開発する傾向が見られるのです。やはり一つの大学にはやっぱり教員の数も限られているし必ずしも日本語教育の専門家が揃っているわけではないから無理に作っても必ずしも良いものができるとは限らないから,ですから今までに何種類か出ているのですけれどみんなやはり満足して使えるようなものはまだないというのが現状なのです。ですからやはり一つの大学という枠組みにこだわらないでいろいろなところの人が集まって力を合わせてそれからまた日本人の研究者と協力しあって絶対良いものが作れると思うのですけれども,これは今後の課題なのですけれども。それから日本語研究ですけれど教育のレベルを高めるにはまず教員の質,教員のレベルを高めなければならないのですけれど,その場合はやはり教員というのは研究をやらなければならないのです。しかし中国の大学では教師であると同時にまた研究者でもあるという自覚を持っている人がそんなに多くはないのです,非常に残念なことなのですけれど。そうすると中国における日本語研究のレベルは数年前,例えば10年前に比べると今はかなりレベルアップしていると思うのですけれど,しかし中国における他の外国語研究に比べるとまだレベルが低いと言えるのです。もう一つは教員の学問離れというのも目立っています。これはやはり大学の教師の待遇が良くないから,例えば日本語科を卒業して就職すると教員の倍以上の給料をもらっているケースは決して珍しくありません。そうするとやはり若い人はいい生活を追い求めるから,じゃああの人は大学の時にあまり成績がよくなかったのにどうして私より良い給料をもらっているのか納得いかないわけです。そうするとみんな一応大学で教えているのですが,しかしまたアルバイトもやっているのです。やっぱりお小遣いを,もっとお金を稼ぎたいわけです。そうするとアルバイトの方に時間をとられてあまり研究とか勉強の時間がなくなることも言えるのです。それから最後に5.3の学会について,に入りますけれど,学会の場合は専攻と非日本語専攻と書いてありますけれどこれはちょっと間違いで日本語非専攻と言う風に直していただきたいのですが,要するに専門として教えている日本語と教養として第2外国語として教えている,これによって学会が2つに分かれているのです。これは中国における日本語研究のレベルを高めるのにあまり良いことだとは思いません。それから学会といっても日本の学会とはかなりイメージが違うのです。まず個人会員ではないのです。大学単位でその学会に加入しているのですけれども,それから理事とか常任理事がいるのですけれどもそれも選挙によるものではなくてほとんど各大学の役職に就いている人がなっているのです。ですからそれはいわば名誉職になっているのですけれどやはり純粋な学術団体である学会に脱皮してほしいのですけれども制度的な問題でありますし,なかなか早期の解決は難しいのではないかと思われます。それから最後に研究誌なのですけれど,今まではご存じの方がいらっしゃるかと思いますけれど『日本語学習と研究』いう雑誌が20数年前から創刊されてずっと続いてきたのですけれどこれは中国の日本語研究者にとっては非常にありがたい存在になっているのですけれど,しかしその雑誌は日本語の専門誌とはちょっと言い切れないところがありまして,他に例えば文学関係の論文も載っているし初心者向けの文章も載っているからなかなか投稿しても載せてくれないとか特に義理と人情というのがありまして例えば論文の中身が全然だめでも自分の昇格のために編集の方に頼み込んで載せてもらうというケースもよくあるのです。それから今はもうお辞めになったのですけれども,前の編集長はやはり公の前でこういうことを言っていたのです,「3回投稿すれば必ず載せる」と。やはりそういう情熱で判断しているみたいなのですけれども,これじゃあちょっと学問と違うのではないかと思いますけれど。6.に入りますけれど,課題として一つは日本語教師の質の向上にもっと力を入れるべきだと思います。その時はもちろん教師の研修ももっと強めなければいけないのですけれど。もう一つ2番目は教材開発をもっと重視すべきだと思います。それから学会組織の機能をもっと強化しなければなりません。それから4番は中日両国の日本語教育あるいは日本語研究者同士の交流をもっと深めていきたいものです。やはり日本の研究者は近年どんどん中国に渡って,場合によっては自腹を切って中国に足を延ばして研究発表をなさって我々にとっては非常にありがたいことなのですけれど,これからはこういう交流をもっと深めたいと思います。最後にやはり日本の学校文法をもっと批判しなければならないのではないかと思います。まとまらない話になりましたがこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。