趣旨説明

国立国語研究所 菅井英明


甲斐睦朗氏

 おはようございます。遠いところわざわざお越し頂きましてありがとうございました。私,国立国語研究所の研究員,菅井英明と申します。本日はこの国際シンポジウムのテーマ,環太平洋地域における日本語の地位,ということがどういう意味合いをもって,テーマとして選ばれ,どのような研究手法で考えられ,また,これからこのテーマに興味を持つ私たちがどのような方向にいけるのであろうか,というところを簡単に説明というかたちでご報告させて頂きます。まず,あの地位というところがどういうことなのか,ということがみなさんお気づきかと思いますけれども,例えば,言語に一位ですとか二位ですとか,あるいはある言語は力が強いとか弱いとか果たしてそういうことが言えるのであろうか。というところでみなさん,悩んでいるところかと思われます。また,仮に例えば,私のことばが一番美しいとか綺麗ですとか,あるいは私のことばが単に一番だと言ってしまうと他のことばの人たちも私のことばが一番だとかそういう風な話になってしまいまして,客観的に地位とは一体どういうことなのかというのが,なかなか感情面などから考えることが難しかったというのが状況です。また,20世紀のことばに関心のある人たちの最大の誤解というところがこの言語はどの言語においても,あらゆる面においても,すべて対等である,というようなことが,一種の誤解として伝わっていたようです。と言うのも,ある言語,習得する場合,人種間,あるいは民族間において認知の面ですとか,知能の面ですとかそういうところとは全く違はないわけです。そこは,誤解のないようにお願いしたいですけれども,ある言語を習得する私たち人間の方にですね,人種による違いとかそういうものというものは全く見られません。とういうことは例えば,ある外国の方が別の国に行って,そこで子供を産んだとして,子供がその環境で生まれて育てば,そこの国のことばを自然に習得して,その言語を習得する際の必要になっている認知能力ですとか言語能力ですとかというところに全くそこの国の子供たちと違いがあるというわけではないということが言えますので人々,われわれ話す方の人々ですね,に関してはそう言った能力の違いはありません。しかし,ここから,誤解が生じまして,すべてのことば,ことば自体が全くどこで,使われていても,話されていても,同じようなものであるというような誤解が広まっていったと思われます。このようなことを研究するのは一種,10年ぐらい前まではタブーのようなものだったので,研究できなかったというところもあるんですけれども,ことばに関心のあるものが,研究をしてない間に実は意外な面からこのことが明らかになってきました。というのも,言語は世界に3千とも5千とも呼ばれているんですけれども,その中のかなりの数の言語が今まさに消えかかっている状況もありますし,これからもおそらく相当の数が消えていく,文字通り消滅していくであろうということが言われております。ということは,何らかの言語の勢力に強い弱いというものがあってそういうことが原因となって消滅していく言語が多数あるというような事実に,この10年ぐらいで私たちは直面することになりました。このようなことからも言語すべての面において,ことば自体が同じであるというような考え方はもはや通じないというようなことになりまして,ことばのあらゆる面が同じであるようなタブーはすでになくなりつつあるというような状況です。では,ことばの地位というものを考える時,どんな手法を考えることができるかと言いますと,先ほどから話がありましたように日本語の地位というものを考えた場合に,どんな手法ができるかということを,国立国語研究所の研究で国際的センサス(日本語観国際センサス)があったんですけれども,そこではいろいろな質問を作りまして,例えば,外国の方に「あなたは最も習いたい外国語は何ですか」というような質問をするわけです。そうすると,聞かれた方の外国の方は「私が一番習いたい言語(外国語)は英語です。2番目は日本語です。3番目は中国語です。」というような形でお答えしていただけるわけです。そしてそれを,何人もの方にお聞きして数字で示すことにより,この国においては一番人気のあるというか,外国語として習ってみたい外国語は日本語であったとか,英語であったとか,あるいは,中国語であったというようなことが数字の面で出まして,少なくとも,この質問に関する答えとしては,日本語というものが1番であった,2番であったということは述べることができるようになりました。このような手法を用いて総合的にたくさんの質問を作って,総合的にみることで,ことばの地位は今この辺にあるのではないかというような予想を立てることができるようになってまいりました。その際,大切なことなんですけど,ある言語が絶対的に一番だという話になると,また,感情の面でいろいろな問題が出てきますので,そうではなく,いろいろな他の言語との位置づけというものを考えて,相対的にみた場合,どうやらこの質問項目に限ってみれば,この言語の方が,他の言語よりも勢いがあるようだ,というようなことを少なくとも間接数字の上で間接的ではありますけれども,考えることができるようになりました。それでは言語の地位ということで,一体どういうものが地位というものを決めているのかそのような要因というものは何なのかということを考えますと,そこに図1というのが1枚目の下の方に出てるんですけれども,どうぞレジュメをご覧下さい。いろいろな要因というものが言語の地位というものを変動させると考えております。大きく考えれば,外からの要因,ある言語集団を取り囲む外からの要因ですね,というものがある言語集団に対して働きかけている力というものがまず,大きく一つ考えられます。また,それに対応するように内側の方でも外からの力に合わせるような変化というものが起きまして,変化が起きればある程度,力の関係が均衡していくというようなことになると思います。また,それとは別に内側から独自に起こる変化,あるいは力というものがございまして,これが外側に向かっていく,そして,外側の方もそれに合わせて変化して行くというようなことでまた,ことばの地位というものが変動するような要因となる。ですから,外側からの力と内側からの力と両方あって,あたかも風船が膨らんだり,縮んだりするかのようにある言語の使用空間,あるいは使用領域,あるいは勢力と考えてもよろしいと思うんですが,そういうようなものが風船のように膨らんだり,縮んだりしている。外の空気圧が低くなったり高くなったりすれば,風船の大きさも大きくなったり,小さくなったりするというようなイメージで考えていただければ,何となくこの言語地位の変動というものも捉えることができるのではないかと思います。ただ,1つの言語を見る場合は確かに,このように考えてそれで終わりなんですけれども,実際はもっと複雑な状況がありまして,このような風船が膨らんだり縮んだりするような現象っていうのはどの言語においてもあるわけです。日本語が縮んだり膨らんだりすれば,英語も縮んだり膨らんだりもしているし,中国語,韓国語,インドネシア語,あるいはオーストラリアでの英語の使用空間,領域というものも膨らんだり縮んだりしているというわけです。それが,結局は,ある言語の領域が膨らみますと,そこに隣接している地域の言語ですとか,あるいはそこと密接な関係なある言語というものが,他が大きくなってしまったために小さくなってしまうというような状況にあるようです。ですから,一つの言語での空間の広がり,あるいは勢力の強弱というものはそこで終わるものではなく,隣接している言語,あるいは,非常に歴史的,文化的に関係のあるような地域の言語というところにも大きな影響を与えていくというような関係にあると思われます。そのような関係を表しているようなものはレジュメの2枚目の図2なんですけれども,風船のようなものが3つあって,それぞれが外からの力,内からの力というもので均衡をとっているですが,1つのことばが膨らむと上に上がり,もう1つの方は,相対的に絶対的にではありません。相対的に弱められてしまう,小さくなっていくというような状況を観察することができると思います。それで,このような言語の地位を相対的に位置づけるというような要因として外部的な要因,内部的な要因があると申し上げましたが,外部的な要因というものには政治力,経済力,軍事力,技術力のようなものがございます。内部的な力というものはその言語集団の中の文化ですとか,文芸ですとか,技術力もそうなんですが,知識ですとか,あるいは教育というようなものが,内部的な力となっていくと思われます。
 このような見方で外部的な力とは何か,内部的な力とはなにか,そして複数の言語間における相対的な地位というものを数字を用いて考えるというような手法を取れば,おそらく環太平洋地域の日本語というものが,どんな地位に現在あると考えられるのか,そして,日本語がこの地域においてどのような方向へと向かって,これから向かっていくのかということをある程度,予測することができるようになるのではないかと考えております。
 それでは,国内の要因および,国外の要因ということで,具体例をいくつか出してますので,3ページをご覧下さい。国外での要因として,先ほど簡単に政治力,軍事力,経済力,技術力ということを話いたしましたが,具体的にいくつか見てみますと,例えば,政治力というところではみなさんご承知のとおり,国際政治の舞台では公用語というものが,国連ですとか,あるいは,いろいろなその他の国際機関というところで,定められているというような現状がございます。国連での公用語,今現在は6言語ですが,やはりこれらは国際政治の上で,力を持っていた言語集団の言語であろうということはいうことができると思います。他に軍事力という面もあるんですけれども,例えば,この辺ですと,アメリカ米軍で勤務している方たちのラジオというものがありまして(FENと前は呼ばれましたけれども,イーグルとかの名前で変わったんですけれども),それなどは米軍基地があるところは必ず聞くことができるようになっておりますので,軍事力の強いところのことばというものは,そのように基地の周りに自分たちが聞けるラジオを設置しますので,当然,この場合,英語ですけれども,そこの現地での英語との接触も非常に増えていきます。ただし,必ずしも,その軍事力ということ考えた場合,英語が話す人が多いから,あるいは,英語の国際的な政治力の発言力が強いからというだけで英語というわけではないんですよね。そういう国の言語を調査するというのも確かにあるんですけれども,英語がよく使われているからあの軍隊は英語を研究するのではないかという風に思われがちなんですが,実際にもう少し複雑な状況にありまして,戦略的に重要だと思える地域の言語は,たとえ,現状としてあまり政治的に発言力などが強いわけではなくても研究していくというような姿勢があるようです。例えば,そこにございますように,アメリカには情報機関としまして,ナショナル セキュリティー エイジェンシーというのがございますが,そこが今,もしみなさんいろいろな言語が話せるんでしたら,求人を出しているんですよね,求人情報が出ているんですけれども。さて,どんな言語のスペシャルリストだったら雇って頂けるんだろうということでみて見ますと,ここに出ているんですけれども,アムハリックとかですね,アラビック,アラビア語ですね。あるいは,ちょっと,耳慣れてないダリー,とかですね。ギリシャー語,トルコ語,パシュトというアフガニスタンの民族の話すパシュトン人というそこの民族が話すことばなどが,求人として出ているわけです。みなさんがこれらのことばを話せれば仕事がここでもらえるということなんですけれども,これらの言語は必ずしもこの人たちの国際政治力が強いわけではなく,戦略的に重要な地域で話されているということで,大切だとアメリカは考えているわけでして,このように戦略的に大切だと思われる地域の言語というものを常々考えているわけです。このようなことが特に中国語で90年代,アメリカは中国を研究しようという姿勢が大変熱心でしたので,それと相対的に日本の方は少し弱められてしまった。特にハワイ大学などのような伝統のある日本研究の強い大学があるんですが,そこでも,中国の研究の方が盛んになり,相対的に日本語の方の熱が少し冷めていったという経過がございました。というところが,軍事力何ですけれども,経済力という面ではみなさんももしかすると,これらの機会で海外に住まわれたことがあるかも知れませんが,国際企業,日本の大きな企業などですね,海外に進出する場合,当然,私たち日本語を話す集団と言うものが海外に行くわけですので,現地での日本語による現地の方たちとの接触が非常に増えてきます。また,現地の方を雇用することによって,企業の中,工場の中でも日本語が使われている現状があります。ただ,これも,必ずしもそうではなく,英語圏に日本企業が出ていく場合は,日本人の派遣される方が英語を話すということが普通ですし,日本語による企業の中でのコミュニケーションというものがどの程度すすんで,確立されているのかというものは,その現地での状況次第である面があります。また,企業が進出する際,普通なぜかメディア関連の企業も一緒についていくような状況がございまして,日本語のラジオですとか,テレビですとか,あるいは,本屋さんというものも,海外に進出することが,多いようです。当然,これらの機会を通じて,現地の方たちも日本語を聞く機会が増えてきます。ただ,これも,経済が弱くなってしまうと,例えば,ラジオとテレビはスポンサーが必要ですので,スポンサーとして着いてくれる日系企業がある場合,続くのですけれども,これが,無くなってしまうと,ラジオというのはただでやるわけにはいかないので,ラジオ番組自体が無くなってしまったりするような状況が見られました。アジア通貨危機というのが数年前,東南アジアを中心にあったんですけれども,それまで,シンガポールなどでは日本のテレビドラマが少し遅れてわいたんですけれども,みることができたんですが,スポンサーが一時期減ってしまいまして,現地から撤退する日系企業が多かったんですね。それで,一時期,テレビが見られないというような深刻な状況になったことがございました。
 次にODAということが出ておりますが,国際交流基金ですとか,ODA対象国に対して日本語教育を行っている大切な公的機関が日本にはございます。ODAについては,対象国というものが限られているために,対象国でない場合はではどうなるのかというところが問題なんですけれども,そのようにODAという部分も重要な役割を持っております。
 それから経済的な理由として日本から海外に出ていく移民,移住に行く方もたくさんおります。ハワイ,ブラジル,あるいはペルーのようなところには日系人の方々がたくさん住んでおります。日系人の方がたくさん住まわれるところには普通学校施設ですとか日本人のためのお寺とかとそういうものも一緒にできあがってきます。そうすると,その現地でコミュニティーができまして,また,日本語に対する接触の機会というものが増えていきます。これもただしハワイのような部分は継続的に日本人がいつも入っていく新しく入っていくわけなんですけれども,そういうところでは日本人の子供の塾とかもあるんです。そういうところはかなり継続して接触の機会があるんですけれども,カリフォルニアのような場合は日系人が分散して住んでいますので,必ずしも日本人の塾が必要というようなコミュニティーにはなっていないようです。というところが,外からの変化を促すような要因ということでとらえられると思います。
 では,内部的な要因というところを考えてみたいと思います。内部的な要因ということは,国内で何か変化が独自に起きることで外への影響を与えるというように考えていただければ結構です。まず,ここに,大衆文化ということで挙げました。日本語学習したいという若者の海外の特に若者の多くは何を通じて日本語と出会ったのかと聞くと,最近の子たちはほとんど漫画,アニメ,映画,コンピューターゲームという媒体を通じて日本,あるいは日本語と知り合った,出会ったというようなことがございます。これらの大衆文化,特にコンピューターゲームなどは出たころは80年代ですけれども,出たばかりのころはあまり海外に売ろうとする考えは,ビデオですとか車とかは違って,あまりなかったようなんですよね。それで,海外ではどうやって入手したかは分からないんですけれども,なぜか日本のビデオゲームを持っているとかですね,日本のアニメをみたとか,漫画本を持っているとか,友達を通じたりとか,いろいろなルート手にいれた方たちが若者は結構いまして,それで,日本語で書かれているので教えてほしいようなことがたくさんありました。日本で熟成されて,完成されていたこれらの大衆文化が偶然といえば,偶然なんですけれども外に紹介され,広がっていったという経緯があります。現在ではかなり市民権を得ておりまして,日本の漫画,あるいはアニメというものが高く評価されるようになり,そこで,日本語に触れる方たちが多いようです。これは80年代以降の現象だったんですけれども,それ以前日本語あるいは日本に関心を持って下さった方はむしろ文学,あるいは芸術のようなものに惹かれていたところが多いようです。日本の文学作品というのは海外で翻訳されたりして,広く知れわたっているのもございますが,これらも商業的に成功するだろうと思って翻訳されたりしたわけではないと思うんですね。たまたま外国の方々が日本に来られて日本に文学,面白い作品,あるいは優れた情緒,景色などを写しだしているものがある,ということに興味をもっている方々が独自に翻訳されたりして広がっていた。偶然といえば偶然なんですが。
 もう一つ,科学技術力という風にここに書いておりますが,日本の高等教育機関で研究されているような先端の技術,あるいは科学というものは日本に留学してみたいと考えている若者たちの動機となっておりまして,やはり科学技術力のある国に留学してみたいという考えものが多いと思われます。現在ではゲノムですとかナノテクノロジといったような先端技術が学べる国が留学先として好まれているような現状はございます。日本もノーベル賞など受賞される方が出ているということをもう少し主体的にアピールすることができるのではないか,そういうスタンスでもいいのではないかと思います。
 そして,日本に定住したいという方も現在,たくさん増えていまして数の上からは外国人として登録して日本に住んでいる方たちは,ここにございますように177万人もいらっしゃいます。多くは日系ブラジル人の方なんですけれども,それ以外にも留学をして,留学の勉強が終わって学位も取ったので,日本で就職してみたいなどという方たちも次のページなんですけれどもたくさんいらっしゃいます。そういう方たちは資格を就労への資格に切り替えまして働くことになるんですけれども,平成13年度は,そういう方たちは3千5百81人もおりました。このような状況ですので,今後も日本に住み続けていたいというような外国人も増えていくであろうと思われます。このような方たちが日本に住んでいかれた場合,彼らが持っている母国語での生活,あるいは日本語で行う生活というものがどのように変化していくのか,というところも興味のあるところですが,彼らが日本人と同様に就労あるいは就学の機会というものを得て,日本で生活することができないかというような研究というものが異文化間教育などの方でもすこしずつ言われておりますし,厚生労働省などのほうでも社会的統合政策という呼び方なんですが,外国の方がいかに就労や就学というところで機会を得るかということを考える方向になっておりますので,ここでも例えば,言語教育というものは大切な役割を果たしていくと思われます。
 それから最後に国内の要因としまして難民ということが書いておりますが,日本には難民を受け入れてはいないんじゃないかということを思っていらっしゃる方もいるんですけれども,実際には1万700人ほどのインドシナ難民の方たちを受け入れております。難民事業本部という公的機関がまたございましてそこで難民の方たちが日本で生活できるよう定着していけるように様々な支援を行っております。日本を取り巻く政治状況次第では難民の方たちというのは増える可能性もございまして,そのような場合,日本語教育,あるいは異文化間教育のようなことをやっている私たちのような人間が何をやっていけるのかことは真剣に議論されてもいいと思います。難民ではないんですけれども,みなさんも新聞などでご存じかも知れませんが,拉致被害者の家族がもし,日本に帰国した場合は早稲田大学が是非支援をしたいということを表明しております。このような形の日本語教育というものは広がっていく可能性のあるところだと思います。それでは,今,どうも日本語が広がる一方のように話してしまいましたが,そのような印象を持たれたかも知れませんが,まあ,必ずしもある言語というものは膨らんでいく一方ではなく縮んでいく可能性というものも大変ございます。もちろん,日本の例えば,経済力が落ちて,人々のモラルが荒廃するとかですね,治安が悪化したりすれば日本に住みたいと思う人も少なくなるでしょうし,大学における研究技術と研究というような部分が衰えていけば当然留学生という数も減っていくと思われます。そのようなところを我々は地位というものを考えながら意識していくことが必要なのかと思われます。それで,実際にたとえばですね,海外もそのような状況でして,グロバリゼーションなどとよく言われていましたが,結局,昨年の事件以来,航空会社というものが一番大打撃を受けまして,誰も怖くて飛行機に乗れないというような現状が特にアメリカで起きました。そのような突発的なことがいつ起きるか分からないところもございます。そうすると,それまで良好であった流れですとか接触というものが失われたりすることがありまして,突然言語空間が小さくなってしまうということも可能性としてはあると思います。それとはまた別に,長い時間をかけて言語空間が縮んでいた分野もありまして,例えば,コンピューターですね。みなさんが,コンピューターを使っている時,使われる語彙のほとんどは日本語ではないと思われます。例えば,「マウスをクリックしてください。」など,“クリック”というところをコンピューターを始めたばかりの方にいうと「クリックって何ですか」ということになる。「押してください。」といえば,通じるのかもしれますが,「押す」というのも微妙に違うニュアンスなんだと思いますが,そのようにコンピューターの分野においては日本語の使用領域というのが,大変小さくなっております。そのようなことがございますので,ことばは必ずしも広がる一方ではないということをお伝えいたしたいと思います。それでは趣旨説明の最後なんですけれども,このように他国との地位というものを相対的にそして数字を用いて捉えるということで,それまでタブーとしてあまり触れることができなかった地位ですとか,ことばの立場,あるいは差,あるいは隔と呼ばれる方もいますけれども,そのようなものを研究対象としてとらえることができるようになってきました。日本もですね,国(相手の国)によってどんな接し方をしているのか,それは,全く一律では無かったんですね。確かにいろいろな手法を変えて,ある国に対してはこう,ある国に対してはこうということはあったと思いますが,より主体的な国際交流というものを今後,本気で行うのではあれば,ある国との関係において日本語,あるいは日本語に対する捉え方というものが現在どのようなものなのかというところを考えながら国際交流というものを行っていくような必要があると思われます。
 それではこれで趣旨説明は終わりにさせて頂きまして,講演者の方たちにバトンタッチしたいと思います。どうもありがとうございました。