所長あいさつ

国立国語研究所 所長 甲斐睦朗


甲斐睦朗氏

 本日は,とりわけ環太平洋の国々の先生には,こうやって日本においでいただいてありがとうございました。今日の国際シンポジウムは,いま,米田(当国立国語研究所の上席研究員であります)が長年取り組んできております,日本語というのが世界でどのように取り上げられているか,というテーマを追求しているわけですが,そのなかのとりわけ環太平洋というところに,主眼を置いて,そして本日のシンポジウムを開催しているところであります。
 その国々から,先ほど生まれた歳を拝見いたしますと,40代の,まさに研究に打ち込むべき研究者の方々がこうやってお出でいただきました。本当にありがたいことだと思います。これを機に,また先生方とは長年交流できるのではないかと期待しているところであります。それから,いま,講師の方を申したわけですが,最後にコメンテーターとしては,関西学院大学の真鍋先生にお出でいただきました。真鍋先生は,先ほど米田が申しました,新プログラム日本語観国際センサスの最初からご参加いただいて,いろいろとご知見を頂いている先生であります。また,その真鍋先生のご縁で,本日はドイツから,ヨーゼフ・クライナー先生にもお出でいただきまして,いろいろと最後の総括のお言葉をいただけることになっております。非常にありがたいことだと思っております。
 この国際シンポジウムは,今年度をもって,第10回を迎えることになります。10年前というのは,まだ日本では,こういう世界では国際シンポジウムというのは非常に珍しい存在でありました。今はだいぶ,見慣れたと申しますか,馴染み深くなって来ているわけですが,当時私どもは,どういうようにしようかということを,だいぶ考えたところでありました。それが,今回で第10回を迎えております。
 それから,今日のテーマで日本語の「地位」という言葉があるんですが,私はこれを「位置」のほうがいいのかなとかいろいろ思ったんですが,「地位」と米田が捉えたところは,やはり,日本語観国際センサスというこれまでの経緯があるように思います。「日本語というものをどれだけ何番目に大事に思ってくれていますか」というような調査を,実は世界にお尋ねしたのであります。そうすると,二番目である,三番目である,いうようなご回答を頂きました。これが,その「地位」という言葉にあるのかなと思っております。私どもは,偉そうな態度をもって「地位」という言葉を使ったのではなくて,どういうように考えたら良いのか,役割を考えてみたい,という意味で「地位」という言葉を使ったというように受け止めているところであります。
本日は,非常に長い時間になりますが,国々の方々の日本語について,あるいは日本語教育についてのご発言を頂戴いたします。非常に私どもにとっては貴重な一日になると思っております。どうぞ,会場の方々も,熱心なご発言をいただければと思っているところであります。
以上,簡単ではありますが開会のご挨拶といたします。ありがとうございました。