2.患者に言葉が伝わらない原因
患者に言葉が伝わらなかった医師の経験を尋ねた調査で書き込まれたコメントを分析したところ,次のような三つの原因が見えてきました。医師が挙げた言葉とコメントを,一例ずつそのまま引用します。
① 患者に言葉が知られていない
事例1:病理
「手術での摘出臓器を病理検査して詳しく調べる」ことの説明の際に病理の意味が分からなかったようだ。病理という言葉は一般に知られていない。顕微鏡で細胞の種類や性質を調べる検査について分かりやすく説明する。
② 患者の理解が不確か
事例2:炎症
「炎症が起こっている」という言葉は確かに便利な言葉で,多くの患者はどこまで理解しているかは別として,何となく分かった気にさせる言葉である。しかし,炎症を素人に短時間で医学的に正しく理解させることは大変困難でもある。「細菌が体内に侵入し,悪さをするので,これを防止するために白血球が細菌と戦っており,このためにはれて,痛くて,熱が出るのです。この戦いで死んだ白血球と細菌が膿(うみ)となって出てくるのです」と説明すると理解が得られることが多い。
③ 患者に理解を妨げる心理的負担がある
事例3:腫瘍(しゅよう)
卵巣に腫瘍があり,画像検査等より良性が考えられたが,腫瘍=がん,との思い込みがあり,患者は非常に落ち込んでしまった。詳しい説明に入る前に,腫瘍には良性と悪性があることを理解させ,十分な時間を使って説明するようにしている。
これらの原因のうち①や②は,患者が言葉をどれだけ知っていて理解しているかが問題になるものです。①②の原因で伝わらない言葉がどのようなものであるかは,非医療者に対する理解度等の調査によって知ることができます。以下では,この調査の結果によって,伝わらない言葉が具体的にどんなものであるのかを見ていくことにします。
① 患者に言葉が知られていない
①は,患者が言葉そのものを知らない場合です。非医療者に対して,その言葉を「見たり聞いたりしたこと」があるかどうかを尋ねた質問項目で,見聞きが「ある」と回答した人の比率(認知率)が低いものは,患者に知られていない言葉だと見ることができます。例えば,認知率が80%未満の言葉を挙げ,50%,60%,70%,75%のところで区切りを入れて示すと9,表1のようになります。
② 患者の理解が不確か
次に②は,言葉はよく見聞きされているけれども,理解が不確かな場合です。まず,非医療者に対してその言葉の意味を示し,それを知っていたかどうかを尋ねた質問項目で,「知っていた」と回答した人の比率(理解率) 10が低いものは,一般によく理解されていない言葉だと考えられます。②の,言葉はよく見聞きされていても意味の理解が不確かなものとは,具体的には認知率が高く,認知率と理解率の差が大きな言葉が,これに該当すると見ていいでしょう。認知率が60%以上ある言葉について,認知率と理解率の差が大きいものから順に並べ,20ポイント,15ポイント,10ポイントのところで区切りを入れて示すと,表2のようになります。
この表の上位のものは,言葉は知っていても,それが何を意味しているのかがよく分かっていない人が多いと見ることができます。
それでは,この表の下位にある言葉であれば,非医療者の理解は十分だと言うことができるでしょうか。例えば,「動脈硬化」についての調査では,「動脈が硬くなり,狭くなる状態」という意味を知っているかどうかを尋ね,大部分の人はその意味を理解しているという結果が得られました。しかし,動脈硬化の場合,その文字通りの意味ばかりでなく,動脈が硬く狭くなることで血液の流れが悪くなり,狭心症や心筋梗塞(こうそく),脳梗塞などの大きな病気を引き起こす危険があることまで,理解しておくことは極めて重要です。このように,非医療者も,言葉の意味を理解するだけではなく,その医学的な仕組みなどにまで,一歩踏み込んで理解することが望まれる場合もあると言えるでしょう。
このように②には,(1)どんな意味で何を指しているかがよく理解されていない言葉と,(2)一歩踏み込んで理解することが望まれる言葉とがあります。さらに②には,もう一つ,別の意味の言葉と取り違えるなど,(3)別の言葉や意味との混同や混乱が起こりがちな場合があります。非医療者に対してその言葉についてどのような誤解をしていたかを尋ねた質問項目で,そうした誤解をしていたと回答した人の比率(誤解率)が高いもののうち,言葉の意味の混同や混乱によるものを挙げると,表3のようになります。
これらは,日常語で使っている別の意味で受け取ったり,字面や語形から別の意味を思い浮かべたりするものです。いずれも,理解が不確かなために起きる混同だと考えられます。
③ 患者に理解を妨げる心理的負担がある
一方③は,その言葉で説明される内容を患者が受け止める際に,心理的な負担を感じ,理解を妨げてしまうものです。医師に患者とのコミュニケーションがうまくいかなかった経験を尋ねた調査では,患者の心理的な負担は,「悪性」「がん」といった,命にもかかかわるような重大な病気を告げられたときや,「抗がん剤」「ステロイド」など痛みや危険を伴う治療法を示されたときなど,特定の言葉を使う場合に,重くなる傾向は確かに見られるようです。しかし,心身に不調を持つ患者はだれしも,常に不安を感じながら医療者の説明を聞いているものです。患者に心理的な負担が生じるのは,上記のような特定の言葉に限った問題ではないと考えられます。
9 50%とか60%,70%,75%,80%といった数値で区切ることには絶対的な根拠はありません。この調査はインターネット調査であるため,日本の非医療者全体を代表した回答者の抽出になっていません。インターネットを使う人に限った調査ですので,認知率や理解率は,住民基本台帳などをもとに抽出した世論調査よりも,高い数値が得られていると考えられます。日本における全体的な認知率・理解率というのではなく,言葉同士を相対的に比較する目安として利用すべき数値です。
10 この「理解率」は,その言葉の見聞きについて回答した全員を母数として,意味を「知っていた」と回答した人の数の比率を算出しました。その言葉を見聞きしたことがない人も含めて,その言葉の意味を知っている人がどれだけいるかの比率が「理解率」です。