小三金五郎仮名文章娘節用 前編中 ---------------------------------------------------------------------------------- 凡例 1.本文の行移りは原本にしたがった。 2.頁移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。また、挿絵の丁には$を付した。 3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。 4.仮名のうち、平仮名・片仮名の区別の困難なものは、現行の平仮名に統一した。ただし、形容詞・副詞・感動詞・終助詞・促音・撥音・長音・引用のト等に用いられる片仮名については、原表記で示した場合がある。 〔例〕安イ、モシ、「ハイそれは」ト、意気だヨ、面白くツて、死ンで、それじやア 5.漢字は現行の字体によることを原則としたが、次のものについては原表記に近似の字体を用い、区別した。「云/言」「开/其」「㒵/貌」「匕/匙」「吊/弔」「咡/囁」「哥/歌」「壳/殻」「帒/袋」「无/無」「楳/梅」「皈/帰」「艸/草」「計/斗」「弐/二」「餘/余」 6.繰り返し符号は次のように統一した。ただし、漢字1文字の繰り返しは原本の表記にしたがい、「〻」と「々」を区別して示した。  平仮名1文字の繰り返し 〔例〕またゝく、たゞ  片仮名1文字の繰り返し 〔例〕アヽ  複数文字の繰り返し 〔例〕つら〳〵、ひと〴〵 7.「さ」「つ」「ツ」に付く半濁点符は「さ゜」「つ゜」「ツ゜」として示した。 8.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。 9.句点は原本の位置に付すことを原則としたが、文末に補った場合がある。 10.合字は〔 〕で囲んで示した。 〔例〕殊{〔こと〕}に、なに〔ごと〕、かねて〔より〕 11.傍記・振り仮名は{ }で囲んで示した。 〔例〕人生{じんせい} 12.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕めへにち{#毎日} 13.傍記・振り仮名が付く位置の紛らわしい場合、文字列の始まりに|を付けた。 〔例〕十六|歳{さい} 14.原本に会話を示す鉤括弧が付いていない場合も、これを補い示した。また庵点は〽で示した。 15.原本にある話者名は【 】で示した。 〔例〕【はる】 16.割注・角書および長音符「引」「合」は[ ]で囲んで示した。 17.不明字は■で示した。 18.原本の表記に関する注記は*で行末に記入した。 〔例〕〓{たど}りて*〓は「漂+りっとう」 19.花押は〈花押〉、印は〈印〉として示した。 20.画中文字の開始位置に〈画中〉、広告の開始位置に〈広告〉と記入した。 本文の修正 1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。 ---------------------------------------------------------------------------------- (1オ) [額小三{がくこさん}金五郎{きんごらう}]仮名文章{かなまじり}娘節用{むすめせつよう}前編中 江戸 曲山人補綴 第二回 |在然{さる}程{ほど}に。お亀{かめ}は金五郎{きんごらう}が鎌倉{かまくら}へくだりし後{のち}は。いとゞ心{こゝろ}も むすぼれて。とかく浮立{うきたつ}事{〔こと〕}もなく。今日{けふ}や便{たより}のありもやせん。 あすや音信{おとづれ}あらんかと。あだに過{たつ}日{ひ}を指{ゆび}をりかぞへ。一日{ひとひ}〳〵 とくらすうち。はやくも半年{はんとし}あまりも過{たち}て弥生{やよひ}の末{すへ}に成 にけり。されどいかなる事{〔こと〕}にやありけん。金五郎{きんごらう}の方{かた}より音信{おとづれ} (1ウ) の文{ふみ}さへ来{こ}ねばひとしほに。おかめはおもひいやまして。ほのかに聞{きけ} ば鎌倉{かまくら}にはお雪{ゆき}といへる娘{むすめ}ありて。ゆく〳〵は金五郎{きんごらう}に娶合{めあは} する約束{やくそく}なるよし。きいて猶{なほ}さら胸{むね}つぶれ。さうとはしらずうか うかと。たよりの文{ふみ}をたのしみに待{まち}し心{こゝろ}のおろかさよ。殊{〔こと〕}に妹 伕{いもせ}のかたらひも。せぬ中{なか}なればなか〳〵に。いつの世{よ}にかは添{そふ}事{〔こと〕} ならず。といふて今{いま}さらよそほかの。男{をとこ}持{もつ}気{き}はさら〳〵なく。今{いま}は 日{ひ}ごろのたのしみの。甲斐{かひ}さへ泣{ない}てくらすのかと。おもへは千〻{ちゞ}に胸{むね} くるしくあるにもあられぬせつなさを。父{ちゝ}文之丞{ぶんのでう}にもかたられず (2オ) ひとり心{こゝろ}をいためしが只{たゞ}その事{〔こと〕}のみおもふものから。うつら〳〵と床 病{とこやみ}の朝{あさ}な夕{ゆふ}なの食事{しよくじ}さへ。ろく〳〵すゝまずうち臥{ふし}ぬれど元{もと} より妬{ねた}む心{こゝろ}なければ。あぢきなき世{よ}とうちかこち。一日{ひとひ}二日{ふたひ}と おくれども。夜{よ}の目{め}もあはさで案{あん}じ事{〔ごと〕}。行{ゆく}すへこしかたおもふ てみれば。よく〳〵幸{さち}なきうまれにて。親{おや}にはおくれ姉{あね}にはわか れ。たよりさへなき身{み}の因果{いんぐわ}。こゝろの願{ねが}ひもかなはねば。生{いき}ながら へても楽{たのし}からず。いつそ渕川{ふちがは}へ身{み}をしづめて。果{はて}なん〔こと〕こそまし ならめと。恋{こひ}にこゝろもみだれ髪{がみ}。なであぐる気{き}もなか〳〵に。なき (2ウ) しづみたる閨{ねや}の戸{と}を。ふけゆく夜半{よは}の風{かぜ}ならで。ほと〳〵とうち たゝき。おかめ〳〵とよぶこゑに。おどろかされて立あがり。そつと戸{と}を あけうかゝへど。人{ひと}もあらねばさてはわが。心{こゝろ}のまよひに風{かぜ}の音{おと}を もしや恋{こひ}しきその人{ひと}の。来{き}給ひしとやおもひしゆゑ。あな浅猿{あさま} しき心{こゝろ}かなと。わが身{み}のほどをかへりみて。またうち臥{ふ}すに ふたゝび三{み}たび。おかめ〳〵といふこゑの。耳{みゝ}に入{いる}こそいぶかしく。もしや とまどひて出{で}てみれば。影{かげ}さへもなしうち臥{ふ}せば。またよぶ声{こゑ} のするゆゑに。おかめは夢{ゆめ}歟{か}うつゝかと。そのまどひさへ解{と}けがだく。 (3オ) 心{こゝろ}みだれて立{たつ}たり居{ゐ}たり。こはながらへても。添{そは}ねば。思{おも}ひあきら め死{し}ねかしと。父母{ちゝはゝ}の呼{よび}給ふならん。ヲヽそれ〳〵と娘気{むすめぎ}のよし なきまよひにひかされて。死{し}する覚悟{かくご}にすそはしをり。幸{さいは} ひ誰{たれ}も見{み}しらぬやうす。ト裏口{うらくち}よりぬけ出{いで}て。いづくとも無{なく} いそぎ行{ゆき}ぬ。その明{あけ}のあさおかめの居{ゐ}ざるを。見{み}つけて文之丞{ふんのでう} 家内{かない}の男女{なんによ}も驚{おどろ}きて。其処{そこ}此処{ここ}とさがせども。その行方{ゆくへ}しれ ざりければ。文之丞{ぶんのでう}はつく〴〵思{おも}ふに。日{ひ}ごろより金五郎{きんごらう}を。夫{をつと}の 如{〔ごと〕}くおもひおもはれ。たがひににくからぬ中{なか}なりしを。いつぞやわが*「わが」の濁点ママ (3ウ) れしその日{ひ}よりたゞうつら〳〵として。東{あづま}の空{そら}のみうち詠{なが}め。 娘心{むすめごゝろ}に添{そは}れぬ事{〔こと〕}と。思{おも}ひあまりの胸{むね}に絶{たえ}ずや。夜{よ}るも をり〳〵うなされては。渕川{ふちがは}へなど身{み}を沈{しづ}めんと。うつゝの〔ごと〕くに いひけるが。さては入水{じゆすゐ}やなしたりけんと。猶{なほ}人{ひと}を出{だ}し水辺{すゐへん}を落{おち} なく尋{たづ}ねさがしけれど。その死骸{しがい}さへしれされば今{いま}は文之丞{ぶんのでう} も定業{ぢやうがふ}ならんと。やうやくあきらめ家出{いへで}せし日{ひ}を忌日{きにち}と して七日{なぬか}〳〵の。訪{と}ひさむらひもねんごろに。泪{なみだ}ながらにいと なみつ。文之丞{ぶんのでう}はこの事{〔こと〕}をくはしく状{ちやう}にしたゝめて。鎌{かま}くらの金五 (4オ) 郎{きんごらう}かたへ人{ひと}を下{くだ}して知{し}らせけり。されば又{また}金五郎{きんごらう}は本家{ほんけ}の叔 父{をぢ}文次郎{ぶんじらう}の家{いへ}に。養子{やうし}にもらはれ来{きた}りけるが。おもひきやお 雪{ゆき}といふて。容貌{みめかたち}のうるはしき。娘{むすめ}のあるに驚{おどろ}きしが今{いま}さらに 詮方{せんかた}なく。父{ちゝ}の教{をし}へにしたがひて。養父母{やしなひふぼ}に孝{かう}をつくし。くらす うちも都{みやこ}にのこせし。おかめの事{〔こと〕}のみ気{き}にかゝり末{すへ}は女夫{めうと}と約 束{やくそく}して。わかれてこの地{ち}に落着{おちつき}しなら便{たよ}りをなして呼{よび}むかへ んと。思{おも}ひし〔こと〕もくひちがひ。お雪{ゆき}のあればこなたの父{ちゝ}に。おかめの 〔こと〕をうちあけて。迎{むか}へたしともいひがたく。殊{〔こと〕}に実父{じつふ}文之丞{ぶんのでう}がお (4ウ) かめは素生{すじやう}もいやしければ。本家{ほんけ}の娶{よめ}にはなりかだしと。いひ*「なりかだし」の濁点位置ママ たる言{〔こと〕}のかれこれを。思{おも}ひ合{あは}せばゆく〳〵は。とてもおかめと添{そ}ふ〔こと〕 ならず。一旦{いつたん}約束{やくそく}したれどもかゝる釈{わけ}ゆゑおもひきれと。言 送{いひおく}らんもさすがにて。又{また}遠{とほ}ざかりゐるとなれば。なま中{なか}たより をするならば。おもひのたねをいやます道理{だうり}。音信{おとづれ}せぬこそ たがひのため。いつかわするゝ〔こと〕もあらんと。あきらめては見るもの の。愛敬{あいきやう}つきてにくからぬ。おかめを今{いま}さら余{よ}の人{ひと}の。手活{ていけ}の 花{はな}になす〔こと〕もいとくちをしき〔こと〕なりと。日〻{ひゞ}に胸{むね}のみくるしめ (5オ) けり。かゝるところに実父{じつふ}のかたより。しか〴〵の事{〔こと〕}によりおかめが家 出{いへで}し行方{ゆくへ}しれずと。いひこしければ金五郎{きんごらう}は駭{おどろ}く〔こと〕大{おほ}かた ならず。掌中{てのうち}の玉{たま}を。うしなひし。心地{こゝち}にあきれ胸{むね}つぶれきぬ けするまでまどひしが。さすが男{をとこ}の〔こと〕なればやうやくに心{こゝろ} 取直{とりなほ}し。つく〴〵おもへば縁{えん}なきむかしと。あきらめては見るもの の。もしやおかめの心{こゝろ}かはり我のみふかく思{おも}ひゐるもしらずに男{をとこ} をこしらへて家出{いへで}せしにはあらざるか。又{また}はせまき心{こゝろ}から。そはれぬ 〔こと〕をくに病{やみ}て。入水{じゆすゐ}などせしにやトさま〴〵に思{おも}ひとりて心{こゝろ}に (5ウ) 回向{ゑかう}したりけり。是{これ}より後{のち}は金五郎{きんごらう}もおかめが死{し}せしと思{おも}ふ ものから。家{いへ}の娘{むすめ}お雪{ゆき}の姿{すがた}も十人並{じふにんなみ}にはすぐれたれど。見{み} かへるこゝろもなきゆゑに。世{よ}にたのしき〔こと〕もなく。おもしろからぬ 日{ひ}を過{すご}すうち。夏{なつ}去{さ}り秋{あき}も文月{ふみつき}の。中旬{なかば}にいたれど暑 さはさらず。ある日{ひ}金五郎{きんごらう}は。酔狂{すゐきやう}といふ友達{ともだち}にさそはれて。 大磯{おぼいそ}の灯籠{とうらう}を見物{けんぶつ}せんと。うち連{つれ}てたそがれより廓{くるは}へ至{いた}*「大磯{おぼいそ}」の濁点ママ りなじみの茶{ちや}や守田屋{もりたや}へゆきて酒宴{しゆえん}をまうけ歌妓{げいしや}牽 頭{たいこもち}なんと相手{あいて}にしてざゞめきわたつて大{おほ}さはぎ【たいこもちへほ吉】「コウ〳〵 $(6オ) (6ウ) おたこさん〳〵コレサおたこぼうちよつとこつちを向給へ。」ト[げいしやのそでをむしやうに引はる]。 【おたこ】「アレいやだヨよしておくれ。そんなに引{ひつ}ぱると着物{べべ}がきれるはネ。 すかねへのふ。」【へぼ介】「ヲヤきがつかねへかんにんしておくれよふツ。ヨウおたさん いゝ子{こ}だからちよつとうしろをひいておくれ。無類{むるい}飛切{とびきり}大極上{たいごくしやう} せり売{うり}卸{おろし}仕{つかまつ}らずといふ声色{こはいろ}をつかふから。」【おたこ】「ヲヤ〳〵おつな薬{くすり}の いひ立{たて}だねへ。」【うた】〽菊{きく}はとうりのもとよりもけいしうの袖{そで}やかほ るらん。」【へぼ】「まねまするはヱヘン〳〵ヱヘン。ヱヘヽンノ。ヱヘン〳〵。ヱヘヱヘヱヘンノ ヱヘン〳〵〳〵〳〵。」【たいこ目八】「なんだ〳〵。コレどふしたのだ。そこへ小間物{こまもの} (7オ) 見{み}せを出{だ}しちやア真平{まつぴら}だぜ。」【べほ】「なぜ〳〵。こりやア声色{こはいろ}だ。」【目八】「ヱヘン〳〵。 ヱヘンノヘンツ。なんのこつた。」【へぼ】「ハテやぼな〔こと〕を聞{きゝ}給ふな。よく考{かんがへ}て御{ご} らうじろ。すなはち咳{せき}が三十{さんじふ}ろうサの。」【酔狂】「おきやアがれ。 アハヽヽヽヽ。」【目八】「モシ旦那{だんな}妙{めう}な〔こと〕がごぜへます。ま〔こと〕にどうもどふも ま〔こと〕に。実{じつ}に妙{めう}〳〵妙{めう}でごぜへす。」【酔】「なんだやかましい。何{なに}をいふ のだ。」【目八】「イヱサあなたがま〔こと〕にどうも。」【酔】「おれがどふした。女{をんな}が惚{ほれ} るでうらやましいか。」【目八】「いかなこつても御挨拶{ごあいさつ}。ヲホヽヽヽヽツ。ヱモシお めへさんはお目{め}が二{ふた}ツあつてよく見{み}えますネ。実{じつ}にうらめしい (7ウ) たアこのこつた。」【酔】「ハヽヽヽヽ。何{なに}をいふかとおもつたら足下{そつか}は目{め}が一{ひと}ツだ つけの。をしい男{をとこ}だがあつたら玉{たま}に疵{きづ}だのふ。」【へぼ吉】「さやうさねへ。モシ旦 那{だんな}。よくごらうじまし。顔{かほ}の丸{まる}みあんばい肉合{にくあひ}なんどは。てもなく 珊瑚珠{さんごじゆ}の緒〆{をじめ}の再来{さいらい}。モシ鼻筋{はなすち}が横{よこ}のはうへぐつと通{とほ}つ て。眉毛{まみへ}がによつくりとなめくじのやうで。鼻{はな}は獅〻{しし}でもねへが 赤{あか}くむくれて口{くち}は銭湯{せんとう}のざくろ口{ぐち}だが。流{なが}し男{をとこ}の給金{きうきん}が 安{やす}いかして。歯{は}は一向{いつかう}にみがきあげず。匂{にほ}ひのあしき〔こと〕いはんかた なし。譬{たとへ}ていはゞてん〴〵むき〳〵の。寄合{よりあひ}世帯{ぜたい}といふ頬{つら}がまへサ。 (8オ) ア。なげかはしいが愛敬{あいきやう}のねへ。女縁{をんなえ}のなさそふな御面相{ごめんさう}だぞ。」*「女縁{をんなえ}」(ママ) 【目八】「こう〳〵貴{き}さまは何{なん}の遺恨{ゐこん}があつて。おれが顔{かほ}の棚{たな}おろ しをするのだ。隣{とな}りの宝{たから}をかぞへるやうに。人{ひと}の疝気{せんき}を頭痛{づつう}に 病{や}むとはよつほどおめへも苦労性{くらうしやう}だぜ。アヽとかく男{をとこ}のいゝもの は。そねまれるのでうるせへぞ。ヲホン〳〵。」【へぼ】「ヘンおつうとまりたがる やつだの。コウ戯談{おどけ}はおどけだが足下{そつか}幇間{たいこもち}をさらけやめねへ。いゝ 金{かね}まうけの筋{すぢ}があるぜ。九月{くぐわつ}になると。」【目八】「なぜ〳〵。」【へぼ】「よく考{かんが}へて 見{み}さつし。容㒵{かほかたち}といひ口{くち}めへと言{いひ}。」【目八】「ハテナ富{とみ}でもとるといふ〔こと〕かノ。」 (8ウ) 【へぼ】「ヘン押{おし}の強{つゑ}へ。神明{しんめへ}の祭{まつ}りだからよ。」【目八】「ナニ〳〵神明{しんめへ}のまつりフウ めつかち生姜{しやうが}か。ヤいま〳〵しい〔こと〕をぬかしやアがる。コレそんなに難 非{なんひ}を付{つけ}てわるくいつても。是{これ}でも女{をんな}にやア憎{にく}がられねへ男{をとこ}だよ。」【へぼ】「その かはりかはいがられた〔こと〕もあるめへ。その顔{つら}ぢやア。」【目八】「そねめ〳〵。顔{かほ} にやまよはぬ姿{すがた}にやほれぬと。」【へぼ】「フウたつたひとつの目{め}に惚{ほれ}る。 フハヽヽヽヽ。」【おたこ】「ヲヤ〳〵目八{めはつ}さん今日{けふ}はま〔こと〕に閉口{へいこう}だねへ。」【目八】「ナニサ〳〵。 こんな理{り}も非{ひ}も弁{わきま}へねへ。田夫{でんぶ}野人{やじん}と論{ろん}は無益{むやく}だ。」【へぼ】「ナニおれが 田夫{でんぶ}野人{やじん}なら。足下{そつか}は牛房{ごぼう}にんじんた。」【みな〳〵】「ハヽヽヽヽ。」【目八】「時{とき}にモシ金{きん} (9オ) さんとおつしやいましたネ。ちよいと一{ひと}ツけんじ天皇{てんのう}秋{あき}の田{た}のといた しませう。」【金五郎】「こりやア一{ひと}ツお押{おせ}へだ。」【目八】「ナアル。そこもあれば蓋{ふた}もあるか。 モシ旦那{だんな}実{じつ}に妙{めう}といふ〔こと〕がごぜへますトいふ来歴{らいれき}は。モシ千年 屋{ちとせや}のかゝへの子{こ}で。このごろまで引込{ひつこん}でをりましたのが。けふ突出{つきだ}しの 真名鶴{まなづる}といつて。ぶつつけ〓{よびだし}のお職{しよく}さネ。その容㒵{きりやう}といつぱ。*〓は記号 天人{てんにん}は羽衣{はごろも}をかぶり。弁天{べんてん}さまは冠{かんむり}を落{おと}し。拙者{せつしや}がお宿{やど}の山{やま}の 神{かみ}も。尻{しり}をまくつてにげ出{だ}すばかり。」【へぼ】「ヘンがうぎに山{やま}の神{かみ}をあが めたの。」【目八】「大きにス。ヱヽとまづこの天盃{てんぱい}はそちらの旦那{だんな}へさゝげて (9ウ) 置{おき}のト。そこでモシ旦那{だんな}。今{いま}にモウこゝへ真名鶴{まなづる}さんがめへりま すからよくお拝{おが}みなせへ。実{じつ}にびつくりおいたちこ。ねずみこつこは 千話{ちわ}のはじまり。とけつこつこは鶏{にはとり}よ。はとつぽつぽにや豆 をやれ。すてつぽうには油断{ゆだん}をするな。ふてへやつならぶちの めせ。じたいわれらは都{みやこ}のうまれ。色{いろ}にそやされこんな幇 間{たいこ}になられたア。ハアどんどこどん。どんどこどん。ツ。アヽせつねへいき がはづむ。アツハツハヽヽヽヽハ。」【酔狂】「ヱヽやかましいよくしやべるぞ。そんなに どなると天井{てんじやう}の煤{すゝ}が神事舞{じんじまひ}をして。畳{たゝみ}の芥{ごみ}がをどり出{だ}すだ (10オ) らう。」【目八】「違{ちげ}へごぜせん。酒呑猪口{さけのみぢよく}がきやりをいつて。銚子{てうし}の引物{ひけもの}を 引出{ひきだ}すと。吸物{すひもの}膳{ぜん}の箸{はし}がつゝ立{たつ}て。硯{すゞり}ぶたのくわいをおつちら かしやせう。とんだ化物屋{ばけものや}しきのやうだ。アハヽヽヽヽ。旦那{だんな}おどけは のけて。モシ噂{うはさ}をすれば影{かげ}ぢやアねへ。正真正銘{しやうじんしやうめい}本家{ほんけ}元祖{ぐわんそ} ましりなし。外八文字{そとはちもんじ}でしよなり〳〵。アレ〳〵あの挑灯{でうちん}がそで御{ご}*「挑灯{でうちん}」(ママ) ぜへます。」【酔】「ほんにのふ金{きん}さんおめへもよく目利{めきゝ}をして。もし無疵{むきづ} で気{き}に入{いつ}たら今夜{こんよ}の花{はな}にしなさるがいゝ。」【金五郎】「ちげへねへなんならお まへともやいにしやう。」ト[おどけをいふうち千年やのつき出し女郎まな鶴は新造かむろを引つれてゆう〳〵ぜんとあゆみくるを金五郎はしとみをさだめて (10ウ) みればふしぎやゆくゑのしれぬ]おかめの姿{すがた}に生{いき}うつし。もしやそれかとつく〴〵見{み}れば劣{をと} りはせねどどこやらが。違{ちが}ふやうには思{おも}はれても。目{め}もと口{くち}もと愛 敬{あいきやう}ある。品{しな}かたちのよく似たれば。胸{むね}とゞろきて心{こゝろ}まどひわが身{み} の迷{まよ}ひか酔{よふ}たるゆゑかと。しばし見{み}とれて詞{〔こと〕ば}なきを。見{み}てとる 幇間{たいこ}酔狂{すいきやう}も[金五郎のかたをたゝいて笑ひながら]【酔】「コウ金{きん}さん。おまへはこのごろひどく 物案{ものあん}じなやうすだから。いろ〳〵にすゝめても女郎{ちようろ}もげいしや も地者{ぢもの}もいやだと。だゞつ子{こ}がすねるやうに。いやだ〳〵といひな すつたが。なんと今{いま}の花魁{おいらん}はどうだヱ。」【金】「さうさネなか〳〵美{うつく}しいネ。」 (11オ) 【金】「ナニさういふりくつでもねへけ れど。」【金】「ハヽヽヽヽ マアなんでもいゝから。わたしやアあの子にきめやう。」【酔】「それがいゝ それがいゝ。そんならおれも行{いつ}てたれぞ見立やう。」ト二人とも [ちとせやへをどりこみ酔狂も合かたをさだめ]お定りの盃事も程よくきりあげ床{とこ}へまはれば 芸者{げいしや}たいこは「御機{ごき}げんよふ。」ト[みな〳〵どやどや下へゆく]金五郎は初会{しよくわい}の事ゆへ 羽折{はをり}は枕{まくら}元にぬぎ捨{すて}て。横{よこ}になつて寝{ね}てゐるところへ合{あひ}方の 真名{まな}づるは。藍{あい}御納戸の唐縮緬{たうちりめん}裾{すそ}に光{くわう}りんのつるの染{そめ}出し (11ウ) 緋縮緬{ひぢりめん}の裏襟{うらえり}つきし。ひとへものについたけのじゆばん。黒{くろ}の紋{もん} 天{てん}にひのごろふくりんの腹{はら}あはせの帯{おび}をだらしなくむすび 鼻{はな}がみを持{もち}そへてつまをとり[いそ〳〵しながら金五郎のそばへきたりかほをさしのぞひてよりかゝり]【真名鶴】「 もしへモウおやすみなんしたかへ。なぜ起{おき}てゐておくんなんせぬへ。サア 目{め}をおさましなんし。」ト[ゆすりおこせば金五郎はわざと目のさめたるふりにて]【金】「ヲヤおいらんいつの 間{ま}にマア来{き}なすつた。くるなら来{く}ると前{まい}びろにちよつと人 でもよこしなさればいゝ。出{だ}しぬけに起{おこ}されちやア虫{むし}が動{どう}じ るから。」【金】「さうだらうネいづれわたしの (12オ) やうなへうたんは。可愛{かあい}がられねへのはあたりめへさ。」【まなづる】「アレ さうじやアおざりいせん。お気{き}にさはつたらおゆるしなんし。」ト[たばこをすひ つけて出す。金五郎はひとひきひいて]「これは御馳走{ごちさう}。」ト[まなづるにわたし顔をしけ〴〵見てゐる]。「ヲヤなんざんすへ。 ぬしやアなぜそんなに顔{かほ}ばかり見{み}なんすへ。ぬしにそんなに 見{み}られへすと。恥{はづ}しくなりいすヨ。」ト[につこりわらふ]【金】「ヲヤま〔こと〕にふ思議{しぎ}*「恥{はづ}しく」は「恥{はづか}しく」の脱字か どふも生{いき}うつしこんなにもよく似{に}るものか。」ト[われをわすれてほつといき]【まなづる】「ヲヤ なんでおすへ。似{に}いしたとはそりやアたれさんに似{に}いしたへ。」ト[につこり わらふ顔をつく〴〵]。【金】「ソレその笑{わら}ふかほつきから物{もの}こし恰好{かつかう}似{に}たとはおろか (12ウ) 瓜{うり}を二{ふた}ツにわらずとその儘{まゝ}。」【まなづる】「ヲホヽヽヽヽばからしうおすヨ。似{に}た にたとおつせへすが。誰{たれ}に似{に}申{もふし}たのか。はなしてお聞{きか}せなんしな。」【金】「 はなしませう〳〵。その似{に}たといふ子細{しさい}はマア聞{きい}ておくれかういふ訳{わけ} さ。わたしが幼{ちひさ}い時分{じぶん}から行{ゆく}すゑかけていひかはし女房{にようぼ}にせう と思{おも}つた女{をんな}にサ。ほんに野暮{やぼ}な野郎{やらう}だとわらつてくんなさんな。」 【まなづる】「なんのマア笑{わら}いんせう。そんならモウぬしは御新造{ごしんぞ}さんがお ざりいすネ。」【つる】「うそ うそ。そんなにお隠{かく}しなんせずとよいぢやアおつせんかへ。」【金】「うそぢ (13オ) やアなしサ。実{じつ}にしんでしまつたよ。」【つる】「ほんざんすかへ。ソリヤアマアさぞ お力{ちから}がお落{おち}なんしたらうネ。譬{たとへ}また虚{うそ}いつわりにも主{ぬし}に思はれ てお出なんした。そのお方{かた}に似{に}たと思{おも}つておくんなんすりや。わたくし が身{み}に取{とり}いしちやア。しんじつうれしうおざりいすヨ。」【金】「なんのうれ しい〔こと〕はありやすめへ。そりやアほんのつとめの手{て}くだ実{じつ}は七り けつぱいだらう。」【つる】「ヲヤ勿体{もつたい}ないなんでいつわりを申シいせう。初会{しよくわい} からこんな〔こと〕を申シいしたら。おさげすみなんせうがぬしのためな ら都合しても。呼{よび}まうしたふおざりいすが。ぬしやア大かた通{とほ}り一 (13ウ) 遍{いつへん}で。もふお出{いで}なんすこつちやアおざりいすめへ。」【金】「そりやアみんな こつちていふ〔こと〕|一河{ちが}の流{なが}れ一樹{いちじゆ}の蔭{かげ}。佗生{たしやう}の縁{えん}があればこそ。*「一河{ちが}」は「一河{いちが}」の脱字か かうしてわざ〳〵来るといふもの。おめへがさういふこゝろならわたしも 根{こん}かぎり通{かよ}ふ気{き}だが。いゝ時分{じぶん}に突{つき}出しちやア恨{うら}みだよ。」【つる】「どふ してマア。ぬしを突出{つきだ}しいしたら。それこそ罰{ばち}があたりイせう。」【金】「 それはそふと。たとへにも。佗人{たにん}の空似{そらに}といふけれど。どふも佗{た}人とはお もはれねへが。おめへはマアいつたいどこの生{うま}れか。なしみがひに咄{はな}して きかせな。」【つる】「そりやアぬしの〔こと〕ざんすから。おはなし申シもいたしいせうが。 (14オ) 身{み}のうへをあかしいしたら。ぬしに愛相{あいそ}をつかされいせう。」【金】「そうおもふ も尤{もつとも}だが。いづれこの廓{さと}へ身{み}を沈{しづめ}るには仕合{しあはせ}がよくつて来{き}たものは ねへから。なに恥{はぢ}といふではなし咄{はな}してきかせてもいゝぢやアねへか。」【つる】「 ほんにそれもそうでおすネ。そんならおはなし申{もふ}シいせう。アノわた くしはま〔こと〕に〳〵遠{とほ}くの国{くに}でおざりいすよ。」【金】「ハテネそれぢやア蝦 夷{ゑそ}松前{まつまい}か。紅毛{おらんだ}の果{はて}からでも来{き}たのかへ。」【つる】「ヲホヽヽヽヽばからしうおすヨ。 アノ上方{かみがた}でおざりいすからさ。」【つる】「 アイそれだから遠{とほ}くだと申{もふ}シいすのさ。」【金】「なんの上方{かみがた}の生{うま}れなら (14ウ) 遠{とほ}くな〔こと〕があるものか。ハテ縁{えん}といふものはおつなものだネ。わたし もやつぱり上方{かみがた}ぜへろくさ。」【つる】「ヲヤ虚{うそ}をおつきなんし。なんのマアぬし なんぞか上方{かみがた}たとおつせへしても。上方{かみがた}にやアぬしのやうな。いきな おかたはおざりいせんよ。」【金】「さうさわたしの様{やう}な不意気{ぶいき}な野郎{やらう}は どこの国{くに}にあるものか。そしておめへは上方{かみがた}のもし珠数屋町{じゆずやまち}の辺{へん}ぢ やアねへか。」【つる】「ヱほんにさうでおざりいすヨ。よくぬしは知{し}つてお出{いで}なん すネ。その珠数屋町{じゆずやまち}の六兵衛{ろくべゑ}と申{もふ}シいすまづしい者{もの}のむすめ。」 【金】「ヤヽそんならアノ珠数屋町{じゆずやまち}の古鉄買{ふるかねかい}の六兵衛{ろくべゑ}どのゝむすめ (15オ) であつたか。アノおめへか。」ト[あきれてしばし〔こと〕ばなし。真名づるは何かはしらねば]わが身{み}のうへはをさな き時{とき}より。母{はゝ}にわかれ家{いへ}まづしきゆゑ。去{さ}るかたへ里{さと}にゆきて。やう やく成人{せいじん}なしたるところ。里親{さとおや}にだまされて過{すぎ}し年{とし}この大磯{おほいそ}の 苦界{くがい}にしづみ。父{ちゝ}六兵衛{ろくべゑ}は夫{それ}より先{さき}に。亡霊{なきひと}の数{かず}に入{い}り たつた一人{ひとり}の妹{いもうと}は。藁{わら}の上{うへ}から情{なさけ}ある。おかたにもらはれ育{そだ}つと聞{き} けど。つひに一度{いちど}逢{あ}ひもせず。便{たよ}りなき身{み}はつね〴〵から。妹{いもうと}ばか りがゆく〳〵の。力{ちから}とおもへどかひなきつとめ。まめで居{ゐ}るやらどふ したやらと。案{あん}じるのみと身{み}の素生{すじやう}を。かたるをきいて金五郎{きんごらう}は (15ウ) 驚{おどろ}く〔こと〕ひとかたならず。「我{われ}こそそなたが妹{いもと}の親{おや}の。文之丞{ぶんのでう}が男 子{せがれ}なるが。をさなき時{とき}より妹{いもと}おかめは。吾{わが}身{み}と共{とも}に人{ひと}となりて いまだ枕{まくら}はかはさねども。行末{ゆくすへ}女夫{めをと}の約束{やくそく}して。中{なか}よくくらす そのうちに。われは此{この}地{ち}の叔父{おぢ}の家{いへ}へ。もらはれ来{きた}りしその後{あと} にて。おかめは家出{いへで}し果{はて}たるにや。行方{ゆくへ}のしれぬその処{ところ}に。今{いま} また思{おも}ひがけなくも。姉{あね}のおん身{み}にめぐり〳〵て。今宵{こよひ}名{な}のり あふといふも。やつぱりつながる血すぢの糸{いと}。あやしきえにしなり けり。」と。いちぶしゞうを物語{ものがた}れば。ます〳〵驚{おどろ}く真名鶴{まなづる}は便{たより} (16オ) にせんと楽{たの}しみ待{まち}し。只{たゞ}一人{ひとり}の妹{いもと}まで。世{よ}になき人{ひと}と聞{きく}からにかな しさいとゞいやまさり。しばし泪{なみだ}にくれにけり。かゝるゑにしの浅{あさ} からぬ。中{なか}なればなほさま〴〵に。身{み}のうへの事{〔こと〕}かたりあかしぬ。され どもたがひに一{ひと}ツに寝{ね}ず。一旦{いつたん}金五郎{きんごらう}も妹{いもと}お亀{かめ}に。女夫{めをと}の約束{やくそく} せし〔こと〕なれば。今{いま}さらその血{ち}すぢの姉{あね}が流{なが}れの身{み}とても枕{まくら} かはすは。さすがにうしろめたくおもへば真名鶴{まなづる}もまたその心{こゝろ} ゆゑ。すいた男{をとこ}とにくからねど。帯紐{おびひも}脱{とい}ては死{し}したる妹{いもと}の供養{くやう} にならずと心につゝしみ。いやらしき〔こと〕さへ云{いは}ず。さりながら金五郎{きんごらう}も $(16ウ) $(17オ) 国水 さくら山ぶき いろ〳〵の ながめ哉 (17ウ) このまゝにもふり捨{すて}られねば。是{これ}より常{つね}の客{きやく}の〔ごと〕く。をり〳〵真 名鶴{まなづる}の処{ところ}へ通へど。決{けつ}して枕{まくら}をかはす〔こと〕なく。酒{さけ}などのみては憂{うさ} をかたりぬ。かくてその月{つき}もくれ八月{はちぐわつ}のはじめになりけるに。例{れい}の 〔ごと〕く思{おも}ひ〳〵の。俄狂言{にはかきやうげん}をどりなどさま〴〵あるその中に。額俵{がくだはら}や といふ茶屋{ちやや}の今度{こんど}かゝへの芸者{げいしや}の小三{こさん}。品{しな}かたちといひとりなり まで。五町{ごちやう}にまれなる容㒵{きりやう}ゆゑ。浅間{あさま}のをとりにこの小三{こさん}を傾 城{けいせい}奥州{あうしう}に仕立{したて}。衣装{いしやう}着{き}つけも美{び}をつくし。浄瑠璃{じやうるり}は登見 本{とみもと}阿輪太夫{あわたいふ}にて。人{ひと}の耳目{じもく}をおどろかすをどりゆゑ。廓中{くるわぢう}での (18オ) 大評判{おほひやうばん}。をりふし金五郎{きんごらう}は。待宵{まつよひ}の月{つき}をながめつゝ。俄{にはか}を見物{けんぶつ} なすべしと例{れい}の〔ごと〕く守田屋{もりたや}の二階{にかい}にて。真名鶴{まなづる}と共{とも}にさけ くみかはし。今{いま}や来{きた}ると待{まち}ゐるところへ。程{ほど}なく来{きた}る浅間{あさま}の踊{をど}り。 節{ふし}おもしろき太夫{たいふ}の上{じやう}るり〽あさい心{こゝろ}としら糸{いと}のそめて くやしきなれ衣{ごろも}ありしながらの一{ひと}ツまへ小{こ}づまそろへてしど けなく風{かぜ}に柳{やなぎ}のふくまゝにまかせるはづのつとめぢやとて もいやな客{きやく}にも比翼{ひよく}こざ思{おも}ふ男{をとこ}の山鳥{やまどり}の。」トかたる文句{もんく}につ れて踊{をど}る小{こ}さんを。金五郎{きんごらう}は何心{なにごゝろ}なく。見{み}ればふしぎやすぎし頃{ころ} (18ウ) 家出{いへで}して死{し}したるおかめに。寸分{すんぶん}違{たが}はぬ顔{かほ}かたち。これは不思議{ふしぎ} とまたゝきもせず。見{み}れば見{み}るほど違{たが}はねは是{これ}もわが身{み}の迷{まよ}ひ かと。思{おも}ひ直{なほ}して見{み}るものゝ。外{ほか}の女{をんな}と思{おも}はれねば。もしや浮気{うはき}なこゝろ を出{いだ}し男{をとこ}をこしらへこの廓{さと}へ。にげて来{き}てゐる〔こと〕にやと。まはり気{き} すれば腹立{はらたゝ}しく。さりとて人{ひと}に問{とふ}も異{い}なもの。とつくりやうすを 見{み}きはめんと。そしらぬふりにて見{み}てゐれば。幇間{たいこ}のへぼ吉{きち}見{み} とれつゝ【へぼ】「イヨ〳〵浜{はま}の本店{ほんだな}。小{こ}さん大明神{だいみやうじん}さま〳〵〳〵。外{ほか}には決{けつ}して ごぜへせん。三千世界{さんぜんぜかい}にたつた一人{ひと}リ。」【目八】「イヤ有{あり}がたし妙{めう}でごぜへす。浜{はま} (19オ) むらや丸{まる}むき額俵屋{がくたはらや}の大黒柱{たいこくばしら}。ありかたいの天上{てんじやう}め。咲屋姫{さくやひめ} の再来{さいらい}か。三国一{さんごくいち}の無類{むるい}〳〵。」【金】「たいそふほめるのふ。賄賂{まいない}でももら やアしねへか。」【目八】「モシ旦那{だんな}賄賂{まいなへ}どころか。けふもきのふも昨日{きのふ}も今日{けふ} も文{ふみ}玉章{たまづさ}の数{かず}〳〵は。ヤモシあんなうつゝい美婦人{びふじん}がつけ文{ぶみ}を するのでのぼせやすのさ。」【女げいしやおとわ】「ヲヤ目八さんきついこつたネ。十九文{じふくもん}や の見{み}せさきのやうに。うぬほれかゞみが沢山{たくさん}だヨ。ヲホヽヽヽ。」【目八】「ヘンやつか ましい妬{やく}な〳〵。おとわぼうは気{き}めへはいゝが。とかく妬{やく}のでおそれ るのツ。」【おとわ】「ヲヤよしておくれおまへのおかみさんとはちつとちがふによ。 (19ウ) モシ旦那{だんな}ヘアノ小三{こさん}さんはネ。上{かみ}がたからこのごろまゐりましたさふ でございますが。よく早{はや}くのみ込{こみ}ましたぢやアこさいませんか。」【金】「 さふかとんだ遠{とほ}くから売{うら}れて来{き}たの。大{おほ}かた男{をとこ}と欠落{かけおち}でも して。其{その}男{をとこ}にうられたのだらう。」【目八】「旦那{だんな}きついもの。おめへの判 談{はんだん}の通{とほ}り。男{をとこ}とはる〴〵にげて来{き}たがその男{をとこ}にたぶらかされ て。泥水{どろみづ}へ沈{しづ}んだのでごぜえますツサ。」【まなづる】「ヲヤ〳〵アノ子{こ}がかへ。どふも さういふやうすには見{み}えいせんねへ。もしへさうぢやアおつせんかへ。」 【金】「おいらんはさういふけれど。そこが譬{たとへ}の小袋{こぶくろ}と小娘{こむすめ}由断{ゆだん}の (20オ) ならねへ世の中さの。」【へぼ】「ナニ〳〵旦那{だんな}。さういふ釈ぢやアごぜへせんツサ。 わたくしがこのあいだ額重{がくじう}へめへつた時{とき}。よく気{き}をつけて見{み}まし たが。それは〳〵起居{たちゐ}ふるまひの物{もの}しづやかさ音声{おんせい}はさはやかにし て鴬{うぐひす}のさへづる〔ごと〕く多弁{たべん}でなくはすはでなく意気{いき}でしや んとして程{ほと}がよく。鴨川{かもがは}の水{みづ}を産湯{うぶゆ}にあびて。京{きやう}おしろいをぬか ぶくろに入{いれ}て。みがきあげた真{しん}の美女{びぢよ}さネ。」ト[はなすところへあるじ庄吉出きたりて]「モシ 旦那{だんな}額重{がくじう}の小{こ}さんをこらうじましたか。」【金】「フウなんだかろく〳〵見{み} なんだが。よつぽど|美婦人{いゝしろもの}ださうだの。」【庄】「さやうでございます。先{まづ} (20ウ) このごろでの芸者{げいしや}だと申{もふし}ます。いゝ金筥{かねばこ}をかゝへました。」ト[とり〴〵ひやうばん のそのうちも金五郎はむねに手をおき]アノ小{こ}さんこそ面{おも}ざしといひ。上{かみ}がたから来{き}たといへ ば。おかめによも相違{さうゐ}はあるまじ。真名鶴{まなづる}にもうち明{あけ}て。やうす を聞{きか}んと思{おも}ひしが。なま中{なか}あからさまに語{かた}りても。健{まめ}で彼{あゝ}して ゐるからは。心{こゝろ}がはりで男{をとこ}のために。身{み}をしづめしぞはかりかだ*「はかりかだし」の濁点位置ママ し。とさま〴〵に思案{しあん}して。今宵{こよひ}は去{さ}りがたき用{よう}ありとて。そこ そこに座{ざ}しきもきりあげ。真名鶴{まなづる}に別{わか}れて大門{おほもん}を出{いで}しが。 忽{たちま}ち又{また}取{とつ}てかへし。ひそやかに額俵屋{がくだはらや}重兵衛{じうべゑ}の処{ところ}へゆき彼{かの}小{こ} (21オ) さんに口{くち}をかけて。二かいへあがり酒{さけ}のみながら今{いま}や来{きた}ると待{まつ}ところ に程なく小さんは俄{にはか}をしまひ。うかぬ顔{かほ}にて何気{なにげ}なく。二階{にかい}の はしごをとん〳〵と。上{あが}り来{きた}りて金五郎{きんごらう}の。そばへ立寄{たちより}顔{かほ}見合{みあは}せ ハツとばかりに驚{おどろ}きあはて立んとするを金五郎{きんごらう}は[すそをとらへ目をつりあげ]「 コウ小さんとやらなぜ逃{にげ}る。気障{きさ}な客{きやく}だからきに入{い}らねへか。きざなら きざでいゝけれど。ものもいはずにそしらぬふりは。見わすれたのか 見くびつたか。よもやわすれはしめへがの。未練{みれん}が残{のこ}つて来{き}たのじやア ねへ。聞{きく}〔こと〕かあるあるから下{した}にゐろ。」ト[いはれて小さんはむねにくぎなんといらへん〔こと〕ばもなくめんぼくなげにひれふして (21ウ) 只さめ〴〵となきゐたり。金五郎はなほこゑあらゝげ]「コレあいさつしねへは面目{めんぼく}ねへのか。ヱヽそのざまはマア 誰{だれ}ゆゑだ。定{さだ}めしかはいゝ男{をとこ}のために。心{こゝろ}がらのこのつとめ歟{か}。よく物{もの} をつもつて見ろよ。犬猫{いぬねこ}でもそれ相応{さうおう}に。恩{おん}といふ〔こと〕はしつて ゐるぞ。それになんだ。己{おれ}の顔{かほ}を踏{ふみ}つけにするはおろかな事。わらの 上{うへ}から育{そだて}られた。産{うみ}の親{おや}より恩{おん}の深{ふか}い。養親{やしなひおや}の情{なさけ}をわすれ 恩{おん}を仇{あだ}の犬畜生{いぬちくしやう}。ぎりある親{おや}の名{な}をけがし。恥{はぢ}をはぢとも思{おも}は ぬ狸{たぬき}め。よくマア面{めん}もかぶらずに。のけ〳〵と出{で}てうせたナ。いかに遠 路{ゑんろ}をへだつるとも。多{おほ}くの人{ひと}のいりこむ廓{くるは}。この鎌{かま}くらにもおれが親父{おやぢ} (22オ) の文武{ぶんぶ}の弟子{でし}はいくらもあれば。この街{さと}へもみないりこむは。それに面{おもて} を合{あは}しても。恥{はぢ}ぢやアあるめへ恥{はぢ}てもなからう。さういふ事とはつゆ しらず。親父{おやち}は直{ちよく}なこゝろから。神{かみ}かくしにでもなつたのか。又{また}は 身{み}をなげて死{し}んだかと心{こゝろ}を尽{つく}して尋{たづ}ねさせ。うらなひ八卦{はつけ} 御鬮{みくぢ}にも生死{しやうし}の程{ほと}もわからぬから。家出{いへで}した日{ひ}を忌日{きにち}として。 仏事{ぶつじ}供養{くやう}も懇{ねんごろ}にすると。くはしい書状{しよぜう}がきたゆゑに。こどもの 時{とき}より一{ひと}ツに育{そだ}ちし。馴染{なじみ}がひに朝{あさ}な夕{ゆふ}な。念仏{ねんぶつ}申{もふし}てやらふ とおもへど。今{いま}は養子{やうし}の身の上{うへ}なれば。両親{りやうしん}の前{まへ}へも遠慮{えんりよ} (22ウ) がちで。心{こゝろ}にはまかせねど。合間{あいま}を見ては回向{ゑかう}して抹香{まつかう}くさい仏{ほとけ} いぢりも。万一{まんいち}たつしやでゐるならば。身{み}の祈祷{きとう}にもならふかと。心{こゝろ} づくしに引{ひき}かへて。生根{しやうね}のくさつた恩{おん}しらす。大切{たいせつ}な親{おや}をふり 捨{すて}て。この土地{とち}へ来{き}て泥水{どろみづ}活業{しやうばい}。ヲヽ貞女{ていぢよ}だ節義{せつぎ}ものた。髪{かみ} のかざりの櫛笄{くしかうがい}。はでな衣装{いしやう}にうは気{き}なとりなり。長唄{ながうた}豊 後{ぶんご}はやり唄{うた}や。一中{いつちう}ぶしをうなつたり是{これ}見よかしに踊{をどり}ををど つて。客{きやく}のきげんをとる〔こと〕ゆゑ人{ひと}も迷{まよ}はふ惚{ほれ}もしやう。悪性{あくしやう}ものゝ 天上{てんしやう}め。モウ〳〵あいそのつかしをさめだ。顔{かほ}を見るのもいま〳〵しい。 (23オ) ものをいふのも是{これ}ぎりだから。勝手次第{かつてしだい}に浮気{うはき}をしをれ。」ト [いひすてゝ立んとするを小さんはしゞういひわけなさに只なきしづみゐたりしがこゝぞ大事とあはてゝ取付]【小三】「サヽヽヽみな御尤{ごもつとも}でござります か。マア〳〵待{まつ}てくださいまし。くはしい様子{やうす}を御{ご}ぞんじないからお腹{はら}をお 立{たち}あそばすも。すこしも御無理{ごむり}はござりませんが。是{これ}にはいろ〳〵ふか い釈{わけ}が。」【金】「ヲヽ訳{わけ}もあらふし義理{ぎり}もあらう。けれともそりやア聞{きく} 耳{みゝ}やもたねへ。ヱヽいけふざけたはなさねへか。」【小三】「いゝへはなしはいたしま せん。言{いひ}がひのない心{こゝろ}から思{おも}ひもよらぬおうたがひ。死のふと覚語{かくご} 極{きは}めしは。今日{けふ}の今{いま}まで日{ひ}にいくたびやつぱり死なれぬ因果{いんぐわ} (23ウ) どふなりとして今{いま}一度{いちど}あなたのおかほを見たうへにと。あまたの人{ひと}の 入{い}りこむこの|花街{さと}。そればつかりかりをたのしみにつらひ苦界{くがい}*「そればつかりかり」の「かり」は衍字か に身を沈{しづ}めて。恥{はぢ}や人{ひと}めに気{き}もつかず。」【金】「ヱヽやかましいよしにしろ。 どゞ一{いつ}の文句{もんく}めいた。そんなせりふはをかしくねへ。流行{はやり}言{〔こと〕ば}に道 理{だうり}をつけたり間{ま}に合{あひ}の口{くち}ぼこでも。モウその手{て}ぢやアはかされ ねへは。」【小三】「さやうではござりませうがどふぞ情{なさけ}とおぼしめしてたつた 一言{ひと〔こと〕}申{もふ}す〔こと〕をお聞{きゝ}なすつてくださいまし。そのうへにてはともかく も殺{ころ}してなりとお腹{はら}いせ。御勝手しだいになされまし。」ト身を (24オ) なげかけてすがりとめ。なみたながらにわびるにぞ。金五郎{きんごらう}も さすがまた心{こゝろ}づよくはいふものゝ。にくからぬ小三の〔こと〕ゆゑ。すげ なく立{たつ}ても皈{かへ}られねば。袖{そで}ふりはらひ身をそむけ。銚子{てうし}の 酒{さけ}を手酌{てじやく}にして。茶{ちや}わんにうけてぐいと呑{の}み。手{て}まくらをして 寝{ね}ころびゐる。 仮名文章娘節用前編中終 ---------------------------------------------------------------------------------- 底本:国立国語研究所蔵本(W99/Ky4/1、1001952975) 翻字担当者:村山実和子、成田みずき、矢澤由紀、銭谷真人 付記:鶴見人情本読書会編「〈翻刻〉『仮名文章娘節用』前編(・後編・三編)」(「鶴見日本文学」2~4、1998~2000)を対校資料として利用した。 更新履歴: 2017年3月28日公開