日本語史研究用テキストデータ集

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諸国方言物類称呼しょこくほうげんぶつるいしょうこ

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巻一

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物類称呼巻一

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凡例
1.本文の行移りは原本にしたがった。
2.行移りは、その丁の表および裏の冒頭において、丁数・表裏を括弧書きで示した。
3.仮名は現行の平仮名・片仮名を用いた。
4.漢字は常用漢字新字体によることを原則とした。
5.繰り返し符号は次のように統一した。
 平仮名1文字の繰り返し 〔例〕いなゝく、いとゞ
 片仮名1文字の繰り返し 〔例〕タヽミ、イタヾキ
 漢字1文字の繰り返し 〔例〕千々
 複数文字の繰り返し 〔例〕いよ〳〵、ぢう〴〵
6.白ゴマ読点は読点(、)、小さな白丸は中点(・)で代用した。
7.Unicodeで表現できない文字は〓を用いた。
8.傍記・振り仮名は{ }で囲んで表現した。 〔例〕乾坤{けんこん}
9.左側の傍記・振り仮名の場合は、冒頭に#を付けた。 〔例〕乾坤{#あめつち}
10.傍記・振り仮名が付く本文文字列の始まりには|を付けた。
11.割注・角書は[ ]で囲んで表現した。
12.漢文部分(日本語語順でない漢字列)は語順を入れ替えた。
13.訓読記号(レ点・一二点・合符など)は省略した。
14.書名や語形を示す枠囲みは『 』で代用した。
15.原本の表記に関する注記は(*)で記入した。 〔例〕又諸國にて・ざふ(*「ざふ」に傍線)

本文の修正
1.翻字本文を修正した場合には、修正履歴を末尾に示す。
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(序1オ)
物類称呼諸国方言序
二条のおとゝの筑波集{つくばしう}に草の名も所によりてかはるなりと
いふ句に救済{ぎうさい}法師なにはの芦もいせの浜荻と附しに
もとづきて諸国の方言の物ひとつにして名の数々
なるたぐひを採{と}り選{ゑら}ひて五の巻{まき}とはなりけらしそも〳〵
いにしへを去{さ}る事|遙{はるか}にしてそのいふ所も彼にうつりこれに
かはりて本語を失{うしな}ひたるも世に多かるへし中にも都会{とくはい}の
人物{ひと}は万国の言語{げんきよ}にわたりてをのづから訛{なまり}すくなししかは

(序1ウ)
あれど漢土{かんど}の音語{をんご}に泥{なづ}みて却{かへつ}て上古の遺風{いふう}を忘るゝにひとしく
辺鄙{へんひ}の人は一|郡{ぐん}一|邑{いふ}の方語にして且てにはあしく訛おほし
されども質素{しつそ}淳朴{じゆんぼく}に応してまことに古代の遺言{いげん}をうし
なはず大凡{をほよそ}我朝六十余州のうちにても山城と近江又美濃
と尾張これらの国を境{さか}ひて西のかたつくしの果まて人みな
直音{ちよくをん}にして平声{へうしやう}おほし北は越後信濃東にいたりては
常陸をよひ奥羽{おうう}の国々すへて拗音{いようをん}にして上声多きは
是風土水気のしからしむるなれはあながちに褒貶{ほうへん}すべ

(序2オ)
きにも非す畿内にも俗語あれば東西の辺{へん}国にも
雅言{がげん}ありて是非{せひ}しがたししかしながら正音を得たるは
花洛{くはらく}に過べからずとぞ今こゝにあらはす趣は其|言{こと}の
清濁{せいだく}にさのみ拘{かゝ}はるにもあらずたゞ他郷{たきやう}を知らざる
の児童{じどう}に戸{こ}を出ずして略{ほゞ}万物に異名{ゐみやう}ある事を
さとさしめて遠方より来れる友の詞を笑{わら}はしむる
の罪{つみ}をまぬかれしめんがために編{あみ}て物類称呼{ぶつるいしやうこ}と
なつくる事になんなりぬ

(序2ウ)
安永乙未孟春日
江都日本橋室坊越谷吾山識

(凡例1オ)
物類称呼凡例
一 此書あつめて五|册{さつ}となし天地、人倫、艸木、気形、器用、衣食、言
語、等を七門にわかつは簡易{かんい}にして探{さぐ}り索{もと}めやすきを要{よう}と
すそれが中に天地と言語{げんぎよ}と器用{きよう}衣類{いるい}の如きまゝ交{まじ}へ出すもの
有もとより街談{かいだん}巷説{かうせつ}を聞るにしたがひてしるし侍れば
管見{くはんけん}不堪{ふかん}の誤{あやまり}多からむのみ又其国にて如此|称{しやう}すとは国中|凡{すべて}
の義にあらす一国は勿論{もちろん}一|邑{いう}のうちにても品物{ひんぶつ}の名|異{ことな}るもの也
具{つぶさ}に録{ろく}する事あたはす
一 諸|品{ひん}の和訓{わくん}は源|順{したがふ}ノ和|名鈔{めうせう}及|漢語抄{かんごせう}本朝|印行{ゐんかう}の諸家本
艸等に譲{ゆづ}りて審{つまびらか}に誌{しる}さず聊{いさゝか}是は識者{しきしや}のために非す専{もつはら}童
蒙{どうもう}に便せんとす故に事物{じぶつ}の悉{こと〳〵}く知りやすきのみを載{のせ}てなを
又所々|註釈{ちうしやく}をくはふ

(凡例1ウ)
一 引用る所の書の目{な}には〓(*枠囲み)をもふけて是をわかつ又方言
の読法{とくはう}には〓(*傍線)をもつて知らしむたとへば花鳥風月くは(*「くは」に傍線)ちやう(*「ちやう」に傍線)
ふう(*「ふう」に傍線)げつ此如(*原本「如此」の順)の類{たぐ}ひなり余{よ}是に准{じゆん}ず
一 諸国ともに中品{ちうひん}以上の人物{ひと}は言語あやまらす音声{をんじやう}自然{しぜん}と和
合{わがう}して能{よく}通用す故に爰に洩{もら}す事多し
一 此|編{へん}に著{あらは}す所は唯{たゞ}民俗{みんぞく}要用{よう〳〵}の事のみをしるす広大{くはうたい}なる
国郡{こくぐん}無尽{むじん}の言語{けんきよ}いくばくの歳月を経{ふ}るとも大成{たいせい}する事|難{かた}
し殊更{ことさら}短才{たんさい}をもはからずをそらくは蠡海{れいかい}の譏{そしり}もあらん
かし
物類称呼凡例畢

(1オ)
物類称呼巻之一
江都越谷吾山秀真編輯
天地
北辰 ほくしん[北極と称するもをなしうごかぬ星なり]○上総国にて・ひとつのほし又番{ばん}のほしと
称{しやう}す
北斗 ほくと[うごく星なり]○東国にて・七|曜{よう}のほしと称{しやう}す又四三の星ともいふ
昴 ぼう[すばる星と云二十八宿の内也]○東国にて・九よう(*「よう」に傍線)の星と云江戸にては・むつら星
といふ
参 しん[からすきぼしと云二十八宿の内也]○中星{ちうせい}の横につらなりたる三の星を江戸にて・三光
といひ又三ツ星といふ関西にて・親にな|ひ{イ}星と云東国にて・三ちや(*「ちや」に傍線)うの星

(1ウ)
と呼武蔵の国|葛西{かさい}にて・さんかぼしといふ
風 かぜ○畿内及中国の船人のことばに西北の風を・あなぜと称す二月の
風を・をに北{ぎた}といふ三月の風を・へばりごちと云四月|未{ひつじ}の方より吹風を
・あぶらまぜと云五月の南風を・あらはへといふ六月未の風を・しらはへ
といふ土用中の北風を・土用あいといふ七月未の風を・おくりまぜと云八月の
風を・あをぎたといふ九月の風を・はま西といふ十月の風を・ほしの入りごち
といふ十一月十二月の頃吹風を・大西{をゝにし}と云○西国にても南風を・はへと云東南
の風を・をしや(*「しや」に傍線)ばへと云○北国にては東風を・あゆの風といふ西北の風を・
よりけと云北風を・ひとつあゆと云東北の風を・ぢあゆと云丑の方より
吹風を・まあゆと云南風を・ぢくだりと云○江戸にては東南の風を・
いなさといふ東北の風を・ならいと云[つくばならいといふあり]西北の風を・はがちと
云東風を・下総ごちといふ未申の方より吹風を・富士{ふじ}南と云○伊勢ノ

(2オ)
国鳥羽或は伊豆国の船詞に二月十五日前後に一七日ほどいかにもやはらかに吹く
風を・ねはん西風といふ[但し年毎に吹にもあらす]三月土用少し前より南風吹・あぶ
らまじといふ四月よき日和にて南風吹・おぼせといふ五月梅雨に入て吹南風を
・くろはへといふ梅雨|半{なかば}に吹風を・あらはへと云梅雨晴る頃より吹南風を
・しらはへと云六月土用半過より北東の風一七日程吹年有・ごさいと云[六月十六七日伊勢
の御祭礼有出家も参事也故に御祭{ごさい}といふ也]六月中旬東風吹年あり・ぼんごちと云それ過てより
南風吹・をくれまじといふ八月の風を・あをぎたと云[はじめは雨にそひて吹後はよくはれて北風吹なり]
又・雁わたしとも云十月中旬に吹く北東の風を・星の出入といふ[夜明にすばる星西に入時吹也]
又大風には二月吹を・貝よせと云[正月の節より四十八夜前後の西風也]三四月東南の風吹を・
なたねづゆと云四五月吹東南の風を・たけのこづゆといふ八月に吹風を・野
分キといふ[正月の節より二百十日め前後にふくなり]十月西風吹・神わたしと云[霜月の荒といふは廿三日より晦日まての間に荒る
としあり]○近江国湖水にて風の定らぬ事を・論義といふ日和風を・といてと云

(2ウ)
湖上{こしやう}の風を・根わたしと云秋冬の風を・日あらしといふ春夏の風を・やま
せ風又・ながせ風又・せた嵐など云○播磨辺又四国にて春南風にて雨を
催す風を・やう(*「やう」に傍線)ずと云○越後にて東風を・だしといふ西北の風を・しも
にしといふ西南の風を・ひかたといふ
今按に西北の風を名づけてあなぜといふはあなじの転語也『後拾遺』に
〽あなじ吹瀬戸のしほ合に船出してはやくそ過るさやかた山を
と詠せし也上古風をばしと称しちと称せり嵐こがらしこちはやちなといふ
是也又神社の棟{むね}に有|千木{ちぎ}といふ物も風木{ちぎ}とも書也尚説あり又二月ふく
風を鬼北といふは丑寅の間より吹くをいふなるべし丑寅の方を鬼門といへば
なり又あぶらまぜはあぶらまじの転語かあなじとをなじき心にや又はへ
は薫風{くんふう}也『呂氏春秋』ニ東南風を云と有『事文続集』ニ夏ノ風也と見えたるも
同し俳諧に風|薫{かほる}と句作するもこれなり又星の入ごちと云有惣じて九月

(3オ)
の節より正月の節中はすまる星の出入に日和かはりやすき物也常には月
日の出入をよく心得べし夜ル入る月にはひよりそこねやすし夜出る月には
少悪くも直る事あり是を若{わか}月の入リそこね出{いで}月の出直りと船の上にて
いふ事也又俗に春北風に冬南いつも東は定|降{ふり}の慕雨{ぼう}といへる諺{ことわざ}有又
〽五月西春は南に秋は北いつも東風にて雨降るとしれとよめる俗哥もあり
其国〳〵におゐて方角のかはりめ有大凡{おほよそ}関西{くわんさい}は西風なれは則雨降東風
にて則晴るといへり関東にては西風にて晴れ東風にて雨降る也『詩』ニ習々タル
谷風以テ陰{クモリ}以雨フルと有谷風は則東風也しかあれば異国にても東風にて雨
降ると見えたり又東武にて・はやてと云為家卿の哥に
[夫木]〽浪しらむ沖のはやてやつよからし生田かいそによする釣舟
『旧事紀』ニ疾風{ハヤチ}と有是也又八月の風を暴風{ぼふう}と云歌連俳ともに野分キと詠ス
陸奥にて鮭下風{さけおろし}とよぶ此頃より鮭の魚を捕{とる}といへり

(3ウ)
夏雲 なつのくも○江戸にて・坂東太郎と云[坂東太郎といふ大河あり]大坂にて・丹波太郎と云
播磨にて・岩ぐもといふ九州にて・比古{ひこ}太郎と云[比古ノ山ハ西国の大山なり]近江及
越前にて・信濃太郎と云加賀にて・いたちぐもといふ安房にて・岸雲と云
今案にこれらの異名{いめう}夏雲のたつ方角をさしていひ又其形によりてなづく
[夫木]〽水無月になりぬと見へぬおほそらにあやしき峯の雲の色かな
と詠し給ふ『古文前集』四時ノ詩ニ云春水四沢ニ満ツ夏雲奇峯多シ(*原本「春水満四沢夏雲多奇峯」の順)とありこの詩
より今俳諧に雲の峯と句作なす歟
虹 にじ○東国の小|児{に}・のじと云尾張の土人|鍋{なべ}づるといふ西国にて・いう(*「いう」に傍線)じと云
『万葉』ニぬじ又のすとも詠り[西国にていうじと云は夕虹の略語か]
液雨 しぐれ○美濃加納にて・山めぐりと云『丹鉛録』ニ曰張野盧カ盧山ノ記ニ云天将ニ
雨フラント則白雲有リ或ハ峯岩ニ冠シ或ハ中領ニ亘ル俗之ヲ山帯ト謂フ三日ヲ出不シテ必雨ルト云々(*原本「天将雨則有白雲或冠峯岩或亘中領俗謂之山帯不出三日必雨云々」の順)又
唐詩ニ風山帯ヲ吹テ遙ニ雨ヲ知ル(*原本「唐詩風吹山帯遙知雨」の順)なども作れり又不時に村雨の降を相州箱根山

(4オ)
にて・わたくし雨といふ
雪 ゆき○東武にて・綿帽子雪といふを西国にて・花びら雪と云中国
にて・へだれ雪と云越路にて・ぼた雪といふ上総にて・ぼたん雪と云雲
州にて・だんびら雪といふ又ほろ〳〵降る雪を越路にて・はだれ雪と云
霜 しも○関西にて・露霜[いまた霜の形をなさゞるをいふ]といふを関東にて・水霜といふ
なを説有略す
氷柱 つらゝ[たるひ]○越後にて・かな氷{こり}と云奥の津軽にて・しがまといふ同南部
にて・堕氷{だへう}と云仙台にて・たるひと云会津及信州辺にて・すご|ほ{ヲ}りと
いふ西国及近江辺にて・ほだれと云下総にて・とろろう(*「ろう」に傍線)といふ下野にてぼ
う(*「ぼう」に傍線)がねと云伊勢白子にて・かなごと云出羽最上にて・ぼんだらと云[氷柱垂氷の説有略す]
凍 いて○山陰道及相州箱根小田原辺にて・しみと云源通村卿の詠に
〽はこね山また明ぬまに越ゆかん道のぬかりのしみとけぬまに

(4ウ)
水 みづ○上総下総辺小児の詞に・まんまと云薩摩にて・あかといふ閼伽{あか}は水
の梵語也但シ舟にては諸国共にあかといふ
泥 どろ○備後福山にて・だべんと云今按に金泥{きんだみ}銀泥{ぎんだみ}なといふ物も此意成
へし後勘ス可シ(*原本「可後勘」の順)[和名ひちりこ又こひぢと云恋路によそへて歌によめり]
水口 みなくち○[苗代へひく水くち也]上総にて・水{み}の手といふ越中ノ国にては・いのくち
と呼東国にて・水口{みづくち}と称す今按に苗代とは上古田地を代{しろ}といひし也今も
しろをかくと云事有又雁など時々に田を飛さるを代をかゆるといふも此
こゝろなり
原 はら○筑紫にて・はるといふ[何のはるかのはるなといふ]
土堤 どて○上総及信濃にて・まゝといふ[つゝみといふ有土堤とは別也]
岸険 がけ○筑紫にて・ほきといふ
谷 たに○関西にて・たにと称す[黒谷{くろたに}鹿谷{しゝがたに}のたくひ也]相州鎌倉及上総辺にて・やつ

(5オ)
と呼[扇か谷{やつ}亀か谷等なり]江戸近辺にて・やと唱ふ[渋谷{しぶや}瀬田谷{せたがや}等也]
岩窟 いはや○鎌倉及上総にて・やぐらと呼ぶ
穴 あな○東国にて・めどと云『東雅』ニ曰|孔竅{こうけう}を呼てめどと云あなめど又
|転{てん}してみづと云針の穴をみづといふが如き是也
四会 よつゝじ○奥州津軽にて・十文字と呼[十字『説文』ニ云|衢{ちまた}也]信州にて四方{しはう}の辻と云
越後にて・四ツ口といふ同長岡にて・よつかどゝ云下総にて・四ツ岐{また}といふ
小路 こうぢ○京都にて称{しやう}す江戸にて・横丁{よこてう}と云[但|式部{しきぶ}小路{こうち}籔{やぶ}小路{こうち}又|浮世{うきよ}小路{しやうち}なと呼有]大坂及伊勢
松坂にて・小路{しやうぢ}と云勢州山田にて世古{せこ}と云
○辻子{づし}京にていふ江戸大坂ともに・ろぢといふ
河岸 かし○江戸にて・かしといふ[本町河岸或は浜町がしなと云]大坂にて・はまといふ[浜の芝居などいふ]
京にて・川ばたといふ
閨房 ねや○遠州にて・ほそをりと云下総て・こざといふ武蔵にて・をかたといふ

(5ウ)
庇 ひさし○関西にて・をだれといふ越後にて・がぎといふ[いせの国にて家居にあるを庇といひ土蔵
に有をがぎといふ江戸にては商家の暖簾{のれん}といふものをかくる具に尾垂といふ有]
地震 ぢしん○関東及北陸道にて・ぢしんといふ西国及中国四国にて・なゐといふ
『日本天智天皇紀』是春{このはる}地震{なゐふる}と有
石 いし○畿内にて・ごろたと云は石の小なる物を云東国にて・石ころといふ
山陰道にては・くりと云[細小なるものか]越中にて・いしなといふ江戸にて・じやりと云
日南 ひなた○野州|栃木{とちぎ}にて・てるみといふ日陰を・てるくみといふ[東国にて樹陰を・こさといふは木{こ}さはりの
略語にや又為家卿の哥に〽こさふかはくもりもぞするみちのくのゑぞには見せし秋の夜の月と詠し給ひしは蝦夷人の術に胡砂吹といふ事の有よし也]
神無月 かみなづき○出雲国にて・かみありづきといふ[貝原翁いづもの国にても神在月とは称せすといへり然とも大社神
領はみな神ありづきと称す]
晦日 つごもり○阿波の国にて・こもりといふ奥ノ津軽にては十二月小ノ月なれは翌朔日を
入て終晦日{をゝつごもり}として正月二日を元日とす是を津軽の私大{わたくしだい}ともいふ也

(6オ)
人倫
父 ちゝ○大和にて・あんのう(*「のう」に傍線)と称す播磨辺より西国にて・てゝらと云
長崎にて・ちや(*「ちや」に傍線)んと云肥前佐賀にて・別当といふ越前にて・のゝといふ
父をてゝと称しとゝと呼ふは諸国の通称也『万葉』及『宇治拾遺』等にてゝと
見えたりとゝは『稗文』ニ爹爹{とゝ}と書侍るもあれどてゝといひとゝといふは父の転
語なるへし又上総にて祖母を崇めてのゝと称し越前にて父をのゝと呼は
極老の剃髪せしなどをのゝといひならはしたる物ならん小児に対して如来
を如々と略語し如々転してのゝとなりたる物か但し古代よりの詞なる歟
しらず
母 はゝ○西国にて・かくといふ長崎にて・あひいと云[阿妣なるべしといふ説あり]肥の佐賀
にては・あう(*「あう」に傍線)ぼう(*「ぼう」に傍線)と云[阿母といふの転語にや]出羽にて・だゞといふ

(6ウ)
山崎垂加翁ノ云俗人の母を称して袋といふは胞胎{ホウタイ}の義によると云云又母と
いひかゝといふは諸国の通称歟京にて児童は・ハワサンと呼ひ年長しては
母者人と称す東国にては・かゝさんといふ『袖中抄』にきり〳〵すのなく声つゞ
りさせかゝはひろはん『註』ニかゝとは古きつゞれなとの事と也しかれは下賤の者の
妻女をかゝと呼は是より出たる歟又はゝと云詞転してかゝとなりたる歟父
といひ母とよぶはもとより通称にしてそれより転したる詞も国々多かるべし
たゞけやけき語のみをこゝに記す以下之ニ准フ(*原本「以下准之」の順)
兄 あに[嫡子也俗に摠領といふ]○越後にて・あんにやさといふ東国にて・せなといふ出羽にて
・あんこう(*「こう」に傍線)といふ奥ノ南部にて・あいなといふ九州にて・ばぼう(*「ぼう」に傍線)といふ備前にて
・親かたといふ土佐にて・おやがたちといふ[備前にていふ親かたもをなし心か]西川氏ノ云ばぼう(*「ぼう」に傍線)
と云は破茅{はぼう}なるべきか或書の中に茅{ちかや}の始て土中に生したる物を破茅と
いふと見えたり云云吾山熟案に破茅の説も可ならんしかはあれどばぼう

(7オ)
は梅朋{ばいぼう}の略ならん歟梅は花の兄ともいへば梅の朋{とも}と云意なるべし又曰兄を
『せ』といひ弟を『なせ』といひし事『日本紀』ニ見へたり又|妹背{いもせ}といふは妹{いも}と背{せ}との
事なるよし東土にてせなといふも古代の遺風なるべし
姊 あね○九州にて・ばぼうぢよといふ上総房州にてなゝといふ[兄弟に限らず目上の女を尊
んてなゝといふ]
夫 をつと○薩摩にて・との丈といふ[夫男{せな}夫子{せこ}などゝ歌書にをゝく出]
妻 つま○京にて他{ひと}の妻を・お内義さんとよぶ大坂にて・おゑさんとよぶ[お家{いへ}さま也]
江戸にて・かみさまといふ甲斐にて・中居{なかゐ}といふ[甲州の国風の哥に〽甲金や三升舛に四角箸切はふづくり
をこれお中居とよめり]播磨辺又越後わたりにて・ごりよ(*「りよ」に傍線)んと云[よめ御料などの転語か]奥州
南部又は津軽にて・あつ(*「あつ」に傍線)ぱといふ[吾{あ}が母{はゝ}といふの転語なるべし小児の母に対していふ詞か]仙台にて・おかたと
といひ又ごゞさまと呼はたつとぶ詞なり御{ご}は尊称也|御{ご}は女の通称也故に御{ご}を
かさねて唱るにや又仙台にては媳婦{よめ}を呼て・をむかさりといふ上総にて・

(7ウ)
めこといふ[『源氏』にめこのかほも見でと有これは吾妻也]他{ひと}の妻をば・をぢよ(*「ぢよ」に傍線)うと云[御女郎の略語か]伊勢に
・やよといふ[下賤の妻をいふと也]尾張にて・お家とよぶは江戸にてお袋といふにあたる同
国にて・かみさまとよぶは老女の称也対馬にて・をゆみといふ肥ノ佐賀にて・
をとも女郎といふ[おともとは手前の事をいふおとゝいふ時はそこもとゝいふにひとし]又をかたといひ女房内義
なとやうの詞は通称にして記にいとまあらず
小児 をちご○京にて・いとゝ称す[いとをし又いとけなしなとの下略なるべし]関東にて・ねんねといふ
[やゝとよぶは諸国の通語也]信州にて・あかといふ[同国にて・びいとよふは幼女なり]越後にて・ぼゞつ(*「ゞつ」に傍線)こと
といふ[同国にてにがこと云はみとりこの事也]奥羽にて・わらしといひ又ぼこといふ[わらしは童男也『和名』童わらは又侲子わら
はべ注ニ童男女と有今わらんへともいふ通称也]長崎にて・さまといふ[同所にてごゞと云は小女の事也]奥ノ南部にて末子{ばつし}を
・よてこといふ武蔵下総にて・てごといふ
案に奥羽にて・ぼこといふ詞は古代の遺語{いご}なるべし東武にても・をぼこと云
二度{にど}をぼこなと云詞有是も小児をぼこといふ意也又わこといふ詞有上古

(8オ)
わけといひし詞転してわこといふ『古語拾遺』ニ男児をワコとよみたり俗に若{ワ}
子の字を用るはもと是弱の字を用ゆへき事なれと其字又読てよはし
といふを嫌ひて若の字を借用ひし也といへり『万葉』かつしかのまゝのてこな
と詠せしはかの辺にてすへの子をてごといひぬればてごの女といへる事なるに
や未詳
息女 むすめ○京畿にて・ごれう(*「れう」に傍線)にんといふ薩摩にても・ごれう(*「れう」に傍線)といふ中国及
奥州にて・おごう(*「ごう」に傍線)といふ[御{ご}とは女の称也]奥の南部にて・をごれんといふ越後ノ高岡長
岡にて・をこれんといふは他{ひと}の妻女を云也備前なともをなし
乳母 めのと[俗にうばといふ]○畿内の小児は・ちいと云江戸の小児は・をちゝといふ尾張
辺又陸奥にて・まゝといふ[古き詞にて源氏物語にも見えたり]『南留別志』に云あことはうばの事也
上総国一宮といふ所はあこなし御曹子の城なりと千葉介が乳母にうませたる
子也なすとはうむといふ事也又

(8ウ)
〽うつくしやべににも似たり梅花あこがかほにもつけたくぞある
菅家のいときなき時よみ給ふなといふとあり今案に徂来翁の説明
らかなり然とも小児をもあこといひしにや日本紀に見えたり『職人尽歌
合』機{はた}織女の詞にあこやうくだもてこよと有是は小児をさしてあこといひし
やうに聞えたり今も東国の辺土にてあこといひ京畿にてわこといふ類皆
通音にて同し意ならんか又須児といふは賤きものをいひて小児にてはあらず
俊頼朝臣の哥に
〽山里はすこが竹垣さきはやす萩をみなへしこきませにけり
寡 やもめ[俗に後家又後室ともいふ]○京にて・やまめと云尾州にて・やごめといふ[これらは転訛し
てかくいふものか]遠江にて・つぐめといふ
妾 おもひもの○京師にて・てかけとよぶ東国にて・めかけと云西国及尾
州にて・ごひと云[御妃にや]奥ノ南部にて・おなめといふ

(9オ)
遊女 うかれめ○畿内にて・をやま又けいせいと云江戸にては・女郎{ぢようろ}といふ[江戸にてはをやまと云
名は戯場{しばい}にのみ有]伊勢ノ山田にて・艶女{あんにや}といふ同国鳥羽にて・はしりがねと云[鳥羽は湊成によりてはし
るとは船人の祝詞なるべし]近江にて・そぶつといふ出羽秋田にて・ねもちといふ奥州にて
・をしや(*「しや」に傍線)らくといふ[国によりて遊女のなき所も有也他郷の遊女をさしてもいふなるべし]奥州松前にて・やかんといふ
越前敦賀にて・かんひやうと云[夕がほをさらすといふ心なり]又越前越後の海辺に浮身と云
物有是は旅商人此所に逗留の内女をまうけて夫婦の如くス此家を浮身宿と云
〽海に降る雪や恋しき浮身宿 はせを
今按に傾城の名は李延年か詩の意{こゝろ}をとりて倭俗遊女の称とはなせり
和漢に遊女の名有事久し『詩』ニ漢ニ游女有リ云々(*原本「漢有游女云々」の順)『東鑑』ニ清水冠者を遊
女の別当とせられし事を載{のせ}たり又遊女の異名をゝし所謂「ながれめ
「うかれめ「うかれ妻「海士の子「たはれめ「ひとよ妻等也古哥に詠せし
地名は美濃の野上の里・青墓の里近江のかゝみ山・野路・小野のしの原

(9ウ)
尾張にはかやつの原・山城に大井川小倉山の麓など詠せし也川竹のなかれの
身なといへるは或は備後ノ鞆{とも}の津津ノ国ノ神崎より出て揚屋・新艘・水揚・引
舟・これらの品類|悉{こと〳〵}く水辺によるの名なりとかや婬語{いんご}にかけるといふ詞有
これ又水辺によせて橋の縁よりいひならはしたる物か『拾遺集』
〽中々にいひははなたてしなのなる木曽路の橋のかけたるやなそ 源頼光
かゝる哥の心ばへにもかよふなるべしまた古は軍営へも妓{ぎ}を迎へし
事有妓者軍士ノ妻無キ者ヲ待ツ(*原本「妓者待軍士無妻者」の順)と見え侍る妓{き}は十人にすぐれたる奴{やつこ}を見立て妓に
仕立る故に奴の字の上に十字を冠らしめて妓{き}ノ字とすともみえたり又|花柳{くるは}
に入の客{かく}を呼て大尽{だいじん}といふを大神になそらへてみな神楽{かぐら}の縁語をつけ
たる物か末社{まつしや}牽頭{たいこ}御幣持{をんべいもち}ヲヒヤ(*「ヒヤ」に傍線)ル[笛の音によるか]神{かみ}なとゝよぶ類也妓有{ぎう}と云物
有若いものといふぎう(*「ぎう」に傍線)は牛{ぎう}にて牛{うし}は鼻{はな}にてつかふ也又きうは花にてつかふ也
[花は客{○}の賜物也]又は遊君を花と見て花に遺はるゝといふ意{こゝろ}にもあらんか既に忘八{クツハ}

(10オ)
屋の妻を花車といふ花をまはすといふ意也大坂の新町はいにしへの神崎を
此地に引たる遊所也遊女の詞一格有又京都にて西島|訛{なまり}といふは島原詞と
云事也たとへば祇園町にて「なさるか「なはらんかなどいふを島{しま}原にては「なま
すか「なませなとゝいふ江戸吉原にて「よくありんすといふを京にては「よいわい
なあといふ吉原にて「すきんしんよといふを京にては「すかんわいなあと云如此
の妖{よう}言は其ひとつ二ツをあげて省{はぶき}て記さず又いはく遊女は老去まて眉{まゆ}を描{ゑがき}
しにや『金葉集』
〽さりともとかく眉墨のいたつらに心ほそくも老にけるかな
遊女を君といひし事は『弥世継』ニ云とをとうみの国はしもとの宿につきたるに
例の遊女えもいはず|さうぞ{装束}きてまいれり頼朝卿うちほゝゑみて
〽はしもとの君に何をかわたすべきと有けれは梶原平三景時下の句つかう
まつりしことなと有爰に略す○傀儡{くゞつ}は美濃国野上ノ里なと其外国々

(10ウ)
の駅舎{ゑきしや}に有て今云人形なとまはして旅客をなくさめし遊女也今時飯売
又飯盛なといふも彼傀儡の類にや
○遊客の曲廓{くるわ}に至るを京都にて・騒{ぞめき}と云江戸にて・そゝりと云長崎
にて腨{すね}ふりといふ○京大坂にて茶屋とよぶは芝居の茶屋又は水茶屋の事
を云遊里に有茶屋はみな揚屋といふ江戸にては吉原中ノ町其外残らす茶
屋と呼なり
○京大坂の旅人宿の下女を・はすはといふ東海道筋にて・をじや(*「じや」に傍線)れと
いふ越後にて・しや(*「しや」に傍線)くといふ[すこしの流をくむといふこゝろなり]相州小田原辺にて・ばくといふ
[遊女をよねといへは米に対したる麦{ばく}なり]勢州にて出{で}女房といふ又同国及美濃にて・もか共
云遠州にて・やぞうといふ信州軽井沢にて・をしやらくといふ出女は駅
舎{ゑきしや}の婢{しもをんな}也『風俗文選』に出女ノ説有今こゝに贅{ぜい}せず旅籠屋{はたこや}といふも古く
いひつたへたり『万葉』ニ八多篭良{はたごら}と書『和名』ニ篼{ハタコ}馬飼{カフ}籠也(*原本「篼飼馬籠也」の順)と有又西国及

(11オ)
東国の童謡{こうた}に旅籠{はたご}はいくら十三はたごといふ事ありいにしへ鳥羽|街{かい}道にて
十三銭の旅籠ありし事なりとぞ
夜発 やほち『和名』○京大坂にて・そうかといふ[いにしへ辻君立君なといへるものゝたくひか大坂にて浜君なとゝ古くいえり]
江戸にて・よたかといふ紀州にて幻妻{げんさい}といふ長崎にて・はいはちと云四国にて・け
んたんといふ[間短と書か]大坂及尾州にて人の妻をげんさいと云是は罵{の}る詞に用ゆと見
えたり『春秋左氏伝』%昭八年有|仍{シヤウ}氏ノ女鬒黒シ而光リ可シ以テ鑑名ケテ曰フ玄妻ト
[漉酌奴] ろくしや(*「しや」に傍線)く○京都にて造酒屋{つくりさかや}の下部を・ろくしや(*「しや」に傍線)くと云[又乗物を舁{かく}ものをもいふ]東国
にては造酒家{つくりさかや}の桶の大いなる物をいひ又乗物をかくものをいふ
或云主人たる人の心を京間六尺五寸間にたとへ下男の心を田舎の六尺間にた
とへて下部たる物を六尺とはいふ也案に酒家の下男をろくしやくと名くるは
酒を漉{こし}酒を酌{くむ}を役となすものなれば漉酌{ろくしやく}といふ意を用へきか又乗物を舁{かく}
ものをろくしやくとよぶは『史ノ始皇本紀』ニ秦ハ水徳を以て王たり故に六の数{すう}を

(11ウ)
用ゆ輿{こし}は六尺なりと見えたりしかれは輿の六尺の数よりろくしやくの
名も出たるにや又かの乗物舁く者はきはめて長{たけ}高きものなるが故にかく
なつけたる歟
○酒{さけ}製{つくる}事を司とるものをとうじと云は一説にいにしへ藤次郎と云もの
よく酒をつくる是とうじといふは爰にはじまるといふ又一説に頭児{とうじ}と書て
酒家のかしらおとこといふの儀なりと又異国にては杜康よりはじまりたれは
杜氏{とうぢ}なりといふ説有『東雅』ニむかし酒造司に大刀自{をゝとじ}小刀自{ことじ}次刀自{なみとじ}とて三ツの
酒造る壺{つぼ}有ける其大刀自は酒三石ばかり入し物也後に酒つくる人をも刀自{とじ}と
いひしは古よりいひつぎし言葉なるか彼酒造司の刀自は三条院の御時大風
に司たふれし時に自うちわりてけりと古きものにしるし置けり是等の事
の如きも世には異国のことなど附会していふ説ありと見えたりと有
○酒狂人を東国にて・なまゑ|ひ{イ}又よつ(*「よつ」に傍線)ぱらひといふ大坂にて・よたんぼと

(12オ)
いふ遠江にて・泥{どろ}ぼうといふ[酔て泥の如しといへるこゝろにや]薩摩にて・酔食{よいぐら}ひといふ肥前唐
津にて・さんてつまごらと云
奴 しもへ[俗に下部と云僕をなし]○上総にて・けご[けごは古きことば也]越前にて・なごといふ備前にて
・できといふ[できは東国に云やろうニをなし]京にて・久三{きうざ]{一季奉公人をいふ江戸にてはわたりものといふ]
[陰陽師] をんみや(*「みや」に傍線)うじ[をん|やう{ニヨウ(*「ニヨウ」に傍線)}じと唱ふ然ともをんみやうじとよむ也]○備州にて・かんぱらといふ[尾州にて寒中に寒ンの御祈禱寒
はらひといふて鈴をふりてよびありく有此たくひにや]京にて・しや(*「しや」に傍線)うもんしと云[唱門師は人の門にたちて金皷を鳴らし米銭を乞ふ僧の事也しやう
もんしとよぶは心得違なり]
梓巫 あづさみこ○東国にて・降巫{いちこ}又口よせといふ播摩にて・たゝきみこと云中国
にて・なをしと云○京にて・大原神子{をばらみこ}といふを東国にて・かまはらひといふ
氏子 うぢこ○山城紫野にて今宮の氏子を・御幣子{をへこ}といふ
盗賊 ぬすひと○美作辺及東海道にて・じらといふ[中国四国ともにまれにじらといふ但ししらなみの略語にや白波ノ故事は]
『後漢書』ニ出武蔵及上総下総辺にて・せれう(*「れう」に傍線)ともいふ近衛㡣山公薩摩の

(12ウ)
方言にて詠給ふ歌に
〽ぬすとでゝおらぶにはたとたまがりてくわくさつからにせゝくりそする
○須利{すり}東国にていふ[すりはぬすびとの梵語也とぞ又『三才図会』ニ説有略ス]江戸にて・きんちや(*「ちや」に傍線)くきりと云上総
にて・さがらといふ摂州にて・ひるとんびといふ[とんびは鳶也ものをさらふと云心とかや東国にてまれ〳〵にかくもいふ也]
○かたり東海道及中国にて・ごまのはいといふ日光道中にて・道中どつ(*「どつ」に傍線)こと云
南部にて・よろくと云
乞人 ものもらい○江戸にて・乞食{こじき}といふ[『法華経』ニ清浄乞食又乞食頭陀ノ行これは僧を云]長崎にて・ばん蔵又・
山ばん中国及四国又奥羽より越後越中辺にて・ほいたう(*「たう」に傍線)といふ『庭訓抄』ニ陪堂{ほいとう}飯
米を副る僧なりと有又筑紫にて・ごう(*「ごう」に傍線)といふ此国にてはこじきといふものは癩病
人なり江戸にていふ菰{こも}かぶりといふものをへいたう(*「たう」に傍線)と云上総にて・へいたう(*「たう」に傍線)是は
乞食也下総にて・気らくといふ肥ノ唐津又は薩摩日向にて・ぜんもんといふ京
にて・ばんたといひ又・ひでんじといふ大坂にて・垣外{かいと}といふ

(13オ)
今按に悲田寺{ひでんじ}は京都鴨川西の辺に有『拾芥抄』ニ云聖武天皇|施薬{せやく}悲田{ひでん}
の二寺を建{たて}て施薬院は大人の病を療し悲田寺は小児及乞食の病を
治す後終に乞食の寓{ぐう}と成よし見えたり今におゐて癩病人の親族に捨
らるゝもの般若坂{はんにやさか}に集り往来の人に物を乞ふ『続日本紀』云武州入間郡の
界{さかい}に悲田所を置と見えたり然らは京師のみに限らす所々に在し事にや
又聖徳太子悲田院を建て郭内に居らしむ魁首{くわいしゆ}を長吏{ちやうり}として郭外のもの
を非人とす故に今も東国にて穢多を呼て長吏といふはかゝる遺風にや或
説に癩病人をかつたいといふは悲田院{かたゐ}と書て悲田院{ひでんゐん}より起たる名也といふ
是は鑿説{さくせつ}也『証治要訣』ニ害大{かつたい}と有又関西に物よしといふもの此たぐひ也とぞまた
乞食{かたゐ}は乞食{こつじき}の事にて別也混ずべからす『土佐日記』『伊勢物語』等にも見へたり
又|増賀{ぞうが}聖{ひじり}のいせより裸{はだか}になりてかたいだにこそよけれと大路を諷て帰られし
など今いふ乞食の事也『発心集』[増賀伝云]名聞こそくるしけれ乞食の身こそ

(13ウ)
たのしかりけり此事徒然草にも見ゆ
屠児 ゑた[和名ゑとり]○近江にて・くぼといふ備前にて・よつと云薩摩にて・人外といふ東
国にて・かはだと云上総下総にて・かはぼうといふ越後にて・ぶんじと云同国長
岡にて・じなみといふ奥羽にて・かんぼうと云[革{かは}坊なるべし]
鬌 すゞしろ[みどりこのうふ髪百会のうしろにのこりたるをいふ]○江戸にて・けしばうずといふ上総にて・さら
げといふ相模にて・なかやまといふ韃靼{だつたん}の人物は皆かくの如し江戸深川に
住しその女{め}は勢州山田の産にして渡会{わたらゑ}氏也老後に髪を剃{そる}といへとも神家
の女なれは僧形を忌て嬰児{ゑひじ}のごとくに髪を残して剃たり風雅の鉄心{てつしん}に男
女の情をわすれたりと常に語られしとぞ其|貞{みさほ}賞{しやう}すべし
○髪の結{ゆ}ひめを京にて・わげといふ江戸にて・まげといふいせにて・ゑびと云
[同国にてゑびをりと云を江戸にてまげぶしといふ]○角前髪といふを京大坂にて・すんまと云肥前佐賀にて
あまじほと云肥後にて・かどすと云薩摩にて・りはと云上総にて・こびたいといふ

(14オ)
眉 まゆ○関西にて・まゆげといふ東国にて・まみあいといふ・奥州にて・こう(*「こう」に傍線)の
けといふ常陸及上総にて・やまといふ
腹 はら○畿内近国及中国四国にて・ほてといふ東国にては腹とのみ唱へてほて
とはいはず然ともほてくろし又ほてつぱらなどいふ詞有ほてくろしと云は
『枕双子』ニ腹{はら}黒{きたなし}とあるにをなじ又東国て臍黒{へそぐろ}といふ詞もをなし心ばえなり
案にいにしへ相撲取をばほてと云ける也『三代実録』ニ最{ほて}・相撲ヲ云と有今いふ
関取といふもの是也腹をほてと云もすまひとりを最{ほて}といふより出たる名にや
未詳
膝 ひざ○豊州にて・つぶしといふ中国にては・ひざのさらといふ薩摩にて・ひざ
つぶしと云奥州南部にて・ひざかぶと云越後にて・ぶしや(*「しや」に傍線)かぶといふ
尻 しり○相模の三崎にて・でんぼと云備後にて・こつべといふ伊予にて・つべ
といふ

(14ウ)
陰 へへ[つび]○奥羽及越路又尾張辺にて・べゞといふ[関西関東ともにべゞといふは小児の衣服の事なり]
上総下総にて・そゝといふ此外男女の陰名国々異名多し略す[江戸にて物のそゝけたつ
などいふ詞有和泉及遠江辺にてはぼゞけたつと云江戸にてはさはいはれぬことばなり]
腨 こむら○東国にて・ふくらぱぎといふ信濃にて・たはらつ(*「らつ」に傍線)ぱきと云中国にて・
ひるますぼといふ讃岐にて・すぼきといふ伊予にて・ふくらと云
踝 くろぶし[つぶし]○長崎にて・とりのこぶしといふ播磨にて・つくるぶしと云遠
江にて・うちめぬき・そとめぬきと云三河にて・くろこぶしと云仙台にて・たゝみいぼ
と云上総にて・うちいしなごそとでいしなごといふ
跟 きびす[くびす]○関西にて・きびすと云関東にて・かゝとと云安房にて・平
三郎と云遠江にて・あぐつと云信州にて・あくつと云陸奥及越後にて・あ
ぐといふ九州にて・あどゝ云
物類称呼巻之一終


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底本:国立国語研究所蔵本(W52-5/Ko85/1、1001089919)
翻字担当者:木川あづさ、坂東諒
更新履歴:
2015年5月7日公開

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