新「ことば」シリーズ19「外来語と現代社会」 解説1 (一部抜粋)

「『外来語』言い換え提案」は何を目指しているか相澤 正夫

 現状では,公共性の高い場面で分かりにくい外来語が無造作に多用され,必要な情報の共有や円滑なコミュニケーションに支障が生じています。国立国語研究所の「『外来語』言い換え提案」は,このような現代社会の言葉の問題を,分かりやすく伝える言葉遣いの工夫によって,できるだけ軽減し解消していくことを目指しています。ここでは,社会に向けて実際に行っている提案の趣旨と具体的な内容について紹介します。

外来語の氾濫〈はんらん〉をどう見るか

 現代の日本語について,多くの人に共通した素朴な印象として,外来語の氾濫ということがあります。「氾濫」という言葉が使われていることからも分かるように,ここには,外来語が一定の限度や許容量を超えてあふれ出し,結果として好ましくない状況を招いているといった危機意識が感じられます。

 河川が氾濫すれば,国土やそこに住む人々に被害が及びますが,それと同様に,外来語の氾濫は日本語それ自体や日本語を使う人たちに何らかの被害を及ぼします。ここで,日本語そのものに被害が及ぶと考えるのか,それとも日本語を使う人たちに被害が及ぶと考えるのかによって,同じく外来語の氾濫と言っても,とらえ方には違いが出てきます。

 日本語そのものに被害が及ぶと考えることには,日本語が長い歴史の中で培ってきた良き言葉と文化的伝統とが,二つながら崩されていくような危機感が含まれています。一方,日本語を使う人たちに被害が及ぶと考えることには,一般の人々になじみのない外来語が世の中に出回ることによって,日常生活を営む上で必要とされる大切な情報のやり取りや意思の疎通に支障が生ずるといった,言葉の機能不全に対する危惧〈きぐ〉が含まれています。

 二つのとらえ方のうち,どちらを強く意識するかは,人によって違いがあるようです。言葉に対する態度として,日本語そのものへの危機感が先行するタイプの人は,過去からの「伝統重視」の立場に傾いていると言うことができます。一方,日本語による情報のやり取りや意思疎通の面での危惧が先行するタイプの人は,同時代に生きている人と人とのコミュニケーションにまず目が向き,今現在の「機能重視」の立場に傾いていると言うことができます(→解説2,40ページ図4など)。

(以下,続く)