新「ことば」シリーズ12「言葉に関する問答集―言葉の使い分け―」 問9

問9 同じ言葉でも,気持ちの込め方によって声の調子が変わります。話し手の気持ちと声の調子にはどのような関係がありますか。

 この問題を考えるためには,「気持ち」を「感情」と「心的態度」の二つに分けるのがよいと思われます。「感情」は話し手が意図的にコントロールすることのできない「気持ち」です。悲しみ,怒り,喜びなどは一種の生理的反応であり,我々はその生起を制御することができません。したがって,そのような精神状態が発音に影響を及ぼすのも,避けることができません。

 これに対して確信,疑い,感心,からかい,叱責しっせき,などの「心的態度」は話し手がかなりの程度まで意図的にコントロールして表出することのできる「気持ち」です。例えば「そうですか」という文は,「うそだろう?」という気持ちを込めた疑いの口調で発音することも,あるいは,「ああ,なるほど!」という感心の口調で発音することもできますが,いずれも話し手の意図的な選択に基づく行為と言えます。

 音声がどのように感情や心的態度の情報を伝達しているかについては十分な研究がなされていませんが,音声の韻律的特徴,つまり声の高さ(ピッチ)や強さや長さが重要な役割を果たしていることは確実です。

 例えば怒りの感情がこもった「そうですか」は,やや高く,明らかに強く,そして短く発音されるでしょう。一方,内向的な悲しみがこもっていれば,非常に低く,弱く,ゆっくりと尾を引くように発音され,声の高さや強さにゆらぎが観察されるでしょう。

 このように感情にかかわる韻律の変化は,文の全体にわたってほぼ一様に変化が生じます。それに対して心的態度にかかわる韻律の変化では,必ずしも文の全体が一様に変化するとは限らず,部分ごとに異なる変化が観察されることがあります。

 右の図は「山田さんですか」という文の発音のピッチが心的態度によってどのように影響されるかを,典型例について模式化したものです。Aは特別な心的態度を含まない「中立」,Bは「疑い」,Cは「感心」の心的態度で発音された場合のピッチのパタンです。横軸が時間の経過を示し,縦軸がピッチの高低を示しています。また図中の破線は,通常の発音で低い声と感じられるピッチの水準を示したものです。

 A(中立)のピッチパタンは帽子のような形をしており,上昇+天井+下降,という三つの部分に分割できます。比較のために,以下の特徴に着目してください。まず,上昇が第1拍の「ヤ」から第2拍「マ」にかけて生じていること,次に天井部分はゆるやかに下降していること,最後に「デ」以降の下降がかなり急激であること,の3点です。なお,この下降は「デ」の拍がアクセントを持つために生じているものです。

 以上を前置きとして,B(疑い)を観察しましょう。第1拍「ヤ」はA(中立)と比較すると顕著に低く発音されています。ピッチは第1拍から第2拍にかけて上昇しますが,第2拍でピークを示してはおらず,ずっと後ろに位置する「デ」に至るまで連続的に上昇しています。そしてピーク値はAに比べてずっと高い値に達しています。そのためピッチの最高値と最低値の幅(ピッチレンジ)が非常に広くなっています。ピークを過ぎるとピッチは下降に転じますが,その下降は非常に急激です。そして最終拍「カ」の前半で「ヤ」と同程度にまで下降したのち,上昇に転じてそのまま終了します。

 C(感心)のピッチパタンはAのそれに酷似していますが,第1拍「ヤ」が顕著に低く発音されていること,上昇の幅が大きく,そのためピッチレンジが広いこと,天井部分がほぼ平らであること,最後の下降がゆるやかであることなどの点に相違が認められます。

 全体をまとめましょう。心的態度の伝達のために利用されているピッチの特徴には,第1拍の高さ,第2拍におけるピークの有無,ピッチレンジの広さ,下降の速度,最終拍が上昇するか下降するか,などが認められます。ピッチパタンの概形は大幅に変化しますが,アクセントによる下降は共通して実現されています。なお,最終拍の上昇/下降の選択には,聞き手に答えを要求するかどうかの判断がかかわっていることも付言しておきたいと思います。