第6号 1996.12
言語の総合モデル

国立国語研究所名誉所員
新プロ「日本語」企画推進委員
石綿 敏雄

最近は人文科学の分野でも,モデルをつくるということが,研究のひとつの目標になってきているようだ。
たとえば地理学である。ある地域の地勢,人口,産業などを「記述」する地誌などの研究作業は従来から行われてきた。しかしこのような作業を積みかさねても,ある地域である計画を実行しようとするとき (たとえば首都移転など),地域研究として有効な見とおしを立て,そこから有効な助言を述べるということができないのだという。そのためには地理学,社会学,経済学などを中心として,それらの事実の内的な関係をさぐる研究と,その定性,定量的な研究を基礎とした総合的なモデルをつくる必要があり,地理学はそのようにして新しい地理学に生まれかわりつつあるのだという。
言語の問題の例を取りあげてみる。ワープロの設計で「かな漢字変換」を行おうとするとき,かな入力か,ローマ字入力かということがはじめに出てくる。そこにはこんな間題がある。かなはキーの数が多く,そのタッチはなれの問題があって一般の人には容易ではない。かなは,しかし画面に出したときリコグニションが容易で,漢字に変換するときも,その移行が自然に見える。その裏には現代かなづかいを基盤にした漢字かなまじり文の存在があることはいうまでもない。一方ローマ字はキーの数が少なく,そのタッチは一般の人になじみやすいが,画面に出すと漢字かなまじり文にするまでに距離がある。この矛盾した条件をどう解決するか。そこでワープロの設計者が考えたのは,現代かなづかいにそったローマ字入力と画面かな表示を結んで,そこから漢字変換を行うことであった。これは一見名案で,上記の難条件をたくみに解決したかにみえた。
しかしこのやりかたは,別のところに新しい問題を生みだしてしまった。ローマ字入力を現代かなづかいに支えられた「かな」に直結したために,ローマ字が現代かなづかい風になり,それがローマ字本来の日本語表記法を侵食,破壊するにいたったのである(柴田武「日本語はおもしろい」(岩波書店)。ローマ字は,日本の企業名,日本語教育,海外とのコンピュータ通信など日本語の国際化をひかえて,これから新しい役わりをもつようになると考えられる。その意味でこの問題は軽視するわけにいかない。
言語についての,ある部分の新しい事態が他の部分全体にどのような影響を及ぼすのかということは,先述の総合モデルがあれば,シミュレーションによって調べることができるようになるだろう。その作成はもちろん容易ではないが,次第に精度のよいものをつくっていくというアプローチがあるだろう。モデルという点では生成文法が注目されるが、その関心のありどころも研究の方法も,かたよりすぎている。さいわい,この新プロ「日本語」には,この種のアプローチがふくまれている。その成果に期待したいとおもう。  (いしわたとしお,言語情報処理・外来語)


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