第3号 1996.1
新プロ「日本語」に期待すること

東京大学理学部
新プロ「日本語」評価委員
小柳 義夫
本新ブロの評価委員としてひとこと申し上げたい。筆者は、物理学・情報科学を専門とする もので言語学はまったくの門外漢であるが、「日本語」のユーザとしては発言することが許 されよう。理科系の常識として、外国語とは英語・ドイツ語・フランス語などであり、多少 ロシア語やラテン語をかじったとしても、これらと対照すると日本語は特殊な言語という印 象を持ってしまう。
日本語は学問の言葉になりうるのか、この質問は分野毎に全く違った返答が返って来る。例 えば物理学では、英語の論文のみが国際的に通用する論文であり、他の言葉ではだれも読ん でくれない。日本物理学会には和文の論文誌は存在しない。フランス人でさえ英語で書く、 という状況である。他方、日本の情報科学・工学では、日本語の論文が流通し、欧文の論文 誌は数年前廃刊になって和文の論文誌と統合されてしまった。そもそも、欧文誌を創刊しよ うというとき、さる理事から「なぜ英語で論文を書くのか?」という疑問が出たほどだとい う。
とはいえ、物理学が日本語を無視して成立しうるか、となると別問題である。学問は、最先 端だけで成り立っているわけではないからである。教育、教養、啓蒙などが母国語でなされ なければ、市民にとって学問は地についたものにならないであろう。欧米以外で大学の理下 系の講義が自国語でなされているのは、東アジアの漢字文化圏以外には少ないのではないか 。とすると、英語の専門用語をテニヲハでつないだような国籍不明のことばではなく、物埋 学のための日本語を確立させなければならない。これは容易なことではない。筆者は、十年 ほど前に、物埋学用語の標準化の調査研究(科研費)に参加したことがあるが、難問続出で あった。その結果できあがった文部省学術用語集「物理学編」(増訂版)もけして完全無欠 ではない。
日本の中での日本語でさえ困難にあふれているのだから、ましてや国際社会における日本語 という問題の難しさは想像に絶するものがある。衛星放送の新春テレビ番組「Debate ’96」を見ていたら、ヨーロッバの数人が英語・フランス語・ドイヅ語で議論し合ってい た。同時通訳をしている気配もない。きっとかれらにとっては、東京弁と九州弁と東北弁程 度の違いなのであろう。うらやましく思うと同時に、ここに日本語が加われるのか、あるい はアジアの諸語で同じことがやれるのか、などと考え込んでしまった。
本ブロジェクト研究の成果に大いに期待するものである。


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