「日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究」研究発表会 概要

プロジェクト名
日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究 (略称 : 東北アジア言語地域)
リーダー名
John WHITMAN (国立国語研究所 言語対照研究系 教授)
開催期日
平成26年7月31日 (木) 13:00~17:00
平成26年8月1日 (金) 10:00~17:00
開催場所
国立国語研究所 (東京都立川市緑町10-2) 2階 研究図書室 (7月31日)
3階 セミナー室 (8月1日)

発表概要
音韻再建班26年度第2回研究発表会

平成26年7月31日 (木)

13:00~17:00 資料閲覧 講師 : 高田 智和 (国立国語研究所)

閲覧資料

  1. 平安時代末期白筆訓点資料『金剛頂経』 (喜多院点)
  2. 鎌倉時代朱筆訓点資料『悉曇蔵』 (円堂点か)
  3. 江戸時代訓点資料『蒙求』 (朱引き)

平成26年8月1日 (金)

10:00~12:00 日本の研究者によるパネルディスカッション 小助川 貞次 (富山大学,兼司会) ,高田 智和 (国立国語研究所) ,
John WHITMAN (国立国語研究所,兼通訳)

日本の訓点研究の専門家が中世欧州注釈資料の専門家の質問に答え,意見交換を行った。質問は以下の通りである。

I. 教育について

  1. 漢字とその読みを教える過程はどのようなものだったか。『千字文』は日本において基礎的な漢字学習のテキストだったか。そのほかに,古代の漢字・漢文教育にはどのようなテキストが使われたのか?『千字文』の場合,音読みと訓読みはペアで教わったのか? (朝鮮では,中期朝鮮語以来,「天・テン・あま」のように「千字文」字の字音と訓の対をハングルによって記しているが,このような資料が日本にもあるか。)
  2. 訓読法を正式に記述した古代資料があるか。 (この質問の意図は,例えば明治以来の「漢文科」の教科書のように,一般的に漢文をどのように読むか,訓点をどう解釈するかなど,「訓読」の方法を記述した古代資料があるか,ということである。)
  3. 中国のような,標準的なカリキュラム (四書五經) は日本にもあったか。生徒が読法を教わったのはこれらの古典を通してだったのか。
  4. 中国の文法書は日本でも勉強されたか。そのような勉強はいつから始まったか。漢文 (中国語) の知識度が上がってから,「訓読」への依存は減ったか。 (西洋の観点では,中国語・漢文が理解されるようになると「訓読」で読解するのではなく,「中国語」として学ぶようになると考えられるため。)
  5. 中国語 (漢文) の語彙関係の参考書 (辞書など) は古代日本でも使われたか。『爾雅』や『説文解字』のような字書類は使われたか。中国のこれらの辞書類は日本語に訳されたか。

II. 注釈・訓点の付け方について

  1. 仮名点は訓読み,音読み,あるいはその両方を補ったか。訓読みと音読みはどう区別されたか。訓読みと音読みのどちらが優先されたか。あるいは漢文の原典によって決まりが違ったのか。
  2. 彙注釈は普通漢字で書かれたのか。そうでなければ,訓点資料における「語彙注釈」と「仮名点」はどう区別されたか。
  3. 訓点資料における声点はどのような役割を果たしたか。質問者は,「音読み」,つまり日本の漢字音は当時の中国語の母語話者には意味が通じないだろう,という印象を持っている。中国の「四声」に対する関心は単なる学問的な関心だったのか。それとも何か実用面もあったのか。
  4. 仏典における訓点と漢籍における訓点の違いについてもっと知りたい。中世欧州の場合には,宗教 (キリスト教) 関係の注釈資料とその他の注釈資料に関する比較研究はないようである。
  5. 中国における「訓点」・注釈の伝統について知りたい。当時 (唐時代あたり) の文語はどれほど当時の口語と異なっていたのか。「訓点」はどれほど中国から受け継いだものなのか。
III. 理論的な問題
  1. 通言語 (トランスリンガル) 的な読み (朗読) を記述する場合,どのような用語を使えばいいか。例えば,古アイランド語の注釈資料の場合,ł という省略表記はラテン語の vel,古アイルランド語の のどちらで読んでもよい。
  2. ヲコト点 (訓読を形態論的に指定する訓点) と返読点 (語順・統語構造を指定する訓点) は,どこまで (1) 読者の理解を助けるためのものだったのか (2) 「新しい」,つまり漢文原典と違う,日本語のテキストを生成するためのものだったのか。
  3. ヲコト点は本当に実際に口頭で読まれたのか。 (日本語の) 助詞に対応するものなので,読者が漢文の原点を読みながら,ただ理解を助けるためにヲコト点を適当に入れることも想像できる。質問者は一度,イタリア人の学生がラテン語の文章を読むときに主語・目的などを区別するため,黙読しながら違う色で下線を引くのを見たことがある。ヲコト点を加点することは,これとまったく同じ過程ではないだろうか。そのイタリア人が引いた下線に音声的な値は何もない。ヲコト点には音声的値があったことを示す根拠があるのだろうか。
  4. 読者が,返読点を漢文原典の意味を把握するために加点してから,原典の文章を元の (つまり漢文の) 語順で読み改めるというようなことはあったか。自分が外国語の教科書を読むとき,外国語の意味が分からないことがしばしばあるが,英語訳を見てからこそ,また外国語の文章を読みなおして理解できることがある。その後,英語訳は必要ない。返読点は,このような「1回きりの使用のため (つまり,初めての読解を支えるため) に使われることがあったか,それとも,永遠に語順を変えるために使われたのか。

IV. 一般・方法論

  1. 最近は注釈の付け方を過程 (プロセス) として考えるようになっている。しかし,当時の,テキストを読む「体験」 (experience) を再建する前に,注釈を含めて,原典にあるすべての「機能」を再建しなければならない。どのような方法を採用し,原典に残されている根拠に基づいて「読む体験」を再建すればよいだろうか。

12:00~13:00休憩

13:00~14:00 デジタル資料閲覧,質疑応答高田 智和 (国立国語研究所)

14:00~16:00 ヨーロッパの研究者によるパネルディスカッション Alderik BLOM (オックスフォード大学) ,Franck CINATO (フランス国立図書館) ,
Pádraic MORAN (アイルランド ゴールウェイ大学) ,Andreas NIEVERGELT (スイス チューリッヒ大学)
司会 : John WHITMAN (国立国語研究所,兼通訳)

中世欧州注釈資料の専門家が日本の訓点研究の専門家の質問に答え,意見交換を行った。質問は以下の通りである。

  1. 中世初期の時代,修道院での初期教育についてどのようなことがわかっているのか。例えばラテン語の綴りなど。
  2. 質問1と関係して,何か入門書は現存しているか。一番よく使われていた基本的な教科書は何か。
  3. 古典の注釈と中世初期の注釈に何か明らかな形式上のつながりを見ることは可能か。例えば句読点や Marginal content gloss,行間の語彙注釈など。
  4. 更に質問3に付け加えて,初期古典アイルランド語と高地ドイツ語の注釈の形式的な要素の古典的な慣例を確認することはできるか。
  5. (i) 初期のアングロ・サクソンブリテンと (ii) 初期のアイルランドにおけるラテン語の知識についてわかっていること (考え) はあるか。ブリタンニア (もしくはケルト系) からアングロ・サクソンのイギリスへラテン語学習の直接の伝達はあったか。
  6. アイルランドの修道士が中世初期の注釈 (例: Draak) の発展の最初の役割を果たしたと多くの学者はいうが,これは本当か。古典語 / ラテン語の学習は,アングロ・サクソンのイギリスやドイツ語が話されている国々,フランク王国よりも,アイルランドにおいて進んだものだったのか。
  7. 中世の写字室はどのような間取り・レイアウトだったのか。ザンクトガレンの修道院平面図で説明してほしい。
  8. Korhammer (1980) の研究当時では,ロマンス語圏よりもアイルランド語やゲルマン語圏と関連した注釈のついた写本はもっと存在する印象があるとされていたが,現在でもそうか。
  9. 800の修道院でのリンガ・フランカは何であったか。中世ラテン語がカロリング朝ルネサンスの一つの発明であると Wright やその他の研究者は述べている。この真偽はさておき,アイルランドの修道士たちは,ドイツ語やロマンス諸語の話者である同僚たちとザンクトガレンで何語を話していたのか。そしてどのようにそれを勉強したのか。
  10. 注釈の類型を示して, Hoffman and Wieland のそれと比べてほしい。

16:00~16:15休憩

16:15~17:00 自由討論