「日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究」研究発表会 概要

プロジェクト名
日本列島と周辺諸言語の類型論的・比較歴史的研究 (略称 : 東北アジア言語地域)
リーダー名
John WHITMAN (国立国語研究所 言語対照研究系 教授)
開催期日
平成24年8月7日 (火) 10:00~17:30
開催場所
国立国語研究所 3階 セミナー室

音韻再建班 平成24年度第1回研究発表会 発表概要

「プロジェクトの一般紹介」ジョン・ホイットマン (国立国語研究所 言語対照研究系 教授)

「琉球祖語の語中の有声子音の再建について」アレキサンダー・ヴォヴィン (国立国語研究所 客員 / 米国 ハワイ大学 教授)

日本祖語の語中には *np, *nt, *nk, *ns という N+C子音群が,上代日本語の語中には mb, nd, ŋg, nz という鼻音有声子音が再建される。対して琉球祖語の段階では,語中においてはただの有声子音である *b, *d, *g, *z を再建することが現在の定説である。いうまでもなく,現代琉球方言だけを見ると琉球祖語に *b, *d, *g, *z 以外を再建する根拠はなさそうだが,古代沖縄語の資料を見ると,他の可能性が見えてくる。勿論,古代琉球語で書かれた『おもろさうし』はこの場合には役に立たない。たとえ濁音点が付いていても,たとえば「ば」は [ba] ではなく,[mba] あるいは [mba] であったということを証明できないためである。この発表では,古代沖縄語にかかわる韓国と中国の資料を基に,少なくとも15~16世紀の古代沖縄語の若干の言葉には鼻音有声子音である [NC] または N+C子音群である [NC] が残っていたということを示した。そして,現代の先島の方言である登野城方言が同じ現象を保存している可能性も示した。

「北琉球諸方言に見られる長母音と音調の対応関係について ―沖縄語中南部方言における C 系列語彙の語頭長母音を中心に―」トマ・ペラール (フランス 国立科学研究センター 研究員)

北琉球 (奄美・沖縄) の諸方言は長母音が豊富に現れており,母音の長さが音調 (アクセント・語声調) と密接な関係にある方言も少なくない。例えば徳之島浅間方言や沖縄島中部金武方言のように,いわゆる「アクセント類」がピッチの高低だけでなく,音調と長母音という二つの韻律特徴によって実現する方言がある。一方,沖縄島南部首里方言のように,他の方言における音調型の対立に母音の長短の対立が対応している方言も存在する。
本発表では沖縄語中南部方言に着目し,琉球祖語の「 C系列」の語彙に現れる語頭長母音の由来について考察した。その語頭長母音が琉球祖語または日琉祖語まで遡り,短母音化の代償として C系列という音調型が発生したとする多くの先行研究の仮説 (服部1979,Martin 1987,Vovin 1993,2008,Shimabukuro 2007等) に対して,比較方法と内的再建に基づいてその長母音が二次的に派生したことを提案した。

「満洲語最古の文献概説と音韻の考察の一部 ―清朝時代の満洲語は現代シベ語のように語末短母音を発音しなかったか?」早田 輝洋

満洲語に関する現在の一般的な常識は,語彙・正書法は18世紀初頭の『御製清文鑑』(康煕47(1708)年序),文法は19世紀以降の西洋人の書いた文法書,満洲語のテキストは殆ど康煕年間以降の版本の「有圏点満文 (加圏点満文) 」によるものである。大半が「無圏点満文」からなる17世紀初頭の『満文原檔』 (旧満洲档) が出版され,それに続く時代の『内国史院档』のマイクロフィルムが頒行されている今日,これら満洲語の手書き資料についての概略を示す必要を痛感し,今回紹介解説をした。
書写資料の満洲語はどれだけ音声を反映しているのであろうか。現代シベ語は語末短母音が発音されないし,円唇母音の順行同化が顕著である。清朝時代の満洲語の語末短母音と対応する現代シベ語を比較すると,後者の語末短母音は長母音化しているもの以外は殆どすべて母音の区別なく無標のeになっていることが分かった。清朝時代とは違い,語末母音が大幅に弱化したのである。即ち語末に来る母音の違いから,清朝時代の満洲語には現代シベ語のような語末音弱化は無かったと推察される。以上の報告を行った。

「ツングース祖語母音体系の再検討-RTRの母音調和を想定して」ジョン・ホイットマン (国立国語研究所 教授)

ツングース祖語母音体系の再建として代表的なのは,以下の Tsintsius (1949) による(1)と Benzing (1955)による (2) である。

(1) Tsintsius 1949 (2)Benzing 1955
"hellen [陽]" "dumpfen [陰]"
*и [i] *e [e] *i
*уи [uĭ] *у [u] *u
*ẏ[ʉ] *o [o] *o
*э [ə] *a [a] *a

上記の2体系ではそれぞれの左右の対立が母音調和で現れる。Tsintsius の再建ではこの対立が「高・低」 ([狭・広舌]) のような素性によるもの,Benzing では「前・後舌」つまり [±palatal] のような素性によるものに見えるが,実際には Benzingは (2) の音声的解釈を明記していない。近年,ツングース諸語の母音調和は「舌根調和」 (tongue root harmony) であると解釈されるようになり,舌根による対立を祖語にまで再建している研究がみられる (Vaux 2009, Ko 2012) 。本発表では,特に Retracted Tongue Root (RTR 舌根後退) による対立を再建した場合の根拠を,類型論的観点から考察した。

「朝鮮語アクセント体系再建の試み ―中期語と諸方言の資料に基づいて」伊藤 智ゆき (アジア・アフリカ言語文化研究所 准教授)

本発表では,中期朝鮮語固有語名詞の音節構造とその分布について検討し,中期朝鮮語の最小語制約や,音節重量との相関性などを示すとともに,中期朝鮮語アクセント体系について再検討した。また,現代韓国語慶尚北道方言 (主に大邱) ,慶尚南道釜山方言 (主に金海,釜山) ,咸鏡道方言・延辺朝鮮語と,中期朝鮮語アクセントとの対応を調査し,個別にはかなりの例外がすべての方言において見られることを提示する一方,特に中期朝鮮語3音節語の LHX との規則的対応においては,慶尚道方言と咸鏡道方言・延辺朝鮮語との間に大きな違いが見られることを明らかにした。このことの原因について,Dep-H,*Lapse,Ident-H等の制約を用い,最適性理論により説明を試みた。

一般討論