第4号 1996.4
独創の生まれるところ

東京大学文学部名誉教授
新プロ「日本語」評価委員
九学会連合,国立国語研究所,文部省特定研究などで,数えきれないほどの共同研究・共同 調査をしてきた体験から,どうも独創的研究は共同作業のなかからは生まれにくいように思 う。少なくとも私について言えぱ,独創は別の機会に生まれたような気がする。
5O年以上にわたる研究生活は,たいした成果を生むことはなかったが,それでも,独創と 言えるような考えやまったく新しい方法に思いついたことは何回もある。それは,どういう 機会だったかというと,自前で細々と研究しているときとか,まったくリラックスして草原 に寝そべっているときとか,調査旅行の鈍行の座席にいるときとかである。
われわれにとって豊かと言えるような研究費を与えられ,協力してくれる仲間もそろった大 型のプロジェクトにおいて,なぜ独創をはばむ,あるいは,独創が伸びるのを抑える力が働 くのか,それを説明することは私にとって長年の課題であった。いま,その阻止要因と思わ れるものを順不同に並べてみよう。
①研究発表会や報告書提出など研究行政といった仕事に時間をとられるだけでなく,研究的 思索の流れを断たれる。
②独創的な研究は,独創的であるだけに不備があり問題をはらんでいる。そのため,共同討 議ではどうしても足を引っ張られる。
③大型の研究ではどうしても協力者を必要とするが,その協力者に独創的研究を少なくとも 理解してもらう必要があり,研究開始までに時間がかかる。
もし,こういうことが私以外の場合にも認められるならば,共同研究に個人の独創をどうや って生かすかということを問題にしうる。どうも,独創性は個人において十分に熟成させて おいて,大型プロジエクトに参加できる機会にそれを発酵させるべきではないか。大型プロ ジェクトが転がり込んでからはもう間に合わないのである。
日本学術会議での6年間の経験では,研究費の配分などはもっぱら自然系のパターンに従う ものであった。自然系では,どっと多くの研究費がつけば,例えば倍率のいい顕微鏡を買っ て,今まで見えなかったものが見えてくるといった劇的な効果が期待できる。人文系ではこ の方法は必ずしも有効ではない。自然系に比べてひどく少額でも,少なくとも5年,できれ ば10年にわたって研究費を与えるほうが人文系にとって望ましいと思うようになった。
そこで,上にあげた①②③にもうひとつ加えるならば,
④学問に国境がないのと同様,研究に年度の境はない。年度を無視することはできないとし ても,研究費の使用についていっそうの柔軟性がほしい。それが独創の生まれるところを提 供するからである。


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